名鉄パノラマカー・EVE見学記

名鉄パノラマカーが12月26日をもって定期運用を離脱することが確定した。京阪1900形は10月18日をもって定期運用を離脱、新幹線0系は11月30日で定期運用を離脱し、昭和30年代の名優が揃って引退することになった。最終日に新大阪6時12分発こだま629号に乗った友人の話では、ホームの警備の物々しさに比べ、早朝のためか乗客は少なく、自由席で40%、指定席も空席が目立っていたそうである。

 11月27日、午後から大阪で仕事があり、午前中時間が空いていたので、パノラマカーの撮影を計画した。同社のHPにダイヤが公開されており、撮影には大いに参考になった。東京を朝出発して、午前中撮影可能な列車は、神宮前駅を基準にすると、上りは8時54分発急行内海・常滑行(後4両常滑行がパノラマカー)と11時16分発普通東岡崎行、下りは9時24分発、普通金山行と9時35分発普通岩倉行の4本で、11時16分発の東岡崎行は、9時35分発の岩倉行の折返しのため、撮影できるのは実質3本である。

 当日、東京駅6時発の「のぞみ1号」に乗車、名古屋着7時36分で、パノラマカーは早すぎるため、8時30分頃まで中央線の電車を中心に撮影、211系と313系の併結10連が次々と発着する光景は中々のものであった。また、2扉転換クロスの213系5000番台はラッシュ以外殆ど姿を見せないのでこの時間帯がチャンスである。

 名鉄名古屋駅から豊川稲荷行急行に乗り神宮前へ、ここで撮影するのは30年振りである。まず、内海・常滑行を撮影するが上り電車と被ってしまい、辛うじて後追いで撮影した。続いて上りの金山行を撮影するが、どこからともなく同業者が2人現れた。白帯車であったが、下り電車と被ってしまい、発車直前に辛うじて撮影することができた。この電車は恐らく金山で折返し、回送で戻ってくるが、岩倉行を撮影するため、快速急行吉良吉田行で次の堀田へ、ところが岩倉行はパノラマカーではなく、6000系の4連でガックリ。折返しの東岡崎行も期待できないため、地下鉄で大曾根に行き、瀬戸線の吊掛車を撮影しようと思い駅を出たが、もしかすると岩倉で車両交換するかも知れないと思い、再びホームへ。昭和40年代前半は、7000系の他、5000系高性能車、流線形の3400、830、戦前形のAL車、3700系HL車等バラエティーに富んでいたが、今は6000系と3500系が主力で変化に乏しい。撮影中に携帯の着信音が度々鳴るが勤務時間中のため、これは仕方がない。1編成のみの1380系が撮れたのはラッキーであった。やがてパノラマカーの到着予定時刻になり、ホームの端で待っていると、4コのヘッドライトが見え、7041の編成が来た。やはり岩倉で車両交換したのであった。

 新名古屋の戻り、在来線ホームを覘くと多治見行のラスト2両に213系が連結されていたので大急ぎで撮影後、発車間際の「のぞみ19号」に乗車、午後1時前には楽々新大阪に到着した。

 1. 神宮前を発車した急行新鵜沼発内海・常滑行の8連、後4両のパノラマカーが、太田川で分割し普通常滑行となる。(後追い) (7043-7754-7753-7044)

 2. 神宮前駅に到着した普通知多半田発金山行  (7011-7162-7061-7012)

 3. 本来はパノラマカー運用の普通東岡崎発岩倉行であるが、本日は6000系。(後追い)

4. 先頭のモ6912

 5. 岩倉で車両交換して本来の運用に戻った普通東岡崎行。午前中の運用はこれで終わり。

(7041-7082-7081-7042)

 6.1000系6連の快速特急豊橋行

 7.ク3303他6連の快速急行豊橋行

 

8.モ1384他4連、普通東岡崎行

一部特別車の特急編成 (113411841384133415841534)が平成4年9月、踏切事故で特別車両の1134と1184が大破して廃車となったが、一般車の4両は被害の少なかったため、1384に運転台を取付け一般車とした。車内は特急時代の転換クロスのままであるが、専ら普通列車に使用されている。

 9.ク3521他4連、準急東岡崎行

平成5年から7年にかけて作られた通勤形車で、GTO素子を用いたVVVFインバータ制御車である。

 

10.ク6247+モ6047 普通豊明行

昭和51年から59年にかけて作られた通勤形車で、写真の車は昭和58年製の9次車である。正面のデザインから「鉄仮面」と呼ばれている。

 

11.蒲郡線と広見線の末端区間ワンマン化に伴うポスター

地元では「廃止を前提とした合理化」と相当反発を招いているようである。

 仕事は順調に進み、17時30分に終わった。朝が早かったので(4時起床)、このまま真っ直ぐ帰ろうと思ったが、今日は「EVE」。ここまで来て展示を見て帰らない訳には行かないと思い、新快速で京都へ。会場には18時30分頃到着した。今年の展示のメインは「加悦鉄道」で、DB201の引く客車列車、修復工事中のハ10、キハユニ51の写真等、貴重なものが多く見応えがあった。また、伊賀鉄道のイベントに使用したヘッドマークの実物の展示もあり中々充実していた。個人の好みにもよるが、ここ5年位毎年展示を拝見しているが、今年が最高ではないかと思った。会長の田中君としばし懇談し、青信号66号を購入し会場を後にした。「のぞみ96号」に乗車し、本日3食目の駅弁を食べた後「青信号」を読んだが、読み終えたのは掛川駅通過後で、総本家青信号特派員さんや中国特派員さんの記事もあり、こちらも充実した内容であった。

 おなじみの9mmの大レイアウト

 

伊賀鉄道の行先板(本物)

 加悦鉄道の現役時代を知るものにとっては非常に懐かしく、今尚大切にメンテナンスを行いつつ保存されている状況を知り、安心すると共に、活動が何時までも続けられることを切に願うばかりである。

0系雑感

昨日(2008年11月30日)昭和39年10月1日以来走り続けた新幹線0系が営業運転から引退した。思えば同志社へ入学した年で、8月の夏休み中に試乗会があり米原まで往復した想い出がある。

さて、この引退を巡ってマスコミは一大キャンペーンを繰り広げている。テレビではトップに報道され、新聞でも数面を使って詳細に解説されていた。

たしかに一時代を画した車両ではあったがこのマスコミの報道ぶりにはいささか違和感をおぼえる。涙を流して0系への思いを話す男性、感謝のコメントを書いたパネルを掲げる十に満たない子供をテレビが映し出す。思い入れは人それぞれだから彼ら達には異存はない。しかし、そもそも0系の引退が今日のニュースのトップに座るほどの価値があるのだろうか?マスコミは何を基準にニュースの価値を判断し、軽重を決めるのか。その能力と権限がマスコミにあるのだろうか?かつて某新聞社は自らの政治的プロパガンダのために珊瑚に傷をつけたし某政党を選挙で勝たせるために団結して反対党のネガティブキャンペーンもした。

0系新幹線に話を戻すと今回かなりの国民が“0系”なる新幹線の存在を知ったと思われる。これはマスコミがその様に意図したからに他ならない。自分も鉄道が好きだから引退すると聞けば惜別の情は湧く。でも泣いたりプラカードを立てて見送る気にはならない。車両はいつか更新されるものであり、それであるからこそ趣味の対象となりうる。泣き叫ぶほど擬人化したり、過度の思い入れは趣味の対象への行動としては鼻白む思いがするのだ。

マスコミは株式会社○○新聞社であり××テレビである。利益を出すために今度はこれを煽ってやろうと思えばその様に番組を作る。われわれはそれを見抜く眼力が必要になってくるのでは無かろうか。

それにしても我が愛するスハ43や80系の引退時にもこんなイベントが欲しかった!