【2643】1954年3月高校生東京へ

高校2年から3年になる春休みの1954年3月、中学時代の同級生(高校は分かれた)と2人で東京を目指した。大学生相手の下宿(当時のこととて賄い付き)をしていた親戚が、春休みなら手が空くから何泊でもOKといってくれていた。相棒は荒物屋の息子で、中学生から高校生・浪人まで、年末はずっと彼の店でアルバイトさせてもらっていた。小遣いがなく買えなかったTMS(ピク発売まではこれが唯一の鉄道雑誌だった)は彼から毎月借り、図面をせっせとフリーハンドで写し取っていたものであった。

当然夜行列車利用、北陸・信越本線、東海道・関西・奈良線経由という、最も単純な「一筆書き」ルートなのだが、北陸本線の確か杉津だったか新保だったかで土砂崩れがあって不通。夜行列車は臨時に高山本線経由での運行で、始発の大阪駅まで並びに行った。ホームへの誘導までは順調だったが、編成に17メートル車オハ31が混ざっていたため折角の行列が大混乱し、結局座席は1人分しか確保できず、交代で座る羽目に。

キ607 富山

ヤ41 富山 これはヤ40と共に除雪列車と交信する「無線車」で 勿論真空管による無線基地=右側に高いアンテナが建っており 要は建物代わりである 妻面に電源コンセントがある

睡眠不足の目をこすりながら富山着。随分以前にご高覧に供した富山港線の木製社型電車の大方はこの時の撮影である。富山地方鉄道の電車には当時として珍しい5桁ナンバーがあり、末尾2桁が番号、頭の3桁ないし2桁は馬力数だとは聞いていた。この流儀は子会社の加越能鉄道のディーゼルカーにも適用されていた。


富山地方鉄道モハ12512 125がモーター馬力を表すんだそうな

富山市内線デ3515 富山駅前 木製車で窓下段ガラスにはまだ継ぎ目がある

富山から北陸・信越線夜行経由上野行に乗車。当時の時刻表で見ると富山15時37分発上野終着5時00分の522レだったのであろう。本来米原8時16分始発列車だが、上記北陸本線不通のため米原-富山間は運休で、富山始発であったかと記憶する。今度は間違いなく2人共座れた。

記憶はすっかり薄れてしまったが、ネガに小山で撮った数枚があるので、高崎で下車し、5時31分発快速「おおとね」で小山7時54分着、その後上野に向かったと思われる。どうせなら日本ニッケル鉄道(→上武鉄道)や東武熊谷線を覗いておけばよかったものを、と今頃悔やんでも致し方ない。


水戸線811レC5054 小山 客車7両は全部木製車である この時点C50は京都駅はじめほぼ入換用で本務機は珍しかった

C5777牽引の快速「おおとね」高崎発小山経由上野行

入換機2386

上野では先ずは便所に。そこでカルチャーショックというか、当時の首都の裏口を垣間見る事になった。「個室」の天井は世界中吹きぬけが常識だが、そこに厳重な金網が張ってあった。すなわち、懸命に用足し中棚の荷物への注意が散漫になるのを「隣室」で察知し、それを吊り上げて盗む「タコ釣り」防止網だったのである。

上野で乗車券を買い直し、また夜行で小海線、身延線を経由して東京に戻り、数日滞在する計画だったのだが、相棒がここから一人で帰ると言い出した。実は用心金として親から特別給付されたン千円を、祖母の発案で腹巻に入れていたのを、個室での用足し中に「奈落」に落とし、完全に意気阻喪してしまったのであった。当方は左様な心遣いは一切なし=ほぼ完全な自由放任ではあった=にアルバイトで稼いで旅をするなら勝手にしたらいい。三度のメシは親が食わすが他は知らん、という家庭だったから、羨ましくもあった。

致し方なく以後一人旅となって上野23時00発直江津行327レに乗車し、憧れの小海線に乗車することになる。


【2628】1970年韓国

 米手作市様昨年9月の中国韓国旅行のレポートで旧満鉄ジテなどを報告した時最終日の韓国どうなっているのかと言われ、その日は曇天でろくな写真撮れなかったですが、漢江の特急と今回1970年に行ったときの韓国の古い写真のっけます。

漢江をわたる韓国ご自慢の特急2008.9.24

慶州駅ミカサ1970.4.22

水原ナロー混合列車1970.4.24

 


【2616】桜を求めて三岐鉄道へ(2)

(祝!「デジタル元祖青信号」復旧。見られないときは一日が終わった気がしませんでした。管理人さんのご苦労を偲びつつ、投稿を続けます。)

桜満開の大安駅付近で撮影を終え、ひと駅だけ戻って梅戸井へ、往きのロケハンで見つけた場所へ向かいます。まず大安寄りのJA横にある桜並木へ。車内から見る限りでは、線路と並行した桜並木はここしかありません。光線もバリ順、待っていると計ったようにすぐに貨物が通過する効率の良さ。

続いて反対側の北勢中央公園口側へ。ここにも田んぼの中をキレイなカーブが走り、午後からはインカーブで定番写真を撮ることができます。電機も去ることながら3両編成20m車の電車も二丁パンタを上げて堂々と通過していきます。

桜並木の横を行く下り貨物 梅戸井~大安

電車は自転車の持ち込みも可能

電車はすべて西武鉄道の中古電車です。2両編成と3両編成があり、先ごろ751系(元西武新101系)がデビュー、代わりに601系(元西武571系)が廃車となり、冷房化率1005%を達成しました。1編成の広告電車を除き、すべて三岐オリジナルカラーに塗られているのも好ましく感じます。
駅に戻ると、初老の駅員が迎えてくれ、あれこれと話し込みます。三岐の駅は、無人の西野尻駅を除き、あとすべての駅が駅員配置になっていて、無人化を進める他のJR・私鉄とは全く逆行する充実振りには目を見張ります。会社としては、近鉄と一体となった自動改札の導入を計画しているようですが、初期費用の高さで実行に踏み切れず、退職した職員などで人件費を抑えて、駅員配置を維持しているとのことでした。そのため、各駅とも整備が行き届き、たいへん気持ちよく駅を利用できます。そして何より、コミュニケーションのある、今では忘れ去られた駅での光景がまだ三岐には残っているのです。今日も、高校の入学式を終えた親子がさっそく駅の窓口で初めての通学定期券を買い求める、懐かしい光景がありました。
しかし、人的なサービスが充足されても乗客減少に歯止めはかかりません。四日市周辺のこの地のこと、工場に通う通勤客も多そうに思いますが、最近の工場は電車線から離れた郊外に立地することが多く、好んで電車を使っても下車駅からの移動手段がなく、電車通勤は皆無に近いと嘆いていました。そこで三岐では、自動車・自転車のパークアンドライドを実施、各駅には無料の駐車場・駐輪場が確保され、自動車・自転車からの転移に期待をかけています。見る限りでは、自動車・自転車とも相当埋まっています。また、自転車は、平日は三里~西藤原間、土日ではほぼ全区間、無料で車内に持ち込めるサービスも実施しています。空いた車内では全く問題はないと思いますが、この日見かけたのは皆無でした。
電車は、富田から車庫のある保々までは30分ヘッド、保々~西藤原間の閑散区間は、ほぼ1時間ヘッドでしたが、2003年に倍のほぼ30分ヘッドに増強、前記のパークアンドライドの実施、“ひと駅いちテーマ”で特徴のある駅、鉄道博物館などのイベントの実施などの手を打ち、下げ止まりの傾向が出てきているのでしょうか。確かに30分ヘッドだと撮影するにしても移動がたいへん楽で効率的です。

桜のなか、電機の魅力に酔い、三岐の魅力に触れた一日でした。

大カーブを行く上り貨物

20m3両編成 北勢中央公園口~梅戸井

一輪の花が印象的な梅戸井駅

 


【2597】2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part5 土佐くろしお鉄道

友人から、せっかく高知に来たのだから、是非とも土佐くろしお鉄道に乗って、夕陽の車窓を楽しむように、お勧めがありましたので、復路を夕陽時刻に合わせて、初乗車としました。
土佐くろしお鉄道 安佐線

土佐くろしお鉄道 安佐線

交換駅

交換駅

車庫 海側がオープンデッキとなっている1S,2S車両 これに乗りたかった。

車庫 海側がオープンデッキとなっている1S,2S車両 これに乗りたかった。

高架駅となった高知駅 土佐くろしお鉄道の2S号車

高架駅となった高知駅 土佐くろしお鉄道の2S号車

とでんを撮影しながら、終点の後免町駅で、土佐くろしお鉄道阿佐(愛称;ごめん・なはり線)に、乗換ました。
元々、とでんが営業していた路線を、国鉄が新線を建設して、引継ぐ事で廃線となりましたが、国鉄再建法で新線建設は、中断凍結されました。

しかし、復活を求める地元住人や、自治体の熱意により、第3セクター方式での運営が決定し、2002年に日本鉄道公団建設線、最後のAB線として、工事着工から37年間、安芸線廃止から28年ぶりにして、開業されました。42.7キロ、20駅、在籍車両10両の鉄道です。

全線は、ほぼ高架軌道、高規格で建設されているので、運転速度も110km/hの高速走行をします。JR線にも乗り入れていて、多くは、高知発着となっています。快速運行もあります。

① 後免町15:42(快速5840D)→16:35奈半利 9740形8号車
② 奈半利17:18(快速5843D)→18:29高知  9740形8号車
③ 高知 18:34(4771D)→18:53伊野 キハ1043号車

ロケハンをしましたが、風光明媚な路線にコンクリート高架路線は、似合いません。終点の奈半利駅前では、地産の野菜や魚を即売するお店がありましたので、折り返し便のビールのあてにすべく、食を求めました。

夕陽がきれいな海沿いを走る。ビニールハウスも多い。田んぼは田植えが始まっている。

夕陽がきれいな海沿いを走る。ビニールハウスも多い。田んぼは田植えが始まっている。

事故発生!

事故発生!

奈半利駅を出ると、海沿いを走ります。席に座って、ビールを飲みながら、夕陽と海をうっとりと見ていました。
和食駅手前では、夕陽が前方窓からでないと、見えなくなってきましたので、よろよろと前方助手席側に行くと、突然に黒い物体が接近し、鈍い音がして、前の窓にひびが走りました。細かいガラスも飛び散っています。

走行速度は、最高の110km/hです。幸いにして、一面粉々に飛び散って、降り注がらずで良かったのですが、このままでは運行に差し支えます。

和食駅に停車した後、運転手は、列車無線で事故報告を行った後、やわら、太めの厚いセロテープを取り出して、窓に貼りだしました。運転手は、当たったのはトンビで、1年に何回か起きる。その為にセロテープは、緊急処理の必需品で、必ず積んでいると言います。

助手席側のテーブルに、細かいガラス片が飛び散って危険でしたので、同じセロテープを借りて、ひっ付けて、まとめる手伝いをしました。

高知発伊野行き 4771D たった1両でも通勤通学列車

高知発伊野行き 4771D たった1両でも通勤通学列車

この事故のため、高知駅へは、延着しましたが、伊野行きは、接続待ちをしてくれていました。
友人宅へ帰宅後、この話でまた1杯飲めました。明日は、土曜休みなので、運転手をしてやる。好きな撮影場所をリクエストしてくれとの、ありがたいお言葉です。即答で、窪川~高知間でロケハンしておいた場所を、お頼みしました。


【2568】2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part4 とでん

 初めて、伊野駅に降り立ち、直ぐに隣接する土佐電の電停に、向かいました。高知には、仕事を含めて何回か来ています。『とでん』は、見ていますが、乗車するのは、初めてです。

とでん いの駅 毎月1日だけだが、100円は安い!

とでん いの駅 毎月1日だけだが、100円は安い!

とでん 路線図

とでん 路線図

 

国外からの路面電車があるとは、知っておりましたので、これに乗車するのが、楽しみです。
とでんは、現存する路面電車では、最も古い歴史と、25.3kmの最長の路線を誇っています。かっては、SL、ガソリンカー、電気機関車も走っていました。京阪電車や阪神電車のお流れもありました。

今は、土佐くろしお鉄道となった鉄道線の安芸線とも、直通乗り入れをしていました。また単線区間では、今でもタブレットを使用しています。とても、興味深い印象を持っていました。

いの駅到着の701号車

いの駅到着の701号車

いの駅前付近を走行する701号車

いの駅前付近を走行する2001号車

まずは、伊野駅前からの出発ですが、直ぐそこに終点の伊野駅が見えます。正面に『いの』と、大きな菱形行き先板を掲げた電車が、やってきました。記念すべき最初の電車は、下関の山陽電気軌道を走っていた、700形の3両のうちの、トップ701号車です。

運転席右側には、しっかりとタブレットが差し込んであります。早速に、800円の全線1日券を購入しました。少し延着したようで直ぐの折り返し発車でした。

道路併用軌道が短区間ありましたが、直ぐに専用軌道を走行します。降りる客や乗客がいない駅は、速度を落として無停車です。これは、全線共同じでした。

最高運転速度は、全線40km/hに制限されていますが、市内中心部では、道路幅もたっぷりとありますので、伊予電と同様に50km/h、専用軌道は60km/hは、出して欲しいところです。 

八代信号所

八代信号所

八代信号所

八代信号所

朝倉(大学前)で、2度目の交換

朝倉(大学前)で、2度目の交換

約7分で、最初の交換駅に八代通駅に到着、タブレットの交換は、宇治団地前駅との、中間(八代信号所)で行われます。交換するのは、とでんで、最大車両数30両を誇る、主力車種600形の624号車でした。

タブレットの交換は、運転席窓を開けて、互いの運転手が手渡しで行われました。次の交換駅は、約8分後の朝倉(大学前)で、道路併用軌道上の専用電停もない駅でした。そして、ここでは、タブレットを渡すのみで、換わりはありません。 

鏡川橋手前にも信号所があるが、タブレット交換はない。

鏡川橋手前にも信号所があるが、タブレット交換はない。

鏡川端を渡る

鏡川端を渡る

鏡川橋駅 ここで多くの電車は、折り返していく。

鏡川橋駅 ここで多くの電車は、折り返していく。

 単線区間は、鏡川橋駅まで続きます。ここからは、自動閉塞区間で信号があるので、タブレットは、不要です。ちなみに、現在のタブレット区間の信号化は、予定されていないそうで、当分はこの光景を見る事できます。

市内線

市内線

葛島端

葛島端

北浦付近

北浦付近

領石通付近

領石通付近

伊予駅からの電車は、文殊通駅まで。後続の領石通駅行きの、613号車に乗り換えました。石通駅から、終点の後免町駅までは、在籍数2両の、貴重な1000形の1002号車に乗車できました。

後免町駅
到着は、16:32。伊野駅から22.1kmの所要時間は、乗換待ち時間も入れて、1時間30分でした。新快速なら京都~姫路間と同じです。結構、乗った気がしました。

ずうっと、運転席横で立ったまま、ロケハンもしていましたので、今日は、後免町駅から、知寄町三丁目駅までの専用軌道区間と決めて、日没までを撮影時間にしました。

今日のお泊まりは、古くからの友人宅です。丁度、伊野町にあって、松山からの突然の電話にも関わらず、熱烈歓迎で待ち受けてくれました。奥さんのご両親は、仲人をしていただきました。よく知っていましたので、お互い気楽でした。この夜を含め、滞在中は、お互いに大好きなお酒を飲みかわし、再開を楽しみました。

JR高知駅前 まだ工事中でした。

JR高知駅前 まだ工事中でした。

高知といえば、はりまや橋 きれいに整備されていました。

高知といえば、はりまや橋 きれいに整備されていました。

はりまや橋交差点は、桟橋線と後免線が交差します。

はりまや橋交差点は、桟橋線と後免線が交差します。

同じく、反対側からの交差点

同じく、反対側からの交差点

電車がいない時間がないほど、本数が多い。

電車がいない時間がないほど、本数が多い。

終点の桟橋通五丁目 乗降する客は殆どいない。

終点の桟橋通五丁目 乗降する客は殆どいない。

市立自由民権記念館の前を行く。

市立自由民権記念館の前を行く。

桟橋車庫

桟橋車庫 外国車は止まったままです。

翌日は、タブレット交換駅の様子を撮影、そして適当に気に入った駅で降り撮影いたしました。ですが、残念な事に、唯一の超低床車3両編成のLRT(ハートラム)は、全検に入っていまして、車庫でも見る事はできませんでした。5月には、全検を終えて走行しますので、連休に行かれる方は、ご安心ください。

また、楽しみにしていた欧州から来た路面電車は、今年1月からのICカード化に対応できなかったために、通常運行から退いていました。

しかし、貸切運転には対応しています。指定車両を、桟橋車庫→高知駅前→はりまや橋→鏡川橋→後免町→はりま屋橋→桟橋通五丁目→桟橋車庫のルートで、約3時間乗車でき、貸切料金は、35,000円です。2週間前まで受付可能ですので、ご検討していただける方は、いらっしゃいませんか。

友人のご好意もあって、3日間を撮り続けることが、できました、元気に南国土佐を走る元気な路面電車を、どうぞご覧下さい。


【2566】桜を求めて三岐鉄道へ (1)

今年の桜は開花時に天候に恵まれ、近年になく花持ちが長くなりました。
今年はどこへ行こうか…。最初は、ぶんしゅうさんに刺激されて四国や、クローバー会の重鎮と小湊鉄道へと考えていたのですが、遠距離は仕事で諦めざるを得ず、以前の掲示板でぷるぷるさんが三岐鉄道の訪問記を載せられていたのを思い出し、青春18きっぷを手に関西本線は富田へと向かいました。
以前にも、クローバー会のメンバーと三岐を訪れたことはありますが、一人で走行写真を撮るのは初めて、まずはロケハンも兼ねて、1000円のフリー切符を購入し、近鉄富田駅3番ホームに停車中の電車に乗り込みます。終点の東藤原までが片道500円ですから、十分にモトの取れる切符です。まず藤原岳をバックに直線区間を俯瞰できる定番の撮影地で撮るため、丹生川で下車。ところが向かっている途中で早くも踏切が鳴り出し、ED45重連の上り貨物が通過。機材を撤収したと思ったら、隣の駅で交換した下り貨物がまた通過と、あまりの効率の良さにニンマリしてしまいます。どうやらこの3月のダイヤ改正で貨物にも変更があったようです。やはり私鉄では珍しくなった定期の貨物列車が頻繁に通過するのが三岐の最大の魅力です。

三里~丹生川間を行くフライアッシュ輸送の下り貨物

廃車の電機も見える東藤原駅構内、セメント工場が背後に迫る

ここで三岐の貨物列車の概要を…。藤原岳から産出される石灰岩を、東藤原駅近くにある太平洋セメント藤原工場で生成し、セメント原材料をJR富田まで輸送するのが、三岐の貨物の主務です。重量貨物だけにED45はすべて重連総括制御となります。戻りの列車は返空もあるものの、一部はフライアッシュ輸送も行っており、特異なスタイルをしたホキ1000を見ることもできます。一時は、中部国際空港埋立用の土砂輸送も行い、他社から電機を購入するなど盛期を迎えます。ピークは過ぎたものの、本業のセメント輸送はなお盛んに行われ、貨物収入が旅客収入を上回ります。電機はED45が8両、前歴は異なりますが、ほとんど同タイプで、重連×3組の6両使用、2両予備となっています。ただ片パンとなりますので、撮るにはパンタが前に出る富田行きの方が絵になります。
早くも上下2本の貨物を撮ったあと、丹生川から乗って終点の西藤原駅まで往復してみます。乗っていると気がつきませんが、北勢線とはほぼ1.5キロの間隔で並行しています。今は同じ会社ですが、こんな地域に元は経営体の違う私鉄が並行しているのは稀有なことです。そういえば、以前、クローバー会の面々と乗り歩きしたときは、三岐の伊勢治田駅で降り、そこから小走りに歩いて北勢線の終点、阿下喜まで行ったことを思い出します。このように歩いて行けるほどに両者は近いのです。セメント工場のある東藤原駅まで来ると、異様な山容の藤原岳が眼前に聳え、構内ではホッパ車、タンク車の入換が盛んに行われています。一転して山間区間を走った電車は終点の西藤原駅へ。駅構内には、ウィステリア鉄道と呼ばれる模型鉄道があり、実物のEL、DL、SLも保存展示されています。

西藤原から乗った戻りの電車で降りたのが大安という縁起のいい駅。駅舎は図書館に併設されており、地域のコミュニティの中心施設としての役割も果たしています。5分ばかり北へ歩くと宇賀川鉄橋があり、堤防は両側とも桜が真っ盛り。バーベキューのいい匂いを嗅ぎながら、つぎつぎに来る電車・貨物を写します。撮り鉄もほんの2、3人、最高の条件のなかで、好きな写真を撮れる至福の時間でした。

重連回送が桜満開の宇賀川鉄橋を行く

電車のカラーも青空によく映える

一時間に一本は貨物が来る電機天国


【2538】2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part3 宇和島→伊野

祈りが、叶ったようで、快晴の朝を迎えました。今日は、車窓が評判の 『しまんとグリーンライン予土線』の初乗車です。8時には、駅に行き、発着光景を撮りました。
早朝の宇和島駅 1番線は、さっき到着した宇和島1号、2番線は松山行き4632D

早朝の宇和島駅 1番線は、さっき到着した宇和島1号、2番線は松山行き4632D

窪川から到着した4813D キハ32-4

窪川から到着した4813D キハ32-4 AM8:30

これも窪川より到着の4815D キハ32-3 AM9:14

これも窪川より到着の4815D キハ32-3 AM9:14

9:38 4818Dで出発 北宇和島~務田間は、満開近い桜がいっぱい

9:38 4818Dで出発 北宇和島~務田間は、満開近い桜がいっぱい

真土を過ぎると、四万十川の沈下橋も見える

真土を過ぎると、四万十川の沈下橋も見える。桜が美しい。

江川崎駅すぐの鉄橋を渡って、到着する4819D キハ32-1

江川崎駅すぐの鉄橋を渡って、到着する4819D キハ32-1

① 宇和島9:38(4818D)→11:47窪川 キハ32-4
北宇和島駅から予讃線と分かれ、務田駅まで6.3kmは、最高30%の連続した勾配が続きます。250馬力のエンジン音を唸らせて、ゆっくりと登って行きます。沿線は、桜が満開、絶好の撮影地と思いましたが、四万十川沿いを走ると、益々車窓に釘付けとなります。

乗客は、おへんどさんをはじめ、観光客多し、感動の声が聞こえます。素晴らしいかな、予土線乗車の旅です。約2時間20分を堪能しました。

やがて列車は、かって四国三大走りの駅の1つに数えられた窪川駅に到着しました。

窪川からの土讃線は、南国土佐とあって、桜が満開です。

窪川からの土讃線は、南国土佐とあって、桜が満開です。

② 窪川13:08(4752D)→14:36伊野 キハ1024
窪川駅では、丁度お昼で、約1時間の接続待ち時間がありました。、駅弁も売っていないローカルへ行った時には、いつも駅前で、客待ちをしているタクシーの運転手に、安くて地ものを食出来る食堂を聞く事にしています。

窪川駅から徒歩約10分 NTT前のこのみ食堂 

窪川駅から徒歩約10分 NTT前のこのみ食堂 

この日も聞くと、ここは民家かと思えるほどの店を、紹介してくれました。小鉢が並べられ、地元でとれた山菜やらのヘルシーメニューのオンパレードです。おばちゃまが、丁寧に材料の説明までしてくれます。3品を選択、我が家漬の梅干はサービスで、ご飯・味噌汁・漬物付きで、味も満点、それで500円は安かった。

青春18きっぷの旅、駅弁も楽しみですが、地産地消の駅前庶民食堂の、グルメも楽しみの1つです。

窪川からは、太平洋と桜を車窓に見ながらの、温かな南国土佐の旅の始まりです。ロケハンをしながら、運転席横のパノラマに釘付けになりました。

 
また驚かされたのは、影野駅と、カツオの1本釣りで有名な、土佐久礼駅間のトンネルの多さです。駅間10.7キロ、1,428mの影野トンネルを筆頭に、17本ものトンネルがあります。駅間トンネル数のギネスがあれば、かなりいい線までいくでしょうね。どなたか、ご存じないでしょうか?
JR伊野駅

JR伊野駅

14:36、今日の青春18きっぷの最終下車駅の伊野駅に到着しました。
伊野駅は、土佐和紙の発祥の地として栄えた町の玄関口です。大正天皇もご訪問されました。今でも、皇室御用達のトイレットペーパーを製造しています。3本で5,000円で売っていました。年寄りの土産には、喜ばれるでしょうが、神棚行きですね。

伊野駅下車後は、地元では『とでん』と、呼ばれている土佐電気鉄道との、数十年ぶりの再会をしました。


【2500】思い出のブルートレイン

3月14日のダイヤ改正で「富士・はやぶさ」が廃止され、東京~九州間のブルートレインの歴史に幕が閉じた。総本家青信号特派員さん、893-2さんを筆頭に多くの会員の皆様がその雄姿をカメラに収められたことと思われる。廃止間際には、ごく普通の一般人やにわかマニアを含め、多くの人々がその雄姿を撮影すべく、駅のホームや線路端に押し寄せ、東京駅をはじめ場所によっては罵声の嵐となり、SL末期同様の様相を呈した所もあった。私は決してブームに踊らされまいと思っていたのであるが、なくなるのが判っていて何もしない訳にはいかず、年末から年始にかけて外出の際、時間帯が合えば撮影することにしていた。(列車の通過時間に合わせて外出したわけではない)

私自身はブルートレインのごとく「よそ行き」の特急用の車両より、「普段着」の一般用車両の方が好みであるため、撮影した回数は数えるほどしかなく、撮影場所も駅のホームに限られるが、ご笑覧いただければと思う。

 

平成21年3月6日   田町駅 (田町駅は勤務先から徒歩15分)

平成21年1月5日 浜松町駅(普段通勤で乗降している浜松町駅は勤務先から徒歩10分)

 

平成20年12月30日  有楽町駅

 

昭和50年9月15日 湯河原~真鶴

昭和41年9月23日 京都駅「さくら」

昭和41年10月13日 京都駅「はやぶさ」カニ221

昭和41年10月13日 京都駅「さくら」ナハネフ223

東京発着のブルトレの京都駅停車時刻は深夜であるが、台風でダイヤが大幅に乱れたため撮影することができた。1番線には「はやぶさ」が停車中。

 

昭和39年8月18日 博多


【2481】2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part2 松山→宇和島

今回の青春18きっぷの使用は、松山→宇和島からと思っていましたが、この区間の運賃は、2,300円に達しない1,750円なので、普通乗車券を購入しました。

松山駅の構内では、じゃこ天を、手作りで作って、即売しています。
スーパー等で売っているじゃこ天は、小魚をすり身にして揚げたてんぷらですが、本物は、『ハランボ』という宇和島沿岸で、捕獲される新鮮な小魚のみで作られます。体長8㎝ほどで、頭・内臓・鱗以外をすり身にして、機械を使わずに職人が、自ら作成した竹製の枠と、竹包丁でもって、揚げていきます。手で成型した方が、口当たりが、ふんわりとして美味しいのです。

本来は、宇和島の名産品ですが、四国中で一般的なものは買えます。地元人が好む店では、1時間に600枚、正月前だと8,000枚も作ると、その職人が言っていました。勿論、ビールのつまみには最高です。迷わずに3枚をゲットしました。


そして、宇和島行きの列車に乗るべく1番ホームに行きますと、発車待ちだった車は、何と特急に使用したキハ185-3110+キハ185-3105の2両編成でした。2日前に宇和島駅で見た時の、普通使用車は、キハ32やキハ54系のみでしたので、びっくりしました。
① 松山15:35(925D)→19:30宇和島

勿論、デッキスペースはあります。車内に入るのは、自動ドアです。座席の方向転換もできます。リクライニング機能は固定、背面テーブルと灰皿撤去・座席カバーのビニール化等の、最低限の変更はありましたが、先日乗車した急行つやま号とは違って、ずいぶんと立派な車両です。

しかし、キハ58・キハ65の置き換えなので、喜びも半分です。乗務員の話では、この区間で、4編成が運用に就いているとの事でした。

ただ、四国のローカル列車に乗車しての、大きな不満が解消されていません。4時間も乗車する列車なのに、トイレがない事です。安心して、ビールは飲めないのは勿論、突然の体調不良等で、不測の事態に陥った時はどうしたら良いのでしょうか?連結器スペースがある2両なら、対応可能ですが、単車運行も多いのです。

残念ですが、トイレが早い人や、行きたい人の乗車を拒むような姿勢を持つ、JR四国では、利用者離れも進むでしょうね。
トイレがなくともビールは止められないので、もしもの場合は、運転手に頼みこむ事で対応しよう、ダメなら簡易スペースもあると、心づもりをして、ビールを買い込み乗車しました。


北伊予駅で、八幡浜始発、松山行きの4924Dと交換、こちらはキハ32-9です。

伊予電郡中港駅が、向かいにあるJR伊予市駅では、18分の停車。特急宇和島6号との交換待ちです。隣のホームで待っていた始発、伊予大洲行きの内子線4653Dキハ54-10が、3名の客を乗せて、発車して行きました。


内子線との分岐駅となって高架化された向井原駅を過ぎ、高野川駅に近づくと、瀬戸内海沿いを走行します。伊予上灘駅では、同じ宇和島~松山間を走りますが、車両はキハ54-7で、1両のみの4926Dと交換しました。


沿線の桜は、まだ5~7分咲きですが、ここから伊予長浜までの19.2kmは、夕陽、海と菜の花を車窓に眺めながら、ゆっくりとした鈍行列車の旅を味あえる、予讃線屈指の区間です。


特に下灘駅は、青春18きっぷのポスターに度々登場する、海に最も近い駅です。映画やTVドラマ、舞台、TVCMのコマーシャルにもロケ地として撮影される事が多く、2007年には、一度は降りてみたい駅の第2位にも輝きました。

乗務員の話では、今でも若い女性客が、次の列車時間も構わずに下りていく事が多いと言います。優等列車は、内子線経由で、線路容量には、余裕があります。こんな駅こそ、20分でも30分でも停車して欲しい。トロッコ好きなJR四国さん、是非ともこの区間に、夏のビール特別列車以外にも、走らせて欲しいと思うのは、私だけではないと思います。


伊予白滝駅にて、同じキハ185-3102先頭2両編成928Dと交換。夕陽が駅舎を染める定刻の17:38に、伊予大洲駅到着しました。向かいのホームでは、伊予市駅で、5分前に発車した内子線経由の列車が、41分前に到着して、折り返しを待っていました。

これからの季節でしたら、次かその次の列車なら、瀬戸内海に沈む夕陽を、車窓から見る事が可能と思います。四国に行かれましたら、是非にご乗車下さい。綺麗なものを見ていると、頭もすっきり、心も綺麗になると思います。


八幡浜駅では、また同じキハ185-3103+キハ185-3106の930Dと交換しました。どうやら時刻表から見ると、列車番号900番台がキハ185使用のようです。


夕闇に包まれた19:30定刻に、宇和島駅に到着しました。今日は、天候に恵まれて、伊予電の松山市内線撮影と、絶景の予讃線乗車と、とてもハッピーな1日を過ごせました。
明日は、四万十川沿いを走る、待望の予土線に初乗車です。好天を祈りました。


【2460】イヤというほど伊予鉄道し


ぶんしゅう旅日記で盛り沢山伊予鉄道の路面電車が披露された。坊ちゃん列車(のダミイ)が健在なのは嬉しいが、ディーゼルエンジンをボイラー(もどき)の内部に隠し持っているから、本来丸いはずのボイラーの裾が広がっているのは仕方がないか。

ところで拙老も松山は確か2回行っているから、電車の写真もあるはずと、すっかり乏しくなった記憶を基にネガを探すと、自分でも吃驚するほど出てきた。どうしてそれだけの時間とエネルギーを、非電化線=横河原線、森松線に投じなかったのか、今頃になって悔しく思っても後の祭り。

で、折角だからというより、自分でもすっかり忘れていた路面電車を「イヤ」というほどご高覧に供する。うんざりする? そう、年寄りは、嫌がらせが大好きなんじゃよ。

説明は乙訓老人にお任せしよう。8は秋保電鉄に同型車がいたのを以前ご覧頂いた。また2軸車末尾の20代は、食パン屋根で、しかもでっかいグローブベンチレーター(ロクサン並み?)が載っている。元来グロベンは雨宮が大好きで、小型のグロベンを花巻の2軸サハに載せていたし、ガソリンカーにも採用していた。撮影は1955年3月17日と1957年3月10日。



















【2418】2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part1 四国へ

 家の用事で四国に、行って参りました。終わってから、家内達は、家にすぐ帰っていくので、私は一人残り、桜前線を求めての鉄道の旅に出る事にしました。

予讃本線 伊予石城~双岩 1917D キハ54-11

双岩~八幡浜 特急宇和島7号 アンパンマン列車で運行

予讃線の主力は、キハ47   キハ47-191+キハ47-177 八幡浜駅にて

予讃線の主力は、キハ47系   キハ47-191+キハ47-177 八幡浜駅にて

ローカル運用は、キハ32系

ローカル運用は、キハ32系

高岡、富山、津山と天候に恵まれずで、泣かされ続けましたが、今回は、春本番の陽気と好天です。まずは、沿線が菜の花一杯の予讃線から、撮り始めました。

坊ちゃん列車 道後温泉駅にて

坊ちゃん列車 道後温泉駅にて

牽引客車2両タイプ

牽引客車2両タイプ

 

県庁前にて 客車2両タイプ

県庁前にて 客車2両タイプ

松山城をバックに

松山城をバックに

客車牽引1両タイプ

客車牽引1両タイプ

牽引客車1両タイプ 乗務員の話では、こちらの方がより近いそうです。

牽引客車1両タイプ 乗務員の話では、こちらの方がより近いそうです。松山到着後は、坊ちゃん列車で、全国的に有名な伊予鉄道を訪ねました。1888年に四国初の鉄道として開業、今年で122年目をむかえます。元京都市電2004

夕闇が近づく頃に松山到着しました。

夕闇が近づく頃に松山到着しました。

夜の道後温泉駅

夜の道後温泉駅

何と言っても、元京都市電2000形が、今も走行している街の1つです。市内線では、この2000形5両、増車が進む超低床車モハ2100形(単車型LRT)10両を含め、現在38両が在籍しています。

高知城をバックに行き違う2002と2004

高知城をバックに行き違う2002と2004

県庁前にて 2005

県庁前にて 2005

専用軌道の木屋町駅で交換する2003

専用軌道の木屋町駅で交換する2003

本町六丁目に到着する2005

本町六丁目に到着する2005

高砂町へ向かう2003

高砂町へ向かう2002

県庁前の2004

県庁前の2004

JR松江駅にて 2002

JR松山駅にて 2002

通称『伊予電』は、前代未聞の運賃値下げを行うといった具合に、サービス向上、路面電車へのとりくみ方は、非常に前向きで熱心に行い、着実に利用者増加に結び付けています。

2017年度には、松山市の強い要望を受けて、JR予讃線と松山駅が、高架化かされるのを機会に駅前広場への乗り入れ、そして、駅下をくぐりぬけて、西へ約700mを延伸する計画を発表しています。

延伸路線は、ヨーロッパ各都市で採用されている、道路のトランジットモール化する構想も含まれています。そして、将来的には、路面電車を松山空港まで、乗り入れる大きな夢を託されています。

活性化ある街づくりに、路面電車も中心となって、行おうとしている松山市、及び伊予鉄道㈱に、敬意を贈りたいと思います。

市内線は、JR松山駅、伊予電松山市駅、古町駅、道後温泉を中心とした路線網です。利用客の多い区間は、ほぼ待ち時間ない運行が行われ、最高運転速度も50km/hで、ノロノロ遅いといったストレスがなく乗車できます。

清水町へ入る 2109

清水町へ入る 2109

高砂町にて 2105

高砂町にて 2105

松山城をバックに 58

松山城をバックに 58

県庁をバックに 73

県庁をバックに 73

時刻表

時刻表

単線の専用軌道もあって、マニア的には楽しめる路面電車の1つです。これで、郊外線にも乗り入れる2~7両編成のLRTでもあれば最高なのですが、これからに期待したいところです。

坊ちゃん列車1回乗車を含めての、市内1日乗車券500円を購入して、夕方近くまで乗車して、撮影に励みました。今回は、高知の友人が待ってくれていますので、先を急ぐ事になりましたが、近々には、郊外線も含めて、再挑戦してみようと思いました。