レトロ横濱撮影記

昨日、関東在住のDRFCクローバー会の3名、レトロ横濱を撮影してまいりましたので、ご報告いたします。

前日の土曜日の天気予報では、曇りの予報でした。

当日9時に、東海道線川崎駅下りホーム神戸方先端に集合したのは、準特急さん・新所沢都民さん・小生 デカンショまつり号の3名です。

品川から横浜への回送がまだということで、一旦、東海道線で横浜へ、横浜から京浜急行で一駅品川側の神奈川に戻り、思い思いの場所で、回送を待つこと30分強。いよいよEF641001+旧型客車7両+EF65501の回送が来ました。(一枚目の写真)

その後、京急神奈川駅で、再集合。残り少なくなった京急OLD1000系で上大岡へ、そこから京急自慢の2100系快特で金沢文庫。こんどは、800系の普通に乗換え、次の撮影地の最寄り駅安針塚へ。安針塚へ着いたには、小雨が降り出していました。傘をお忘れの準特急さんは、駅近くスーパーで、ビニール傘をご購入。糧食を補給の上、帝国海軍 横須賀鎮守府がおかれた横須賀軍港時代は、要塞地帯ということで到底、撮影が許されなかったであろう場所で、レトロ横濱1号を待つこと小一時間。この頃には、雨はすっかり本降りに・・・・この雨の中、雨に煙る横須賀軍港を背景に、EF65501をおしりにつけたレトロ横濱1号がやってきました。(二枚目の写真)

さらに、待つことしばし、隣の横須賀で折り返しのEF65501を先頭にしたレトロ横浜2号を撮影。(三枚目の写真)  元来、EF16などを置き換えるために生まれ、イベント用に茶色に塗られたEF641001より、特急専用機として生を受けたEF65501のほうが、いいと思うのは、私だけでしょうか?

ずぶぬれになったあと、安針塚に戻り、再度、京急利用。今度は、600系と、毎回乗車する車が違いました。一駅乗った後、逸見で下車。横須賀のどぶ板通りならぬシャッター通りを通って、雨の中、横須賀駅へ。

この後の撮影も躊躇するくらいの雨でしたので、3・4号は、安置欲に駅撮りすることに一同異議なし!上り横須賀線の車中の人になり、ロケハンしながら大船へ。長時間停車する大船は、既に大勢の鉄に占拠されていました。再度、流浪の民となり、東逗子に戻り、ここで、3・4号を迎え撃つことにしました。

雨の中、東逗子駅久里浜側先端でレトロ横濱3号を待ちました。四枚目は、帽子をかぶった準特急さんとEF641001のツーショットです。私の本命は、EF65501のお尻でした。準特急さんすみません。

今度は、東京方に移動し、レトロ横濱4号を待ちます。駅員の方から親切にも、ちょうど15時10分の通過時刻は、下りの電車とかぶるよというアドバイスをいただきましたが、もうここまで来たら動けません。運を天に任せて、レトロ横濱4号を待ちました。運よく横須賀発が1分の延。かぶられず撮影することができました。五枚目・六枚目。

撮影終了した頃、同じくクローバー会の逗子在住のシグマ太郎さんが長靴姿でご登場。しばしの逢瀬を楽しみました。

以上、レトロ横濱撮影記でした。

 

1953年高校生東京へ その6


さて今回以降は私鉄電車の写真をご高覧に供するが、後輩諸氏がヨイショしてはくださるものの、珍しい写真などあるはずもない。予備知識も、確たる信念もなく、ただ聞きかじった車庫へ出かけた、というだけである。翌年からはそれなりに、撮影対象には個性が出てくる(と自分では思っている)のだが。

この電車は是非見たかった。はるか後年高松琴平にも流れたが。京浜234=品川

このシリーズも「供出」で高松琴平で見た。車体は木骨鋼板張りのニセスチール 京浜156=金沢文庫

京浜314=金沢文庫

京浜316+307+311=金沢文庫

横浜市電1520=横浜駅前

京王帝都1204=永福町

京王帝都1713+1701+1201=永福町

京王帝都1712=永福町

この時のカメラは、親父が日中戦争(日華事変と称し、日本は戦争ではないと言い張っていた)に技術軍属で従軍した際、上海で購入してきたローライコードU型。テッサーではなく3枚玉のトリオター、シャッターはコンパーだが1/100の次は1/300しかない。フイルム装填はまず赤窓(が分かる人手を挙げて)で1を出し、あとは自動巻き止めになる。シャッターは単一レバー(勿論手動)で、これは中々便利だった。但し戦時中約半年名古屋は大曽根の防空壕で過したため、レンズにはカビが生え、ただでさえ軟らか気味のレンズが、軟焦点とまでは行かないが、シャキッとは参らなかった。しかし自宅にカメラがあるというだけで、どれだけのハンディであったかは想像もつくまい。

6×6の2眼レフだから、当然12枚撮りである。しかし1枚でも余計に撮りたいから、フィルムのリーダーペーパーで何度もテストし、フイルムカウンターに白点を書き込み、各コマ間に隙間のないように、かつ前後の余白もフルに使って計15枚撮れるように自分で改造した。

大体うまく行ったが、時折前後のコマが重なる。我々の場合ほとんどが横構図だから、若干重なっても支障はないのだが、偶に縦構図だと、ガックリという事態も起る。意地悪い事に、そんなケースは大事な写真の場合に起りやすいのである。今回でも、1コマわざと(水平直し以外)修正せず、ご覧に入れている。

京王帝都1257=永福町 天部に隣のコマとの部分ダブリが

玉村卓也氏はセミ版スプリングカメラの裏ブタにドリルで圧板もろとも穴を開け、赤いセルロイドを張った赤窓を増設。焦点面はセミ版を更に半分にした「セミ・セミ版」に改造し、「車輌判」と称していた。すなわち60×45mmがセミ判だが、60×22.5mmという細長判で、車輌を横勝ちに撮るのに好適とうそぶいていた。要するに高いフイルムから如何に多数の写真が撮れるか=1コマいくらになるか、が勝負?である。

ニコンには24×36mmのライカ判(パーフォレーション8個)だけでなく、ゴールデンカット判と称したパーフォレーション7個で1コマ、という代物すらあった。1コマでパーフォレーション1個分節約すれば、1本の正規フイルムで5~6コマ余計に撮れるのである。カラーフイルムの場合マウントしてくれず、長巻で返却されるとあって、大得意の米兵からクレームがつき、長続きはしなかったが、今時こんな希少カメラをコレクションしていたら相当な「お宝」ではあろう。

JRおおみや鉄道ふれあいフェア

5月23日(土曜日)、恒例の「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」が開催された。事前予告では、今年の車両の展示は、EF65535、EF5893、107系(日光線新デザイン車両)、251系、183系で、試乗会は201系「四季彩」となっていた。EF65535、EF5893は昨年も展示されているので目新しさはないが、日光線新デザインの107系と、近々引退が噂されている201系「四季彩」は、可能ならば見てみたいと思っていた。ロギング太郎さん、デカンショまつり号さん、曙太郎さん親子他何名かの方が見学に行かれ、関東連絡網にレポートされておられるが、私も短時間であるが覗いてみた。但し、ロギング太郎さんはじめ他の方とは時間帯の相違等によりお会いしていない。

私事であるが、5月の連休明けから6月上旬まで仕事の超繁忙期で、例年土曜日はほぼ出勤、どうかすると日曜日も出勤ということになる。当日も出勤していたが107系と「四季彩」が気になり、11時頃職場を抜け出して会場に向かった。限られた時間内で効率よく見学するため、JR貨物(ED6217、EF651116)→EF65535、EF5893→四季彩→107系の順番で手短に見学し、午後2時には職場に戻った。

ED6217(JR貨物)

昭和34年6月、ED6118として川崎車輛で新製、甲府区に配置され中央本線で使用、昭和47年1月竜華区に転属、昭和53年10月長野工場でED6217に改造され、飯田線、大糸線で貨物列車に使用、平成4年3月、篠ノ井区で廃車後、JR貨物大宮で保管。昨年は、車体の汚れが目立ち、展示の対象になっていたのかどうか判らなかったが、今年は綺麗に塗り直しされ展示されていた。架線のない所での展示のためパンタが上がっていないのが残念であるが、洗練されたスタイルは古さを感じさせない。

EF651116(JR貨物)

昭和53年8月、川崎重工兵庫工場新製、関東支社に配置され、主に関東地区を中心に活躍、分割民営化時にJR東日本の所属となり、平成15年3月廃車後JR貨物が購入し高崎区に配置された。(現在の車籍の有無は不明)

 

DD511805(JR貨物)検査中

DD51のラストナンバーで昭和53年3月三菱重工三原工場製、佐倉機関区に配置され、分割民営化時にJR貨物の所属となった。

 

EF65535

昭和42年3月、東芝府中工場でEF6577として新製、中部支社に配置。昭和43年7月、浜松工場で特急列車牽引用に改造され現車号に改番。分割民営化時にJR貨物の所属となり高崎線で使用、平成20年3月31日付で廃車となったが、解体を免れ昨年に引き続き展示された。下り側に「瀬戸」、上り側に「出雲」のヘッドマークが取り付けられ、とにかく物凄い人気で撮影するのに一苦労した。

EF5893

昭和36年6月、東芝府中工場で新製、東京局に配置、宮原、浜松、東京と転属し、終始東海道筋で活躍後、最後は新鶴見区で昭和60年7月廃車となり、以降大宮工場で保存されている。現役時代「青大将色」に塗られたことはない。昨年は停められていた場所が悪く、パンタは下りていたが、今年はパンタも上がり、綺麗に撮影できたが、EF65に比べると人気は今一つのようであった。理由は来場者が、EF58の現役時代を知らない世代が多くなったためであろうか。

 

201系「四季彩」

クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134

昭和59年10月近畿車輛で中央線用として新製、武蔵小金井区に配置。中央線用としては最終増備車であった。平成13年7月大井工場で青梅線用の展望電車に改造(車号は変化なし)土、休日に青梅線を中心に定期運行、一般公募により「四季彩」と命名された。平成17年6月現在の塗装に変更されたが、同年10月、JR東日本が中央、青梅、五日市線の201系を新造のE233系と置換えを発表、平成21年6月「さよなら運転」の実施が発表され廃車が決定した。「さよなら運転」の概要は下記の通りであるが、6月中の土、日曜日は青梅線の青梅~奥多摩間を定期ダイヤで終日運転される。時刻は大型時刻表に掲載されている。

7月4日、5日        三鷹→笹子(往路) 大月→三鷹(復路)

7月11日、12日      立川~青梅(往復)

7月18日、19日、20日  立川~奥多摩(往復)

「びゅう旅行商品」として運転され、乗車には同商品のクーポン券が必要で、往復はがきで申込みを受け付け抽選で決定となる。

「さよなら運転」は相当な混雑が予想されるため、撮影される方は6月27日、28日の定期運転をお勧めする。当日は横浜~横須賀間に7両編成の旧型客車が走るので、どちらに行くべきか迷うところである。

 

クハ200-134

モハ201-263

モハ200-263

日光線107系(クハ106-1+クモハ107-1)

かつては、キハ55、157系を投入して東武鉄道と熾烈なシェア争いを行った日光線であるが、東武がDRC1720系を投入した時点で、国鉄は勝負を諦めたかに見えた。平成18年3月18日より栗橋駅に新設された渡り線を使用して、JR新宿駅と日光・鬼怒川間を直通する列車がJR東日本と東武鉄道の相互乗入れで運転が開始されると、JR日光線は完全なローカル線化するかに見えた。しかしながら、東北新幹線宇都宮経由で日光に向かう乗客が外国人観光客を中心に少なからず存在することから、日光線の車両、駅の施設を含めて全体をレトロ調にすることになり、同線を走る107系を全車レトロ調に改装することになった。

慶祝!須磨の人間国宝、島秀雄記念優秀著作賞受賞

この度、我らが大先輩であり鉄道趣味界の至宝である湯口徹先輩が上梓された「日本の蒸気動車」がめでたく鉄道友の会が選定する島秀雄記念優秀著作賞に輝いたとの速報を吉田さんよりお知らせをいただきましたのでここに記載して敬意を表したいと思います。たまたま昨日には交通科学館で写真展の打ち上げでご尊顔を拝したばかりでしたが普段より控えめで柔和なお人柄そのままにこの件について一言もなかったため、直接に御祝い申し上げることができなかったのが残念でした。おめでとうございます。

受賞作品は「日本の蒸気動車 上・下」ネコ・パブリッシング

受賞経緯など詳しくは下記のリンクをご参照下さい。

http://www.jrc.gr.jp/award/cyosaku/cy2009.htm#book2

ウワサでは近々小林宴会部長の音頭で祝賀会が開かれるとの由、その節はぜひともお知らせ下さい。

写真展「鉄路輝く」滞りなく終了

6月6日から交通科学博物館で開催されていた、当クローバー会の写真展「鉄路輝く」は、本21日を持って終了した。本日は16時から撤収去作業を行ない、梱包作業に全生命を賭けたT会員の陣頭指揮のもと、参加会員の協力で一時間余後にはすっかり片付き、写真展は滞りなく幕を下ろした。このあと、乙訓や須磨、武庫之荘の大老のみが祝杯を上げに弁天町の歓楽街へ繰り出して行ったのであった。

最終日も日曜日とあって、人気のレイアウト運転の終了後は写真展会場も大賑わい。小さな子供が歓声を上げて写真に見入る姿にはすっかり癒されてしまった。もともと鉄道ファンの来場はほとんどなかったが、その代わりとくに目立ったのは熱心な“鉄子”の存在。彼女らは決まって二人以上で訪れ、キャプションの一言一句までも食い入るように見つめていた。漏れ聞こえてくる会話もかなりレベルが高い。

小さな子供たち、あるいは女性などに、写真展を通じて鉄道の魅力を訴えられたとしたら、これはこれで写真展の大きな成果と言えよう。3回、4回と、写真展が永続的に開催されることを期待したい。

今日も大賑わいの会場。若い世代も熱心に鑑賞

“人間国宝”も会場に。会員からの質問に熱心に答える。

“鉄子”参上。話す内容もかなり専門的。

手際よく写真の撤収を行なう会員たち。

20日(土)には打上げが行なわれた。東京、名古屋、富山からも会員が駆け付け、17名が和やかに交歓し、写真展の成功を祝った。

水泳シーズンに間に合いました

            昨年のスキーシーズンには間に合わなかったオハ27たちがようやく完成し、湖西の水泳客輸送に間に合いました。沖中先輩から頂いたダブルルーフ材をしっかり活用させていただいて完成しました。あとは塗装を残すのみです。高島町駅の製作は建屋関係は完成したものの、ベースの台板製作に未だ手がつかずにおります。ひとつにはポイントマシンをどうするかが決まらないためで 検討に時間がかかりそうです。ところで 結局交通科学館に出かける機会がないまま 会期が終了してしまって残念です。また何かの機会があれば 皆様にお目にかかりたいと思っています。

1953年高校生東京へ その5

 

 


80系附属編成66011+80021+87027+80022+86012 1953年3月31日小田原

せっかく東京までやってきて、こんな詰まらんものしか撮っていないのかといわれるのが必定だろう。我ながら恥ずかしいが、恐らくこの時点若干ながら、皆と同じようなものを撮るのは気が進まなくなっていた―16歳にして、早くも臍が曲がりかけていたのかもしれない。それでも関西の高校生には17メートルのクハ65や、東京駅での、貫通幌に蓋をしたモハ72(附属編成の切り離し)も珍しかった。湘南電車の5両附属編成はその後の関西の急電と同じだが、3枚窓妻面は関西にはない。


クハ65109+モハ72015 1953年3月30日東京 丸ビルも国鉄ビルも今はない
クハ65031+モハ72142 1953年3月30日東京

モハ72142 1953年3月30日東京

モニ53005 1953年3月30日久里浜

これだけは珍しいというか、拙老なら?というのが1枚だけある。久里浜で撮ったワ50003で、一目で分かる木製省電←院電の名残り。経歴はデハ6331→サハ6443→サハ6024→ワ50003となる。なんでお前さんが電車、それも国電の経歴を知っている?とは聞きっこなしに願いたい。

(社)日本鉄道車輌工業会・貨車技術発達史編纂委員会共著の大冊(875頁で厚さ実に43.5ミリ)『日本の貨車―技術発達史』の458頁の解説を全文無断引用すれば次の如し。

「ワ50000形式10トン積有蓋車 昭和8年、ワキ1形式とともに宅扱い急行貨物列車に使用するため鋼製電車の登場で余剰になった木製電車サハ6形式・サハ19形式17両を改造した有蓋車である。同時に有蓋緩急車ワフ20000形式にも7両を改造した。車内の座席を撤去し荷摺木を設け、側には引戸を設置したが、外観は電車時代とほとんど変わっていない。戦中から戦後にかけ救援車(客車)の6630形式(記号ナヤ)に11両が改造され、残存車も昭和26年度までに廃車になった。」


ワ50003 1953年3月30日久里浜

実はこの本にこの写真を1枚だけご採用頂いたおかげで、当初は大冊かつ非売品ゆえ?、掲載部分の抜き刷り?だけを恭しくご送付賜り、まあドライな事と感心もしたが、その後電気車研究会が有料頒布(確か13,000円で、大阪なら旭屋にある)のため増刷し、この余得(これぞ拙老の日頃の善行を心から愛でた新島襄の加護ならん)で1冊ご恵送賜った。しかし拙老が国鉄車輌の写真をご提供申し上げるとは、余程写真が無かったんだろう。


常磐線荒川鉄橋でのモハ41系 1953年4月1日
常磐線上り列車C6247 1953年4月1日 荒川鉄橋

復活予定C6120撮影失敗記

 ロギング太郎氏からボイラーを焼いてしまったD51498と交代でC6120が復活するとの報に接し、早速、同機の保存場所である伊勢崎市華蔵寺公園を訪問した。同機現役時代の撮影失敗記録と伊勢崎で保存中の姿を報告する。C61はご存知D51のボイラーを使って新製した旅客用機関車でD52のボイラーを使って新製したC62と考え方は同じと思われる。従台車が2軸のハドソンで自動給炭装置を持っている点も共通。東海道、山陽の特急牽引で華々しい活躍のC62に対して、C61は東北が主体で一部九州での活躍は特急も牽引したとは言え、やや影が薄かったことは否めない。しかし、人によって好みは異なる。特にC61のサイドビューは限界一杯のC62に比べバランスがよくスマートに見える。C6120はD511094のボイラーで1949年三菱重工製で、丁度総本家青信号特派員氏と同世代。同機を最初にキャッチしたのは1965年9月1日、現在廃線となった浅虫海岸で一ノ関発531列車牽引の姿。所属は仙台区。編成主体で機関車が小さくて何号機かよくわからないので割愛。この日の午後青森機関区に立ち寄ると同機が休息中であったが、光線具合が悪く、影が出来て、前半分のみ。青森から夜行で花巻に出て釜石に向かい、D50を撮影。宮古でラサ工業C108に乗り撮り。盛岡宿泊後9月3日盛岡始発の臨時急行「ひめかみ」に一ノ関まで乗車。この時の牽引機がC6120。言い訳ばかりになるが、この時のフィルムは湿気等でひどいもの。しかし、古い昔なので敢えて掲載する。一ノ関で下車して機関区と峠の撮影に向かうが、この列車、7分停車なので走れば発車のシーンに間に合うと思い懸命に走る。汽笛が鳴り、適当な所で妥協せざるを得ない。お見苦しい出発シーンであるが、鉄橋の工作物で足回りが見えず、おまけに電信柱ばっちり。同機はその後、宮崎に転属した。1972年4月30日、佐土原にて再度、旅客列車牽引の姿をばっちり撮影。ところが、何と馬鹿なことをしてしまった。そのフィルムで野上の元阪神車を撮影して二重写しの大失敗。この時、同行したロギング太郎氏、千葉県在住のボイラーK氏は撮れているはず。最後に、静態保存車には興味が無かったが、そいつの現役時代と対比すると面白いなと感じるようになってきたので今後はそれをやるつもり。元大洋、巨人の屋敷要氏も保存機を撮り歩いているようだ。最後に伊勢崎市華蔵寺公園の同機はヘッドライトが不細工であるが、保存状態は良好に見えた。最近脚光を浴びているブルートレインの「北陸」「あけぼの」の撮影後に訪問したが、この公園は9時開園なので早朝到着は要注意。イベント列車は嫌いだが、この機関車のサイドビューの流し撮りはやってみたい。

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1965.9.1 青森機関区に休むC6120[仙台]

 

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2009.4.13 伊勢崎市華蔵寺公園に保存中のC6120 ライトがみっともない

2009.6.13 後方から見たC6120区名札は「宮」の表示 復活できそうな姿

写真展「鉄路輝く」 中盤に入る

6月5日にスタートしたクローバー会写真展「鉄路輝く」も中盤に入り、会期も一週間を残すのみとなった。本日13日も千葉県から駆け付けた会員も含め、多くの出展者が会場に参集した。以下、写真もまじえて当日の様子を伝えよう。

いちばん気になる来場者の入りだが、土日とはいえ、正直、写真展だけを目的の来場者はほとんどいない。圧倒的に多いのは、小さな子供を連れたファミリーだ。とくに人気の模型運転会が引けると、その隣にある写真展会場は、いっときの大入りを記録し、歓声、嬌声に包まれる。それも10分程度で潮が引いてしまうが、なかには椅子に腰掛けてじっくり見学する親子連れなど熱心な来場客も見られる。

いわゆるマニアは、すでに交通科学博物館は入館済みで、入場料を払ってまで再来するのに抵抗があるのかもしれない。しかし、鉄道に縁のない女性や、将来に見込みのある子供たちに、写真展を通じて鉄道の魅力に触れてもらうことこそ、写真展の本来の目的でもあり、その点では所期の目的を果たした写真展であったといえよう。

まだの会員は、ぜひ会場へ!

企画展示室のメイン会場に並んだ会員渾身の力作

やはり人間国宝の二人の写真には重みがある。

椅子に座って熱心に鑑賞する親子連れ

この子の将来、鉄ちゃんに間違いなし!

秩父鉄道「2009年わくわく鉄道フェスタ」Ⅰ

5月16日(土曜日)秩父鉄道広瀬川原車両基地で「2009年わくわく鉄道フェスタ」が開催された。今年で5回目を迎え、沿線の恒例行事として定着した感があり、入場者数は5739名(主催者発表)と過去最高であった。また、開催日の2週間程前から旧国鉄色のデハ1000形4編成に開催案内のヘッドマークが取り付けられていた。昨年の主役は、元国鉄カラーに塗り替えられたデハ1000形(元国鉄101系)であったが、今年は3月26日より運転を開始した元東急8500形のデハ7000形であった。一般の乗客にとっては、旧国鉄色に塗り替えられていても陳腐化した101系よりも、見た目新しいステンレス車の方が好評に違いない。会場となる広瀬川原車両基地は「ひろせ野鳥の森駅」から徒歩15分程であるが、来場者のために会場まで直通する臨時電車が熊谷から2本(帰りは羽生まで)、寄居から1本(帰りは影森まで)運転され、熊谷発の1本と寄居発にデハ7000形が充当され、もう1本の熊谷発(実際は羽生発熊谷止を車両基地まで途中ノンストップで延長運転)には、関西線色のデハ1009の編成が使用された。

 

会場には、機関庫の前に末尾3のデキ103、303、503の3両が並べられ、今年は下り側のパンタが上げられ、各種のヘッドマークが適時取り替えられながら展示されていた。少し離れたところにC58363が展示され、こちらも適時ヘッドマークが取り替えられ、親子連れ、孫連れの人が盛んに記念撮影をしていた。デキ101と201は架線のないところに停められ、101は車掌体験、201は運転台見学に使用、元松尾鉱業鉄道のデキ107はターンテーブル上に停められ、回転実演に使用されていた。以下、展示車両について簡単に解説する。

 デキ101

デキ100形は101、102~106、107・108の3グループに分類され、EF15を小型化したようなスタイルである。101は昭和26年11月、日立製作所で戦前製の電機からの追番でデキ8として誕生、昭和28年101に改番した。102以降の機関車より出力が小さいため、一般貨物、構内入換、C58の後補記機等に使用されたが、平成8年頃から休車状態になり、平成18年3月31日付で廃車となった。その後も広瀬川原車両基地に保管され「わくわくフェスタ」には毎年展示されている。

 

デキ103

デキ102・103は昭和29年、104~106は昭和31年に日立製作所で作られた。101に比べ、車長が少し延びて12.6mとなり、主電動機の出力強化により1000tの牽引が可能となった。デキ106は昨年2月、影森駅構内での脱線転覆事故により廃車された。

 

デキ107

デキ107・108は昭和26年、日立製作所で元松尾鉱業鉄道のデキ501・502として誕生、昭和47年10月11日、同鉄道廃止に伴い秩父鉄道に譲渡されたもので、主電動機を始め各部の仕様が102~106と同じであったため、追番の107・108に付番された。外観上は窓上の庇により区別ができる。

 

デキ201

昭和38年、日立製作所で201~203の3両作られ、台車はL型軸梁式の特異な形をしたものを履いている。202と203は平成12年6月30日付で廃車となり、三岐鉄道に譲渡された。残った201は、C58363の引くパレオエクスプレスの熊谷駅~広瀬川原車両基地間の回送列車牽引が主な仕事となった。5月23日(土曜日)C58が不調時に、単機でパレオエクスプレスを牽引して三峰口まで往復したが、自由席500円、指定席700円のSL料金を全額乗客に払い戻した。余談であるが急行電車にロングシート車が充当されても急行料金(200円)の払い戻しはない。

 

デキ303

昭和42年、日立製作所で301~303の3両が作られ、台車は標準的なものになった。車体はデキ200形とほぼ同形であるが庇がなくなった。

 

デキ503

デキ500形は昭和48年から55年にかけて日立製作所で4回に分けて7両作られた。501・502が昭和48年に、503、504が昭和54年に、505が昭和55年3月、506、507が同年9月に作られた。ラストの507のみ太平洋セメントの私有機となっている。

 

C58363

C58と言えば我々の世代が現役の頃は、北海道から九州、四国まで全国各地に配置され、やや規模が大きいローカル線を中心に活躍していた。それ故、当時人気は今一つで「なんやC58か」等と今から思うと「バチ当たり」なことを言っていた御仁も多く、関西地区では奈良線、草津線、関西線、信楽線、宮津線、小浜線、姫新線等各地で見ることができた。今振り返ると人気が無かった理由は、あまりにも存在が身近過ぎたためではなかろうか。DE10の出現によりアッと言う間に置き換えられてしまい、北見機関区からはるばる梅小路に輿入れし、動態保存されていた筈のトップナンバーも何時の間にか「飾り物」になってしまった。そういう意味でも、秩父鉄道で冬期を除きほぼ通年運行されていることは誠に意義深いことである。

C58363は、戦時中の昭和19年2月川崎車輛で作られ、最初の配置は釜石機関区で山田線で使用、その後昭和22年9月には仙台機関区で仙山線、以降石巻線、陸羽東線、磐越西線、陸羽西線と一貫して東北地方で使用され、昭和47年10月新庄機関区で廃車後、昭和48年5月から埼玉県吹上小学校で保存されていた。平成元年3月、熊谷市で開催された「さいたま博」の時に協賛事業として、秩父鉄道で蒸気機関車を運転することになり当機が復活した。復活当初の所有者は「埼玉県北部観光振興財団」であったが、財団解散により秩父市に、現在は秩父鉄道の所有となっている。

 

 

 

 21.5.6  三峰口

 

 21.5.6  波久礼~樋口

秩父鉄道「2009年わくわく鉄道フェスタ」Ⅱ

引続き電車について解説する。

基本編成は3両で、元国鉄101系のデハ1000系10編成、元都営地下鉄三田線6000系のデハ5000系4編成、急行用の元西武101系のデハ6000系3編成、今年3月に入線した元東急8500系のデハ7000系2編成が在籍し、車両総数は19編成57両である。

デハ1000系

昭和61年から平成元年にかけて旧国鉄101系3両編成を12本購入し、デハ1000+デハ1100+クハ1200とした。平成6年から9年にかけて冷房改造が実施されたが、中間車のデハ1100には取り付けられなかった。この時に過電流対策と容量増加に対応するためデハ1000にパンタを増設して2丁パンタとなったため、多少イメージが変わった。昨年8月、熊谷が最高気温40℃を記録した日に羽生~熊谷間を乗車した時、ものは試しと非冷房車に乗ったが、あまりの暑さに早々に冷房車に退散した。引続きワンマン改造が実施され平成11年度までに完了した。今年3月、元東急8500系のデハ7000系が2編成入線したため代替で2編成廃車となった。残りの10編成は現在も主力として活躍しているが、車体及び機器の老朽化は否めず、平成24年度までに廃車予定となっている。平成19年10月、さいたま市に鉄道博物館が開館するのに合わせて、4編成を旧国鉄時代の塗装に変更した。今年創立110周年を記念してデハ1002の編成を旧塗装に変更、11月頃までにもう1編成旧塗装に変更される予定である。国鉄時代の旧番と現状をまとめると次の通りである。

  【現 車 号】                  【国鉄時代の車号】      【塗装】

1. デハ1001+デハ1101+クハ1201(クモハ100-117+モハ101-100+クハ101-58)   スカイブルー   

2. デハ1002+デハ1102+クハ1202(クモハ100-140+モハ101-179+クハ101-61)  秩父旧塗装

3. デハ1003+デハ1103+クハ1203(クモハ100-133+モハ101-118+クハ101-62)  標準色

4. デハ1004+デハ1104+クハ1204(クモハ100-183+モハ101-252+クハ101-75)  H21.3 廃車

5. デハ1005+デハ1105+クハ1205(クモハ100-166+モハ101-222+クハ101-64)  標準色

6. デハ1006+デハ1106+クハ1206(クモハ100-1013+モハ101-1013+クハ101-65) H21.3 廃車

7. デハ1007+デハ1107+クハ1207(クモハ100-130+モハ101-112+クハ101-66)  標準色

8. デハ1008+デハ1108+クハ1208(クモハ100-154+モハ101-212+クハ101-79)  標準色

9. デハ1009+デハ1109+クハ1209(クモハ100-174+モハ101-236+クハ101-80)  関西線色

10.デハ1010+デハ1110+クハ1210(クモハ100-160+モハ101-208+クハ101-73)  標準色

11.デハ1011+デハ1111+クハ1211(クモハ100-175+モハ101-237+クハ101-81)    オレンジ

12.デハ1012+デハ1112+クハ1212(クモハ100-192+モハ101-263+クハ101-82)  カナリア

★クモハ100-1013+モハ101-1013は武蔵野線用のAA基準改造車で旧番は次の通り

クモハ100-1013 クモハ100-53(新製時モハ90616)

モハ101-1013 モハ100-50(新製時モハ90109)

 

デハ1001+デハ1101+クハ1201 2156 三峰口

 

デハ1009+デハ1109+クハ1209 21516 羽生/この電車が熊谷到着後、そのまま臨時広瀬川原行となった。

 

デハ1011+デハ1111+クハ1211 2156 波久礼

 

クハ1211   21516 羽生

 

デハ1012+デハ1112+クハ1212 21516 広瀬川原

 

デハ1008+デハ1108+クハ1208 2156 三峰口 

デハ5000系

元都営地下鉄三田線の6000系で平成11年に入線した。都営6000系は昭和47年アルナ工機製で6両編成(1~8号車・8両編成の予定であったため3、4号車は欠)で当初非冷房であったが、平成2年頃冷房改造されている。秩父鉄道に入線したのは、1、6、8号車で、6号車にパンタ設置、8号車のTc化が実施された。車内の「アルナ工機」の銘板で何となく関西の香りを感じるのは私だけだろうか。旧車号との対照は下記の通りである。

【現 車 号】                       【都営三田線時代の車号】        

1. デハ5001+デハ5101+クハ5201  (6191+6196+6198)     

2. デハ5002+デハ5102+クハ5202  (6241+6426+6428)  

3. デハ5003+デハ5103+クハ5203  (6251+6256+6258)  

4. デハ5004+デハ5104+クハ5204  (6261+6266+6268)

 

デハ5001    2156 熊谷

 

クハ5201+デハ5101+デハ5001        2156 熊谷

デハ3000系

急行列車に使用されていた、旧JR東日本165系改造の3000系を置き換えるため、平成17年、西武鉄道の新101系を購入し、上り向きTcのMc化、中扉閉鎖2扉化、ロマンスシート化等が実施された。旧車号との対照は下記の通りである。

【現 車 号】                     【西武鉄道時代の車号】        

1. デハ6001+デハ6101+クハ6201(クハ1230・モハ230+モハ229+クハ1229)     

2. デハ6002+デハ6102+クハ6202(クハ1232・モハ232+モハ231+クハ1231) 

3. デハ6003+デハ6103+クハ6203(クハ1234・モハ234+モハ233+クハ1233)

★先頭のデハは中間モハにクハの運転台を接合して先頭車化

 

 ハ6101     2156 羽生

 

クハ6203   21516 羽生

 

クハ6203の前身クハ1233 18. 5.14 広瀬川原 

デハ7000系

デハ1000系の置換えのため、今年3月東急8500系を2編成購入した。編成は従来と異なり、両端電動車(Mc++Mc)となった。秩父鉄道初の界磁チョッパ制御車で、

扉横に開閉ボタンが設置された他、ドアチャイム、LED式車内案内表示器、車椅子スペースの新設等バリアフリー対応が実施されている。旧車号との対照は下記の通りである。

【現 車 号】                         【東急時代の車号】        

1. デハ7001+サハ6101+デハ7201  (デハ8509+サハ8950+デハ8609)

2. デハ7002+サハ6102+デハ7203  (デハ8709+サハ8926+デハ8809)

デハ7002とデハ7203は元中間車であったが、入線に際し運転台を取り付けている。

 

デハ7001+サハ6101+デハ7201    2156 熊谷

 

デハ7002+サハ6102+デハ7202(寄居発の臨時電車)21516 広瀬川原

 

デハ7202、クハ1209、デハ7201の並び  21516 広瀬川原

過去の車両については、機関車と併せて後日紹介する。