北の大地へ Part17 函館市電

11月2日 第12日目
有珠山SA7:30→8:40昭和新山8:50→10:10長万部駅10:25→11:30森駅11:40→12:30大沼公園駅12:50→13:30函館駅→18:00湯の川温泉
11月3日 第13日目
湯の川温泉6:20→6:55函館港7:45→11:25青森港→16:00秋田
11月4、5日 第14、15日目
秋田港9:00→翌日5:30敦賀港→7:30帰宅

かつて、青森駅から青函連絡船に乗船して、初めて北海道に入る玄関口の函館駅でしたが、昭和63年に青函トンネル開通に伴い、連絡船も廃止されました。現在の駅は、平成15年に第5代目の駅として、建替えられた綺麗で立派な駅です

大沼公園での撮影後は、函館を目指しました。恥ずかしい話ですが、函館は、いつも乗継駅で、市電を見た事がありません。全線の撮影に挑む前に、函館駅の案内所に向かいました。

と、言うのも、着いてみて分かったのですが、今の温度は、零下で、風も10m以上です。ぶんしゅう7号が、いくら頑丈とはいえ、過酷です。駐車場があって、インターネットができて、とにかく安いホテルと、希望を言ったところ、湯の川温泉で、1泊2食付き6800円の激安ホテルを紹介してくれました。


函館市電は、1897年明治33年に弁天町(後の函館どっく前) – 東川町(後の東雲町)間に、馬車鉄道が開業したのが、始まりです。東京馬車鉄道都の指導を受けての建設だったため、軌間1,372mmでした。その後、湯の川温泉まで延伸され、1913年に電化が始まっています。
最盛期は、6路線合計17.9 km(12系統)の路線が営業していましたが、廃線された路線もあり、現在は、4路線合計10.9 km(2系統)の路線が営業運行されています。比較した路線図を作成しましたので、ご覧ください。

詳しい説明は、達人に任せることにして、まずは、歴史建造物の多い函館駅前~函館ドック前2.9キロの路線を走り、撮影を始めました。

多くの停留所は、屋根付です。冬場の雪対策なのでしょうね。
▲ 函館山をバックに、最高勾配58.3‰の谷地頭 ~ 青柳町を走る。

▲ 8101は、1963年製造807の台車・電装品を流用した国内では、初の車体更新による部分低床車です。2002年に更新されています。


▲ 函館市電、初の全面2車体連接型全面低床車、愛称は『らっくる号』の9600型。
平成21年12月15日~平成22年2月22日(予定)までは,定期検査および修繕のため,運休されますので、ご注意下さい。

▲ 車庫には、1950年(昭和25年製造された530と、東京都電から譲渡された7000型が休んでいました。車庫内には、まだまだ、珍しい30型(箱館ハイカラ號)や除雪車もあるのですが、今回は、撮れませんでした。

▲ 市内は、昼間で思ったほど、車の走行は少なく、車を降りる事なく、運転席窓を開放して撮れました。今日が、道内最後の夜です。夜間撮影も試みましたが、とにかく寒い! 雪も降り出し、風が強いので、旅用の軽量の三脚は、倒れます。明日朝に期待しました。

これからの予定は、青函航路で青森に渡り、秋田に向かいます。勤務時代に、毎日のように、酒を酌み交わした先輩が、秋田に住んでおられます。前もって、連絡を入れましたら、帰りに必ず寄るようにとの、お返事をいただきました。
青函航路には、2社が運航しています。午前中は、市電を撮影して、昼頃に乗ろうと、予約電話を入れ、運賃を聞きましたら、20,000円と言われました。舞鶴~小樽間1000km強が、29,500円です。50km強の航路が20,000円とは信じられません。
今回の旅の、1日当たりの燃料費、高速道路費、食費、酒代等(フェリー費は除く)を入れての4日分です。5,000円前後と思っていましたので、片道ですと、確認したら、返事は同じでした。

もう1社にも聞くと、こちらは、17,600円と少し安いので、予約しようとすると、満員で、20:00に出る便しか開いてないとの返事です。やはり、この時節は、皆さん運賃には敏感なんですね。高い航路を選ばざるを得ませんでした。しかし、どうして、こんなに高いのでしょうか?
道路橋もなければ、海底道路トンネルもないので、独占の強みなんでしょうか。これなら、線路容量に余裕ある、青函トンネルにカートレインを走らせたら、結構需要があるのではないでしょうか。
▲ 帰宅してから、1969年の道内時刻表を見てみましたら、この当時で、7,000円です。もともと、当時から、高かったのですね。高速道路が、1,000円(土日祭のみ)となった今ですが、車で行くなら、近くの長距離フェリーを利用する方が、はるかに安くつきます。

夕食後、温泉に入ってTVを見ていると、北海道、東北地方の明日の天気は、大荒れになると、言っています。津軽鉄道や五能線にも行きたかったのですが、今回は、無理です。9日には、帰らなければいけない都合もありました。秋田からは、フェリーを利用した方が、燃料代、高速代と、疲労を考えると、無難です。船代は、21,000円です。
秋田に電話すると、青森は雪の多い所なので、夕刻に走るのは、危険と言われ、急遽、青森から昼間に走れるように、早朝7:45発の航路に変更しました。青函航路のフェリーで、2社どうして運賃が違うのかを聞きますと、船の大きさが違うとの返事です。確かにこの船は、7198トンと、大きいですが、ガラガラでした。乗船時間は、3:40~3:50と、鉄道連絡船時代と同じです。

翌日は、海に降る雪を見ながら、津軽海峡を渡りました。青森からは、積雪の多い峠道を避けて、秋田へと向かいましたが、『トンネルを抜けると、雪国だった』のとおり、道内にも増しての積雪道路で、夕刻走行だったら、かなり危険だったでしょう。
秋田の先輩宅に1泊後、秋田からのフェリーに乗船して、翌朝11月5日の5:30には、敦賀に着きました。12人用2等船室は、一人だけの貸切でした。
自宅までは、久しぶりに、運転席窓を全開しての走行です。あまりに違う温度差にびっくりしました。

14泊15日の長い車での旅が、終わりました。ぶんしゅう7号の走行距離は、2,752km。燃費は、1リッターあたり9.6km、公表値よりは、良い節約運転でした。次回は、車内泊が楽な、いっせいに花咲く初夏に、今回行けなった道北や道東、閉鎖されて見る事ができなかった、鉄道記念館も回ってみたいと思っております。相棒は、大いに歓迎しますので、ご連絡をお待ちしております。
そして、この18日後、『厳寒の大地』へと、北の大地を上回る長い旅に出ました。またまた、ドジと予想だにしなかった遭遇の連続でした。また、ご報告をさせていただきます。

北の大地へ Part16 昭和新山、長万部、森、大沼公園

11月2日 第12日目
有珠山SA7:30→8:40昭和新山8:50→10:10長万部駅10:25→11:30森駅11:40→12:30大沼公園駅12:50→13:30函館駅→18:00湯の川温泉

昨夜は、夕食もまだだったので、食事、宿泊できるSAを探しましたが、行けども、行けどもありません。そのうち、『冬用タイヤ装着必要』の道路サインが出だし、あせりました。氷雨は、雪まじりに変わっていました。ようやく、伊達紋別の高台にある有珠山SAを見つけ、入りました。沼ノ端も40年前によく行った所です。苫小牧、室蘭も立ち寄りたかったのですが、ずいぶんと先まで行ってしまいました。


40年前の沼ノ端です。客車も貨物も蒸気機関車牽引でした。当時の時刻表をご覧ください。SL牽引の客車列車には、蒸気機関車マークが付いていました。



こちらは、静狩の大築堤です。FRFCメンバーと一緒に撮りました。

朝、宿泊している車は、ぶんしゅう7号だけでした。昨夜の雨はやみ、太平洋が見渡せます、冠雪の山々も見えます。40年前は、SLを追いかけるに必死で、観光など殆どしていません、近くに見える昭和新山も見てみたいと思い、高速道路を走りますが、スタットレスタイヤを装着していないと走行不可との掲示あります。次のインターで降りて、一般道を走り、昭和新山へと、向かいました。

昭和新山は、農地が突然に隆起してできた、ほやほやの活火山です。かつて、胆振線存命の頃に一度降りて見たかったので、40年ぶりの期待を持って、行きました。近づくと、本当に活発な、生々しい山と感じるとともに、『これからも、鉄道撮影に頑張ってね。』と、心に元気づけてくれました。

鉄道とは関係ない話ですが、北海道で鉄道写真を目指そうとする方は、騙されたと思っても行って見てください。山は、何も言いませんが、求める何かをきっと、教えてくれます。なぜなら、山は、我々と同じく、生きているからです。自然を感じ取れる心は、なくてはならない感性だと、思っております。

高速道路は、ノーマルタイヤでは、走行できないので、一般道を函館に向かい走りました。途中、40年前、海岸べりを走るD52を撮ろうと、無謀にも津田君と絶壁の岩を登りましたが、撮影後、下りるに下りられず、一時はどうなるかと、死ぬ思いをした礼文辺りも、行ってみたかったのですが、天候は回復せずで、諦めました。

山中を通る道中高速道路は、積雪が多く、ノーマルタイヤでは、走れません。やむなく、国道37号線を走りましたが、それでも、ご覧のとおりで、峠辺りは、もっと積雪があって、ブレーキは踏めませんでした。

現在の長万部駅です。綺麗にはなりましたが、付近に人影はありません。

その代りに、ステホをよくした長万部駅に立ち寄りました。昼飯時になりましたので、名物駅弁のかにめしを購入しようと駅売店に行きましたが、売っていません。駅前の製造元へ行ってくださいとの返事です。40年前に駅弁は、貧乏学生にとって、高価でした。ようやく、買えるようになった今、駅にはありません。

仕方なく、教えていただいた店に行って購入しましたが、駅弁が駅で買えないとは、えらい時代になったものです。駅で買ってこその駅弁です。憧れのかにめしでしたが、パサパサで、ちょっとがっかりしました。旅も長く疲れていて、味が分らなくなった、せいかもしれません。

落部等の撮影地もあるのですが、天候が撮影を拒みます。一気に森駅に向かいました。

森駅は、初めて北海道を訪れた時に、DRFCメンバーの薦めで、駅弁『いかめし』を買い求めました。列車が到着すると、ホームの端から売り子おじさんが、駅弁を入れた木製のかごを抱えて、走ってきました。当時は、100円でしたが、中を開けると、ホクホクのいかめしが入っていて、初めて食べる味にびっくりとしました。勿論、美味でした。その後、『森の駅弁いかめし』は、駅弁全国一となったのは、ご存じのとおりですが、当時は、知る人ぞ知る駅弁でした。

森駅売店では、保温したいかめしを売っていました。しかし、40年前を知っている私としては、味は同じでも、もう一つ何かが違っているように思えました。長万部もそうだったように、駅弁は、列車待ちに駅のベンチや、乗ってから車窓を見ながら食べるのが、一味違った美味しさを、引き出してくれるのでしょう。




1969年(昭和44年)当時の大沼公園ですが、現在は町並みが拡大して、道路も出来て、もうこの光景は撮れません。カラーでしたら、綺麗だったでしょうが、そんな金銭的余裕はありませんでした。

今回の『北の大地へ』と、行くきっかけとなったのは、勤務時代に札幌出張の際に見た大沼公園の絶景の紅葉風景でした。DD51重連でしたが、車窓は素晴らしく、どうしてもあの心に残った光景を撮ってみたいのが動機でした。

大沼公園駅に到着後、周辺を探しまくりましたが、中々、ここはという場所を探せませんでした。あの光景は、心に残すのみと諦め、新たな場所を求めましたが、ここでした。もっと時間をかけて探せば、これが大沼公園の紅葉といった撮影ポイントがあると思います。撮影後は、一路、今回の道内最後の撮影地、函館を目指しました。

北の大地へ Part15 北海道開拓の村

11月1日 第11日目
笠道の駅8:30→10:00美唄市郷土資料館10:05→10:55三笠鉄道村クロード公園11:05→11:10三笠鉄道村鉄道記念館12:15→13:20万字線鉄道資料館
13:25→15:15開拓の村16:30→19:20有珠山SA 

『万字線鉄道資料館』からは、国道12号線をひた走りました。途中で、大好きなそば屋を見つけ、遅い昼食です。旨かったです。40年前は、道内で蕎麦を食した経験はありません。貧乏旅行でしたので、一日2食が、せいぜいでした。唯一、たまに宿泊するYHで食べる夕食が、ご馳走でした。今でも、贅沢は敵と、安いコンビニ弁当で済ませていますが、お酒だけは、忘れません。


15:15、『北海道開拓の村』に到着しました。ここで見たいのは、開拓時代に走った馬車鉄道です。入口の建物は、かつての札幌駅です。入場券を購入すると、馬車鉄道の乗車券がプレゼントされていました。平日ですので、入場者はわずかで、駐車場はガラガラでした。


入場すると正面に馬車鉄道の駅があります。N電そっくりのダブルルーフの客車が止まっていました。発車時刻は、15:40が、最終です。時間がありましたので、近くの手宮駅長官舎を視察しました。

馬は、発車直前にならないと、連結?されません。なぜか、連結すると直ぐに走るので、そうしているそうですが、無理を言って1カット撮るのを許可してもらいました。

『北海道開拓の村』は、初めて訪れた所です。皆様方と一緒に今年行った『明治村』と、コンセプトは同じです。規模は、それなりですが、時間があれば半日は、十分に見て回れる価値があります。

馬車鉄道には、10数名が乗車しました。ゆっくりと、開拓時代の建物が立ち並ぶ、美しい街並みを走ります。乗ってみる価値、十分です。北海道の開拓の歴史にとって、馬車鉄道は、必要不可欠な交通手段でした。台湾と同様に人車鉄道もありましたが、何しろ広い北海道です。特に、釧路方面は、馬車鉄道の歴史が、開拓の歴史でもありました。



そんな思いを浮かべ、約5分間を楽しみました。
入場口への最終列車を撮ろうと、気に入った場所で待っていると、中々発車しません。代わりに乗務員が、ノコノコと近づいてきて。『すみません。帰りの最終の乗客がなく、運休します。』と、告げられました。これを撮りに来たのに、それはないだろうと思いましたが、怒りませんでした。人間、年おえば、少しは、まるくなるのですね。初めて、分かりました。



残念ですが、森林鉄道機関区に行き、保存車両を見ました。ちょっと違った機関車ありで、これは、内燃機関車の大博士にご説明をお任せしましょう。

説明表示を見ますと、夕張には、炭鉱のみではなく、森林鉄道があったのですね。昨日見た三絃橋は、超有名な鉄道橋でした。恥かしい限りです。下記が、その説明のHPです。
http://www33.ocn.ne.jp/~noritax_world/3genkyou.html
http://karelia.hp.infoseek.co.jp/sanpo/06rintetsu.html

開拓の村については、公式HPをご覧ください。
http://www.kaitaku.or.jp/

16:30が閉館でした。氷雨も降ってきました。もう直ぐ雪に変わるそうです。4WD車とはいえ、雪道は危険です。南下せざるをえません。高速道に向かい、苫小牧方面へと走りました。宿泊地は、決めていません。設備の整ったSAがあればと、車を走らせました。

「佐竹保雄 山科国鉄写真展」打上会

昨夜、12月13日、京都京阪七条近くの『サカタニ』にて、「佐竹保雄 山科国鉄写真展」打上会に、クローバー会の面々が集まり、盛大に開催されました。それぞれが、近況をご報告され、毎年1歳1歳、老いていきますが、今後の活動予定等を話されました。席上、佐竹先輩より、鉄道ファンには、バイブルとなって、古本屋に出ても30,000円前後の高値で取引されている『日本の客車』の復刻版が、来春には、再販される予定で、話が進行していることが報告されました。手に入ることが、少なくなった幻の本です。発売が待ち遠しいかぎりです。

北の大地へ Part14 三笠鉄道村、万字線鉄道記念館

11月1日 第11日目
三笠道の駅8:30→10:00美唄市郷土資料館10:05→10:55三笠鉄道村クロード公園11:05→11:10三笠鉄道村鉄道記念館12:15→13:20万字線鉄道資料館13:25→15:15開拓の村16:30→19:00有珠山SA  
 


道内に入って、最も寒い朝を迎えましたが、昨日追加購入した湯タンポのおかげで、寒さで寝られない夜は回避できました。旭川方面から来る車の屋根は、雪がたっぷりのっています。朝風呂があるかなと隣の温泉に行きましたが、ダメでした。いつものようにコーヒーを沸かせて、ポットにも入れて、温まりました。本格的な、北海道の冬が始まっています。スキーには、家族と毎週のように行きましたので、雪道の経験が多いとはいえ、シーズン初めては、緊張します。道路に雪が消えるのを待っての出発でした。



目指すは、まず美唄市郷土資料館です。途中、光殊内駅に立ち寄り、撮影しましたが、懐かしい711系のローカルに出会えました。

美唄駅
は、建て替えられていて、現代的な駅舎に変貌していました。訪問した美唄駅近くにある美唄市郷土資料館は、残念ながら今日から来年3月末まで、冬季閉館でした。

帰宅後に分ったのですが、美唄には、4110型SLが保存されていたのですね。駅前の地図をもっと良く見ておればと、反省です。昨日の『三菱大夕張鉄道車両保存地』とここは、『日本鉄道旅行地図帳・北海道』には、記載されていませんので、気をつけてください。

北海道では、こういった施設は、冬季には閉鎖されるようです。それでは、次に向かうは、三笠鉄道村です。ここは、道内では有名な所なので、期待していました。三笠鉄道村は、2ケ所に分かれています。約50分走行の10:50に、最初のクロフォード公園に到着しました。

全国的にも有名な三笠鉄道村ですが、行くには、結構大変です。山に向かって、三笠市役所前の道を右折すれば、後は道なりです。


しかし、期待に反して、ここも冬季閉鎖中でした。ブルーシートに覆われた展示車両を見学後、三笠鉄道村の本館へと向かいました。約5分で到着です。



そして、ここも、閉館中で、ルーシートに覆われた展示車両を見るにとどまりましたが、面白い鉱山用のELがありました。何処で使用されていたのでしょうか? 藤本大先輩ならお分かりと思いますので、教えてください。出来れば、かつて活躍中だった頃の写真があれば最高です。

かつて、北の大地を走った約50台もの車両が展示されていました。冬季対応で、ブルーシートで覆われていますが、1両1両が、懐かしく感じました。
全てを紹介し切れません。詳しくは、下記の公式サイトのホームページをご覧ください。
http://www.s-304.com/

一人で見学を楽しんでいましたら、”わ”ナンバーの車がきまして、ご夫婦が降りてこられました。やはり、鉄道に興味のある方で、トラベル雑誌を見ていると、是非に見るような記事が掲載されていたので、寄ってみたが、閉鎖中とは知らなかったと残念がっておられましたが、一緒に1両1両の思い出を話しながら見ました。

北海道の鉄道が開通したのは、1880年(明治13年)11月28日、手宮~札幌間の約35.9kmが、始まりでした。
アメリカから、「義経」「弁慶」の蒸気機関車2両、2軸ボギー客車8両が輸入され、走行しました。1882年2月には、幌内までが全通し、翌1883年(明治16年)9月17日には、手宮~幌内間の営業運転が始まっています。記念村からクロホード公園直前まで、線路は残されていました。動態保存機もあります。出来れば、整備して、この間を走らせたらと思いました。

次の訪問地は、万字線鉄道資料館です。ナビには載っていませんので、地図を広げていくしかありません。途中の店に入り聞きますが、誰も知っていません。廃線跡を辿りたくとも、痕跡は見つかりません。後は、長年培った臭いと、感のみです。ここはと思われる脇道、林道を走り、最後は木こりの方を見つけて、大体の場所を教え手もらいました。探すのに、1番苦労した場所でした。

発見できた場所は、余程注意しないと分からない民家に毛の生えたような所でした。同じく閉鎖中で、中の様子すら見る事はできませんでしたが、辿りつけたという満足感は手にする事ができました。

今日の最後の訪問地は、札幌市内の『北海道開拓の村』です。約2時間の行程でした。

三井芦別鉄道

ぶんしゅうさんの「北の大地へPart12 富良野線 根室本線 日高本線」で芦別駅の画像が出てきた。場違いの五重塔の後の芦別駅を見て昭和42年夏休みに三井芦別鉄道を訪れた時のかすかな記憶が蘇ってきたので、当時の状況を書いてみた。(撮影日は42年9月9日である)

歴史

歴史は比較的新しく、昭和15年12月8日三井鉱山専用鉄道として芦別~西芦別(後の三井芦別)間4.1Kmを運転開始。昭和17年5月5日旅客営業を開始。昭和20年12月15日西芦別~頼城間5.5Kmを開業。昭和24年1月20日地方鉄道に変更し、三井鉱山㈱芦別鉄道となった。昭和33年11月にはDCを3両投入して客貨分離。昭和35年10月1日炭鉱合理化に伴い鉄道部門を分離することになり、三井芦別鉄道を設立して営業を開始した。訪れた時は、まだ炭鉱の最盛期で芦別~頼城間を20往復位運行され、羽幌炭鉱鉄道と共に女性の車掌が乗務し、元国電を挟んだDTD3両編成の列車は活気に溢れていた。

その後、旅客部門は炭鉱合理化による人口の減少と並行バス路線の充実により昭和47年5月31日をもって廃止。石炭輸送も炭鉱の合理化により平成元年3月25日をもって全線の営業を廃止、炭鉱自体も平成4年9月に閉山となった。

車両

昭和42年8月時点での在籍車両は、蒸気機関車2両(C58-1・C58-2)ディーゼル機関車2両(DD501・DD502)気動車3両(キハ101~キハ103)客車3両(ホハ10・ナハニ1・ナハニ2)であった。(貨車は省略)以下、写真と共に解説する。

(1)   蒸気機関車

かつては江若鉄道から購入したナスミス・ウィルソン社製の1B1タンク機やC11が在籍したが、訪問時にはDLの予備機としてC58が2両(C58-1・C58-2)在籍した。昭和24年汽車会社製で国鉄の見込み生産品を購入したと言われている。国鉄のC58とは同一であるが給水加熱器が付いていない。昭和46年3月廃車となり、C58-2は定山渓グランドホテルに売却されたが、現車は桑園駅の引込線に留置されたままであった。それを旭川市郊外の「ニュー温泉」のSLファンのオーナーが買い取り、旅館の建物の中で保存されている。桑園から富良野線の西神楽まで回送して、トレーラーで旅館まで運搬した。この時の状況が昭和46年9月18日付の新聞に掲載されているので、運んだのは前日と思われる。

「ニュー温泉」はHPで確認すると1泊2食付で5500円~、入浴のみでは400円とリーズナブルで、リタイヤ後一泊してゆっくり見学したいと思っている。

 

2)ディーゼル機関車

DD501~DD503

昭和40年から新製された旧国鉄DD13タイプの機関車であった。DD501が三井芦別~中ノ丘間の炭山川鉄橋上にセキを連結した状態で保存されており、リタイヤ後見学に行く予定にしている。DD502は解体、DD503は京葉臨海鉄道に売却された。

 

3)気動車

キハ101~103

昭和33年、客貨分離のために3両新製された。車内は中央3区劃がクロスシートのセミクロスであった。旅客営業廃止後は関東鉄道に売却され、鉾田線(後の鹿島鉄道)で再起しキハ711~713となった。扉配置からワンマン化ができないのと、その後の新車投入のため、キハ713は平成3年、キハ711・712は平成4年に廃車された。

 

キハ103+ナハニ1+キハ102 

 

キハ101

 

鹿島鉄道 キハ711 石岡    昭和60年9月23日撮影

4)客車

ホハ10

昭和16年9月、専用鉄道の旅客列車用として購入したホハフ1(大正10年日本車輌製の元飯山鉄道のフホハ10)を昭和32年自社工場で下回りを生かして半鋼製の車体を新製した。キハ101の入線後、中間車として使用するため総括制御用回路を引通し、実質キサハとなった。

 

ナハニ1~3

スタイルからも判るように元国電モハ31系(後のクモハ11200番台)である。昭和23年10月地方鉄道に変更に際して、戦災で焼失した国電を日本鉄道自動車で復旧したものを購入した。旧番は公式にはモハ31036、31070、31104とされているが、アテにはならない。当初は形式モハ300形車号サハ1~3となっていた。元電車であるので「サハ」は理解できるが、形式が何故「モハ」になっていたのかは不明である。昭和32年12月にキハの中間車として使用するため、総括制御用回路を引通した。その際に一端に荷物室を設けて車号をナハニ1~3に変更したが、現実には「キサハニ」とでも言うべきものであった。中間車は前述のホハ10と併せて2両使用で、予備車を入れても3両で済むため、昭和39年1月、ナハニ3を廃車した。

 

ナハニ1

 

ナハニ2

(5)その他

モーターカー

昭和39年富士重工宇都宮製作所製で、冬にはプラウを付けてラッセル車として使用されていた。

 

芦別駅のC57200

滝川発(14:15)発 釧路行(23:22)435レで機関車の後にオハフ60が見える。

 

雄別炭鉱茂尻鉱業所102号機

三井芦別鉄道の後、茂尻の雄別炭鉱茂尻鉱業所の機関庫に行く予定であったが、三井芦別で機関区の人と話込んでしまい、予定の根室本線の列車に乗れなくなり、茂尻鉱業所は次回ということにした。茂尻で交換待ちの時、102号機が出てきたので撮影することができた。

北の大地へ Part13 新冠、追分、夕張、三菱大夕張鉄道車両保存地

前回、投稿してから、3週間を迎えました。その間、厳寒の大地へと、再び訪中をしておりました。現地から投稿をしようと試みましたが、ホテルのインターネット回線は、遅く、途中で諦めました。申し訳ありません。続編を続けさせていただきます。

10月31日 第10日目
新冠温泉 レ・コードの湯ホテルヒルズ』8:00→10:45大狩部10:50→節婦付近11:40→13:30追分鉄道記念館14:00→14:40夕張15:00→15:15清水沢15:20→15:30三菱大夕張鉄道車両保存地15:40→三笠道の駅

昨夜は、久しぶりに部屋のベットで寝られましたので、爆睡でした。朝は、露天風呂から、夜明けの新冠の街並みを見ながら、ゆっくりとしました。まともな朝食も久しぶりでした。

厚賀~静内間を丹念にロケハンしましたが、撮影地は、やはり定番の場所が良さそうです、昨日は、道路橋梁から撮った厚別川対岸の丘に車を入れ、撮影ポイントの選択をしますが、川から、ほぼ垂直の崖の上からですので、足場が崩れやすく危険です。また、木々と雑草が生い茂り、全く見晴らしがありません。

庭バサミを取り出し、長靴を履いて、30分以上も、草刈を続けましたが、邪魔な木の枝は、取り除くのは、不可能でした。かといって、他の場所を探すにも、また同じ作業をしなければなりません。ここで撮影するには、電柱作業をするようなクレーン車を必要とします。30分間の労働は、一体、何だったのかと一人呟きながら、列車を待ちました。

芦別川鉄橋を渡る様似行きの2225D キハ40352

風・波除けの枕木を植えて、風・波除けの大狩部駅

撮り終えた後は、節婦付近の海沿いに場所を変えました。

ここでも、釣り人がおられました。列車が来るまで十分時間があります。秋アジを狙っているのかと尋ねますと、ここでは、遡上する川もなく、秋アジは、もう終わった。釣れても、質が悪い。長万部以南なら、80~100㎝級があがる、絶好のシーズンを迎えている等々の釣り談議や、ここでも必要ない箱物や道路ばかりが出来て、困っている等々の話を聞かせてもらいました。

線路と並走する道路は、ひっきりなしに車が走行しています。これだけの往来があるという事は、道路状況が悪く、鉄道を利用するしかなかった時代は、日高本線は、客貨共、大いに盛況だったのだろうと、察しました。

天気予報では、今年1番の寒冷前線が近づいている事を告げています。空も雲が覆い、すぐれません。走行撮影を切り上げて、夕張方面へと向かう事にしました。

途中、むかわ道の駅で、今が旬の名物“ししゃも”を食しましたが、我々が一般的に食べるのは、一夜干しにして焼いて食べるのが殆どですが、ここでは、刺身、揚げ物や煮物が食べられました。勿論、初めてです。こんな駅弁があったら、列車の旅も一段と楽しくなるでしょうね。


現在の追分駅、ホームに、構内にも、かつての面影はありません。

旧追分駅 


40年前は、ホームに乗客があふれていました。





13:30、追分駅に着きました。
40年前は、とにかく広い構内があって、夕張近辺から集められた石炭貨車が、ヤードを埋め尽くしていました。D51を筆頭に、何本もの煙が上がっていました。広く長いホームにも、SL列車が入線して、じっとしているだけで楽しめました。今の追分駅は、当時の雰囲気は全くなく、殺伐とした光景だけが、広がっていました。






追分駅コンコースには、駅近くにあります追分鉄道資料館の案内が掲載されていましたが、ご覧のとおり、今日は、開館しなく教育委員会に連絡してくださいです。他にも行きたい所がありますので、ちょっと覗いてみるだけにしました。

黒くなってきた雲を見ながら、夕張へと向かいました。JRに乗車すると、約65分を要しますが、今は、道路整備され、高速道路も出来ていて、40分で到着です。


破綻した街、夕張は、車窓を見ても活気は見られず、全国的な名産品となった夕張メロンの道沿い路店が並ぶのみです。夕張駅に立ち寄り、駅員兼観光案内所のおばさんと話をして、SL博物館の場所を聞きましたが、夕張・・・の中にあって、既に廃館となっています。仕方なく、見下ろせる橋まで走り、外観を撮りました。

おばさんの聞くところによると、清水沢駅を曲がって、少し上がった所に、客車が展示されているとの事で、行ってみる事にしました。


車に乗ろうとすると、白い物が降ってきます。細雪です。今年、初めての雪と言っていました。先を急がねばなりません。途中、清水沢駅にも立ち寄りましたが、かつての姿はありません。清水沢を出て、坂道を上がった約30分後に、『三菱大夕張鉄道車輌保存地』に着きました。

除雪車を先頭に3両の客車と、2両の石炭貨車が大事に保存されていました。線路に沿っての道路を走りますが、廃線跡は確認できますが、痕跡は残っていません。この先には、三絃橋がありました。

1935年(昭和33年)完成した森林鉄道最長の、単線鉄道橋(軌間762mm)、長さ381.80m(最大支間77m、7連)の三弦トラス橋です。貴重な鉄道遺産ですが、新ダム完成後は、水没するそうです。

細雪の中、ゆっくりと道を下り、明日の三笠山鉄道公園視察のために、道の駅『三笠』に停車しました。向かいには、大きな温泉施設とジャスコがありましたが、重宝する湯タンポをもう1つと、残り少なくなったカセットボンベを購入、食事を優先するため、ジャスコとしました。外は、雪まじりの氷雨です。風も強くなり出しましたが、『ぶんしゅう7号』は、安眠を守ってくれました。

「第9回みんな集まれ!ふれあい鉄道フェステバル」

11月14日(土曜日)尾久車両センターで「第9回みんな集まれ!ふれあい鉄道フェステバル」が開催されたので覗いてみた。

当日の朝、大塚で所用を済ませた後出掛けたが、大塚から尾久までJRで行くと、山手線で池袋に出て、埼京線で赤羽、更に宇都宮線か高崎線の中電で尾久というルートか、田端まで行き、京浜東北線で赤羽、中電で尾久というルートとなる。いずれも乗換えが2回伴い、距離の割にはとんでもなく時間がかかる。一方、山手線の高架下から三ノ輪橋行の都電に乗れば15分で荒川車庫前に到着し、そこから尾久駅までは約700mで10分とかからないので、当然このルートを利用した。9時45分に尾久駅に到着すると入場待ちの列が長い地下道を潜り、フェンスに沿って上野寄りまで延々と延びていた。10時を過ぎても列が動かないので入場制限でもしているのかと思いきや、強風でテントが飛ばされ、その片付けのため開場が遅れているとのことで、15分遅れの10時15分頃開場された。

今年の展示車両の目玉は、キハ48の3両編成ジョイフルトレイン「きらきらみちのく」でポスターにも大きく取り上げられていたが、人気はヘッドマーク付のEF651107、EF651118、EF8181、DD51842の機関車に集中していた。客車は、高崎支社の旧形客車、オハニ3611+スハフ322357+スハフ422173+オハ472266+オハ472246+スハフ422234の6両編成が休憩用として、ジョイフルトレイン「ゆとり」編成の両端車(中間車は廃車)、スロフ14701+スロフ14702が展示されていた。また、展示車両ではないがマヤ342004がボロボロの姿で停められていた。検修庫内にE655系「なごみ」が展示されていた。当日は強風の上、時折雨がぱらつく悪天候にもかかわらず入場者数は主催者側の発表で8300人であった。

【尾久駅とポスター】

 

駅名は「おく」と濁らないが、実際の地名は「おぐ」と濁る。都電に「東尾久3丁目」という電停があり、都バスの「尾久駅前」バス停は「おぐえきまえ」と濁っている。また、尾久は荒川区の地名であり、実際の尾久駅の住所は北区昭和町のため更に話がややこしい。類似例で有名なのは「米原」で、実際の地名は「まいはら」と濁らない。ところが町村合併で市に昇格した時に駅名を優先したのか「まいばら」市にしてしまった。中央線と小海線の分岐駅の「小淵沢」は駅名は「こぶちざわ」であるが、実際は「こぶちさわ」と濁らない。私鉄でも西武秩父線の「横瀬」の駅名は「よこぜ」であるが、実際は「よこせ」である。「旭川」のように「あさひかわ」でスタートし、途中(明治38年4月)で「あさひがわ」に改称し、昭和63年3月に元の「あさひかわ」に戻している。実際の地名は、昔から「あさひかわ」と濁らないのに、何故「あさひがわ」にしたのだろうか。駅名に関しては、勝手に途中に「の」を入れた例(常磐線の「原ノ町」、実際の地名は原町「はらまち」で「の」は入らない)、勝手に読み方を変えた例(秋葉原「あきはばら」実際は「あきばはら」)、勝手に漢字を変えた例(わたらせ渓谷鐵道の「神戸」(ごうど)は国鉄時代兵庫県の神戸と間違うという理由で「神土」にした)等もあり、調べてみると面白い。

【き・ら・き・ら・みちのく】

 

ポスターにもある通り展示のメインであった。平成4年12月の東北新幹線八戸延伸に合わせて、一般形のキハ481505・1506・1534を改造した。両端の1505と1506は正面を大幅に改造し、側面窓を拡大の上固定化、中間車の1534は側面のみ改造して運転台は残された。車内は、両端車は1人掛と2人掛の回転リクライニングシート、中間車はボックスシートで座面を畳敷にして背もたれを高くして個室風となっている。休日を中心に運転される八戸~大湊間の快速列車「きらきらみちのく下北号」に使用されている。車体は内外ともに大幅に改造されているが車号は変更されていない。

【機関車】

EF651107、EF651118、EF8181、DD51842の4両が展示され、ヘッドマークは適時取り換えられ、常に撮影者で満員であった。EF8181は終日ターンテーブルに乗り回転していた。

 

入換に使用されていたDE111041

【客車】

 オハニ3611は、JRグループの中では鋼体化改造客車の唯一の生き残りで、優等列車用のため車内はスハ43並みで、台車はナハ10のTR50類似のTR52Aを履いている。重厚な車内と軽量客車用台車の走行音のミスマッチが何とも言えなかった。再度営業運転で乗ってみたい。戦前製のスハフ32は、生き残ったこと事体奇跡で、こちらも是非乗ってみたい。

 

昭和58年8月、14系7両をコンパートメント車に改造したもので「サロンエクスプレス東京」と呼ばれていた。平成9年に堀り炬燵仕様の和風客車に改造され、愛称を「ゆとり」と改め6両編成となった。平成20年3月に使用を休止して両端車以外は廃車となった。(上 スロフ14702  下 スロフ14701)

マヤ34は昭和34年から56年にかけて作られた軌道検測用の事業用客車で、トップナンバーのみスタイルが大きく異なり、昭和42年北海道用の耐寒工事が実施され、マヤ342501に改番された。画像の2004は昭和41年製で、ボロボロの状態で留置されていたが廃車にはなっていないようである。

 

上記以外にも検修庫の中に元「出雲」のオロネ257とオシ24701、「夢空間」のオロネ25901が展示されていたが、場所が狭くて撮影は無理であった。 

【電車】

E655系は平成19年6月、皇室用客車「1号編成」の置換え用として新製した。6両編成で、その内1両が皇族方や国賓がご乗車になる「特別車両」である。通常は「特別車両」を外した5両編成で団体専用列車として使用されており、「なごみ(和)」の愛称が付いている。昨年同様、検修庫内に展示されていた。

 

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芭石鉄道撮影・乗車の旅 お誘い

DRFC-OBのM・T氏のご依頼で、中国四川省に残る、最後の軽便SL鉄道『芭石鉄道』の撮影・乗車と、生きている化石『メタテコイア原生林』を見る旅に、年末年始に参ります。今から、手配を行いますので、もしご参加を希望される方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい。勿論、中国内は、全て列車移動で、約25時間乗車の夜行寝台列車の旅、最新のCRH(新幹線)の乗車も堪能します。行程は、日本→北京空港集合→成都→芭石鉄道・沫江煤電です。ゆっくりと、10日間程度を予定しています。費用は、中国内のみで、約20万円を見込んでいますが、節約には努めます。参加者が増えれば、もっと安く、豪華な食事にもありつけます。
ご興味ある方は、コメント欄に、入学年度とイニシャル(例;M・T)をお書き下さい。それで、分ると思います。
芭石鉄道については、下記のホームページに詳しく掲載されていますので、ご覧ください。
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/china/bashi/info.htm
http://c5557.kiteki.jp/html/baseki11.htm
http://travel.railway.org.cn/wuyi/bashi/bashi.html
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/china/bashi/top.htm

カフェに続いて巨大模型店も開店!

友人が知らせてくれたのですが、会員に話したところ「知らないので場所などを書いてくれ」と言われたのでURLを記します。

http://www.volks.co.jp/jp/hs/hs_kyoto.html

この模型店は昔、室町今出川にあったそうですが私は知りませんでした。

それにしても開店する場所が問題、西大路駅の北方の西大路通り東側にあった悪名高かったサラ金の「日栄」本社ビルです。かつては債務者に「肝臓うれ!」「腎臓売れ!」と脅しの電話で警察沙汰になった会社です。悪は栄えず、過払い利息の返還請求に耐えられずつぶれてしまいました。あのビルは巨大なものですからここで模型店とは大丈夫かいな?と心配してしまいます。まあ、時々は覗きに行ってみようとは思いますけど。

祇園にジオラマカフェ『デコイチ』オープン

厳寒の大地への旅を終えて、ようやく帰国しました。今日朝、朝日新聞を見ていましたら、祇園にジオラマカフェ『デコイチ』オープンの記事が載っていました。京都に、しかも家賃の高い祇園に出きるとは、ちょっとびっくりしました。模型班の皆様、一度寄ってみませんか。場所は、見つけるのが難しそうな所です。四条通を八坂神社に向かって、花見小路を左に曲がって、約300m直進、祇をん神門荘がある角を右折して、東に入った7軒目、祇園フォレリール2Fです。鉄道好きで、模型を運転してくれるスタッフを募集中だそうで、趣味と実益を望まれる方は連絡してあげて下さい。責任者は、本山支配人です。記事内容は、下記のとおりです。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000170912100001