【7921】桜前線追っかけ2010年 Part2  くま川鉄道→西人吉

3月29日 午前中;くま川鉄道撮影、以降は、西人吉付近、夕刻→道の駅-不知火温泉(泊)

5:00、ホカロンと湯たんぽで、寒さ対策はしていましたが、起きました。外の温度を測ると、1℃以下です。昨年10月の北海道でも経験しなかった最低温度です。

昨日、A・K氏西人吉の桜満開は、1週間前だったと、写真を見せてくれました。寒い日々が続いたので、今日まで満開状態が続いたとの言葉を実証する夜間の寒さです。

道の駅錦にあった周辺観光案内図を見ると、ここは、かつての湯前線、くま川鉄道の沿線近くにあります。SL人吉号撮影までは、充分な時間がありますので、この沿線にも桜があるだろうと、線路沿いをロケハンしながら、走りました。
最初に訪問したのは、瓦葺屋根のおかどめ幸福駅です。

駅玄関には、珍しいかな神社のような鈴を鳴らす、鈴紐が付けられていました。

続いては、SLの形を表現した
朝霧駅。煙は出ませんが、中々凝っています。

肥後西村駅は、構内に桜がいっぱいです。

多良木駅の駅舎内は、山小屋風でステンドグラスまで入っていました。踏切向こうのかつての相対ホームには、ブルートレインが3両留置されていて、木造屋根が建設中でした。単なる展示か、列車ホテルとして運営するのか問い合わせ中です。

おかどめ幸福→あさぎり間の免田川橋梁を渡るKT-102。

公立病院前駅を出るKT100形2連。

終点の湯前駅、かつては、妻線杉安駅と結ばれ宮崎方面への予定線がありました。

おかどめ公園の桜をバックに走るKT-202。

免田→おかどめ公園の菜の花畑を走行するKT-102。

そろそろ、SL人吉号の来る時間です。西人吉に向かいました。今日は、場所を変えて、線路上の道路橋から撮影しようと待ちましたら、パトカーが来て、道路上からの撮影は、交通渋滞を招くので、禁止と言います。

確かに、広くはない道路なのに、ダンプカーが引っ切りなしに走り、撮影者が道路上にいると、車の離合ができなくなっています。仕方ありません。道路のガードレールをまたいで、一応道路外に出ました。

10数分ほどして、パトカーがまた廻って来ました。警告を無視して、道路上にまだ残っておられた3名の老人の撮影者を強制的に連れて行きます。聞けば、公務執行妨害罪です。身分証明書の提示を求められ、次に同罪を犯した場合は、逮捕しますと言われたそうです。

絶好の撮影地です。撮影する側も、警備する側も緊張しています。せめて、SLが来る直前までは、その場所に来るのは、控えていたほうが良いと、忠告する人もいたのですが、それでも居座ったのですから、どうしようもありません。

こういった現場トラブルが、全国各地のSL撮影地で起こっているのでしょうね。鉄道ファンが増えている事は歓迎すべきでしょうが、限られた絶好の撮影地には、全員が収容できません。はみ出た撮影者が許可されない場所に行かざるを得なくなるのは、容易に考えられます。

これを見るのが嫌で、布原以来、鉄道撮影を諦めた経緯があります。かつては、夜間にヤードで撮影していても、珍しい趣味を持っているなあと現場の方々に歓迎されて、お茶までご馳走になりました。もう、こんな時代はやっては来ない!

関西本線でも問題となり、マスコミを騒がせましたが、撮影マナーを取りあげたり、規制警備を厳しくするだけでは、何の解決にもならないのは、この現場を見れば一目瞭然です。

そこで一案、鐡道ファン以外にも撮影者が集まる、イベント列車を走らす際は、
① 鉄道側で、イベント対応の専門スタッフを置いて、撮影者が集まる所には、配置する。
② ①は、既に実施されている事が多いので、地元鉄道ファンのボランティアを公募して、①とチームを組んで、撮影者側にたっての撮影指導を行う。
③ 肝心なのは、①、②共に同じ場所に同じ担当者が行い、人が替わる度に、規制具合も替わる様な事がないようにする。
④ 新しい試みとして、撮影者が集中する撮影ポイントには、有料のお立ち台を数多く設置する。有料指定観覧席の設置です。今までと違い抵抗はあるでしょうが、京都の時代祭りや大津の花火大会等、毎年設置されています。1番良い場所で見たり撮ったりするには、それなりのお金を必要とするのは、社会的にも通用すると思っています。
有料指定観覧席は、インターネットやみどりの窓口で申し込んで購入出来るようにすれば、前もって撮影場所を確保でき、遠方から来られても、安心です。脚立や大型三脚等の場所取りで、他の撮影者に迷惑をかける事もなくなります。
⑥ ①②のチームで、集中する撮影場所近くには、臨時駐車場を用意する。有料指定観覧席購入者には優先的に提供を行う。

これまでは、イベント列車に乗車される方のみへのサービスばかりが、提案実施され、撮影者対応は、柵を設置したり、警備増強ばかりで、邪魔者扱いのマイナス思考でした。

遠くから撮影を楽しみ来る撮影者の立場に立った、受け入れ体制は、全く検討もされてこなかったように思えます。
そろそろ、マイナス思考は捨てて、積極的に撮影者を受け入れる体制を考慮すべき時がきているのではないでしょうか。

少なくとも、撮影する鉄道ファンは、鉄道を愛しています。意図的に列車を、停めたりしようとはしていません。愛されている鉄道側は、それに答える必要があります。いつまでも、迷惑と思い続けていては、解決にはならないと思います。
今回訪れた絶好の撮影地『西人吉』の混乱振りを見てしまうと、こんな事を思わずにはおられませんでした。



見事な桜並木です。多少注意されても無理しても撮りたくなります。

風が出てきて、煙が流れてしまいました。丸田氏は、これでは写真にならないので、再挑戦すると言っていました。明日火曜日は、SL人吉号は運休日です。明日は、休んでゆっくりすると言われましたが、多分新幹線でも撮るんでしょうね。

この日は、折り返し列車撮影を済ませた後、道を間違えずに追っかけをして、球磨川橋梁を渡る定番撮影地で、丸田氏と一緒に撮影した後、明日の撮影に備えて『道の駅-不知火』に向かいました。今夜もゆっくりと温泉に浸かって、疲れを取りました。


【7906】桜前線追っかけ2010年 Part1 九州編 西人吉

3月19日、桜前線を追いかけて四国へ出発しましたが、開花宣言は、訪中した3週間以前に出たのに、寒い日々の連続で、全く咲いていません。琴電の旧車両運転を撮って、一旦帰宅しました。

毎日のように桜前線の進み具合を見て、スタンバイしていましたが、3月27日に天皇陛下ご夫妻が、我が町に初めて来られることになり、自宅近くを通られる事になりました。天皇陛下万歳で育った老いた母が、どうしても見たいと嘆願します。

日頃、好き勝手に鉄道写真を撮りに出かけていますので、ここで断っては、今後に支障が出るのは、確実です。新たな出発は、通過される日時以降と決めました。

最初の目的地は、芭石鉄道撮影で、出会った大牟田市におられるA・K氏が、薦めていただいた桜並木で有名な『西人吉駅』にしました。日本で初めて量産された8620型が修繕されて2009年4月から『SL人吉号』として、走っています。

8620型を撮ったのは、DRFC合宿で訪れたケ森が初めてでした。その後、何度か撮影をしましたが、大好きな蒸気機関車です。丁度、当日は、同じく芭石鉄道友人のM・O氏が、新幹線に乗って、犬山市から来られるそうです。再会が楽しみです。 記事の続きを読む


【7885】早春の中国一人旅 Part11 鄭州→广州→深圳→香港→帰国

桜前線を九州から追いかけましたが、今年の天候は異常で、雨にもたたられ、中々思うとおりにはいきませんでした。富山から、一旦帰京して、これからどうするか考え中です。まずは、滞っていた、投稿を続けさせていただきます。今回が、最終編です。

第13~15日目 2010年3月14~16日

① 3月14日 郑州16:06-(T255)→3月15日9:48广州
② 3月15日 广州11:18-(D7039)→12:36深圳
③ 深圳14:00-(MTR)→15:00香港→3月16日帰国 
 

郑州では、料金とインターネットが使用できる事を優先してホテルを予約しました。ところがこのホテル、駅からかなり遠くて、楽山同様に不便です。  

夜行列車に乗るので、充分余裕を持って、部屋を出ましたが、雨も降り出し、Taxiがつかまりません。ボーイに依頼していましたが、折角捕まえたTaxiも、横取りが日常的な現地人に取られてしまいました。約30分を経過してもダメです。

ボーイを引っ張って、雨降る道路に出ますが、空車が来ないのでどうしようもありません。その内、時間の余裕がなくなってきました。仕方ありません、超満員のバスに乗って、郑州駅を目指しました。

着いた時は、改札開始直前でした。経済発展が急激に進む中国の主要な都市は、交通インフラ整備の過渡期です。地鉄や市内高架道路の建設を進めていますが、増え続ける車と、工事が重なって、市内は、渋滞続きです。鉄道駅か、完成した地鉄駅近くに宿を確保しないと、無駄な時間と、体力消耗に直結します。分っていても、いつも同じ失敗を重ねていると、悔やみながら、列車に乗りました。

コンパートメントには、既に青年2名と、可愛らしいお嬢様が、入室済みでした。カバンから、時刻表、洗面具等々の夜行列車用の常備物を取り出していると、青年の一人が、『日本人の方ですか?』と、流暢な日本語で、聞いてきました。びっくりしました。

私が、真っ先に時刻表を出したので、そんな物を持って乗車するのは、日本人ぐらいと、直感したそうです。そう言えば、今までに時刻表を持って乗車している、乗客を見た事ありませんでした。

中国鉄路で、夜行寝台列車に乗車して、旅行している日本人は、極めて稀です。切符を購入する事が難しく、限られた日程での鉄路利用は、リスク発生となります。時間のある留学生も安い硬座か、せいぜい硬座寝台です。


乗車すると、列車乗務員が、査証か身分証の確認と、切符と交換に座席証を渡してくれます。

軟座寝台に乗車するとは、いったい何者かと聞いてみましたら、聞いてきた一人は、上海の大学に1年留学した経験を持つ立命館大学生で、もう一人は、高校時代からの友人で、東洋大学生でした。二人で卒業旅行をしていると言います。

立命館大学生の彼も時刻表を持っていました。話をしていくと、彼も鉄ちゃんで、クラブには入っていないが、熱心で中国鉄路通でもありました。切符の買い方で、1号車から順に売っているのは、家族やグループが軟座寝台利用時に同室になれず、乗客通しで席替えの交渉をしている姿をよく見るが、対応できないのかと聞くと、窓口係員は、通常その通りしか行わないが、システム自体は、指定する席の切符を販売できるようにはなっている。試したことはないが、購入時に申し入れをすれば、希望を聞いてくれることもあるようだと、言います。

先日、ご紹介した切符の列車等級別のインターネットで見る残席情報について、信憑性はどうかと聞くと、今回購入する際に、前もって残席数を見た。直ぐに、残席情報を見ると、確かに2席分が減っていたので、これは使えると確認したそうです。
广州に行くのは、私もよくお世話になっている『中国鉄道倶楽部』HPの管理者の方が友人で、会いに行くとの事でした。

発車後しばらくは、彼との中国鉄路談義が続きました。そして、今回訪中する前に、最近の中国鉄路情報として、ぶんしゅう旅日記を参考にさせてもらったと言います。これにもびっくりです。まさか、こんな所で自分の記事を読んでいてくれた人に会うなんて、信じられません。


可愛い中国人のお嬢様は、昨年7月に大学を卒業して就職、广州へは、仕事で出張だそうです。初めて日本人と話すと、えらく感激しています。留学生だった通訳もいますので、食堂車に4人で行って、食べながらお互いで聞きたい事を話し合いました。部屋に戻ってからも、宴が続きました。


翌朝、广州站到着後、駅前広場で『再見』と、次回の出会いがあればと、別れましたが、楽しい時間をいただきありがとうございました。

これから私は、香港圣由で明日帰国です。広州站からは、地鉄で广州東站まで行って、出入国を済ませ、直通列車で香港に入るルートと、運行本数は少ないですが、广州站から深圳站までCRH1に乗って、深圳で出入国して、MRTで香港中心部に向かうルートがあります。


最近は、CRH利用が多いので、久しぶりに直通列車が良いと思いましたが、疲れています。地鉄で广州東站へと向かうエネルギーが残っていませんでした。その代わりに深圳で、いつも行く美味しい飲茶を堪能できました。

深圳で出入国手続きを済まし、香港に入りMRTに乗車するだけで、文明社会に戻ってきたなあとの印象を感じます。それほど、車内の雰囲気が違います。特に今回は、四川省の奥地に行っていましたので、いつもより強く感じさせられました。


芭石鉄道や沙湾の沫江煤電は、ローカル色に富み、忘れていた、ゆったりとした時の流れの中にありました。来年も菜の花の咲く頃に、もっとゆっくりと滞在したいと思いました。皆様方もご一緒にいかがでしょうか。3回目になりますので、次回は、ご案内バッチリで行けると思います。

尚、今回の旅費ですが、下記の通りです。前回は、2名8泊9日間で、一人当たり約167,000円(航空券込み)かかりました。現地では、旅行社を利用したので、高くなるのは仕方ありません。自力で行く場合は、かなり安くなりますが、効率よく動けないリスクもあります。


どちらを優先するかでしょうが、年金生活者の私にとっては、費用を優先せざるを得ません。次回の大地への旅は、新緑の満州奥地を走るSL撮影を目指そうかなと思っていますが、いつも2、3日前に決めますので、予定の未定です。ご同行を希望される方は、いつでも言って下さい。日程は、合わせられます。


【7865】銚子電鉄デハ1001、1002の連結器

長老よりご質問の連結器の件をもう少し詳しく解説したい。

コメント欄でも書き込みした通り、デハ1001、1002は営団地下鉄時代からトムリンソン式密着連結器を装備しているが、ツアー客の増加等により、自連を装備しているデハ701、702(引退済)、801との連結に対応するため、密着連結器の頭にアダプターとして中間連結器を取り付けている。

 

上/デハ1001の外川向き、中/同車の銚子向き、下/連結器の拡大画像

 

上/デハ1002の外川向き、下/同車の銚子向き

画像でお判りいただけると思うがナックル部分が固定のため、自連とは連結できるが、中間連結器同志の連結はできない。 

実際の連結状態の画像は、銚子電鉄のものがないため、旧国鉄時代のもので代用する。少々古いが、クハ47とワ23814の連結状態である。(昭和41年3月10日、移転前の富士電車区で撮影)

 

銚子電鉄の2連は、昨年8月12日付けの書込み「銚子電鉄を訪ねて(1)」に画像を掲載した「デハ701+702」以外乗車したことがなく、旧形車が引退するまでにデハ1001、1002と701、801の新性能車+吊掛車の協調運転に乗車したいと思っている。諸般の事情で果たしてその機会があるかどうかは極めて疑問あるが、元近江鉄道モハ51のデハ701には是非乗車したいと思っている。


【7840】銚子電鉄近況

4月10日(土曜日)銚子電鉄を訪れたので近況等をお知らせする。事前に鉄子色のデハ1002が検査中で旧形が走っているとの情報を得ていたが、銚子駅にはそのデハ1002が停まっていた。運転士氏に尋ねたところ今日から復帰した。客が増えれば、デハ701を増結に使うかもしれないとのことであった。

今回は成田で113系の成田空港行を駅撮りするため成田線回りで行くことにして、最寄り駅6時59分発の電車で出発した。松戸、我孫子とタイミングよく乗換え、成田に8時10分に到着し、113系8連の8時13分発成田空港行の発車を撮影した。この電車も近々京浜東北線から来た209系に置換えられてしまうのであろう。8時18分発銚子行は113系4連であった。下総神崎で「あやめ4号」と交換したが乗客は疎らであった。そもそも鹿島神宮~東京間は10~20分間隔で高速バスが頻発しており勝負にならない。その高速バスでさえ、公共交通機関を無視した「高速道路1000円」の愚策の影響により乗客が減少していると言われている。銚子には9時48分に到着し、すぐ接続の9時50分発の外川行の電車(デハ1002)に乗車した。

 

成田駅を発車する成田空港行1431M

 

成田~銚子間を乗車した2433M/下総神崎駅で特急「あやめ4号」と交換待ち 

外川駅の留置線にはグリーン塗装のデハ2001+クハ2501が停められており、パンタを上げれば直ぐにでも走りそうな雰囲気であった。また、奥の方には1月23日にさよなら運転を行ったデハ702がユ101と連結されて停められていた。デハ702は一時期ネットで売りに出されていたが、買い手はついたのだろうか。これらの車両を撮影後、次の電車で君ガ浜まで戻り、海鹿島との間で約1時間撮影して本銚子に移動した。観光協会のおばさんが乗車しており、沿線のガイドと共に「この電車は東京メトロさんから譲り受けました」と説明していた。「東京メトロとちゃいまっせ。営団地下鉄でっせ」と突っ込みを入れる客がいないか心配したが、そのようなことはなかった。その後、仲ノ町車庫、笠上黒生駅の交換風景を撮影後、211系5連のロングシート車で来た道を戻った。

 

外川に留置されているデハ702+ユ101 

新車について

デハ2001+クハ2501は外川駅に留置されているが、終電後に試運転を行っているようである。デハ2002+クハ2502も整備が完了し、パンタを上げて仲ノ町車庫に留置されていた。塗装はアイボリー一色で、東武熊谷線キハ2000形のような感じである。諸般の事情で営業運転の開始が遅れているが、4月28日に笠上黒生駅のホーム伸延工事が完成すると営業運転に入るのではないかと思われる。

 

外川駅に留置されているデハ2001+クハ2501

 

整備が完了して仲ノ町車庫で待機中のデハ2002+クハ2502

 

ホームの伸延工事が行われている笠上黒生駅、完成は4月28日の予定である。

旧形車について

デハ1001、1002、701、801の4両が稼働しており、通常はデハ1001、1002が使用され、ツアーの団体客等で客が多ければデハ701、801が増結される。1001、1002のいずれかが検査等に入った場合は801が使用されることが多いようである。10日から12日にかけて、20年に1度の「銚子大神幸祭」が開催され、11日の祭りのメイン会場が外川であったため、朝から夕方まで全列車2連(デハ701+デハ1001・デハ801+デハ1002)で運転された。ちなみに訪れた10日のメイン会場は、成田線の下総豊里駅と総武本線と成田線が分岐する松岸駅付近であった。事前に情報をキャッチしていれば、1日ずらして11日に訪れたのに残念であった。

デハ701と801は「ラストラン」のシールが貼られており、ゴールデンウィーク期間中に「ラストラン」が実施されるのではないかと思われる。デハ1001、1002は新車稼働後も引き続き使用されるが、夏季を中心に稼働日は減少すると思われる。しかし、団体客がない時は単行でも十分まかなえるため、冷房が必要でない時期を中心に使用されるものと思われる。

 

ラストランのシールがついたデハ701

 

デハ801のラストランシール

 

キャベツ畑を走るデハ1001/君ヶ浜~海鹿島間

 

犬吠埼灯台をバックに走るデハ1002/君ヶ浜~海鹿島間

 

本銚子~笠上黒生間の切り通しを走るデハ1001

ダイヤ改正について

3月13日のJRのダイヤ改正に合わせて当線でも実施された。それにより早朝、深夜を除き、銚子、外川発が毎時20分、50分に統一され、非常にわかりやすくなった。笠上黒生駅での列車交換は、従来通り外川行が先着する。

 

その他

デハ701は昭和53年に近江鉄道から入線以来32年間、デハ801は昭和61年に伊予鉄道から入線以来24年に亘り活躍を続けたが遂に引退の時期を迎えた。特にデハ701は近江鉄道縁の車両であり、近江鉄道時代に乗車、撮影された方もおられるのではないだろうか。

 

デハ701の近江鉄道時代/上 昭和40年1月6日彦根、 下昭和47年9月9日貴生川(モユニの代わりに郵便車として使用されている)

鉄道の車庫は基本的に部外者立入禁止で、見学は年1回の一般公開時以外は不可能であるが、有難いことに仲ノ町の車庫は入場券を購入すれば見学が可能である。

2月26日から27日にかけて583系が両国~銚子間を団体臨時列車で運転され、撮影に行かれた方もおられると思われるが、銚子電鉄でも記念入場券を発売中である。仲ノ町駅で購入すれば、車庫見学も可能である。

見学、撮影に行かれた時は、記念乗車券、家族へのお土産に濡れ煎餅、観音駅の鯛焼き等を購入して、わずかでも収入に貢献していただきたいと思う。

 

仲ノ町駅の入場券

 

時々デザインが変更されている一日乗車券


【7833】江若鉄道白鬚駅復元工事(その4)

ハフ3両

ハフ3両

ハフ8
ハフ8

白鬚駅工事の木工と粘土細工に少々飽きてきて いつでも窓抜きから始められるように書きためてあるペーパー車体の材料が気になって 浮気をして1両だけ ハフ8を作りました。昔からですが なぜか気動車のトレーラー(国鉄ではキサハ04とかキクユニ04とか)が好きで 江若でもすでにハフ2、ハフ3が完成しており その流れでハフ8となった次第。模型的にはありふれたペーパー車体で 2週間ほどで完成しました。トレーラーばかりが増えて 動力車が増えてないので運用に困りますネ。次はキハ5121-ハ5010-キハ5122の3連をやっつけるつもりですが、特にハ5010は窓抜きがうんざりしそうです。と言うようなことで白鬚駅の工事は足踏み状態です。いまだに松の木をどのように作ろうかと名案がないのも 工事が進まない理由かも。


【7806】早春の中国一人旅 Part10 楽山→成都→西安→郑州 鄭西高速鉄道

ベトナムのハノイ~ホーチミン間を結ぶ高速鉄道は、日本の新幹線の採用が、閣議決定されたそうで、東南アジア好きの私としては、嬉しく思っております。

第11・12日目 2010年3月12・13日
① 3月12日 楽山ホテル13:00-(マイカー)→13:15楽山客運站
② 3月12日 楽山客運站14:00-(バス)→15:15成都石羊客運站
③ 3月12日 成都石羊客運站15:20-(Taxi)→16:45成都鉄路站
④ 3月12日 成都21:20-(K6)→12:15西安
⑤ 3月13日 西安14:50-(G
2008)→16:48郑州  

今日は、成都に戻って、夜行寝台列車で、西安に向かいます。昨夜から、インターネットニュースで、しばらく空白だった、世間の動きを見ていました。チェックアウト12:00まで、ずっと世間に合せるまでの準備時間です。

別に、何も知らなくとも生きていけるでしょうが、マスコミ報道に毒された現代人の悲しさを、感じます。在職中にマスメディアに携わった事が、良かったのか、悪かったのか、答えはありません。

ホテル前に出ましたが、結構広い道路なのに、昨日同様にタクシーが走っていません。ホテルの従業員も出てきて、停めようと協力してくれますが、空車が来ないので、どうしようもありません。最後は、支配人まで出てきてくれて、結局、マイカーで近くにあるバスターミナルまで、送って下さいました。今日も、感謝、感謝です。

しかし、ここから乗車したバスは、成都まで約50km手前の、空港近くの石羊客運站までしか行きませんでした。繁華街方面にある楽山肖埧站に行かなければ、来る時に乗車した成都旅游客運中心站行きバスには、乗れなかったのです。

仕方ありません。タクシーで、成都鉄路站まで向かう事にしましたが、高速道路は、事故で大渋滞、站手前も全く動けないほど渋滞で、たっぷりと時間がかかりました。バス代44元=約616円に、Taxi代116元=約1.624円が余計にかかりました。

しかし、夜行列車の発車には、十分すぎる時間がありました。楽山で、もう少し時間を過ごしても良かったですね。
重い荷物があるので、動けません。駅前食堂に入って、名物料理をあてにして、冷えたビールを飲み続けました。

発車2時間前には、駅前の乗客用のテント内で、パソコンを取り出して、映画を見ながら待つ事にしましたが、周りの様子は、準特急さんなら卒倒する光景です。春節で田舎に帰った出稼ぎ労働者が、これでもかとの荷物を持って、テント内にたむろしています。

こんなに混んでいるので、武昌站同様に、1時間前からやれば良いと思っていましたが、発車40分前の改札になりました。狭い通路に、たくさんの荷物を持った、出稼ぎ客は、殺到します。

今宵のコンパートメントの同室は、おばあさんとお孫さんです。お母さんが、見送りに車内まで来ていました。聞けば、ご主人と、西安から、成都に出稼ぎに来ていて、子供を実家に預けるそうです。まだ、オムツの取れない幼児で、列車が出る際に、お母さんが流した涙に、内陸部の生活の厳しさを感じました。上段は、終点まで、空席でしたので、ゆっくりとできました。

すれ違った列車の行先表示板の数々、この時期は、『臨客』が、結構走っています。大概、恐ろしく遅いらしいです。日本の鉄道は、通勤ラッシュ対応で車両が必要ですが、中国鉄路では、春節対応での機関車と車両が必要です。


西安站出口を出ると、人盛りです。城壁都市西安のとおり、駅の前は城壁です。

翌朝、K6次は、55分遅れで西安に到着しました。この站で、2月6日、中国第3番目に開業した350km/hで走行する中国版新幹線、鄭西高速鉄道に初乗車します。

他の新幹線と違ってこの路線は、始発・終点共、在来線站から発着します。乗換えには、とても便利です。
一旦、西安站を出ました。駅前広場は、ここも春節で出稼ぎ先へと戻る、人民で大混雑です。

美味しそうな西安のファーストフードです。下の缶に炭を入れて、冷めないようにしていました。焼飯がこんなふうに一挙に作って、売っているのは、初めて見ました。右側は、パンと中国風ハンバーグです。どちらも2~5元。昼飯にしました。


郑州行きの待合室は、新調された制服の係員が、切符をチェックします。無料の水も配布されます。

勿論全て、買い込み待合室に行きました。ここでも、専用待合室があり、綺麗なお嬢さんが、改札をしています。飲料水は、ここでは、切符を見せて受け取ります。

久しぶりの、CRH2Cとの対面です。これからの高速車両の増車は、約900両。その内6割は、CRH2Cです。これを見ても、他社と比べて、使ってみての優秀性を認めている事が分ります。

乗車改札は、20分前に始まりました。出稼ぎ列車とは違って、皆さんゆっくりとホームに降りて行きます。
待っていたのが、『はやて』の改良型のCRH2-092Cの8両編成です。
ZE209200+ZY209207+ZE209206+ZEC209205+ZE209204+ZE209203+ZE209202+ZE209201

やはり、日本人です。CRH2Cに乗車すると、不思議と、落ち着きます。
G2008は、定刻14:50に発車、直ぐに在来線と離れて、高速専用線に向かいます。高速線には、西安新站が建設中ですので、在来線からの乗継は、しばらくの間の暫定と思われます。


しばらくすると、客室乗務員のお嬢さんが、飲み物とお菓子を配って来ます。制服は、各鉄路局によって、違っています。


列車は、速度を上げ300km/hを突破して快走しますが、勾配もあり、350km/hには、中々到達できません。豊かな緑があった武広高鐡路線と違って、車窓には、樹木が生えていない黄土地帯が続きます。


350km/hの瞬間! 1等車には、ヘッドフォンも備え付けられていました。

乗車1時間12分後に、ようやく350km/hに到達しました。飛び去るように消える車窓は、日本では経験できない異次元の世界です。武広高鐡で経験した、ビリビリ振動はなく、さすが、『はやて』です。

上海~北京間に走りには、窓配置とシートピッチが合わず、和階がないが、パワーに優れたシーメンスのCRH3を採用するのか、経済性と居住性に優れた和階を満たす『はやて』CRH2Cが選ばれるのか、楽しみです。

505kmを1時間58分表定速度256.8km/hで走行したCRH2Cは、郑州に、定刻の16:48在来線の郑州站に、到着しました。郑州に下車するのは、初めてです。北京西站~九龍站の京九線2,475kmの内、北京西站から689km、黄河の南岸に位置します。南北鉄路の交差点にあり、交通の要所です。

郑州は、中国各地の主要な街と同様に、地鉄の工事中です。丁度夕方のラッシュで、乗ったタクシーも渋滞に巻き込まれて、ホテルには、中々着かずでした。

明日も、广州まで、夜行寝台列車の旅が待っています。明日の出会いは、どんな方なのか、これも旅の楽しみです。今夜も、街をうろつき、B級グルメに舌打ちました。


【7793】調兵山再訪とパシナ

 4月8日から4日間、1年半振りに旧満州(中国東北部)の遼寧省瀋陽、撫順、調兵山、大連を訪問したので簡単に報告する。

 

<撫順炭鉱の電車は絶望的>

 前回訪問時は運よくジテが現れたが、今回はジテどころか2枚窓の通常見られる電車でさえ、朝出て夕方戻る1往復のみ。露天掘りの中をのぞくと運炭列車がまだ見られたが、市内電車は絶望的で、以前、ぶんしゅう氏が決死の撮影をされた留置線への立ち入りは中国人ガイドが飛び込みで交渉したが断られる。このガイド氏は中国人鉄ちゃんでノート型パソコンに収めた作品を自慢げに見せてくれる。彼が言うには運炭列車は撫順駅国鉄線に向かう列車が集約する東崗駅付近がかなりの本数を稼げる場所とのこと。実際彼の言う通り頻繁にやってきた。

2010.04.08 車庫駅に留置中の本日運行の電車

2008.04.08 車崗駅の電気機関車1522

 

<減っていた鉄媒集団の蒸機>

 調兵山は瀋陽から北へ車で約2時間の所にある。上遊型蒸機は1771のみ稼動。翌日、機務段(機関区)では1770が検査中で、午後から稼動したので2両を見たのみである。また、以前イベント等で稼動していた1943年アメリカのリマ社製KD6-487は香港の映画に出演するとかで動かすことはできないが、蒸気をあげた状態でいた。翌9日は朝から雪化粧で久し振りに蒸機牽引客車列車撮影を楽しんだ。調兵山近郊は炭鉱地帯でボタ山があり、複線もあり、線路配置が複雑であることは、かつての九州筑豊地方を思い出させてくれる。

2010.04.09 7:20 雪の複線区間三家子~調兵山を行く301列車大青行き

2010.04.09 暁南~橋南を行く203列車調兵山発暁南行き 

2010.04.09 15:15 三井~暁南 ボタ山をバックに築堤を登る105レ大明行き

2010.04.09 大青機務段 アメリカ製KD6-487 煙が上がっているが動かない

2010.04.10 調兵山 上遊型1771 10日朝快晴となり、形式写真撮影

 

<哀れなパシナを見る>

 大連では日本製の市電は健在である。低床式の欧州スタイル新型車よりずっと数多く見られた。今回はその写真は割愛する。さて、最後の11日は満鉄(南満州鉄道株式会社)大連の扇形庫に残るアジア号牽引機パシナ757を見学した。庫から顔を出した状態で、ほこりだらけで運転室はゴミだめのような感じ。2メートルの大動輪もグリスが固まってしまっており、全体撮影は到底無理。かつてアカシアの大連から奉天(瀋陽)、新京(長春)と満州の平原を表定速度82.5Km/h、最高速度130Km/hで駆け抜けた機関車にしては寂しいものを感じた。アジア号は後にハルビンまで延長された。黒龍江省出身のガイド氏によるとパシナはここの他に瀋陽と黒龍江省の黒河と言う所に残っているとのこと。瀋陽のパシナは98年に瀋陽郊外の蘇家屯の陳列館で撮影したことがあるのがそれで、屋外のため、風雨にさらされてこれも惨めな状態であったが、全体が見えるので参考にのせてみた。

2010.04.11 大連 パシナ757はこのような姿で保存されていた

1998.07.01 瀋陽郊外蘇家屯機関車陳列館 パシナ751

 <最後に>

 満鉄と言えば星名秦先生を思い出す。京都帝国大学を卒業後、満鉄の技術者となる。戦後、同志社大学工学部教授となり、学長になられた。星名先生が有名なのは京大時代から卓越したラグビーの選手であり、指導者であったことである。同志社に来られてからは同志社ラグビーを育てられ、岡仁詩元監督は教え子であった。関東の早慶明を相手に三連覇したのはもう遠い昔のことである。最近の同志社ラグビーの体たらくは岡仁詩先生とともに嘆いておられることと思う。その星名先生は小生の記憶では、同志社大学鉄道同好会の顧問か相談役になられていた。当時の青信号の会員名簿の最初にお名前を拝見したような記憶がある。このあたりの事情をDRFC生みの親(本人はそうでないと否定されるが)であり、、育ての親である元電車少年さんにご教示いただければ幸いである。


【7731】早春の中国一人旅 Part9 沙湾の沫江煤電

第10日目 2010年3月11日
① 安逸158連鎖酒店10:30-(Taxi)→11:10沫江煤電草埧站
② 草埧站13:00-(沫江煤電)→13:15老礦站
③ 老礦站13:20-(沫江煤電)→13:35草埧站
④ 草埧站17:10-(Taxi)→17:50楽山市内繁華街 

今日は、楽山の中心部から、約30キロの沙湾区にある、芭石鉄道と同様のナローゲージ石炭輸送鉄路、沫江煤電を訪ねます。蒸気は、走っていませんが、可愛い電気機関車がいるそうで楽しみです。  

沫江煤電へは、先日に芭石鉄道の石渓站行く時に乗った、タクシーを一日貸切しておきましたので、ゆっくりと安心して撮影できます。ノートにホテル名を書いて見せておいたので、大丈夫と思っていたのですが、参りました。ホテル前の道路には、代わりになるタクシーが走っていません。30分で着くと言う言葉を信じて待つことにしましたが、来たのは2時間近くしてからでした。

眠江沿いを走り右折、工場の門を越えて、急坂を登ると、沫江煤電草埧站です。駅名版は、立派な石製です。  
  

沫江煤電までは、約40分で着きましたが、案内表示も無く、運転手も初めて来たそうで、近くに来てからも、かなり迷いました。なければ、帰りが、大変だったでしょう。チャーターしていて良かったです

まあ、こんな光景もあるものだと思うノスタルジックな雰囲気が、漂っていました。運転手に帰りまで待つように言って、見学の開始です。

まずは、時刻表探しです。ホームをウロウロすると、売店の柱に2010年1月1日現在時刻表が貼ってありました。インターネットの訪問記事に出ていたのと違って、運行は減っています。

残念ですが、午前中の便は、もうありません。午後からの便も、向陽線は、遅くになり18:00までに、交代のため帰りたいと言う運転手の都合上、乗車できません。
最初に来たのは、可愛いレールカー。貨物牽引や職員輸送用に使用されています。

站の終点側に進むと、凸型電機見えました。

ZL14-1型の運転席と取り付けられていた機関車の主要諸元表です。粘重は、14トン。定格出力は、156KW。定格引張力3200kg。運転速度は、15.8km/h。
電気方式は、直流550V。762㎜ゲージ。製造番号は、80-11-129。製造は、1980年11月となっています。

站の終点側には、ホッパーがありました。セキは、豪快に満載の石炭を落としていました。

站下の市場内の食堂。蒸篭蒸しにしてあるのが、左上の肉料理。B級グルメですが、全部で、10元=約140円と、安くても美味しい! 

草埧站構内を一通り見て回った後は、13:00発老礦行き乗車のために近くの市場に寄って、中の食堂で、地元民が食べているおかずを指差しながら、注文しました。 


車両は、7両ありましたが、発車の間際に連結ピンを抜いて3両編成になりました。2車両が通り抜けができるように、連結部に鉄板が置いてありました。

13:00、噂の鳥かご列車に乗って、出発です。列車も色々と乗りましたが、座席がなく、格子に囲まれた車両は、初めてです。家畜車のようでもあります。風通しは良いし、見通しは良いし、座席のないトロッコ車両です。

ご丁寧に、1元切符を5枚渡してくれます。

発車すると、直ぐに列車乗務員のお姉さんが、運賃5元=約70円を徴収に来ます。列車は。直ぐにトンネルに入りますが、芭石鉄道同様に車内灯はありません。


トンネルを出ると、踏切があり、過ぎると、老礦線(約3km)と向陽線(約9km)の2線に分岐します。

8分で新井炭鉱站に到着し、石炭列車との交換がありました。新井炭鉱站からは、本線から直角に坑道に向かってトロッコ路線が延びていました。

新井炭鉱站から谷あいを走り、7分で、終点の礦站に到着しました。ここで、ELは側線を利用して、折り返し、草埧站方向に移動します。停車時間は、5分。直ぐに折り返します。

折返しにも乗車して、草埧站に戻り、向陽線は、長いが行ける所まで、歩いてみようと、13:35、トンネルに向かいました。

トンネルには、一応歩道もあって、電灯も設置されていて、そこには非難所もありました。分岐側の出口には、おばさんが座っています。多分、トンネル番なのでしょね。

14:05、歩き始めて約30分、向陽線を歩いていくと、線路際に小さな商店があって、前のレール内に椅子を置いて、のんびりと、レール端会議の真っ最中です。

横を通ると、何処から来たと、直ぐに声をかけられ、椅子を出してくれました。次の列車は、いつ通過するのか、聞いてみますと、4時と言います。2時間近くあります。お招きに甘えて、座らせていただき、しばしの休憩です。

14:35、お話をする事約30分、突然におばさん達が椅子を持って、移動しました。すると、かなたからレールカーが、荷物車を牽引して、やってきました。不定期列車が、こんな風に走っているのでしょう。見ていると、U字型カーブを大きく曲がって、段々畑の谷の反対側を走って行きました。

14:53、再び歩き出し、U字型カーブを回りきった辺りで、空車の石炭列車が登って来るのが、見えました。急いで、菜の花畑を入れてシャッターを切りました。

先へと進みますが、ぼちぼち折返しが来る時刻です。今までロケハンをした所のモニターを見ながら、選択しますが、中々決まりません。芭石鉄道と違い、これはと思う場所にある電柱が邪魔するのが、原因です。

15:04、それでも、何とか選びましたが、貨物列車は、時刻表がないのと、近くに来るまで、走行音が聞こえないので、待つのが大変です。辛抱強く、約40分待ちました。


15:44レールカーが、空車の荷物車を牽引して来ました。次の列車は、別の場所で撮ろうと、移動準備をしたら、1分後に石炭を満載した貨物列車が来ます。びっくりしました。

石炭列車には、貫通ブレーキがないため、2~3名程度のブレーキ係員が乗っていました。

ここでは、閉塞区間はありません。路面電車なみの、直ぐの続行です。単線ですので、交換駅での連絡は、一体どうしているのでしょうか? まあ、速度も15km/h前後で走っていますので、路面電車同様に、急な場合の停車は、問題ありません。

運転手から、17:00までに帰ってくれと、携帯電話に連絡が入りました。次は、来ないだろうと、これで、引き揚げです。16:20、約30分強で、トンネル前に着きました。

最後に老礦站16:10発の客車列車を撮ろうと分岐点で待ちました。すると、16:27向陽線から、レールカーが牽引する貨物列車が下りてきました。よく見ると、これが、地元民と話をしていた時に来た列車です。

トンネル前の分岐点で、なぜか停車します。16:28、トンネルから、新井炭鉱行きの石炭列車が、空車でやってきました。


新井炭鉱站で交換した鳥かご列車は、約20分遅れ、8両編成で満員の乗客を乗せてやってきました。丁度、下校中で家路へと、犬走りを歩く中学生と行き交いながら、下りて行きました。

トンネルを抜けて、草埧站に着くと、待っているはずのTaxiがいません。こちらのTaxiは、昼夜交代制です。支払はしていませんので、もしもの場合は、歩けば良いと思って、電話をしましたら、慌てた様子で帰ってきました。

その間に、10分遅れの16:50発の向陽行きも撮れました。3両編成でした。17:00発の老礦行きは、8両編成で準備中でしたが、発車遅れのため、撮れませんでした。

17:00発の老礦行鳥かご車両です。昼間と違って、中学生等の若年層が多い。
 
これから来られる方は、8:00発の向陽行きに乗車の上、車中からのロケハンをしてからをお薦めします。

運転手に楽山の繁華街での下車を依頼して、帰路につきました。楽山の繁華街は、B&Cグルメの宝庫で、地元の高校生と並んで、ファーストフードを食べて堪能しました。

楽山と言えば、世界遺産の楽山大仏が有名で、観光地です。ここでの、グルメは、ナマズ等の川魚料理を勧められますが、実はもっと美味しいものがあります。
中国各地で、B&Cグルメを探しますが、楽山は、今までで1番です。ご覧ください。

鳥料理も美味しいです。饅頭も色々とあります。

蒸し料理も犍為以上にたくさんあります。ちまきの中は、お餅です。麺も絶品です。

左下が有名な、串料理です。右下は、学生に大人気のピザ風のオープン料理です。上は、蒸し物で、これも美味しい。

これも、また美味しい! ミンチ肉を中に入れて、揚げて焼きます。そして、これらは、1~6元程度です。高い魚料理は、200元以上です。皆さんは、どちらを選ばれますか? 
芭石鉄道に行かれる際は、楽山にも立ち寄られて、沙湾のナローゲージと、楽山ならではの美味しいB&Cゲルメもお楽しみください。

繁華街から、自転車タクシーでホテルに向かおうとしましたが、遠いので誰も行ってくれません。タクシーも行くと帰りの客が拾えないので、乗車拒否です。

こうなれば、タクシーに乗ってから、無理やりでも行かすしかありませんでした。楽山に宿泊する際は、市内中心部をお薦めします。


【7718】工房便り D50の制作(3)

前回の投稿からあっという間に一月経ってしまいました。前回までで足回りの目処が立ちましたので今回は上回り、主として給水加熱器回りの太いパイピングを中心に、それに関連する工作をご紹介します。苦労して叩き戻したサンドドームでしたが、どうやら高さも高すぎたようで、結局約1mm高さを低くしました。幸い、断面がほぼ同じ部分がありましたので水平にスライスし、再度ハンダ付けで接合しました。ただしこれも1度では決まらず、2回切り接ぎましたのでご覧の通り、継ぎ目が現れています。同時にロストワックス製の蓋と砂撒き管元栓をつけておきました。なお、当社では煙突、ドーム類などに限らず、可能なパーツは出来る限りねじ止めするように心がけています。手順によってはあとで取り外す必要がでてくるからです。

シリンダーブロックの側板にシリンダ排水弁をつけ、シリンダーブロックに仮留めしたところです。ご覧のようにロストワックス製のこの排水弁はとても良く出来てはいるのですが、強度不足でご覧のようにすぐに曲がってしまいます。スケールだけを重視した製品にありがちなこの問題は困ったもので、後日裏側に補強を添えることにします。

フロントデッキには給水加熱器がつきました。ネジの頭が見えていますが、パイピングで隠れてしまうでしょう。シリンダーブロックの真上、ランボード上に突き出しているものはD50特有のバイパス弁の一部です。通常のデフレクターなら省略しても隠れてしまうところですが、門鉄デフではそうはいきませんね。ただし、少々オーバースケールとなっています。

非公式側、給水加熱器へのパイピング中。蒸気管、給水管は布巻きを模した製品で、B6では極薄の帯を真鍮線に巻き付けましたが、ショップでこれを見つけ、今回使ってみました。缶廻りのパイピング が終わっていないので、ハンドレールはノブに差し込んであるだけです。そのため、管支えの位置もずれています。
煙突は実物同様少し延長してあります。7mmのパイプがジャストフィット。前照灯も250Wの大型を奢りました。
ボイラーサイドの給水用逆止弁は下側から入って横に出るタイプ。長い間パーツ箱を暖めていました。

公式側。逆転棒、缶梯子、冷却管、そして砂撒き管もつきました。

これで随分出来て来たように見えますが、まだまだ工作が 残っています。キャブ下の主台枠後部が最大の難関です。次回は従台車廻りと共にご紹介しましょう。(つづく)


【7708】早春の中国一人旅 Part8 芭石鉄道 菜子坥→楽山

第9日目 2010年3月10日
① 蜜蜂岩站6:32(第1次)→6:47蜜蜂岩站
② 菜子坥站10:20-(バイク)→10:25蜜蜂岩站
③ 蜜蜂岩站11:30-(第2次)→11:40躍進站
④ 三井バス停12:00-(バス)→12:35犍為バスターミナル
⑤ 犍為バスターミナル13:00-(白Taxi)→14:30楽山市
⑥ 楽山市14:30-(自転車Taxi)→14:50安逸158連鎖酒店

蜜蜂岩站で撮影すると言うご両人を残して、始発第1次に乗車して、菜子坥站で降りました。ロケハンでマークした3ケ所での撮影です。

今日は、楽山市のホテルに予約を入れていましたので、余裕を持って、菜子坥站11:28発の第2次下りの乗車する必要性があります。3ケ所を撮るには、貨物列車の運行が必要不可欠ですが、前もっての確認方法が分りません。

芭沟であれば、踏切番か、トンネル番を探せば、少なくとも当日の運行情報は、分るはずです。菜子坥もスイッチバック站ですので、駅員に聞けば、この日の運行ぐらいは、確認できなければおかしいと思いますが、聞いてもはっきりとした返事が、返ってこないのです。

私が中国語堪能でないから、正しく質問して、正しく聞けていないのかと言うと、そうでもありません。1月に来た時に旅行社の通訳が質問した時も、走ると聞いた観光列車が、実際は運休でした。どうすれば、分るのか、今回も課題として残りました。


7:45、気に入っていた菜子坥站~仙人脚站で、第1次下りを撮った後、登って来るであろう石炭列車を待ちましたが、推定通過時刻になっても汽笛すら聞こえません。蜜蜂岩站にいる、ご両人の通訳の鄧さんの携帯に電話しますと、今日は、登って来ていないとの返事です。

仕方がありません。お腹がへっていたので、菜子坥站近くの部落に入り、麺を美味しそうに食べていたおばちゃまに、同じものを作って欲しいと頼みましたら、『いいよ』と、気楽に引き受けてくれました。
一応、10元=約140円を支払いましたが、家庭料理で大変美味でした。


10:22、
芭石鉄道での最後のカットを撮った後、民宿の主人に電話して、前回乗ったバイクでの迎えを要請しました。
快く要請を受けてくれたご主人のバイクにまたがり、約3.5キロを下りました。途中で、ご両人と通訳に会いましたが、すれ違いで言葉を交わす事ができなく、挨拶だけでした。歩けば、40分以上は、必要ですが、線路横の犬走りを走り、約15分で到着しました


余裕を持って11:30発の第2次に乗車できましたが、これからが、また大変でした。終点の石渓站からバスは遠いので、1つ手前の躍進站で下車しました。楽山に行くバスターミナルのある犍為まで、小型バスが走っています。

バスに乗って、犍為バスターミナルまでは、約30分強です。小型バスので、犍為に近づく度に、乗客が乗り込み、超満員になりました。

1月に宿泊した犍為は、田舎町かと思っていましたが、昼間見ると、通りには、食堂や商店、人も多く、活気のある大きな街です。聞けば、人口約60万人と、言っていました。

着いたバスターミナルは、引っ切り無しにバスが発着して、待合室は大混雑です。丁度、昼飯時なので、ターミナル前のリヤカーの屋台を覗いて見ました。熊笹に巻かれたお餅がありましたので、直ぐにゲットしました。初めて食べましたが、これが中々美味しいのです。追加をして、満腹になりました。

こんな所で、日本人が食しているのは、珍しいのでしょう。周りを取り囲むように、おばさん達がやってきて、いろいろと聞きますが、残念ながら、さっぱり分りません。

白タクの客引きも来て、楽山まで相乗りで、20元=約280円で、どうかと聞いてきます。来る時は、260元=約3,640円でしたので、これは、格安です。直ぐに、荷物を持たせて、車に行きました。車は、しばらくすると、発車しましたが、ゆっくりと走り、相乗り客を探しますが、中々いません。

犍為郊外にある眠江の橋を渡って、運転手が諦めかけた時に、ようやく客が見つかりました。工事中で渋滞する楽山までの国道を走り、1時間半で楽山市内に入りましたが、運転手さんホテルが分りません。

どうするのかと思ったら、自転車タクシーを呼び止めて、乗換えです。約15分の乗車で、14:50に、ホテルに着きました。芭石鉄道も蜜蜂岩站から、約3時間20分の所要時間でした。

このホテルは、インターネットが無料で使用できます。まずは。久しぶりにシャワーで、身体を洗って、衣類の洗濯と、仕切りなおしをしました。

ただ、このホテル、楽山の市内から遠くにあって、周りには、酒屋があるだけで、食堂も商店も見当たりません。C級グルメを諦め、ホテル内のレストランで、夕食を済まし、明日の沙湾行きに備えて、石渓に行く時に乗ったタクシーへ、一日貸切の予約を入れました。