桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part6 城端線

昨夜は、早寝して試合開始直前に起きて、TV放映を見だしましたが、途中で夢の世界に入ってしまいました。早朝に感激の再放送を見ながら久しぶりの快感に酔いしれました。ワールドカップ1勝、おめでとうございます。「はやぶさ」の成功といい、奇跡的な歓喜が続きますね。

第4日目 2010年4月20日
昨夜の温泉は変調をきたしていた身体を解すには最高でした。今日はゆっくりと目覚め、海を見ますが、昨日夕方に城端線では見えた立山連峰は、ここからでは見えません。朝のTVの天気予報は昼から雨です。空は今にも降りそうな重く厚い雲に覆われています。

城端線に向かって伏木駅付近走っていますと、海の向こうに残雪の立山連峰が現れだしました。待ちに待った光景です。急いで、ぶんしゅう7号をUターンさせて、撮影ポイントの雨晴付近まで引き返しました。
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阪堺 第12回 路面電車まつり

 去る6月6日、同中時代からの鉄友と午後に阪堺電気軌道の第12回「路面電車まつり」をちょこっと覗いてきました。

 勿論お目当ては「黄色赤帯塗装の都電色」であります。

都電色の502と旧塗装の163

都電色の502と旧塗装の163

 当初モ501形に似合うのかな?と危惧しておりましたが、意外というか、これも良いのではないかと思わず納得してしまいました。
 リバイバルカラー車と比較しても、それはそれなりに良くあっております。

リバイバルカラー 504

リバイバルカラー 504

 当日は好天に恵まれ、幼児を連れたお母さん達が大層目に付きました。最近流行のママ鉄なんでしょうかね~。

 もう動かないデト11は、イベントの舞台として活躍。廃車後は、代わりに電動客車で台車を牽引しているらしい。

デト11

デト11

 元京都市電の256号は引き出され写真を撮りやすくされていました。当車は個人の所有とか。

元京都市電256

元京都市電256

 乙訓の老人好みのTR-1とTR-2は定位置にて鎮座。

TR-1 TR-2

TR-1 TR-2

 帰りに高架工事が始まった南海本線浜寺公園駅、諏訪ノ森駅を訪問。それぞれ阪堺線浜寺駅前、船尾より徒歩数分です。何れも見所一杯の駅が、なんの変哲もない高架駅になりますので、今のうちにぜひどうぞ。

事��告知看板

事業告知看板

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part5 万葉線

丁度明日、6月12日(土)は、万葉線電車祭りです。
場所;米島口本社、開催時間;10:00~15:00、行って見てください!
http://www1.coralnet.or.jp/manyosen/news/img/roden.pdf

第3日目 2010年4月19日

① 米島口14:53(万葉線)→15:12高岡駅前
② 高岡15:38(339D)→16:27城端16:34(342D)→17:20高岡
③ 高岡駅前17:33(万葉線)→17:51米島口 
6:00、今朝も立山連峰は見えません。それでは、今日は、昨日の予期せぬ身体の変調を考慮して、ゆっくりとしようと思いました。
▲ 道の駅氷見は、氷見漁港内にあります。月曜日とあって、早朝から小型・中型漁船が戻ってきて、全国でも有数の好漁場、富山湾のとれとれの魚の水揚げをして、種別分けをしておられます。
富山湾は、暖流が流れ込むと共に、水深は1,000mを越えての深層水に、北アルプス立山連峰から6河が流れ込むプランクトンが豊富な環境によって、約500種類もの魚の宝庫となっています。

この時期は、世界中でとれるのは富山湾だけのしろえびをはじめ、ほたるいか氷見鰯と評されるイワシ類が有名で、夏はマグロ、冬は全国一と知れ渡る寒ぶり甘エビ等々季節を問わず魚好きを唸らせます。海流を利用した定置網漁法が主流で、停泊船舶数は小型船中心で、約150隻だそうです。 続きを読む

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part4 のと鉄道

第2日目 2010年4月18日

① 越中国分7:09(525D)→7:21氷見7:29(524D)→7:41越中国分
② 能登中島13:28(135D)→13:41能登鹿島15:16(140D)→15:29能登中島

9:00雨晴駅付近での撮影後、富山湾に沿った160号線を七尾市方面に北上しました。
カーブ高低差の多い道路ですが、ベタなぎの湾内は静かで、運転していてもすがすがしく感じます。
昔、41年前になりますが、この道を能登半島突端の狼煙の灯台まで、歩いた経験があります。それも出発は、京都三条大橋からでした。元気そのものだったのですね。
今は、気持ちだけで身体は正直です。ましてや一人旅、無理は禁物です。今日は朝早かったので、急激に眠気が襲ってきました。眺めの良い所で車を止めて朝寝をしました。

12:17のと鉄道田鶴浜駅着。降りて、駅構内をゆっくり見学しました。
▲ 12:30七尾行きのNT204、134Dが到着。続いて穴水行きのNT202の133Dが到着しました。
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ハチロク御召の走った日 (2)

御召の回送を撮ったあと、少し六条駅寄りに移動し、本番の撮影を田んぼの中の直線区間に定めました。御召の撮影とあって、ありったけの機材を動員します。タクマー135mmを装備した虎の子アサヒペンタックスSVを、パチパチ三脚に着け、ゴム球のレリーズを付けてモノクロ一発必中、得体の知れないマミヤ製のEEカメラには、ブジカラースライドを入れて、手持ちで連写とします。待つこと2時間余り、近くの踏切の警報器が鳴ると同時に、はるか向こうから、赤白の日章旗が目に入りました。胸の高鳴りを感じる一瞬でした。

本務機88635、補機28651、2両のハチロクに牽かれた1号編成の御召列車は、音もなく近づいて来た。逸る心を抑えながら、まずレリーズでモノクロ一発、続いてカラーで連写する。秋の陽を受けて、御料車がまばゆいばかりに輝いているのだけは覚えている。
実は、この昭和43年に、別のところでハチロクの御召が予定されていた。それは、5月にあった秋田県の植樹祭での花輪線大館~十和田南間の御召である。ところが、その一週間前に発生した十勝沖地震で、すべては中止されてしまい、ハチロク御召も幻となってしまった。
それだけに、今回は、最後の蒸機御召ではないかとの噂が、多くの撮影者を集めた一因となった。ところが、案に相違して、その後も毎年のように各地で蒸機御召が運転される結果となり、ハチロクに至っては、翌年の松浦線でもさっそく御召を牽いた。

後を向くと、近所の人たちの歓迎の人波があった。写真撮影の準備をしている時だったが、ひとりの婦人から声を掛けられ、写真をあとで送ってほしいと言う。聞くと、御召の28651の正機関士である北さんという方の奥さんだった。その後、機関士の北さんとは何度か写真を交換し、御召運転の苦労など、いろいろな話を聞かせてもらった。

御召は福井まで運転されたあと、牽引機は福井機関区まで回送された。下車駅の越前花堂に機関区が隣接しているので、歩いてすぐに機関区へ駆けつけ、回送到着後の区員の記念撮影などから見ることができ、そのあとは、撮影用に開放された。ロッドが揃えられなかったのは残念だが、撮影には邪魔のない好適な角度である。
この本務の88635(御召では先頭を本務、次位を補機とする位置づけになっているようだ)は、前照灯以外は、完璧なハチロクだ。今まで、越美北線の貨物牽引の地味な仕事に従事していた同機だが、一世一代の晴れ姿を披露していた。

 

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part3 氷見線

第2日目 2010年4月18日

① 越中国分7:09(525D)→7:21氷見7:29(524D)→7:41越中国分
② 能登中島13:28(135D)→13:41能登鹿島15:16(140D)→15:29能登中島

5:00、空が明け始めた頃に目覚めました。直ぐに洗面を済まし、車のオートフリートップを格納、宿営地の「道の駅氷見」を出発し、雨晴駅方面の海岸沿いを走りました。
氷見6:08に発車する始発列車の回送があります。撮影地予定地の雨晴~越中国分間を通過する前に着いていなければなりません。急ぎますが、安全運転で、向かいました。立山連峰が見えれば、絶景が広がっているはずです。しだいに朝日が昇り始めました。

5:20、現地に到着。急いで車中からのロケハンをしますが、残念ながら絶景は、朝霞の向こうで、全く見えません。そして、完全逆光で、撮っても列車は風景の中に黒く埋没します。抜ける場所はありません。何とか撮れないかと撮影地点を探している途中で、5:39、回送列車は来てしまいました。シャッターは切りましたが・・・・。
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東京都交通局「2010路面電車の日」

路面電車の日(6月10日)を記念して開催された東京都交通局「2010路面電車の日」に行ってきました。

今回の目玉は、

距離を越えて、時代を超えて・・・・都電荒川線と阪堺電車が入れ替わる!?都電荒川線と阪堺電気軌道の「PR相互乗り入れ」開始セレモニーでした。

都電と阪堺電車それぞれ一両がお互いの旧塗装に塗り替えて、それぞれの路線で運行するという企画で、先日のレポートにあった江ノ電と嵐電と同じような企画です。

10時半ごろ荒川電車営業所に到着。8801と8804を並べた撮影会の真っ最中でした

8801と8804の並び

その後、8804が出庫。8801に牽引された6086が姿を現しました。

姿を現した里帰りの6086

8801が出庫して行き、6086が11時開始のセレモニーを待ちます。

6086の前で、司会者の鉄道女優 史絵さんがスタンバイ。

司会者の史絵さん
11時からセレモニー開始。同時刻 阪堺電車でもイベントが行われているとのことでした。

東京都交通局長の挨拶。続いて、南海電鉄の取締役の挨拶。荒川区を選挙区に持つであろう来賓の都議会議員の紹介。特大切符の交換に続き、いよいよ、車庫から阪堺電車旧塗色となった7511の登場です。
塗変えられた7511の前で、巨大切符と記念撮影

なかなか落ち着いた色です。来年まで走るようですので、関西の方も、東下りされた際には、是非お立ち寄りください。

ハチロク御召が走った日 (1)

【8427】でぶんしゅうさんが、昭和43年の福井国体で運転された御召列車について述べられています。その時のネガが所在不明と聞いていますが、無事見つけ出していただくよう祈っています。
実は、私も一緒に福井へ行っていました。ただ、一緒に行ったのは、一年上のS井さん、T城さんの2人とばかり思っていましたが、当時の写真を引っ張り出して仔細に見てみると、ぶんしゅうさんも写っていることを発見、一緒に行っていたことを確認しました。
福井城のすぐ近くにあるK先輩の実家に厚かましくも上りこみ、昼をご馳走になったことも覚えています。あの時の寿司はうまかったなぁ。
さて、福井国体で運転された御召列車は、昭和43年10月2日に越美北線の越前大野~福井間で、8620形重連で運転されたものでものでした。
私の記憶では、事前に御召列車ダイヤが鉄道雑誌に公表された初のケースでした。現在では考えもつかないような、オープンで寛容な時代なればこそで、そのため、書かれているように全国から多くのファンが集まりました。ただ、その数たるや、今から見るとホントにささやかな数で、何日も前から徹夜して三脚で場所取りすることなど、まるで無用、通過直前でもほんの数人の同業者でした。
昭和43年10月2日、歴史的なダイヤ改正として記憶に残る”よん・さん・とお”の2日目、天気は快晴、その日を朝から追いました。

 

京都駅に集結したDRFCメンバー4名は、米原へ。ここから、米原発福井行239レに乗り換える。交直接続区間の米原~田村間を牽くのは、DD503+DD504であった。この接続で名を馳せた蒸機のD50も、”よん・さん・とお”改正で消え、DD50、DE10に替わって、ようやく無煙化が実現した。数奇な運命をたどったDD50であるが、その後、米原~田村間を最後の働き場所として、昭和53年に廃車になっている。

“よん・さん・とお”改正で、裏日本縦貫線を通す寝台特急が誕生した。それが「日本海」で、従来の急行「日本海」は、「きたぐに」に改称されてそのまま存置された。このように、”よん・さん・とお”改正は、急行を廃止・格上げして、特急を新設するのではなく、純粋の新設であるところに、ダイヤ改正の勢いを感じる。この「日本海」は、青森を1日の晩に出発した処女列車で、湖西線開業前だから米原回りである。DE10に牽かれて米原に到着し、EF58に替わるところだが、なにせ初日のこと、操車掛けが集まって、ホースの確認などに大童のシーンである。左端に脱兎のごとくホームを走り回るのが、若きぶんしゅうさんだ。

DD50に牽かれた237レは、田村でEF7015+EF701006に替わり、敦賀からはED702に替わった。この写真は、今庄駅を発車した直後の237レ、因みに、メモによれば、編成は、ED70 2+オハフ61 2712+オハ35 2021+オハ35 3239+ナハ10 2047+ナハ10 2022+オハフ33 2573+マニ60 2618であった。構内のバラスが真新しいのは、敦賀~今庄間が北陸トンネルの開通で新線に移り、かつての旧線の基地であった今庄の機関区設備が撤去され、構内配線が敷き直された結果であろうか。

前記のように、先輩宅で昼をいただいたあと、まず御召の回送を撮るために、福井から一駅目の越前花堂駅で降りた。他のメンバーは、さらに乗り続けて山間部へ向かったが、私としては無難にまとめたかったため、田圃の中の越前花堂を選んだ。御召の回送は、基地のある南福井から、天皇の乗車する越前大野まで、1号編成を、8620重連が逆行で運転した。北陸本線と分かれ、左へ大きくカーブする地点で回送をとらえる。今も北陸本線に乗ると、この撮影地点を確認するが、今は、工場などが建ち並び、雑然とした雰囲気である。

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part2 越美北線

第1日目 2010年4月17日
都合で出るに出られず、越美北線ロケハンから1週間が経過してしまいました。この間、春の嵐が雨を伴い、吹きまくりました。もう桜の花は散ってしまったのか。しかし、もしかしたら、まだ撮れるかもとの淡い期待を抱いてぶんしゅう7号と一緒に出発しました。
名神から北陸道へと入り、福井インターで降り、越前東郷駅を目指しました。

13:501960年(昭和35年)越美北線一部開業時に設置された越前東郷駅着。
▲ 車窓から見るのとは違って、広い駅前広場があります。かつては地域の中心駅だったのでしょう。期待のレール側の桜は、残念ながら半分以上散っていました。これでは、写真になりません。 続きを読む

ご無沙汰です

関係者のご苦労で投稿環境を正常に戻していただき感謝申し上げます。
さて、私こと、掲示板に投稿しなければの強迫観念にとらわれて続けて数ヵ月、もがけばもがくほど、手はキーボードから遠ざかっています。
そんな時、先週末上京した際に、準特急さんと、元気に病後復帰されたT田さんの2人ともに、京浜急行・江ノ電へ行く機会がありました。
ここで、掲示板を思う準特急さんの並々ならぬ情熱を聞かせていただき、痛く心を打たれました。
掲示板が内部のツールだけでなく、斯界のオピニオンリーダーたちも熟読されており、クローバー会の重要な発信源として機能していると言われます。おっしゃるに、投稿も大事だが、コメントはもっと大事と言われます。本掲示板の特徴でもある、双方向のコミュニケーションを発揮することが大事なのです。
準特急さんは、今後の掲示板のテーマとして
・定点撮影-昔と今の同一地点を対比
・譲渡車両-同一車両を譲渡先ごとに比較
・思わぬ出会い-譲渡先であり得ない車両の出会い
を挙げられています。これらは、一朝一夕にはできない、準特急さんのように半世紀以上に渡って地道に記録を続けられてきた人間のみに可能です。
最近の新参趣味者の物量攻撃に辟易している特派員にとっては、一筋の光明を見た思いでした。
何か勇気づけられた気がした一日でありました。要は気負うことなく自然体で掲示板に立ち向かうことが大事なのでしょう。今回は、ひとまず当日の成果をご覧いただきましょう。

京急を訪れた目的は残り少ない1000形をとらえること。大師線、逗子線も回ってみたが、車庫に休んでいるだけで、昼間の稼動車はなかった。そこで、地元お住まいのT田さんのご案内で、京急線南部の撮影へ向かった。横浜を過ぎると丘陵部を走り展望は開けるが、住宅が建て込んで撮影には不向きだ。ホームからの撮影に切り替えスタンバイしたのは、京急富岡駅。短いトンネルを突き抜けて快走する2100形の快特をとらえることができた。

つぎに訪れたのは、逗子線の六浦~神武寺間。先日の京急の改正で、逗子線では新逗子から羽田空港へ直通する「エアーポート急行」が日中20分ヘッドで走るようになり、羽田シフトがより鮮明になった。この区間、横浜市と逗子市の境の山間区間に当たり、人家がほとんどない。とくにトンネルの神武寺側には池沿いに走り、背後の山も米軍池子住宅の用地で自然のまま残されている。準特急さんはこの池を入れて数十年前に撮られたことがあるそうだ。

午後からは久しぶりの江ノ電訪問となった。都会的ではあるが、どこか田舎の風情を残したこの沿線の風情はいつ来ても清々しく迎えてくれる。製造後50年となった300形の残る1編成305+355も、「江ノ電開業100周年」のヘッドマークを掲げて元気に走っていた。江ノ電・嵐電提携を記念した嵐電カラーの1000形1552+15021も走っていた。

この日の締めくくりは定番の鎌倉高校前である。目前は江ノ島、傾きかけた陽を受けて初夏の海がキラキラ輝いている。直前まで大渋滞していた道路だったが、急に両方向とも車が消えた。見通しがよければ、ちょうどこの向こうに富士山が見えるはずだ。冬の寒いとき、冠雪した富士山を撮りにもう一度訪れてみたい。

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part1 旅立ち前のロケハン

2010年4月10日

① 長岡京7:54(快速710T)→8:05京都8:15(新快速湖西レジャー号)→9:50敦賀9:53(239M)→11:25加賀温泉11:57(338M)→12:31福井
② 
福井12:49(727D)→14:15九頭竜湖14:33(730D)→15:58福井16:28(356M)→17:35敦賀17:49(新快速)→19:42京都19:53(快速831T)→20:04長岡京 

桜前線2010年九州・四国を一旦終えて、立て直しのために帰宅しました。インターネットで桜前線の進行状況を見ながら、出発のタイミングを見計らっていましたら、駅前のチケットショップで明日までの使用期限の青春18きっぷが1枚ありました。2000円です。迷うことなく買って、翌日はロケハンに出ました。

目指すは、越美北線です。越美北線と言えば、学生時代に初めてお召し列車を撮影した思い出があります。1868年10月2日、福井機関区の88635号機と28651号機が重連で、福井~大野間で一世一代の栄光の任務にあたりました。

その時は、DRFCのメンバー数名で一緒に撮影に行きました。1学年上に福井出身の久我先輩がおられ、福井城近くの大邸宅に全員をご招待いただき、熱き歓迎を受けた事を覚えております。勤務時代に職場が近かったので、時々お邪魔していましたが、今はどうしていらっしゃいますでしょうか。

撮影場所は覚えていませんが、皆と別れて山間からふかん撮影したと思います。この時まで、鉄道撮影と言えば多くとも数名でしたが、その時は、沿線に無数のファンがカメラを構えているのを見て、こんなにも鉄道ファンがいるのだと驚きましたと同時に勇気づけられました。
と、いうのも当時は、汽車好きだと言うと、変人扱いされました。今は鉄道ファンが大臣にもなっておられますが、当時は日陰者にも似た気持ちを持っていました。また、異性にもてたいと思う年頃を迎えています。趣味は何と聞かれ、ストレートに汽車とは言えませんでした。越美北線で、志を同じくする同士がこんなにもいるのかと、むしろ感動しました。

肝心のその時に撮影したフイルムを探しているのですが、50本近くの初期の貴重なネガを保存した、ケースが見当たりません。どこかにあると思いますが、生きている内に見つけられるか問題です。

桜前線ですが、直前に見たインターネット情報では、まだ5部咲き程度が多かったのですが、ロケハンに来てみると、福井市内はほぼ満開近しでした。天候も最高で、このまま撮影に入っても良い状態でした。
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ジャンクメール対応について 管理者より

田野城先輩から投稿がありましたように、ここ数日ジャンクメールが無数と言っていいほど届いています。
ジャンクメールは一方的に送られてくる迷惑メールで、認められていない悪意のメールです。決して、あけないでください。一旦あけますと、今後永遠に望まないメールが届きます。
今までこういった悪質なメールや投稿ができないように防御線を張ってきましたが、ハッキング技術が高まり、防御線をくぐって送られてきます。
ジュニアーとも相談して、新たな防御線を張りましたが、万全ではありません。防御線を強くすると、今度は会員方々の投稿に影響が出ます。また、100%ができないのが、インターネットです。当分、様子を見ますので、その間は、お気をつけてください。

管理人よりお知らせ

最近コメントスパムが増加しているためAkismetプラグインによるスパムフィルタを強化いたしました。変更に伴ない、投稿コメントが即座に反映されない(=管理人による認証待ち)となる可能性が高くなります。認証待ちになると再投稿しても反映されません。エラーではありませんので、認証されるまでしばしお待ちください。

事務局よりお願い

ここ数日前よりジャンクメールが頻繁にはいるようになり、気づく度に削除しておりますが今朝方よりは無数のメールが入り削除が追いつかない状態です。

仕事の合間に鋭意削除に努めますが皆様方には決してさわらないようにお願いいたします。

また、あまりの多数のため誤って会員によるコメントを削除してしまう危険性もありますがその節はお許し下さい。

桜前線追っかけ2010年 Part10 徳島線、土讃線 2の2

第9・10日目 2010年4月4・5日

朝起きても道の駅大歩危には、ぶんしゅう7号だけが宿泊客でした。ここは、吉野川渓谷にあって、対岸は土讃線が走っていて、大歩危駅は、直ぐ近くにある有名観光地なのに珍しい事です。

今日は、日曜日で高速道路の料金が1000円デーですので、夜に帰宅します。まだまだ行きたい撮影地はありますが、疲れも溜まってきていますので、一旦立て直しの帰宅です。
四国最後の一日ですので、しっかりと思い出に残るショットを撮りたいと意気込んで、いつものように朝食と夜明けの熱いコーヒーを飲んで、出発しました。

大歩危駅は、昨年2009年春の青春18きっぷの旅で四国を回り、最後に通りました。桜が満開で、次回は是非とも撮影したいとの宿題でした。まずは、大歩危駅に向いました。
▲ 8:27、大歩危駅は、民家風の駅です。ホーム中央に対岸からの道路橋がありますので、どこからとっても画面に入ってしまいます。
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昭和45年、40年前の久大本線 日田駅

K・H生さんから、豊後森の写真投稿をいただきました。ありがとうございました。
昔の豊後森駅や機関区の写真を撮っていればと探しましたがありません。代わりに、今回行きたかった久大本線日田駅で撮影したSL時代の写真がありましたので、ご紹介させていただきます。撮影日は、40年前の1970年(昭和45年)4月9日と10日です。

日田駅前です。タクシーは、コロナとブルーバード(手前)、駅横の電話ボックスも懐かしい光景です。
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