特派員さんが撮影された昭和46年3月の茶内駅の画像を懐かしく拝見した。私が茶内駅に下りたのは、現役時代の昭和42年9月5日と2年後の昭和44年9月4日で、目的は浜中町営軌道であった。昭和42年は、札幌駅21時30分発の急行「まりも」で出発、釧路着が6時20分、10分で接続の急行「ノサップ」(キハ4545+キハ22269の2連)が満員のため、「まりも」の前2両のスハフ44とスハ45の2両と荷物車がそのまま6時46分発の根室行(447レ)となるので引続き乗車した。茶内到着後、上りの234Dまで約1時間半の時間で、到着する列車を中心に撮影したが、吃驚したのは、貨物列車の直ぐ後ろを、DC(自走客車)の前後に無蓋車を連結した混合列車の続行運転であった。キハ09+キハ21の普通列車234Dで釧路に戻り、雄別埠頭の新車のDLを撮影後、雄別炭山に行った。
昭和44年は、急行「まりも」はヨンサントオのダイヤ改正で愛称名の整理が行われた結果「狩勝4号」となっていた。釧路到着後大急ぎで「ノサップ」に乗り換え、前回より1時間早く茶内に到着した。この時は車庫で撮影後、役場内の軌道事務所を訪れ、234Dまで約2時間担当の方からお話を伺い資料をいただいた。本当は西円線に乗車して上風連に行き、別海村営軌道に乗り継いで奥行臼に出ようと計画したのであるが、別海村営軌道の上風連まではかなり離れていること、11時35分発で上風連に行っても奥行臼行が夕方までないこと等の理由で乗車は次の機会ということにしたが、3年後に廃止されてしまった。あの時、別海村営軌道にこだわらずに、上風連まで往復するだけでも乗っておけばよかったと悔やまれる。この日はその後尺別鉄道を訪れた。
ちなみにその後北海道を訪れたのは、仕事を除けば、昭和51年5月に日本セメント上礒工場の電気機関車の見学撮影。平成11年11月に社内旅行で釧路空港から阿寒湖、摩周湖を見学して川湯温泉に一泊、翌日硫黄山、知床、網走を回って女満別空港から帰ったこと。平成13年2月に家族旅行で流氷見学に行ったくらいで、鉄道の見学、撮影はリタイヤ後でないと無理なようである。
【国鉄】
キハ22269+キハ4545の急行「ノサップ」/キハ45は、新車として完成後、北海道等の観光路線に投入してシーズン終了後本来の配置先に転属した。(42.9.5 釧路駅)
「まりも」に連結されていたスロ5218/スロ514を寒冷地仕様に改造。昭和44年9月にオールロングシートに改造してオハ41406となり金沢に転属、主に七尾線の通勤列車に使用後昭和56年に廃車となった。(42.9.5 釧路駅)
キハ094+キハ21(234D)/キハ094は、昭和37年3月苗穂工場でオハフ623を改造してキハ454として誕生、昭和41年8月の改番でキハ094となり、昭和45年2月に廃車となった。ジャンパ線が外されているのは当駅で交換する下り233Dの3両のうち1両を切離して増結するためで、北海道ではよく見られた車両運用であった。(42.9.5 厚岸駅)
キハ083/昭和37年3月苗穂工場でオハ6280を改造してキハ403として誕生、昭和41年8月の改番でキハ083となり、昭和46年8月に廃車となったが、加悦鉄道に売却され、鉄道廃止後も「加悦SL広場」に保存されていることはご存じの通りである。(42.9.5 釧路駅)
C58385の引く急行「狩勝4号」崩れの普通列車根室行447レ(44.9.4 茶内駅の根室寄り)
C58119の引く下り貨物列車(44.9.4 上尾幌)
【浜中町営軌道】
雪印乳業茶内工場に停車中の貨物列車/機関車はNo.6で、昭和40年12月釧路製作所製の8t機。廃線後「茶内ふるさと広場」に保存されている。(42.9.5 茶内)
西円線の貨物列車/直ぐ後ろには貨車を前後に連結した若松線(茶内~中茶内~別寒辺牛)の混合列車が続行している。機関車は昭和36年協三工業製の6t機(42.9.5 茶内)
貨車を前後に連結した若松線の混合列車。西円線(茶内~秩父内~中茶内~西円朱別)、東円線(茶内~秩父内~東円朱別~上風連)は客貨分離が行われていたが、若松線は混合列車2往復の運行で、日曜祝日は貨物列車のみの運行であった。(42.9.5 茶内)
東円線の列車(42.9.5 茶内)
機関車
昭和44年訪問時に戴いた資料によれば4両在籍していた。内訳は昭和33年製と38年製の協三工業製の6t機各1両、昭和40年釧路製作所製の8t機が2両であった。
No.1 /昭和31年加藤製作所の6t機で、昭和44年時点では廃車済であったが現車が残っていた。(42.9.5 茶内)
No.5/No.6と同じ昭和40年12月釧路製作所製の8t機(44.9.4 茶内)
自走客車
昭和44年時点では5両在籍していた。
No.1昭和35年運輸工業製(44.9.4 茶内)
No.2/昭和37年釧路製作所製で京阪500形を思わせる正面2枚窓が特徴であった。(44.9.4 茶内)
No.3/昭和39年泰和車輌工業製で、廃線後「茶内ふるさと広場」に機関車と共に保存されたが、老朽化が激しいため解体されてしまった。(42.9.5 茶内)
No.4/昭和40年泰和車輌工業製で、当初から2個ライト、トルコン付でワンマン設備をもっていた。(44.9.4 茶内)
No.6/昭和35年運輸工業製でNo.1とは同形、昭和40年に藻琴線から転入した。(42.9.5 茶内)
牽引客車
昭和32年釧路製作所製で、昭和42年の時点で既に休車状態であった。(42.9.5 茶内)
その他
ロータリー車2両、8t積有蓋貨車1両、8t積無蓋貨車1両、6t積無蓋貨車11両、6t積木材運搬車2両、6t積牛乳運搬車6両、6t積小荷物車1両、家畜運搬車4両、30石入牛乳タンク車3両が在籍した。
30石入牛乳タンク車(42.9.5 茶内)