江若鉄道 夏の陣

連日の猛暑で白鬚、近江舞子に向かう水泳客をさばききれない中、ようやくオハ27 3両が戦力に加わりました。永らく未塗装のままで放置してあったオハ27とDC30の塗装を大汗をかきながら済ませました。特注のインレタを貼り付けるとグッとそれらしくなり、ビールのおいしいこと。まだ6号機、キハ12、キハ5124、ハフ2、ハフ7が塗装待ち状態、キハ5121-ハ5010-キハ5122、が工場の中と仕掛りが多いのですが、オークションでB10のキットを手に入れたので、1118に改造を目論んでいます。キニ9やキハ20、キハ51も控えていて 当分楽しめそうです。

茶内の思い出に添えて

先に特派員氏や津田氏の若き姿をご披露致しましたが、藤本先生から簡易軌道の紹介がありましたので、これまた茶内の思い出としてご紹介します。

ときどき江若鉄道でお騒がせしていますが、40年も前になくなったものを復元しようとして困るのは 当時はカラー写真が貴重だったためモノクロ写真しか残っておらず、一体どんな色をしていたのかが判らないことです。茶内浜中町営軌道はなぜかカラーで3コマだけ撮影していました。藤本先生の夏の写真とは一転 雪景色ですが かえって赤や緑色が雪のなかでは映えています。撮影日は昭和46年3月12日です。

この1週間ほど前に標茶町営軌道を訪ねて 標茶駅から車庫のある開運町まで行ったところ車輌は雪に埋もれたまま放置されていて がっかりした記憶があります。なんでも大雪で除雪が困難になり、そのまま廃止されたとのこと。そのあと茶内で元気な簡易軌道の姿を見ることが出来て、貴重なリバーサルを3コマ使ったようです。

新緑の北海道 余話-5-

北浜 今昔

根室本線の次に訪れた釧網本線も40年前に訪れた懐かしい線区です。中でも、原生花園の中にある北浜付近は、その当時から有名な撮影地でした。C58の牽く混合列車が残っていたこと、原野もあって、海沿いも走り、鉄橋もあると、変化に富んでいること、網走までの夜行列車もあってアプローチしやすいことが要因だったのでしょうか。
ぶんしゅうさんに無理を言って、北浜で時間を取って夕方まで撮れるよう、車を走らせてもらいました。

釧網本線では、無人になってしまった駅舎を観光資源の一つととらえ、各駅にレストランや売店を設けて活用している。客の多くは車で訪れるとは皮肉なことだが、無人駅で放置され荒廃していくよりはずっといい。北浜駅も、”オホーツク海にいちばん近い駅”として売り出し、喫茶”停車場”が設けられている。室内は客車を模した構造になっており、窓越しに望むオホーツクの眺めも乙なものだ。特筆すべきは、本格的な料理の内容で、時間潰しにと頼んだランチの味もなかなかのもの、予約すれば、本格的なフランス料理のフルコースもできるとのことだった。

北浜駅を有名にしたもうひとつは展望台だろう。ホームの横に木造の砦のような展望台がある。平坦地で高さのある写真を撮れなかったのが、展望台のお蔭で、高さを稼げるようになった。展望台からの夕陽は、残念ながら曇ってきたのと、方向も少し違っており、期待したものではなかったが、海を隔てた山々がほんのり赤くなった。

40年前の北浜駅に入線するC58の牽く混合列車。ホームから見えるオホーツク海は変わっていない。現在の駅構内は棒線化されているが、この当時は、ホーム一面ながらも側線があったことが判る。
C58の煙室扉に何やら紙が貼り付いている。実はこれ、当局と組合との争議で貼り付けられたアジビラだ。国鉄の争議はうんと以前からあり、アジビラは組合事務所などにはよく貼ってあったが、お客が乗る、いわば聖域とも言うべき鉄道車両を組合のアピールの場としたのは、ちょうどこの頃からだった。車両全体をデカデカと石灰で書き殴る、いわゆる団結列車も、動労の勢力が強い北海道ではもう見られ、その後各地に波及していく。これが来ると全く絵にならない。これから数年間、何度泣かされたことか。

当時の北浜の代表的な撮影地、トーフツ湖に架かる鉄橋を行くC58の貨物列車。貨物はこの当時、大部分はDE10化されていたが、一部はC58で残っていた。この鉄橋、駅から近く、横を並行する国道の橋から難なく撮れる。すぐ近くにはユースホステルもある。この日も、いったんユースで旅装を解いたあと、ユースのゲタを履いて、列車の時刻に合わせて鉄橋まで行ったものだ。

原生花園を行くC58の牽く混合列車。9月なので花はないが、原生花園を行く典型的なシーンと言えようか。ワム・トムを中心にした貨車数両、スハニ62を含む客車3両も、混合列車のスタンダードだった。この列車を写すため移動していると、余りにも同じ風景が続いているため、置き去りにしたリュックが分からなくなってしまった。今回も全く同じ経験をして青くなった。40年経っても、人間は変わっていないと苦笑した。このC58、まだデフは切り詰めておらず、原型のままだ。操車掛がデッキに乗る際のスペースを確保するため、この頃から道内の蒸機のデフが切り詰められていく。前述のアジビラ、落書きとともに、蒸機が醜くなっていく直前の最後の輝きを持っていた時期であった。

上は、40年前の原生花園の中を行く釧路発網走行急行「しれとこ2号」。当時、釧網本線には線内急行が4往復も設定されていた。車種のキハ22は、道内用に汎用気動車として製造された。デッキ付のオールクロスシートを買われて、道内ではローカル線の急行はほとんどキハ22で賄われていた。室内もさることながら、小さい窓の整ったスタイルは、大好きな気動車だった。
下は、現在のほぼ同位置。木造の電柱はそのままだ。キハ40は、道内の至る線区で使用されており、さすがに優等列車運用はないものの、現代版のキハ22と言えよう。

ぶんしゅうさんも書かれていたが、北浜駅レストラン”停車場”の女主人は話好きで、食事が終わっても話が続き、なかなか脱出できない。ホントは、近くで風呂に入り、宿泊予定のオハ47に予約時刻に着こうとしていたのに、とうに予約の時間をオーバーしてしまった。気の済むまで話を聞こうと2人で覚悟し、ようやく2時間後に解放された。
外へ出るとすっかり暮れてしまい、とうとう雨になってしまった。ホームへ出ると予期しなかった列車がやってきた。ここまで長引くとは思わず、時刻表も全くマークしていなかった。雨に濡れたホームに反射する赤いテールライトと、駅舎から漏れる白熱灯を見て、行き当たりの旅もいいものだと思った。

北の大地へ2010年初夏編 Part10 日高本線

第11日目 2010年7月4日
午前中は、前日のリベンジに非電化区間の架線電柱のない伊達紋別行きのプランでしたが、疲れは取れず二人とも身体がもう動いてくれません。今日は終日、日高本線の撮影に集中する事にしました。
8:00、1986年(昭和61年)に廃線となった富内線が分岐していた鵡川駅で、上り下り列車の交換撮影から始めました。


8:36、左;様似行き2225D(キハ40-356) 右;苫小牧行き2226D(キハ40-1705)

続いて鵡川鉄橋を渡ると、鉄道橋が気になりましたので国道を離れて向かいました。
9:00到着。真ん中にトラス橋を挟みカーブしている橋梁です。車には車内スペースを取る2台の脚立を積んでいましたが、中々使用する機会がありませんでした。私は目線からの撮影が多いのですが、総本家さんはひざ下視点からの撮影を好まれています。しかしこの場所では、鉄橋の柵がどうしても邪魔になるので、初めて脚立を持ち出しました。

9:17、苫小牧行き6220D 臨時{ホリデー日高」キハ40-1783+キハ40-357の2連

10:10日高門別~豊郷間の日高門別灯台付近に到着。絶壁の眼下には、絶景の太平洋岸をぬうように2本のレールが果てしなく続いています。釧網線止別駅付近撮影時と同様に波が霧状に立ち込めて、幻想的な光景を演出してくれています。

10:47大狩部駅。昨年10月に訪れた時と違って、雑草がこれでもかと茂っています。ホームから撮影するのがやっとですが、次の列車まで1時間近くあります。S字形カーブは捨てがたいものがあります。撮りたい思いが一致して、またまた共同作業での雑草刈り取りに着手しました。

11:34、2227D(キハ40-354)が岬から姿を現しました。波しぶきと一緒に撮りたかったのですが、偶然の一致は1本の列車では無理なようでした。この場所は、丁度後方に陽が沈むそうです。

11:46節婦駅着。昨年と違って駅舎が新築されていました。

左は、昨年10月30日撮影。今年2010年3月25日に竣工されています。

12:17春立駅着。ここも近年新築されています。利用がそれなりにある無人駅は、リニューアルされているようですね。

かつては節婦駅と同様にワフ時代も合った春立駅。駅舎横には車椅子対応の立派なトイレもあります。気になる利用者ですが、一日約40人だそうです。両駅とも町の費用負担です。他のローカル駅では考えられません。新冠町、新ひだか町ともサラブレッドの生産地だけあって金持ちなんでしょうね。

12:35
、念願だった日高三石~蓬栄間三石川鉄橋に到着。ようやく日高本線らしい牧場で放牧中の馬の親子とのツーショットが撮れました。
終点の様似駅までは、それほどの撮影地はないとのことで、ここで折り返しました。

13:50、昨年予想以上に遠くて通過時刻に間に合わず撮り損ねた新冠の名勝、判官館(はんがんだて)にギリギリの到着。駐車場から早足で約10分少々ですが、起伏の激しい散策路を行きますので、一気に疲れました。前回と違って、ここも雑草や木々の葉っぱが茂っています。庭バサミを忘れたので、手の届く範囲で刈り取りましたが、絶壁ですので危険です。アングルが制限されました。夏場は、長い庭バサミが必要でした。

13:50、新冠駅を発車して、新冠川を渡っていく2232D(キハ40-356)。

ここでまたUターンして新冠駅に立ち寄ってからこの地区の中心地、新ひだか町の静内駅15:40着。みどりの窓口のある有人駅でコンコースは広く、観光情報センターもあります。丁度下校時間だったのか高校生で一杯でした。相対式2面2線ホームで、交換光景を撮影しました。

左;15:57着16:24発の様似行き2233D(キハ40-1783)と右:16:00着16:09発の苫小牧行きの2236D。

次の撮影地は、午前中北海道に来て初めて同業者を見た、静内~東静内間静内川鉄橋を目指しました。

16:26、静内川鉄橋を渡る2233D(キハ40-1783)。厚賀川鉄橋と同様に太平洋が見える光景ですが、太陽は右側にあって夕景は期待できません。冬至頃になると丁度良いのかもと思いました。 

静内町内で夕食の買出しを済ませて、大狩部~節婦間へと移動しました。

17:20、静内行きの2235D(キハ40-359)。夕焼けを期待していましたが、この頃から雲が多くなってきました。

17:40、数々の夕暮れの名シーンを演じた期待の厚賀川鉄橋に到着しました。到着時の太陽はギラギラ状態で川面の反射もありましたが、次第に雲間に隠れて、斜光を照らすのみとなってきました。
夕陽がどの辺りに沈むかが問題です。昨年10月は橋の中央でしたので、雲もなく絶景が見えましたが、今日はかなり外れた方向に沈むようです。

18:08、様似行きの2237D。もう少し晴れてくれたら良かったのですが・・・。

大狩部方向の橋の上から撮っていましたが、時間が経つにつれて雲が多くなって、アングルを見つけられません。川面に下りることにしました。

18:48、苫小牧行き2238Dがやってきましたが、上流で局地豪雨が降ったらしく、水かさが上昇し流木がたくさん流れてきて、イマイチになりました。撮影後、夕焼けが見える右側の厚賀駅に向かいました

19:05厚賀駅で日没をむかえました。

撮影後、まだ夕焼け雲が残る清畠駅まで執拗に追いましたが、工場がバックに入り上手くいきませんでした。今日はこれで撮影終了です。夕闇迫る中、道の駅「むかわ四季の館」へ戻り、今晩も連泊です。温泉にゆっくりと浸かった後は、いつもと同様のアウトドア食ですが、今晩は道内に入って初めてジンギスカンにしました。これには総本家さん口に合ったらしく、すごく美味しいとパクついていました。

初夏の大地も明日は、フェリーに乗船して帰路につきます。最後の奮闘を誓った夜でした。

北の大地へ2010年初夏編 Part9 室蘭本線

第10日目 2010年7月3日
昨夜は雨がよく降っていました。「旅・人・宿 あさ寝坊」に泊まって正解でした。近くに有名な硫黄岳がありますが、総本家さんは行った事はないと言うので折角だからと、雨が上がった朝食前に行ってきました。午前8時までだと駐車料金が要らないのでお得です。

朝食はご家族3人と夜に北見から来られ、先ほどまでマスターと釣りをされていた友人の方も一緒でした。昨夜の夕食に出た「オショロコマ」(別名;カラフトイワナ)が、大漁だったようです。

お世話になった「旅・人・宿 あさ寝坊」です。民家と変わらずの外観。部屋は2階の男女別相部屋を予約しましたが宿泊していたのは我々2名だけでした。安いし綺麗ですし我々には十二分の宿です。

今日は、道内縦断の移動日です。寝台特急を架線のない伊達紋別駅付近で撮りたいと希望されていますので、8時には出発しようと思っていましたが、ご家族友人の方とのお話が盛り上がって9時になってしまいました。ナビに目的地をセットすると、走行予定距離は約500km、所要予測時間は約8時間を告げています。

春の西人吉行き約800kmに告ぐ走行距離ですが、こちらは殆ど高速道で前を見て走り続けるだけでした。今回は数ヶ所もの一般道の峠道があり、上り下りとカーブが続き、加えて鹿の出没も予測されますので前方は勿論左右も見ながらの慎重走行になります。初めての道で疲れもピークになってきている体調と合わせると、むしろ前回よりも過酷です。総本家さんには、安全第1で無理せず走るので、到着見込みは未定を告げて出発しました。

緑色が走行済み、赤色がこれからの道路です。平面で見ると、それほどではありませんが、立体で見ると難所です。

やはり道中は予想通りで、晴れているかと思えば急に降雨と濃霧発生等々の天候不順もあってナビ予測時刻には届かず、錦岡~社台間の架線区間に16:20到着がやっとでした。
総本家さんも計画時点で心配されておられましたが、やはり運転手一人では、一日当たりの移動距離は300kmまでに止めておかないと、疲れとストレスがでます。「何事もゆとりが必要」強行軍では、思う写真も撮れないと、あらためて知りました。夜の走行禁止と同様に車での移動撮影の鉄則です。結局、この日は特急「カシオペア」等を撮りましたが、掲載できる写真には至りませんでした。

今日の宿営地は、温泉が併設された道の駅「むかわ四季の館」。夕闇の到着となりましたが、直ぐに温泉に入って疲れをとってから夕食としました。
http://www.shikinoyakata.com/

道の駅「むかわ四季の館」の温泉は、加温のナトリウム塩化物強塩泉ですが、泉質はまずまずです。この近くには道の駅もなく、温泉もないので多くのオートキャンパーが泊まっていました。鵡川は柳葉魚(ししゃも)が世界中で唯一漁獲されるそうです。昨年来た時は丁度産卵のため川を遡上する漁獲シーズンで、フルコースを食べられました。我々平民は通常スーパーで子持ちシシャモを買い求めていますが、これはアラスカ産の「カラフトシシャモ」と言い、姿形は似ていても別の魚だそうです。

今晩の夕食は、シシャモがなかったので、寿司と刺身です。高そうですが、夕方買出しに行くと半額になっていたり、二人前を一人分の値段で買えます。TVは地デジ・ワンセグとBlu-rayディスクも見られる充電式を持っていきましたので、毎晩ビールを飲みながらゆっくりのディナータイムでした。

22:30近くに数台のキャンパーがやってきました。近くに大阪ナンバーの車が止まり、70歳代のご夫婦が降りてこられました。聞くと何回も来られているそうで、敦賀港から乗船し21:00に苫小牧港到着した。宿営地にはここが近いのでよく泊まるといっておられました。旅行好きで、マイ飛行機を操縦して世界一周もされたとか、普通のキャンパーさんではありません。車も小型ワゴン車ですが、自作で立派なキャンピングカーに改造されておられます。

翌朝携帯に軽自動車のワゴンRでサハリンを回り、ウラジオストックへフェリーで渡って無事に着きましたと、冒険旅行仲間からのメールが届いたと見せてくださいました。どこまで行かれるかは聞きませんでしたが、ワゴンRでユーラシア大陸縦断でも考えているんでしょうか? もっとびっくりしたのは、20歳代の女性の一人旅だそうです。道中、大丈夫なんでしょうか? すごいオンナもいるもんですねぇ。

茶内の思い出

特派員さんが撮影された昭和46年3月の茶内駅の画像を懐かしく拝見した。私が茶内駅に下りたのは、現役時代の昭和42年9月5日と2年後の昭和44年9月4日で、目的は浜中町営軌道であった。昭和42年は、札幌駅21時30分発の急行「まりも」で出発、釧路着が6時20分、10分で接続の急行「ノサップ」(キハ4545+キハ22269の2連)が満員のため、「まりも」の前2両のスハフ44とスハ45の2両と荷物車がそのまま6時46分発の根室行(447レ)となるので引続き乗車した。茶内到着後、上りの234Dまで約1時間半の時間で、到着する列車を中心に撮影したが、吃驚したのは、貨物列車の直ぐ後ろを、DC(自走客車)の前後に無蓋車を連結した混合列車の続行運転であった。キハ09+キハ21の普通列車234Dで釧路に戻り、雄別埠頭の新車のDLを撮影後、雄別炭山に行った。

昭和44年は、急行「まりも」はヨンサントオのダイヤ改正で愛称名の整理が行われた結果「狩勝4号」となっていた。釧路到着後大急ぎで「ノサップ」に乗り換え、前回より1時間早く茶内に到着した。この時は車庫で撮影後、役場内の軌道事務所を訪れ、234Dまで約2時間担当の方からお話を伺い資料をいただいた。本当は西円線に乗車して上風連に行き、別海村営軌道に乗り継いで奥行臼に出ようと計画したのであるが、別海村営軌道の上風連まではかなり離れていること、11時35分発で上風連に行っても奥行臼行が夕方までないこと等の理由で乗車は次の機会ということにしたが、3年後に廃止されてしまった。あの時、別海村営軌道にこだわらずに、上風連まで往復するだけでも乗っておけばよかったと悔やまれる。この日はその後尺別鉄道を訪れた。

ちなみにその後北海道を訪れたのは、仕事を除けば、昭和51年5月に日本セメント上礒工場の電気機関車の見学撮影。平成11年11月に社内旅行で釧路空港から阿寒湖、摩周湖を見学して川湯温泉に一泊、翌日硫黄山、知床、網走を回って女満別空港から帰ったこと。平成13年2月に家族旅行で流氷見学に行ったくらいで、鉄道の見学、撮影はリタイヤ後でないと無理なようである。

【国鉄】

 

キハ22269+キハ4545の急行「ノサップ」/キハ45は、新車として完成後、北海道等の観光路線に投入してシーズン終了後本来の配置先に転属した。(42.9.5 釧路駅)

 

「まりも」に連結されていたスロ5218/スロ514を寒冷地仕様に改造。昭和44年9月にオールロングシートに改造してオハ41406となり金沢に転属、主に七尾線の通勤列車に使用後昭和56年に廃車となった。(42.9.5 釧路駅)

 

キハ094+キハ21(234D)/キハ094は、昭和37年3月苗穂工場でオハフ623を改造してキハ454として誕生、昭和41年8月の改番でキハ094となり、昭和45年2月に廃車となった。ジャンパ線が外されているのは当駅で交換する下り233Dの3両のうち1両を切離して増結するためで、北海道ではよく見られた車両運用であった。(42.9.5 厚岸駅)

 

キハ083/昭和37年3月苗穂工場でオハ6280を改造してキハ403として誕生、昭和41年8月の改番でキハ083となり、昭和46年8月に廃車となったが、加悦鉄道に売却され、鉄道廃止後も「加悦SL広場」に保存されていることはご存じの通りである。(42.9.5 釧路駅)

  

C58385の引く急行「狩勝4号」崩れの普通列車根室行447レ(44.9.4 茶内駅の根室寄り)

 

C58119の引く下り貨物列車(44.9.4 上尾幌)

【浜中町営軌道】

 

雪印乳業茶内工場に停車中の貨物列車/機関車はNo.6で、昭和40年12月釧路製作所製の8t機。廃線後「茶内ふるさと広場」に保存されている。(42.9.5 茶内)

 

西円線の貨物列車/直ぐ後ろには貨車を前後に連結した若松線(茶内~中茶内~別寒辺牛)の混合列車が続行している。機関車は昭和36年協三工業製の6t機(42.9.5 茶内)

 

貨車を前後に連結した若松線の混合列車。西円線(茶内~秩父内~中茶内~西円朱別)、東円線(茶内~秩父内~東円朱別~上風連)は客貨分離が行われていたが、若松線は混合列車2往復の運行で、日曜祝日は貨物列車のみの運行であった。(42.9.5 茶内)

 

東円線の列車(42.9.5 茶内)

機関車

昭和44年訪問時に戴いた資料によれば4両在籍していた。内訳は昭和33年製と38年製の協三工業製の6t機各1両、昭和40年釧路製作所製の8t機が2両であった。

 

No.1 /昭和31年加藤製作所の6t機で、昭和44年時点では廃車済であったが現車が残っていた。(42.9.5 茶内)

 

No.5/No.6と同じ昭和40年12月釧路製作所製の8t機(44.9.4 茶内)

自走客車

昭和44年時点では5両在籍していた。

No.1昭和35年運輸工業製(44.9.4 茶内)

 

No.2/昭和37年釧路製作所製で京阪500形を思わせる正面2枚窓が特徴であった。(44.9.4 茶内)

 

No.3/昭和39年泰和車輌工業製で、廃線後「茶内ふるさと広場」に機関車と共に保存されたが、老朽化が激しいため解体されてしまった。(42.9.5 茶内)

 

No.4/昭和40年泰和車輌工業製で、当初から2個ライト、トルコン付でワンマン設備をもっていた。(44.9.4 茶内)

 

No.6/昭和35年運輸工業製でNo.1とは同形、昭和40年に藻琴線から転入した。(42.9.5 茶内)

牽引客車

 

昭和32年釧路製作所製で、昭和42年の時点で既に休車状態であった。(42.9.5 茶内)

その他

ロータリー車2両、8t積有蓋貨車1両、8t積無蓋貨車1両、6t積無蓋貨車11両、6t積木材運搬車2両、6t積牛乳運搬車6両、6t積小荷物車1両、家畜運搬車4両、30石入牛乳タンク車3両が在籍した。

 

30石入牛乳タンク車(42.9.5 茶内)

 

 

茶内今昔へのお返しに

特派員殿

茶内駅でのスナップ ありがとうございます。キハ08と一緒のこんなスナップがあったとは うれしい限りです。昭和46年3月12日 この日の写真は白糠駅から始まっていますので、前日の長万部でのC62のあと 釧路行きの夜行普通列車から乗り継いで茶内へ入ったようです。茶内ー糸魚沢間は10Kmあり 確か中間地点付近まで歩いたと思います。混446レをかなり高い場所に登って俯瞰撮影し そのあと下り貨物列車を撮って 茶内へ戻ったと思います。よっぽど時間をもてあましたのか 特派員殿は雪の斜面ではしゃいでいました。それにしても 夜行列車で着いて、ろくな食事もとらず、厳冬のなかを10Km歩き、みんな あの頃は元気だったんだナーとつくづく思う今日此の頃です。

雪遊びに興じる特派員殿

雪遊びに興じる特派員殿

 

津田社長殿

津田社長殿

初夏の北海道 余話-4-

茶内 今昔

回の北海道訪問では、鉄道ファンを名乗る以上は、僅かでも鉄道に貢献すべく列車乗車も行いました。根室本線では、厚岸~根室間を往復乗車しましたが、列車に乗ってみると、北海道の鉄道の衰退ぶりが身を持って感じられます。
乗車したのはキハ54の単行、車内は廃車発生部品の転換クロスシートに改造され、座席定員は約50名。しかし実際乗っていたのは、20人程度です。このことから、厚岸~根室間での一日輸送量(片道)はせいぜい150~200人と想像されます。釧路~根室間は、花咲線の愛称が付され、同じ根室本線でありながら滝川~釧路間とは運転形態も区別されています。同区間でも釧路から厚岸までは、小さいながらも釧路の都市圏を形成し、通勤通学需要があるようですが、厚岸~根室間に至っては、超閑散路線となります。
実際、列車に乗って見ても、駅間には人家は見られず、ただ原野が広がるのみ。駅前ですら、かたまった人家があるのは、茶内、浜中、厚床、東根室程度で、あとは駅周辺にも人家すら見られません。乗車した日は濃霧の影響もあって、よりいっそうの寂寥感を覚えたものでした。
この区間は40年前にも乗りましたが、人家もあって、もっと活気がありました。沿線の過疎化は想像以上に進んでいるようです。途中、茶内駅で撮った列車交換シーンは、意識していなかったのですが、偶然40年前と同じ位置から撮っていたことが判明、図らずも時代の推移を感じたものです。

霧の立ち込める茶内駅に進入する5624D列車。この列車の釧路到着が8時24分のため、珍しく6人もの乗客がいて、高校生も見える。下の40年前と比べると構内の配線は変わっていないが、周囲の光景はすっかり寂しくなってしまった。
北海道は意外に都市間連絡のバスが発達している。釧路~根室間には札幌からの便も加えてバス6往復、所要時間3時間10分程度で設定されている。鉄道は7.5往復、快速で2時間、普通で2時間20分と優位にあるものの、運賃はバス2190円、鉄道2730円で、やはりJR北海道の割増運賃が大きなネックになっている。沿線の国道を走っても、通行量は極めて少ない。旅客、物流とも、この地はやはり最果ての地域なのだろう。

昭和463月、茶内駅に入ってくるのはキハ083+キハ2118の2両編成、先頭のキハ08はオハ62からの改造車で、車内は種車の客車そのもの。この日は、鉄道同好会の仲間と茶内~糸魚沢間で撮影し、この列車に乗って釧路へ戻るところ、ホームの中ほどに江若鉄道の模型復元に情熱を燃やす西村さん、鴨川鉄道社長を自任する津田君の姿も見える。当時はこれほどの乗客があったのだ。
根室本線の列車は、DCは2連、客車も混合列車として走っており、荷物・郵便車を含む4両編成だった。札幌からの急行列車も運転されていた。

当時、茶内駅を出ると、右手には、簡易軌道の乗り場があった。茶内駅前から西円朱別、上風蓮、別寒辺牛へ向かっていた浜中町営軌道で、その当時残っていた簡易軌道では最大規模だった。小規模ながらも旅客営業を行っており、茶内駅は簡易軌道からの乗換客もあって賑わっていたのだろう。中央に見えるのが「自走客車」と呼ばれる無番号のDC、左手には、この軌道の主要な輸送であるミルクの運搬車が見える。現在この場所に立っても、それを偲ぶものは何もなかったが、茶内駅の事務室に、写真や資料が展示されていた。

 

北の大地へ2010年初夏編 Part8 釧網線

第9日目 2010年7月2日

久しぶりに雨の降らない朝を迎えました。47-508の同泊者の方は、72歳のおじいさん1名でした。既に3連泊しておられ明日3日から2日間、雄武町から斜里町までの212kmを駆け抜ける「インターナショナルオホーツクサイクリング大会2010」参加のために来られたと言っておられます。我々よりも元気なおじいさんです。

▲ 1972年当時の卯原内駅です。湧網線は道内でも好きな路線でしたので、よく乗りよく撮影をしました。

▲ 美唄の4110形機とまではいかなくとも塗装され一新されたのか、綺麗な49643号機。走行していなくとも落ちついて熟睡できたオハ47-508でした。

宿営地の卯原内駅交通公園前のサイクリングロード(湧網線跡)も走られるようで、朝からボランティアの方々が休憩所の準備をされていました。
この時期に道内でのスポーツイベントは他にもありました。北の大地に着いた翌日に丸瀬布温泉に入っていた時に「あなたも明日の100キロマラソンに参加ですか」と聞かれました。6月27日もサロマ湖では、国際陸連が公認する「サロマ湖一周100キロマラソン」が開催されていました。26日北見地方36度と数10年ぶりの猛暑になりました。一緒に入浴しておられた方は、こんなに暑ければ完走出来る自信はないと言っておられましたが、どうだったのでしょうね。
まだ曇り空でしたので撮影も難しいと、管理人のマスターが来られるのを待ってから出発しました。


▲ 1972年9月9日網走駅 斜里発7:05網走着8:01、C58-392牽引の始発622混合列車。

▲ 1972年(昭和47年)9月9日、前日札幌22:15(大雪6号517レ)→4:04遠軽4:21(622D)→4:41中湧別
5:12(921D)→7:49の行程で網走駅に到着し、発着列車を撮影しました。大雪6号は北見からは1527普通列車となって、後から7:57に到着しました。C58-331牽引、オロハネ10形を入れた10両(北見までは12両)の堂々たる編成でした。

9:50鱒浦駅着釧網線も網走側は木造駅舎が多く残っています。
▲ 網走駅に1番近い木造駅舎の鱒浦駅、ホームは1面1線。

10:00藻琴駅着

▲ 木造駅舎内に食事・喫茶「トロッコ」があります。この駅から、北浜駅、浜小清水駅、止別駅と駅舎内に食事・喫茶店が続いてあります

そして昨日長居をした北浜駅を通過して、ロケハンでノミネートしておいた花々の咲く沿線での撮影を開始しました。

▲ 原生花園臨時駅に掲示してあった沿線ガイド、クロユリだけは終わっていました。

▲ 10:17、北浜→(臨)原生花園 エゾスカシユリ、エゾキスゲ満開の群落の中を行く、快速「しれとこ」3727D(キハ54-515)。学生時代も同じ場所で混合列車を撮りましたが、モノクロでは花も雑草にしか写っていませんでした。

▲10:59、北浜→(臨)原生花園 4729D(キハ40-725)
▲ 左、エゾスカシユリ。 右、エゾキスゲ。

12:20
止別駅着。こちらはルピナスが満開でした。

ここからUターンして浜小清水駅間の定番撮影地に移動して、知床連山をバックに撮りました。ハッキリとは見えませんでしたが、丁度いい具合に霞がかかっていて、違った光景が見えました。

▲ 12:51、止別→浜小清水 4732D(キハ40-725) 

近くに食堂はありませんので、お昼ご飯はここでレトルトカレーとご飯を温めてのアウトドア食です。明日は雨で大荒れ予報でしたので、今夜の宿を川湯温泉駅の掲示板で見て気になっていた駅より徒歩5分、1泊2食5,500円の「旅・人・宿 あさ寝坊」を予約しました。

昨日とアングルを変えて、ルピナスの咲く斜里川鉄橋で4731Dを撮影後、知床斜里~止別間のお薦め撮影ポイントを探しますが、案内文の道が見つからずまた迷走です。仕方ありません。私の嗅覚と勘を頼りに地図にない道を見つけて線路沿いを、ここはと思う場所で止まりながら走りました。道は途中で切れて先には行けずUターンして、チェックしておいた場所を厚内での撮影と同様に道を開拓して撮影場所を造りました。

▲ 斜里川鉄橋手前から左折をして止別駅へと線路沿いの砂道を向かいましたが、3分の2ほどの所で通行止めの標識がありました。エゾスカシユリの群落はあるのですが、肝心の線路際にはなく高台からの撮影となりました。

次の撮影地は、昨日ハッキリと姿を現さなかった斜里岳の見えるポイントですが、今日はなだらかな山麓すら見えず、山間部に近づくにつれて厚い雲となってきました。各駅を立ち寄りながら川湯温泉へと向かいましたが、硫黄岳も見えませんでした。

▲ 古びた木造駅舎は止別駅から先は川湯温泉駅までありませんでした。

今日の温泉は、宿近くにある共同温泉「つつじの湯」入浴料300円へ参りました。川湯温泉とは泉質が異なり刺激感がありませんが、少し硫黄臭のする源泉かけ流しのお湯です。川湯温泉駅からも徒歩5分ですので、乗り鉄の旅でも行けます。「つつじの湯」のHPです。
http://www.masyuko.or.jp/pc/onsen/tsutsuji_no_yu.html

「旅・人・宿 あさ寝坊」は、今まで泊まった宿とはちょっと違っています。民宿、ペンションでもなく、かといってYHでもありません。聞けば、かつて我々が泊まったYHはアルコール禁止等、何かと制限が多く若者離れを起こしていたので、格安宿泊料金で垣根を取った宿を目指して運営されているそうです。食事は、親子3人家族の方々と一緒にしました。これには、びっくりしました。

同じような宿は北海道各地にはあるようで、情報誌「とほ」が発刊されています。道内のコンビニ「セイコーマート」全店や各書店で購入できます。内地では、有名な書店でないとありません。ネットでも購入できますので、北の大地一人旅を目指す方はお求めください。情報誌「とほ」「旅・人・宿 あさ寝坊」のHPです。両方共お薦めします。
http://www.toho.net/
http://www7.ocn.ne.jp/~asanebou/

明日の天気予報は、また雨です。遠く日高方面に移動します。運転手一人では過酷な一日になりそうです。

成田スカイアクセス開業と京成金町線ダイヤ改正

東京都心と成田空港間を最速36分で結ぶ「成田スカイアクセス」の開業については【9071】で「デカンショまつり号」さんが報告されておられる通りであるが、それに伴い京成電鉄全線のダイヤ改正が実施された。その中でも最も大きく変化した金町線について報告する。

金町線のダイヤ改正は全線ダイヤ改正に先行して7月5日に実施された。その内容は、①高砂駅の発着ホームを新設の高架ホーム5番線に変更(従来は一部を除き4番線に発着)②朝夕を中心に運転されていた金町~上野(一部押上)間の列車を廃止して全列車金町~高砂間の折り返し運転とする。③高砂~柴又間を下り線を使用して単線化する。但し、上り線は入出庫線として残し、単線並列とする。④昼間の運転間隔を20分から15分に短縮する。(運転本数は改正前の平日上下各80本/日→89本/日、土休日上下65本/日→75本)

ダイヤ改正前20分間隔の時は1列車が折り返し運転を行っていたが、改正後は2列車使用して柴又駅で交換するようになった。昼間の基本的なパターンは金町駅、高砂駅ともに発車時刻は7分・22分・37分・52分、柴又駅の発車時刻は上下共に9分・24分・39分・54分で、金町、高砂双方の駅を同時に発車した電車が柴又駅に同時に着発することになり、柴又駅での駅撮りが難しくなった。

ダイヤ改正とは別に7月5日より来年3月31日までの予定で、葛飾区のPRの一環として、3300形3341-3342-3319-3320の編成に「寅さん」、3337-3338-3347-3348の編成に「両さん」のラッピングが貼られている。

 

「寅さん」のラッピングのモハ3342と「両さん」のラッピングのモハ3338

【教習所踏切】

高砂~柴又間のほぼ中間地点の踏切で直ぐ近くに京成自動車教習所があり「教習所踏切」と呼んでいる。(正式名称は「高砂(金)4号踏切」)ここまでは自宅から自転車で20分(信号のタイミングがよければ15分)で到着する。趣味誌で「撮影地ガイド」に紹介されたことがあるが、高砂~柴又間で撮影可能な場所は、この場所を含め途中の踏切しかない。

 

高砂駅から柴又駅までのほぼ中間地点まで高架化され、高架から地平に降りる「寅さん」編成と地平から高架に上る「両さん」編成

 

高架完成前の同一区間を走る3341-3342-3319-3320と3337-3338-3347-3348編成

リバイバル塗装車

 

青/3353-3354-3355-3356・赤/3345-3346-3323-3324・オレンジ/3309-3310-3311-3312

3500形

昭和47年12月から57年5月まで4両編成24本96両作られたセミステンレス車。平成8年から大規模な更新修繕が平成13年までに14本が実施された。残りの10本も実施される予定であったが、新車を投入した方が得策との考えから中止となり、既に廃車された車両もある。

 

上/3501-3502-3503-3504・車体更新車、下/3573-3574-3575-3576

【教習所踏切の山側】

 

【「教習所踏切」と柴又寄りの「高砂(金)5号踏切」の間】

 

単線化後

 

複線時代

【「高砂(金)5号踏切」(柴又駅から高砂寄り2つ目の踏切)】

 

この場所も「撮影地ガイド」に紹介されたことがある。

【金町方面から柴又駅進入】

 

【柴又~金町間】 

柴又~金町間は両側に道路がある。金町に向かって右側は交通量が非常に多いが、左側は比較的静かである。

 

ダイヤ改正で廃止された上野行/3341-3342-3319-3320

 

金町駅発車/3589-3590-3591-3592

【北総鉄道リース車について】

昨年9月17日【4342】で3305-3306-3307-3308編成と3313-3314-3315-3316編成が北総鉄道にリースされ7261~7268の車号となっていることをお知らせしたが、4月中旬頃、教習所踏切で撮影していた同業者から7月17日の成田スカイアクセス開業に伴いスピードアップの障害になるため、9000系と共に廃車(リース返還)になるため、新鎌ケ谷駅や東松戸駅では撮影者で賑わっているという話を聞いた。同車の車齢を考えると多分間違いないだろうと思い撮影を試みたが、得てしてこの種の車両はカメラを持っている時には来ずに、持っていない時に限って来るものである。それでも葛飾区役所に行った時に、場所は良くないが何とか撮ることができたが、開業後も特に変わりなく運転されているようである。しかし、いつ廃車されてもおかしくない車両であるのは間違いなく、早めの撮影をお勧めする。

 

上/22年6月29日 立石~四ツ木間・下/22年5月18日 立石駅

 

9001他8連  22年6月29日 立石~四ツ木間