新年第一回は山陽電鉄アルミカー

関三平画伯の「昭和の電車」シリーズも新年再開です。

山陽2000系だったか分かりませんが、扇形の模様の入った車体の電車を見たことがありました。tsurukame先輩、湯口先輩、ご解説お願いします。場所柄、前歯堅造氏あたりが適任なのだがあいにく彼は国鉄のスハ43にしか興味がなく、かつて「急行つるぎを愛する会」を一人で創ったぐらいだから山陽電車には興味はなさそうである。

小田急消滅車両補正

 デジ青[17357]「小田急消滅車両」でJR東海の371系小田急乗り入れ車両も掲載したが、これは小田急の車両ではなくJR東海の車両であり3月に消滅するという情報はない。3月17日ダイヤ改正で消滅する小田急の車両は10000形、20000形、5000形で、同時にJR東海371系の小田急乗り入れがなくなるということを早とちりしてしまった。お詫びしたい。なお、JR371系はまだ使われるようで団体専用なのか他の使われ方があるのか注目される。また、小田急は気動車5000形、5100形や3000形(SE車)以来の伝統を守り、どうも御殿場までは乗り入れを継続するようだ。その車両は地下鉄乗り入れに使われている60000形との情報も流れている。お詫びの続きで有名撮影地で申し訳ないが、私自身始めて行った御殿場~足柄の371系と今後御殿場線乗り入れに使用されるとの噂のある小田急60000形を掲載する。

 

 2012.1.13 JR御殿場線御殿場~足柄 2M 特急「あさぎり2号」新宿行き

金曜日であったが、付近には車10台が並び、和歌山、滋賀の関西ナンバー、豊田、浜松の中部ナンバー、品川、所沢の関東ナンバーなどを見かけた。駅から徒歩25分。歩いて来たのは私一人。

 

2011.11.5 小田急小田原線鶴川~玉川学園前 60051 箱根湯本発特急「メトロはこね22号」北千住行き

この車両が乗り入れ予定の60000形MSE

連接車3

今回は福井鉄道である。福井鉄道は福井駅前の路面軌道しか見ておらず高速で走る姿がなく申し訳ない。

 

      1967.9.14 市役所前 急行福井行きモハ202-2+202-1

 当時は地方私鉄の雄のような存在で連接車の紹介では必ず顔を出していた。 1960年より日本車両で3編成つくられ現在も現役と聞く。後に両端台車はJR113系のものに交換されたり、冷房化により概観に変化が現れたが、この写真は新製時に近いものである。この車両に乗ったことがないので大きなことは言えないが、WN駆動、固定クロスシートの意欲的な急行用車両で綺麗な湘南スタイルの電車と私は思う。尚、この時はゼミ旅行で立山に行った帰りに福井に立ち寄ったもので、路面電車の撮影はその後も駅前で済ませて数だけ稼ぐというぐうたら撮影が多い。

 

      2011.9.6 市役所前 越前武生行き 772 

1987年に日本車両で4編成つくられ2005年まで名鉄岐阜市内線揖斐線直通に使われた車両。側窓は当初からの冷房車のため、固定式である。それにしても見事なカラーリングの車両である。ところで「大人の休日クラブ」を利用すると東京から出てきて福井で2時間ほど撮影してその日のうちに帰ることができる。それも安い料金で。時間的に大変便利で有難いがはるばる来た感じは失せる。

 

                 2011.9.6 公園口付近 越前武生行き「日通号?」 770

撮影中京浜東北色の車両が来た。同じく名鉄から譲渡されてきた770であるが、ごらんの通り、日通の広告電車。赤字経営では背に腹は替えられず広告も重要な収入源と思うが、何となくその会社の魂を売ったようで寂しい。最近は大手私鉄でもどんどん広告電車が走っており撮る方は興醒めである。

 

 

    2011.9.6 本田四ツ辻 福井駅前経由田原町行き886

 路面を歩いていて本田四ツ辻という停留所に来た。どうやらこの先が専用軌道といおうか高速鉄道線に入るようで写真はまさに今路面に入るところである。車両はこれも名鉄美濃町線で使われていたもので1980年日本車両で5編成つくられた。デジ青[17097]連接車2で紹介した名鉄時代のものと比べると福井カラーは実に爽やかである。

 この他に福井鉄道にはモハ160形という古い車両を2両組み合わせてつくった連接車が存在し、161-2が福井市下馬公園に、161-1が越前市旧南越線村岡駅跡に保存されていると聞く。現役時代を含めカメラに収められた方もおられよう。請発表。福井といえば阪急のK氏の故郷。最近、京都での懇親会で元気なお顔をデジ青で拝見させていただいたが、見てるかな。見てないやろな。

 

 

福島電気鉄道軌道線


朝のラッシュ時福島駅前

電車嫌いとされる老人だが、電車でもある種のジャンルは大好きとは、かねて何度か記した。曰く花巻電鉄軌道線、秋保電気鉄道、駿豆鉄道三島軌道線、静岡鉄道秋葉線、松本電気鉄道浅間線等々。それに(正直言えば)京阪電鉄京津線もそうか。今回は福島電気鉄道軌道線を。撮影は1961年2月28日、ほんの1時間余に過ぎない。

この電車は、元来信達軌道と称す2フィート6インチ軌間の蒸気動力軌道で、開業は1908年4月14日だが、すぐ大日本軌道に併合され、その福島支社に。1918年1月8日再び信達軌道として譲渡=地元資本で独立。ところが1922年5月蒸気機関車の排出火の粉で沿線鎌田村80棟焼失の大火災を惹起し、憤激した住民が妨害し18日間運行がストップするという、恐らく他例の無い大事件になった。

以後赤字続きで、1924年には資本金100万円に対し424,742円の繰越損金を抱えるに到る。その窮状からの脱出は、佐伯宗義が専務に就任し、半額減資の上増資、それに多額の借入金とで不採算区間をばっさり切り捨て、1067mm改軌と電車化を果たしたからである。地元は蚕糸で豊かであったとはいえ、これだけの大鉈を振るえる人物はわざわざ富山県から招聘せねばならなかった。

ついでにいえば改軌工事は陸軍鉄道聯隊の演習として実施してもらったのだが、道路そのものの拡幅には到らず、電化はしても車体巾は軽便時代の5フィート6インチ(1,676mm)のままである。道路拡幅の場合その土地は軌道事業者が自前で購入し、竣功と同時に無償で道路管理者の所有に帰すのが軌道法の決まりである。

佐伯宗義はその後故郷の富山県下の鉄道を併合し、富山地方鉄道を作り上げる。敗戦後は国会議員の傍ら富山-金沢間を結ぶ加越能鉄道の実現に邁進し、土地もかなり取得した由だが、国鉄北陸本線の電化で挫折した。輸送機工業1953年製加越能鉄道加越線のディーゼルカー、キハ15001の台車がFS13で、いつでも電車に改造できる設計だったのも、その名残であった。


真冬なのに冷しラーメン 冷麦の看板とはこれ如何に

電車が離合している間路上交通はほぼストップする

それはさておき、この電気軌道は勿論単線で、要所に離合設備があるのだが、朝夕のラッシュには5両の電車がゾロゾロと続行運転をするのが有名だった。どっちからも5両づつが離合するのはかなりの奇観壮観ではあった。例えば茨城交通水浜線でも似た風景ではあったが、確か3両続行が関の山で、5両続行というのはここだけではないか。

小生は当時この電車そのものにはさしたる感傷も興味もなかったが、ただただ5両続行なるののを見たかっただけである。というのも、かの「東北の電車」を「青信号」に連載した若かりし乙訓老人の縄張りと固く信じていたからでもある。だから撮影もものの1時間余、それでも福島駅前から2.9kmの祓川までは歩いて往復した。今から思えば片道ぐらい乗車したらよかったのだが、貧乏ドーヤン生にはその10円が惜しかったのである。


左の建物にある「トーハツ」の看板はバイクメーカーの東京発動機 大阪発動機(ダイハツ)はまだ健在だが

バスが道路の残り巾でやっとこさ通り抜けている


この道路巾だから、電車がおれば自動車は片側しか通行できない

軌道線の廃止は1967年9月16日(聖光学園前-湯野町)、1971年4月12日(軌道線全部)であった。詳しくは乙訓老人が黙っておれまいて。ご老人よ!出番でっせ!

浜大津ターミナル復元(その1)

昨年の浜大津での江若イベントは多くの方々のご協力によって 思い出深いものになりました。今年は京阪大津線開業100周年にあたるとかで、是非浜大津ターミナルの復元をという声に押されて 再び無謀にも今秋までに工事を進めることにしました。とは言え、江若と京津線、石坂線の集まる浜大津ターミナルは多くの建物を再現しなければならず、軌道敷きや変な角度のクロッシングなど三井寺下などで経験していない部分もあって 多くの不安を抱えての工事着工となりました。年末に藤本氏が多くの写真を投稿して頂き、車両もさることながら 後ろに写っている建物の細部が判り 大変助かっています。ところで江若廃止当時から残っている建物に「大津市社会教育会館」があります。昔の大津市公会堂です。浜大津ターミナルの復元には この公会堂は不可欠と考え、大津市歴史博物館のK学芸員にお願いして 公会堂の図面を探してもらいました。年も押し詰まった12月30日に詳細寸法の入った外観図が1枚届きました。さっそく1/80に拡大コピーし、併せてインターネットで写真を集めて 年明け早々 まずこの公会堂から工事を始めました。世の中には建築模型士なる民間資格があり、建築模型用材料も通販で買えることを知って、今回は建築模型に多用されるスチレンボードを使うことにしました。現存する建物だけに あまりごまかすこともできず、写真とにらめっこで何とか完成しました。12月31日の藤本氏の写真で、京阪352のうしろに写っている建物です。 

まだ玄関前の植え込みなどが未完成ではありますが、まずまずの出来なので、これに気をよくして次は江若浜大津駅の製作に入ることにします。ちなみにこの公会堂製作に要した材料費は500円程度です。

ところで大津市歴史博物館製作のDVD「映像でたどる大津の歴史」を購入し、収録されている江若鉄道のカラー動画(当時の8mm映像)を繰り返し見ています。そのなかに 特派員氏が写真のパネル板で作られた「さようなら 江若鉄道 同志社大学鉄道同好会」のヘッドマークが数秒間ですがアップで出てきて 感涙にむせびました。このDVDは大変貴重なカラー映像で1500円はすぐにモトをとった感じです。

さてクローバー会の皆様、気が早いのですが この浜大津ターミナルのジオラマが完成した暁には車両が必要になります。江若の車両はすでに充分あるのですが、京阪の車両がないと格好がつきません。モデラーの皆様、まだ半年以上ありますのでポール時代の京津線、石坂線の車両製作に挑戦してみてください。かく言う私は すでに20型と70型(72)を製作中です。80型、260型、300型、350型それに「びわこ」もほしいですネ。それから浜大津貨物駅に出入りしたハチロクも欠かせません。そこまでは私も手が回りそうにないので、皆様のご協力を仰ぐ次第です。

今年も皆様のご協力をよろしくお願い致します。

今でも気になる江若鉄道(Ⅲ)


気動車のトレーラーとして使用中のオハ1957/浜大津 (40-3-18)

今回は廃止時に在籍していた客車を話題にした。
オハ1957~1960、オハ2763~2765の7両の客車が在籍した。昭和40年頃まで日常的に朝夕の快速列車に、オハ1957~1960は気動車のトレーラーとしても使用されていたが、走行部分の老朽化や総括編成の登場等により、快速列車での使用を取り止め、速度制限(65㎞/H)を設けて夏季の水泳シーズンの臨時列車にのみ使用されるようになった。水泳臨時列車専用のように記されている書物やネットが散見されるが、大きな間違いであり注意が必要である。
【オハ1957~1960】
オハ1957~1959は、明治35年関西鉄道四日市工場製の木製客車ホハ102~104を大鉄車両で車体を新製して鋼体化した車両である。オハ1960は昭和36年大鉄車両で新製した車両であるが、昭和30年廃車になったホハ101の台枠と近鉄名古屋線の改軌で不要となった台車を再利用している。
車体は1両毎に細部が異なる。
〔オハ1957〕(形式オハ1900)
昭和32年(1957年)ホハ104を鋼体化したもので、座席はロングシートである

三井寺下 (41-11-27)
〔オハ1958〕(形式オハ1910)
昭和33年(1958年)ホハ103を鋼体化したもので、近江今津側が正面2枚窓の非貫通で車掌室が設置されている。座席は扉間クロスシートである。

三井寺下 (41-11-27)

貫通側/三井寺下 (43-5-18)

堅田 (44-10-4)
〔オハ1959〕(形式オハ1910)
昭和35年(1960年)ホハ102を鋼体化したもので、浜大津側が正面2枚窓の非貫通で車掌室が設置されている。座席はオハ1958同様扉間クロスシートである。

堅田 (44-10-4)
〔オハ1960〕(形式オハ1960)
前述の通り、昭和36年大鉄車両で新製車。ホハ101の台枠と近鉄名古屋線ク6561形の台車K-67を再利用している。座席は扉間クロスシートである。


堅田 (44-10-4)

【オハ2763~65】
元国鉄オハ27(オロ31の格下車)で昭和39年に譲り受けた。車歴は下記の通りである。
オロ31110(昭和3年日本車輌)→オハ27110→江若オハ2763
オロ3192(昭和3年日本車輌)→オハ2792→江若オハ2764
オロ31117(昭和3年川崎車輌)→オハ27117→江若オハ2765
いずれもトイレ、洗面所を撤去して63と65に車掌室を設置している。
〔オハ2763〕

快速列車に使用中/浜大津 (41-12-8)
〔オハ2764〕

快速列車に使用中/浜大津 (41-11-29)

高島町 (44-10-4)
〔オハ2765〕

高島町 (44-10-4)

【列車の画像】
〔快速列車〕
昭和41年頃迄DD13牽引の快速列車が1往復運転されていた。当時の時刻表が手許になく、昭和44年6月時点の時刻表では、上りは近江今津発6時40分で途中新旭、安曇川、高島町、北小松、比良、蓬莱、和邇、堅田、雄琴温泉、滋賀、三井寺下に停車して浜大津着は8時5分、下りは浜大津17時55分、近江今津着19時15分で、所要時間は普通列車より約10分早く、通勤快速とでも云うべき列車であった。
5両編成で浜大津寄りからオハ1900番台3両+オハ27形2両が基本であったようであるが、一度だけオハ1900番台2両+オハ27形3両を見たことがある。

快速列車は浜大津駅到着以外撮影していないが、無いよりマシと思っていただきたい。
DD1352+オハ1959+オハ1960+オハ1958+オハ2764+オハ2763/浜大津 (41-12-8)

DD1352/浜大津 (41-12-8)
〔気動車のトレーラー〕

キハ51+オハ1960+キニ4 / 浜大津 (40-3-11)

キハ19+オハ1957+キハ12 / 浜大津 (40-3-18)
いずれも近江今津からDDT編成で到着後、三井寺下に回送のため先頭のDを反対側に連結したところ。
〔水泳臨〕

DD1352の引く近江舞子行回送列車/滋賀~叡山 (44-8-16)

水泳帰りの客で満員の浜大津行/滋賀~叡山 (44-8-16)


DD1351の引く浜大津行/滋賀~叡山 (44-8-16)

伊香保の電車(Ⅱ)


正門の扉が開いていると電車が見える。

 昨年の9月30日/乙訓の長老【15051】「老人伊香保温泉に遊ぶ」、10月4日/西村雅幸氏【15086】「伊香保の電車」等で、渋川市内に保存されている「伊香保の電車」が話題に上がったが、年末の12月26日(月曜日)仕事で高崎に行った時、早めに出かけて見学した。
場所は渋川駅から徒歩15分位の渋川~高崎間のバス道路沿いにあり、「平形眼科」の大きな看板があり直ぐに判った。立派な門を入り受付けの方に来意を告げると「どうぞ」と云うことで車内を含めて見学することができた。

東武伊香保線の廃止は昭和31年12月28日で、廃止後半世紀以上経過しているにもかかわらず非常に美しい状態で保存されている。屋根のない所でこれだけの状態を保つため日常的にメンテナンスがしっかり行われており、保存されておられる方の並々ならぬ熱意を感じた。

 車体は戦後の更新修繕で丸屋根になっているが外吊りの扉はそのままである。

 車内

 運転台付近

 
 行先板

平形眼科の全景

もう1両の保存車
渋川駅から徒歩5分位の公園にD51724が保存されている。こちらも保存状態は良好である。

年初めの外回り鉄はじめ

KAWANAKAです。

七草粥を食べる時期が終わったので、あけましておめでとうではないですが、仕事を利用した外回り鉄の初めです。会社恒例の豊川稲荷詣でが毎年年初めの週末にあり、小生は2回目の参加です。幹部が夜にホテルアソシアで新年会をして、あくる日ゴルフをするというものです。嫌味を聞かされますがタダ酒飲めるのとタダゴルフ(小生は参加しない) ができて休日勤務になりますからそれなりの価値はあります。

今年は豊川からどのようにして帰宅しようかと思いましたが、準特急先輩の記事を見て、中津川経由(経由といえるかどうか)で帰ることとし、中津川まで行くなら長電に立ち寄ろうと思って立寄り外回り鉄をしました。豊川までの新幹線が老年切符に化けて追加費用なしです。

中津川: 準特急先輩に貨物の時刻をお聞きしてお稲荷さんのパワーでイザ出発。ところが中央線は休日ウヤが多く、中津川で丁度時間を持て余していそうな赤線帽子のエライさんに、時刻を聞き午後から外回り鉄をはじめました。聞けば1325上り、1525下り、1630下り、同時刻1630に遅れている上りが来るかも知れない(中津川通過時刻)とのこと。予定していた釜戸は諦めてスーツにコート、かばん、革靴で落合川から少し中津川寄りに戻って撮影することにしました。かつて若かりし時に訪れたときとは様変わりであるが、それでもすかたんを幾つかしましたが外回り鉄としての使命を少し達成しました。

御なじみの場所での見飽きた写真なので、ちょっと違った写真を掲載。股覗き状態での山が新雪を被って綺麗です。

長野: 夜遅く、帰宅途中の長野で途中下車。お宿は少しロケには高いかと思った朝付き5000円のホテルの投宿。手違いから部屋がなく、スイートで勘弁? してくれと言う。応接セット、広いバス、クローゼットがあり、こんなことならもっと早くチェックインすれば良かった。

翌日は、長電2000系で、HPによれば206レ(須坂0801→長野0829)、203レ(長野0847→須坂0913)とあります。バイキング朝食を大急ぎで流し込み(沢山食べておくと昼食のコストと時間が省略できる)、昨日と同じくスーツにネクタイ(寒いから)、革靴、コート、かばんで現場へ。

かなりの人出であったが、3月に本当の最終であるので、意欲のある人は廃線になる屋代線の撮影を兼ねて行かれてはどうであろう。

写真は朝陽を出たとことの203レの1枚であるが、英語のヘッドマーク。後尾は当地で有名なトンガラシ屋の八幡屋磯五郎の広告のヘッドマークで同じく英語版、トンガラシの絵入りである(実際に行って見てください)。何でも売ってしまいそうな長電であるがようやる。

(こんなこととはイザ知らず、走り去る電車の逆光写真を超トリミング。ぼやぼや写真で恐縮)

外回り鉄はここまで、鹿渡、屋代線・・・と興味はあるが、後の祟りを恐れて老年切符で帰ることにした。カバンには持って行っても良いというホテルのパンがわんさか。かじりながらのエコノミー帰路となりました。

ところが・・・、篠ノ井線を通過中、姨捨に下りたくなって下車。知らんうちに姨捨公園というのがあって安易に写真が撮れるという。あやかって次の電車までの時間を使って1枚。あまりに安易。あまりに来る車両が詰まらんし、寒い。帰ることに。

なお、下の写真は2人は何の関係もなく、前後の写真から判断すると偶々そういう場面になっただけ。小生は電車が来ても鉄でない人は、みんな反対の景色の方を見ている、というのを撮ろうとしただけであります。

人を写したのでついでに1枚。

長野駅での見送りの風景。子沢山になった奥さんを置いての別れ風景。子供はお父さん?がどこに乗っているのかわからなくて単に手を振っている。奥さんの里が長野で、旦那が名古屋かどこかに行くのかな?、しかし明日はまだ休み。てな、ことを考えて、あんまり高給ではなさそうな奥さんの風貌を見て色々想像した。苦労かけるねえ・・・。がんばろう。いやー、鉄道は良いねえ。

・・・で、脱線しましたが、外回り鉄初めはこれにて終了。久し振りの中央西線であるが考えてみれば、JJR東海の合理化も流石であるが金は持っているんでしょうね。富の再配分を何とかならんものかと。不当に高い(と小生は考えている)新幹線でシコタマ儲け、殆ど国鉄の車両を駆逐し終わって(次はどうしようというのでしょうか)、只管、鉄を無味乾燥なものにしている東海。

年明け、色々考えさせられるよそ道帰宅2日の外回り鉄でありました。

小田急消滅車両

新幹線100系、300系、日本海、十和田観光等今年の3月は消える車両、電鉄会社が多く、忙しい。1月5日付け日経新聞によると小田急電鉄でも3月17日のダイヤ改正で10000形Hiseと20000形RSEを引退させ、同時に1969年からの通常車両5000形も引退させるとのこと。JR東海の小田急乗り入れの取りやめと小田急の沼津乗り入れを御殿場まで短縮するという話は聞いていたが、小田急は今後乗り入れに何形を充当するのだろうか。デジ青巻頭写真で大活躍の893-2さんも8日兵庫県宝塚市から小田急撮影に来られたようです。私も関係写真をのっけてみました。

2011.11.6  JR御殿場線谷峨駅を通過する沼津発新宿行き「あさぎり4号」 20001

 

2011.2.10  相武台前~座間 箱根湯本行き「はこね25号」10051 ここは桜の季節は好撮影地となる。一部長野電鉄に譲渡され、撮影済みの方もおられよう。

 

2011.11.7 鶴川~玉川学園前 沼津発新宿行き「あさぎり2号」 JR東海371系

 

2010.2.20 伊勢原~鶴巻温泉 5255~8551 小田原発急行新宿行き 所謂小田急顔の最後。 昨年の東武顔8111に続きその会社を代表する顔が減っている。

本年もよろしくお願いします

頑張ろう2012年。甦らそう日本!
本年もよろしくお願い致します。

山陽電鉄2012号他3連。1963年1月3日、須磨浦公園近くにて。

1962年7月1日、プレス公開、電鉄姫路にて。2012+2505+2013。

本邦最初のオールアルミカー。山陽の3扉車モデルの先駆車。性能比較の為同時に、ステンレス車2014+2506+2015を製造し運用、その後のアルミカー採用の先駆車ともなった車両。

2010年以来、山陽電車と共に新年のご挨拶をして来まして早や3年目。しかも、2013、2014、2015と用意が出来ていますので、これからもまだまだ続きます。お楽しみに。

マレー国鉄に少しだけ乗ってきました。

昨年、12月9日から12日まで、会社の職場旅行で、マレーシアのペナン島へ行ってまいりました。

一日、自由行動があり、何をしようか迷っていたところ、対岸のBUTTERWORTHまで渡ると、鉄道があることがわかり、早速、海にも入らず「鉄」してきました。

12月10日、ホテルを出て、午前中は、世界遺産にも登録されているジョージタウンを散策。昼過ぎに、対岸に渡るフェリーターミナルへ移動。ターミナル内で、BUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAの切符を購入。行先は、1445着Nibong Tebaiです。プレミアシート(1等)で14マレーシアリンギット(約366円)です。帰りの切符も予約しようとしましたが、すぐ折り返すような行動が理解されず、どうしても売ってくれませんでした。

フェリーで渡ること、約15分。対岸のバタワースに到着。フェリー乗り場近くの駅に移動しますが、駅前には、SLとDLが展示されています。

駅自体は、プレハブの仮設駅です。

ここバタワースからは、クアラルンプールまで、一日2往復(昼行・夜行)。クアラルンプールを経由して、シンガポール近くのウットランズまで1往復(昼行)。バンコクまで1往復(夜行)の列車が発着しています。ここで、無事帰りのNibong Tebai1516発10列車SINARAN UTARAの切符を購入。BUTTERWORTHは、1615着の予定です。帰りは、スーペリアクラスで11マレーシアリンギット(約286円)です。

乗車するBUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAは、機関車26110+ASC2216+ASC2155+ASC2151+ASC2201+AFC1413+ADNS2616+ADNS2640+ADNS2617+ADNA2604+PCC212の8両編成で、ASCは、スーペリア(二等車)。AFCは、プレミア(1等車)。ADNSは、寝台車(開放型二段寝台でオロネ24のような感じです。PCCは、電源車です。車両番号は、車体に書かれておらず、車体中央の水タンクか空気溜めのようなものに書かれており、ほとんどが韓国HUNDAI製です。一日二往復ですので、夜行でクアラルンプールから来たものが、昼行で、クアラルンプールへ折り返すのだと思います。

運転士に身振り手ぶりで、「ジャパンの鉄」であることを伝え、26110機関車運転室に乗り込むことに成功。

最高速度は、120キロのようです。ただ、この機関車の長さが異様に長く、客車と同じくらいの長さです。線路に下りての撮影も、こころよくOKをもらいました。

そののちに、プレミアシートに移動。革張りのシートで一列と二列の配置で、なかなかのものです。

車中では、パン(フジパン製のアンパンかココナッツパン)とミネラルウォーターの配られました。小一時間の旅で、Nibong Tebaiで到着。途中、長大編成のコンテナ列車と何度かすれ違いました。また、、現在は、非電化ですが、電化工事と路盤改良工事たけなわでした。Nibong Tebaiは、一面の駅でこちらも仮設駅で、駅舎は、プレハブです。隣で高架駅の工事がたけなわです。ただ、一日に往復しかない旅客列車のためにこのような工事が必要なのか?甚だ疑問です。

左に見えるのが、高架化した新しい駅です。

帰りの列車は、クアラルンプールを0845に出た列車ですが、約35分遅れて、NibongI Tebaiに到着しました。帰りは、スーぺリアクラスは、二列・二列で、パンなどの配布もありませんでした。パン代だけでも3マレーシアリンギットは、しますので、絶対プレミアがお得です。その上、このスーペリアには、人の他、赤アリが巣を作っているくらい大量に乗車しており、一緒に行った後輩は、うとうとしているうちにTシャツの中にアリが入り込み、体中に刺されておりました。

ということで、少しだけ、マレー国鉄に乗車してきました。

ペナン島に行く機会がありましたら、是非、お勧めします。