名鉄パノラマカー7000系

手元に1961年7月号の「鉄道ファン」があります。そう、これは創刊号です。
最初のグラフページは、奥中山のカーブを通過する80系はつかりの試運転写真でした。次のページは特急さくらの20系、その次のページにはc62+D52で瀬野―八本松をあえぎながら上る特急かもめ、「この付近にもポールが立ち並び、この写真もいまや記念すべきもの・・」との湯口大先輩のコメントが。その次の見開き2ページには夕闇迫る山科の大カーブを通過する特急第二つばめ、人間国宝・佐竹大先輩の作品です。

さて、この記念すべき創刊号の表紙を飾ったのが新製まもない名鉄7000系でした。
オレンジバーミリオンという色調も、この時初めて知りました。中学生にとって名古屋がまだ遠い異国の地に思えた時代でした。

名鉄7000系_NEW名鉄7000系(文)_NEW

台湾一周駆け足旅行(1)

昨年4月に続き趣味仲間Sさんのリーダーシップのもとで台湾鉄路をまわってきたので報告する。今回は、鉄研三田会の3名の方を含め、合計6名で途中適当に離散集合を繰り返しながら、撮り鉄、乗り鉄、飲み鉄を楽しんできた。個人的には1968年(昭和43年・中華民国57年)3月にゼミ旅行で訪台した時に別行動で撮影した場所への再訪が目的の一つであった。45年前の拙文は当時の青信号に掲載されているので今でもお持ちの方は参照されたし。

<3月20日> 羽田⇒台北松山⇒MRT⇒高鉄台北⇒高鉄台中(台鉄新烏日)⇒台鉄台中    ※ 高鉄は高速鉄道で台湾の新幹線、台鉄は台湾鉄道で在来線、MRTは地下鉄

旅の初日は台中である。当初虎尾のサトウキビ列車の予定であったが直前に運行終了の情報が入り、やむ無くホテルはそのまま台中とし、翌日以降の計画は練り直しとなった。高鉄の台中は台鉄の新烏日で、台中までは区間車で10分程度であった。早速、昔撮影した台中から烏日までを車窓から注意していたが、道路ができ、建物がびっしり建っており写欲を失う。古いセピア色の写真を持参してきたので失礼ながら台中の駅長室に飛び込み少しでも昔の撮影場所の雰囲気が残っていないか質問してみた。何せ45年まえのことで誰もよくわからず、逆に訪問を歓迎されてしまった。李駅長の話によると1917年にできた駅舎と駅ホームなどはそのままであるとのことでこのあとしばらく駅での撮影を行った。この日は虎尾の最後の撮影に間に合った大津の86さんが帰国前日であるにもかかわらず私達が投宿するホテルまで来てくれた。大津86の名前の由来、台中は出張等で度々来られたこと、海外のこと、DRFCのこと等を歓談したがあっという間に時間が過ぎてしまった。

 

上:台中駅到着のDR2700系 2001車次光華号台北発高雄行き 1968.3.23 9:26↓

下:ほぼ同じ場所での127車次自強号E1031基隆発高雄行き。 ホームは嵩上げされている。2013.3.20 16:14↓

s-68.3.23台中光華号

s-13.3.20E1031自強127次

 

上:台中駅南下ホームより台北方向を臨む。CT165(8620)と弁当売りのおばさん。1968.3.20 9:20↓

下:ほぼ同じ位置であるがCT165の位置に機関車現れず。左の区間車は韓国大宇製500系電車嘉義発后里行き。右の側線は高架化工事なのか無くなっていた。後方の車庫も無くなっていた。ホーム上屋の柱は昔のまま。2013.3.20 16:20↓

s-68.3.23台中CT165

s-13.3.20台中

 

歴史記念物の1917年製の台中駅。45年前も基本的に同じ姿であった。↓

s-13.3.20台中駅舎

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part7 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第3日目 その1

02_市場5▲ 市場には、商品を卸す元気なおばちゃまたちが来られます。頭に乗せられるのは竹で編んだ籠です。この中に商品を入れて運んでこられます。主に新鮮野菜類です。カメラを向けると、はにかみ顔で答えてくださいました。

ナムツ鉱山鉄道 第3日目 3月27日 その1

01_運搬車今日はナムツ鉱山鉄道撮影の最終日です。迎賓館で朝食後、7時にナムツ駅に着きますと変わった車がありました。小型の人力運搬車のようですがちゃんとブレーキも付いていて、重量物も積めるしっかりとした造りです。
職員の皆さんは竹を積んで押して行かれます。

01_運搬車201_運搬車3▲ 勾配区間に入るとみんなで押します。後方左はナムツの町の唯一の市場です。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part6 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第2日目

01_子供1▲ ナムツ駅構内で遊んでいた姉妹。仲の良い満身の笑顔はミャンマーに来て初めて見ました。01_子供2▲ タイガーキャンプのデルタ線にある大きな木の下で直射日光を避けてくつろぐ親子。穏やかな姿の中に強い信念を感じました。 ナムツ鉱山鉄道 第2日目 3月26日 6:24、今日は、朝の機関区の様子も分かったので、迎賓館で朝食後に出発することにしました。 01_朝食02_ナムツ駅1▲ 7:09、ナムツ駅に行きますと職員の皆さんは仕事を始めておられました。 今日は、昨日タイガーキャンプに残した13号機と、42号機との初めてのツーショットが狙いです。昨日はタイガーキャンプに着くのが遅く温かくなったので煙が出ませんでした。今日は途中での撮影は止めて、タイガーキャンプへ直行するように打ち合わせました。 03_42号機1▲ 7:13、雲間から朝日が見えてきました。朝日に照らされたグースのボンネットの向こうに42号機の煙が上がりました。 続きを読む

江若鉄道ジオラマ、雄琴温泉で展示さる!

P1090428sy本日から「琵琶湖グランドホテル」で公開・展示された西村さん制作の江若鉄道ジオラマ浜大津・三井寺下ブロック。過去のスカイプラザ展示での感動が甦ってくる。車両もフルラインナップで展示、また江若鉄道関係の資料も閲覧できる。

以前に大津の86さんから報告のとおり、西村雅幸さん制作の江若鉄道ジオラマ浜大津・三井寺下ブロックが、「大津百町大博覧会」の旧大津市公会堂会場でメイン展示されました。多くの来場者が訪れ、去る4月14日に幕を閉じました。会場では、来場者が感想や思い出を書いて自由に貼り付けることができます。そのコメント数が、群を抜いて多かったのも、その人気ぶりが伺えました。

そして、この浜大津・三井寺下ブロックが、そっくりそのまま雄琴温泉「琵琶湖グランドホテル」で展示されることになり、当特派員も、さっそく本日朝の9時に同ホテルに参上し、様子を見てきました。

ことの発端は、クローバー会のtuuyanの高校時代の友人である、別の雄琴温泉の旅館業の方から、「琵琶湖グランドホテル」での展示を勧められたものです。同ホテルの社長さんは、江若鉄道沿線で生まれ育ち、江若鉄道には人一倍の思い出を持っておられ、しかも、鉄道模型にも造詣が深い方と、管理・展示していただく相手としては申し分ない方で、西村さんも、この申し入れには二つ返事で快諾。大津市公会堂での展示終了後、雄琴まで運搬、tuuyan・大津市歴史博物館の協力も得て設置完了し、本日の公開を迎えました。

期間を限定しない、“半永久”展示であり、今後多くの皆さんに江若鉄道を偲んでもらうことが出来るでしょう。ここでも、クローバー会のネットワーク・協力が発揮され、浜大津・三井寺下ブロックは最高の舞台に収まりました。

P1090423syホテルのロビー奥の土産店に展示された。土産店の営業中は自由に見学できる。閉店中でも、奥のガラス仕切りを通じてロビーから見学できる仕組み。管理としては、言うことがない。なお、ホテル内には、湖西線を走っていた「雷鳥」485系のプレートがさり気なく飾られるなど、鉄道好きの社長さんのこだわりが見える。

P1090420sy場所は雄琴温泉街の琵琶湖側、JR湖西線おごと温泉駅から歩いても15分程度、すぐ近くに江若鉄道の雄琴温泉駅もあった。展示場所としても、この上ない絶好のロケーションだ。tuuyan制作のトーマス9mmレイアウトもあり、子どもたちも大満足。

“なにわ”の赤バス、消える 〈4〉

C 130330_136sy夕方の南海難波駅前で、ただ一台ポツンと発車を待つ、赤バス「浪速西ループ」。「浪速東ループ」とは連続運行になっている。

駅と赤バス

“赤バス”ルートの経由地は、駅、区役所、病院が3点セットになって、複雑な運行ルートを形成していた。生活者重視、なかでも交通弱者の高齢者向けならではのルートだった。その中から、鉄道との出会いとして、駅と絡めた写真を並べて、“赤バス”の終わりとしたい。

さて、大阪市バスの今後の行く末だが、地下鉄事業とともに、交通局の民営化基本方針案が示されている。市バス132路線のうち、3月までの赤バスで26路線廃止、一般バスも2014年3月末には17路線を廃止し、89路線に集約したうえで事業を売却し、2014年4月から民間運行を開始する。地下鉄も2015年度から民営化するという、

大阪市交通局に、日本の公営交通としては、かつてない大変革が迫っている。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part5 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第1日目 その3

41_鉱山5▲ たくましい腕にお孫さんをしっかり抱いたおばあさん。はにかみ顔というより、自信に満ちた笑顔です。
41_鉱山6▲ 幼い子供さんは日焼け止めを顔一面に塗っています。ミャンマーでも色白は美顔になるのでしょうね。はにかみ顔のお母さんも大変です。

第2日目 その3

http://www.youtube.com/watch?v=wnWZEgmN5jw

▲ 動画の埋め込みコードが不調ですので上記をクリックしてください。

タイガーキャンプまでは急勾配です。DC303号機だけでは力が足りす。13号機も必死の力行を見せてくれました。コンデジでの動画撮影です。お見苦しい点はお許しください。

00_ループ_2

マンダレー

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のせでん開業100周年、復刻塗装電車

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開業当時の1号車にちなみ、グリーンブルー塗装と、車体前面及び側面に唐草模様が装飾されています。
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以上いずれも、妙見口駅付近にて、4月14日撮影。

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こちらは同日午後、山下駅構内にて撮影。

能勢電鉄は、2008年が会社設立の100周年だったが、当時は債務超過で経営再建中。会社の「100年史」を作ったほかは、既存イベントに「設立100周年」と入れて質素に祝った。その後、12年3月期決算で債務超過から脱し、今回、開業100周年を喜べる環境が整ったとして、種々のイベントを計画しているようです。

その内の一つが車両の復刻塗装。4月から1500+1550に開業時1型のグリーンブルーを、また4月14日この日から1510+1560に51型塗装を施した。前車は山下-妙見口間を、後車は山下-日生中央間をいずれも往復運転している。車内には懐かしの写真なども飾られているようですが、筆者は乗らずで見ていません。

4月14日日曜日、能勢に所用があり、通りがかりに撮影しました。

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part6 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) その3 第1日目 その3

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マンダレー
▲ タイガーキャンプ直前に設けられた2重ループ線です。ここを上がるとタイガーキャンプのヤードに入ります。

00_ループ_234_ループ134_ループ2▲ タイガーキャンプ直前に設けられた2重ループ線です。ここを上がるとタイガーキャンプのヤードに入ります。
34_ループ3▲ 12:33、まずはDLを先行させて、続行するSLと交差するシーンとしました。鉱山最盛期には多数の蒸気機関車が稼働していました。交換できる駅もわずかでしたので続行する列車運用も組まれていたのかも・・・。
しかし、610㎜ナローゲージにループは鉄ちゃんにはこたえきれない喜びです。これだけを見るだけでも十分な価値はあります。
35_タイガーキャンプ04 35_タイガーキャンプ0235_タイガーキャンプ00▲ 12:52、タイガーキャンプに到着しました。山間の広い場所に第一選鉱所、炭住と鉄路ヤードが広がっていました。

Part7へ続く

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part4 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第1日目 その2

21_通学の子供たち

;▲ 通学の子供さんとお会いました。カメラを向けると凛々しい顔で答えてくれました。二人は兄弟なのでしょうね。子供らしくお菓子を食べながらの通学です。鉱山が休止してしまって斜陽の町のように思えますが、元気な子供たちはたくさんいます。子供の姿が見えて声が聞こえてくるのは、これからのこの町に再興への道が開かれていると思いました。

第3日目 3月25日 その2

00_ナムツ鉱山鉄道運行線00_標高表_ナムツ~タイガーキャンプ_1

▲ 今日のフォトランの軌跡と標高表です。Wallah渓谷に沿って急坂を上がっていきます(GPSロガー;O氏より提供)。ナムツから選鉱所のあるタイガーキャンプまでの標高差は243m。路線は1部40‰あまりあって、平均勾配は33.75‰にもなる登山鉄道でもあります。空車回送とはいえ山に向かって、喘ぎながら貨車を牽引していた様子は容易に想像できます。

蒸気機関車13号機をチャーターしてのフォトランが始まりました。610㎜のナローゲージを走行する蒸気機関車を見るのは初めてです。
01_Wallah渓谷鉄橋

マンダレー
温度8時38分▲ 7:52、ナンヨー方面からナムツ駅へは、Wallah渓谷にかかるトラス橋を渡って進入します。ミャンマーは熱帯の国ですが、海抜520mのナムツの朝は15℃と涼しく白煙が上がりました。

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“なにわ”の赤バス、消える 〈3〉

赤バスの車両

“なにわ”の赤バスは外国製である。一般の路線バスに、多数の外国製バスが在籍するのは、たいへん珍しい例だ。

2000年の赤バス運行開始時に、国内のバスメーカーでは適当な小型ノンステップバスが製造されていなかったため、外国製のバスが導入されたと言われている。

ひとつは、ボルボ関連会社で、スウェーデンのオムニノーバ社製造の「マルチライダー」。2000年の運行開始に備え20台、2002年の路線拡充時にさらに50台が導入された。

その後、オムニノーバ社が経営破綻したため、2005年の第三次路線拡充の際には、メルセデス・ベンツ・スプリンターをベースとするコミュニティバス仕様の「トランスポーター」が13台導入された。

国産バスに比べて高価な買い物だったが、故障が多く、保守する側は泣かされたという。

2012年には、2000年製赤バスが廃車となり、その代替として日野「ポンチョ」が赤バス14路線に導入される。赤バスとしては初めての国産車となった。車体の塗装は、一般路線車と同じデザインで帯のみが赤になった。

2社の外国製、1社の国産赤バスは、廃止時、酉島、住之江、長吉、鶴町、井高野の5車庫に配置されていた。

130208 (126)sy外国製の赤バス、これは、スウェーデン・オムニノーバー社製「マルチライダー」。「大正区役所前」付近130223_048syもうひとつの外国製赤バス、メルセデス・ベンツ社製「トランスポーター」。つりあがったライトが精悍な印象を与える。「淡路二丁目」付近B 130208 (30)sy赤バス廃車の代替として導入された国産車、日野自動車の「ポンチョ」。4月以降は、大阪市バスの一般車と同じ、クリーム・グリーンに塗り替えられ、旧赤バス系統などで引き続き使用されている。「鶴橋駅前」付近

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