2013年 秋の北陸路一人旅 Part11 えちぜん鉄道その2、福井鉄道

第11日目 10月22日

01今回の旅の最終日を迎えました。昨日同様に朝霧が立ち込めていましたが、これを狙って撮れないかと九頭竜川にかかる鉄橋を渡った三国芦原線中角駅へと向かいました。

7:04 鷲塚針原~中角の築堤を駆け上がる6103の632M。完全逆光です。そう少し趣が出せるかと思いましたが、力不足でした。

築堤は結構高さがありますので、反対側で夕刻なら抜けたかも・・。次回に挑戦してみます。

027:16 ホームは橋からすぐにあります。上がって次の電車を待っていると時刻表には掲載されていない電車がやってきて、停車せずに通過しました。方向幕には回送と表示されています。
平日運行ダイヤを見ますと西黒田7:38の始発があります。これのための回送のようです。

7:22 続いては、7003+7004の2両編成(福井行き650M)が上がってきました。

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保存蒸機とその現役時代(22)

11月10日のホームカミングデイ並びに天野克正様を偲ぶ会に出席できなかったことをお詫び申し上げたい。この時期は写友5人で東北をまわっており、10日は雨の中を弘前市の城北公園に保存されているD51892に再会した。再会というのは今年1月29日に雪の中を同機保存の現地に駆け付けたが肝心の同機は青いビニールシートで覆われており泣く泣く諦めた因縁の機関車に2回目の対面をしたからである。この機関車は現役時代に撮影しておらず、駅からも2kmも離れた公園に保存されており、もう行くこともないと諦めていた。ところが、今回の東北旅行で弘前にも立ち寄ることになり、クモハ73106東ウラさんの巧みなハンドル捌きで難なく現地に到達して目的を果たすことができた。D51892は1944年4月日立製造、製番1830、1948年7月弘前、1968年4月東能代、1972年4月秋田へ配属され、1972年6月に廃車されている。奥羽本線、とりわけ弘前区での活躍が長く、地元中の地元に保存されて同機も満足のことと思う。

2013.11.10 弘前駅北方約2kmにある城北公園保存のD51892▼

s-13.11.10城北D51892

今年1月29日のビニールシートを被った同機の姿▼

s-13.1.29城北公園
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2013年 秋の北陸路一人旅 Part10 えちぜん鉄道

第10日目 10月21日

026:00 朝起きるとホワイトアウトまではいきませんが、雨があがった後の霧で白い朝を迎えました。
朝霧の日の日中は、快晴になります。TVを見ながら、霧が晴れるのを待ちました。
昨日は滑川から約160キロを約3時間をかけて、えちぜん鉄道の走る「道の駅みくに」に、たどり着きました。旅も終盤ですが、慣れない運転が続いて疲れも最高潮です。無事に帰宅できるように安全運転で、今日も自分の目で見て撮りたいと思った撮影地を探して向かいます。今日は、えちぜん鉄道がターゲットです。

まずは夕刻の撮影に備えて夕日をバックに撮影できるポイントを探して、前回マークしておいた三国芦原線の下兵庫~大関に参りました。
03▲ 9:11 下兵庫を発車して三国港へと向かう6107単行の939M。朝霧も晴れた田園地帯を朝日を受けて快走です。

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2013年 秋の北陸路一人旅 Part9 富山地方鉄道その4 アルプスエキスプレスにも乗る

第9日目 10月20日
① 滑川7:39(B111)→8:28宇奈月温泉9:00(AP4)→10:28立山

7:30 今日は朝からアルプスエキスプレスに乗車します。

03朝は、急行として運用されます。宿営地の最寄駅、滑川に停車しますのでここから乗車することにしました。

隣のJRホームには列車を待つ乗客は多いのですが、富山地方鉄道のホームにいるのは私一人です。
時刻表を見ますと平日の富山方面へは4本がありますが、土休日は2本だけになっています。平日は通勤通学客が多いのでしょうね。

JRと比較してみますとご覧の通り、運賃は約1.84倍と高く、所要時間も約3倍もかかっています。これではJRとの競合区間での利用客獲得競争での不利は否めません。昨日乗車した際も宇奈月温泉から乗った乗客の多くはJRとの接続駅の新魚津で降りられました。

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▲ 7:38 アルプスエキスプレス滑川に入線してきました。
2号車は、急行運用時のB111列車でも210円を必要とします。
1、2号車にも乗ってみたいので、宇奈月温泉往路は、先頭車に乗車することにしました。
2号車には宇奈月温泉から立山までのロングラン時です。

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ご参集御礼

昨日の11月10日に開催いたしましたDRFCホームカミングデーに、あいにくの雨にも拘わりませず多くのOBや現役の皆様にお集まり頂けましたことは、企画・実行いたしました会員にとりまして望外の喜びでした。1部の大学構内でご講演頂きました宇都宮浄人様には心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。

さて、2部は席を平安ホテルに代えまして、先日逝去された天野克正君を偲んで作品を展示しました。改めて彼の作品の質の高さや着眼点の先見性を思い知りました。思い出話に花が咲き、楽しい、そして少し寂しいひとときを過ごしました。

最後に企画から準備、運営まで汗を流して下さった会員の方々に今一度心より御礼を申し上げます。写真の添削や展示、DVDへの編集等々ありがとうございました。
当会は苦労を買って出て下さる方々や、行事があれば万難を排してご参加下さいます会員諸兄の愛情と努力で繋がっていることを今更ながら確認しております。
今後とも会の発展にお力をお貸し下さい。お礼かたがた、お願い申し上げます。

同志社大学鉄道同好会OBクローバー会 会長:田野城 喬(’64 法・法)

2013年 秋の北陸路一人旅 Part8 富山地方鉄道その3 ダブルデッカーエキスプレスに乗る

第8日目 10月19日

6:00、道の駅滑川でいつも通りの起床です。夜明け前の空からは予報通り、雨が降っていました。北陸に来て以来1週間を過ぎましたので、今日は撮影で飛び回るよりゆっくりとした休養が必要です。昨日、「生地」で汲んだ湧水を使って、車内で美味しいコーヒーを入れて、朝のTV放送を見ながら、仕入れておいた朝食を食べます。自宅にいる時と変わらずの久しぶりのゆっくりとした時間を過ごしました。
今日と明日は、2日間フリー乗車券を利用してダブルデッカーエキスプレスと土日祝にしか走らないアルプスエキスプレスの乗り鉄をすることにしています。

ダブルデッカーエキスプレスの朝の休日運用は、平日と違って電鉄富山~立山を往復していますが私は今、滑川にいます。電鉄富山へ行くには、6:35の電車に乗らなければなりませんが、今日はパスです。次の電鉄富山~上市の運用からでもいいやとしました。

01滑川を9:21に出る電車に乗れば、ダブルデッカーエキスプレスの電鉄富山発車に間に合います。JR滑川駅に入線してきたEF510-15号機のコンテナ貨物列車を見ながら待ちました。

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予定通りに乗車しましたが、何か足りないと気づきました。カメラバックを待合室に忘れていました。次の駅、中滑川で交換する電車に乗って折り返しです。やはり疲れているのか朝から大失態です。
滑川に戻ると待合室に忘れ物はまだありました。早く気が付いて良かったですね。朝からこれでは、今日は気を付けないといけません。

仕切り直しで、次発の滑川9:47の電車に乗車しましたが、電鉄富山の発車にはもう間に合わなくなりました。
でも大丈夫、一つ手前の稲荷町で降りれば、電鉄富山から来るダブルデッカーエキスプレスに乗車できます。

2日間フリー乗車券を購入したいのですが、ワンマンカー運転手は持っていません。お聞きしますと稲荷町駅では購入できますとの返答をいただきましたので、到着後走りましたが市内線フリーきっぷしか売っていません。どうもしっかりとした乗務員教育ができていないようです。朝からダッシュ2回です。疲れました。

ダブルデッカーエキスプレスが入線してきますので諦めて、またホームまで走りました。
① 滑川9:21(122)→9:23西滑川9:25(19)→滑川9:47(24)→10:24稲荷町
② 稲荷町10:27(1025)→10:48上市10:52(1026)→11:16電鉄富山

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風前の灯の信楽高原鉄道

ご存知の通り、9月16日の台風16号の大雨の影響で橋脚が流され、運休が続いている信楽高原鉄道は、このまま廃止になるのではとの話が出ています。今朝の地方版には次のような記事が出ており、さらに厳しい状況となっているようです。img289今日のホームカミングデーの第一部講演会でも講師の方が触れられていましたが、廃止されることによる地域の影響は、単純に収支を云々して3億5000万の復旧費用と比較するだけでは済まないと思われます。なお、現在バスによる代行輸送がされており、貴生川の駅には信楽高原鉄道の車両がそのままホームに停まったままになっています。CIMG3291k

2013年 秋の北陸路一人旅 Part7 富山地方鉄道その2 ダブルデッカーエキスプレスを追う

第7日目 10月18日

6:00 起床。昨日朝と同様の快晴のようです。今日はダブルデッカーエキスプレスを追っかけます。インターネットで見た朝の運用は、電鉄富山6:38→7:09岩峅寺と掲載してありました。昨日は待っていても来なかったので故障でもして運用から外されたのかと思っていましたので、今日は大丈夫だろうと宿営地近くの岩峅寺~沢中山で待つことにしました。

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※ 今回の撮影にはズームレンズが大活躍しましたのでDATAを掲載します。
01▲ 7:01 14764+14763の立山行きの普通305列車がやってきました。秋らしい光景を求めて、柿がなるこの場所を選びましたが、こちら側の電柱がちょっと邪魔でしたね。
【DATA】 ズーム300㎜ F8 1/640秒 ISO400 露出補正-0.3段

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保存蒸機とその現役時代(21)

8620は687両と製造両数は多い。保存機は21両で私はほとんど撮っていない。代表的なハチロク活躍路線であった花輪線、五能線に行かなかったことも原因しているのかもしれない。

千葉県佐倉市の高崎川南公園はJR総武本線佐倉駅から北側にある佐倉城方向に向かって5分くらいの所にある。ここの保存は鳥かごよりも虫かごのようになっており、コンデジでへばりつかないと撮れない。定期的に見学日を設けている様でありそのような時の方が訪問によい。天井もあり、頑丈な虫かごに入っているので保存状態はいいはずであるが、私が覗いた時は中が整理されておらず何となくごみごみした感じであった。

2013.2.21 佐倉市高崎川南公園保存機58683▼

s-13.2.21高崎川南公園58683

s-58683ナンバープレート

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2013年 秋の北陸路一人旅 Part6 立山砂防軌道(国土交通省立山砂防工事専用軌道 )

第6日目 10月17日

いよいよ今回の旅の本番、立山カルデラ砂防体験学習会立山砂防軌道(国土交通省立山砂防工事専用軌道 )初乗車なるかの日を迎えました。但し、先日までの豪雨の影響がなければ、そして先発するパトロールカーが走り、障害がないと確認されてからという条件付きです。地図2

 立山砂防軌道は、世界でも有数の急流河川、暴れ川で有名な常願寺川の砂防施設建設工事に伴う資材や機材・人員を輸送するために建設されました。元は馬車道だったそうですが、昭和2年(1927年)着工され、昭和4年(1929年)に千寿ヶ原 -~樺平が開通。延伸が進められて昭和40年(1965年)には千寿ヶ原 -~水谷、610㎜ナローゲージによる全線18キロが開通しました。
その後も大雨による軌道崩壊を避けるためにトンネル化による改修工事が行われています。名物だったオーバーハング2ケ所は消え、42段あったスイッチバックも38段と減りましたが、標高差640m、最大83.3‰、平均35.6‰の急勾配を上がる山岳鉄道は、トータル的には世界一でもあります。管轄は国土交通省で、一般客扱いの鉄道ではなく工事用軌道です。

鉄ちゃんとしては是非とも乗車したい鉄道ですが、切符を買って簡単に乗車できるものではなく、便乗は原則として認められていません。しかし、富山県・(公財)立山カルデラ砂防博物館が企画主催される立山カルデラ砂防体験学習会に応募することで参加への道がありました。
ただ参加には、毎年指定された実施日、その締切日にはがきによる申込みを行う必要があります。参加希望者は多く、毎年数倍もの申し込みがあります。個人申込みの場合は抽選、団体コースは参加目的と団体の活動内容が分かる書類を提出しての審査が行われます。

個人申込みで抽選当選するのは至難の技、また団体では活動内容が吟味されてハードルが高いと言われています。今回参加できたのは奇跡でもありました。選ばれましたのは、すべてKさんのおかげです。参加者として加えていただきまして感謝、感謝です。

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「続・木次のC56108」によせて

米手作市様の秘蔵写真をじっくり拝見しました。この5コマの写真からいろいろなことがわかります。最初のコマ、キハ02の2連の右手は木炭倉庫で木炭の俵が積まれています。当時 各家庭の暖房には火鉢が活躍していました。線路の先の石積みの跨線橋。今も石積みかどうかはわかりませんが、跨線橋は現存しています。その後方に煙突が見えます。ヤマタノオロチ伝説で 日本で最初にお酒が造られたとされる木次。その木次で今も盛業中の木次酒造さんの煙突です。2コマ目、機関庫の前のキハ0728とC56107ですが、この機関庫は今も健在です。

IMG_3949-1

平成23年7月25日撮影。木次駅構内。奥出雲おろち号のDE15と客車が休んでいる。

細かい格子窓は波板になり、煙抜きの煙突はありませんが、4線の車庫は今も現役です。

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続・木次のC56108によせて

昭和38年~40年にかけてはたびたび木次線を訪ねました。そのうちの一回はDRFC新入生歓迎旅行として昭和39年5月に行きました。今回、キハ02の車内写真と出雲坂根での写真はその時のものです。この中に、いま一部の方々で騒がれている63年度生の“M・紘明”さんが写っています。顔を思い出さない、とか知らない、と言っている方、思い出しましたか?11月10日に天野さんの思い出を話して下さいますので天野さんと同じように思い出して上げて下さい。s-FH030006 s-FH030016 s-FH030017 s-FH030023 s-FH030032

駅を旅する 〈番外編Ⅱ〉 中部天竜駅

中部天竜駅 19-11-23
かつては佐久間ダム、佐久間レールパークの最寄駅として見学者で賑わっていた。/(19-11-3)

中部天竜駅は、かつては豊橋機関区中部天竜支区が設置されていた飯田線の拠点駅で、平成21年10月31日まで「佐久間レールパーク」が開設されていたので訪れた方が多いのではなかろうか。

駅の現在の住所は「静岡県浜松市天竜区佐久間町半場」、浜松市に合併されるまでは「磐田郡佐久間町半場」で、「中部天竜」なる地名は出てこない。と言うよりそういう地名は存在しない。駅名の由来を沿革から探ると、三信鉄道時代の昭和9年11月11日三信三輪(現東栄)~佐久間(現中部天竜)間の開業時に開設された。
10年5月24日に「佐久間」から「中部天竜」に改称されたが、読みは「なかっぺてんりゅう」であった。
「中部=なかっぺ」は天竜川を挟んだ対岸の集落名で、現住所ではなく対岸の集落名が駅名になったのは、駅及び機関支区等の鉄道用地を、中部集落の人が所有していたためと言われている。
「なかっぺてんりゅう」は語呂がよくないためか、17年5月24日、漢字の読み方を変えて「ちゅうぶてんりゅう」に改称して現在に至っている。
「なかっぺ」の読みは、戦後平凡な「なかべ」に変更され、正式な地名になってしまった。同様の例は、札幌近郊の「月寒」が「つきさっぷ」から「つきさむ」に変更されたが、駅名は「つきさっぷ」のままであるが、どうして由緒ある地名を変更してしまうのだろうか。
三信鉄道は18年8月1日付けで、豊橋~大海間の豊川鉄道、大海~三河川合間の鳳来寺鉄道、天竜峡~辰野間の伊那電気鉄道と共に鉄道省に買収され、飯田線になった。

余談になるが、飯田線の出馬から小和田までの17駅は浜松市天竜区に所在する。この地域の人が鉄道で浜松市の中心部に行く場合、一旦愛知県に出て豊橋経由で行くことになる。
信南地域と浜松は、鉄道開通以前から天竜川の水運、陸路では三州街道、秋葉街道(現在の国道152号線)で結ばれており、駒ケ根光前寺の飼い犬が磐田見付天神の妖怪退治に行ったという伝説は地域間交流が盛んであったことを裏付けている。更にこの犬は磐田市の「ゆるキャラ」になっている。

水窪と浜松市の中心部は、水窪~西鹿島間に遠州鉄道北遠本線のバスが5往復運行され、所要時間90分前後、運賃630円、西鹿島~浜松間は電車が12分間隔、所要時間32分、運賃460円で約2時間、1090円で結ばれている。
北遠本線は平成14年9月30日まではJRバスにより運行され、同区間の運賃は1470円で、遠州鉄道に移管され同社の上限運賃制により半額以下になった。
中部天竜~遠江二俣間は佐久間線として建設予定が計画され、昭和42年遠江二俣~遠江横山間の工事が開始されたが、55年国鉄再建法により路盤が約50%完成したところで中止されてしまった。

昭和40年代と平成19年の画像を貼り付けたので、時の流れを感じていただければ幸いである。
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木次のC56108 改修終わる

[40451]保存蒸機とその現役時代(17)で 準特急様にご紹介頂いた木次のC56108が綺麗によみがえり、お披露目のイベントが開かれました。平成25年11月4日付 中国新聞の記事を転載します。

H25-11-4 中国新聞朝刊

H25-11-4 中国新聞朝刊

余談ながら 山口線のC56やまぐち号 地福行きはC56+DD51の重連だったようです。

若桜鉄道寸描

国鉄若桜線時代の昭和48年に一度訪問して以来 40年ぶりに若桜を訪ねてみました。昭和48年当時はすでにDE10でしたが 混合列車は残っていて途中駅での入換え待ちをしながらの旅でした。今回は短時間の訪問でしたが、当時を思い出すには充分のドライブでした。在籍4両のDCが、全長19.2Kmを片道30分、1日10往復の若桜鉄道。こんな小さな鉄道が生き残っているのが不思議な気がします。

2013_10_29_413-1

鳥取発若桜行1337D WT3004+WT3003  丹比-若桜間 細見川橋梁にて

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関東便り(私鉄乗りつぶし)

関東支部員の鉄鈍爺です。
乙訓の老人氏から「京成のスカイライナーAE形に乗らへんか?」とのお誘いを受け、10月31日に関東在住の有志4人が集まりました。
ただ平日昼間の鉄活動故、常勤者の参加がしづらかったのは残念な点です。

【記念撮影】
※ 管理者により不快感を与えるものとして削除されました。
人物写真の掲載につきましては、十分な注意と配慮をお願いします。
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保存蒸機とその現役時代(20)

9600は総数784両のうち保存機は43両(イカロス出版保存車大全2012年リスト)のうち現役時代の撮影は僅かに9687の1両である。北海道ではD51、9600、C57が蒸気機関車末期まで活躍した関係か9600の保存機も北海道地区が17両と多い。

9687は1915年(大正4年)11月川崎造船製造(製番266)で説明板によると大鉄管内や五稜郭に配属され1965年9月に大宮区に来てからは川越線と入換えに使われて1969年に廃車された。

1970年1月から川口市の青木町公園に保存されているが、イカロスの保存車大全によると解体予定とあり、急遽本年(2013年)4月26日に現地に駆け付けてみた。屋根付きではあったが案の定荒れた状態でほこりを被ったような感じであった。同地へはJR京浜東北線西川口駅から北東方向へ徒歩10分程度の所にある。

2013年4月26日の9687▼

s-13.4.26青木町9687

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