2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part15 DR2700系を追う、花東線・花蓮

第7日目 1月14日 その2
① 知本10:40(自強號303)→12:09瑞穂

00_鉄道地図-1(圧縮)隣に座っていた若者は台東で降りられて特別個室は、私一人になりました。
汗びっしょりになっていたので濡れた服を脱いで、窓を開けて乾かします。
窓から顔を出しての車上からのロケハンを続けておりますが、乗車している自強號玉里までは無停車です。不覚にも途中で心地良くなってしまいました。
時折意識が飛んでいきます。

それでも頑張りながら菜の花畑を探しますが、特別席とはいえ運転台のある反対側が見えません。
6月電化を控えて路線も曲線を避けての新線に替わってしまっている区間もあり、花東線のパンフやネットで見ていた良いロケーションの場所は確認できません。 01-2
当初は台東~玉里のどこかで撮影しようと思っていましたが、仕方ありません。もう少し北上を続ける事にしました。 時刻表とにらめっこして、まずは瑞穂まで行く事にしました。
カレチさんからは、再び補票を買い求めます。

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「びわこ」をめぐる不思議

朝日新聞記者に数枚の「びわこ」の写真を渡した。いずれも1959年11月3日撮影のもので、場所は皆さんおなじみのところである。老人が推薦したのは今回「デジ青」掲載のものだったが、記者は保存車63号とした。露出は曇天であったのでF5.6・1/250だったと思う。ピントが甘い。この日、60型は3両とも運転されていた。京都三条大橋に63号は石山寺から、62号は浜大津から、61号は浜大津から菊人形号として、いずれも急行でやってきた。老人は61号が三条駅に入構するや自転車で四条へ移動して停車中の姿をキャッチしていた。

老人が60型を始めて目にしたのは1946年秋である。父親に連れられ大阪に行く道中、枚方駅構内で留置中の63号を眼にしたのである。既に兄から連接車の存在を教えられており、その63号を翌年秋に三条通をチョコレート色の巨体揺らして走るのを見たのであった。この頃、三条花見小路東入る耳鼻咽喉科医院に週2~3回通院しており、医院は17時開院で、それに向け三条通を歩いていたのであった。

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昭和の電車/奈良電鉄デハボ1100系・近鉄モ600系に寄せて

4連 京都行 44-5-18
橿原線西ノ京~尼ヶ辻間を走行する600形4連の西大寺行/(44-5-18)

関 三平氏の「昭和の電車シリーズ」は近鉄ファンらしく「奈良電鉄デハボ1100系・近鉄モ600系」からスタートした。
DRFCの多くの近鉄に詳しい方を差し置いて解説を試みた。

近鉄600系
タイトルとは逆になるが、近鉄600系から解説する。
尚、詳細な資料が実家に眠ったままで、手許にないため、中途半端な解説なったことをご容赦いただくと共に、詳しい方の補足をお願いしたい。

昭和10年と戦後の23年~25年に新製された奈良線用として新製された車両で、スタイルは10年製が2タイプ、戦後製も2タイプ存在した。

形式は電動車がモ600形、付随車がサ500形、サ550形、制御車がク520形である。

付随車のサ500形とサ550形は、サ501以外は新製当初は両側に運転台があり、ク500形、ク550形であったが、先頭に出ることがないため、30年に撤去され付随車化されている。

ク520形は、有料特急車モ18000形を新製時に、モ600形の623、625、631、633の電装品を撤去して誕生した形式である。
モ18000形は車体、台車こそ新製であるが、電装品は中古品で1500Ⅴ昇圧までHL制御車であった。

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昔の塗装で走ります。

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500形をイメージした塗装に変更された1000形9編成/ (26-1-31) 天王洲アイル~大井競馬場

近年、会社の節目の年に旧塗装を復活させるケースがしばしば見られる。年輩の人からは懐かしく思われ、その塗装を知らない世代の人にとっては新鮮に映り、良い企画と思われる。

9月13日に開業50周年を迎える東京モノレールと1月18日開業90周年を迎えた都営バスを取り上げた。

東京モノレール
平成元年~8年に新製された1000形6両編成16本、平成9年~14年に新製された2000形6両編成4本が在籍している。

今年9月13日に開業50周年を迎えるにあたり、1000形の第9編成(1031―1036)を昭和44年から平成3年まで運行されていた500形をイメージした塗装に変更した。

平成19年に1000形第4編成(1019―1024)を開業時の塗装に、昨年6月には第15編成(1085―1090)を登場時の塗装に変更している。

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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part14 知新を撮る

02第7日目 1月14日 その1

今日の朝は手作りの美味しい朝食がでました。写真を撮っておくのも忘れての完食でした。この民宿はお母さんと娘さんがサービス業務をしておられました。
親子2人で一生懸命におもてなしをしようとする気持ちが随所で伝わってきます。
初めて台湾の民宿に泊まりましたが、一般のホテルでは味会う事が出来ない温かみを感じさせてくださいました。ありがとうございました。次回も必ず宿泊したいと思いました。よろしくお願いします。

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[googlemap lat=”22.791089935314975″ lng=”121.1256798816612″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”16″ type=”G_HYBRID_MAP”]台湾 台東站前 民宿[/googlemap]
台東站まではわずか500mほどですが、荷物があるからと言って、車で送迎までしていただけました。
ここまでしていただければ100点満点の120点です。6つ星民宿ですね。

この民宿花園玟瑰民宿の宿泊料は、Aboda予約で1部屋7,353円。直接のメールでの予約もOKです。勿論、ご推薦しま
す。

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山口線、山陰線の復旧は今秋

昨年7月の集中豪雨で山口線、山陰線の一部区間が不通になっているが、今年秋には全線復旧する見込みとJR西日本が発表した。平成26年2月8日付け 中国新聞の記事をご紹介します。なお記事では同じく不通となっている三江線には言及していませんが、JRのHPでは今年7月中には開通すると報じられています。

H26-2-8 中国新聞朝刊

H26-2-8 中国新聞朝刊

2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part13 金崙で撮る旧型客車たち

0000-117:30 台東站に戻って待合コンコースを散策していますと、ひと際目立つ和服姿のお嬢さん、2人がお買い物をされているのを発見しました。え~、なぜに台湾で和服姿を見られるのだろうかとビックリとしました。
00-2初めは日本人のお嬢さんかと思い、日本語で話しかけましたがキョトンとされましたので、中国語に切り替えて自己紹介をしてから写真を撮らせて欲しいとお願いしますと、気さくに応じてピースポーズまでとってくださりました。
数枚を撮りました内、縦位置全身を今回の紀行記の冒頭を飾らせていただきました。
こちらは、どっちにしようかなと迷ったもう1つのショットです。カメラ撮りに慣れたお嬢さんでした。きっとモデルさんかタレントさんでしょうね。今回の旅でお会いした中でも1番お綺麗なお二人でした。
夜に再会した千住のヤスベーさんにお見せしますと、「タイのウドンタニも美人が多く見とれてしまったが、是非とも自分も撮りたかったなあ。」と残念がっておられました。 続きを読む

2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part12 釈迦頭、太麻里を撮る、旧型客車

木にぶら下がっているボコボコとした実です。これは、なんだと思われますか? 0112時過ぎ、チャーターしたTaxiの運転手のさんは、撮影場所を移動する準特急さんと不銹鋼號さんを山の麓まで送って行かれました。ついでに昼食を食べてきたいと申されましたので、団長さんの指示で100元(約360円)を気持ちですと言ってお渡ししました。
1時過ぎに戻って来られますと、「食べてください」と、初めて見る表面が凸凹した果実がたくさん入った袋を渡してくださいました。

食べ方が分かりません。不思議そうに見ていますと、割るように申されます。
01-0割ってみますと、中には白い果肉が現れました。ねっとりした果肉を口に運びますとクリーム状の歯触りで、まろやかな甘みが溢れてきました。これは美味しい! 中には大豆大の黒い種子が入っていますが、これはペエッと、捨てます。

台湾での名称は、釈迦頭と言うそうで、言葉のとおり何となく似ていますね。調べてみますと、バンレイシ科バンレイシ属の植物またはその果実で、原産地は西インド諸島、ペルーなど中南米。台湾では、17世紀にオランダ人によって持ち込まれ、今では台東・花蓮県の名産品になっているそうです。今日乗車した莒光號からの車窓から見た果樹園では、白い袋に入れて栽培していましたが、これだったのですね。

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釈迦頭は、運搬には崩れやすいので細心の注意が必要で、長期保存もできず残念ながら日本には殆ど輸入されていないそうです。

花蓮の站前では、釈迦頭の産地直売会が開かれていました。5~6個入った値段を聞きますと、200元(約720円)です。Taxiの運転手さんは、昼食代にお渡しした100元の倍返しでした。
お写真と名刺を入れておきます。太麻里に来られましたら、是非にご利用ください。
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乙訓の老人とびわこ号

本日2014年2月5日(水曜日)、朝日新聞夕刊2面、「まだまだ勝手に関西遺産」の頁に、
『京阪びわこ号』の記事が、勿論、乙訓の老人の名前と薀蓄と共に掲載されていましたので、ここに紹介します。
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拡大してお読みください。
①画像をクリックして拡大表示する方法と、
この文字列をクリックして拡大表示する方法の、二通りがあります。

秋田市電の不思議と市バス

写真を整理していたら、別の箱から市電20型2枚と市バス5枚が出てきた。慌てて処分するフィルム(日高昆布化の上、ニキビ面となったNEOPAN SS)を探し出し、フィルムで撮影順序を調べてみた。これからすると当日20型は4両とも稼働しておることになり、2枚は後発の続行運転の一群と思われる。またこれからすると車庫から続行に加わったもののようで、先に空車で途中の停留所で拾い上げるのではないか想像したが、くだんの2両は車庫へ空車で入庫する姿であることが分かった。以上、訂正させていただきます。何しろ半世紀前の事であり、記憶は吹っ飛んでしまっており、申し訳ありません。

バスのシャーシーメーカーは分かるとしても、ボデイメーカーはさっぱりで、ここは哲男君のお出ましを願っております。

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営団地下鉄300型

私が初めての東京生活を始めた頃、よく使ったのがこの日比谷線と都営浅草線でした。日本最初の地下鉄だった浅草線は、リベットが出た駅の柱や、ジャンクションで点滅する車内灯と、ガチャガチャうるさい集電靴の音など、昭和の初めの匂いが満載でした。かたや日比谷線は赤い車体にステンレスの帯と、近代的な地下鉄で対照的な乗り心地でした。
営団地下鉄300型_NEW 営団地下鉄300型(文)_NEW

2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part11  莒光號で行く乗り鉄旅、太麻里へ

06▲ 着いた太麻里站の玄関口下を見ますと、埋め込まれている站の銘板がありました。街を歩くとよくマンホールの蓋にその土地の名産や特色をあしらったデザインマンホールを見受けられます。でもこれはマンホール蓋でもなさそうです。これは何なのでしょうね。
1988年1月1日の開業時に設置されたものと思われますが、なぜに地面にどうしてこの位置が選ばれたのでしょうね。

太麻里站は、“迎接千禧年第一道曙光” と、言われるように台湾本島で最初の日の出が見られる站です。
ここに来ますと、高雄で迎えた朝とは違っての思いっきりの快晴でした。南下して太平洋側に来ますと、天候は一転するのですね。暖かくにもなってきました。準特急さんはTシャツ姿で撮影に挑まれます。我々軍団では1番の年長者ですが、時間のある時には東海道走破を目指して行軍を続けておられる1番元気な老斗儿でもあります。
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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part10  台湾の武田尾、三貂嶺を撮る  台鐡ICカードの顛末

16▲ 16:14 準特急さんが台湾の武田尾と名付けられておられる地での撮影を終えて、ボチボチ引き上げようと山を下りて橋を渡りだしましたら、途中で「おぉ~」との歓声があがりました。台湾ではダイヤを公表されてはいない貨物列車、それも回送とはいえ客車との混合編成です。これは撮らねばと、再度引き返してのショットでした。
牽引するはE337号機、有蓋車5両と無蓋車数両、客車は35FPK10512+40SP20014+40SPK2008T+40SPK2008Tと守車(車掌車)の編成です。ここでのハイライトでした。
※ この写真、写ってしまっている邪魔な太い電線類は消しています。手抜き作業で、少し痕跡が残りましたが・・。

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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part9  EMU100系を撮る、台北站のLDK58・LDR2201

21-1 10:18 基隆~三坑のS字カーブを行くEMU100系回5168B

今日は、今回の旅の目的だったEMU100系復活の臨時運行を撮ります。下は団長さんが調べられ、作成しました時刻表です。撮影するにも台北都市圏は地下線化されていて八堵~板橋で撮るのは、ほぼ不可能です。数少ない地上区間での全運用7本の撮影に挑みます。

【 EMU100系 】
1978年、台鐡の西部幹線交流電化において、英国の技術供与を受けたことから英国GEC社から13ユニット((1M4Tの5両が1ユニット)×13本)の65両が投入されました。当初は「電特快」として運用されましたが故障続発で一旦運行休止。改修1ヶ月後の1979年1月から運転再開されて台北~高雄を最高営業速度120km/h、4時間10分で結びました。2~3ユニットの10~15両編成で使用されています。また珍しくなった吊り掛け駆動方式です。
2009年に定期運行から離れ、現在は産業文化遺産として静態・動態保存され、時折に記念日等で臨時運行されています。

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