交通科学博物館で時空散歩

 今月の6日で閉館する交通科学博物館へ行って、展示物の写真を撮ってきた。展示物のなかで以前に見た自転車を撮りたかったのであるが、今回は残念ながら展示していなかった。それでも写真を撮りながらじっくりと見てみるとなかなか面白く、しだいに忘れていたものが思い出してくる。博物館を見ることの意味の一つとしてこういう点もあったと考えさせられる。

 訪れたのは3月28日(金曜日)でちょうど春休み中であることもあって賑わっていた。今回はまもなく閉館するとあって、年配男子がいつになく多く来ていた。そういう私もその中に含まれるのであるが。館内はそんなに展示物が見られないほどの混雑ではなく、いつもの休日に家族連れが少し多い程度でいい雰囲気であった。

交通科学博物館館内

 撮影をしながら見ていくと「あっ、あの時こんなんあったんや」とか「へ~、こんなぐあいになってたんか」というのがある。そういうものを少しばかり。

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2014年 一畑電車・北近畿タンゴ鉄道撮り鉄旅 Part2   JR境線を撮る

第3日目 3月28日 その1

6:00 起床後見るのは空模様です。11階から見る外は真っ白で、霧が一面に立ち込めていました。外へ出ても近くの松江駅が見えません。
今日は東京からクモハ73106東ウラ団長さん率いる本隊4名が10:20に米子空港に着かれます。着かれて直ぐに大山をバックに境線を撮りたいと望まれていますが、今日の朝の光景では難しそうです。

8:30 朝食後、米子空港付近のロケハンが必要ですのでぶんしゅう7号に乗って向かいました。
地図02_1▲ 松江駅前から米子空港へは米子市内を経由すると遠回りになります。中海の中の大根島を渡る縦断ルート(約28キロ)が最短コースです。
中海には汽水湖を横断する埋め立て道路があり、大根島から米子空港のある弓ヶ浜半島へは、TVCMで有名になった「ベタ踏み坂」の江島大橋で結ばれています。
中海の松江側は湖上に霧が立ち込めていましたが、大根島に渡るとスッキリと晴れて江島大橋(長さ;1.7キロ、高さ44.7m)からの眺望を見ながら走行できました。

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2014年 一畑電車・北近畿タンゴ鉄道撮り鉄旅 Part1   一畑電車 その1

”2014年 遥かなる東欧の旅”を掲載中ですが、先日一畑電鉄北近畿タンゴ鉄道に行って参りました。これから桜シーズンにもなります。撮影地ガイドの最新情報となると思いますので、先に掲載させていただきます。

第1日目 3月26日
① 自宅14:08→18:48道の駅 神話の里白うさぎ

1月の台湾撮影に同行させていただきましたクモハ73106東ウラさんより一畑電車を撮りに行こうかと計画しています。一緒に行かないかとのありがたいお誘いが入りました。一畑電車米っ子時代によく撮影に行った所ですが、2008年以降はご無沙汰しています。久しぶりに会いに行って見るかと参加を申し込みました。

今回の参加者は、台湾メンバーだった準特急さん、大津の86さん、千住のヤスベーさんとT崎さんの合計6名です。丁度ぶんしゅう7号に乗車できますので、京都から回送することにしました。
東京からの4名は成田空港からのスカイマークで米子空港に2月28日に着かれます。遠回りにはなりますが、5月のクローバー会北近畿タンゴ鉄道ツアーがありますので立ち寄ってから一畑電車に向かう事にしていました。ところが降り出していた春の雨は止まず、延期に次ぐ延期でこれ以上は出発を待てない2月26日の昼過ぎとなりました。もう往路での北近畿タンゴ鉄道の訪問はできません。復路訪問に切り替えました。
05▲ 自宅からは京都循環自動車道、以西は国道9号線と降りしきる雨の中を走りました。
18:48 自宅からの走行距離は約210キロ、運転時間約4時間半「道の駅 神話の里 白うさぎに到着。近くのコンビニ内で夕食を食した後、近くの温泉を聞きますと、吉岡温泉が近いかなと教えていただきました。
町営共同浴場の吉岡温泉館でゆっくり運転疲れを取ってからビールを飲んでの就寝となりました。

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元祖馬面電車より物申す

原産地「小倉」では馬面と命名したようであるが、花巻及び京津の地から本家本元として斯様なお名前拝借は威厳に関わるとして、「箱河豚」を常用とされたい。この電車は1956(昭和31)年東洋工機製造であるが、製造所は電気機器メーカーの東洋電機の子会社で、バス車体構造の鉄道車両などの製造は無理ではないかと思われる。ひょっとしてナニワ工機が車体のみ下請け製作したのかもしれない。呉市電1000型はナニワ工機製でバス車体構造とされており、つい先日まで四国松山で3両が健在であったが、今では1両が故郷に里帰りを果たしたと伝えられている。東洋工機の下請け車体製作を関西で知られているのは、和歌山電軌の連接車2000型連接車2編成で、老人がDRFC現役時代、ナニワ工機に御邪魔した際に鋼体製作中であった。それが翌1960年初夏に和歌山で発見、奥野師匠に口止めされた思い出をもつ。

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「箱河豚」は1980年西鉄北方線廃止に伴い土佐電鉄に1両が買われ301号と命名された。土佐電鉄は1971年2月廃線となった下関・山陽電軌のワンマン改造済の軽量車700、800型を購入しており、その前年から土佐電もワンマン改造を国の補助を得て施工中であったが、たまたま「箱河豚」購入年に事業完了、事業継続を一両のために煩雑な申請手続きを要するため諦め、ツーマンカーとして残された。その際、幼稚園通園、下園電車を始めとする貸し切り電車として活用された。それを各社で導入され始めた「カラオケ、ビール電車」に改造することになり1985年夏に竣工した。従来の床に諸設備の配線を、床をかさ上げ、座席は胡坐を掻いても支障ない高さとなった。最初は扇風機搭載であったが後に冷房化された。窓はベネシャンブラインド取り付け、酒の澗とおでん温め装置、カラオケセット、ビール瓶立て等が設備された。

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2007年301号は廃車になり、西鉄沿線の「かしいかえん」に引き取られ保存されている。301号の後継車は607号が引き継いでいるが、本格的な「カラオケ・ビール電車」とはなっていないように思われる。