窓から写した駅・列車 -10-

乗車列車を写す

車窓からの撮影は、駅風景や交換列車だけではない。乗車した列車の撮影もある。列車がカーブに差し掛かると、窓から身を乗り出して写す。編成全体が入るよう、編成の後部車両に陣取り、蒸機の場合は上り勾配も条件となる。

窓から撮った乗車列車で忘れられない写真がある。鉄道ピクトリアルの第8回写真コンクール特選の「朝を走る」という写真だ。朝の東北本線陸奥市川付近、朝陽を車体いっぱいに浴びて走り続ける急行「十和田」を車窓から写したもの。ただ、その撮られた撮影位置からすると、相当に身を乗り出さないことには撮れない、危険極まりない撮り方だ。あるいは、カメラを三脚に固定して窓から差し出したのか、それとも、地上から列車に接するようにして撮影したのか…。撮影方法は謎だったが、冬の朝の冷気までもが伝わる、印象的な写真だった。そんな窓から写した乗車列車の数々。sy国鉄時代 1121レ sy(7)▲大畑ループを上る1121列車。1121列車とは、門司港発、鹿児島本線、肥薩線、吉都線経由で都城へ向かう普通夜行列車で、九州の撮影旅行には必須の列車だった。当時は、八代以南が蒸機牽引で、独特の夜行鈍行の雰囲気をよく持っていて、まさに撮るによし、乗るによしの列車だった。なかでも、肥薩線人吉~吉松間のヤマ線区間でちょうど朝を迎える。最高の煙、最高の光線(この写真は曇りだが)で、ループ線を越えて行く。昨今はこの付近、草木が成長し、見通しが利かなくなったと言う(昭和44年)。

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part14 マンハイムからハルツ狭軌鉄道へ

03_Map0▲ 今日はマンハイムから鉄路でハルツ狭軌鉄道に向かいます。ドイツ中央部に位置するハルツ地方は東西の壁のある時は東ドイツに属し、開発が遅れました。そのため運良く蒸気機関車運用が残り、現在は生活兼観光路線として保存されています。
マンハイムからはICEに乗ってDB本線のヒルデスハイムまで行き、ここで支線に乗換えてハルツ狭軌鉄道の起点、ヴェルニゲローチへと参ります。所要距離は約500キロ弱、所要時間は乗換時間を含みますと約5時間20分です。

第9日目 6月2日 その1
① マンハイム(Mannheim)7:32(ICE694)→10:39ヒルデスハイム(Hildesheim)
② ヒルデスハイム(Hildesheim)11:21(RE3607)→12:42ヴェルニゲローチ(Wemigerode)
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三江線開通と山陽鉄道企画展

中国地方からのニュースを2件。ひとつは昨年8月の集中豪雨で不通となっていた三江線江津ー浜原間が7月19日に約1年ぶりに復旧、開通予定とのうれしいニュースです。

7月13日 中国新聞

7月13日 中国新聞

もう1件は 山陽本線糸崎ー広島間が開業120年を迎えたことを記念して 三原市で「山陽鉄道ものがたり」と題した特別企画展が開催されるという件です。

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奈良線ぶらぶら 青電車で上狛へGO!

 総本家青信号特派員様が「活躍する103系」を投稿されたのを見て刺激され、以前から気になっていた奈良線も103系が走っているのでぶらぶらすることにしました。奈良線は学生時代に一度だけ写真を撮っただけで、写真もC58がタンク列車をバック運転しているものが2コマと単機回送が1コマの3コマしか撮っていません。それに京都へ行くときに電車から沿線の風景を眺めていると、いい感じのところが多くありそうと思っていました。まずは、車窓から見える立派な茅葺の民家があるところへ行ってみることにしました。地図で調べると上狛駅の近くでその民家は重要文化財の小林家住宅です。とにかく、行ってみることにしました。

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 窓から写した駅・列車 -9-

現在、信号場の数は、JRで約100ヵ所、私鉄で約60ヵ所と言われている。その分布を見ると、東北、北海道が多いようだ。それだけ輸送量の多さに比して単線区間が多いこと、駅を造るだけの沿線人口が希薄ということだろうか。今回は、その東北、北海道で、窓から写した信号場。女鹿信号場-1sy ▲いくつかの信号場は、ホームを設けて旅客を扱うところもあった。北海道・東北地方に多かった。写真の羽越本線の女鹿信号場も、昭和37年の開設当時から旅客営業を行なっていたと言うが、時刻表の記載はなかった。北海道に多い、乗降場の類なのだろう。扉ひとつ分に対応した木造ホームも見えるが、信号場職員なのか、人影も見える。昭和62年、JR化に際して駅に昇格した(昭和46年)。

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part13 ノイスタットからマンハイムへ

第8日目 6月1日 その2

5月25日にこちらへ来て翌日からの7日間にわたった〝ダンプスペクタクル2014″ 撮影も大成果で終わりました。ドイツの蒸気機関車については01型の名前ぐらいしか知りませんでしたが、同行させていただいた皆さんのおかげで少しは語れるようになりました。お世話になりましたO氏DukeさんN田さんに御礼を言って、お別れです。これからは大津の86さんと合流して一緒にドイツに残る保存鉄道の乗り鉄、撮り鉄旅です。

18▲ 18:35 ノイスタット駅まで送っていただき、マンハイムまでは一人旅です。一人で切符を買うのも初めてです。Dukeさんに教えてもらった通りに買おうと同じ場所の自動切符販売機に行こうと思ったら駅舎内はこの時間、既に閉鎖されていました。
オイオイ最初から試練かいと別の自動切符販売機を探して何とか切符(区間乗車券)をゲットしました。

切符は列車種別によって違っています。座って早く着けるとIC(インターシティ)を選びましたが、こんな時は遅れてくるものです22分乗車するのに、25分もの延着です。
安くもなく早くもなくになってしまい最初から”とほほ”です。切符は10・5€(約1,500円)でした。
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中央線211系初撮影

台風8号の去った後の猛暑日となった本日(7月11日)、準ホームグランド高尾~相模湖で初めて211系を撮影。中央線への211系投入は随分前から聞いていたが終に高尾口にも登場。もっともかなり前から入っていたとの情報もあったが私としては始めてなので発表する。

2014.7.11 高尾~相模湖 立川発松本行き445M クハ210-1s-14.7.11高尾210-1

 

埼京線の205系の233系7000番台への置き換えはアッという間に終わったが、横浜線も2月に全車205系であったのが233系6000番台置き換えで今や風前の灯である。

2014.1.23 鴨居~小机 桜木町行きクハ204-78s-14.1.23小机204-78

 窓から写した駅・列車 -8-

信号場(1)

幹線の単線区間を旅していると、駅でもないところで、突然、列車の交換がある。信号場である。「もっぱら列車行き違い、または待ち合わせを行なうために使用する停車場」と定義されている。停車場は、駅、操車場、信号場に分類され、駅と同じ括りとなるが、駅を設置しても旅客が見込めない立地の場合、信号場の設置となる。人里離れたところに設置されることも多く、通常は乗り降りできないため、趣味的な興味は尽きない。

信号場の代表例は、単線区間における行き違いのためだが、複線区間で追い抜き専用の待避線を設けた信号場や、駅と駅の中間で線路が別方向へ分岐する地点、また単線から複線に変わる地点も信号場と呼ばれる(例外もあり)。運行形態の変化により、信号場の必要性がなくなり、改廃された例も多い。

sy140710 (11)▲日豊本線の南霧島信号場、霧島神宮~国分間に昭和41年に設置された。撮影当時は、まだ設置から間もないことが写真からも伺える。列車は、西鹿児島発門司港・広島行き「青島」、列車交換のためには構内は直線になっていることが望ましく、全体がカーブした信号場は珍しい。電化後の現在も活用されている(昭和45年)。

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part12 ドイツ蒸機祭〝ダンプスペクタクル2014″  Dampfspektakel 第5日目最終日

06_0▲ 10:31 躍動 撮影地③ Google座標;49.265695, 7.608622
ビルマセンスノルド(PirmasensNord)~ヴァルトフィッシュバッハ(Waldfischbach)
駅を出て勾配を登ってくる01-202号機。昨日とほぼ同じ撮影位置ですが列車は逆方向から来ます。
午後と午前の違いはありますが、どちらも順光となってバッチリ。下から見上げての力強い躍動感が撮れました

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 活躍する103系 〔2〕

スカイブルーの103系が活躍する阪和線・羽衣線では、一時と比べると数を減らしているとは言え、103系、最大の活躍の場となっている。

その配置所が、吹田総合車両所日根野支所だ。以前の日根野電車区である。平成24年6月にJR西日本の車両検修体制の見直しで、日根野電車区から検査部門のみを継承して、現在の区所名になった。電車区時代にあった運転部門は、鳳電車区に移管したが、同区には配置車両はなく、日根野支所が一括して阪和線、羽衣線の103系の検査・保守を行なっている。

平成26年3月改正後の日根野支所の103系は、6両編成10本、4両編成8本、3両編成2本、保留車1両を加えた99両である。阪和線の103系は、昭和43年10月改正で関西初の103系として鳳電車区に配置された。以来、50年近くに渡って途絶えることなく、走り続けてるの阪和線だけで、最大時、昭和59年の300両だったが、いまは三分の一に減ってしまった。ほとんどは他区所からの転属だが、配置以来、阪和線を離れたことのない車両もいる。すべてスカイブルー(青22号)に塗られている。

以前は阪和線の快速運用にも使用されていたが、今年3月の改正で、103系は普通電車のみの運用となった。6両編成、4両編成が、早朝、深夜を除いて、鳳、熊取、日根野、和泉砂川行きの普通電車に運用されている。103系が山越えをして、和歌山まで顔を見せることはなくなった。また3両編成は羽衣線専用のワンマン仕様となっている。最近では、大阪環状線から転属した車両も多く、先頭クハ103は、800番台の高運転台の体質改善車が多く占めるようになった。最近、転属して来た205系とは、共通運用となっているが、205系の4両編成の一部のみは別の限定運用となっている。

140401_66▲阪和線撮影の定番、大和川を渡る和泉砂川行き、クハ103-256先頭のHK609編成。十数年ぶりに訪れた浅香駅ホームは、今でも撮りやすい撮影地だった。

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part11 ドイツ蒸機祭〝ダンプスペクタクル2014″  Dampfspektakel 第4日目 

13[googlemap lat=”49.203171″ lng=”7.773052000000007″ align=”left” width=”250px” height=”180px” zoom=”15″ type=”G_HYBRID_MAP”]49.203171, 7.773052[/googlemap]
▲ 16:01 小さな絨毯 撮影地⑥

予定していた撮影地への時間が読めなくなりました。01型が通過する時刻が近づき仕方なく脇道を上って着いた峠の無人駅、ヒンタヴァイデンター・オスト(Hinterweidenthal Ost)。
下馬評には上がっていなかった無名の駅でしたが、構内一面に咲く無数の小さな黄色い花は絨毯のように見事です。直ぐにカメラを構えると、花をかき分けるように01-202号機がやってきました。

ドイツ鉄路の沿線(犬走り)や構内にはとても綺麗な花の群落をよく見かけました。日本のようなペンペン草がありません。外観が綺麗でなければ乗り物ではないとのドイツ人気質です。走る鉄路付近にも花の種を人工的に捲いて綺麗にしているのですかね?

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C58304【関】1966年正月

準特急さんのC58304と231を探し、その304です。
C58304【関】。貨物379列車、大船渡線・
矢越-折壁間、1966年1月3日。
C2412なお、同じ場所の『今』が下記の画像です。この画像は筆者のネット友達(まだ会ったことはない)が撮影して、送ってくれたものです。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA『1966年当時と同じ場所は、木々が生い茂っており、若干、下の場所で撮影。
民家の入り口となっており、趣旨を説明して許可を得て撮影。』とのことでした。

この画像の他にも、大船渡線の筆者の画像『昔』を基に、『今』を数枚届けていただいています。後日『今』、『昔』を並べてアップの予定です。お楽しみに。

2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part10 ドイツ蒸機祭〝ダンプスペクタクル2014″  Dampfspektakel 第3日目 01型蒸気機関車

20▲ 22:15 主役 ようやく夕闇がやってきました。扇形機関区に並んでスポットライトを浴びる01型蒸気機関車3兄弟は、ダンプスペクタクル2014の主役です。
【DATA】 ズーム98㎜ F5.6 1/10秒 ISO3200 露出モード;マニアル 手持ち撮影

第6日目 5月30日

今日は01型蒸気機関車のワンマンショーです。118、150、202号機が走り回りますので追っかけですが、昨日分かったように予想以上の高速走行です。場所を絞り込んでの撮影にならざるを得ません。朝1番の撮影地は、昨日同様に朝焼けを期待してのハスロッホ~ベール・イグゲルハイムの直線区間です。今日は通過時間が9時台と遅いのでホテル1階のパン屋レストランでコーヒーを飲んでの出発ですが、撮影現場には約2時間前到着と連日の1番乗りを果たしました。

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保存蒸機とその現役時代(30)

山形県には保存蒸機が3台と大変少ないことに加えてこれまでほとんど行く機会もなかった。しかし、現在は首都圏からは新幹線「つばさ」利用で日帰りができるようになり、以前よりは出かける頻度も高まった。今回は保存蒸機3台のうち2台を占めるC58を取り上げてみた。デジ青では01を始めドイツの素晴らしい蒸機が連日登場しており、これに対抗するには日本的名機で客貨両用万能機C58が適当と考えた。

C58231  1940年5月 川崎 製番2308

説明板によると新製後天鉄局竜華機関区を振り出しに和歌山紀伊田辺機関区を経て昭和48年10月に会津若松機関区に配置され、以降昭和49年5月まで陸羽東線小牛田~新庄間を走り続けたとある。最後に走ったゆかりの地に近い場所に保存された訳であるが、その生涯の殆んどは和歌山方面で暮らしていたので何となく「よう来たな」と関西訛りで話しかけられそうな感じがした。正面は予備灯付きの東北顔に変わっていた。保存状態はよくない。

2014.6.27 上山市河崎町上山市民公園(かみのやま温泉駅北西徒歩15分)▼s-14.6.27上山C58231
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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part9 ドイツ蒸機祭〝ダンプスペクタクル2014″  Dampfspektakel 第2日目 その2 追っかけとバイエルン鉄道博物館

2323_1▲ 手ごたえ 線路を跨ぐ歩道橋で撮影していましたら何処からか現れたご家族、みんなでコンデジを取り出しての鉄ちゃんです。1番年下のお嬢ちゃんは最初は難しそうな顔つきでしたが、撮った後はカットが上手くいったようで、手ごたえある表情をされていました。

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2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part8 ドイツ蒸機祭〝ダンプスペクタクル2014″  Dampfspektakel 第2日目 その1

03▲ 6:45 撮影地① 昇った朝日を浴びて黒光りの01-118号機牽引の特別列車が驀進します。

【01形蒸気機関車】
01形はドイツが世界に誇る高速旅客用大型パシフック(軸配置2’C1’)蒸気機関車です。直径2,000㎜の動輪を備え最高速度130km/h(初期型は120km/h)で快走しました。1926~1938年に幹線急行用として231両が製造(別途02形からの改造機10両あり)されて、オリエント・エクスプレスも牽引しています。
今回の〝ダンプスペクタクル2014″には、動態保存されています118、150、202号機が参加を表明しています。
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ライン川周辺の鉄道(その3)

デュイスブルグはエッセンから10分あまりのところにあります。人口は約50万人、ドイツで15番目の大きな町ですが、DBの中央駅前はそんなに賑やかではありません。Uバーンが中央駅の地下に乗り入れているもののU79系統だけ、トラムも901,903の2系統だけです。DBの快速電車を降りるとUバーンの表示が出ていますが、案内をたどってもUバーンへの入口がわかりません。

デュイスブルグの路線図、水色がトラム、青にUのマークがUバーン(DVG HPより)

デュイスブルグの路線図、水色がトラム、青にUのマークがUバーン(DVG HPより)

駅の外に出てしまい、うろうろしていると右手に小さな建物があり、Uのマークとともにデュイスブルグ中央駅の表示がありました。地下に降りると確かに地下鉄の駅がありました。 続きを読む

2014年 ドイツ、メルヘン鉄道の旅 Part7 ドイツ蒸機祭〝ダンプスペクタクル2014″  Dampfspektakel 第1日目 乗車と撮り鉄

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▲ 今日は同じ路線を蒸気機関車牽引の列車が3往復します。終着駅にターンテーブルがないので復路はテンダーファーストになります。どこか横から撮れる場所がないかと一昨日に探した場所に行ってみますと、今日は牛さんが放牧されていました。
見ますと牛さんたちはそれぞれ種類が違っています。お気に入りは耳が黒色になったパンダ君です。写真になるので友情出演をお願いしましたが、動き回って中々ベストポジションでの演技に答えてはくれません。Dukeさんにも通訳をお願いしましたが、英語にはご堪能ですが牛語は苦手なようでした。

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