15:56 S18バーンの始発駅、”Bahnhof Stadelhofen“に到着しました。昨日夕刻は、違った車体色のトラムをみて驚きました。調べてみて近郊電車がトラムが走る市内線に乗り入れしていると知って、これは珍しい事とまた驚きました。
続きを読む
月別アーカイブ: 2016年12月
ちょっと立ち寄った水島臨海鉄道
下津井、玉野、三蟠と過去の遺産を巡ったあとは生きた鉄道を見て帰ろうと水島に立ち寄ってみました。今年の2月にも訪ねているので それほど大きな変化はないだろうと機関区の周囲から眺めただけです。
小さな秋の鉄道風景③
②に引き続き「小さな秋」③をご覧ください。
2016年11月 例によって日付順です。今回はとさでん交通、長崎電気軌道、阪堺電気軌道です。
↑ 夜 高知に着くと雨、雨、大雨でした。それも良かろうと はりまや橋交差点へ行きます。いつもきれいな花で飾られています。「 とさでん交通」607号が南方向「桟橋通り5丁目」へ向かいます。 11月18日
続きを読む
玉野のモハ103に会いに行く
思いがけず多くの保存車両を見ることができた下津井から 海を眺めながら約20Km走って玉野市に入りました。前回玉野を訪れたのは平成21年の年末で 廃線跡を少し辿って満足したのですが、そのときすでに琴電からモハ103が里帰りしていたことを全く知らず、すぐ近くまで行きながら見ずに帰りました。それから7年も経ってようやく、保存場所を訪れました。
下津井は生きていた
三蟠鉄道を訪ねる前に下津井に立ち寄りました。下津井にも保存会があって電車が残されていると聞いていましたので 30年ぶりに訪ねてみました。下津井電鉄には昭和44年、52年、60年の3度訪問していますが廃止後は初めてです。
駅本屋などの建物はありませんが、広い構内はほぼそっくり残っていて驚きました。
小さな秋の鉄道風景②
①に引き続き「小さな秋」をご覧ください。2016年 一応日付順とさせていただきます。
よろしくお願いします。
↑ 三岐鉄道北勢線 昨年はきれいな水田でしたが今年の秋はコスモスの群生でした。 10月21日
続きを読む
短命だった三蟠軽便鉄道
三蟠(さんばん)軽便鉄道と言われても「えっ、どこにあった鉄道?」という感じかもしれませんが、1915年(大正4年)8月11日に開業し、1931年(昭和6年)6月30日に営業を終えた 16年という短命の鉄道でした。岡山市の南部 国清寺と岡山市の外港 旭川の河口にある三蟠港を結ぶ8Kmほどの鉄道でした。廃止が今から85年前の昭和6年ですから いかに歴史あるクローバー会と言えども、三蟠鉄道の現役時代を知っている会員はおられないでしょう。現在では瀬戸大橋線で四国に渡るのはあっと言う間ですが、かつては三蟠港から高松への連絡船が発着し、下津井などと同様四国への重要なルートとなっていました。明治42年に宇野線が開通し、明治43年には宇高連絡船が就航したことに加えて、旭川の浚渫が行われたことで大型船が岡山市部まで入れるようになったため三蟠鉄道の必要性がなくなり 短命な鉄道となって消えてしまったわけです。岡山県下の私鉄と言えば、東から片上、西大寺、岡電、玉野、下津井、水島、井笠と名前が出るのですが、三蟠は忘れ去られています。そんな悲運な軽便鉄道のことが以前から気になっていて、三蟠港には三蟠鉄道資料館があることは知っていたのですが クルマでしか行けない不便な地だったこともあって訪問が延び延びになっていました。
京都の秋
秋の北海道 鉄道ひとり旅 【4】
2016年 西方見聞録 Part15 チューリッヒのトラムに乗る、撮る⑥ 観光ルートを撮る
12:50 撮影地 ”Stauffacher” Google座標; 47.372706, 8.529180
”Bellevue”からは4系統に乗ってロケハンしながら乗り鉄で終点へ、折り返して気に入った”Stauffacher”で下車しました。お目当ては聖ヤコブ教会(St.Jakobs Kirche, Züri, Schwii)です。順光でバッチリと撮れました。
続きを読む
小さな秋の鉄道風景①
秋とは一説に「四季の第三。夏と冬の間で、日本では9・10・11月をいう」とのことだそうです。2016年9月から11月の間の写真で秋の風情を中心にご覧いただければと思います。
↑ 稲の収穫時期になりました。金色に輝き刈入れはもうすぐでしょうか。筑豊電鉄の2000形も運用2編成、平日の朝だけの運転になってしまいました。5000形とのすれ違いです。西鉄の連接車はあと広電で5編成ががんばっています。9月9日2003号
続きを読む
2016年 西方見聞録 Part14 チューリッヒのトラムに乗る、撮る⑥ ケーブルカー リジブリック (Seilbahn Rigiblick)
第4日目 9月21日 その3
チューリッヒにはもう1本、普通とは違ったトラムが走る路線「点線表示」の23系統がある事に気づきました。S18バーンを後からにして向かうことにしましたが、乗換えが必要です。まずはレ ーマーホーフ(Römerhof)から8番に乗って、Kunsyhausへと向かいます。前調べなしの訪問です。どんな鉄路になっているのか楽しみでした。
47年前の札沼線
総本家青信号特派員氏が「秋の北海道 鉄道ひとり旅(3)」で札沼線の近況をご紹介頂きました。氏もかつて札沼線全線を乗り通されたようですが、私も昭和44年3月6日に乗っています。その日のことを「靑信号23号」に旅行記として載せていましたので、札沼線部分だけをスキャンしてみました。紙はすっかり変色しています。
2016年 西方見聞録 Part13 チューリッヒのトラムに乗る、撮る⑤ ドルダー鉄道(ラック式)
秋の北海道 鉄道ひとり旅 【3】
デジ青投稿をちょっと留守にしている間に、JR北海道の危機的な事態が現実のものとなって来ました。最悪の175億円の赤字決算になる見通しのJR北海道は、過日、「単独では維持困難な路線」として、10路線13区間のリストを公表しました。営業距離にして1200キロ余り、実に同社の全路線の約半分に相当します。リストのなかには、宗谷線、石北線、根室線(一部)という、特急も走っている本線クラスの路線も含まれて、JR北海道の深刻な現状を伺い知ることができます。また札沼線の北海道医療大学~新十津川、根室線の富良野~新得、留萌線の深川~留萌の3区間は、廃止を前提に沿線自治体と協議する方向で検討中だと言います。かねてから、「維持困難な路線」は取沙汰されていましたが、留萌線の留萌~増毛が、明後日には廃止されるタイミングでの公式発表となりました。
▲「維持困難な路線」の代表、札沼線の終点、新十津川に到着の“朝の最終列車”
京津線の勾配区間
先日の準特急様が投稿された「ホームカミングデー前後のこと」とそれに対する1900生様のコメント、私も加わりたかったのですがちょっと留守をした間に機会を逸してしまいました。この辺りは自宅からも歩いて行ける範囲で、散歩がてらカメラをぶら下げて勾配標を追いかけて浜大津から大谷まで歩いてみました。
↑ B地点。最急勾配、上栄町側の標識、道路から見下ろすところにある。
浜大津の駅を出た電車は左にカーブを取って併用軌道に入りいきなり勾配が始まります。この部分は道路の真ん中を走っているため勾配標がありませんが、この部分もかなりの勾配があります。併用軌道を離れ、上栄町駅を出ると40‰の勾配とカーブが続き、161号線の踏切近くに40‰の勾配標があります。旧上関寺駅を通り過ぎて国道をくぐったところが問題の最急勾配で1900生様のご指摘の通り、国道側に61‰の勾配標があります。ここから距離にして100mあまりが61‰の勾配区間、大谷側の標識は国道と同じ高さにあるため、電車と一緒の写真を撮ることができますが、柵があって少し撮りにくい角度となります。その先も緩くなるものの40‰前後の勾配が続きトンネルをくぐると大谷の駅になります。
京津線の写真は浜大津の駅出たところ、併用軌道がポイントのようで、最近は必ずカメラを構えた人を見かけますが、上栄町から家や神社の門前をかすめて大谷に至るこの区間も私は気に入っています。このあたりには旧逢坂山隧道など鉄道遺跡もいくつかあり、当地においでの折はぜひお声掛けください。ご案内いたします。 続きを読む
2016年 西方見聞録 Part12 チューリッヒのトラムに乗る、撮る④ ポリバーン(ケーブル)
第4日目 9月21日 その1
今日は昨日電停で見たトラム路線図でなぜか点線表示となっている24と25系統のトラム2路線を最初に訪ねます。チュ-リッヒ中央駅近くから出ているのは名前がポリバーン(Polybahn)で昨夜ネット検索で調べたところチューリッヒ市交通局が運営していますが、何とケーブルカーでした。
※ Part12ではトラムの形式と車両番号は同じになりますので省略します。
【 ポリバーン(Polybahn 】
チューリッヒベルク鉄道によって1889年に開業なりましたが、赤字が続き銀行グループUBS AGが引き継ぎました。但し運営はチューリッヒ市交通局が代行してトラム路線の1つとなっています。
路線長はホクスチューレン(Central Polybahn)~国立チューリッヒ工科大学のテラスまで176m、高低差41m、955㎜ゲージ、定員50人、最高速度2.5m/s、所要時間100秒です。運行時間は、6:15~19:15(日祝運休)、運行間隔2分30秒で年間200万人もの利用客があるそうです。
続きを読む