あやしい秘蔵写真の出どころに関して

まずご報告です。
壊れたパソコンが先ほど復旧しました!慣れないノートパソコンでのやりとりではミスばかりで困りましたがホッとしてます。

さて、先日来の写真に関しましてお問い合わせや出所を怪しむ怪文書などを頂きましたので、正直にお話しします。

前回も書きました(此方のミスで消えてしまいました)が、父は戦前に千日前で写真館を開いていましたが、戦災で全てをなくし京都で写真館を再建しました。場所は七条大宮角です。ツテのなかった父は西本願寺の撮影を受けて生活を安定させましたが、目的は千日前での再興でした。でもそれは京都での事業が成功したためやがてあきらめたようです。生活が安定した原因の一つが国鉄との取引です。近くにあった梅小路機関区の諸行事での記念撮影や、西大路駅の近くにあった国鉄バスの工場での展示会などは、通販やショッピングセンターがなかったので大繁盛でした。
そんな中でこれらの写真が撮られたのだと考えております。当時は父を含めて数人のカメラマンがいましたが、だれも鉄道ファンではありません。小さかった私のためにと残してくれたのでもありません。多分、機関区から資料写真の複製を頼まれて予備を作ったものが残っていたのだろうと考えられます。従って持ち込まれたものは写真か資料写真だと思います。昭和三十年代初め頃まで写真館では乾板を使っていました。引伸機を改造した複写機に乾板を入れたり、表で太陽光線を当てて撮影していたのを覚えています。版権は撮影者にありますので七条写真館が乾板を持っていたはずです。割れたり棄てたりで残ったのは写真だけです。これが棄てられなかったのは奇跡的です。鉄道好きになった息子を知って父が残してくれたのかもしれません。
梅小路機関区とのお付き合いはデジカメが出て、職員が撮るようになるまで続きました。記憶ではB20が復元された時の記録写真が最後だったとおもいます。

ところで高橋弘氏が撮られたC59108のお召し列車ですが、生前父に高橋さんを知ってるか?と聞いたことがあります。その時、同業者として名前は知っているが会ったことは無い、と言っていたのであの写真を直接高橋さんから頂いたと言うことは無いと思います。推察ですが、機関区から複写依頼があり一枚余分に焼いたのではと思います。余談ながら昭和31年11月3日に梅小路機関区でこの運転に携わった職員の記念写真を撮っています。

こんなモンもありまっせ!七条写真館の記憶2

出し惜しみをしたら、祟りでろくな死に方をしないとのご指摘を頂きましたので、あわてて投稿をしたら、間違えて消してしまいました。せっかくのご意見も消去してしまい、ご迷惑をかけてしまいました。もしよろしければ今一度書いて下さい。

※先ほど、前里様から情報を頂きましたので写真説明を一部変更いたします。(10/16)

さて、前回は梅小路機関区のC53をご覧頂きましたが、今回はいろいろなものが出てきます。

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こんなモンもありまっせ!七条写真館の記憶1

間違って消してしまいました!
が、どですかでん様の“神の声”で復活しました。

私の父は戦前に大阪・千日前で写真館を開いていました。
大阪大空襲で八尾へ一時疎開して、戦後京都の七条大宮にあった古ビルへ引っ越して写真館を再開したのです。でも、あくまで仮の姿、落ち着いたら大阪へ帰るつもりだった、というのが口癖でしたがかないませんでした。

で、七条大宮というと西本願寺と梅小路機関区が“最大の産業”でした。そのせいか、機関区からの写真撮影を良く頼まれていたようです。その頃の写真の複写らしきものが出てきましたのでご覧に入れます。
型式、撮影日時、撮影場所、撮影者など不明です。なにか分かった方は教えて下さい。

C5366(梅)C548(不明)
梅小路機関区

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西鉄200系(国鉄04と07?)

今朝PCのスイッチを入れたら立ち上がりません!えらいこっちゃ!
画面が真っ暗でポインターマークの矢印だけが光っています。データは外付けハードディスク2台に分散配置していますので助かりますが、設定などはすべてパーです。何度立ち上げてみても一緒なので困っていたら、ヨドバシにDELLのコーナーがあったのを思いだして出かけました。でも頼りない!質問にWikipediaを見て答えているではないか!帰ってきました。とりあえず外出用に買ってあるノートパソコンでこれを書いています。それにスキャナーをインストールしていたらこんな時間になりました。遅くなったのはそのためでした。

さて今週の電車は気動車の形をした電車です。


DELLのサポートからの返事次第ではデスクトップ型のPCを買わねばならないかも・・・

小田急の甲種輸送引き渡しを撮影する

7月に小田急線沿線に引っ越して時間が経ち、生活に慣れてきた頃、小田急の甲種輸送が設定されているとの情報を得たため、撮影に行ってきました。

小田急1000形とEF65(小田急小田原線 新松田駅)

小田急の甲種輸送はJR御殿場線の松田駅から伸びる連絡線を介して引き渡されます。普段は「あさぎり」のみが通過する連絡線をEF65が通過すること、ハンドルを握るのが小田急の運転士であること、営業運転時間内に行われることなど特徴があります。

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半世紀前の神戸市電-併せて街の今昔対比(4) 長田

シリーズ4回目は、長田交差点付近です。神戸市電が山陽電車と平面交差する交差点の直ぐ北側に下の絵ハガキのような赤鳥居があり、商店街が連なります。市電はその前で直角に曲がり、上沢通りを東に進み湊川公園に向かいます。
▼長田神社鳥居前
出展:株式会社くとうてん発行、もふもふ堂 絵ハガキ『市電の走る風景』
vol.3 より『長田神社前商店街』 (株式会社くとうてん様より掲載許可受け済み)▼4系統須磨駅発循環須磨駅行き 700型720号車 実際の市電はこんな風に、直角に曲がっていました。長田交差点を渡って来て、これから湊川公園、下山手に向かい、三ノ宮、元町、中之島、東尻池を経て須磨駅に戻ります。この日は祝日らしく、屋根の日の丸が旗めいています。鳥居を入れて撮ってはいませんが、似た文字の看板があります。絵の時代より写真の方が新しそうでお茶屋の看板は違います。
1967.3.20撮影 14422

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誰でも撮った高倉陸橋

京都駅の高倉陸橋から下にたむろする蒸機を撮った人は多かろう。石炭ホッパーがあるため、機関車は常に数輌いるから、何時行っても、当然誰でも同じような写真が撮れる。東海道線電化の1956年11月19日以降は、C59やC62、C51が消え、奈良線C58に京都入換のC50ぐらいになってしまうが。まあ誰でも撮った写真だが、60年以上前というだけでご勘弁を。キャプションはいらないだろう。

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「浜大津」に寄せて

江若ジオラマを製作し、平成23年から大津で何度か展示の機会を得ました。そのなかで最も製作に苦労したのは最後に作った浜大津ジオラマでした。江若と京阪の両方があり、特に京阪は特殊なポイントやクロッシングばかりで市販品が使えず、H君の協力を得て完成しました。ジオラマの展示にあわせて掲示物も作ったのですが、その中に浜大津の線路の変遷図がありましたので、その一部をご紹介したいと思います。

昭和14年(1939)当時

大正元年に京津電気軌道によって京都三条・大津札ノ辻間が開業し、大正14年にようやく浜大津まで延伸されました。そして前身が琵琶湖鉄道汽船である石坂線と昭和14年に線路がつながりました。なお手書きの地図の水色の部分はかつての大津城のお堀を示しています。

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浜大津

たまたまこんなネガが出てきた。京阪電鉄大津線浜大津駅は何度も改修を重ねているが、その改装中―仮設ではあっても、まあひどいもんじゃありませんか。要は1本突っ込みである。

撮影は1957年2月15日。