◆た~ちゃんの電車めぐり ⑮ 

青電スタイルで片側に扉が3ヵ所あった大型ボギー車、1000形も忘れられない電車です。昭和24年秋に登場した時、200人乗りと新聞で紹介されました。宝ヶ池競輪場へは元田中から叡電に乗り入れ直通運転をしました。チャンチャンの警鐘からパァーンの警笛に変わりました。動物園、植物園への遠足には子ども達を満載して走っていました。
汽車は貨物を運ぶために生まれましたが、電車は人を運ぶために生まれました。でも、それ以外の役割もしました。明治・大正期の都大路の大部分は未舗装で、乾燥した日は砂塵がもうもうと立ちこめます。そこで水撒き電車が造られ、堀川押小路では堀川、熊野神社下ル徳成橋畔では疏水から水を汲み上げていました。終戦直後まで夏場には水撒きする姿がありました。

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部分運休続く三江線

北陸から東北にかけて例年にない大雪に見舞われていますが、中国地方の山間部も同様です。今日の中国新聞朝刊の記事にも まだ三次・浜原間が運休していることに触れてありました。3月を待たずに開通するとは思いますが、最後の三江線訪問を計画されている皆様には落ち着かない日々だとお察し致します。

平成30年2月14日 中国新聞朝刊

 地図を携えて線路端を歩いた日々 -23-

最初に笹川流れを訪れた昭和44年8月、今川で下車して、午前中は桑川方で写したあと、午後からは、越後寒川方へ場所を移しました。ここには有名な蓬莱山があって、笹川流れの本場とも呼べる撮影地です。最近の写真を見ると、この蓬莱山を見下ろすことができる、恐ろしく危険な撮影地が存在するようですが、その当時には、その情報も無く、第一、そんな危険な目をしなくても、線路端から安全快適に撮れたものです。羽越本線の代表的な景観、蓬莱山をバックにナメクジ機が行く。真夏のカンカン照り、あまりの暑さについに降参、駅へと退散した。550レ D51 75〔酒〕

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福井見聞録 2018年冬 雪景色を求て えちぜん鉄道 前編

青春18きっぷで行く予定だった福井ですが、直前で山陰乗り鉄旅と三江線撮り鉄旅に変更しました。雪景色の福井を求て2016年2月にも訪問しましたが、この年は積雪の少ない年で狙った写真にはならずリベンジを誓いました。毎日、天気予報を見ながら雪が降るのを待っていましたら三江線から帰って3日目に積もりだしたとニュースが出ました。これは行かなければとジパング倶楽部割引きっぷで行くことにしました。今回は日帰りの訪問です。

1月14日
長岡京 5:10⇒5:21 京都 5:30⇒6:38 米原 6:50⇒7:36 敦賀 7:41⇒8:37 福井

早朝4時には起きて朝食をとってから余裕を持って駅に向かいました。きっぷを発券するのに少し時間がかかるだろうと予測していましたが、一人でおられた女性駅員は、「5:30以降にならないと発券機が動かない。京都駅の精算窓口へ行って欲しい。」と、長岡京駅での乗車証明書を書いてくれました。

5:21 京都駅に到着後、精算窓口へ行きましたがこちらもまだ開いていません。5時半以降なのでしょうね。待つと電車に乗れなくなりますのできっぷなしで福井まで行くことにしました。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -22-

今川で下車したあと、未舗装の国道を通って、海岸沿いを桑川方面に南下しました。
まもなく、“笹川流れ”の語源となった笹川を渡ります。川に沿って少し山手の小高い丘へ登ると、トンネルを抜けて、築堤に掛かる羽越本線が眼下に広がります。日本海の強風から守るためか、屋根に石を置いた民家や、藁葺き屋根の民家が混じり合った光景が見えました。 小さなトンネルが連続する桑川~今川、トンネルを飛び出た瞬間、家並みの向こうにチラリと見える、紺碧の日本海が印象的だった。C57 181〔酒〕牽引の客車回送列車(昭和44年8月)

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客車廃車体訪問記 北海道編34 最終回

【豊富駅前】

オエ61 67  45.104986, 141.772305  1993年10月14日撮影撮影
◆ナハ34631→ナハ22795→(1954年鋼体化改造 日支)マニ60 21→(電暖追設)マニ60 2021→(1978年改造 旭川)オエ61 67→1990年廃車。
種車はオリジナルのマニ60で若い番号である。いちばん前位寄りの窓に特徴がある。4位寄りの窓が1個埋められている。
履歴票によれば、自重29.2t(現車標記は29.0t)、荷重14t、台枠UF218(平台枠)、台車TR12、基本12t長軸、空気ブレーキAV、連結器柴田式、信越線通過の可否・可、また所属欄には、北見53.6.10(到着)、稚内61.11.11(到着)とある。
ぶんしゅうさんの【86706】(2017年7月23日)に最近の状況が掲載されている。補修を受けていない車体が痛々しい。恐らくこれが客車廃車体の北限であろう。
現役最後の地は稚内客貨車区で、【92218】オエ61 59の後任の救援車であった。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -21-

「地図シリーズ」、前回紹介の北陸本線糸魚川~直江津からもう少し北、羽越本線を採り上げました。北陸本線と同じく日本海縦貫線の一翼を担いますが、初めて訪れた昭和44年時点でも、全区間が非電化で蒸機が活躍し、旅客用にはC57が健在で、その後も何度か訪れたものでした。優れた撮影地が各地にありましたが、とくに断崖絶壁、奇岩の佇立する“笹川流れ”を中心に紹介します。
270キロもある羽越本線の始発駅は新津。その新津駅の待合室で一泊したあと、始発の列車に乗って新津を出発した。まもなく見渡す限りの稲田が広がり、これが越後平野だと納得した。新幹線以外では、当時、日本一長かった阿賀野川橋梁に掛かるころ、朝陽が列車に反射し、睡眠不足も吹き飛んで、撮影意欲が湧いてきた。

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計呂地の不思議

2018年2月5日【93286】で旧計呂地駅跡の茶色の客車2両を紹介しましたが、
堀 淳一『北海道 地図の中の廃線』亜璃西社p.103に、平成2(1990)年9月に著者が旧計呂地駅跡を訪問した時の様子として
「ホーム側にまわってみたら、ホーム、枕木、レールが三拍子そろってまだ残っているばかりか、ダークブルー一色の古くなつかしい旧型客車のスハ形とオハ形車両が二両連結されてホームに着いていた。またホームの前後には、信号柱や踏切の柱やレールの分岐器なども残されていた(ここは『計呂地交通公園』となっているそうだ)。」
と記述があります。計呂地の旧駅舎も残存していたそうです。
ということは、30年近く前に「ダークブルー一色」の時期があったことになります。
また、何故かC58 139の記述が無いのが不思議です。鉄道友の会『RAILFAN』1989年№428 別冊:保存車・廃車体一覧1、同1992年№466によれば3両とも旧計呂地駅跡で保存されていることになっています。

どなたか、この件についてご教示いただけませんでしょうか。

国鉄特急型189系引退間近

表題のような情報があちこちで流れている。米手作市さんご紹介の散歩道の国電は吊り掛け車であり確かに古く、よく言えば懐かしい電車である。私など未だに101系以降151系も153系も新型電車と思っている。しかし、あれからもう60年も経った今、国鉄時代に登場した車両はほとんど姿を消しているのが現実である。今回の189系も然りである。先月中旬のことであるがNHKテレビでJR東日本豊田電車区の189系3編成の引退が報じられた。3編成とは旧あずさ色のM50、国鉄色(151系こだまやキハ82系の色)のM51、グレードアップあずさ色M52でテレビ報道ではM50編成が解体のため長野ヘ向かうと報じられた。残った2編成も3月17日の改正以降は運用の話がなく廃車されるものと思われるが最後にお別れ列車として走るとのことである。3月17日に行われるDRFC関東遠征旅行の時には間に合わない。

それでは3編成を順にご紹介する。

今回先に廃車されたM50編成。

日光線に修学旅行で使われた姿。 2017.06.16 日光-今市 上りM50 189-14 ▼ 続きを読む

散歩道で見つけました6

東海道線の国電

河 昭一郎様には申し訳ないのですが、旧型国電(と言うのかも知りませんが・・)終末期は京都駅に毎日通っていて見ていました。しかし、興味が無いというのは恐ろしいものでほとんど写真を撮っておりません。藤田さんの作品を見ていて全てに見覚えがあります。というより乗っていました。クロハにも乗りましたし廃止時も覚えております。でも写真が無いのです。
で、今回国電を投稿するに際して、どれが貴重なのか、どこが違うのかさえ分かりません。客車や気動車を「電車」という若い衆と同じです。それ以下かもしれません。後悔至極であります。ですから写真の解説はできませんので前回同様お助けください。

①高槻 クハ7936 右はクハ79300番台

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青春18きっぷの旅 2018年 雪の三江線へ Part3 最後の運行日になるのか?

西村さんから三江線は1月11日から全線・部分運休され、復旧のめどはたっていないとの記事の投稿がありました。私が今冬訪問したのは運休が始まる前日の1月10日でした。まだ廃止日まで十分な日数がありますのでもう一度、乗り鉄・撮り鉄に参るつもりで待機していますが、このまま廃止日まで運休が続くとなると最後の運行日になるのかもしれません。当日は朝からレンタカーを借りて走り回りました。ご覧ください。

第3日目 1月10日(水)
今日は朝8時からレンタカーを借りて自宅への最終列車が出るまで撮りまくろうと6時に目覚ましをセットしました。

6:00 三次発の始発は既に発車していきましたが夜明け前では撮りようがありません。ホテルの窓から見送ってから、レストランで朝食です。
▲ 7:41 撮影地 尾関山~三次 アルファイン三次10階、屋内から
ようやく夜が明けてきました。浜原三次行きの一番列車421Dが小雪降る中、馬洗川橋梁を渡ってきます。
【DATA 】NikonD500、150㎜、F5.6、1/500秒、ISO800
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客車廃車体訪問記 北海道編33

【丸瀬布いこいの森】

スハ43 703  43.930536, 143.334588  2017年10月8日撮影
◆スハ43 324(1953年新製 日支)→1966年近代化改造 後藤工→(1973年改造 旭川車セ)スハ43 503→(1976年改番)スハ43 703→1983年廃車。
言わずと知れた雨宮21号が走る線路(画面左鉄橋)のすぐ近く、駐車場前に鎮座している。充分過ぎるくらいの上屋があり良い状態で保存されている(893-2さんの2016年11月23日【78113】に少し写っている)。3連休の中日で天気も良くさすがに人と車が多かった。

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C56お召と機関車のペンキ書き

西村雅幸さんの2月7日[93389]「Carp油津駅新旧」に1900生さんがコメントされ、その内容に関係のありそうなC56のお召と順法闘争落書き機関車を見つけてきたので発表する。C5691、C5692は1972年(昭和47年)10月20日に運転されたが、私のは最後のお召蒸機となったC57117と同じ宮崎植樹祭の時のC11200+C5692であり、同型機ではなく異形式重連であった。撮影は1973年(昭和48年)4月10日である。

宮崎-南宮崎のお馴染みの大淀川橋梁を行くお召し列車 ▼

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Carp油津駅新旧

プロ野球各球団はキャンプインし、まだ高校の卒業式も済ませていないルーキー達が連日マスコミにとりあげられています。もちろん広島カープも同様ですが、例年カープが合宿する日南市天福球場も連日カープファンで賑わっているようです。その天福球場の最寄り駅 JR九州日南線の油津駅駅舎がカープレッドに塗り替えられたという話題です。

平成30年2月6日 中国新聞朝刊

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客車廃車体訪問記 北海道編32

【湧別町北兵村二区 五鹿山公園キャンプ場】

スハ45 31(左)  スハフ42 518(右)  44.183125, 143.613367  2017年7月16日撮影
◆スハ45 31(1954年新製 日立)→1966年近代化改造 旭川工→1984年廃車。
◆スハフ42 114(1952年新製 近車)→1964年近代化改造 幡生工→(1976年改造 五稜郭車セ)スハフ42 518→1984年廃車。
客車は移動機と連結してオートキャンプ場の隅にあり、バイクで行っても宿泊できるようである。他にテントが張れるキャンプ場やログキャビン、キャンプファイア広場等なかなか規模の大きなキャンプ場である。
約2㎞西に中湧別駅跡があり、道の駅になっていてヨ4430他が保存されている。

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青春18きっぷの旅 2018年 山陰へPart2

第2日目 1月9日(火)

第2日目 江津 6:16⇒7:32 益田 7:50⇒9:52 長門市 9:55⇒12:19 下関 13:11⇒13:54 宇部 14:17⇒15:20 新山口15:39⇒17:35 岩国 17:48⇒18:40 広島 19:05⇒20:30 三次

今日は三江線には乗らず、西の益田方面へと向かいます。前回11月に山口線のD51+C57重連を撮影に行った折に惣郷川橋梁に立ち寄りましたが列車には乗りませんでした。山陰本線は学生時代に全線乗車していますが、西の区間は日が暮れてから乗車していますので車窓からの景色は見れていません。いつか行きたいとそのままになっていましたので今回は行って見ようになりました。
▲ 6:03 宿泊したスーパーホテル江津を出発して夜明け前の江津駅に到着です。ホテルでは無料で美味しい朝食をいただけますがあいにくこの時間ではまだ準備中です。飲み物だけは用意されていますので温かいコーヒーだけはいただきました。
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散歩道で見つけました5

藤田さんがパソコンをお持ちで無いため読めない、を解決するために全ページ(リプライを含めて)プリントアウトしてお届けしました。大変喜んでご覧になってましたが、改めて国電のアルバムを貸してくださいました。ところがコピー用紙に名刺判の白黒写真を貼っただけのアルバムですから、場所や日時はもとより車両形式も書いてありません。なんとなく阪和線、片町線、東海道線などで分けてみましたが電車音痴の私には酷というものです。そこで伝家の宝刀・得意技の「皆様にお願い」攻撃をかけますので皆様で撮影場所や撮影年代、車両の形式など投稿で書いてください。写真には番号を振っておきますので国電担当者の方、よろしくお願いいたします。

①阪和線天王寺駅 クハ25

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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑭ 

市電最盛期に連結市電登場

広島の駅頭に立っていますと、電車が次々と折り返して行きます。赤地に白字の1の円い系統板を付けた青電がやって参りますと、懐かしい思いに駆り立てられます。この系統は、昔、壬生車庫から千本今出川へ、百万遍、祇園を経て、一周していました。四条通へ向かう反対回りもありました。反物を風呂敷にくるんで小脇に抱えた人、背に負った人も乗っていました。

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客車廃車体訪問記 北海道編31

【紋別郡湧別町 旧計呂地駅跡】

オハ62 91(左)  スハ45 17(右)  C58 139  44.103542, 143.728402  2017年7月16日撮影
◆スハ45 17(1952年新製 川車)→1964年近代化改造 旭川工→1986年廃車。
◆ナハ23414→(1954年鋼体化改造 旭川工)オハ62 91→1984年廃車。
旧計呂地駅跡周りは計呂地交通公園と称する公園になってC58と2両の客車を保存し、簡易宿泊施設としても活用している。
オハ62はオハ61の北海道版で130両在籍した。ラストナンバーのオハ62 130を改造したキハ08 3が加悦に保存されているが、釧路の「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」(第23回【92713】)のオハ62 95は台車だけになって、計呂地のオハ62 91は、いまや現存する唯一のオハ62であろう。C58にだけ上屋がある。

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