癒しの島 台湾鉄道の2018年夏の旅 Part7 十份、八斗子へ行く

第5日目 7月2日 その2

③ 亀山 12:25(區間車)⇒13:22 瑞芳

重い荷物は公園の上まで持ってあげる事が出来ず、茂みに隠してメモを置いてから上に上がりました。盗られずホッとしましたが、亀山站への戻りは暑さが往路以上で地獄でした。預け荷物を断られたコンビニにたどり着き
冷たく冷やしたビールを飲んだ時は生き返るような感動でした。

亀山からは区間車に乗って移動ですが、電車が来る時刻になっても改札口を開けてくれません。駅舎の窓口から大声を出すとびっくりしたように先ほどの駅員が出てきました。客など来ないと休んでいたんでしょうね。
改札口を入ると区間車が入線してきました。先ほどと同様で後続の優等列車の追い越され待ちをするようです。

程よく冷房の効いたガラガラの車内に入りホッと一息です。区間車乗車は約1時間ほどで瑞芳に着きました。降りてから駅前の民宿に行き荷物を置こうとしましたがまだ従業員の休み時間でダメです。

仕方なく30TWD(約109円)を支払って站に預けてます。今度は平渓線に乗って十份へ向かいます。

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 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈1〉

先般の記事の「京阪鴨東線開業」で、大西顧問の思い出を書くときに、「青信号」のバックナンバーを見返していて、私が書いた記述を見つけました。ちょうどDRFC創立30周年に当たる57号で、それを祝う寄稿のなかの一文でした。
「鉄道同好会、この名を口にする時、懐かしさと安らぎを覚える。ちょうど、東北か北海道のローカル線、カマは何でもいい。とある山間の駅に停車して5分の交換待ち、オハ61かスハ32の窓をギシギシ開けると、ひんやりした空気とともに、カマの匂いと熱気を感じた時のような…」なんて書いていました。ウ~ン、自分でもなかなかの比喩だなと思いました。この記述には伏線があって、この号の発行年に、マイテを連結した「同志社号」が走り、みんなで旧型客車に乗って名古屋まで一周しました。この思い出が印象に残り、鉄道同好会と客車を重ね合わせて記述したものと思われます。

ことほど左様に、“客車”という車両には、今さらながら、格別の愛着と懐古の念が湧いてきます。もちろん、この季節でも冷房など全くない、窓は最上段まで開けっぱなし、時折、黄金水がミスト状になって降りかかる、あの客車です。当会でも、山科人間国宝を頂点に、米手さん、井原さんからも、客車について熱く語られています。私は客車の来歴については、とくに詳しくありませんが、忘れそうになっていたフィルムの一片から、客車の持つ魅力を語ってみたいと思います。客車の魅力、そのひとつは、“客を乗せる車”だと思っている。乗客によって作り出された何気ないシーン、それは、季節や地域によっても違うが、今から見ると、なんとも素朴で、清々しい、幼い日を思い出すようなシーンが頭をよぎる。九州の12月、午前7時前でも真っ暗な高森線高森駅でも、一番列車に続々と高校生たちが乗り込む。C12の蒸気、客車の吐き出すスチーム、窓から洩れる室内灯で、影絵のようなシーンが表れた。セーラー服の女子高生が一人入っただけで、なんとも味わいのあるシーンが撮れたと思っている(昭和48年12月)。

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癒しの島 台湾鉄道の2018年夏の旅 Part6 亀山で撮る、蘇澳へ行く

第5日目 7月2日 その1

4:50 昨夜は20時にはベットに入っていました。疲れが出たのか爆睡で今日は明るくなってきたら目が覚めていました。近くにコンビニがありますのでサンドイッチとコーヒーの買い出しです。
▲ 4:58 夜明けを迎えたばかりの花蓮駅です。この駅も未来派的站にリニューアル中です。次に来る時には完成しているのでしょうね。楽しみです。

◀ 丸印をした場所が民宿の入り口です。ドアだけで分からないのが普通です。
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 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈10〉

地下鉄梅田駅の狭いホームを記録する
大阪市営地下鉄の梅田駅の近くに、幻のトンネルがあると昔からささやかれていました。御堂筋線の梅田駅に隣接して、谷町線が乗り入れて、もうひとつ梅田駅を造る計画があって、一部のトンネルがそのまま残っていると言うものでした。それが、御堂筋線梅田駅の混雑緩和のために活用されることになり、一面二線の幅の狭いホームから、現在見られるような、幅の広い一面二線ホームに改良され、平成元年11月から供用を開始しました。
従来の旧ホームを、南改札口の階段から眺める。大阪の地下鉄に初めて乗った時(かどうかは知らないけれど)、ここから見下ろした、ホームの混雑ぶりを見て、“さすが大都会、大阪”と感じたものだ。

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癒しの島 台湾鉄道の2018年夏の旅 Part5 CT273(台湾のC57)を撮る

第4日目 7月1日

6:00 久しぶりに身体快調の朝を迎えました。この民宿には朝食の用意はありませんので朝の散歩がてらに宿泊者に用意されている自転車に乗って台東站へ向かいました。サンドイッチとコーヒーを買って駅前のベンチで朝食です。
朝食後、民宿へ戻る道を間違えました。途中で戻れるだろうと進んでいると車庫の向こうに青いディーゼルカーが見えたので引き寄せられるように近づきました。
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 久大本線 1年ぶりに全線開通

このたびの平成30年7月豪雨では、多くの鉄道路線が被災し、長期の不通を強いられそうで心を痛めています。そのいっぽうで、昨年2017年の九州北部豪雨で、橋梁が流失して不通が続いていた、久大本線光岡~日田が復旧し、久大本線全線で運転を再開しました。本日、博多では、「ゆふいんの森」の出発式が行なわれ、全線復旧を祝ったとネットニュースで知りました。ことし4月、久大本線を訪れて、代行バスに乗ったり、出会った人たちと復旧への足取りを感じてきた私としては、西日本の鉄道状況を見れば、心から喜ぶことはできないものの、少しでも復旧の端緒になればと思っているところです。
筑後川の上流のダム湖をのぞむ久大本線の夜明駅、赤い橋、赤いツツジ、赤い気動車と、三つの赤が収まる。右手に分かれて行くのが、いまだ不通が続く日田彦山線。

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 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈9〉 

鴨東線の開業日に立ち会う

平成に入ってすぐ、京都では京阪電鉄鴨東線の三条~出町柳の開業がビッグニュースとなりました。鴨川左岸を出町柳へ至る新線計画は、大正時代からあり、三条までの地上線を、そのまま出町柳まで延伸するプランでしたが、昭和40年代後半になって、京阪、京福電鉄の共同出資によって鴨川電鉄が設立され、地下線で建設が進められ、平成元年10月5日、開業を迎えたのでした。
京阪は、同年の9月27日から鴨東線開業に対応したダイヤ改正を実施し、開業日当日は、慣例によって正午からの営業となった。まず開業一番電車を明るいところで撮影するために、東福寺の地下線出口付近に向かった。ちょうど、鉄道写真界の大御所のTさんや、知り合いの皆さんと一緒に、三洋化成前の踏切で待ち受けた。正午前は、三条行きのラストとなる急行、特急を撮って、出町柳12時01分発の一番電車を待ち受けた。車両は、もちろん鴨東線開業に備えて新造されたばかりの8000系第一編成だった。

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癒しの島 台湾鉄道の2018年夏の旅 Part4 臨港線を走る冷気平快を撮る

第3日目 6月30日 

今日の撮影列車は08:30に新左營発とデカンショまつり号さんから聞いていましたがその後の列車ダイヤは不明です。今朝も体調すぐれず、撮りに出たいが無理は禁物と、部屋でゆっくりしてから出ることにしました。

身体が落ち着いて部屋を出たのは9時を回っていました。今から追っかけをして間に合うのは鉄道工場付近です。MTRで高雄站まで行きタクシーに乗って鉄道工場近くの踏切へと向かいました。
若い台湾人鉄ちゃんのカップルがおられましたので「冷気平快は今どこにいますか?」聞いてみますと奥の方に待機中ですと教えてもらえました。「近くまで行くことはできますか?」と問いますと、付いてくるように言われましたので一緒に向かいました。ところが見える位置まで来た所で後方から声が聞こえました。踏切から先は入場禁止だったようです。
▲ 10:04 鉄道工場前の踏切から見た冷気平快の編成です。イベント参加者はどこかで降りて鉄道工場見学中のようです。冷気平快のダイヤをお聞きしますと教えていただきました。
鉄道工場 11:50発⇒12:15 高雄 12:42⇒13:13 西勢 13:28⇒13:33 竹田 13:53⇒13:57 潮州 14:02⇒14:10 南洲15:02発です。                                                                    続きを読む

癒しの島 台湾鉄道の2018年夏の旅 Part3 高雄トラムを撮る

第2日目 6月29日

昨夜は部屋に戻ってからバスタブに浸かって、午後9時ごろには寝ました。
爆睡で朝6時には目覚めましたが身体がだるく、調子が良くありません。出発するまでハードな日が続いて疲労が溜まっていた
ようです。幸いにして冷気平快が走るのは明日で今日は予備日にしてありました。朝食後は朝寝で休養を取ることにしました。
昼からは、パソコンを持ち込んでいましたので部屋で出版社から頼まれています原稿の作成校正に励みました。

17:00 1日中部屋にいるのも身体に良くないだろうと出かけることにしました。先ず高雄站の案内所に行って明日の冷気平快列車のダイヤを聞きました。簡単に分るだろうと思っていましたが知っておられません。企画をしている会社も調べてもらったのですが電話番号の記載がどこにもなく直接聞けません。台湾鉄ちゃんのWebサイトにはあるだろうと調べてはもらったのですが見つける事はできませんでした。

明日、撮影現場で台湾人鉄ちゃんに聞けば分かるだろうと站での調査は諦めて昨日中途半端になった高雄トラムの撮影に向かいました。
▲ 18:56 MTRを乗り継いで、夕暮れの哈瑪星站に到着。これから徒歩で海べりの路線を南下します。 続きを読む

 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈8〉

廃止予定の大社線に乗る
平成になってからの時代、一人で遠隔地へ行くことは不可能な時代でした。辛うじて、家族旅行の際に、乗り鉄を楽しむ程度でした。大社線に乗ったのも、そんな理由でした。大社線は出雲市~大社7.5キロの路線で、出雲大社への参詣線として、国鉄時代、運転時期は違うものの、東京から「出雲」、名古屋から「大社」、大阪から「だいせん」が直通で運転されていた由緒正しき名門路線です。ところが、JR化後、特定地方交通線の第三次廃止対象路線に指定され、平成2年4月に廃止されます。かつて直通列車があったのに、廃止されたのは大社線だけでした。その前年、平成元年8月の夏休みに訪れた時は、最後の賑わいを見せていました。神社様式の堂々の木造駅舎、大正13年の二代目駅舎だが、大社線廃止後もそのまま保存され、国の重要文化財に指定されている。

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癒しの島 台湾鉄道の2018年夏の旅 Part2 臨港線の職員輸送列車と高雄トラムを撮る 

第1日目 6月28日 その2

高雄站でMTRを降りてからタクシー(約2㌔)に乗り換えて臨港線の撮影地へ向かいました。実は前回に撮影を試みましたが近くの屋台で美味しいものを食べていて間に列車をキャッチ出来なかったポイントです。十分に待ち時間がありながら油断したために撮り逃がした失敗のリベンジがありました。
しかし撮影地に到着したのは15:15、確か前回取り損ねた
時間は15:00でした。残念ながらもう通過したと思えますと、思っていましたら近くにおられた台湾人鉄ちゃんから来るのは16時だよと言われました。
前回の記録が間違っていたのか。私の記憶違いなのか分かりませんが彼の言っていることが最新情報なら待てば撮れます。日台の鉄道情報を話し合いながら待ちました。
▲ 16:02 彼の言っていた通り1両の客車を牽引して職員輸送の列車回送がやって来ました。高層ビルをバックに本線から分岐して臨港線に入ってきました。ようやくリベンジを果たせられました。
撮影地 Google座標;22.637022, 120.319043
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広島県の豪雨災害と鉄道

今回の豪雨災害に関して、多くの方々にご心配を頂き、電話やメールを頂きありがとうございました。幸い我が家は被災せず、家族も無事に過ごしておりますのでご心配なく。10日朝、いつもより遅れて届いた中国新聞朝刊から鉄道関連の記事をピックアップしてみました。

鉄道と道路の被害状況

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 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈7〉

嵐山行き臨急を撮る
阪急「円明寺上一番踏切」で撮りたいテーマが、もう一つありました。春秋の行楽シーズンに運転される梅田~嵐山の臨時急行です。後年、「嵯峨野エクスプレス」という愛称が付きますが、この当時はまだ愛称がなく、単に「嵐山行きの臨急」、社内では「梅嵐急行」と呼ばれていたようです。現在でも、嵐山へは、シーズンに、梅田、河原町から快速特急、天下茶屋、高速神戸、宝塚から直通特急が運転されていますが、平成の初期は、午前中嵐山行き10本、午後梅田行き11本が15分ヘッドで運転される高頻度で、運転期間も3月下旬から5月連休期間までの日・祝運転と、現在よりスケールの大きな運転でした。嵐山線内はホームの有効長で6連のため、車両には制約があり、いちばんの目玉は、ふだんは普通運用に就いている2300系の非表示幕車が、特製の「急行」マークを付けて疾走することでした。

2300系非表示幕車の晴れ舞台、「梅田 急 嵐山」の特製ヘッドマークを掲げて、円明寺上一番踏切を行く。春・秋の日曜日の午後、天気がいいと、よく自転車に乗って向かったものだ。

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癒しの島 台湾鉄道の2018年夏の旅 Part1 旅立ち

帰国の便は台風が九州へ近づいているそうで搭乗前から今日は揺れますよとのアナウンスの通りでした。機内食の配膳も遅れ、まだ食べている最中に終わったものは引き上げられたのは初めての経験でした。
帰宅後は大雨の襲来です。桂川が氾濫危機に近づいたとかで避難勧告が発せられてサイレンまでなりました。と、言っても我が家付近は何ともなくテレビで各地の被害を見るだけで済みましたが、各地ではかってない水害が発生しています。被害を受けられた方々がいつもの暮らしに戻られることを心よりお祈り申し上げます。

最近は頻繁に海外に行く機会がなくストレスがたまっておりましたらデカンショまつり号さんより6/29~7/2に訪台予定です。30日に高雄臨港線に入る冷気平快と1日のCT273(C57)の臨時列車が走るのを撮りに行きたいとLINEです。いつもは中々踏ん切りがつかない私ですが今回は食いつき、すぐに航空券の手配購入をしてしまいました。デカンショまつり号さんから帰りの航空券が取れない。また身内で急な事が起こり取れても行けない可能性が大きくなったと連絡が入り、単独での訪台を決行するかどうかの思案になりました。

私も某出版社から台湾の撮影地ガイドを出版するからと記事依頼がありました。しかし了承はしたものの初体験とあって段取りが掴めずはかどっていませんでした。本来ならこちらの方に全力を向けるべきなのですが性格がら追い込まれないと集中力が出てきません。台湾で調べたい事もあるので気分転換を兼ねてエイヤーで訪台する事を決めました。
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 “平成”の思い出 鉄道の記憶 〈6〉

阪急 前パン電車を撮る
今般の大雨被害では、とくに広島・岡山県下の鉄道は壊滅状態で、心を痛めています。私も、土日に予定していた遠隔地のイベント参加、それに続く旅行もすべて中止し、空いた時間を使って、“デジ青”投稿に勤しむことにしました。
平成の思い出シリーズを続けます。私は、昭和58年に初めて阪急沿線で生活することになり、それまでほとんど撮ったことのない阪急電車にも、自転車に乗って近くへ撮影に行くことになります。平成に入ってから、お気に入りの撮影地を見つけました。長岡天神~大山崎のほぼ中間にある「円明寺上一番踏切」です。この踏切の鉄柵のすき間のローアングルから、100ミリ程度の望遠で、大阪方面行きの電車を狙います。とくに、当時の阪急電車の特徴でもある、先頭車二丁パンタ装備車は、より凜々しく引き締まって見え、阪急電車の魅力一杯です。今回は、平成になった直後の阪急電車の“前パン”の定点記録です。
当時、特急は6300系の天下、中でも6330F編成は唯一の前パン。昭和59年の建造で、7300系の界磁チョッパなどの編成は新技術が投入され、電動車ユニットを両端に置いたため、大阪方先頭6330が前パンとなった。

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豪雨お見舞い申し上げます

DRFC-OB会(クローバー会)の皆様へ

先日の大阪北部地震に続き今回の豪雨はかなり広範囲に及んでいてさらに大変ですが皆さんの所は如何でしたでしょうか。嵐山の渡月橋も今回再び濁流が来たようです。気になるのは広島地方で西村さん大丈夫でしたか。三原市も死者が出たということで気がかりです。ニュースを見ていると昔早朝の列車を撮影したことのある呉線の坂のあたりも被害が大きく何度も報道されています。まだ、安心できないと思いますが、今後もこのような梅雨末期の豪雨は日本全国どこで起こるかよくわからずある程度覚悟しておかないといけない様な気がしております。