京急ブルー車、イエロー車と特別塗装車

INUBUSEさんのデジ青2018.8.26付[99564] 「京急(色)を求めて」では日本全国の京急色の路面電車やモノレールが発表された。これは撮りに行きたいなと思いつつも直ぐには無理だと理解した。この中ではどですかでんさんがコメントで阪急マルーンと京急の赤基調を対比して「西の阪急、東の京急」と述べられており、他人の受け売りでなく自分の言葉で表現されており、私も常々そうありたいと思っているところである。さて、その色のことであるが、最近はラッピングなるものも流行し各社リバイバルカラーや誘客PRで特別塗装車もそう珍しくなくなってきた。撮影していても変化があって楽しい。京急でも御多分にもれず海をイメージしたのか青色と西武と色交換をしたのか黄色の編成を見ることができる。どですかでんさんには横槍を入れるようで大変申し訳ないが10年ほど前に走っていた復刻カラーの初代1000形と共に赤以外の車両もデジ青に登場させていただく。

 

2017.05.03 追浜~金沢八景 快速特急品川・泉岳寺行き ブルー2140 ▼

 

2011.03.11 京急田浦~安針塚 上り回送 ブルー606-1(この後大地震に遭遇)▼

 

2014.06.16 新馬場 快速特急三崎口行き 黄色の西武カラー1057 ▼

 

2014.09.05 西武池袋線 ひばりケ丘~保谷 急行池袋行き 京急カラーの9003▼

 

以下は2008年2月25日から同年12月23日まで運転された京急110周年記念塗装

2008.05.04 港町 小島新田行き1324 大正~昭和初期の車両イメージカラー ▼

2008.05.27 六郷土手~京急川崎間六郷川(多摩川)を渡る昭和20~30年代のカラーの浦賀行き1309~1312。私が始めて見た昭和40年の京急は既にこの色から現在の赤になっていた。▼

 北のC62 全記録 〈8〉

最終日の北海道は、3度目の上目名へ  昭和43(1968)年9月14日
北海道へ入って14日目の最終日、事前のプランではフリーにしていましたが、やはり足は上目名に向かいました。いつもより遅い目の時刻に上目名に着くと、澄んだ青空に秋の深まりを感じます。最初に上目名に来た時に比べると、駅に集まる人数もぐっと少なくなっています。撮影地を探して、一人でトボトボ線路上を歩いていると、突然、自分の名前を叫ぶ声が、頭の上のほうから聞こえてきます。

次いで“ここや!ここや!”の声、声の聞こえる方向を、よ~く見定めると、なんと数日前に別れたはずの鉄鈍爺さんが、90度近い絶壁の上に立っているではないか。たしかに、その付近だけ岩場になっていて、熊笹もなく、何とか上がれそうだ。上からの声に励まされて、何度も滑りそうになりながら、人一人がやっと立てそうな岩場の頂きに到達することができて、偶然の出会いに喜び合った。鉄鈍爺さんは、倶知安YHから私より早い目に着いて、撮影地を確保し、偶然、あとから歩いて来た私を見つけたそうだ。まもなく、例のジェット機音が聞こえてきた。

 

 

 

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鉄道、つれづれ草ー福井編ー

乙訓の老人は、大学卒業後に富山の企業で働いておられました。
この時期に会社が火災に遭い、それまで撮りためたネガや資料を全てなくされたのです。ここにご覧に入れる写真は全てその後に撮られたものなので、時期的に一時期の車種に集中しております。また、台数などの資料も当時のデータに準拠しており、その後変動したものもあります。
なお、一部に介護士が撮ったものも了解を得て挿入しております。

京福電鉄越前本線という。福井県へ電力を供給していた京都電灯が余剰電力の活用のため、大正3年4月10日に福井ー大野口間を開通させたのに始まる。因みに、「京福電鉄」という名前は、京都と福井を繋ぐ鉄道計画があったという意味ではなく、京都電灯の「京福送電線」から来た名前である。
国鉄との貨物車輌の乗り入れは昭和55年7月まで続いた。
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 北のC62 全記録 〈7〉

大沼で単機「ていね」を撮る  昭和43(1968)年9月13日
初めての北のC62訪問も終盤を迎えます。釧路発函館行き422レに、札幌から乗車し、大沼まで向かいます。この列車は函館本線経由の夜行鈍行で、さすがに観光シーズンも外れたこの時期、車内は閑散としており、乗車したオハフ6036は、車内設備が嫌われたのか、とくに超ガラガラで、深夜の倶知安で二人が下車すると、残ったのは自分一人だけでした。連日の夜行続きでぐっすり眠り、気がつくと、「おおぬま」の駅名標が。あわてて荷物をかき集め、発車直前に飛び降りました。
列車の大沼到着は4時16分、さすがに暗く、涼しさを通り越して寒い。待合室で、寝袋にくるまって仮眠し、明るくなってから撮影地へ向かう。目的地は、国道と函館本線が並行する当たりに高台があり、そこから見下ろした線路の正面に駒ヶ岳がきれいに収まる。当時のキネマ旬報社の雑誌「蒸気機関車」に載った写真が忘れられず、同じ列車、同じ写真を撮ろうと魂胆していた。ちょうど日の出前後、季節によっても光線が微妙に変化する写真的には絶好の時間帯に、C62 44の牽く「たるまえ」が通過した。

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 北のC62 全記録 〈6〉

再び上目名へ。151km地点で撮る  昭和43(1968)9月11日
倶知安のニセコYHに3泊目のあと、普通列車に乗って、再び上目名を目指しました。想定外のブッシュの多さで撮影に難渋した前回の経験を生かして、前回よりさらに目名寄りの151キロ地点まで歩いて行きました。
上目名駅から約1時間歩いたところが151km地点、ここは周囲が急に開けて来て、右手にはちょっとした高台があって、ここだけブッシュもなく、難なく高台の上まで到達でき、目名方面へは高原が広がっているのが見える。開けているぶん、目名を通過するC62の汽笛あたりから聞こえてきて、それから数分間、ドラフト音がどんどん近づいてくるのが堪能できる。後志の山々を背景にして、カーブの向こうから、編成が顔を出した。

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京急(色)を求めて

2018年11月18日に京急電鉄(京浜急行電鉄株式会社)空港線「羽田空港国内線ターミナル駅」開業20周年を迎えるにあたり 全国各地で京急色をまとった電車が活躍しています。
最初に出会ったのは2018年2月14日 ゆいレール(沖縄都市モノレ-ル) 「1104-1204」でした。2月8日に運転開始したようです。沖縄では桜の時期でした。
↓ 県庁前駅に進入する首里行です。けっこう似合っているなと感じました。

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 北のC62 全記録 〈5〉

札幌、小樽築港、倶知安でC62を駅撮り    昭和43(1968)年9月10日
小樽築港機関区で撮ったあと、その日の午後は、千歳線で運転されたお召列車を鉄鈍爺さんと写し、その後も、開道百周年記念で道内各地で運転されたお召列車を写しながら、DRFCメンバーとともに、道北、道東を転戦、約10日後に再び夜行列車に乗って札幌に戻ってきました。
釧路発の夜行鈍行424レで札幌に到着し、約3時間ほど、発着する列車を写したことは、以前の「駅撮り一時間」で報告したとおりだが、その中に、急行「石北」を牽くC62 32の姿もあった。43・10以前のC62の運用は後述するが、夜間に札幌から旭川へ一往復「石北」を牽く運用があった(札幌22:00→旭川0:56 旭川3:36→札幌6:25)。北海道のC62の活躍ぶりは、函館や小樽といったところでは、現地へ行って理解できるようになったが、中央部の旭川までC62が足を伸ばしていたとは、それを実見した時にも、どうしても信じられなかった。

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山陰迂回貨物 28日から 他

平成30年8月25日 中国新聞朝刊

焼石に水の輸送量ではありますが、災害列島であることを再認識して、硬直した輸送網に柔軟性を持たせる意味で 全国的にバックアップ体制を考えておくきっかけになればと思います。 続きを読む

鉄道、つれづれ草 ーエイデン編ー

じっとしていても倒れそうになる7月の午後、乙訓の老人はアルバムを小脇に抱えて、四条大宮の木陰で、律儀に待っていてくださいました。
今回は京福電鉄です。この電車には、一時期、介護士もお世話になりましたが、福井地区と叡山・鞍馬地区と嵐山地区に分かれるため、京福電鉄へのなじみは叡山・鞍馬地区(線)に限定されます。
それなのに老人様は「写真はここから選んで!当時の記録は火事で焼けた(老人の丸投げ時の常套句)のでわからへん」と言いながら、昭和61年発行の「れいる17号」をテーブルに投げ出しながらコーヒーをすすられました。
これではリハビリにはなりませんがやむを得ません。引き受けました。

デナ1型 5+6 八瀬

さて、始めて見るとこれが大変です。「京福電鉄」は現在では分割されて、車輌もすでにないものや、新たに作られて昭和61年の本には載っていないものなど介護士の知識では説明できないものがたくさんあります。そのため、曖昧な説明になりますが、間違いがあればご指摘ください。訂正致します。記号、車番など現在と違う表記は、老人の時代のものとご理解ください。また、嵐電は、老人の好みに合わないとかで収録されていません。
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鳥鐡ノススメに掲載

青春18きっぷを購入して日帰りで名松線には行ってきて次は山陰本線を西に乗車して前回(2018年1月)大雪と暴風雨の悪天候のため運行休止で乗り鉄出来なかった長門市~幡生にリベンジを明日24日から予定していましたが、今度は台風で運行休止が見込まれて延期せざるを得なくなりました。
山陰はハードルが高いのかと思っていましたら立ち寄りたいと思っていました倉吉観光マイス協会から「鳥鐡ノススメ」なる冊子が届きました。紹介させていただきます。
山陰本線主要駅や観光案内所で配布されますこの冊子には「廃線小道 旧倉吉線」紹介の中にクローバー会から寄贈しました湯口徹氏の写真が掲載されています。他にも驛、駅弁や車両紹介がA5版サイズ33頁に掲載されています。山陰へご旅行の折には是非に探してご覧ください。

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 北のC62 全記録 〈4〉

最初で最後のC62 30を小樽築港区で撮る  昭和43年(1968)9月1日
上目名で撮って、倶知安YHでもう一泊した9月1日には、C62のネグラである小樽築港機関区へ撮影に行きました。小樽築港は、C62だけでなく、当時、非電化の札幌周辺の客貨を受け持ち、9600、C57、D51など全部で55両が配置され、昭和43年車両配置表では、青森区に次ぐ、日本第二の蒸機配置区でした。さすがに訪問者が多いようで、事務所でノートに記帳すると、黄色のヘルメットが渡されるという用意周到ぶりでした。
ラウンドハウスの中は、煙が渦巻いていた。通常、扇形庫で、カマは顔を見せるが、東北・北海道の機関区では、防寒のためか、尻を向けるところが多く、小樽築港も同様で、庫に入ってしまうと撮りにくい。C62 30は、一ヵ月後のヨンサントオ改正による、C62運用の削減で、廃車されてしまう。配置のC62のなかでは、調子が良くなかったせいか、結局、同機を写せたのは、これが最初で最後となった。

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徐々に復旧が進む中国路の鉄路(4)

山陽本線は先日海田市・瀬野間が開通しました。一方三原・瀬野間は不通でしたが、今日21日 白市・八本松間の区間運転が始まりました。これで不通区間は三原・白市間と瀬野・八本松間となりました。今日は区間運転の様子を見に行ってきました。

H30-8-21 西条駅のポスターより

今日から開通した八本松・白市間各駅の利用者が広島に行こうとすると、バスで新幹線東広島駅に向かい、新幹線利用で行くしかない状況です。三原へは白市から代行バスを利用できます。 続きを読む

 北のC62 全記録 〈3〉

上目名で上下の「ていね」を撮影       昭和43(1968)年8月31日

連投で失礼します。北海道へ渡って、真っ先に訪れたのが上目名でした。駅前には一件の民家すら見当たらない北海道の寒駅が、一躍“C62重連の聖地”として有名な撮影地になりますが、訪れた当時は、まだ撮影者も数人で、駅を降りると、駅員からお茶を出してもらい、一服してから撮影地に向かったものでした。上目名を有名にしたのは、「鉄道ファン」昭和41年7月号の北海道特集号のなかの黒岩保美さんのエッセイ「北の旅の魅力」でした。その文をノートに書き写して、イメージトレーニングを重ねて、上目名に降り立ちました。
前日、「ていね」に乗って倶知安に着き、YHで久しぶりにまともな食事・風呂が得られた。なにせ京都を出てから、夜行3泊&キャンプ2泊で、身体はヘロヘロだった。ゆっくりして、9時58分発の列車に乗って、上目名へ向かう。目指すは150キロ地点、黒岩さんも紹介された、上目名から1時間近く歩いたところ。たしかに連続20‰勾配で、右に左にカーブして、好適地に思えるが、一歩、線路から離れると、背丈以上の熊笹がびっしり繁茂し、完全にお手上げ状態、結局、犬走りからしか撮る余地がない。13時前、向こうのほうから、“ザワザワ”とした音が聞こえてくる。これが、あのC62重連のブラストなのだった。上り「ていね」C62 3+C62 44

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 北のC62 全記録 〈2〉

◆ “北のC62”に初対面&「ていね」乗車 昭和43(1968)年8月30日
この旅行は、同年8月23日から9月16日まで、北海道均一周遊券をフルに使った25日間の旅行でした。東北・北海道は全く初めての地で、さまざまなところへ行ったものです。当時の感覚では、C62以上に魅力的な対象がいくらでもありました。C62に費やしたのは、数日間にしか過ぎません。花輪線龍ケ森での2泊の狂化合宿を終えて、東北本線奥中山で最後のD51三重連をDRFCメンバーとともに撮ったあと、いったん解散し、一人で青函連絡船「羊蹄丸」で津軽海峡を渡り、函館に0時45分に着いた。待合室でひと寝入りを目論むが、椅子はすでに占領されていて、床に寝るが、さすがに寒さを感じて北海道へ来たことを肌で感じた。5時48分、始発の松前行きに乗り、つぎの五稜郭で下車する。まもなく、通過するのが上り急行「たるまえ」、C62 32の牽引だった。「たるまえ」は、その一ヵ月後のヨンサントオ改正で「すずらん」に改称される、札幌発室蘭本線経由の函館行き夜行急行で、長万部~函館がC62の牽引だった。

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 北のC62 全記録 〈1〉

“盆休み”のためか、本欄も開店休業の状態が続いていましたが、急に涼しくなってきましたので、私もこのあたりで復帰することにしました。先日は、ベテラン蒸機ファンの集まりに、準特急さんとともに参加する機会がありました。歳を重ねても、蒸機や鉄道写真に、ハンパないほどの情熱を持った方ばかりで、口角泡を飛ばして話が交わされます。話題は、実にさまざまですが、われわれの年代のこと、今や伝説と化したC62重連の話がよく出ます。
世のなか、エポックメイキングな社会事象の体験の有無で、世代を区分することがあります。たとえば前回の東京オリンピックであり、関西では大阪万博、阪神大震災と言ったところでしょうか。鉄道趣味においても同様で、C62重連は、まさに鉄道趣味史を時代区分する、歴史的な事象だと思います。私が経験したのはC62の末期に過ぎませんが、C62の時代を共有できた人間としては、復活蒸機しか知らない、若いファンや熟年復活組とは違う、ひそかな誇りを感じています。
私が初めて北海道に渡ったのが、ちょうど50年前の昭和43年8月のことだった。ほかの蒸機や私鉄も健在で、C62だけ目当ての渡道ではなかったが、初めての北海道で対面したC62との感動は忘れられない。当時は、通勤列車も牽いており、以前雑誌で見た同じ光景を撮りたいと、夜行列車で大沼へ来て、大沼を発車して函館へ向かう列車を、駒ヶ岳バックで撮った。

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準特急さんとマルーンさんのコメントの返事にかえて 近鉄田原本線

 準特急さん、マルーンさん コメントありがとうございました。準特急さんは刺激を受けて近々田原本線を撮影に来られるようですが、総本家青信号特派員さんもコメントに書かれているように地味な路線なので撮影ポイントが見つけにくい路線でもあります。私は時々乗る時の車窓から見る風景を参考にして、ストリートビューで大体の目途を立てます。最終的には現地でうろうろして撮影ポイントを決めています。最近、近くなのでチョコチョコと撮りに行ってますが、以前はほとんど撮っていませんでした。意外とそんなもんです。参考になるかわかりませんが少しばかり写真をご覧ください。

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