癒しの島 台湾鉄道の2018年初秋の旅 Part4 太麻里で撮る②

第2日目 9月11日(火) その3

▲ 12:49 内迴線では大きな有人駅太麻里です。
初めて来た時は駅前にTaxiが待っていなく駅員に頼んで呼んでもらいましたが今日は一台ですが客待ちをしていました。早速18時までのチャーターを申し出て料金交渉です。1時間500TWD(約1,800円)で交渉成立、台湾での相場料金です。

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癒しの島 台湾鉄道の2018年初秋の旅 Part3 高雄⇒太麻里①

第2日目 9月11日(火) その2

③ 高雄9:35(自強號)⇒10:33 坊寮

▲ 10:33 坊寮到着後はいつも撮っています普快車に乗車しました。車掌さんは若い女性ですがテキパキと業務をこなしておられました。しかし暑いのにマスクをずっとしておられました。風邪をひいておられたのか?

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キサハ34

キハ141系、キハ33に続きまして、客車改造の気動車キサハ34をご紹介します。
キサハ34は、0番代の1~2(オハ12 1000番代からの改造),500番代の501~502(スハフ12 1000番代からの改造)の合計4両の小グループでした。
1992年3月14日の時刻改正から運用開始しました。冷房付きキハ58・28とで氷見線列車が冷房化されました。
通常、朝のラッシュ時にキハ58とキハ28に挟まれた4両で氷見線を走りました。
廃車は1996年3月31日で、キサハ34は約4年という短命な形式でした。

左からキハ28+キサハ34 1+キサハ34 501+キハ58   高岡
ドア上のシールは「禁煙車」
日付は全て1993年6月10日

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癒しの島 台湾鉄道の2018年初秋の旅 Part2 高雄⇒太麻里

第2日目 9月11日(火) その1

① 高雄 6:27⇒6:34 左營

今日の最初の撮影地は昨日、乗車した列車が止まらず撮影に失敗した左營~新左營です。台湾鉄4名、朝6時にはホテルを出発して向かいました。
▲ 6:55 撮影地 左營~新左營 Google座標;22.679590, 120.298726

左營站から徒歩約20分、都会快速公路と台鐡をオーバークロスする歩道橋に着きました。北行・南行のどちらも撮れる撮影地です。最初にやって来たのはEMU500系の嘉義行きの区間車8両編成です。 続きを読む

奈良線桃山駅界隈の新旧対比

DRFC現役時代 私は伏見区に住んでいました。故澤村氏も同じ町内だったので、休日には散歩がてら、2人でよく奈良線や京阪を撮りに行ったものです。あれからもう半世紀。この度開催されたDRFC設立60周年記念行事に参加すべく上洛した際に、思い出多い奈良線桃山駅界隈を歩いてみることにしました。

京都駅から奈良線で桃山に向かうことにしました。ところがどんなトラブルがあったのか、京都発13:03奈良行き「みやこ路快速」2617Mが運転取り止めとなっていて、それに乗れなかった乗客が次の普通635Mに乗ろうと10番ホームへ押しかけたため、狭い10番ホームはあふれんばかりの人人人。そこへ奈良から636Mが延着。降りる人は降りられず、狭いホームは大混乱でした。何とか635Mに乗り込んだものの、ラッシュアワーさながらの寿司詰め状態で、身動きがとれないまま鴨川を渡り、東福寺を過ぎ、稲荷着。稲荷でかなりの乗客が降りてくれて、スキマができました。チラッと見えた稲荷大社の参道は人の波で驚きました。かつては初詣のときぐらいしか目にしなかったような光景が、ただの土曜日の光景になっていました。観光立国を目指すのであれば、観光客による恩恵とそこに暮らす住民生活への悪影響をどのようにバランスをとるのかは、大きな課題であると感じました。

平成30年11月10日 奈良から満員の636Mが延着。

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癒しの島 台湾鉄道の2018年初秋の旅 Part1 旅立ち 関空⇒高雄

迂回貨物列車の旅を先に投稿しましたがその前に4泊5日の短い旅でしたが台湾を楽しんできました。遅くになりましたが、暑い今年の夏を思い出しながらご覧ください。

第1日目 9月10日(月)

① 長岡京 6:15(快速)⇒6:44 大阪 6:54(関空快速)⇒7:54 りんくうタウン
② りんくうタウン 8:10(リムジンバス)⇒8:30 関空第2ターミナル

台風の影響で飛ぶのかどうか心配した台湾へのピーチ航空ですが前日から運行再開されました。しかし関空へのアクセスは関西国際空港と対岸を結ぶ連絡橋にタンカーが衝突した影響で、道路下にある鉄道橋も約50㎝以上も横ずれしていたことが、明らかになり、レールにもゆがみが見つかり、電気を送る架線も損傷していました。連絡橋の走行は相当の時間がかかる見込みで、取りあえず1駅手前のりんくうタウンまでの運行を開始、ここから第一、第二ターミナルまでは損傷を免れた北側道路橋を対面通行にして特別にリムジンバスが臨時運行されることになりました。
▲ タンカー激突で激しく破損した連絡橋。鉄道線に道路標識が倒れて覆いかぶさっているのが見えました。
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境線のキハ33

キハ141系に続き、客車改造の気動車キハ33をご紹介します。といいましても1度撮りに行っただけの簡単なものです。
キハ33は1988年後藤車両所でオハ50から改造されて1001,1002の2両が誕生しました。いきなり1000番代なのはトイレがないからだそうです。
2004年に鳥取に移り、山陰本線で走っていましたが2010年廃車されました。朱色に塗られた1001が津山まなびの鉄道館で保存されています。
オハ50 5→キハ33 1001
オハ50 6→キハ33 1002

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残るは芸備線のみ

7月の豪雨災害から4ケ月が経過し、中国地方のJR不通区間は予定より少しずつ繰り上げて 順次開通してきました。残るは3線区ですが、呉線、福塩北線、芸備線北部は年内に全通予定と報じられました。あとは鉄橋が流された芸備線狩留家・三次間が来年秋頃となりました。

平成30年11月10日 中国新聞朝刊

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わらくろや社長様 コの付く客車

先日、マルーン会長のお供をして明延1円電車乗車と坑道見学に行ってきました。
その時に随行してくれたのが山科で有名な旅行社・わらくろや旅行社社長です。各地の有名人とのコネがあるのか、行く先々で土産店や食堂で歓待されました。
その旅行の途中で「客車には記号があって“ナオスマカ”が付くのです」と会長や同行のJR西日本大株主・ましたしも氏にのたまうので、思わず「コホナオスマカが正しい記号で・・」と言いかけると、「コホの付く客車などありません。見たことがない」と言下に否定するのです。見たことのないものは信じないというのは心貧しき人々によくあること、でも客車となると見逃すことはできません。井原さんに叱られる!
で、帰って調べましたら一枚撮していました!
かなり古く、しかも濃い霧の中で撮ったものですから写りはもう一つ、でもそんなことは言ってられませんのでお許しください。

わらくろや社長、これが“コの付く客車”や!
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 羽村さんが遺したアルバムから 〈9〉

奈良電鉄
羽村さんシリーズ、阪急、京阪、叡電と京都周辺の私鉄が続いて、最後は奈良電です。と言っても撮られた写真は4点だけ、羽村さんにとって、奈良電は近くて遠い存在だったようです。私も、同じようなイメージで見ていました。奈良電時代は、沿線に行くような用事はなく、唯一、学校の遠足や町内の行楽で、大久保あたりの芋掘りに行った記憶しか残っていません。“芋掘りに行く時だけの電車”のイメージしかなく、現在の近鉄京都線と比べて、沿線人口も少なく、田舎電車そのものでした。
芋掘り以外にもうひとつ、行楽客を集めたのは木津川の水泳場だった。海のない京都では、川の中州を利用した水泳場が何ヵ所かあった。中でも奈良電木津川鉄橋付近の水泳場は、新聞社の後援もあったりして人を集めた。奈良電は、鉄橋の上に木組みの臨時ホームを設けて開催期間は乗降扱いをした。写真のように、1両まるごと広告電車も現われてPRにつとめた。この臨時ホームは、昭和43年のDRFC時代、車庫見学に行った時にも残っていた。電車は、昭和23年に登場したデハボ1100形で、運輸省の規格型、同年に登場した近鉄の規格型600形とほぼ同じである(奈良電京都、昭和26年)。

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