月別アーカイブ: 2019年4月
河内・大和たより
今年は桜の開花が遅く、名張近郊でもやっと満開に近づきました。まだ例年に比べて気温の低い日もあり長続きはしそうです。この土日にいつもの場所ですが出掛けてきました。最初は国分の大和川です。近鉄の特急列車は塗装変更とグレードアップが進んでおり、旧特急色を見るのは少なくなってきました12200はそのままで淘汰されていくとも聞いているのですが。 続きを読む
癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part12 帰国
善き哉、善き哉 前ピン写真
恥を忍んでお尋ねします!
梅小路に新駅がオープンしてまもなく一ヶ月!
同時に西側に平行して既設の旧渡り線を利用して連絡橋ができました。
この橋への登り口は七条通を西へ進み、山陰線をくぐったすぐの北側にあります。エレベーターと階段がありますが、ホテルが建設中のため、まだ利用者は少ないようです。線路は南へ進むのにつれて西へ300mのカーブになり、10‰の下りとなって梅小路貨物駅へと入っていました。その線路跡をそのまま使っているのでなにかとマニアには面白いようで、たまにしか通らない通行人に対してマニアの割合が多いように思います。
まず、両脇の側壁はそのままだし、歩道の中央にはレンガで線路が表記されています。さらに進むと、
連絡橋は駅本屋に近づくと左折してエレベーターと階段で駅に入るが、遊歩道は10mほど突きだして旧線跡を見られるようにするらしい。
さて、余談が続きましたが本題に入ります。
この連絡橋の側壁の中間に、いくつかの標識が当時のまま残っています。
その記号についての質問です。
こんな事もシランのか!との罵声を覚悟の上で恥を忍んでお尋ねします。この記号群の意味をおしえてください!
京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道坂本延伸裏話)その2
2.5つの仮停留場
部分開業に伴って坂本、三井寺、兵営前、山上、松ノ馬場の5つの仮停留場の設置願いが出された。まず、先に紹介した昭和2年4月25日付「仮停留場設置御届」では兵営前、山上、松ノ馬場の3駅について仮停留場の設置願いが出された。兵営前、山上は前項で述べた陸軍との土地交換が遅れ、兵営前、山上間が完成しないため、三井寺-兵営前、山上-松ノ馬場の折り返し運転用に仮停留場を設置した。ところが同じ文書に書かれている松ノ馬場の理由書を見ると松ノ馬場停留場用地の一部及びその北側の用地で、当初住民の電車敷設反対があり、用地買収が遅れたためとある。
資料3:兵営前仮停留場平面図(県政史料室歴史史料、大と1より作図)
折り返しの設備を持ち、路面電車タイプの低床のホームが作られた。
癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part11 大甲でしなの鉄道色EMU500系を撮る
第9日目 3月5日 その2
② 台中港12:1112:21(區間車2608次)⇒12:16 12:26大甲
台中港からは遅れていた區間車に乗車して大甲へと移動です。駅撮りをすることにしました。
▲ 12:36 最初に来たのは、EMU500系、新竹始発彰化行きの區間車2523次です。
EMU500系は1990年に当時の韓国大宇から344両が導入されましたが製造元が合併されたために補修部品供給などのアフターサービスが適切に実施されず、台鐡からの信頼は失墜し、車両等の調達に関して韓国企業は事実上の出入り禁止の状態が続いていました。日本企業の車両調達に切り替えられていましたが、2018年韓国ロテム社に520両の通勤電車の発注が行われました。日本メーカーから日本国内での需要が多く収益性向上に方針が転換してきたために応札がなかったためと報じられています。
癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part10 台中港線を撮る
第9日目 3月5日 その1
花粉症に悩まされることなく快適な日々をおくれた台湾訪問の旅も今日と明日を残すのみとなりました。今日はどこに行こうかと不銹鋼號さんと相談の結果、台中港線の貨物列車と未乗車区間の成功~追分の短絡線の初乗車をすることになりました。
乗車する列車は8時過ぎです。朝食後、駅撮りしながら待とうかと嘉義駅に向かいました。
▲ 嘉義駅と言えば阿里山森林鉄道です。嘉義駅の窓口に行って見ましたがまだ営業していません。窓口横に掲示されていたポスターには阿里山山頂付近で2,3月の隔週土曜日に運行されている檜木列車の時刻表、嘉義~北門で運行中の時刻表等が記載されています。
阿里山森林鉄道は2015年9月の台風被害で大規模な土砂崩れが発生し路盤・トンネルが流され長期の運休中です。復旧にはまだ2年近くは必要と言われています。
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京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道坂本延伸裏話)その1
大正3年に螢谷-浜大津間を開通させた大津電車軌道は坂本までの延長を計画しましたが、江若鉄道との競合の問題もあり、大正11年にまず三井寺まで延長、そこから先坂本までの開通は昭和2年まで待たなければなりませんでした。昭和2年5月15日に開通したのは三井寺―兵営前間、山上―松ノ馬場間で、続いて松ノ馬場―坂本間が同年8月13日に開通、残った中間部分の兵営前-山上間が全通したのは同年9月10日でした。なぜこのように変則的な開通になったのか、また、4か月を待たずに部分開通を繰り返したのか、そこには興味ある話がいくつかありました。そこで第2弾は大津電車軌道の坂本延伸の裏話と言ったものをご紹介しようと思います。
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