東西会員交流旅行 ご報告 Part1 遠州鉄道から天浜線へ

今年の秋は雨の多い日々が続きましたが、参加者の皆様の日ごろの行いがいいのか出発当日は雨はあがって秋晴れを迎えました。集合地の西鹿島駅までは皆さんバラバラで向かわれます。総本家さんと私は途中の遠州鉄道での駅撮りをしたいので早めに最寄駅の長岡京から乗車しました。

① 長岡京 7:21(快速)⇒7:31 京都 7:45(ひかり510号)⇒9:05 浜松

▲ 9:21 新浜松で遠州鉄道と天浜線(天竜二俣~新所原)の西1日フリーきっぷを購入、乗換て西鹿島へと向かいますが十二分に時間があります。相対式ホームがある高架駅で降りて駅撮りしながら進みます。どですかでんさんグループと合流です。

② 新浜松 9:24⇒9:26 遠州病院

1002+1102編成に乗車して1回目の下車駅は遠州病院、次の八幡で交換する列車を待ち受けます。

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客車廃車体訪問記 内地編41 東京都-3

【アタゴール】 35.672355, 139.806163 2012年1月30日撮影
オロネ25 901
江東区の首都高速木場ランプすぐ北にあるフレンチレストランである。通常はこの客車を眺めながら食事をする。ここのオーナーシェフはオリエント急行のシェフを務めたことがあるらしい。訪問時は工事中であった。
◆オロネ25 901(1989年新製 日車)→2014年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編40 福岡県-3

【福岡市  貝塚公園】 33.632279, 130.423940 2013年11月23日撮影
ナハネフ22 1007
西鉄貝塚駅の西側、西鉄と国道3号に挟まれた貝塚公園に49627と一緒に保存されている。ナハネフ22になる前はスハ32が保存されていた。ここには他にプロペラ飛行機も保存されている。貝塚交通公園ともいうらしい。
◆ナハネフ22 7(1965年新製 日車)→(1977年改造 幡生工)ナハネフ22 1007→1987年廃車
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東西会員交流旅行 直前のご案内

東西会員交流旅行も明後日に迫りました。9名の宿泊者と日帰り5名(内1名は宴会不参加)の参加となっております。
心配な現地の天候ですが、27日は朝7時~夕刻18時までは曇天、最高気温23℃、夜は17℃、28日は晴れのち曇り、最高気温23℃の予報です。雨天の心配はなさそうです。

【 集合地・時間 】
当初は浜松駅としていましたが皆さんバラバラの到着になりそうですので、遠州鉄道から天浜線への乗換駅の西鹿島11:32にします。天竜川鉄橋での撮影後、西鹿島12:35⇒12:39天竜二俣の列車に乗ります。
もし列車遅延やご都合で遅れる場合は天竜二俣駅の転車台ツアーが開催される13:50までには天竜二俣駅待合室に来てください。

ちなみに総本家さんと私は、京都 7:45(ひかり510号・自由席)⇒9:05 浜松で早めに到着、遠州鉄道で駅撮りを楽しんでから西鹿島に参ります。ご一緒していただける方、大歓迎です。
何かありましたら、メールでお知らせしております携帯電話までご連絡の程、よろしくお願い申し上げます。

客車廃車体訪問記 内地編39 愛知県-1

【蒲郡市博物館】 34.822476, 137.218831 2017年11月7日撮影
オハフ33 2424
駅前ロータリーに白いヨットがある蒲郡駅からぶらぶら歩いて蒲郡市博物館に行った。地味な蒸機(浜松工場生まれで梅小路のD51 200と兄弟分)と地味な客車であるが、良好に保存されているのはうれしい。
◆オハフ33 424(1947年新製 日車)→オハフ33 2424→1982年廃車
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客車廃車体訪問記 内地編38 和歌山県-1

【浦島ハーバーホテル】 33.478717, 135.787818 2013年1月2日撮影
オハフ50 66,211,218,240
串本の浦島ハーバーホテルでプールの更衣室や休憩所、食堂等として利用されていたようである。
銘板から、プール側の画面左はオハフ50 218、右はオハフ50 66と確認できたが、海側の残り2両は確認できなかった。車内には何か手掛かりがあったかもしれない。
浦島ハーバーホテルは2016年3月31日で閉館し、その後最近になって大江戸温泉物語が引き継いだ。現在でも存在しているだろうか。
◆オハフ50 66(1978年新製 新潟)→1991年廃車
◆オハフ50 211(1980年新製 新潟)→1991年廃車
◆オハフ50 218(1980年新製 富士)→1991年廃車
◆オハフ50 240(1980年新製 新潟)→1991年廃車
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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【21】 秋編

北丹鉄道を走ったDRFC貸切列車

地元の京都・滋賀で、記憶に残る中小私鉄の廃止としては、江若鉄道、加悦鉄道、北丹鉄道が挙げられます。江若鉄道は、クローバー会の協力も奏功し、前稿でも報告されたように盛り上がりを見せています。加悦鉄道も、加悦、丹後山田に資料館があり、奥にはSL広場もあって、保存会によって継続的に活動が行なわれています。
それに比べると、北丹鉄道(福知山~河守12.4km)は、世の中からも忘れ去られようとしているのが気掛かりです。福知山市内には、北丹鉄道の資料館がありましたが、その後継となるポッポランドが昨年に閉鎖されてしまい、公開の場で、北丹を偲ぶことはできなくなりました。
話を約50年前に戻すと、江若の廃止後、DRFCでは、Tさんが先頭に立って、「北丹乗好会」を発足、熱心な活動が繰り広げられ、その頂点として、昭和45年11月に、貸切列車として結実します。私も何度か撮影に行き、昭和46年3月の休止(のちに廃止)を迎えることになります。その道程は、ちょうど江若とは、1、2年の遅れで進んだことになります。最終列車まで見届けた身としては、いつかは詳細を発表したいと思っていました。今回は、カラーだけですが、その一端を紹介しましょう。

秋の一日、釣り人が糸を垂れる由良川沿い、北丹鉄道のキハ101が貨車を牽いて、支流の荒河橋梁を渡って行く。北丹鉄道は、国鉄の福知山から出発して、由良川沿いを北上、河守までの12.4kmの路線で、大正12年に開業した。一日6往復で、キハ101、102いずれかの単行運転で、時折、写真のように貨車も牽いた。昨今の台風の来襲では、水没を免れそうにない光景だが、事実、由良川はよく氾濫して、北丹はその都度、よみがえってきた。

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大津歴史博物館江若鉄道ミニ企画展

今朝の読売新聞滋賀版に大津市歴史博物館で開催中の江若鉄道ミニ企画展が紹介され、DRFCクローバー会が協力したことも書かれています。先にお知らせしましたように11月4日には見学会とその後に懇親会も開催されます。多くの方のお越しをお待ち申し上げます。

客車廃車体訪問記 内地編37 福岡県-2

【関門海峡めかり駅前】 33.960724, 130.967006 2013年12月31日撮影
オハフ33 488
関門海峡の壇ノ浦古戦場跡を間近に望む九州の北の端、山陽新幹線の新関門トンネルのほぼ真上に位置する。松本清張「時間の習俗」に登場する和布刈神社が近い。天気が良く、本州が川の対岸のように見えた。
九州鉄道記念館-関門海峡めかり間は、平成筑豊鉄道が第2種鉄道事業者で、門司港レトロ観光線として営業している。保有している第3種鉄道事業者は北九州市である。暖かかったので、門司港駅まで歩いて戻った。
◆オハフ33 488(1948年新製 日車)→1978年廃車
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東西会員交流旅行ご案内 Part4 天浜線 天竜二俣⇒掛川

翌日の10月28日は朝食後は解散、自由行動となります。藤本様が大井川鉄道訪問の行程表をPart2のコメントでご紹介していただいております。折角ここまで来ていますので関西方面からは中々行く機会が少ない大井川鉄道へ行かれるのもお勧めですが、天浜線の天竜二俣⇒掛川を撮影されるのも選択肢の一つです。紹介をさせていただきます。
▲ どちらにしても天竜二俣から掛川への移動の出発駅は気賀です。
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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【20】 秋編

草津線の蒸機列車

前回掲載の加太とセットで、草津線へもよく行ったものです。牽引するのは、亀山区のC58、D51と、加太で見るカマと同じで、見せ場となる勾配区間もないものの、草津線の魅力のひとつは、長編成の客車列車が朝夕にあったことで、貨物も日中に結構走っていました。京都からだと、まず草津線で2、3本を撮ってから、午後、加太へ向かう、と言ったセット撮影も可能でした。しかし、加太がある関西本線亀山~奈良の蒸機の廃止より、一年早い昭和47年9月限りで蒸機は姿を消しました。DL化直前の草津線には、朝夕を中心に4往復の客車列車があって、線内は亀山区のD51が牽いていた。うち3往復は京都発着で、通勤時間帯は、写真のように客車10両編成だった。この時代、ほかの線区でも蒸機の牽く旅客列車は残っていたが、これほどの長編成は、なかなか見ることができなかった(726レ、石部~三雲 昭和47年9月)。

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東西会員交流旅行ご案内 Part3 天浜線 天竜二俣⇒新所原

天竜二俣駅で機関区・車庫を見学した後は豊橋側の東海道本線と接続します新所原へ始発列車に乗車して向かいます。乗車距離は41.5㌔、乗車時間は1時間20分です。
天竜二俣 14:42⇒16:02 新所原

▲ 14:42 再び列車に乗ります。乗車率はご覧の通りガラガラ状態です。
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颱風がくると思い出す大阪市電

12日に東日本に大量の雨を降らした台風19号は、長野車両センターにあった新幹線車両を水没させた。すぐ横の高架の本線上に疎開させておけばと思うのは、大阪市電の台風疎開を思い出したからです。
当時、大阪市電には今里車庫というのがあり、大雨が降るとすぐ水浸しになるという低地帯に設けられていました。台風が大阪来襲となると、交通局では市電が水没しないように車庫西方の上町台地の高台に市電を疎開させたものです。1961年9月、翌春の同志社大の入試を目指して浪人していた通信員は、台風が来るとの報道で、暴風雨をついて突撃取材したのが添付の画像です。
画面右側奥の建物は近鉄上本町駅ビルです。2201型がずらりと連なっているのは虎の子の新車で大事にされていたからでしょう。方向幕は今里車庫前となっています。吊掛駆動ながら新型台車に弾性車輪と間接制御の半鋼製車でした。大きな前面窓で戦後の大阪市電スタイルを知らしめた車両で、1954年に登場し全車が今里車庫に集中配置されていました。
東海道新幹線の鳥飼基地も淀川のすぐ横なのが気になります。大津の、無印不良品さんや86さんに琵琶湖の水をしっかり守ってもらわなあきません。

 

 

わらくろやツアーin鹿児島

マルーン会長を鉄道界の“漢(おとこ)”にしようと始まった旅もついに九州は鹿児島まで来ました。

今回は初めての二泊三日の豪華旅。わらくろや社長の渾身の企画です。
10月9日
新大阪発9:17さくら549から始まりました。四人一組のセットですから一ヶ月前に指定席をそれぞれが一斉に買わねばなりません。10時に窓口に並ぶようにするのですがこれが難しい!私は京都駅みどりの窓口で並び、ちょうど10時に窓口にたどり着きましたが社長から指定された5号車は全席売り切れ(というより修学旅行用で)。あわてて社長に電話したら「4号車で同じ座席をとれ」とのことで無事購入完了。後の三人にも社長から電話で指示。なぜかわらくろや旅行社はキップをとらず、各自でとる方式です。リベートをくれないところには冷たいらしい。
鹿児島へ13:31着後、なぜかソフトクリーム店へ強引に連れ込まれ、知覧茶の抹茶ソフトを全員で購入します。どうやら社長はサイダーをやめてソフトクリームに乗り換えたようです。そういえば前回の津山でも津山城でソフトクリームを我々に買わせて、自分は「岡山名物の桃ソフト!」と言って食べたうえ、さらに売店のお姉ちゃんにヒソヒソ話したと思ったらバニラソフトを舐めていました。

その日は南薩鉄道の特急バスで枕崎へ。
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客車廃車体訪問記 内地編36 徳島県-2

【小松島ステーションパーク  SL記念広場】 34.011652, 134.585838 2010年11月20日撮影
オハフ50 272
小松島ステーションパークは、1985年に廃線になった旧小松島線の廃線跡で小松島駅より少し中田寄りにある。上屋付のホームがあるが、角度は旧小松島線に対して直角である。
◆オハフ50 272(1980年新製 富士)→1992年廃車
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東西会員交流旅行ご案内 Part2 天浜線 天竜二俣駅

下見は青春18きっぷが使用できる7月末とぶんしゅう8号に乗っての9月初旬の2回にわたって行いました。天浜線は2回を総合してご案内させていただきます。▲ 天浜線(天竜浜名湖鉄道)の路線図です。元々は掛川~恵奈の遠美線として計画されましたが、浜名湖を横断しないという軍事上の理由から東海道本線掛川~豊橋のバイパスとして建設されました。
1935年(昭和10年)4月17日 、二俣線 掛川~遠江森{現;遠州森  12.9㌔) が開業、徐々に西へと延伸されて 1940年(昭和15年)6月1日 に掛川~- 新所原(67.7㌔)が全通しましたが運行間隔はDC単行での2時間ヘッドでした。
赤字が続き1987年(昭和62年)3月15日 には国鉄二俣線としては廃止されて以降は第三セクターとなりました。

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