東西会員交流旅行ご案内 Part1 遠州鉄道

ようやく秋らしい日々が訪れました。今年の東西会員交流会旅行があと2週間となりました。参加される会員の皆様方はそれぞれ往路・復路のご予定を検討中かと思っておりますのでご参考になればと下見をしてきました現地状況をご報告させていただきます。

▲ 今回訪問します遠州鉄道天浜線(天竜浜名湖線)は、私にとっては恥ずかしながら初めての訪問です。写真など撮ってはいないと思っていましたが先日昔の写真をスキャンしていましたら一枚、昭和45年の遠州鉄道新浜松駅のカットが見つかりました。現在の新浜松駅は1985年(昭和60年)12月1日 に南西のJR駅構内跡に移転高架化されていますので地上駅時代の貴重なカットです。車両も2018年(平成30年)4月に廃車となった30形です。
2017年度の一日平均の乗降客数は16,099人、ちなみにJR浜松駅は74,516人(新幹線含む)です。 続きを読む

阪和電鉄オリジナル

阪和線のアイスキャンデー塗装には驚かされました。終戦間もないころに、こんなんがあったんですね。阪和線は買収後はチョコレート色で晩年に朱色とばかり思っておりました。阪和電鉄のオリジナルはグリーンだったようで、イラストですがカラーでご覧いただきます。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 (19) 秋編

加太で写したカラー
ホントによく行ったものです。前稿でも採り上げた「鉄道ファン」別冊の撮影地ガイド本の原典となった、本編の52号に加太の撮影地ガイドが載っていました。その前から憧れの地で、記事で全体を把握して、高校1年の時に初めて行きました。まだ特急「あすか」が走っていた時でした。DRFCに入ってからは、新入生歓迎旅行、打上げ旅行、現地闘争などと称して、メンバーとともに頻繁に行き、会社に入ってからも、蒸機が無くなる直前まで通ったものでした。
ただ狙いは蒸機、山間地の勾配区間とあれば、勢いモノクロ写真となり、カラーでは、わずか昭和47年の秋に訪れた以下の数点を写しただけでした。少し前にあった江若鉄道の廃線跡ウォーキングを終えて、浜大津で飲んでいると、向かいに座っていた、ご近所の無印不良品さんから、「加太の駅を降りて、村田屋へ行く途中の川に蛍が無数にいてなぁ、ホンマにきれいやった。一生忘れられへん」と語ってもらったのが、印象に残っています。秋の日曜日、加太では運動会が行なわれていた。ちょうど、村田屋の向かいにあった加太小学校、多くの地区家族も参加していた。その向こうをDC急行が下り勾配を駆け下りて行った。

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客車廃車体訪問記 内地編35 高知県-2

【㈱技研製作所 記念の森】  33.549669, 133.727105  2019年7月15日撮影
オハフ50 189
㈱技研製作所の記念の森プロジェクトとして開発中の工事現場に仮置きのような感じで置いてある。
記念の森プロジェクト公式ブログ(http://gikenkinennomori.blog59.fc2.com/page-3.html)によれば、2008年7月15日(火)にスタートしている。奇しくも11年後のジャスト同日に訪問したことになる。しかし、ブログは約2ヶ月後の2008年9月25日を最後に途切れている。何か事情がありそうだ。11年経っても現場はブログの最初の画像(オハフ50も写っている)の状態から大きくは変化していないように見えた。
現地には完成予想図の看板もあり、近年オハフ50に屋根(金属パイプにビニール張りであるが)も付けたし、現場事務所もあって、祝日だったので少数だったが働いている人もいて、工事はなにかしらしているようである。
できれば近い将来に、記念の森が、化粧直ししたオハフ50をマスコットとしてオープンしてほしいと願う。
◆オハフ50 189(1979年新製 富士)→1990年廃車
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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【18】 秋編

山陰本線を行きつ戻りつ

前記の山陰本線の三見~飯井での撮影に続いて、何ヵ所か海岸沿いで撮影をしたり、三江北線、木次線に寄ったり、均一周遊券ならではの旅を続けました。昭和も46年になると、“SLブーム”は頂点を迎え、それを狙った出版物も多く出るようになります。撮影地でよく見掛けたのは、鉄道ファン臨時増刊の「撮影地ガイド」で、撮影地と列車ダイヤも載っている、まさに撮影向けの本でした。昭和44年、46年に発行され、ボロボロになった本を抱えた高校生・大学生をよく見掛けました。いまと比べると、情報源も限られていた時代で、コピーをするにも一枚が何十円もして、本をまるごと持参したものでした。三見から石見益田へ、乗り換えて岡見で下車した。ここは、三見のような穏やかな海岸ではなく、険しい岩礁が続いている。まずは、DF50537の牽く829レを撮影。

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福塩線昭和37年3月15日時刻改正前後の時刻表

昭和37年3月号が見つかりましたので、お目にかけます。
↑150頁
↑151頁 内容は3月15日時刻改正前です。
昭和29年4月と比較して、府中-下川辺間電車運転廃止直前の福山発着の電車は各30本に増加していましたが、下川辺発着は各3本に減少していました。電車は3往復になりましたが、府中-三次間の列車は差引増加しました。
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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【17】 秋編

ウワサの伯備線へ

標記のシリーズ“秋編”をしばらく続けます。われわれの現役時代は、9月中旬からやっと後期の授業が始まりましたから、じゅうぶんに“秋”を感じながら、夏休みの撮影旅行を終えたものでした。当時、席巻していた“SLブーム”の象徴が、D51の三重連が見られた伯備線の布原信号場でした。信号場から鉄橋までのわずか数百mの区間に、全国が集まった“マニア”が集結しました。正統派を自認(?)していた私は、“にわかの聖地”には、絶対に行かないと決めて、近づかないようにはしていましたが、「話のネタ」にと、やっと腰を上げたのが、昭和46年9月でした。岡山から入った伯備線は初乗車だった、高梁川に沿う区間では、何度も対岸へ渡る鉄橋が続き、ガーダー橋が多く、撮りやすい区間だ。井倉~石蟹に掛かるガーダーは、渡らずの鉄橋で、対岸から編成をうまく入れられる。D51の牽く客車列車もあったが、まずはカラー映えのするDC列車にカメラを向けた。20系よりも10系が多く、岡山近辺のため、長編成も多かった。

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昭和の電車 改訂版(20)ー阪和電鉄モタ303号ー

私は阪和線にはトンと縁がなかったので知識はありません。
このタイトルにある「国鉄阪和線モタ303号」には「?」が付きます。国鉄時代にモタと称していたのか疑問です。また、「アイスキャンデー塗装」とは何か?疑問がわいてきます。

河さん、教えて下さい!

客車廃車体訪問記 内地編34 岡山県-2

【岡山市東区沼 グリルアルプス跡】 34.703305, 134.033356 1997年10月25日撮影
オハ46 2043
スハフ42 2255
↑オハ46 2043  奥にスハフ42 2255の後位寄り妻面が少し見える。
現在の岡山市東区で、かつての国道2号(現250号)のドライブインだったが、訪問時には店は閉鎖、客車の両端と国道側(南側)は背の高いフェンスが張られて殆ど見えなくなっていた。北の田圃側からオハ46 2043と、スハフ42 2255の妻面が見えただけである。2010年に撤去されたそうで、現在は跡形もないと思う。
ここは在来線からは見えたが、新幹線からは沼城跡とトンネルの間の一瞬しか見えなかった。
◆オハ46 43(1955年新製 日立)→オハ46 2043→1986年廃車
◆スハフ42 255(1954年新製 日車)→(1961年電暖追設)スハフ42 2255→1986年廃車
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福塩線昭和29年4月10日時刻改正前後の時刻表

西村さんから福塩線下川辺駅のご報告がありましたので、それに関連して福塩線の昭和29年4月9日までと昭和29年4月10日からの時刻表をお目に掛けます。日本交通公社の『時刻表』昭和29年4月号と5月号です。
↑昭和29年4月号p.62
内容は4月10日の時刻改正前の時刻です。昔は、4月の時刻改正が4月号に掲載されないことがありました。
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福塩線下川辺駅について

JR福塩線は福山から府中までの23.6Kmは両備軽便鉄道によって建設され、府中から塩町までの54.4Kmは国鉄によって建設されたという歴史はご存知の通りです。福山・府中間は電化されていて列車本数も多いのですが、府中・塩町間は非電化で6往復しか設定されておらず、主な利用客は高校生であり、三江線と同様に廃止が取り沙汰されている線区です。さてその非電化区間、府中の次の駅が下川辺駅です。

2019-10-5 下川辺駅

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客車廃車体訪問記 内地編33 岡山県-1

【柵原ふれあい鉱山公園】 34.943476, 134.081371 2018年4月19日撮影
オハ35 1227(片上鉄道ホハフ3002)
↑オハ35 1227(茶色の客車)
改札を入って、誰もいないと思って客車のあるホームへ行くと、ベンチでオッサンが寝ていたのて一瞬驚いた(わかりにくいが、上の写真の青いホハフ2004の前のベンチ)。ホームレスでもなさそうな様子であったが、一通り撮影を終えて帰る時もまだ寝ていた。
◆オハ35 1227(1947年新製 日車)→1955年更新修繕-Ⅰ 幡生工→1980年廃車→(1981年)片上鉄道ホハフ3002→1991年廃車
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P-6のちょっとした思い出

趣味誌の中では私は鉄道ピクトリアルを懐メロ的に捉えておりこの歳になっても購読を続けている。要するに自分と関係のある時代の古い写真が好きなのである。同誌の2019年10月号は「阪急電鉄京都線特急」の特集であり、掲載写真をみるとDRFC-OBからも5人の方、そして会友である河昭一郎さんのお名前も見られる。その中で圧巻は40~41頁桂川橋梁上の132の超特急である。

さて、本題のP-6であるが、同誌10月号本文の最初に掲載された鉄道友の会会員であり京都大学鉄道研究会OBの山口益生さんの「”P-6”にまつわる話」という記事に非常に興味を持った。改めてその部分を取り出してみて一部をそのまま引用させていただき私の久しぶりの投稿とした。

まず、我々はP-6、P-5(P-4)はよく知っているが、P-1は新京阪が買収した北大阪の車両ということで私はよく知らない。さらにP-2は電動車60両、P-3は付随車16両計76両の3扉16m級クロスシート木造車とのことであるが、いろいろと事情があって幻となったようである。このあたりは古い資料をよく発表されたと思うが見たことがない人間にはピンと来ない。

P-6の最大の特徴である幌は画竜点睛と称されている。これがないとP-6の顏でないと思っている人は私を含め多いと思う。この幌も雨天時に油を含んだ汚水が乗務員の制服を汚すということを聞いたことがあるが、幌が出っ張り過ぎて夜間作業員の姿が見え難く人身事故を起こしてしまい廃止されたということは始めて知った。

▼私は幌付きのP-6を見たことがなく、車庫で着脱式のそれを見たことがあり高橋先輩から「珍しいよ」と言われて撮るには撮ったが納得できるものではなかった。1968.05.30 桂

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宇治の展示会

総本家青信号特派員氏の報告通り、昨日大津歴博での江若展のオープニングをお手伝いしてきました。ミニ企画展とは言え、展示室(観覧料必要)のみならず、玄関ホール(観覧料不要)においても動画の映写やパネルやジオラマの展示を行うなど中身の濃い展示になっています。その歴博館内で添付のようなチラシを見つけました。宇治市歴史資料館での「宇治の電車 京都の電車」と題した特別展です。こちらも12月1日までとなっていますので、ホームカミングデーに合わせて、京阪電車に乗って大津と宇治を訪ねるというのはいかがですか。

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 「ミニ企画展 江若鉄道」大津市歴博で開催

事務局からも案内のとおり、大津市歴史博物館で、本日10月1日から、「ミニ企画展 江若鉄道」が開催されています。同館では、過去3回に渡って、江若鉄道や大津の鉄道に関する企画展を実施、いずれも絶大な人気で、入館者数も図録販売も記録的な数字を達成しました。なおも地元では江若への熱い思いが続き、再度の展示が待望されていました。ことし3月にも、江若交通本社で趣味者グループが江若展を開催、そして廃止からちょうど50年、来年には会社設立100周年を迎えるいま、大津市歴史博物館で三たびの開催となりました。
▲開催初日の本日、午後2時から、オープニングイベントとして現地見学会「江若三井寺下駅を探検する」が行なわれた。まず館内展示の三井寺下ジオラマのまえで、学芸員のKさん、西村さんの説明を受け、50年前の姿を頭にイメージしてから、フィールドワークに出発した。背後はクローバー会制作のスライドショー、86さんの白鬚駅が上映中。

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客車廃車体訪問記 内地編32 香川県-1

【高松市 卸センター】 34.358880, 134.065782 2018年11月8日撮影
オハフ50 180
高松市朝日新町の宮脇書店総本店のすぐ近くに「卸センター」バス停があり、その約200m北の㈱Welleg(㈱菱屋から社名変更)本社敷地にオハフ50 180がいる。テニスコートが2面あり、その更衣室・用具置場として利用されていると思われる。サボは「中村-高松」である。
宮脇書店総本店には観覧車があるが、老朽化の為営業を終了した。
◆オハフ50 180(1979年新製 新潟)→1989年廃車
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