国電研究家・河 昭一郎様より、みちのくを走り去った“ウグイス色の旧型国電”に関しての考察をご寄稿頂きました。なお、添付頂いていた写真は退色とひび割れがひどく、色調についてだけ補正をしましたが、乳剤面のひび割れ・キズに関しては触っておりませんのでご承知おき下さい。
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昭和の電車 改訂版(206)ー北陸鉄道モハ5000型ー
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ㉕
C58④ まとめ
今まで紹介できなかったC58をランダムに紹介していきます。準特急さんが記しておられるように、C57なら番号ごとのスタイルが気になるのに、C58に至っては、十把一絡げで、番号を意識することはありませんでした。北海道のC58をまとめていても、たしかに一両ずつの個体差を意識することは少ないものの、それだけ、中庸で、穏やかで、いかにも日本の風土に溶け込んだ蒸機だと改めて感じました。温暖で純日本的な風景の方が似合うかも知れませんが、北海道の厳しい自然のなかで、逞しく生き抜いたC58に、また新たな魅力を感じたものです。
▲昭和44年8月、青函連絡船で早朝の函館に着いて、カーブしたホームで最初に写したのが、函館発上磯行き751レを牽くC58 213〔五〕だった。上磯まではわずか27分で、わざわざ客車列車を仕立てるのは、折返しの函館行きが通勤時間帯に当たるため。江差・松前線の旅客はほぼDC化されていて、C58が牽く客車列車は2往復のみで、貨物も牽いていた。五稜郭区には、8両のC58が配置されていた(昭和44年8月)。
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昭和の電車 改訂版(205)ー旭川電軌モハ1000型ー
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ㉔
C58③ 最果ての根室本線を行く
釧路区C58のもうひとつの舞台が、根室本線釧路~根室の客貨列車の牽引でした。釧網本線の車窓と似た風景ですが、海岸線を走る区間があるのが特徴です。人口はさらに希薄で、駅周辺だけにわずかな生活があって、ほかは全くの原野・湿原が広がり、さらに最果て感が増してきます。さらに、釧路~根室には、通しの普通列車6本のうち1本だけがC58の牽く客貨混合列車で、あとはDC列車でした。貨物列車も走っているとは言え、駅間距離は10キロ前後のところが多く、釧網本線に比べると、アプローチの難度は高いと言えるでしょう。
▲太平洋に切り立った海岸段丘のうえを行く釧路発根室行き447レ、釧路~根室で唯一の客貨列車だった。吹き下ろす風が強く、黒煙が編成を隠してしまった。いまや水平線まで望めるとして著名な撮影地となったが、懇切丁寧なガイドもない時代、車窓からの印象だけ頼りに、駅を降りて闇雲に雪原を歩いて到着した。別当賀~落石 (昭和47年3月)
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ㉓
C58② 原生花園の夏と冬
釧網本線へは、昭和43年に訪れてから、その後も何回か訪れて走行中を撮影しています。釧網本線の撮影地と言えば、やはり原生花園の付近でしょう。夏は花、冬は流氷がアクセントになります。今でこそ原生花園の駅がありますが、当時は乗降場扱いで、ごく短期間の停車でした。そのため北浜、または浜小清水から歩くことになりますが、その釧網本線で客貨を牽いていたのが、北見区とともに、釧路区のC58でした。前記のとおり、釧路にC58は28両もいて、日本一のC58配置区で、釧網本線。根室本線で客貨混合列車を牽いて、活躍していました。
▲夏の原生花園、と言っても、訪れたのが8月の終わりから9月上旬で、花の季節は過ぎていて、ほぼ草原が広がるだけだった。北浜、浜小清水からいずれも歩いて行けるが、とにかく、どこまで行っても同じ風景が続いているだけで、いくら本数が多くても、ワンパターンの写真で終わってしまう。貨物692レを牽くC58 408〔釧〕 客車(混合)列車だけでなく、このように純粋の貨物列車も少数ながら走っていた。北浜~浜小清水(昭和43年9月)
保護中: これは貴重な記録! ただし今は休館中
やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ㉒
また北海道に戻って、《区名板》を続けます。C58は、D51、9600と並んで北海道には多くいた蒸機で、昭和40年代前半には、五稜郭、苗穂、鷲別、北見、釧路区に配置されていました。その本場は道東地方で、石北本線、釧網本線、根室本線では多くの客貨を牽いていました。石北本線・釧網本線の北見~網走~釧路は、両端にある釧路、北見区のC58が一体で運用されていて、釧路区は28両配置で、日本一のC58配置区であり、北見区も10両配置でした。まずは、石北本線、釧網本線のC58の活躍を見ていただきます。
▲初めて北海道を訪れた昭和43年、釧網本線のC58の牽く混合列車に乗って、ゆっくり車窓の旅を楽しんだ。当時は、列車本数も多く、ほとんどの駅では、列車交換があって、例によって“窓から写した”だけの撮影を続け、初秋の一日、たっぷり北海道の良さを感じたものだ。釧路原野のなかにある細岡で交換する、C58 127〔釧〕の牽く混合628レ (昭和43年9月、以下同じ) 続きを読む
昭和の電車 改訂版(204)ー京王帝都5000系ー
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私の好きな電気機関車たち ⑰(終)
電機の似合う駅
電機シリーズもこれで最終とします。“電機のいちばん似合う駅は?”と考えることがあります。私個人としては、京都駅1番ホーム(現・0番)の西端から見る、上り列車の入線シーンも大好きです。当時、二本あった中線を“ダダッダー”と交差音を残して、外へ編成を振りながら、1番ホームで待つ乗客の前に進んで行きます。その先頭に立つ電機の迫力に惚れ惚れしました。
しかし全国的に見れば、やはり上野駅にとどめを刺すのではないでしょうか。東北地方への出発駅として電機の発着で賑わい、独特の終端駅の雰囲気を持ち、推進運転の入線・回送シーンも見られました。でも列車写真、編成写真として見れば、これほど写しにくい駅もありません。ここは、やはり人も絡めた終着駅としての雰囲気写真になるのでしょう。私も昭和の時代、上野駅は利用した口ですが、撮影はほとんどしていません。上野から出発する時は、座席のことが心配で、落ち着いて写すどころではなく、逆に戻って来た時は、ほとんどが夜行で疲労困憊の体で降りて、撮影意欲など湧くはずもなく、そそくさと去っていきました。
▲上野駅に似合う電機は、やはりEF57だろう。青森行き「津軽2号」を牽くEF57 5、8月も下旬になると、さすがに盆の頃の混雑はないが、出世列車として名高い「津軽」はよく混む。上野では、前へ行くほど空いているから、とにかく自由席車の一番前の車両に乗車、首尾良く右側窓寄りの席をゲット、編成調べをしてから、やっと落ち着いて牽引のEF575を観察できた。22時22分、“ピーィ”という甲高いホイッスルを残して上野を発車。1両目だから貫通扉の向こうにEF57のデッキがユラユラしているのが見える。気分は、もう東北・北海道だった(昭和46年8月)。
昭和の電車 改訂版(203)ー名鉄モ5200型ー
偶然見つけました!
おもしろいですよ!まあ、見て下さい。よく調べたものだ、と感心しました。
http://tetueizuki.blog.fc2.com/
私の好きな電気機関車たち ⑯
幻のEB10
当時愛読していた「機関車ガイドブツク」などを見ると、電機の項で最初に出てくるのがEB10でした。国鉄の制式電機では唯一のEB電機、しかも買収電機ではなく、蓄電池機関車AB10を電機に改造した純粋の国鉄機で、端部はRが付いた、好ましいスタイルの凸電です。最初に憧れたのは、やはり模型の時代でした。ED電機に熱を上げていた中学生時代、天賞堂から発売されたのが、EB10でした。 ▲愛読していた「鉄道ピクトリアル」にもEB10発売の広告が。
「ディテール豊かなプラスティック車体に、ダイカスト製の丈夫な台車」と説明され、いかにも天賞堂らしく、ほかのED電機の仕上りとは一線を画しています。ただ、値段が完成品1990円(東京売価)で、EBのくせに、ほかのED電機より500円以上高くて、中学生にとっては高嶺の花となりました。
DRFCに入るようになって、せめて写真だけでも撮りたい思いが募り、昭和46年2月、東京は王子駅に降り立ちました。当時の数少ない情報では、わずか2両のEB10は田端機関区所属であるものの、普段は、王子から出ている日産化学などがある須賀貨物線で動いていること、本には、その当時には珍しく運用表まで載っていて、王子で待ち構えれば、間違いなくEB10が撮れると、期待感いっぱいの下車でした。▲鉄道雑誌の記事を手書きでノートに筆写して勇躍、東京へ向かった。