DMV乗車記

28日に行われたDRFCクローバー会、多度津でのイベントに合わせて四国を巡ってきました。その中で26日に阿佐海岸鉄道のDMVに乗車しましたのでご報告します。
阿佐海岸鉄道は1992年に牟岐線海部から甲浦までを開業し、一部の列車は牟岐まで乗り入れていました。2020年11月1日阿波海南-海部間をJRから編入し、気動車による運行をしていましたが、DMV化工事のため1か月後の12月1日より阿波海南-甲浦間でバス代行輸送を開始し、昨年12月25日よりDMV車両を使って阿波海南文化村-阿波海南駅間と甲浦駅-道の駅宍喰温泉間をバスモードで、阿波海南駅-甲浦駅間を鉄道モードで運行を開始しました。(土曜、休日は室戸岬の「海の駅とろむ」まで運転されます)
↑ 始発駅の阿波海南文化村駅に停車中のDMVです。

続きを読む

どこかにマイルの旅 2022年 北海道へ Part2 まずは釧路

第1日目 5月16日

① 長岡天神 6:15(快速急行)⇒ 6:42 十三 6:49(大阪モノレール)⇒ 7:06 大阪空港
② 伊丹空港 8:00(JL2001)⇒ 9:50 新千歳空港

早朝5時には目覚めました。昨夜用意しておいた朝食を食べてから余裕を持って、5時半過ぎには阪急長岡天神駅へと向かいます。

▲ 平日の6時台ではまだ利用客も少なく座って余裕で大阪空港へ向かえます。今日は安く行くために南茨木からでなく十三経由で蛍池まで参りモノレールに乗り換えました。130円の節約です。
続きを読む

 多度津駅 今昔

化粧煙突に形式入りプレートと美しい状態で今も保存される58685


 2022年5月28日四国のクローバー会行事に参加して多度津を訪問。よい行事に参加が出来て、ご準備をしていただいた諸氏に厚く感謝を申し上げます。
 四国の鉄道の発祥の地と言うことは、知識では知っておりましたが北前船以来の多度津の街並を歩き、大変この町に興味を持ちました。
 朧げながら36年前に多度津の駅に降り立ち、1986年3月22日に撮影した写真がありますので、新旧を比較してみます。

この日は日中は好天で、海岸沿いで撮影時は晴れていたのに、多度津に着く前から冷たい雨が降り出して来た。

  続きを読む

 駅撮り一時間 〈8〉

昭和40年10月3日 新大阪駅

昭和40年10月改正は、前項のように、交直両用の475系・481系の新製・増備、余剰となった151系の転用により、新幹線と接続する山陽筋の特急・急行は、さらに増発されます。そして、もう一つの目玉は、関西発着の寝台特急「あかつき」の新設です。あの憧れのブルートレイン、でも当時は東京発着だけで、明るいうちは京都、大阪で見ることができない列車でした。それが新大阪に到着するとあって、大阪駅の撮影を終えて、新大阪へ急ぎました。

 

新幹線開業1年後にして、初めて新大阪に降り立った。11:31に到着したのが、名古屋発熊本行「つばめ」、クハ481-14ほか481系11連、改正前は新幹線と接続する新大阪~博多の特急だった。151系のため、交流区間の九州では自走できず、ED73+サヤに牽かれていたが、481系になって自力で走れるようになった。運転区間も、東は名古屋まで延長され、新幹線に乗ることなく、山陽・九州へ直通できた。西は、この改正で電化が伸びた熊本まで、多目的な特急としての使命を帯びた。東海道線時代の「つばめ」と同じく、ヘッドサインにはグレー地が入り、ほかの特急とは一線を画していた。

続きを読む

どこかにマイルの旅 2022年 北海道へ Part1 旅立ち前

コロナ感染もようやく感染者数が減少を始めだしてきましたが、まだまだ海外へは行けずストレスは溜まる一方です。ガス抜きをせねばならないと思っていたところJALからまたコツコツと貯めていたマイレージマイルの有効期限が来ているとの連絡が来ました。4月中に消化しないと有効期限がきたマイルは消滅してしまいますのでそんなもったいないことはできません。前回は『どこかにマイル』を使って大阪~新潟便を獲得して北東北の乗り鉄・温泉旅を堪能してきました。今回もどこかに行ってみるかとまずはチャレンジしてみることにしました。

【 JALのどこかにマイルの旅 チャレンジ 】
マイレージ6.000マイルを提供すればJALから4か所の空港リストが提示されます。4か所のどこになるかは申し込みを完了した後でJALから一つの空港が連絡されます。この時点ではもうチャレンジ中止はできませんので最初に提示された4か所の空港が希望に叶う空港でなければなりません。チャレンジはPC、タブレット等の各端末から1日100回を限度にできますので辛抱強く待つことが必要です。▲ 4月25日、何回かのチャレンジの末、ここなら行っても良いかなと思える4か所(仙台・札幌・長崎・山形)の行先がありましたので申し込みました。
続きを読む

 駅撮り一時間 〈7〉

昭和40年10月3日 大阪駅

昭和39年10月、東海道新幹線の開業により、東海道本線を走っていた151系「こだま」型電車特急は、新大阪で新幹線と接続する山陽筋の特急として新たな活路を見い出します。京都駅では、一本も「こだま」型が見られないのに、大阪、新大阪へ行くと今までと変わらない、電車特急の華やかな姿を見ることができました。昭和40年10月改正では、交直両用の481系電車が走り始め、さらに特急の増発、運転区間の変更が行われました。再び「こだま」型に接するため、高校一年生は、「京都から大阪まで」金120円の切符を握りしめて、大阪駅に向かったのでした。大阪8:50発の宇野行き特急「うずしお」、クハ151-9ほか151系12連、西行きの列車ホーム3・4番ホームから、朝の時間帯には、特急、急行が10~15分ヘッドで発車して行く。 続きを読む

 駅撮り一時間 〈6〉

昭和40年9月26日 京都駅

京都駅を華やかに彩ったキハ82系特急のもう一本、「白鳥」が8:48に1番ホームに進入する。京都駅1番ホームと言えば、歴代の上り特急や、御召列車も発着した栄えあるホームだが、電車特急の撤退で、明るい時間帯に1番ホームに発着する特急は「白鳥」と「雷鳥」の2本だけだった。「白鳥」の行き先は、青森、上野行き、7両2ユニットが直江津で分割され、上野行きは、信越本線経由となった。ところが、この年、富山~糸魚川の親不知付近の土砂災害により富山までの運転のまま改正を迎える。非電化、旧線、海岸沿いの富山~糸魚川~直江津は災害多発区間で、「白鳥」は運転打ち切りが多かった。40-10改正からは、青森行きの単独運転、新潟経由となり、大阪~新潟は14両、以降は10両運転となる。

続きを読む

 駅撮り一時間 〈5〉

最近、撮りためたネガを整理していますと、ショッキングなことがありました。以前にも書きましたが、昭和40年ごろのフィルムが劣化(ビネガーシンドローム)状態に陥り、悪臭・キズだらけのフィルムは修復不能になっていました。ただ健全なフィルムもあって、両者を分けて保管していました。ところが、改めて調べると、そこからも悪臭が立ち込め劣化が始まっているではありませんか。50年以上も、ちゃんと残っていたフィルムが、突然、劣化の始まると分かり愕然としました。これ以上放置すると、さらに劣化が進み、将来に持ち越すと、もう公開もできないと思い、軽微なうちから、昭和40年前後のフィルムを「駅撮り一時間」として、過去の連載の続きとしました。

昭和40年9月26日 京都駅

昭和40年前後の国鉄の大きな動きでは、昭和39年10月改正による、東海道新幹線の開業が知られていますが、全体で見れば、翌年の昭和40年10月改正の方が大規模なものでした。もちろん東京~新大阪の新幹線開業、それに伴う在来線の電車特急の撤退・転移は大きな改正ではありました。しかし「ひかり」は4時間運転の14往復、在来線の急行はそのまま残り、何とかオリンピックに間に合わせた暫定開業のような状態でした。所定の3時間10分運転にスピードアップし、「ひかり」「こだま」とも30分ヘッドになる昭和40年10月改正(新幹線のみ11月改正)が、本格開業と言えると思います。京都・大阪においても、同年の改正は大きな変動があり、その前後の変化を収めるべく、鉄道少年の私も、京都、大阪、新大阪で駅撮りをしたものでした。

電車特急151系が撤退したあと、京都駅がいちばん華やいだのは、朝の時間帯、京都始発の82系DC特急だろう。7:30発「まつかぜ」、8:00発「かもめ」、いずれも経由は異なるが、6番ホームから発車する博多行きであり、京都が西への優等列車の始発駅と位置づけられていた象徴だった。これに8:48発「白鳥」(上野・青森行き)も加えた、82系三羽烏が、朝の京都駅にまぶしく輝いていた(この写真のみ昭和40年10月3日撮影)。

続きを読む

「ディーゼル車」アラカルト (Ⅳ) 河 昭一郎

『ディーゼル車 アラカルト』も過去3回掲載させて頂き、幸いな事に各回ともⅠが52件、Ⅱが45件、Ⅲでは64件と多くのコメント数となり、興味を感じられた方々がそれなりに居られたんだなあと認識を新たにした次第です。

さて、それに気を良くしたと言えば安易過ぎるかも知れませんが、さらにもう1回追加させていただく事になりました事を感謝致します。

最終回に当たる今回は、これまでとは違った視点で、ディーゼル特急の前サボでガッカリした話やキハ81のボンネットに「やたら興味津々」だったが、結果は?などの「軽~いお話し」で締めくくりたいと思います。

続きを読む

 市電が走った街 京都を歩く 四条線⑪

四条大宮

四条西洞院で北野線と合流した四条線の市電は、三線式軌道を西へ向かいます。四条堀川で、北野線は堀川通に分岐しますが、戦前までは四条線にも「四条堀川」の停留場があったものの廃止され、以降は、堀川通に曲がった北野線のみに四条堀川の電停がありました。四条線は、つぎの四条大宮までの600mに電停はありません。私は、この付近での撮影はなく、四条堀川にお住まいだった無印不良品さんが本欄に昔々のこと と題して、雪の日の写真を載せられています。市電は幅の広い堀川通を突き切って、まもなく四条大宮に到着です。市電は、ここで二手に分かれ、北西に千本線、南へ大宮線を分ける、変則の五叉路になっていました。嵐電四条大宮駅の前で、大宮通から四条通に曲がって行く7号系統(昭和47年1月、以下同じ)。

続きを読む

 市電が走った街 京都を歩く 四条線⑩

四条西洞院

四条烏丸を発車して、市電は西へ向かいますが、祇園祭のとき、市電のすぐ横に函谷鉾が立っていました。市民でも鉾へ上がることができて、四条通のほぼ中央を見下ろす風景は、鉾ならでは独自の眺めでした。室町通を過ぎても、四条通りには、月鉾、郭巨山など、何基かの山鉾が立っていて、市電は鉾のすぐ横をすり抜けて行きます。付近は、繁華街から少しずつ離れ、商業施設に代わって、繊維関係の会社・店舗が見られるようになりました。京都の代表的な繊維街である「室町」近くを走ることを実感します。

「四条西洞院」の西行き電停から見た四条線、架線も片持ち式ではなくなり、電柱、看板が林立する雑然とした風景に。

▲▲左上の「住友生命」を定点に現在の同地点。電停跡からの定点対比は、現在では困難が伴うが、Googleのストリートビューがうまく叶えてくれた。

続きを読む

 市電が走った街 京都を歩く 四条線⑨

四条烏丸

途中で中断したり、寄り道ばかりで、連載ものが続きませんが、また京都市電に戻ります。前回「四条堺町」を発車し、四条通りを西へ向かい、烏丸通が見えてくると、もう次の停留場「四条烏丸」に到着です。この間300m、市電でもっとも短い区間に属しています。電停は、西行きが烏丸通の手前、東行きが烏丸通の向こうに設けられていました。四条烏丸と言えば、当時よく言われたのが「京都の金融街」の形容だ。事実、交差点の四隅は銀行の建物が占めていた。写真の南東角が三菱銀行、右回りに住友信託銀行、三和銀行、三井銀行、すべて都市銀行の京都支店が占めていたのは、その形容に恥じない交差点の風景だった。しかもそれぞれが特徴ある建築様式で、建築学的に見ても興味深いものだった。当時の写真を見ると、その続きの四条通、烏丸通にも、今では見られない金融機関の看板がずらりと続いていた。

続きを読む

客車廃車体訪問記 内地編74 高知県-3

【佐川町 さかわ観光協会 うえまち駅】 33.498811, 133.287840  2022年5月4日撮影
ロ481
「うえまち駅」は佐川駅から西へ徒歩約5分の、さかわ観光協会の事務所がある新しい建物で、ロ481はその中に展示されていて、2021年4月17日にオープンしたそうである。隣に佐川文庫庫舎がある。
続きを読む

保存されている名鉄510形

先日用事で愛知県に行った帰りに岐阜で途中下車し、北口駅前広場に静態保存されている名鉄510形を見てきました。1926年に旧美濃電気軌道セミボ510形として造られ、21世紀初頭まで現役を務めていました。1987年には鉄道友の会エバーグリーン賞を受賞した名車ですが、意外にも作られたのは5両だけ、その内3両が静態保存されています。いずれも510形が走っていたところで、美濃町線美濃駅跡に512号が、谷汲線旧谷汲駅跡に514号、そして今回訪れた岐阜北口駅前広場に513号が保存されています。
これらの保存には各自治体が関わっているのでしょうか?やはり個人の力ではなかなか難しいものがあります。ボランティアの有志が自治体と協力して維持していくのが一番良い形ではないかと思います。京阪大津線の名車80形も何らかの形でゆかりのある自治体が関わって保存ができないものでしょうか?

↑ 岐阜駅北口駅前広場の開業10周年を記念して徹明町近くの金公園で保存されていたものが移設されました。
続きを読む

100年目の信貴電

 今年の5月16日で信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒線)は王寺から信貴山下間、そして東信貴鋼索線(1983年9月1日廃止)が開業して100年目となります。その記念イベントとして記念式典と臨時急行が王寺から上本町間に運転されます。もちろん、記念乗車券や入場券が販売されます。詳細については下記をクリックすると近鉄からのイベント案内書へ移動します。

クリックしてikomashigikousaku100_2.pdfにアクセス

続きを読む