エリトリア2011年 未開の大地への鉄道の旅 Part15  希望へのエリトリア鉄道の今は その6

第6日目 9月29日 その2
アスマラ (Bus)→9:10マッサワ

昼食後は午前中に撮ったシーンが順光でなかったのでもう一度撮ろうと引換して、再度ホテルの屋上に上がっての撮影会です。ドイツ人鉄ちゃんのこだわりは続きました。

▲ ポートアイランドからタウルド島へと向かう列車です。右のバスが走っている後方が港の駅です。

この後は、列車に乗っていくか、そのままバスで移動するのかの選択を求められましたので、ためらうことなく列車にしましたが、ご覧のとおり客車はつないでいません。2軸の貨車に積込まれて、ガタンゴトンと、ゆっくりアスマラ方面に向かいました。ここであまりの暑さに、こだわりのドイツ人が一人脱落しました。貨車内でも熱中症でダウンするスタッフも出てきたりで、過酷な環境でした。



▲ マッサワの街を出ると、あたりは荒涼たるアフリカの荒地が広がっていきます。そしてそこには、戦争で落ち延びてきた難民の部落が点在する、光景がありました。



▲ 難民部落も住めない過酷な大地が広がっていく未開の大地です。撮影地点は、こちらです。



▲ 大雨の時に現れる河川にかかる、エリトリア鉄道最長のアーチ橋。羊の放牧は子供の仕事です。木陰で休みながら、疲れているのか、虚ろな視線を投げかけていました。撮影地点はこちらです。

▲ この橋は、エリトリア紙幣10ナクファの裏面デザインに使われています。Fiat Ural製のトラックを1994年に改造したレールトラックが貨物列車を牽引しています。機関区では見かけませんでしたが、まだ現役で動かせるそうです。須磨の大老様、必見です。

▲ エリトリアの紙幣には、人々が力を合わせて独立を勝ち取った歴史から、
この国の9つの民族、庶民の姿が描かれています。歴史上の有名人や政治家などが描かれた紙幣が多い中、とても珍しいと言われています。(注;20ナクファ紙幣もありましたが、うっかり現地で使ってしまいました。)


▲ フォトラン列車が止まる度にたくさんの子供たちが集まってきます。辺りに農作物の耕作地は見当たりません。水が流れている川もありません。どうやって生活しているのでしょうか。しかし、子供たちは元気そうで、笑顔も見えました。


▲ 17:50、乾いた大地に日が沈んでいきます。乾燥していますので、空があまり赤くにはなりません。”ヌキ”をするには沈む方向が難しい位置です。もう少し待てば、もう少し何とかなるのですが、機関車が水切れになったそうで、今日はこれで打ち切りでした。皆さんも暑さに参っていましたので、執拗にもう1回走らせてと嘆願することは、ありませんでした。


▲  19:30から波止場での夜間撮影となりましたが、着いた瞬間に街中停電です。仕方なく乗ってきたバスの前照灯で照らしての撮影でしたのでもう1つでした。上は、ようやく電気が点いた20時過ぎの撮影です。

今夜の夕食もクーラーなしのレストランでした。おまけに楽しみにしていた、冷えたビールは売り切れです。配給制のようですぐになくなるらしいです。体力は消耗するばかり、回復できません。マッサワの熱帯の暑さは、以前に7月の台湾で、37度湿度80%を経験しましたが、それよりもこたえます。アスマラの快適さとのあまりのギャップ差に苦しんだ1日でした。

エリトリア2011年 未開の大地への鉄道の旅 Part14  希望へのエリトリア鉄道の今は その5

第6日目 9月29日 その1
アスマラ (Bus)→9:10マッサワ

今日は、エリトリア鉄道の紅海に面した始発駅マッサワにBusで向かうので早く起きてください、5:30に朝食ですと言われましたので、気合を入れて5時前には起床して荷物もまとめてホテル1階にあるレストランに行きましたが、開いていません。こんなに早くに朝食を準備するのは従業員にとっては、ありえないことなのでしょうね。

悪びれもなく起きてきた従業員が準備をやりだしましたが、パンと牛乳、コーヒーをかけ込んでの夜明け前の出発でした。

▲ 高原に昇る朝日を見ながら、Busは、いろは坂連続の下り坂を走り続けました。途中いくつかの集落を見ましたが、砂漠地帯に入ると人家はありません。
出発する前は18℃程度だった気温はぐんぐん上がって30℃を超え熱帯の暑さがやってきました。車内冷房が欲しいところですが、原住人は慣れっこなのか、設備はあっても入れてはくれません。窓を開けて温風で凌ぐしかありませんでした。暑さに弱い私は、既に青信号点滅状態です。


▲ 9:10、所要時間約3時間、標高差約2,350mを下って、港湾都市マッサワに到着しました。気温は35度を超えて、塩っけたっぷりの浜風も混じっての、うだるような暑さで、もうタマリマセン。
昨日、山を下りて行った422式54号機がフォトランの準備を整えて、待っていました。撮影場所はオールド駅といわれるこちらです。


▲ エリトリア鉄道マッサワ側の始点は、マッサワ市内から海の道を渡ったタウルド島から、まだ先のポートアイランドにありました。ここで船から降ろされた荷物を積載して遠くアスマラへと運ぶのが、エリトリア鉄道の使命でした。

▲ ウウルド島のオールド駅の他にポートアイランドにも現在はバス停で使用されているホーム屋根のある簡易駅が残っていました。撮影地点はこちらです。ここから先は船着場ヤードです。



▲ 何回もこれでもかと、かつての最盛期の走行を再現できるのがフォトランのウリです。
停泊しているフェリーに入っての撮影や海べりのホテル屋上からの撮影も地元旅行代理店の根回しができているので全てOKでした。

ここマッサワから最盛期には、何と1日30往復もの列車が運行されていました。
しかし、30年間にわたる独立戦争では、マッサワは軍事拠点であったため、戦闘によって街の大半が破壊され、鉄道も運行を停止させられました。

左の写真、背景にある破壊された建物は、旧イタリア銀行です。四面をバルコニーに囲まれ細部の装飾にも贅を尽くされた建築でした。
これから全室スイートの高級ホテルとして復元されるらしいです。


▲ こちらも破壊された旧皇帝宮殿です。かつてエチオピアの皇帝が、海軍士官学校の卒業式のために毎年マッサワを訪れた際に使用したそうです。マッサワのうだるような暑さをしのぐため、建物は、通気をよくする広々としたアーチやドームがつけられています。建物はエリトリア政府の所有で、廃墟のまま保存されていました


▲ 一旦宿泊するホテルにチェックインしました。リゾート風に建てられた部屋は、クーラーがよく効いていてホッとしました。しばし、体力回復タイムです。
天井から蚊帳が取り付けられていました。昔、幼少期には蚊の多い京都の夏には欠かせないものでした。おしゃれな蚊帳に家内も大喜びでしたが、蚊は好きではありません。持ってきた携帯用電子蚊とりをセットしました。
昼食は、別のホテルのレストランでしたが、やはりクーラーはありません。料理は、またスパゲティですが、 ピラフもありました。久しぶりのご飯です。少し落ち着きました。