2012年冬の中国鉄路の旅 Part5 长春路面電車と軽軌

第6日目 11月17日
① 図们 前日20;30( K7368次)→5:45长春
② 长春19:46(2727次)→翌日9:10绥芬河

定刻に夜明け前の長春に到着しましたが、前回と同様に本站から離れた臨時站です。
少し歩かないと本站まで行けませんが、降った雪で思うように進めません。

途中で朝飯にしました。チェーン店のお粥屋ですが、中々でした。

朝食後に長春站横のビジネスに休憩のため行きましたが、満室です。中国でもスーパーホテルや東横インのような安価でインターネット等々設備の充実したビジネスホテルチェーン店が増えましたが、人気です。
他のホテルに行きますと、外国人お断りです。仕方なくちょっと高いですが、かつてのヤマトホテルにしました。
▲  以前に長男と满洲旅行の際に宿泊しましたが、部屋はリニューアルされて格段に良くなっていました。インターネットも問題ないようです。小竹先生は、しばらく部屋で仕事です。私は、路面電車の撮影に行きたいのですが、乙訓の老人からいただいた資料によると、8月より工事中で休止しているようです。そろそろ工事が終わて走り出していないかを確認したくて、駅前から軽軌に乗車して向かうことにしました。

ところが、以前とは違って超満員です。乗り残しを出しての発車でした。
雪で路面が凍結して、自動車では危ない。遅れるとの人民の判断もあったでしょうが、乗客の殆どは日曜日とあって若い男女です。 


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2012年冬の中国鉄路の旅 Part4 国境の橋Ⅲ 琿春(珲春)

第5日目 11月16日
① 図門(Taxi)→琿春(珲春)→図们
② 図们20:30(K7368次)→翌日5:45长春

今日は、昨日のTaxiを再チャーターして、図们から東方向(珲春)へと向かい約60キロ先の国境の橋を目指しました。
【不運の鉄路】
 1932年に「珲春鉄路」が設立され、1935年に満鉄北鮮線の訓戎~珲春(14.8キロ)が、762mmのナローゲージで開業しています。訓戎~水湾に架かる国境の橋はこの時に建設されました。
1938年には、「東満洲鉄道」に買収され、1939年には輸送力増強のために1435mmへと改軌されました。国境の橋も、この時点で付け替えられています。その後、珲春以降の延伸が続きましたが、1945年のソ連の突然の侵攻により鉄路は破壊され消滅したようです。わずか10年で消えた不運の鉄路です

▲ 前回ご紹介した1996年版の鉄路地図では、ご覧の通り図们から東には鉄路はありませんでしたが、発行された年の1996年には、図们~珲春(73キロ)が開業しました。以降、貨物輸送にのみに使用されています。

最新の地図では、ロシアとの国境を超えてゲージは違いますが、結ばれたようです。

Zhan Qian Xi Da Jie, Hun Chun Shi, Yanbian, Jilin, 中華人民共和国
▲ 9:30、図们江沿いの国道302号線を走り、ロシアの侵攻により消滅したという断橋に到着しました。道路を横切るように線路跡は残っていました。
土手に上がりますと、鉄道橋と道路橋の2つの橋がありましたが、鉄道橋は橋脚を残すだけ、道路橋は北朝鮮寄りのわずか20mほどが壊されて断橋となっていました。
鉄道橋の橋脚ですが、かなりしっかりとして幅広く見えます。この鉄路についての文献はあまり残っていないそうです。何のために建設され、いつ消滅したのかは、なぞのようです。

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2012年冬の中国鉄路の旅 Part3 国境の橋Ⅱ 開山屯へ

第4日目 11月15日
① 丹東 前日14:42(K7378)→11:38龙井
② 龙井(Taxi)→開山屯→図们 

 丹东~龙井の1,066キロを約22時間かけて走るK7378次は東北地区のみを走る列車としては、走行距離の長い列車の一つです。
走行する和龙~白河は途切れた路線でしたが、 最近つながりこの列車が生まれました。使用される車両は旧型緑皮車で、暖房は車両ごとの石炭炊きのボイラーです。しかし、乗り鉄には応えられない車両です。
ただ、食堂車がないことが問題ですが、我々二人の主食はビールと白酒ですので、よく来る車内販売で十分でした。

丹东始発時は、ガラガラでしたが、瀋陽で多数の乗客があり、満席となりました。途中で小竹先生の通訳兼アシスタントの王さんから連絡が入り、长春は今年初めての大雪で既に20cmの積雪があったようです。こちらの車窓からも白い世界が広がっていきました。
▲ 雪を見ると子供は、はしゃぐんですね。おばあさんは、一生懸命孫をあやしていました。
▲ 11:38、龙井到着。この駅は日本侵略後の1934年に開業しました。この地域の豊かな原木と石炭を本土に送るため鉄路は建設されました

ここから王さんが手配していただきましたTaxiで再び国境沿いを訪ねます。その前に昨日の昼間以降初めての食事です。東北ですので、注文するのは水餃子と地ビールでした。

対向車も殆ど走っていない田舎道を100km/h前後で突っ走ります。途中で運転手がスピードを緩めると、ナンバープレート読取り器がありました。

龙井から約40キロ、40分ほどで開山屯に着きました。かつては、図们江を渡り朝鮮鉄道と結ばれた鉄橋があるそうです。
▲ 地図は、中国鉄道出版社発行の「中国鉄路交通地図集」1995年版から転載しておりますので、和龙から白河まではまだ記載がありません。

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2012年冬の中国鉄路の旅 Part2 国境の橋

第3日目 11月14日
① ホテル7:30(車)→9:01上河口駅→10:55长甸駅→丹東駅
② 丹東14:42(K7378)→翌日11:38龙井

 朝7時前に目覚めました。昨夕の新義州駅の列車が気になります。急いで屋上に上がって見ました。逆光の向こうに新義州駅があります。
▲ 300㎜(450㎜)で見てみましたが、昨日の長編成客車列車は消えていました。夕刻から夜のうちに移動したものと思われます。
▲ 丹東駅方向を見ますと、2両の北朝鮮から来た車両が留置されていました。

7:30過ぎにお迎えに来ていただいた藤先生運転の車に乗って、丹東から国境線の鴨緑江沿いの省道319号線を北東へと約60キロ上がって行きました。
▲ 9:01に北朝鮮との国境沿いにある上河口駅に着きました。とても立派な站ですが、人気はありません。
2006年10月に完成しましたが、列車が走ったのは、今年の6~9月のみ。1日1本の丹東からの6両(食堂車込)編成の観光列車だったそうです。所要時間は片道約7時間、国境に近い秘境と言うだけで、さしての観光地ではありません。よく観光客が来たものですね。
また、列車が走行していないのに信号機だけは点灯していました。

この路線は、満鉄時代の1943年5月に鳳灌線(鳳凰城~灌水)78.2キロが開業しました。
日本侵略時の1941年に開業していた朝鮮平北鉄道(定州~鴨綠江中心)121. 6キロと結ぶ計画で鉄橋も完成し、道床工事まで進んでいましたが、この時点で敗戦を迎えたようです。
朝鮮戦争時代にソ連が軍事用として線路を敷設しましたが、その後は使われることなく放置されていたそうです。新しい駅舎の前には、ソ連が建築した当時の駅舎があって、現在は老夫婦の住居となっています。

小竹先生は、この駅にまつわる歴史に非常に興味をもたれたようで、私とお会いする前日にも来られ、今日は聞き洩らしたことをもっと詳しく聞きたいと、老夫婦からの聞き取り調査をされていました。まさしくプロの顔でした。

老夫婦の話では、ここに訪れた日本人は我々で2組目でした。前回来られた方は、飼っていた豚をさばいて振舞ったら、200元を置いて帰られた。でも送ると約束した写真がまだ届かないと少し残念がっておられました。

上河口駅から先は車止めで行けなくなっていますが、レールは敷設されたままで、今も北朝鮮とつながっています。有事の際は走行できるパイプを残しておきたいとの思惑があるのでしょうね。
いつの日にか有事ではなく、誰もが乗車できる路線になってもらいたいと願いました。
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