西のC59・C62全記録  (12)

昭和45(1970)年8月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影①

わがクローバー会の写真展も連日、賑わいを見せています。一段落したところで、通常の投稿に戻って、まずは「西のC59・C62」に掛かります。

前回、DRFCの合宿で呉線を訪れたのが昭和44(1969)年3月のこと、すでに昭和45年10月を目指して進められていた呉線の電化工事はポールの建植工事が進んでいました。それから一年余り、三原~海田市87kmの電化工事は順調に進み、昭和45年8月3日からは架線試験車が走り始め、初めて電気機関車が呉線に入線しました。各種試験が行われたあと、乗務員の練習運転も8月23日から行われました。ちょうど、夏休みのこの時期、例によって九州へ行く前後、最後の呉線訪問としました。呉線は、昭和45年10月改正を前に電化が完成していて、線内では電気機関車の乗務員訓練が、営業列車を使い、この時期恒例の“電蒸運転”が行われていた。626レ、EF58 18+C59 164 (昭和45年8月30日、安芸幸崎~忠海)

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癒しの島 台湾鉄道2024年春の旅 Part 1 旅立ち

【 シェイと桜 】
阿里山に桜が咲いて、シェイ31号機が走行する
、一度は見たい撮りたいと思っていたシーンが今年も3月11日と18日に実現するとのニュースが入りました。これは逃してはならないと行くことを決めましたが、問題は桜が満開になるのはこの両日のどちらなのかです。毎年春には桜前線を追いかけていますが天候と桜満開時期の把握には苦労しています。
昨年12月4日の阿里山に行く前日、阿里山鉄道に勤務する友人達と夕食を共にした時に聞いてみましたら3月初旬から末まで咲いているとのアバウトな返答しか聞けませんでした。そんなに長い期間に咲いているとは日本ではありえません。ネット情報も探しましたら3月30日に満開の桜とシェイの写真もあり、何が本当なのか混乱するばかりです。
また今回の旅にはいつか行きたいと思っていたもう一つの森林鉄道、大平山ポンポントロッコの乗車と撮影も加えました。
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 お待たせしました。明日からクローバー会写真展

持ち場持ち場で頑張る会員たち、ご協力、ありがとうございました。

“デジ青”読者の皆さま、お待たせいたしました。クローバー会第10回鉄道写真展「鉄路輝く」、明3月20日(水)から26日(火)まで開催です。

本日は設営の日に当たり、選りすぐりの準備担当係が参集して午後1時から作業を開始しました。あらかじめ下準備はしていたものの、やはり一点ずつ、手作りで仕上げていくのは大変なこと、当日は平日のため、担当係だけでは、人手が心配でしたが、そこは協調心あふれる心優しいクローバー会会員のこと、米手さん、Tさん、Iさんと、みんな75歳超の高齢世代ですが、会場に駆けつけていただき、最後まで手伝っていただきました。お蔭で午後5時30分には、すべての準備を終えることができ、明るいうちに退出することができました。

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駅名喫茶店(第104回:競艇場へ行ける駅名)

今日はホワイトデーです。駅名喫茶店ではいつものごとく空気を読まず、「競艇場へ行ける駅名」を提供します。

子どもの頃、「尼崎センタープール前」には(レジャー施設としての)大きなプールがあるものだと思っておりましたから、競艇場と分かったときは少々驚いたものです。

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スクラップブック 事件・事故編・第15回

永らくお休みしていましたが「スクラップブック」を再開します。家庭の事情でなかなか集中してスキャンなどの作業が出来ません。ボチボチと進めます。

当時では大きい事故とは言えないかもしれませんが、いまなら大事故でしょう。

昭和38年(1963年)ですが、まだまだ信号無視や居眠り運転が横行していました。

1963,11,28

1963,11,28

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駅名喫茶店(第103回:嵐電の駅名)

以前に阪堺電車を取り上げましたが、今回は同じ路面電車である嵐電です。難読駅名が多いのも特徴です。https://www.keifuku.co.jp/

京都市内にお住いの方は、意外と乗らない鉄道ではないでしょうか。

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第10回DRFCクローバー会写真展のご案内

3月20日(水)~26日(火)11時~18時(最終日の26日は16時まで)京都祇園西利ギャラリーで第10回DRFCクローバー会写真展を開催いたします。従来の「鉄路輝く」のテーマに加え、今回は「まちとまちをつなぐローカルな鉄道」と題して地域に密着した鉄道にスポットを当ててみました。両テーマに82点の作品を展示いたします。また、近年物故された湯口徹さん、沖中忠順さん、吉田耕司さんを偲ぶコーナーも設けております。

多くの方のご来場をお待ち申し上げます。尚、24日(日)は15:00よりギャラリートークを予定しておりますので合わせてごらんください。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~40~

2007年2月 「くりでん」へ ②

2007年3月限りで廃止された、宮城県北部を走る、くりはら田園鉄道(「くりでん」  石越~細倉マインパーク)を訪問した二日間、その後半を見ていただきます。

くりでんには、腕木信号機やタブレット交換、信号てこなど、ほかではほとんど見られない通票閉塞方式が、まだ残っていたことも魅力だった。それまでに、三セク化、電車からDC化と、次つぎ施策を断行してきた、くりでんだったが、閉塞システムの近代化まで手が回らなかったのだろうか。ただ廃止前は若柳~栗原のみがタブレット閉塞で、石越方、細倉方は簡易なスタフ閉塞になっていた。

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~39~

2007年2月 「くりでん」へ ①

もう3月になりましたが、2月分の「あの日あの頃」を積み残していました。2007年3月限りで、くりはら田園鉄道(くりでん)が廃止されることになり、二日間にわたって訪問、撮影しました。

くりはら田園鉄道は、東北本線の石越から西へ向かい、細倉マインパークまでの25.7キロ、当時は第三セクター化され、動力を電気から内燃に変更して運転を続けていたが、2007年3月限りで廃止となった。鴬沢工業高校前~細倉マインパーク前

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駅名喫茶店(第102回:タワーの最寄り駅名)

閏日の投稿は4年に1回しかできませんから、ここぞとばかりに登場させていただきました。

今回は全日本タワー協議会に属する全19タワーの最寄り駅名を一挙紹介いたします。スタンプラリーもあるとのことで、まずは京都タワーを訪ねてみたいと思った次第です。

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東急多摩川駅にて

最近は日本の人口が減少に向かい、特に地方では過疎化が進んで鉄道のローカル線や路線バスの廃止のニュースをよく見る。このような中でも東京だけは人口があまり減らないのか多くの駅で電車がひっきりなしに上下する風景が見られる。東京、新宿、渋谷、池袋、上野界隈がそうであるし先日も総本家さんが中央本線阿佐ヶ谷での複々線4列車総並びを発表されておりその一端がうかがえる。関東では私鉄に目を向けると関西の阪急十三、南海新今宮、近鉄鶴橋のような圧巻的風景は見られないが東急東横線の多摩川駅では実に多種の電車が見られる。特に最近は神奈川県内のみ(横浜-海老名間、支線の二俣川-湘南台間、厚木貨物線)の営業であった相模鉄道がJRや東急と相互乗り入れを実施して東京心部や埼玉県まで顔を出すようになったことで多摩川駅の車両のバラェティを深めている。

東急多摩川駅では東急の他、横浜高速鉄道(みなとみらい線)、東京メトロ、東武鉄道、西武鉄道、東京都、埼玉高速鉄道、そして相模鉄道が加わることにより8社の車両を見ることができる。各車両ほぼ同じ位置の単調で面白みに欠ける記録であるがこれだけの会社がそれぞれ2~3種類の車輛を投入してくるので飽きることはない。併走も含めて発表してみる。

まず最初に今回の定点多種車両撮影に至った起爆剤的な相模鉄道についても若干触れてみたいと思う。独特の単一カラーでよく目立つ相模鉄道通称相鉄は以前は準大手私鉄の位置づけであったが、1990(平成2)年4月にいずみ中央駅まで延伸されたのを機に同年5月31日正式に大手民営鉄道として認定を受けた。相模鉄道の歴史がややこしいのは相模鉄道とは現在のJR相模線のことで大正6(1917)年に創立され、現在の相模鉄道は当初神中軌道、後に神中鉄道となった鉄道でやはり同時期の創立である。昭和18年(1943)年には神中鉄道は相模鉄道に吸収合併され、元の相模鉄道自身は1944年に国有化され残った神中線が相模鉄道となって今日に至っている。その間相模鉄道は東急になったり小田急の干渉があったりして紆余曲折の歴史があったが横浜駅西口(相鉄ジョイナスや高島屋のある所)の土地買収により安定的な経営をするようになったと言われている。私が最初に見た相模鉄道には神中時代の汽車ポッポのムードが残っていた。駅の改札口は木製のラッチが多く海老名などは田圃に蛇が出てくるような田舎であった。1955年の流線形湘南窓ボディマウントの5000系や続いて登場した1961年の6000系20メートル車の導入で大手に近づいて来たように思う。5000系、6000系の写真である。

1972.2.20 大和付近を行く急行海老名行き5011。湘南窓に車体下部を覆ったスタイルに人気があったが直ぐに更新改造されて消えて行きそのスタイルが惜しまれる車両である。▼

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 西のC59・C62全記録  (11)

昭和44(1969)年3月29~31日 DRFCメンバーとともに撮影

広島のユースで一泊した翌日3月29日は、DRFC春の狂化合宿が、呉市の国民宿舎「音戸ロッジ」で華々しく行われる日、九州で泥池にはまって風邪気味で体調は万全でないものの、メンバーとの再会を楽しみにして、ユース前からバスに乗り込み、広島駅へと向かいました。合宿の最終日の「安芸」狙いは、煙が期待できる安登~安浦の勾配区間へメンバーとともに向かった。と言うものの今まで、この区間で煙に恵まれたことは無かったが、今度は違った。北海道ヤマ線のC62重連も顔負けの凄い爆煙だ。見始めは違和感を覚えた「あき」のヘッドマークも、見慣れて来ると必須のアイテムとなった。体調は最悪だったが、それを吹き飛ばすシーンとなった。

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癒しの島 台湾鉄道2024年厳冬の旅 Part 8 帰国

第8日目 1月30日

① 新竹 8:15 普悠瑪 278次) ⇒ 9:16 台北
② 台北 9:30(空港MRT) ⇒ 10:09 桃園空港T2

普悠瑪号のきっぷがない 】
8日間の厳冬の冬の台湾旅も今日は帰るのみです。桃園空港のJALカウンターでのチェックインは10:55からで余裕はあります。前回12/7は桃園MRTの台北側とは逆の老街渓を見てみたいと臺鐵中壢から老街渓までの未開通区間を歩きましたが今日は疲れてもいるとの実感がありましたので台北へ出て空港MRTに乗車する行程を選びました。
8:10 新竹駅の自動きっぷ販売機で発券手続きをしますが普悠瑪号は満席です。8:36 次発の自強号も同様です。

PPのE1000形 桟敷席

今回の旅では満席は経験していなかったので取れるものだと油断していました。朝の混み合うラッシュ時の列車です。前夜は駅構内にいましたので確認して確保しておくべきでしたね。またPPの自強号なら先頭の12号車には桟敷席がありました。これに挑戦してみる方法もありましたね。
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 西のC59・C62全記録  (10)

昭和44(1969)年3月28日 DRFC合宿を前に一人で足慣らし

前記のように、ポールが建ち始めた呉線で丸一日撮った後は、九州各地へ転戦しました。DRFCメンバーとも要所で顔合わせしながら、17日間に渡って各地で蒸機を撮影。最終日は筑豊でたっぷり写したあと、夜行で広島へ向かいました。DRFCの春の合宿が開かれる前日であり、まずは一人で呉線撮影となりました。折尾から夜行の座席急行「桜島」に乗って、広島に4時30分に到着、呉線の一番列車622レが発車する7番ホームへ行く。外はまだ暗いが、ホームは明るく照らし出され、C62が堂々と待機していた。ほんの数年前、まだ山陽本線の蒸機が華やかな時代、次つぎに夜行列車が発着していた広島駅の昔日を思い起こさせるような雰囲気だった。C62 41[糸]

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癒しの島 台湾鉄道2024年厳冬の旅 Part 7 台中港線 

第7日目 1月29日

① 台中 8:46(区間車 2604次)⇒9:33 台中港 
▲ 8:04 今日は前回12/2にも訪問しました台中港線へと参ります。その前にまだ保存改装が終わった台中站をまだ見ておられない方々とご一緒しましたがまだ開店前で外から見るにとどまりました。
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DF50思い出写真(10)山陰本線

DF50は北海道や関東地方を除き概ね各地で見られた。伯備線、大社線や中央本線では撮ることができなかったが、0番台スルザー形(ズルツアー形)65両、500番台マン形73両計138両の走行線区は一応網羅したつもりである。

最終回はDF50が健在であった時代にDRFC-OBの皆さんが日常よく見たり乗ったりされた山陰本線である。所属は勿論DF50が大量に配属されていた米子区である。

最初は1969.5.4京都駅山陰線ホームから撮ったDF50525である。カラーでなく残念であるが旧塗装(新製時の茶系)の方が急行を含め旧型車を牽くのに似合っており私は古い色が好みであった。▼

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癒しの島 台湾鉄道2024年厳冬の旅 Part6 虎尾糖業鉄道 

第6日目 1月28日

① 高雄 6:10(MTR)⇒6:22 左営
② 左営 7:25(高鐵 806次)8:11 雲林

今日は台湾で唯一現役で残るシュガートレインを撮るため虎尾へと向かいます。いつもは斗南站から路線バスで向かうのですが極力早く着きたいと今回は新幹線で雲林まで行きTaxiをチャーターする行程です。

▲ 8:11 高鐵雲林に降り立ちましたが裏站Taxi乗り場には何も停まってはいません。しばらく待ちましたが来る様子はありません。どうする事も出来ませんでしたがTaxi乗り場とは違って送迎車が停まる表站一角に黄色のTaxiが入る姿が見えましたのでダッシュして捕まえました。どうやら裏站のTaxi乗り場の方は近距離利用者が多くTaxi運転手からは不評だったようです。
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 西のC59・C62全記録  (9)

昭和44(1969)年3月 1年ぶりの呉線へ

ふたたび呉線に移ります。前回は昭和43年3月の呉線行きでしたが、この年の10月にはヨンサントオ改正がありました。呉線には大きな変更はなく、列車番号の変更や、一部ダイヤの手直しで交換駅の変更が行われた程度でした。いっぽうで、昭和45年10月を目指して行われている電化工事は着実に進み、全区間でポールの建植が進んで来ました。DRFCでは、ちょうど昭和44年春の“狂化合宿”が呉の音戸ロッジで行われることになり、絶好の機会と、例によって九州方面との撮影と兼ねて、1年ぶりの呉線入りとなりました。

「安芸」にヘッドマークが付いた! 何の予告もなく、雑誌に掲載されて驚いたことを覚えている。蒸機牽引の優等列車は、特急にはヘッドマークが付き、急行には無いのが、われわれ世代の常識で、“ヤラセ”っぽくて違和感を感じたものだった。「あき」とかな書きしたのも気になる。改めて写真を見ると、ヘッドマークより、続く客車に眼が奪われた。ヨンサントオでカニ38などの荷物車の連結はなくなり、機関車+ハネフ+ロネ2両+ハネ‥が通常編成だが、なんとオロネ10が3両、間に挟まっているのは、10系ではなく、青色に塗られたスハネ30のようだ。安芸幸崎~忠海

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~38~

2008年2月24日 淡雪の京都駅で国鉄型を撮る

今日は各地とも4月並みの気温で、スキー場の雪も融け始めたとか。いつもは寒波の戻りで、京都でも2月中頃には積雪もありましたが、今年はもう期待できません。毎年、少しでも積雪があると、嬉々として朝早くから近くへ駆けつけた日々も懐かしく思い出します。まだ国鉄型車両が幅を利かせていた時代、原色に塗られた車両は、実に淡雪に似合ったものでした。朝の光線に“こだま色”が映える。特急「たんば」クハ183-702ほか。下回りは白く化粧していた。「はるか」専用の30番ホームに、一日に何本か山陰本線特急が発着して、2番ホームからの編成・形式写真の撮影に最適だった。

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