【82316】北海道寒中見聞録-2号車

今回は大沼から「ニセコ」に乗って倶知安に至るまでです。少し短いのですが冬なので乗客が少なく短編成になっています。

コメントに西村氏は変わらんけど、他の2人は経年劣化というか、補修を受けてか要するに前の形式が分からんようになっているやないけ、と先輩から頂きました。確かにそうかもしれません。車齢もこのくらいになると原型を留めることは難しいですからね。ま、とにかく2号車に乗車いただきありがとうございました。発車します。写真をみて3人(否2人)は今でもこんなにイケメンとは思わないでいただきたい。発車前のご注意です)。書いている内容はうそではありませんが相変わらずオリジナル文章を時代に合わせ個人に合わせ適当に追加しています。北海道でも股覗きもしたことにいたしましょう。

函館から大沼公園へ

16:05に十和田丸は無事函館港に到着しました。宿泊予定は大沼であるから一刻も早く大沼公園に着きたいところでありますが17:20発の急行「せたな」まで列車がない。連絡船では16:30に急行「すずらん4号」に連絡いたします、とか放送していたはずであるが、実際には季節列車で運転されておりません。冬の北海道にはこの手の列車が多く、中には定期列車が運休するのや、時刻変更などで結構ややこしい。17:20ということは発車まで1時間ほどあるので待合室に荷物を置いて駅前をぶらつくことになりました。ところが風が冷たく手が千切れそうで市電を数枚撮っただけで這う這うの体で退散と相成ったのであります。先が思いやられる。

これ、寒そうではありませんが実際は凄く寒かったのです。時間は16:45です。撮影を諦めて駅に戻るときのようです。

  • の準備もしていなかったので単に撮っただけ。今にして思えば撮りまくるべき題材なのであるが、ついでに駅を降りたのでということで、これはこれで由としたいと思います。

 

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【82241】北海道寒中見聞録-半世紀前の旅物語 1号車

寒中北海道見聞録  1号車

今を遡ること半世紀。昭和の時代、そう昭和44年の冬の終わり頃のお話です。丁度、試験が終わり、年度末の休みになったときに、今や高齢者であるクローバー会の会員が冬の北海道に蒸機を求めて旅をしたときの記録です。その報告は青信号22、23号に既に発表されていますが、これはその復刻版であります。内容は忠実に従っていますが、所々に深い内容の解説を入れて読者の理解を助けるようにしました。元々22号は参加者の小林氏が執筆していましたが、今回復刻版を作成するに当たって、川中が承認を得て多少文も変え色々編集しました。3月4日からの後半は23号と同じく参加者の西村氏が青信号と同じく執筆する予定です。

なお、1号車は旅に出る前を中心にしているため、お楽しみの写真は余りありません。ご期待に添えませんが、痔、間違えました次号車から多くのお写真様がご乗車になるはずです。

今から考えると、へえ!というものがあるかも知れない隔世の感がある時代のこと。旅の情報に関してもIT時代の今では、北国の否、世界の果ての情報も瞬時に知ることができる世の中ですし、入学試験の最中でも解答を得られ答案を書けるほどの時代なので、へえ、そんなあ!と思われるものがあるでしょう。宿(このころは若いモンはYH=)はユースホステルを利用するのが常であり、先輩諸氏のようにステホに宿泊する覚悟でなければ往復はがきを出して、「よっしゃーっ予約が取れた」、と言って出掛けた時代です。その頃にはすでに先輩諸氏は冬の北海道に遠征し、成果を上げておられるのですが、またそこまで至らない若造3人があれこれ試行錯誤しながら冬の北海道の鉄路を彷徨したときの記録です。記録といえば今は亡きY大先輩のすかたんシリーズがありますが、この稿はそれには及ばないけれど「あんたら何してんねん?」というような旅であったと思います。

他人の紀行文など、行った本人は面白いかも知れませんが読む方は大抵退屈、下らんことばっかり書き腐って、となるのがふつうであります。拙稿ではそれを避けるため、また原文の青信号記載の今から言えば無知下品(?)な表現を今風上品(!)に改め、当時の鉄道風景を再現するために参考となる情報や画像を写真とともに豊富につけました。

また冬の北海道は当時あんまり訪れる人がいないと思っていましたが、旅をすると同業者、他趣味の人とも知り合いになり心温まる旅をすることができたのも収穫でした。ほとんどはその後音沙汰なくなっていますが遠い昔を思い出せば懐かしさがこみ上げるというものです。

では早速本文に入りたいと思います。文体もそれに応じて変わります。

ただいまから改札を始めます。こちらからお入りください。 記事の続きを読む


【70532】名残の花

KAWANAKAです。なごりの花と読みます。字のとおり散りなずむ桜花です。盛んにぶんしゅう氏がこれでもか!というほど素晴らしい桜花を見せ付けていて、なおも津軽の桜も出すといいます。一般人はそこまで行ける人は少ないと思いますので、ささやかに桜を見送りたいと思います。Wakuhiro氏の近隣のきれいに映った桜花(やっぱりサクラバナと読んでほしいねえ)もあります。Wakuhiro氏のはおやと思わせるような場所で撮ったのが出てくるのですが、ここでは、イヤというほど紹介しまくった拙宅の近所で総括したいと思います。例によって格調高いのはありません。また1年以上前のものが多いのですが、今年はしばらく許していただきたい。

先ずは、拙宅からチャリでも行ける高槻の芥川の土手。実はここに至る前にも芥川児童公園があってサクラが見えるが、絵になるブランコがない。せいぜいトンネルのついたケバケバシイ滑り台くらいしかないので絵にならない。と思っていたらEF66 の27が目の前を通り過ぎた(間に合わず写真はない)、原色は出会うこと自体少ないのでコンチクショーと思いながら土手に上ることにした。土手の線路を潜るとフェンスが邪魔な場所がある。ここでサクラを前景に撮ろうかなと思っていたら、チャリの親子がこの有様。何ぼでも停めるとこがあるやろうとあっけに撮られているうちにまだロコが来ました。EF65135で工臨です。前に西村氏がこんなん通ったとUPされていたヤツと思います。チャリを避けて何とか撮ることができました。過去のデータを見るとサントリーカーブで同じロコを撮っています。こいつはこれを牽いてJR-Wを廻っているのでしょうね。チャリのことは機嫌が良くなって忘れてしまいました。

芥川の親子自転車

これはないよね。絶対親が悪い。まあ、親子にしたら鉄道なんて関係ないので河原で水遊びができたらええんや。そういうもんかも。

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【69833】近場のサクラを楽しむ

KAWANAKAです。実は原色コネタをUP(小生だけでなく鉄鈍爺氏も投稿)した際、1900生とも裏メールでの往来があり、その中で高槻の拙宅近所のヒミツお立ち台の開陳をしたり、鉄鈍爺氏が早速そこをロケされたりしておられます。その中で、近隣のサクラを撮れる場所はどこや、という話になり、一般的でないと思われる隠れお立ち台をそっとメールしたのです。近隣というより少し範囲を広げたのですが、諸兄にはお馴染みの場所もあると思います。従ってそれをUPするのは止めました。有名は場所ではなく本当に拙宅の近所でふらっと行ける花の場所だけ(だけです)を投稿することにしました。ネタはメールに添付したものをベースにしています。鉄鈍爺、1900生さますんません。

クローバー会の三江線ツアーでサクラを愛でた方も、参加できていない諸兄も、縁がなかった鉄ちゃんも、もう1回、いやズボラしてサクラを愛でようとする輩は参考にしてください。桜車窓

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【69671】ニーナにも会っていました(原色狂艶の付録コネタ)

コメントが物凄いことになっているEF66の原色狂艶?について、発信元の 鉄鈍爺さま、1900生さまのコメントに感動して、お二人にはコネタメールを送受信しておりました。が、ことここに至っては「そんなに原色が珍しいんかい?」との主旨のコメントもあり、いろんな薀蓄が飛び回っております。

確かに、そうで、 鉄鈍爺さまからは、「こんなん、なんぼでもあったで」という同じ主旨ご返事をもらいました。せっかく、仕事で行ったときに、タマタマ遭遇して喜んでいるのに、フン!というような感じでありますが、確かにフン!と思います。こんなのは掃いて捨てるほどありましたし、DD51なんかは見向きもせず、また、来やがった程度の扱いをうけていました。

その類のコネタです。

1つ目。ニーナ。

少し古い話です。2014年7月1日8時1分ころ、平塚東側の相模川橋梁でニーナを捕らえています。このときは、小田原に仕事で小田原で泊まれば良いのですが、朝のライナーを撮ろうと思って平塚に泊まり、早朝からここにおりました。ニーナなんてその時はどうでも良く、さっさと撮って仕事に行かないと9時の打合せに間に合いません。

そこで暑い中、アルマジロみたいな踊り子のアルバイト運用を横から
撮っておりますと、すれ違いにいきなり飛び出してきたものです。
あのニーナです(縮小して見えない?撮影者が言うからええでないの!)
気を良くして仕事に行きました。仕事ぎりぎりの時間やけど、このときはまだ、早く歩けました。朝だったけど暑くて川から駅まで結構遠かったなあ。写真は飛び出す瞬間で大慌てした時のもの。続きは撮らなあかんと多くを考えずシャッタを切ったただ1枚のニーナです。EF66が飛出して来た 記事の続きを読む


【69654】ここにもサヨナラがありましたヨ(2代目スカイライナー)

KAWANAKAです。

北海道新幹線開業を控え、あちこちでサヨナラ特集が組まれ、我がデジ青にも写真や記事が紹介されております。関東におればデジ青の興味の対象になり難いのでしょうが、拙宅の近所ではそれなりに、サヨナラが近づいてくるたびに少しづつ関心がもたれてきたようです。サヨナラがあるのは、あまりにも流行らんで回送状態で走る特急に成り下がってきたためですが、わずか車齢20年余り、跡形もなくなってしまうことに、我が近隣の住民はそれなりに嘆き悲しんだ?のでありました。列車の名は京成電鉄AE100、俗名2代目スカイライナー(晩年はシティーライナー)であります。

実際に定期運行が廃止になったのは昨年11月末(だったかな)、ラストランは2月の末に行われました。その歴史を語るのは、色々な資料に出ているのでしませんが1990年の6月に運行を開始して以来20年間、晩年の2010年からは3代目スカイライナーの登場により、船橋廻りのシティーライナーとして細々生き残っておりました。最後は成田止まりになって、やけくそで船橋停車にしてもまあ乗る人は殆どいないだろうと思ったとおりの状態になりました。売るに売るところもない、かつての初代のようにパーツを流用することも、それほど困窮していないのでスクラップになってしまうのでしょう。JRのNEXと比べれば、都落ちして化粧直しして特急として活躍しているのに比べると20年の生涯、可哀想でなりませんね。

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