スクラップブック 事件・事故編・第9回

ここで少し災害ではない事件・事故をご覧頂きます。

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⇩上の事故とはちがいますが、似た事故が多発していたのですね。キハ10系。

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⇩この事故は特急「ひびき」の窓が開けられたことで発生した事象であります。当時157系は非冷房で窓が下降式で開けられました。不心得者がその窓から空き瓶か何かを線路に投げ捨てたのが運悪く対向車に当たったものです。157系は、この年から冷房か工事が始まっており、当該車両が未施工だったのではと思います。

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この後に大事故が発生します。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~33~

2008年1月19日 紀州鉄道へ

取材の依頼で、紀州鉄道へ行ったことがありました。いまも発行されている「50代からの旅と暮らし発見マガジン」がキャッチの月刊誌で、創刊まもない頃、まだ編集体制が手探りの時期で、私のような人間にも声が掛かりました。「春を探して、身近なローカル線散歩」が与えられたテーマ、関西圏からの日帰り先として、選んだのが紀州鉄道と御坊市内の街散歩でした。雑誌のテーマどおり、春を思わせる日差しに誘われるように、カーブの向こうから列車が現れた。この時の車両はキハ603、大分交通から移って来た同番号車で、耶馬渓線で使われていたが、同線の廃止で紀州鉄道に来た。この時は、金土日は収容力の大きいキハ603、そのほかの平日は、北条鉄道から来たレールバスのキテツ1が使われていた。

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スクラップブック 事件・事故編・第8回

昭和38年(1963年)は鉄道史上希有な年となりました。
三河島事故の記憶も真新しいのに大きな事故が続きました。
多難な昭和38年の幕開きです。
因みに私はこの年高校三年生です。

この年最初に起こった大事件は、世に言う「38豪雪」です。
沖中さんも勤務地の北陸で閉じ込められたと言っていました。

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 西のC59・C62全記録  (8)

昭和43年3月 再び安登へ 

広島機関区でC59・C62の形式写真を撮影して、広島10:36発の糸崎行きに乗車、呉線の撮影に向かいました。この頃になると、鉄道雑誌の撮影地ガイドにもたびたび呉線が登場するようになります。新規の撮影地へも行きたいところですが、往きに寄った安登付近に再び行くことにして、その際に撮れなかったリベンジ撮影としました。往きに紹介したカットと、ほぼ同じようなシーンばかり続きますが、“全記録”として、ご了承ください。広島から、呉線に乗って安登へ向かった。乗車列車が呉に到着すると、17分の停車アナウンスがあり、ホームの先頭に行ってみる。3番ホームには上り、貨物も待機するなか、下り「安芸」の到着だ。やって来たのは、常磐線から転属したばかりのC6246で、さっそく急行を牽いての登板だった。C62以上に興味深いのは、次位に側面総シャッターの荷物車、三軸ボギーのカニ38が連結されていること。昭和34年に、マロネフ37を種車として、手小荷物をパレットごと搭載できる試作車として誕生した一形式一両、翌年の昭和44年には救援車スエ38に改造されるが、この時期は「安芸」専用のように連結されていた。そして、続く編成にはオロネ10が2両も連結されている。まだ等級制の時代だから、“一等寝台”となる。黒いC62+茶色の3軸荷物車+黄緑帯を巻いた青色の一等寝台2両‥の編成は、当時、数多く走っていた急行列車のなかでも、「安芸」だけに見られた異色の豪華編成だった。▲▲現在の呉駅同一地点、周囲は大きな建物に囲まれてしまった。 続きを読む

 西のC59・C62全記録  (7)

 広島で常磐線のC62と再会  昭和42年3月

では、通常投稿に戻ります。高齢者の脳の活性化には、昔話が一番、今年も性懲りなく昔話を続けます。さて、前回(6)のC59、C62の記録は、昭和43年3月、高校3年生の終わり、北九州へ撮影に行く際に写したものでした。今回は、その北九州からの帰り、初めて広島機関区へ寄った時の記録です。前回、書き漏らしましたが、この昭和43年に、呉線のC62に大きな変化が起こりました。前年の昭和42年10月、常磐線の平~岩沼の電化完成により、平機関区で使われていたC62のうち、状態の良い5両が糸崎機関区へ転属、それに対応する糸崎区の5両が廃車と、半数の顔ぶれが入れ替わりました。

「ゆうづる」牽引で有名だったC6223、平区のC62のなかで特に状態が良く、特急「ゆうづる」の専用機のようにして常磐線仙台~平で使われた。私の唯一の「ゆうづる」撮影も23号機だった。同線の電化後、昭和42年10月に糸崎区に転属した。前の年に“東”で見た同機が、翌年には“西”へ来ていて、人生になぞらえた蒸機の一生を思ったものだった。

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DF50の思い出写真(9)土讃線・予讃線 

世界の恐ろしい戦争に加えて新年早々いろいろな悲しいニュースが飛び込んできた。さらに政治の世界はどうなっているのか嫌な年のスタートとなった。この様な中で正月もあっという間に1週間が過ぎてしまった。デジ青もなかなか気分的に進まないが、私のヘボシリーズが残っているのでこれを片付けないといけないと思いDF50の思い出写真シリーズを始める。

今回は四国のささやかな思い出である。確か快速つくばねさんからご指摘があったかと思うが、当時の時刻表には土讃本線、予算本線とあるが、最近の時刻表にはなし表示であることを確認しそれに従った。

1977.8.27  松山から高知までバスで山越えし、南国土佐の高知駅12時41分発のDF50517[高知]牽引226列車高松行きの最後部オハフ332392四コチに乗車。メモにはこの日は酷暑とあるがDF50の正面貫通ドアはだらしなく開けっ放しで男前台無しである。このDF50517~520は1958年新製当初から四国に配置され78~79年の廃車まで基本的に高知区から他区へ出ることがなかったのも珍しい。▼

DF50517を再度撮ろうと思い土佐山田でキハ58128の急行「あしずり3号」に乗り換え大歩危で降りて追い抜いた226列車を山間部で待つも現れたのはまたドア開けっ放しのだらしない姿のまま。諦めて次の急行「土佐5号」で阿波池田に向った。夕方の225列車高松発高知行きDF5012[高松]を撮影。この日は阿波池田で泊まった。▼ 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part11 新竹からの帰国

第10日目 12月7日

今日は帰宅するだけの行程です。いつもは高雄から直接関空経由、または北海道や九州に東京経由で向かっていましたが今回は久しぶりに台北の桃園空港から関空経由です。
宿泊しています新竹から桃園空港へは、鉄路で行くなら下記等々のルートがあります。

① 新竹(在来線)⇒高鐵新竹(新幹線)⇒桃園(空港MRT)⇒桃園空港
② 新竹(在来線)⇒台北(空港MRT)⇒桃園空港
③ 新竹(在来線)⇒中壢(徒歩)⇒老街渓(空港MRT)⇒桃園空港

▲ ちょっと悩みましたが①と②は既に乗車していますルートです。③は多分、一番時間がかかるルートですが、今回は時間に余裕がありますので桃園MRTの未乗車区間も残る③を選ぶことにしました。 続きを読む

今年、やります! 第10回写真展 

 DEFCクローバー会の最大のイベントの一つ。写真展を今年の3月に開催。場所は花の都の京都は四条通り祇園にある「西利ぎゃらりい」で。

 ところで、

 クローバー会会員諸氏に告ぐ!貴殿のこれでどや!という「どや顔写真」を・・・皆さんの応募をお待ちしていますぞ!

 どんな写真でもいいの?という声が聞こえてきそうだが、そう、公序良俗に反していなければよし!とりあえずは「鉄路輝く」と「まちとまちをつなぐローカルな鉄道」というテーマで。まあ、ちょっと二番目のテーマはわかりにくいが、このように考えてみたらどうだろうか。「ローカルな鉄道」は人間の体で例えると毛細血管のような鉄道。太い動脈があっても毛細血管がないと人間の体の維持ができないのだ。そのようなイメージでこのテーマを考えれば何のことはない。撮りためた写真から、また最新作までどんどん応募を。特に新作をお待ちしておりますぞ!

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 阪堺電車に詣でる ~路面電車あれこれ噺⑧

「デジ青」読者の皆様、新しい年もお健やかにお迎えのことと思います。正月早々、地震・事故で、気も滅入りますが、今年も、外へ出て大いに写し、昔話もたっぷりして投稿に励みます。今年も、 事始めは 阪堺線としました。正月に必ず阪堺線に行かれていた沖中忠順さんの思いを引き継ぎ、初めて阪堺線に行ったのが2010年で、路面電車を見直す契機ともなりました。以来、ほとんどの正月に、阪堺線を訪れるようになりましたが、少しずつ変化していく初詣風景や車両に、時代の推移を感じました。

明るいうちは、住吉、大和川、浜寺で撮り、暮れて来ると、いちばん手軽なブルーモーメントスポットの「松虫」へ寄ってみた。あべのハルカスをバックに、停留場の佇まいと堺トラムの組み合わせとした。

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芸備線の行く末はいかに・・・

デジ青読者の皆様、明けましておめでとうございます。新年早々、能登、羽田、小倉と惨事が続いていて、遠く離れているとは言え 何だか落着かない新年です。こちらは穏やかな新年を迎えた広島ではありますが、鉄道の世界では芸備線の行く末に注目が集まっています。従来、ローカル線の存続は地元自治体と鉄道事業者との協議で存廃が決まってきましたが、初めて国が加わった3者で芸備線の行く末についての議論が始まります。中国新聞は以前から「鉄路のあす」と題した特集記事を不定期で連載していますが、この度の元旦朝刊では2面を割いた特集記事が掲載されましたので、ご紹介致します。広い紙面なので、8分割でスキャンしました。重複部分も多いのですが悪しからず。では本年もよろしくお願い致します。

令和6年1月1日 中国新聞朝刊(以下すべて同紙)

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癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part10 花蓮⇒新竹

皆様、あけましておめでとうございます。年末は正月準備で何かと忙しいものです。医療に従事する子供たちが珍しく正月に休みが取れたと来ますので美味しいお雑煮を食べさせたいと絶品の出汁を取って歓待、午後4時過ぎにようやく親の務めを終えたと旅日記を再開しましたらグラグラと大きく揺れ出します。TVでは能登で地震発生と番組が代わってしまいました。京都でこの揺れでしたので現地では相当だと思えます。見入ってしまいました。

能登には忘れえぬ思い出があります。丁度20歳を迎える誕生日が近付いた日、何か記念に残ることをしたいと、行ってみたいと思っていました能登の突端「禄剛埼灯台」へ向けて京都三条大橋から歩き始めました。距離は約400㌔、徒歩だと10日以上はかかります。雨の降る日もありましたが旅の途中での地元の方々との触れ合いもあって記憶に残る楽しい二十歳の旅ができました。
そんな思いで残る能登の街が大きな地震に見舞われて悲惨な状況になっています。まだまだ被災全容が不明ですが復旧への支援が早急に行われますように祈るばかりです。 続きを読む

とさでん交通近況

魚梁瀬森林鉄道跡訪問記と土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の乗り鉄記をご紹介しましたが、旅の最後に後免町から高知市内までお世話になったとさでん交通について簡単にご紹介します。とさでん交通の路線は十字型をなしていて、縦の路線が桟橋線、クロスポイントが「はりまや橋」、はりまや橋から西に向かって伊野線、東に向かった後免線と、非常にわかりやすい路線です。3路線の合計距離が25.3Kmで、現在では国内で最も長い営業距離の路面電車だそうです。広電は市内線が19.0Km、宮島線が16.1Kmと合計するととさでんより長いのですが、併用軌道の路面電車では最長です。

さて今回は、後免町から高知市内までと桟橋線に乗車し、伊野線の大半は未乗車で高知をあとにしましたが、車両も多様で、また訪ねてみたい路線でした。

令和5年12月2日 とさでん後免町停留所の様子  電車が止まっていないのでわかりにくいですが単線の終端駅

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~32~

大みそか 日常の阪急電車を記録する

前回も書きましたが、過去には、年末年始も、よく撮影に出掛けたものでした。試しに「2006-12-31 阪神 阪急」と記された保存フォルダーを見てみました。2006年は、初めてデジカメ一眼を購入した年で、この日は朝暗いうちから動き出して夕方までフルに撮影しました。その後、17年が経っても内容をほとんど見ることなく、撮影データは眠ったままでした。今回、見直すと、今となっては貴重な記録が残されていることとが分かり、日常の当たり前の記録が、鉄道趣味活動の原点であることを改めて思うのでありました。この歳になって、日常の記録を忘れかけている自分への励ましとして、ことし最後の投稿としました(以下、平成18(2006)年12月31日)。この年の10月、阪急と阪神が経営統合して阪急阪神ホールディングスとなり、その記念の一日乗車券が発売されていて、それを使って、朝暗いうちから夕方まで、阪急電車の撮影を続けた。この年の最後を締めくくるイメージとしては、やはり夕陽バックしかないと思い、淀川鉄橋で、大みそかの仕上げとした。

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癒しの島 台湾鉄道2023年初冬の旅 Part9 高雄LRT再訪

第8日目 12月5日
① 巨蚕 8:40(高雄MRT)⇒8:42 凹
子底

今日は前回初めて撮った高雄LRTの撮影は満足できるものではありませんでしたのでリベンジです。
6:30 早朝起床でいつものようにホテル周辺で朝飯屋台を探します。メニューはワンタンメンとしました。
ゆっくりとした後はMRT駅へ向かい次の子底站で下車して高雄LRTに乗り換えです。
▲ 8:40 MTRからLRTへの乗換は少し距離がありますが徒歩5分です。ラッシュ時ですのでそこそこの乗換客はありそうです。

MTRとLRTの站名が異なるのは他の乗換駅と同様です。
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駅名喫茶店(第100回:永久保存版?読み方は同じだが表記が異なる駅名)

デジ青読者の皆様、本年も大変お世話になりました。記念すべき第100回は、そこそこまともなメニューをご用意できました。ですが、実のところ試作品段階です。抜け落ちがあるかと思いますので、ぜひご教示ください。

それでは、2024年も駅名喫茶店でお会いしましょう。

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駅名喫茶店(第99回:アル・プラザの最寄り駅名)

企業シリーズ第2弾は、滋賀県民ならば誰でもご存知であろう(株)平和堂のアル・プラザです。何かと便利な商業施設ですよね。一部、駅から徒歩では厳しい店舗もありますが、駅からアクセスしやすいのがよいです。

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~31~

年末の青森で583系三昧

ほぼ同月同日シリーズに戻ります。世間で言えば、年末年始の休暇に入っています。私の会社時代、年末は徹夜も厭わぬ猛烈な忙しさが続きましたが、それでも最終日は会社で終業式があって、全員で一献やって仕事終了、そのあと同僚と深夜まで打ち上げと、いかにも、その時代らしい年末でした。それでも翌日は、朝早くから撮影旅行に出かける年もあって、今では考えられないようなエネルギッシュな活動をしていたなと思います。同月同日シリーズ、年末年始の記録を探しました。

平成9(1997)年は青森まで出掛けた。新幹線は盛岡までで、盛岡~青森・函館の新幹線リレーに583系「はつかり」などが走り、年末は臨時も多い。隠れ581系ファンの私は逃す手はない。朝の青森駅には583系があふれ、在来線特急列車の最後のシーンを見せていた。

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土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のぞき見

魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるために、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に初めて乗車しました。後免から安芸までの1往復乗車だけの記録ですから貧弱な内容ですが、これから訪ねようとされている方の参考になればと、ご紹介致します。

土讃線の後免駅で南風3号から降りたのは、我々夫婦の他には2~3人でした。くろしお鉄道の始発駅ですから、乗換え客を含めて多くの人が降りるのかと思っていましたが意外でした。ホームの端で出迎えてくれたのは「ごめんえきお君」でした。

後免駅の「ごめんえきお君」  令和5年12月2h

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