早稲田 夏休みの学生街
都電時代の対比、つぎは「早稲田」。いまも走る都電荒川線の終点ですが、当時は近くに早稲田車庫があって、系統が発着する都電の要衝地点でした。いまは終端ターミナルですが、当時は江戸川橋方面にも路線がスルーしていました(昭和43年8月撮影)。
「早稲田」定点対比① ▲「早稲田」電停前。両側には古びた仕舞屋が軒を連ねていた。この15系統(高田馬場~茅場町)が翌9月になくなると聞き、都電(6)で紹介の高田馬場に続いてやってきた。ビリヤード、麻雀と学生街らしい店舗も見られるが、夏休みとあって、静かな東京の下町の風情が漂っていた。▲▲現在の「早稲田」は、終端式の行き止まりとなって、日中でも多くの乗降がある。両側の街並みは再開発の波に飲み込まれ、広い新目白通りとなり、全く対比ができない。都電は江戸川橋方面はなくなったが、早稲田を始終発とする32系統は専用軌道が多いことから、奇跡的に生き残って、別の27系統と合体して、現在でも見られる荒川線(三ノ輪橋~早稲田)となる。
▲先頭は824号機 バンコクホワランポーン駅
▲喜多山検車区 2004年10月1日


▲バンコクホワランポーン駅の構内
▲朝の2等寝台
▲スラターニーへ向かうバス停の切符売り場
▲KL中央駅 KTMコミューター(普通列車)の改札口

▲EG9420列車、特急用のクラス93の車内。車幅は少しタイトか。
▲スタートは、シンガポール鉄板の観光スポットから

