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【1275】八瀬のこと
 総本家・青信号特派員  - 08/4/16(水) 23:24 -
  
【1721】の藤本さんの故大西顧問の話、たいへん懐かしい思いで読ませてもらいました。ホントに北白川のお宅にはよく行きましたね。
あつかましくも、夕食までいただきながら夜遅くまで話し込んだものです。でも大西さんはイヤな顔せず、いつもニコニコ応対していただきました。
考えたら、私が最後に大西さんに会ったのは京阪鴨東線開業の日。奇しくも昨日、京阪中之島線の開業日とダイヤがリリースされました。あれから20年が経ちました。
それともうひとつ、以前の古写真の考証で、京福四条大宮駅の看板「新世紀京都博」に着目されたこと、さすがの慧眼だと感嘆しました。確かに私も八瀬まで博覧会を見に行った記憶があります。各地でこのような博覧会が盛んに行われていた時代でした。そう思い、アルバムを見ていたら、新世紀博に展示されていたSLの写真が出てきました(写真1)。小田原−熱海間を結んでいた熱海鉄道の7号機で、その当時、鷹取工場に保存されていたもので、現在では熱海駅前に保存展示されています。
このころの八瀬は線路沿いに桜のトンネルが続いていました。博覧会場から眺める高野川を渡る叡電は一服の絵でした(写真2)。電車はデナ1型3+4の固定2両編成で、まだ木造車が幅を利かせていました。写真の日付を見ると昭和39年4月となっていました。藤本さんの記述と少し違いますので、なお考証を続けます。
この八瀬改め八瀬比叡山口へ、先ごろ澤村、井原、津田の各氏と桜の撮影に行き、久しぶりに仲間と写真を撮りながら旧交を暖めました(写真3)。ところが、博覧会跡地は大型のリゾートホテルになり、桜も伐採されてほとんど姿を消し、とてもトンネルとは言えない状況です。おまけに線路沿いに駆け上がって写真を撮ろうとすると、遠くから監視していた駅員に怒鳴られ、すっかり様変わりした叡電に驚いたり納得したりの一日でした。

添付画像
【写真1 熱海鉄道のSL.jpg : 32.0KB】

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【写真2 八瀬を行く木造車.jpg : 43.0KB】

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【写真3 八瀬比叡山口.jpg : 405.3KB】
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【1274】桜満開 山陰本線
 米っ子便り  - 08/4/16(水) 21:03 -
  
先週でしたが、ようやく山陰にも桜前線到来です。
特に荒島、玉造温泉付近は最高でした。
ご覧下さい。

添付画像
【来待_やくも.jpg : 283.2KB】

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【玉造温泉_スーパーおき.jpg : 301.4KB】

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【荒島_快速アクアライナー.jpg : 272.6KB】

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【荒島_115系.jpg : 283.2KB】

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【荒島_まつかぜ.jpg : 323.1KB】
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・名前 : 荒島_115系.jpg
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・名前 : 荒島_まつかぜ.jpg
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【1273】桜満開 木次線
 米っ子便り  - 08/4/16(水) 20:59 -
  
木次線です。
高地は、今週あたりが見ごろと聞きます。

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【宍道2.jpg : 0.6MB】

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【宍道1.jpg : 422.6KB】

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【加茂中.jpg : 378.0KB】

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【木次.jpg : 361.9KB】
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【1272】Re:4/19号週刊東洋経済
 乙訓の老人 E-MAIL  - 08/4/16(水) 19:59 -
  
▼893-2さん:
>一瞬立寄った本屋で首記雑誌に目が行き少し立ち読みをしました。
>「鉄道革命」という題名だったと思いますがICEやTGVにユーロスター
>などの欧州鉄道のことや、シベリア鉄道の復権、CLB、貫通すれば世界最長
>鉄道トンネルになるスイスアルプストンネル、日本ではトヨタの
>ロングパスエクスプレスや佐川のSRC、先日西村雅幸先輩の投稿写真に
>あったドバイの地下鉄車輌の記事などまだまだ盛りだくさんな内容で
>思わず時間を過ごしそうになりました。マニアの記事などもあるようでしたが
>興味があればご一読されては如何でしょうか?結構内容は濃かったです。
>下記URLで内容がわかると思います。
>http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/
良い雑誌を紹介していただき、ありがとう。帰路、西院へバックして670円で買いました。西向日までの12分、見出し読みだけですが、これは面白い。日頃われわれが喚いていること、懸念していることがずらりで、鉄道が生き残っている国の住人は購読して欲しい。とにかく売り切れない内に突進せよ!
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【1271】少し前の東武鉄道
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/4/16(水) 0:15 -
  
 関西に住んでいると、関東の私鉄に目を向ける機会は少ないが、現役時代から何故か東武鉄道だけには興味があり何回か訪れたことがある。恐らくモハ3200系に代表される東武タイプと呼ばれる車両、長距離運行の快速、準急、蒸機こそ無くなっていたが電機の引く貨物列車、荷電等のバラエティーが魅力だったのかも知れない。

故大西顧問は東武の蒸機に非常に興味を持っておられ、たびたび8mm撮影に行っておられ、福田君とお宅にお邪魔した時よくお話をお聞きした。「鉄道ファン」に館林で大西顧問に誘われ、タクシーに便乗して蒸機を撮影した高校生の投稿が掲載されたことがあった。我々と同じ団塊世代の方で今も元気にされているだろうか。

大西顧問宅で思い出すのは、庭に江若「をごとおんせん」の駅名板があったこと、市電のDB1のコントローラーがあったこと、トイレの電気が市電500形一次車のものであったこと、いつも朝10時頃お邪魔をし、昼食、夕食をご馳走になり、帰りは銀閣寺道電停を23時20分頃通過する臨時九条車庫行であったこと等である。
当掲示板の盛況振りを、あの世でご覧になり、さぞお喜びであろうと思われる。

東京に転勤になったとき、最初は亀有の寮に入ったが、結婚する時、公団事務所に空家探しに行ったところ、当時空きがあったのは北春日部団地だけ、しかも「どこでも好きな部屋にどうぞ」と言われた。東武沿線で始発電車があるので良いだろうと思って現地を見に行ったところ、駅前には民家が数軒あるだけ、畑の中を10数分程歩くと団地が現れたが、まわりに商店らしきものは全く無し。これはダメだと思って今住んでいる金町のアパートにした。

群馬、栃木方面は、上野に行くより北千住の方が近く、JRに比べて運賃が格段に安いこと、日光、尾瀬方面に行く時は便利なこともありよく利用するが、日光線快速の大部分が東武動物公園以遠各駅停車の区間快速に変更、伊勢崎線の太田まで主要駅のみ停車のA準急がなくなったこと等、特別料金不要の速達列車の廃止は遺憾に思う。

(1)地下鉄日比谷線乗り入れ車 モハ2100  昭和43年4月7日 北千住

(2)モハ3233 昭和45年9月15日  鐘ヶ淵
昭和3年 日車製 この車は昭和30年に扉間クロスシートに改造され、主に宇都宮準急に使用されていた。

(3)モハ5800   昭和43年4月7日  西新井
昭和26年日車製で、クハ550として誕生したが、翌27年にM化した。扉間クロスシートで主に日光線快速に使用されていたが、この日は大師線に運用は入っていた。

(4)モ二1471   昭和43年4月7日  西新井
大正14年日車製で、クハ1形として登場、昭和12年にM化、昭和39年に荷電に改造された。

(5)ED5021   昭和43年4月7日  西新井
ED5010形で昭和32年日立製、5011〜5024まで14両在籍した。約40年前の西新井駅であるが、のんびりとした雰囲気の構内や跨線橋等を見ていると、とても東京23区内の駅とは思えない。また、15年後に北千住、西新井と同じ足立区に住むとは夢にも思わなかった。

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【モハ2100.jpg : 264.5KB】

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【モハ3233.jpg : 412.3KB】

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【ED5021.jpg : 0.7MB】
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【1270】4/19号週刊東洋経済
 893-2  - 08/4/15(火) 23:28 -
  
一瞬立寄った本屋で首記雑誌に目が行き少し立ち読みをしました。
「鉄道革命」という題名だったと思いますがICEやTGVにユーロスター
などの欧州鉄道のことや、シベリア鉄道の復権、CLB、貫通すれば世界最長
鉄道トンネルになるスイスアルプストンネル、日本ではトヨタの
ロングパスエクスプレスや佐川のSRC、先日西村雅幸先輩の投稿写真に
あったドバイの地下鉄車輌の記事などまだまだ盛りだくさんな内容で
思わず時間を過ごしそうになりました。マニアの記事などもあるようでしたが
興味があればご一読されては如何でしょうか?結構内容は濃かったです。
下記URLで内容がわかると思います。
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/

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【IMG_4577.jpg : 287.7KB】

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【IMG_4556.jpg : 280.7KB】
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【1269】昭和レトロ電車、鉄道各社で復活相次ぐ
 元祖青信号編集部  - 08/4/15(火) 15:24 -
  
 知らない世代も懐かしい!? 配信元:iza15:09更新

“鉄ちゃん”“鉄子”と呼ばれる鉄道ファンだけでなく、「昭和」に懐かしさを感じる人たちにも注目してもらおうと、鉄道各社でかつて活躍した電車の復活が相次いでいる。現在の車両に往時のカラーをラッピングするなど工夫を凝らしている。当時を知らない世代にとっても、レトロが逆に新しいものとして感じられるようだ。(門倉千賀子)

 ◆記憶でたどった色

 “赤い電車”でおなじみの京浜急行電鉄は、創立110周年を迎えた2月、大正から昭和にかけて活躍した車両をイメージした「ラッピング列車」2編成を通常の普通電車として運行を始めた。エンジ色や黄色など普段見られない姿は、若者や子供にも好評だ。

 ただ、現役時代を知る乗客などから「実際の色と違うのでは」との声も。実は、1924年から65年に運行したエンジ色の「51形」の写真は白黒のみで、関係者の記憶をたどって色彩を再現したためだ。

★だれかカラー写真を持っていれば公開して下さい。(編集部)

 ◆座席や吊革も復元

 東京メトロは、若手技術者の教育の一環として、61〜94年に日比谷線を走ったステンレスカー「3000系」を復元した。電子化が進んだ最新車両では隠されている動力制御装置が目で見える構造で、鉄道のシステムを理解する良い教材なのだ。

 94年に長野電鉄に譲渡した1、2号車が、昨年1月に東京メトロに帰還。若手整備士9人のチームが、かつて整備を担当していた先輩技術者の指導を受けながら、長電仕様だった車内外の塗装や運転設備を細部まで日比谷線時代のオリジナルに戻した。

 座席は特注。量販店で材料を買い、車内の化粧板を手作りする徹底ぶりだ。留岡正男設計課長は「常にマニュアル通りであることを求められる若手が、こうした作業をしたことで、通常外の事態への対応能力が培えた」とプロジェクトの成果を語る。

 今後も、外観のほか、乗客が手前に引っ張って使っていた独特の吊手(吊革)などの復元を進め、中堅技術者の研修にも活用する。

★そういえばどこのだったか、竹製の三角形のつり革(竹?)を見たことがありました。

 ◆だんごっ鼻「0系」

 最新の「N700系」など種類が増えた新幹線の車両。しかし、アイボリーに青のライン、だんごっ鼻の初代「0系」を思い浮かべる人も多いはず。東京オリンピックの64年、世界最速の「夢の超特急」列車として運行を始め、高度経済成長のシンボルとなった。

 この「0系」が年内にも、新幹線から姿を消すことになり、注目度が一気に高まっている。すでに東海道区間からは姿を消し、6編成が山陽区間を「こだま」として走るのみ。しかも、グリーンのラインの塗装で往時の面影はない。JR西日本は、ラストを迎えるのを前に3編成を、開業当時のカラーに変更。18日から順次走らせる。

 引退を惜しむファンが殺到するのは必至。旅行業界も「レジャーブームの象徴でもある0系の乗車を組み込み、ノスタルジーを感じてもらえるようなツアーを作りたい」と意欲満々だ。
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【1268】一畑電鉄デハニ50形『菜の花電車』走る
 米っ子便り  - 08/4/14(月) 23:25 -
  
4月13日にNPO法人『菜の花鉄道をつくる会』の主催による『菜の花鉄道まつり』が、一畑電鉄の一畑口駅で開催されました。

何と、現役電車としては最古を誇るデハニ52+デハニ53の重連による特別電車が、一畑口駅〜雲州平田駅を4往復もします。一畑電車に乗って一畑口駅まで行くと、特別電車に乗車できるチケットと、イベント会場の割引飲食券200円もいただけるとの近頃では聞いたことのない大サービスです。これは、行かやきゃ損と行って参りました。

デハニ50形に乗車するのは初めてです。お座席電車に改装された車内は、沿線に住まれる家族連れで満席。普段はがら透きの電車ですが、それでも親しまれている事はよく分かりました。

車中から見る車窓は、鉄ちゃんが大勢います。追走する車には関西ナンバーもいました。
14:00が最終電車でしたが、その後に松江しんじ湖温泉までの貸切運行もあるということを現地ファンから聞き、予定を変更して、最後まで撮り続けました。

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【菜の花電車.jpg : 274.1KB】

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【車内等.jpg : 273.9KB】

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【築地松とデハ50.jpg : 293.7KB】

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【桃や桜も満開.jpg : 374.3KB】

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【これぞ菜の花電車.jpg : 340.3KB】
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【1267】老人の友 その8
 総本家・青信号編集部  - 08/4/14(月) 15:20 -
  
いよいよ「老人の友」も終わりが近づきました。
今回はやはり中村進一氏の撮影で京都駅周辺です。国鉄で通っていた方々には懐かしい風景があるのでは?
薀蓄を含めて想い出など書いて下さい。
なお、中村進一氏の作品は福田静二氏、沖中忠順氏の作品とともに京都地下鉄御池駅ギャラリーにて展示中です。

添付画像
【京都駅1.jpg : 305.6KB】

添付画像
【京都駅2.jpg : 290.0KB】

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【京都駅3.jpg : 263.7KB】

添付画像
【京都駅前.jpg : 247.9KB】

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【京都駅前2.jpg : 242.9KB】
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【1266】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-20
 湯口 徹  - 08/4/13(日) 11:19 -
  
TPC=Transports publics du Chablais その5−ASD-2

先回記したように、ASDはALと違いエイグル旧市街を避け、谷筋の違う山に向かう。その途中の路面併用線路区間はやっぱり狭く、それでも駐車スペースが区画してあって、車が止まっていれば軌道面に入らなければ抜けられない個所も少なくないのは、旧市街と大差がない。

パンフにはエイグル駅付近に300台分の駐車スペースがあって、1日6スイスフランとある。よく調べなかったが、どこかで駐車券を発券、あるいはホテル等で販売しているのだろう。観光国家ならでは。

ラックではなく粘着で60‰の勾配とかなりの旧カーブを重ね、ぶどう畑(水はけのためほぼ急斜面である)を過ぎ、山に入る。最終地点ラ・ディアブレレとは悪魔(複数)の意味だそうで、標高は1,150m。

別段観光地でも何でもない村のようだが、ここからさらにリフトがある。村に立ち寄った格好の道路は州境を越えて以前MOBで紹介した高級観光地 Gstaad に抜ける。

エイグルから終点まで22.4km。あたかも栃尾電鉄上見附のように、途中でル・セペにスイッチバックで入り込み、また戻るから48分を要している。6時〜21時までほぼ60分毎、ただしエイグル発は19、20時台が、レ・ディアブレレ発は19時台がない。

ついでながらALは1時間毎は同じだが、5時〜23時台に走行。但し早朝、深夜はエイグル旧市街を外れた Aigle-Depot AL から終点 Leysin-Grand-Hotel の一つ手前の Leysin-feydey 間の運行で、これは観光客でなく地元民のためであることを示している。

これもパンフによれば、ASD運賃は全線大人10.4スイスフランとあり、こっちはスイスパスだから一向に気にしなくてすむが、結構高いのは観光客対象の設定である。地元民にはそれはそれは手厚い各種の割引制度があって、安く乗っているはずである。

「山から下りた電車」はエイグル町外れの車両基地=停留場である。右端に先回ご覧頂いた全身に青基調の絵を描いた古い電車が見える。

添付画像
【エイグル町外れ.jpg : 322.4KB】

添付画像
【駐車指定.jpg : 341.6KB】

添付画像
【ぶどう畑を上る.jpg : 326.7KB】

添付画像
【ディアブレレで.jpg : 345.0KB】

添付画像
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【1265】通勤の車窓 今昔 −5−
 総本家・青信号特派員  - 08/4/12(土) 22:52 -
  
◎北浜
証券のまち、北浜である。以前、会社が北浜にあった時代は、毎日京阪に乗って通っていた。その頃の北浜は活気があったなぁ。地場の証券会社が軒を連ね、北浜のシンボル、証券取引所では、何回も場立ちが行われていた。そのたびに近くの証券会社から、青い制服を着た証券マンが北浜のまちにあふれた。
その証券取引所も前のファサードだけを残して平成16年に新しい建物になり、場立ちもなくなった。大証の地位も低下し、大阪の地盤沈下の縮図を見る思いがする。地場の証券会社も統廃合されて姿を消してしまった。
その当時、一日2回は油を売っていた、なじみの喫茶店も今は見当たらない。ところが以前、北浜で営業していた喫茶店とまったく同じ名前・ロゴの喫茶店を名古屋駅前の地下街で見つけ、懐かしさのあまり思わず入ってしまった。お店の方に聞くとやはり以前は北浜で営業していたとのことで、久しぶりにその店の特徴である、普通のコーヒーでも、アメリカンよりもさらに薄いコーヒーを味わったものだ。
写真1・2は、北浜二丁目交差点の今昔。市電は、昭和41年に消え、土佐堀通りには京阪が地下で、堺筋には地下鉄堺筋線が開通し、地上の交通機関はバスへと変わった。
もうひとつ、北浜のシンボルに三越があった。かつて堺筋は大阪随一のメインストリートで、百貨店が多く集まっていた。その後、他の地域へ移転したあとも三越だけはその暖簾を誇るべく北浜に残っていた。ところが、阪神大震災で建物が損傷し、その後取り壊されてしまった。そのあとは仮店舗で細々と営業を続けていたが、ついに大阪駅北に新築移転することになり、平成17年に北浜から三越の名前も消えた。その跡地は現在、「日本一高い」を謳い文句に高層マンションが建設されている。写真3は三越前を行く大阪市バス。この堺筋を走る市バス4号系統も昭和58年3月に廃止されて「高麗橋」などのバス停が消えた。
株と百貨店という、二つの顔を持った北浜も、その両方が消えて今はすっかり静かになってしまった。

添付画像
【写真1 市電時代の北浜.jpg : 88.0KB】

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【写真2 北浜二丁目.jpg : 170.6KB】

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【写真3 三越前の市バス.jpg : 257.5KB】
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【1264】京阪石坂線の3線区間
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/4/12(土) 0:49 -
  
【1238】の特別付録「老人の友 その3」の関連で、石坂線の3線区間で撮影した写真を探していたところ、何枚か出てきました。

(1)279+280 急行三条行  島ノ関

(2)269+270 坂本行    島ノ関

(3)88638の引く貨物列車  島ノ関〜石場
撮影場所探しでウロウロしている内に貨物列車が来てしまい、慌ててシャッターを押した。そんなことはしょっちゅうあった。(今でも)

(4)88638と並んだ急行石山寺行  
浜大津嵐電に天神川駅が出来て嵐山と浜大津が結ばれた。折りしも「源氏物語」がブームになろうとしており、石山寺まで直通運転を復活したいところ。四ノ宮駅で2連の600形とホーム乗換えというのはどうだろう。嵐山から石山寺まで直行できることを観光客にアピールすれば石坂線の活性化に繋がるのではないだろうか。

(5)88638  浜大津

【1263】「老人の友 その7」の件、撮影場所はキャプションの通りですので、問題は撮影時期かと思います。5枚とも撮影日が同じとすると、写真の中のいくつかのヒントがあります。

5番目の写真の607に注目すると、方向幕が少し出張っているのは、昭和35年以降の20年更新車に見られる特徴です。もう一つ、嵐電四条大宮駅に「新世紀 京都博」の看板があり、その下に第一会場と第二会場が書かれてあります、一寸字が読めませんが、第一会場の5文字は「八瀬遊園地」と読みました。何分にも半世紀に近い前のこと、かすかな記憶を辿ると、昭和36年5月の連休期間中、京阪沿線の某中学2年の時、小学校の同窓会があり、三条京阪に集合して、坂本ケーブルで山頂に行き、お化け屋敷に入った後、ケーブルで八瀬に下り、八瀬遊園地で何かの展示を見学をしました。多分それが「新世紀 京都博」であったと思います。
以上のことから撮影時期は、昭和36年の2月か3月頃ではないかと思います。

添付画像
【279.jpg : 108.1KB】

添付画像
【269.jpg : 213.0KB】

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【88638 貨物列車.jpg : 83.2KB】

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【309.jpg : 218.3KB】

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【88638.jpg : 176.9KB】
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【1263】老人の友 その7
 総本家・青信号編集部  - 08/4/10(木) 11:08 -
  
今回は市内の各地点、市電です。
場所と時期が分かる方は書き込んで下さい。同じく中村進一氏の撮影です。

添付画像
【四条西洞院.jpg : 288.2KB】

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【四条西洞院2.jpg : 243.4KB】

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【四条堀川.jpg : 240.7KB】

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【四条堀川2.jpg : 261.5KB】

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【四条大宮.jpg : 166.4KB】
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【1262】Re:老人の友 その6 逆襲
 乙訓の老人  - 08/4/9(水) 14:58 -
  
▼藤本哲男さん
今回のヒントも水際にあるようですね。父母の眠る故郷から幾つかの山を越えた地なのかなと、百均眼鏡を洗い直し目を細めてみたのですが、長谷寺〜榛原間では思い当る箇所がありません。老人はいつも上り勾配では左窓から寺の方におっちん座りして念仏を唱えております。鉄チャンならご存知と思いますが、朝倉を出るやすぐに山肌沿いの33‰に取り付きます。池らしきものが山際にあったかどうか?
逆に長谷街道から南へ目をやると、雑木や竹林が近鉄特急を隠してしまうので老人には全く見当がつきません。

4月4日14時30分〜6日9時38分間、伊豆急行沿線に居りました。貴君に教えられた「櫻の名所」にも行きました。うまくキャッチ出来ていましたら・・・・・・。
それより「すごい!」と思ったのは伊豆高原駅から徒歩3分の信号から始まるさくら並木、箱根登山鉄道並みの勾配で、RAILの無いのが癪の種。並木道と言うよりトンネルです。トンネル長は延べ1000米あるのではないかと思われます。

>どちらの「老人」にも当てはまりませんが、解答したいと思います。
>場所については、似たような場所が、国分〜関屋間他、何箇所かありますので難問です。
>
>場所 近鉄大阪線 長谷寺〜榛原間
>撮影時期 昭和33年頃
>
>根拠は、先頭のモ2252以下が冷房改造されている。2250形の冷房改造は昭和32年で、昭和35年から38年にかけて3扉化され、一般車に改造されている。また、2両目と3両目のサ3020形は昭和35年頃運転台を取り付けク3120形に改造されている。以上のことから、昭和32年〜34年の間の撮影で間違いなく、中間をとって昭和33年としました。
>
>モ2250の軽快なジョイント音、モーター音、ダブルタイフォーンが聞こえてきそうな写真です。
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【1261】老人の友 その6 逆襲
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/4/8(火) 22:59 -
  
どちらの「老人」にも当てはまりませんが、解答したいと思います。
場所については、似たような場所が、国分〜関屋間他、何箇所かありますので難問です。

場所 近鉄大阪線 長谷寺〜榛原間
撮影時期 昭和33年頃

根拠は、先頭のモ2252以下が冷房改造されている。2250形の冷房改造は昭和32年で、昭和35年から38年にかけて3扉化され、一般車に改造されている。また、2両目と3両目のサ3020形は昭和35年頃運転台を取り付けク3120形に改造されている。以上のことから、昭和32年〜34年の間の撮影で間違いなく、中間をとって昭和33年としました。

モ2250の軽快なジョイント音、モーター音、ダブルタイフォーンが聞こえてきそうな写真です。
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