新規投稿 | 管理画面 | トップページ | ヘルプ:まとめページ | ヘルプカテゴリ一覧 | 旧掲示板

【7261】早春の中国一人旅 Part1 武广高鐡線へ

第1日目 2010年3月2日
①長岡京6:40(JR快速)→大阪・梅田(地下鉄)→なんば7:30(ラピート)→8:11関空
②関空
9:55(JAL)→13:35広州空港
③広州空港(Taxi)→14:35広州北駅16:12(武广高鐡)→16:35広州南駅

冬季オリンピックも終盤になり、ロミオ君のお送りも済みますと、そろそろ、『旅へ行きたろう虫』が、騒ぎ出します。2月中に有効な、北京行きの無料航空券があったのですが、日頃の行いが悪いのか、当日朝まで待っても、席が取れず、あえなく、くず箱行きとなりました。

JAL便が満席で、当日もキャンセルがないなんて、こんな事は、初めてです。これが、始終続いていたら、破綻もなかったでしょうが・・・。

今年の春節は、2月14日でした。どうやら、春節休暇で帰国した駐在員や家族、訪日中国人団体客の帰国ラッシュと、ぶつかってしまったようです。

めげずに、直ぐに新たなマイレージ航空券を手配して、出発できる日を待ちました。3月2日のキャンセル待ちは、直ぐにOKの電話連絡がきました。

目指すは、芭石鉄道の撮影リベンジと、春節に向けて立て続けに開業した、中国版新幹線の武广高鐡と鄭西高速鉄道の初乗車です。このため、着陸地は、最も近い広州としました。

問題は、その後の行程です。春節に伴う『春運』は、3月10日まで続いています。果して、列車切符が取れるのか、問題があります。

しかし、今年1月から、中国鉄路に『中国鉄路客戸服務中心』なる、サイトが出現しました。これには、希望する駅間の列車ダイヤ、料金、残席等の最も渇望していた情報を見る事ができます。時刻表には、掲載されていない春運臨時列車ダイヤもあります。http://www.12306.cn/mormhweb/

中国鉄路を乗車する上で、これは、すぐれものです。中国語が出来ない方の為に、日本語サイトも用意されています。
http://www.chinaviki.com/service/china-train/

中国鉄路では、日本のように、列車切符インターネット予約は、ありませんので、現地で購入するしかありません。しかし、残席情報がランダムにあれば、前もって、購入できるかどうかのおおよその見当は、つきます。情報の信憑性ですが、期待しても、する方がおかしいのが中国ですので、一応の目安としました。

他に購入方法は、旅行代理店経由がありますが、取れても、この時期は、法外な手数料を要求されます。
ただ、今回は、お気楽な一人旅です。いつものように、状況に応じて動くように楽観的に考える事にしました。まずは、行ってみましょう。問題が起これば、解決策は何かあると、当日の広州、2日目の武漢のホテルだけは、予約を入れました。

往路のJAL広州線は、やはり、いつもと違って、ほぼ満席でした。
広州空港到着後の最初の行動は、広州から武漢までを乗車する、武广高鐡の切符の購入です。市内に行けば、広州駅等々で購入できますが、やはり武广高鐡の駅で買ってみたいと思い、空港から武广高鐡へ最も近い駅『広州北駅』へのバスを探しますが、ありません。

旅客案内のタスキをした女性に聞きますと、近くまでは行く路線があると教えてくれましたので、その乗り場に行きましたが、待っても、待ってもバスは来ません。

時刻表すらありませんので、これは無理と諦め、タクシーにしましたが、最初に『How much』と、聞いてきました。勿論、無視です。メーターを倒せと言って乗り込みましたが、怒ったのか、広い道路を無茶苦茶に飛ばします。

約30kmはあったでしょう、広州北駅の案内標識がある道路に着きましたが、運転手は来るのが、初めてだったんでしょう。肝心の場所が分かりません。結局、行き過ぎました。普通だったら、値切ってやるところですが、30km走って、65元(約900円)では、安すぎます。お礼を言って、降りました。

着いた『広州北駅』は、今まであったローカル駅をリニューアルした駅でした。閑散としたものです。しかし、切符売場の窓口は、たくさんあるのですが、1つしか開いていません。長蛇の列となりましたが、見える場所にいる職員は、混雑対応をしようとはしません。

約30分並んで買った乗車券。在来線と比べて、約4倍以上で、高すぎると不評です。

他にもブラブラしている駅員も多数います。最高速度350km/hで走る、超近代的な高速鉄道ができても、残念ながら、職員の意識革命が、末端まで出来ないのが、中国鉄路の実態です。

以前、掲載しました列車時刻とは、全く違っています。期待した、ノンストップは、消えていました。

また、時刻表ですが、12月26日の開通時に発表なった時刻表とは、既に違っています。毎日と言っても過言ではないほど、まともに走行していません。

開業を急ぎすぎたために起こる、初期故障を片付けずに起こったトラブルの他、禁煙厳守の列車内で喫煙が行われたために、煙感知器が作動して、急停車。その後運行できなくなった。故障停車中に、我慢できなくなった乗客が、窓ガラスを打ち壊して下車したりと、信じられないマナー違反も続出です。

折角ここまで来ましたので、明日乗車する予定の『広州南駅』まで、一区間を乗車する事にしました。南駅まで行けば、明日のホテルからのルートも分かります。

『はやて』のCRH2Cに乗車したかったのですが、来たのは、シーメンスのCRH3でした。
乗車時間20分ですが、それでも最高速度313km/h。これは、明日が期待できます。

北駅から、高速道路に沿って、町外れを走行します。着いた駅は、田んぼのど真ん中の感じです。そして、未完成で工事中ですが、島式ホーム13本、片面ホーム2本、並行に28線が発着できる、とんでもない巨大な駅です。さすが中国です。


列車が到着すると、直ぐに車体の汚れを取っています。約1000キロの走行ですが、半端な汚れ方ではありません。


上海南駅、北京南駅
も大きかったですが、はるかに上回ります。それと、両駅は、地鉄も走り、周囲に建物がある中にありましたが、ここは何もありません。荒野に突然生まれた駅です。


広州南駅から市内へのアクセス表示板です。道もまだ工事中ですので、市内までたっぷり1じかんは、かかりました。

将来、地鉄が建設されて、市内までつながる予定ですが、このロケーションを見ると、市内の中心が駅との思い込みは捨てて、空港に近い感覚を持たなければなりません。
地鉄駅まで行くバス路線がありましたので、これを選んでホテルに向かいました。

【7256】お譲りします。

娘の友人からなにか怪しげなモノが届きました。

開けてみたら、コレ。電流計のようです。彼は鉄道ファンなのです。どこかで買ったのでしょう。でも飽きたのか持ち込んできたのだと思います。

でも私はコレクターではありませんので不要です。かといって捨てるのは失礼ですし鉄道機器を捨てるのには気が引けます。

そこでこれを見て「ほしい」と思われる方がいれば差し上げます。大事にしてください。

でもこれはなにに使っていたのでしょうね?教えてください。

【7251】鷹取工場のBタンク機

米手作市氏の誘いにすぐ乗って(こんな世捨て人暮らしでも結構忙しいのに、急ぎの仕事をほったらかして)、ネガを探し、スキャンし、「縮小専科」でファイルを小さくしている間に、「ほへほへ」氏のレスポンスがあって先を越されてしまった。二番煎じになるが、小生の1955年7月15日鷹取工場での写真をご笑覧に供する。

将来電化する積りでの社名で、1916年7月1日撫養(むや)-古川間を阿波電気軌道が開業。1923年池谷-加冶屋原、1928年ゑびす前-撫養と開業を続け、1926年5月10日には阿波鉄道と改称していた。1933年7月1日買収され阿波線に。その後撫養線、鳴門線と名称を変え、国鉄自体の建設線が加わるなど、この地区の時代による変遷は結構ややこしいが、その阿波鉄道7号機(コッペル1921年9月、製番9752)が前身である。

私鉄買収機には軸配置、重量・寸法等で数字の形式が与えられるのだが、頭に「ア」を付した不思議な形式番号が付された。この阿波7号機はア4となったが、元来12トン弱と軽便並みの小型機で、国鉄としてはこんな半端な小型機など眼中になく、線路がC12入線に耐えられるよう改修されるまでは仕方なく(嫌々)使った。

今村 潔「買収せる阿南鉄道」(鉄道趣味35号)には、阿波鉄道買収機には当初通常の形式番号を与える予定で、この機関車は80を予定していたことが記されている。数字が小さいことは即小型であることを示す。要はすぐ廃棄するつもりだったのであろう。

その後岡山機関庫で6検入換(6か月検査のため火を落とした機関車の移動)用に。我々の時代でも、奈良機関区には同じ役目でB20がおり、その以前は60型だった。

1936年5月廃車され、解体もされず鷹取工場構内で忘れ去られていた?が、同工場技能者養成所が教材として養成員の手で整備。新たにキャブやサイドタンクを新製して「若鷹号」と命名したものである。米手氏が不思議に思った、小さいが一人前、鳥の羽根型プレートには「鷹養」と鋳込んであり、サイドタンクには「鷹養実習機」のレタリングがある。

戦時中には復活してどこかで使う話もあったそうだが、結局は安治川口用品庫での入換ぐらいしか用途がなく、また鷹取に戻って放置を続けていたものである。

【7242】おしえて!なんでも探偵団4

謎の機関車は右端

謎の機関車は右端

 

古い写真の整理を続けているが不思議なものが写っていることに気づいた。

 時は1961年11月20日、場所は鷹取工場。母方の郷里へ往復するときにいつも車窓から眺めていた鷹取工場は不思議の国だった。いつも違った機関車や電車が並んでいたがどれも見たことがないものばかりだった。しかし列車は早く通過するためいつか見に行きたいとの思いが募るばかり。でも、その頃大阪より西は降りたことのない未開の土地で、言葉すら通じるのか不安であった。中学に入ってそこが神戸市の一角とわかり、もはや人食い土人の餌食になったり子捕りにさらわれることはないと確信したので出かけることにしたのだ。今なら大事になって夕方の6チャンネルで放送されるだろうが当時は鷹揚なもの、ホームから線路を横切って列車から見ていた金網に近づいた。早速おそるおそるカメラで撮った写真がこれからご覧に入れる数枚。

ED38とつながっている廃車蒸機がそれだ。233または238と読めるB6の後ろ、須磨の大老お得意の機関車ではないかと思われるがどうも鉄連の徽章がついているように見える。ぜひともご解説をお願いいたします。

お礼の印にそのとき撮った写真を添付します。

【7236】橋本工房便り(B6の完成)

冬の間も当工房では細々と作業が続けられ、長くかかったB6(2120型)がようやく完成しました。この模型は昔、鉄道模型社が発売していたエッチング板を利用したもので、ボイラー・車体はエッチング板、動輪・ロッド類・スチームドームはSANGOの製品を使用、台枠他を自作したものです。B6との付き合いは学生時代、宮沢模型製の2900型を手に入れたのが最初で、2両目として今回と同じ手法で2700型を作っていましたが、いずれも改造形式なので、オリジナルのB6が欲しくなり「3両目の正直」と思って作り始めたものです。しかし仕事についてからは思うように作業が進まず、長い眠りに就いていました。例によって未塗装ですが奮闘の跡をご覧下さい。

駆動方法は縦型モーター(DV18A)をキャブ内に入れ、第3動輪に入れたウオームギヤーを駆動する、この種の機関車としては一般的な方式です。狭軌車両を16番で作るとき、特に蒸機はシリンダの内側に動輪が入るため、シリンダ中心間隔を広げて作る必要があります。このために車体幅にまでその影響が及び、フロントビューの印象が実物とずいぶん違ってしまうのが残念なところです。

機番の2312号機ですが、学生時代にマツモト模型で貰った形式入りナンバーが綺麗に出来ていたので使用しただけで、当該機に拘りがあるわけではありません。須磨の大老のお言葉を借りればそれこそ「掃いて捨てるほど」あった機関車なので、滅多に写真集なんかに載ってはいないだろうとタカをくくっていたら、見事、NEKOのRM LIBRARY 「B6回顧録」の表紙に写っていました。

工房便り、次回はいよいよD50の登場です。