京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [5]

廃止直前の加悦鉄道(5) 大阪・京都から企画列車が走った② 

昭和46年10月に3回運転された「蒸機の旅」、続けます。前回も記しましたが、大阪~丹後山田~加悦の機関車の形式・運用も多彩ながら、それに続く客車も、多彩さでは負けていませんでした。デジ青常連の皆さんから、ネタばらし(?)をされて、鮮度が落ちましたが、改めて「蒸機の旅」に連結された客車編成を記すと、大阪←オハフ33 462+オハ35 1308+オシ17 2022+スハネ30 2127+マロネ40 19+スロフ51 2039+オハフ33 1010→京都 と言う編成で、新聞各紙は〝バラエティー列車〟という見出しを付けました。すべて現役の客車で、なかでも食堂車は大阪発車時から営業で、車内では軽食、ビール、ジュース、フィルムが提供と書かれていました。運賃は、大阪~加悦で弁当付きで1900円、募集定員は350名は、マロネ、スロフにも着席でき、乗車できる客車は、当日、受付の際に抽選と記されていました。山陰本線千代川付近を行く「蒸機の旅」、C57 128[福]の牽引、京都で牽引機、編成の向きが変わった。山崎付近で撮ったあとは、DRFCメンバーのクルマに乗せてもらい、追っ掛けを開始した(昭和46年10月)。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [4]

廃止直前の加悦鉄道(4) 大阪・京都から企画列車が走った① 

加悦鉄道について、私が体験した珍しい企画列車を紹介します。昭和45年の鉄道記念日の前後、10月14日、18日、25日の3日間、大鉄局では大阪~京都~綾部~西舞鶴~丹後山田~加悦を往復する企画列車「蒸機の旅」を運転しました。愛称のとおり、大阪~丹後山田は、すべて蒸機の牽引、途中、京都、綾部、西舞鶴は向きが変わるため、牽引機も代わって都合4種の蒸機が牽引、なかでも大阪~京都を蒸機が走るのは、昭和31年の東海道線完全電化以降は初めてのことで、そのあとの東海道・山陽筋の蒸機イベント列車の端緒にもなりました。しかも蒸機だけではなく、それに続く客車編成もクセの強い車両ばかり、〝SLブーム〟の渦中でも、ひときわ趣味性に富んだ列車となりました。

ここまで書くと、加悦とは一切関係がないのですが、丹後山田からは加悦の古典客車を連ねた特別列車に乗り換えて加悦へ行き、車両を見学するのが最終の目的でした。この日は朝からDRFCメンバーにクルマで追い掛けてもらい、たいへん収穫の多い一日でした。撮影順に見ていただきます。東海道本線大阪~京都に14年ぶりの蒸機の牽く企画列車「蒸機の旅」9921レが走った。牽引するのは梅小路区の花形C57 5だった。しかもまだ現役で、京都~園部で列車を牽引していた時代、大阪~京都の牽引に抜擢された(昭和45年10月、神足~山崎)。

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日本縦断の旅 番外編 再訪!枕崎駅

博多駅にて、ONE PIECE新幹線のルフィ号に遭遇。

2025年8月30日(土)

博多 8:30 ― <みずほ>601号 鹿児島中央行き → 鹿児島中央 9:46

鹿児島中央 10:02 ― 1333D 枕崎行き → 枕崎 12:56

枕崎 13:27 ― 5326D 指宿行き → 指宿 14:52

指宿 15:07 ― 特急<指宿のたまて箱>6号 → 鹿児島中央 16:00

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私の撮った国鉄ラストナンバー蒸機

昨年12月にフェースブックなるものに私が撮った蒸機のファーストナンバーを投稿したがこのジャンルは趣味の世界の先輩で当時愛知県立高校の先生であられた方がラストナンバーについても「SL末っ子物語」と題して鉄道ピクトリアルに報告されている。先生はわざわざ目的のナンバーを求めて撮影され報告されているので私の様に旅先で偶然出会った該当機の撮影とは真剣さが違うが私も二番煎じになるがラストナンバーをデジ青に投稿する。ファーストナンバーと比べラストナンバーはその時はわからず自宅で改めてその記録に気づくこともある。ご笑覧下され。

私の蒸機の撮影対象が1750ミリの動輪を持つ大型旅客機であったこともありラストナンバーも大型機が多い。まずC62は49号機がラストナンバーであるが1949(昭和24)年4月汽車会社大阪で製造番号2575ボイラーD52104で製造(改造)された。東海道・山陽型に対して東北・常磐型は後の北海道型とともに軸重軽減がなされている。その生涯は平機関区を中心とした常磐線であった。C6249は引退直前に装飾されて記念運行されたようであるが保存には至らなかった。廃車は1968(昭和43)年である。写真は1966(昭和41)年3月20日特急「ゆうづる」の約2時間後に同じく青森からやってくる食堂車付きの急行「第4十和田」で牽引機はC6249[平]であった。7時40分過ぎの通過で「ゆうづる」の時よりも陽も上って条件がよかったがうまくとらえられなかった。▼

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [3]

廃止直前の加悦鉄道(3) 国鉄時代のキハ08 3 

末期の加悦鉄道で使われていた車両は、国鉄オハ62客車を気動車化改造したキハ08 3でした。前述のように昭和49年に加悦へ導入されました。もう1両、昭和54年に入線したキハ10 18もありましたが、末期、日常的に使われていたのは、キハ08 3でした。そのキハ08 3の国鉄時代の姿も撮っていたこと、今回の投稿で初めて分かりました。加悦に到着したキハ08 3、車体長は標準的な国鉄DCとほぼ同じだが、車体高は屋根が深いため4085mmもあり、もう1両のキハ10 18の3710mmより、375mmも高く、切妻もあって、デッカイ印象だった。機関は急行型DCにも使われているDMH17H、動力台車はDT22Aに換装されていた(昭和60年1月)。国鉄時代の客車改造のキハ08・09は各所で撮っていたが、今までナンバーも確認していなかった。改めて調べると、釧路に配置されていたキハ08 3を何回か撮っていたことが分かった。写真は、厚岸にて、根室発釧路行き236D、キハ08 3+キハ21 18 ただし、加悦は1位側、厚岸は3位側から撮っているので、逆の角度となる(昭和44年9月)。

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夏休み日本縦断の旅 最終日 人に翼の汽車の恩

このシリーズの最終回です。奇しくも113系の日の投稿となりました。

市電に乗って朝の鹿児島中央駅へ。

9月6日(金)

鹿児島中央 9:41 ― <さくら>550号 新大阪行き → 新神戸 13:45

新神戸 13:52 ― <のぞみ>26号 東京行き → 京都 14:19

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [2]

廃止直前の加悦鉄道(2) 戻りは全区間歩いて 

一日4往復に減ってしまった、廃止前の加悦鉄道、昭和60年1月4日、午前2番の列車に乗って、9:53に終点の加悦に到着しました。まずは構内に置かれた蒸機、客車など車両や駅周辺を見学。これを終えると、午後一番の列車までは相当な時間があります。代行バスで戻る手もありましたが、途中の各駅も記録しておきたく、丹後山田までの5.7km、歩いて戻ることにしました。

行きのキハ083車内から見た加悦鉄道、途中ゆるやかなカーブがあるが、ほぼ一直線で加悦へ向かっていた。

9:53 加悦に到着した2番列車のキハ08 3、加悦の古ツワモノが構内に並んでいた。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [1]

廃止直前の加悦鉄道 カラー版  昭和60(1985)年1月4日

京都府の北部に、昭和の時代、ちょっと浮世離れした二つのローカル私鉄が走っていました。北丹鉄道と加悦鉄道であることは、高齢世代なら先刻知っているでしょぅが、廃止・休止されたのは昭和46年と昭和60年とあっては、若い世代には理解できないかもしれません。両鉄道とも、DRFC現役時代、貸切列車を走らせたり、合宿で行くなど、ずいぶんお世話になりましたが、地元のため、いつでも発表できる思いがあったのか今まで満足な発表もできていませんでした。ちょうど、加悦鉄道の廃止を控えて、最後の訪問をしたのが、40年前の正月明けの今頃の季節、積雪があって、空は日本海側独特の鉛色に覆われていました。国鉄宮津線の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道野田川)のホームで発車を待つ、加悦行きのキハ08 3、昭和60年3月を目途に鉄道廃止の方針が発表されていた。従来、13往復の列車が運転されていたが、ほとんどがバス代行になっていて、列車は午前3往復、午後1往復しかなかった。

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夏休み日本縦断の旅 10日目③ 煙はうすし桜島山

年が明けて、早7日が経ちました。今年もよろしくお願いいたします。引き続き、旅の続きをお楽しみください。

JR鹿児島駅のコンコースから眺める桜島。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 15 帰国

第10日目 12月13日(土)後編

② ハノイ空港 01:40(VJ938)⇒7:50 関西空港

11:30 「HanoiTrain」の乗車は終わりました。この列車は午後13:00発の便もありますのでもし乗車してみたいと思われる方がおいででしたらこちらも選択できます。ツアー料金はNT$912(約4,559円)、ツアー会社はKlookです。他代理店でも予約は可能。
▲ 12:01 一旦ホテルに戻ってTrainStreetでハノイ発の列車を待ちます。
🕓Weekday 8:50 / 9:20 / 11:45 / 15:20 / 21:20 /22:00 🕓Weekend 8:50 / 9:20 / 11:45 / 15:20 / 17:30 / 18:20 / 21:20 / 22:00 運行ハ休日が2本多いです。
通過する列車時億は2025年末現在で上記のようですが当然当日に遅延や運休・臨時もありますので現地の店で確認する必要があります。

雨は小雨になってきましたので旧市街を散策です。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 14 イベント列車「Hanoi Train」に乗る

第10日目 12月13日(土)前編

今日はベトナムに来て滞在最終日です。一般にはあまり告知されていないハノイと中央駅から郊外駅へと走るイベント列車「ハノイ5クアオ ヘリテージ2階建て列車「Hanoi Train」132に乗車します。
▲ 最高速度80km/hにしか達しないメーターゲージとは思えない立派な客車です。見るまで本当なのかとワクワク楽しみでした。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 13 ニンベンへの日帰りツアー

第9日目 12月12日(金)

今日はハロン湾よりも評判の高いと言われる世界遺産のニンベンツアーを申し込みました。宿泊しているホテルでピックアップしてくれますが、このツアーは往復バスではなく列車利用もありました。申し込みをしたのですがニンベン到着後のツアーバスの予約が取れません。仕方なくホテル発着にしました。

7:50 部屋で待っていましたらホテルの従業員からバスが来たよとお呼びが来ました。
バスの写真はいつもナンバーが分かるように撮っておきます。ツアーバスは観光地に行った時にどれか分からなくなるので必需です。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 12 ラオカイからハノイへ戻る

第8日目 12月11日(木) 
今日は予定が変わってしまったのでラオカイからハノイへの移動日になりました。今夜の夜行列車で行けば効率的ですが車窓を見える昼間に移動したいと思いました。

▲ 駅待合室にはかつてのラオカイ站の様子が写真展示されていました。この機関車が中国昆明迄走っていたのでしょうか。
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 「信号場」を巡る  ⑮ (最終回)

〝三重連〟のメッカ 布原(ぬのはら)信号場

「布原の三重連」と言えば、蒸機時代を経験したことがない平成・令和世代にも、カーブした鉄橋をD51三重連が渡って行く、あのシーンかと頭に浮かぶことと思います。これほど左様に、布原信号場は、SLブームを象徴する撮影地として認知され、その狂騒状態は、SLブームの恰好のマスコミ素材ともなりました。いつも横目で見ていた私でしたが、話のネタにと、山陰旅行の行き帰りに三重連を見に行くことにしました(昭和46年9月)。

布原信号場は、伯備線新見~備中神代に昭和11年に開設された。備中神代から分岐する芸備線の列車も通るから、列車本数が多く、信号場の開設となったようだ。この時代、まだ客車列車があり、石灰岩輸送で貨物も多かったので、午前の時間帯では、一時間に3、4本の蒸機列車が見られた。布原付近には、両側から25‰勾配があり、とくに重量のある石灰岩輸送は、多くがD51の重連で、朝の1本がD51三重連となった。

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夏休み日本縦断の旅 10日目② 最南端の駅を訪ねて

このシリーズ、年内に終わるかと思っていましたが、もう少しだけ続きそうです。さて、ゴールまであと37.8kmのところで無念のダウンとなってしまいましたが、果たしてその後どうなったのでしょうか。続きをどうぞ。

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 11 ラオカイの中越国境 

第7日目 12月10日(水)

① サパ 8:30(路線バス)⇒9:45 ラオカイ駅

昨日サパ市内を十分に散策しましたので今日は朝からラオカイに戻って中越国境を越えてかつての河口駅を見に行くことにしました。

▲ 7:30 1階ロビーへ降りましたが朝食バイキングの用意はありません。昨夜宿泊したのは私だけだったのでフロントのお姉さんはフォを作って出しますと言われました。
▲ 選択肢はこれしかないようですし、美味しいので好きです。いただきました。
一応果物の付け合わせもでました。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 10 サパの登山電車、ロープウエイ、ケーブルカー共、点検で運休! 大ショック!

第6日目 12月9日(火)

① ハノイ22:40(SP7)⇒6:25 ラオカイ

6:25 寝台列車に爆睡で定刻にラオカイに到着です。ホームには白バスの運転手が客引きを熱心にやっておられます。いくらが相場なのかが分からずで、100,000vnd(約600円)の提示に仕方なく支払ってしまいました。バスは小型のミニバスで乗客は欧州人夫婦との3名だけでした。ローカルバスならもっと安いのでしょうが失敗しましたね。
今日は「インドシナの屋根」と呼ばれるベトナム最高峰であるファンシーパン山(3147.3m)へ登山鉄道とロープウエイ、ケーブルカーに乗って参ります。今回の旅のメインハイライトなのです。
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1966(昭和41)年9月3日午後登別

北海道のキハ82を投稿したところ1900生さんから特急「おおとり」の上り下りの間違いを指摘された。ここは午後2時過ぎの下り3D「おおとり」から日没までいた。この年は最後の仁山のスイッチバックと狩勝峠で1日を過ごしたが今振り返ってみると室蘭本線での「おおとり」の前後は勾配こそなく平凡な路線であったが実に多くの機関車を撮ることができた。平凡な写真であるが数は稼げたので行き交う当時の列車を見ていただきたい。

最初は岩見沢発上り228列車室蘭行きC5729[室蘭]である。14時50分前の通過であるがこの大カーブで望遠レンズを使ったのは誤りで5両の客車を牽くのはC56に見えてしまうがどうだろうか。▼

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅Ⅱ Part 9 ハイフォンからラオカイへ

第4日目 12月8日(月)後編

① ハイフォン  15:00(LP8)⇒17:40 ハノイ・ロンビエン

▲ 14:16 ホテルに預けた荷物を受け取りハイフォン駅に着きました。 乗車する列車はホームに入線していますが改札はまだ開始されていません。構内の写真を見ながら待ちました。
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 「信号場」を巡る  ⑭

九州の信号場 南霧島信号場

しばらく途絶えていましたが、デジ青に復帰します。九州にも、当時はまだ単線、非電化の区間があった鹿児島、日豊、長崎の各本線にも信号場がありました。なかでも日豊本線の宮崎以南には、門石(田野~青井岳)、楠ヶ丘(青井岳~山之口)、南霧島(霧島神宮~国分)の信号場があり、それぞれ付近は撮影地として知られていたところでした。

当時、日豊本線にも夜行鈍行、門司港~西鹿児島の521レ、522レが走っていて、何度か利用した。この日は、夜行利用ではなく、宮崎に泊まって、朝6:09に発車する521レに乗って鹿児島方面に行った時だった。編成はDF50+客車7両で、夏休みでもあり結構な利用率だった。列車は都城を過ぎ、なおも山間部を延々と走り、駅でもないところに急に停車した、これが南霧島信号場だった。昭和41年の開設で、全体がカーブした標準的な信号場で、まだ4年しか経っていないので、すべてが新しい印象だ。カーブの向こうから、タイフォンを鳴らしながらDC急行が見えた(昭和45年8月)。

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