越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 10 ホイアンのマーブルマウンテン&ランタン灯る灯籠流し

第6日目 2月21日 後編

今日はこれからマーブルマウンテン&ホイアン夜の灯籠流しコースに参加します。ホテルに迎えのバスが来ますのでホテルへ行って待つことになります。ホテルまでは駅から約6㌔程ですので徒歩では困難です。
ダナン駅に客待ちのTaxiがいてお兄さんたちが呼び込みをしていますので料金を聞いてみました。すると200,000ドン(1,200円)との返答です。それは高すぎる100,000ドンでどうだと半値での交渉をしましたら150,000ドンと返ってきました。もう一押し必要です。他の客引きと交渉しようとすると120,000ドン(720円)と値引きしてきたのでOKを出しました。ホーチミンでの経験を考慮するとまあ妥協してもいい額です。粘ったら希望通りの金額になったでしょうが夜行列車で疲れていましたので粘る気力が失せていました。


▲ 13:27 予約していましたグランド サンライズ ブティック ホテルに到着。ウエルカムコーヒーをいただきました。
用意された部屋は広いツインベットでバスタブ付きです。屋上には街を見下ろすプールまであります。これで2泊の宿泊料は1,337,600ドン(8,026円)、激安です。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 9 夜行寝台列車SE4に乗ってダナン到着


第6日目 2月21日 前編

① サイゴン 19:00(SE4)⇒ 12:38 ダナン

4:55 爆睡、心地よいジョイント音を聞きながら目覚めました。外はもう明るくなっています。列車の速度は50~80km/h程度でゆっくり走行です。
サイゴンから目的地ダナンまでは935㌔、17時間38分の乗車です。

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リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 8

<上信電鉄に揺られて富岡めぐり 2 2007.9.13>
富岡製糸場を探訪してからタクシーで山あいの丘陵地にあるもみじ平公園に向かったら、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念館を前にして上信電鉄の電気機関車デキ2が保存されていた。私はこんな所で大正時代の名機に出会うとは思わなかったので、すごく感激した。

屋根つきで大切に保存されているデキ2

静態保存されているデキ2の案内板

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 8 サイゴンからダナンへ夜行列車で向かう

第5日目 2月20日

今日は19時発の夜行列車に乗ってダナンへと向かいますのでそれまでは休息です。
ホテルでゆっくりと朝食後、フロントで近くでSIMカードを売っていますキャリア会社を紹介してもらいました。と、言いますのもスマホは快調なのですがIpadとのインターネット共有ができないためにWiFiのない環境下ではIpadが使用できず困っていました。Lineで日本にいますJuniorに問題解決方法を尋ねてみますと多分、ベトナムのキャリアではインターネット共有が使えないのではないか、そちらのSIMカードは安いのだったらIpad用にもベトナムキャリアのSIMカードを入れてみたらどうでしょうかとのアドバイスです。今日は夜行寝台列車で真っ暗な長い時間を過ごすのでYouTubeも見れるのであれば退屈しないと早速買いに出ました。調べてみますとベトナムにはスマホのキャリアーは、Viettel、Vinaphone、Mobifoneと3社あるようです。フロントでお聞きしますとViettelが近いと教えてもらいました。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 7 クチトンネル・ベトナム戦争遺跡観光半日ツアーに参加

第4日目 2月19日

朝食は7:00からなので食べていては集合時間7:20には間に合いません。昨夜7:00にバスケットで受取りたいとお願いしましたらOKを頂きました。今日もKKday社ツアーの【日本語ガイド】ホーチミン発 クチトンネル(クチの地下道)半日ツアー・ベトナム戦争遺跡観光と兵士の生活を疑似体験 by TNKトラベルJAPAN(指定ホテルお迎え・軽食付き)を申し込みしてあります。朝食を受け取って昨日と同じ集合場所に向かいました。今日は大型バスではなく小型のワンボックスタイプのバスに乗り込みました。
日本人参加者は昨日は女性が多かったのですが今日は男性ばかりで女性は皆無でした。
▲ 今日はホーチミンから北西に56㌔にあるベトナム戦争時にアメリカが惨敗したクチに保存されていますベトナム戦争の遺跡『クチトンネル』を訪問します。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 6 メコン川クルーズ日帰りツアー参加

第3日目 2月18日

私がベトナムを知ったのは1955年11月に始まったとされるベトナム戦争で学生時代は南国ベトナムに米ソ軍営が加わり拡大化している頃でした。戦争は1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを陥落させることで終焉を迎えましたが、その国の鉄道がどうなっているのか見てみたい願望がありました。
昨日は開業したばかりのMRT視察をして市内の様子、雰囲気が少し分かりましたので郊外も知ってみたいと台湾でお世話になったKKday社企画の「【日本語ガイド】メコン川クルーズ 日帰りツアー ココナッツキャンディー工場+永長寺+メコン名物料理 by TNKトラベルJAPAN (指定ホテルお迎え・昼食付き)」のツアー、7,242円を申し込みました。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 5 ホーチミンMRT視察

【 ホーチミンメトロ 】
ホーチミンにはフランス統治下時代の1880年にフランスから輸入建設された蒸気機関車牽引による路面電車がありましたが1957年に廃止されて以降は車とバイクが市民の足となっていました。現在の人口は約900万人と東南アジア有数の世界都市ですが大気汚染と交通渋滞が社会問題化してきました。この問題解決のために高速都市鉄道8路線、路面電車1路線、そしてモノレール2路線を整備する計画が立てられ最初に完成したのが日本企業が共同事業体を組んだ1号線です。
当初は2018年運行予定でしたが2020年に延期され、その後コロナ騒動もあり1年遅れて2021年初めの開業、そして2021年末⇒
2023年以降⇒2024年7月とズルズルと延期が続き、ようやく2024年12月22日に10年遅れで、ようやく開業しました。
総延長は19.7km、軌道 1,435mm、電化方式 直流1500V架空電車線方式、最高運転速度は110km/h(高架区間)、80km/h(地下区間)、運行時間: 5時〜23時30分、表定速度: 66.8km/h、各駅停車時間: 30秒、地下駅は3駅、高架駅は11駅です。次の空港を結ぶ2号線が工事中ですが2030年ころになるとの予測です。煩雑な行政手続きなどによる工期の遅れ、日本企業への工事費支払い遅延などが主な理由と言われています。

ベトナムには既に首都ハノイで中国とフランスが支援開業したMRTが走っていますので3番目の都市高速鉄道になります。今回の旅の目的はこれら3本のMRTを見て乗って体験する事でした。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 4 ホーチミン到着

第2日目 2月17日

① 羽田空港 01:25(JAL079)⇒ 05:50 ホーチミン空港
② ホーチミン空港7:10(路線バス)⇒7:55 ベンタイン市塲前

【 まずはATMでキャッシング 】
5:40  無事にホーチミン空港に到着。荷物は機内持ち込みのリックサック(荷重7㎏)だけですのでスムーズに入国審査場を通過して到着ラウンジに出ました。ここで行うのはまず両替です。ベトナムは硬貨がなく紙幣ばかりで数えるのみ大変だと聞いておりましたのでいつものようにATMを探して海外キャッシングです。
今日は 2,000,000VND(ベトナムドン)11,800日本円を引き出しました。換算額は、0.00590円/VND(換算日)2/18と円安進行で安めです。

【 SIMカード購入 】
次はSIMカード購入です。ベトナムでの滞在期間は10日間ですので、4Gタイプを345,000.VND 、2,070円で購入してスマホのSIMと入れ替えました。「YouTube」での現地在住のお嬢さん教えでは”0”がやたらと多いので下3桁を取って6を掛ければ日本円で計算できると申されていましたのででこの計算に慣れることとしました。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 3 旅立ち

第1日目 2月16日

① 長岡京 18:19(快速)⇒18:45 新大阪
② 新大阪 18:58(はるか51号)⇒ 19:54 関西空港
③ 関西空港 21:10(JAL228)⇒ 22:20 羽田空港

④ 羽田空港 01:25(JAL079)⇒ 05:50 ホーチミン空港

19:54、予定通り関西空港に到着。初めて関西空港から国内線に搭乗します。羽田からの国際線のチケットも受け取り、チェックインを終えてからは Laung関西にてビールを飲みながら搭乗待ちです。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 2 旅立ち前2 

航空券のキャンセル問題が解決しましたので後はベトナム入国後の行程作成です。ホーチミンからはハノイへ向けて統一鉄道に乗車して北上しますので2泊3日の長い旅となります。高齢者には過酷とおもわれますので真ん中あたりのリゾート地ダナンならフエとの間に統一鉄道随一の絶景ポイントハイヴアン峠もありますのでここで途中休みを取ることにしました。
初めて訪問しますので土地勘はなくどんなところかさっぱり分かりません。正月を挟んでYouTube」で数々の訪問記を見ながら情報収集に明け暮れました。最近は若い方々が積極的に海外を訪れて動画で記録を発表されていますので大変参考になりました。

約2か月間をかけて作成したのが上の行程表です。見てみたい観光地・世界遺産は可能な限り日本語ガイドが案内するツアーを選びました。初めて欧州へ行った時はJTBのマイバスツアーをよく利用しましたので今回も教えてもらおうと京都駅前の支店に行きましたが飛行機やホテルの手配は自分でやると言いますとあっさりと断られました。利潤の多いセットでない個人客は受け付けてはくれないのですね。
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 1 旅立ち前

インドネシア、タイ、ミャンマー、ラオス、シンガポールと東南アジアの国々を旅してきましたが行きたいと思っていたベトナムには機会がないままでした。最近になりホーチミンに日本が開業援助した地下鉄が遅れながらも2024年7月に開業すると聞き昨年準備をしていましたが、ベトナム側の支払い不履行問題が発生して再度開業延期となりました。
待ちに待った発表がされたのは昨年12月22日の開業で、1ヵ月間は試運転として無料乗車となります。これでは混み合うのは必至ですので落ち着いてからが良いだろうと思っていました。

目的はもう一つ、日本と同じような南北に長い国土を持つベトナムには南北総延長1726kmの南北統一鉄道のメイン路線と、その他数本の鉄道路線があります。
南満州鉄道を走った客車もいると噂では聞きます。是非に真偽を確かめたいと思いました。

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リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅行 7

<上信電鉄に揺られて富岡めぐり 1 2007.9.17>

9月の平日、休みを取って群馬県の富岡製糸場を訪ねた際、久しぶり上信電鉄に乗った。上信電鉄は高崎とコンニャクやネギで有名な下仁田を結ぶ33.7キロの地方私鉄で明治28(1895)年開業した歴史のある鉄道である。私は関西在住時の昭和57(1982)年1月、東京出張の折に全線乗車をしたので、25年ぶりとなる。

高崎にて。1301号+252号 下仁田のコンニャクメーカーのラッピング車

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リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行6

<仙台空港線と登米の散策2 2007.5.19>
仙台まで新線乗車に行ったあとは、かねてから訪ねたいと思っていた登米(とよま。行政区の名称は「とめ」)まで足を伸ばした。仙台駅前から1日5本のバスで約一時間半、「宮城の明治村」の別名がよく似合う静かな町である。とよま明治村の停留所で降りて観光の拠点「遠山之里」に立ち寄り、ミュージアムの割引共通券を買って歩いて散策を楽しんだ。教育資料館→警察資料館→水沢県庁記念館の順に回り、展示品の中にかつて登米を走っていた仙北鉄道の写真を見つけ、まだ駅舎が残っていると聞き、県庁記念館で受付のベテラン女性に道を教えてもらった。予期せぬ廃線跡巡りに心が弾んだ。

旧登米駅舎の入口。腕木式信号機や車輪さえなければ見逃してしまうほど

後ろに回ると改札やホームなどがある。廃止後の施設を効果的に活用していたが

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京阪大津線のラッピング電車

京阪石坂線には多くのラッピング電車が走っています。ラッピング電車を好んで撮っているわけではありませんが、地元に住んでいるものとして四季折々に石坂線の写真を撮っていますので、その中にはラッピング電車の写真もあります。
また、昨年にはNHK大河ドラマ「光る君」、昨年の本屋大賞に選ばれた「成瀬は天下を取りにいく」と地元大津にちなんだラッピング電車が走りました。「光る君」は2月2日、「成瀬」は2月9日が最終運行となりましたので、これに合わせて少し紹介させていただきます。↑ 2024.9.4撮影「成瀬は天下を取る」ラッピング電車。

昨年本屋大賞を取ったこの本と続編は地元の施設、地名が実名で出てきて大人気です。ちなみに主人公の成瀬あかりの通っていた高校は私の卒業した高校で、それもあってこの電車はよく撮りました。
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リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行5

昨年11~12月は、京都市電の写真展に忙殺されていたこともあり、関東の日帰り旅行の掲載を滞っていました。ネタはありますので再開します。関西の皆さんにとっては馴染みのない路線が続くと思いますが、ご了承ください。

<仙台空港線と登米の散策1 2007.5.19>
2007年はこの年の3月18日に開通した、仙台空港アクセス線(仙台空港鉄道)に乗りに行った。仙台空港アクセス線は全列車仙台~仙台空港の直通運転。途中名取までは東北本線を走り、名取からは仙台空港鉄道の新線高架区間だが、JRの運転手がそのまま乗務していた。ワンマン運転でドアの開閉、ホーム確認は運転手が行う。単線の高架を100㎞以上で快走し、ほどなく仙台空港駅。

仙台駅3番ホーム。JRのE721系

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DF50の予潤滑スイッチ!?

SNS等をネットサーフィンすると、こんなことがあったのかと驚かされることが間々あるのだが、先日、松田優作バリに「何じゃ、こりゃ!」と叫んでしまいそうな写真を発見した。

4枚組の写真は、1枚目がM.A.N.製のV6V22/30mA(撮影時期からDF50 537号?)、2枚目が制御箱内上段(同扉が上下段に分割されていないので、Sulzerならば50号以前、M.A.N.ならば549号(?)以前と思われるが、機号不明)、3,4枚目が機関士席の写真であった。

問題は、この3,4枚目である。機関士席パネルの表示灯(「主電動機送風電動機停止」及び「第1弱界磁」)の左側にポツンとスイッチが1個取り付けられている。下の写真のようなイメージである。   ▲機関士席(DF50 41号2E、1981.07.28)

K14Aブレーキ弁の検査日付からDF50 17号2Eの機関士席の写真と思われ、同スイッチ上部には「予潤滑」と読めるような手書きのラベルが貼り付けられていた。DD51やDE10形式の機関車には標準で取り付けられているスイッチではあるが、DF50にもオプションとは言え取り付けられていたことを、引退から41年を経過した今になって初めて知ることとなった。

この予潤滑スイッチは、名称から察すると潤滑油を循環させて機関始動を容易くするものと考えられるのだが、実際には機関を回転させ、そのシリンダとピストンの摩擦熱や圧縮過程におけるシリンダ内の温度上昇を利用して燃料の爆発を容易にしているだけのことと思われ、潤滑自体は結果論のように思われる。DD51やDE10形式の構造をよく知らないので、これらの形式ではどのようにこの機能を実現しているのかはわからないが、DF50については恐らく以下のようなものと思われる。

長野鉄道管理局で刊行されたDF50形電気式ディーゼル機関車運転取扱説明書では、冬季などで着火が困難なときとして「機関始動押スイッチと同時に機関停止押スイッチを押すことで、燃料を噴射することなく機関は回転し、摩擦熱により予熱され、適当な時期に機関停止押スイッチを離せば、機関は始動する」と書かれている。つまり、下図のように配線とスイッチを追加するだけのことで、多度津工場の匠にとっては造作のないことであったと思われる。ちなみに、この予潤滑スイッチを機関稼働中に押した場合には、単なる機関停止スイッチとして使用可能であることもわかる(但し、機関停止直後にこの予潤滑スイッチから手を離す必要はありそうだが)。    ▲想定回路図

予潤滑スイッチの追加方法については、凡そのことは想像できたのであるが、わからないことがまだ残っている。

一点目は17号がいつこの改造を受けたのか、また17号以外にこの改造を受けた車はなかったのか、という点である。

二点目は、予潤滑スイッチに対するニーズがどこにあったのか、という点である。17号は四国以外での配属はなく、改造工場は多度津工場でしかない。高松、松山、高知は始発駅であるから出区してから出発までの間に機関を停止することはなかったであろう。多度津や伊予西条、阿波池田では入区したり、もしくは出発線で停車時間中に機関を停止する場面もあった。ただ阿波池田を除けば、そこまでは寒くなかったであろう。後は斗賀野ぐらいであろうか。夕方に石灰を積み込んでから多ノ郷へ向かうまでに、斗賀野駅4番線で2時間余り停車していたので、駅東側の住民の方から苦情があったのかもしれない。その間、機関を停止していたのかどうかまでは確認していないが、その可能性は高いと思われる。また、同じ盆地内にある西佐川駅では、分岐器凍結防止のためのカンテラが常備されていたことを考えると(斗賀野駅に常備されていたかどうかは知らない)、斗賀野駅での機関停止後の再始動に不安があったのかもしれない。ただ予潤滑スイッチがなくとも、機関始動押スイッチと機関停止押スイッチを同時に押すだけで同等の対応は可能であり、他の車にこの改造が広がることはなかったものと思っている。

三点目は機関士の養成上、機関始動の手順をDE10と極力共通化させたい意図があったのだろうか、とも勘ぐれることである。予潤滑スイッチを押す前までの手順はDF50とDE10では大きく異なると思われるので、あり得ないとは思うのだが・・・。

何かご存知の方がいらっしゃれば、ご教示のほど、よろしくお願いいたします。

デジタルカメラ元年、2004年(その後)

2024年ももう終わりです。デジタル一眼レフを使いだした20年前、2004年当時の撮影をシリーズ化して出すつもりだったのですが、やはり今の自分には「連載」は困難なことを認識した次第です。前回は2004年4月、大阪駅での撮影を紹介しましたので、今回は、その後の撮影をまとめて掲載することにしました。

(鹿島鉄道へ)

2000年代半ばまで、たまに東京へ行くと常磐線の普通電車で鹿島鉄道、茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)、他には関東鉄道常総線、鹿島臨海鉄道に行っておりました。その手段も、ムーンライトながらが便利だったのですが、2009年に季節列車化され、指定の取得が難しくなり、コロナのさ中の2021年には廃止になってしまいました。その列車利用で活用した青春18切符も、2024年12月からは連続した日程でしか使用できなくなりました。鹿島鉄道は2007年に廃止となっています。旧式のディーゼルカーが最後まで活躍していましたが、その沿革はウィキペディア等に詳しく書かれていますのでそちらをご覧ください。

▲東京駅での一コマ 2004年5月2日 湘南電車の113系も185系の踊り子号もとうに代替わりしました。

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DF50 4号、解体撤去される!

今年(2024年)も残すところあと5時間半となりました。

少し時間が経過してしまいましたが、DF50 4号の解体撤去は、私にとっては今年最もショッキングな出来事でした。                          ▲DF50 4号(左:2010.08.10、右:1983.02.13) 続きを読む

久しぶりに見るC57と関連写真

本来は『「カシオペア紀行」を追いかけて』としたいところであるが、高齢者ファンなので「懐かしいC57を見る」という回顧録的懐メロ的な題とした。歳をとったことを自覚する題で今年最後の投稿とした。

2024年11月30日初電を乗り継いで8時過ぎに新潟駅に降り立った。今回も駅撮影よりも走行撮影がお好きなクモハ73106東ウラさんの運転するレンタカーでEF8195の牽引する「カシオペア紀行」とその折り返し回送を撮影することが主目的で台湾のお好きな千住のヤスベイさん(ぶんしゅう旅日記によく登場する芸名)とデカンショまつりさん号さんの4人で行った時の記録である。

集合場所は新津駅で「ばんえつ物語号」の牽引機C57180を見るのが最初の撮影目的で、日本海側特有の雨混じりの天気であったがどういうわけかこの時間に少しだけ晴れてくれた。この後ろ姿はかつて京都、園部、東和歌山(現和歌山)、亀山、福知山、米子、出雲市等々で客車と連結する際に見られた風景で電機からバトンタッチする時などはワクワックして眺めた後ろ姿である。▼

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京都市電 烏丸線写真展を振り返って

来場者は5日間で600名強
写真展 「京都からすま市電通り」は2024年12月16日(月)~20日(金)まで、中京区烏丸三条角のNTT西日本三条コラボレーションプラザで開催されました。京都の市街地の交通至便な場所での開催ながら、歳末の平日のみ5日間での実施でもあり、来場者の動員が心配されましたが、京都新聞に掲載(12月17日「市民版」)やNHK京都の地域ニュースで紹介(12月18日の夕方、夜間)されたこともあり、来場者は5日間合計で延べ610名を数えました。特にNHKの放映翌日の12月19日には1日の来場者が200名を超え、大賑わいでした。(12/16=48名・12/17=101名・12/18=126名・12/19=207名・12/20=128名 総計延べ610名様)

ギャラリーのあるNTTビルは烏丸通りに面したガラス張りの建物
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