夏の思い出  2025-5 ある駅、ある街を訪れる

昨年10月、小浜線にホキ回送の撮影に出向いた折、若狭高浜駅のホームや跨線橋の雰囲気が50年前と変わっておらず、驚きました。若狭高浜には子供の頃に家族で海水浴に毎年訪れていて、その話を総本家青信号特派員さまにさせていただいたのですが、隣駅の若狭和田を再訪された記事を、すでにデジ青に書いておられました。

 夏の思い出 2017-4  ある駅を訪ねる | DRFC-OB デジタル青信号

先日、小浜線で気動車回送が運転されたのを機に、総本家さまの真似っこよろしく(笑)、家族でお世話になった若狭高浜のお寺のあたりを歩いてきました。何と、門構え、本堂と居宅の配置などがまったく変わらず、海岸方向に続く細い道も、古い家が残り、50年前の雰囲気が残っていました。

今回は小浜に保存された、御召&さよなら列車の牽引機、C58171号機にも再会してきました。あの当時の京都の家族の海水浴の行先は、丹後よりも若狭が多く、なかでも若狭高浜派と和田派があったというのは、総本家様との共通意見でした。ともあれ、50年の時間を越えて、こうした話題でまた趣味を楽しめるのはデジ青あってのことですね。あらためて、感謝します(^^)/

昭和40年代前半から半ば、こちらのお寺に毎年夏、お世話になった。石造りの門構えは当時のまま。

 

左の民家、井戸は何となく記憶が。右側は建て替えられているが、よろずや(商店)があったとは家族の記憶。

石造りの塀も、当時そのままだった。海に続く、細い道も。

小浜市中央公園に保存されたC58171号機。煙室扉ハンドルの欠落が残念!(2025.5.31)

C58171号機は福井国体お召列車、小浜線蒸機さよなら列車を牽引し、敦賀第一区を代表するカマだった。

越美北線用気動車の後藤工場出場回送。この日はタラコ風の塗装車をDE10が牽引。 青郷〜三松 2025.5.31

現代の小浜線きっての撮影地、小浜市民球場付近からの小俯瞰。勢浜〜小浜 2025.5.31

自己紹介

今年2月に引退した、湘南色を纏う岡山の115系 和気にて (2023年8月24日撮影)

初めまして。3月にDRFCを卒業し、クローバー会に入会いたしました。2023年にはDRFCの会長も務めさせていただきました。乗り鉄です。どうぞよろしくお願いいたします。諸先輩方の投稿と比較すると、まだまだ未熟な所も多々あることと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。

今回は初投稿ということで、自己紹介も兼ねた内容といたします。私は、ハンドルネームが示す通り、生まれてから大学卒業までの20数年間京都に住んでおりました。それでは、なぜ岡山が好きなのかと申しますと、岡山を走る列車が好きだからです。

JRの沿線に住んでいたわけではありませんが、幼い頃から113系、115系が好きでした。それは今も同じです。そんな私にとって、岡山は非常に魅力的な場所。大学入学を機に行動範囲が広がったことや京都から比較的行きやすいこと、そして何よりも湘南色の115系が走っているということもあり、長期休暇を利用して岡山に出かけるようになりました。何度も出かけるうちに岡山という街そのものが好きになり、卒業論文のテーマも、岡山でかつて走っていた軽便鉄道でした。もちろん、岡山に出かけた際や、岡山を通る際には必ず113系や115系を始め、魅力的な列車達に乗ったり、撮影したりしました。

岡山では、湘南色の115系は今年の2月に引退 (私の大学卒業とタイミングが近いのは偶然でしょうか?)した他、他の113系や115系も227系「urara」の投入により、少しずつ数を減らしています。また、特急やくもに273系が投入され、381系が引退したことも記憶に新しいです。国鉄型の列車が数を減らすのは寂しいですが、私は227系も273系も好きですし、何より岡山の魅力は色あせることはありません。今後も魅力溢れる岡山に足を運び続けたいと思います。

今回は、簡単に自己紹介という形で投稿させていただきました。次回以降は、学生時代を中心とした旅行記や、京都を中心に関西の鉄道の思い出、そして岡山の鉄道について書かせていただこうと思います。これまでに先輩方が投稿された内容と少し被ってしまうかもしれない点は、ご了承いただければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

蒸機C60の「霧島」

総本家青信号特派員さんの50年前の記録に特急「きりしま」が出ていました。その後九州内でも同一名の特急があったような気がしますが見たこと、撮ったことはありません。さて表題のC60の急行「霧島」ですが多分前日に博多で泊り翌1964年4月2日に博多6時57分発「霧島」に乘ったような記憶があります。次の鳥栖迄ED721[門司]に引かれて7時25分鳥栖到着でC6027[鹿児島]にバトンタッチした直後の写真です。寝台、食堂、1等車など伝統急行31列車らしい編成が東京から鹿児島まで連結されていましたがこんな撮影では機関車の記録だけです。この日は鳥栖で終日鹿児島本線(含む久大本線)、長崎本線を撮りました。▼

大手から大手への譲渡車両

今日5月31日は小田急から西武へ譲渡された車両の国分寺線での営業開始日です。

小川駅の元小田急8561Fの西武8003F8103の東村山行きです。▼

2018年7月10日小田原線玉川学園前を通過する快速急行小田原行き8561です。この車両が上の西郡8103の編成で譲渡第一陣です。▼

過去に東急から名鉄へ譲渡されて例がありました。1978(昭和53)年5月6日木曾川堤の2881~3881の元東急の車両です。▼

関東の私鉄は興味がないとおっしゃられる方もおられますのでこれで幕引きです。

 

斗賀野~多ノ郷間石灰専用列車

先月、本件列車をモデルとした鉄道模型が販売された。私自身はDE10形式への形式改善前までの数年間の付き合いであったが、懐かしくなり少しまとめてみた。▲DF50 18+DF50 44+ホキ5200×18B、1983/04/03 入14便、多ノ郷~取卸場 続きを読む

伯備線381系の最晩年を記録する

2024年6月、伯備線の特急「やくも」で活躍していた381系電車が定期運用を終えました。
これにより国鉄時代に登場した特急型電車が全て定期運用を退きました。
日本全国の旅先でよく出会った国鉄型の特急がついに第一線から居なくなってしまいました。

幸いにも、381系最後の活躍を撮りに伯備線に何度か足を運ぶことができました。
本で読んだ「布原の三重連」と同じ路線が終焉の地となることに因縁めいたものを感じつつ、中国山地を走る振り子式電車を記録しました。

根雨駅で並ぶ「サンライズ出雲」(臨時)と新旧「やくも」。381系で採用された高運転台スタイルは後任の伯備線特急車両にも引き継がれました。

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2025年4月の台湾鉄道(その4)

 ▲平渓線のローカル列車 三貂嶺-大華

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2025年4月の台湾鉄道(その3)

▲DR2100・2400復活 内湾線 上員ー六家

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2025年4月の台湾鉄道(その2)

▲台中港ー清水をゆくEMU500型の区間車

4月18日(金)
この日、4月18日は、前回の2月が日曜日の訪問で、台中港線はウヤだったので、手堅く平日での再挑戦です。また海線で莒光号も狙うことにします。これも前回、とんだハプニングで撮れませんでしたので回収させてもらいます。

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2025年4月の台湾鉄道(その1)

もともとは台湾ではなく、上毛電気鉄道がデハ101を走らせるとかで、行こうかどうしようか、と考えていたのですが、デハ101の乗車が現地抽選で、大阪から高崎まで優等列車利用を東海道新幹線に限ったとしても片道16000円もかかるので、高いしどうしようか、と迷っていたのです。

高崎とは全然関連性はないのですが、ジェットスターが台湾便を増便し、空港利用料他諸手数料全て込みでほぼ30000円で行けることが判りました。台湾は、2月に行ったところでした。しかし大阪と変わらぬくらい寒く、途中で食べた貝の炒め物が恐らく原因だと思いますが、食当たりに遭い、途中から体に力が入らなくなり戦意喪失し帰ってきたので、どこかでやり直さねば、との気持ちが片隅にありました。

ということで、関西空港からジェットスターの夜行便で台北桃園をめざすことにしました。夜の23時35分に出て、到着が現地時刻1時30分だったので、朝までは空港で仮眠です。朝一番の空港バスで台北までは渋滞なしの約40分で着いてしまいます。

今回は、4日間だけなので高雄や台東までの長距離移動を要する高雄や台東は行かないと割り切り、せいぜい真ん中の台中あたりまでに区切っての撮影に勤しむことにしました。

消滅が取り沙汰されている客車急行の莒光号はどうなっているか、機関車の世代交代はどれくらい進んでいるかなどが関心事です。さてどうなっていることやら。

▲ 新鋭R200型牽引の貨物 瑞芳ー猴硐 続きを読む

リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅  11

<転職前の平日茨城行 2008.11.14>

私は平成20(2008)年の冬に2度目の転職をしました。10月下旬に勤め先が決まり、11月は有休消化と引き継ぎで日程的にも余裕があり、平日の休みを有効に使って小旅行に繰り出しました。鉄道+街歩き+ミュージアム巡りができる手頃な場所として、茨城県の那珂湊を選びました。常磐線の勝田からひたちなか海浜鉄道湊線に乗っておよそ15分、昭和の香りが残る那珂湊駅に降り立ちました。

勝田駅の湊線ホームは常磐線の一部を借用

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四国総局管内の荷物輸送(気動車編)

前回、「四国総局管内の荷物輸送(客車編)」をまとめてみたので、「片手落ちだろう」と指摘される前に気動車についても調べてみた。ただ客車編同様、特に興味をもって接していたわけではないので、手元にある1982(昭和57)年11月15日改正の気動車運用表をベースに、その頃の状況をまとめてみた。▲キニ15 1他DCとターレット、1980/09/13、阿波池田駅3番線 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 18 ハロン湾ツアー 帰国

第11日目 2月26日

今日はべトナム滞在最後の日です。正確には翌日早朝1時40分発の夜行便で帰国します。11泊12日の初めてのベトナムの旅が終わります。
最後は行ってみたかったハロン湾ツアーです。KKday企画の『【日本人専用ラグジュアリークルーズ(6時間乗船・冷房エアコン付き・豪華な海鮮ランチ・フォーの夕食付き)』4,808円を申し込んでいました。「当日の朝のピックアップ時刻: 8 時 00分、ガイドがホテルまでお迎えにまいりますのでホテルロビーにてお待ちください。」との連絡が届いていました。
少し遅れてバスは宿泊していますホテルに到着しました。2+1の豪華なバスでした。▲ GoogleMapで検索しますとハノイ市内からは167km、高速道路を通っての
所要時間は2時間23分と出ました。結構な距離です。 続きを読む

越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 17 ハノイMRT3号線視察

第10日目 2月25日 後編

15:56 2A号線の始発駅カットリンに戻りました。これから2A号線とはまだ接続ができていない3号線のカウゼイ駅へ向かうのですがどう行けばいいのか分かりません。駅員に聞いてみますと付いてくるようにと言われました。バス停まで案内してくれて乗車する系統を教えてくれるのかと思っておりましたら、何と停車していたバイクTaxiに乗るようにと指示が出ました。
バイクには乗りたくはなかったのですが既に運転手に目的地を言っています。親切に案内していただいていますので断れません。雨が降っていますのでリックから雨ガッパを取り出して着用、駅員にいくら出せばいいかを聞くと50,000ドン(300円)との返答です。地元民相場はこんなものかと駅員が見ている前で運転手に渡しました。
駅員にお礼を申し上げてバイクに乗りました。車とバイクで混み合う道路を約20分走り3号線カウゼイ駅に到着です。
15:23 お礼を言って下車しましたが運転手は20,000ドン(120円)の追加を言い出します。大した額ではありませんが最初の約束とは違うのは一番嫌なことです。「NO」と強く言って別れました。
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リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 10

<青梅線アーカイブス 1976年奥多摩・2002年鉄道公園>

青梅線に初めて乗ったのは昭和51(1976)年、大学3回生の時でした。春と秋に東京に小旅行に出かけ、春は立川→拝島→高麗川→川越→大宮と周り、秋には立川から終点の奥多摩まで全線を乗車しました。
前日、名古屋で高校の同級生と会って、ドリーム号で朝6時に東京駅に着きました。この日は夜に友人と人気男性フォークデュオのコンサートを見るまでは予定がなかったので、東京ミニ周遊券で行ける、遠くの奥多摩を選びました。

奥多摩駅は山小屋を連想させる趣きのある駅舎だった
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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 16 ハノイMRT視察

第10日目 2月25日 前編

今日はホーチミンより早く開業したハノイMRTとどう違っているのか乗ってみての視察です。この旅の直前まで中国の支援にて開業したと思いこんでいました。日中のMRT開発の一騎打ちが見られると期待していましたが、フランスのアルストムが支援したMRTも既に走っていると知りびっくりしました。

▲ 中国、フランス、日本の3か国が支援して開業なったハノイMRTの2路線とホーチミンのMRTのざっとした違いの紹介です。詳細についてホーチミンMRTはPart 5で紹介しておりますので今回はハノイ2路線を紹介させていただきます。
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四国総局管内の荷物輸送(客車編)

昨年、ヤフオクに四国総局報号外(昭和54年春季荷物輸送)が出品されていた。旅客や貨物の輸送計画の号外は知っていたが、荷物輸送については全く知らず驚いた。

これによると、高知発3/21~4/9の228レに臨南東荷83(マニ、汐留~高知)が増結されており(南東荷3仕業を2車にしたようなもの?)、2024年8月4日に投稿した「讃岐財田駅」(id=153890)での車掌さんの話とも符合してくる。

また、以前に「DF50 18号(その1)」(id=153477)で、1981(昭和56)年10月(正確には同月13日)以降、DF50は貨物列車専用機となったと書いた。DF50の引退イベントである臨時列車以外の旅客列車をけん引していないのは事実なのだが、不定期ながら工場入出場や転配属する客車、あるいは線路検測のためのマヤ34を貨物列車に連結し、客車そのものはけん引していた。 続きを読む

 美祢線の半世紀を回顧する

2023年の水害以来復旧の目処の立たない山口県下を南北に貫く美祢線について、過去の記録もあるので、遅筆であるが先月書きかけた記事を進めてみる。

写真は昨年2024年8月27日に目撃した、美祢線の中間駅於福の運休中の現状である。
線路は1年以上の休止で錆びて、駅の建物内では地元の人たちの会合が開かれていた。話の内容は聞けなかったが、無人駅になり長い時間も過ぎて、諦めムードも強いと思った。


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リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 9

新緑がまぶしい青梅線ハイク 2008.7.5
青梅線沿線の奥多摩地域は、東京都心から手軽に行け、ハイキングやレジャーを楽しむのにもってこいの場所です。私の住んでいた埼玉からだと武蔵野線を使うと西国分寺で中央本線に乗り換えができますので、直通の電車なら青梅まで1本で行けます。

青梅駅の留置線で休む4両編成E233系

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越南(ベトナム)統一鉄道の旅 Part 15 ロンビエン橋、TrainStreet

第9日目 2月24日 後編
▲ 7:45 まず向かうのはロンビエン橋です。GoogleMapで見ると2.4㌔、徒歩34分と表示されました、歩けない距離ではないと思っていましたが駅前の客引きに掴まりました。「Grabと同料金でいいよ」との事ですぐ前にいたTaxiを案内します。50,000ドン(300円)なら安いと乗り込みました。
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