2026年3月14日 JRダイヤ改正に寄せて

3月14日にダイヤ改正があるので、久方ぶりに時刻表3月号を買いました。災害による運休が津軽線、米坂線、陸羽東線、美祢線、くま川鉄道、大井川鉄道で続いており、復旧、存続が危ぶまれる線区もあります。一方、ショックを受けたのは、深川・石狩沼田間15.8Kmの留萌本線が3月末で鉄道営業終了となり、留萌本線という名前が無くなることです。留萌・増毛間、留萌・石狩沼田間と廃止され、盲腸線のように残っていた「本線」でしたが、ついに最後の日を迎えるのは寂しい限りです。北海道の路線図を見る度に、かつて訪れた 今は亡き線区のことを思い出しています。

留萌本線では豪雪の恵比島駅でD61や留萌鉄道を撮ったのが最も印象深く残っています。

57年前の今日 昭和44年3月6日 惠比島にて

一筆書き切符の旅 3日目① 中央西線全線完乗

1月16日(木)

掛川 8:34 ― 737M 浜松行き → 浜松 9:01

浜松 9:10 ― 935M 豊橋行き → 豊橋 9:44

豊橋 9:50 ― 新快速 大垣行き → 名古屋 10:43

北口の木造駅舎とは対照的に、カラフルなデザインの掛川駅南口。

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「家計調査」

「家計調査」は、総務省が毎月実施している家計の収入・支出、貯蓄・負債などの調査である。この調査結果は、餃子やラーメンなど消費支出額のランキングなどで各マスメディアでも取り上げられることが多いので、ご存知の方も多いことと思う。全国168市町村の世帯で調査されているが、よく利用されている調査結果は、このうちの都道府県所在市(46市と東京都区部)とそれ以外の政令指定市(5市)の計52市の2人以上の世帯の調査結果である(本稿でも以下、この結果を使用した)。先日2025年の調査結果が公開されていた。別段食べ物に限った調査ではないので、”鉄道”の支出額(年間の世帯平均額)を調べてみた。なお今年は世間に迎合したのか、2023~2025年の年平均値による品目別の消費支出額を都市別のランキング形式でも公開しているのだが、何故か“鉄道”に関する項目は無い。 続きを読む

一筆書き切符の旅 2日目③ 千本浜を訪ねて

沼津 18:30 ― <ホームライナー浜松>3号 浜松行き → 掛川 19:49

静岡地区にもすっかり馴染んだ315系。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [6]

加悦鉄道 「蒸機の旅」の珍編成

昭和45年10月に大阪~丹後山田~加悦で3回にわたり運転された「蒸機の旅」を続けます。前回は丹後山田の様子まで紹介しましたが、今回は、いよいよ加悦鉄道で運転された、愉快な珍編成の列車の紹介です。大阪・京都からの団体列車「蒸機の旅」は、牽引機を4回変えて、12:46に丹後山田に到着、定員350名の乗客は、加悦鉄道が特別に編成した列車に乗り換えて、終点の加悦へ向かった。その編成がコレ、DC351+サハ3104+ハ10+キハ51+ハ21と、現役の車両をほぼ動員した、木造単車あり、気動車あり、東急から来たサハありの珍編成だった。この時期、キハ083はまだ入線しておらず、通常はキハ51、予備としてキハ101が使われていて、客車列車は昭和40年代初頭に無くなっていた。次位のサハ3104は、もと東横電鉄デハ104で、電装解除でサハ3104になり、昭和43年に加悦に入線したが、実際に営業に出たことは聞いたことがない。

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上本町駅の近鉄2200系

参宮急行デ2200は新京阪デイ100、阪和モヨ100とともに当時の関西の代表的電車と言われた。走行距離、車両の大きさ(20m車長は大阪鉄道デニ500、南海電九301系2001形に次ぐ)、大出力電動機に発電ブレーキ併設で連続33パーミルのアップダウン走行、省線の2等車並みのシート等からも日本最高電車と言われた。近鉄2200系は1930(昭和5)年から製造された57両と1939(昭和14)年から製造された2227系26両に分けられる。尚、晩年は1930年製2200系57両はほとんどが3扉化され、さらに2200系は1953(昭和28)年製造の元特急用の2250系20両(元貴賓車2600含む)を加えて同一の編成(悪く言えばガラクタ編成)で走っていた。私の撮影は1967年11月29日上本町駅である。

急行宇治山田行きの列車種別行先板を誇らしげに上本町駅発車待ち2306の端正な姿である。2306は元デトニ2306で特別室と荷物室を持っていて晩年は特別室は一般開放していたのでよく乗車したが、伊勢商人の担ぎ屋さんが占領したのか魚の匂いが残っていて閉口したものである。▼

最後まで2扉で残っていた2205。扉が大きく離れている車両は私鉄ではあまりなかったものと思われる。運転室横の片目は皆さんご存知の通りトイレである。修学旅行は関東は日光、関西は伊勢が定番だった。私も修学旅行のスナップ写真に残っている車内は2200でこれで伊勢に行った。▼

2205の横に荷物か新聞の袋詰めの様なものを載せた台車が見られる。長距離列車のターミナルの雰囲気である。▼

2227形の2243を横から見たもので特徴ある張り上げ屋根や扉の位置などから新旧2200はまるで別形式である。ホームには列車種別行先板が収められているケースがあるが関西ターミナル駅にはよく見られた。大きな竹かごは近鉄特有のものなのかはわからない。大阪の有名校に電車通学でもしているところか品の良さそうな小学生が二人写っている。近鉄も番号を誇らしげに切り抜き文字で大きく表示してくれるのは有難い。▼

上の2243の正面は異色のツーライトである。1968年9月29日名古屋線白塚駅での2243である。▼

一筆書き切符の旅 2日目② はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに來りたり

東京 13:07 ― 1873E 熱海行き → 国府津 14:39

国府津 14:50 ― 2547M 沼津行き → 沼津 16:14

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一筆書き切符の旅 2日目① 都心の景色をパノラマビュー

1月15日(水)

甲府 8:53 ― 532M 高尾行き → 高尾 10:29

高尾 10:31 ― 快速 東京行き → 東京 11:49

天守台からの景色。中央線の211系の姿も。

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近鉄8000系

近鉄は毎日通勤で利用する(していた)様な人は別として関西人でも形式などよくわからないのではないか。大阪線の急行が名張でブチ切れるとかのニュースも入ってくる今日この頃だがこの大阪線も形式判別が難しい。高市早苗総理は名門奈良県立畝傍高校から神戸大学に進み野球は阪神ファンとして知られているが通学にはどんな電車に乗ったのか興味あるところである。

さて本題の近鉄8000系も最近は廃車が進んでいると聞くが名古屋から京都方面に行く時にJRを利用せずわざわざ近鉄を利用した時に撮った写真を発表してみる。     8000系は奈良線、京都線用の大型通勤用車両で、昇圧に対応して1963、4(昭和38、9)年に登場した。大きく分けて8000系:昇圧対応、 8400系:8000系の機器配置変更車、 8600系:新製冷房車、 8800系:界磁位相御のモデル車があり1980年までに208両が製造された。外観は一目見てもさっぱりわからないが好きな電車であり、名古屋から延々と急行大和八木に着き下の電車を見ると大抵はこの8000系が見られた。

系統立てて説明できないので撮影時期の古い順に発表していく。

最初は前回900系撮影と同じ1968(昭和43)年4月30日奈良線東生駒-石切間の特急上本町行き8036で1969(昭和44年)9月の奈良線、京都線、橿原線等の昇圧前である。▼

時期が大きく飛んで2013(平成25)年12月22日京都線新田辺-富野荘間の木津川橋梁に向かう8303(8400系)後部の急行京都行きである。このこの辺りもDRFCの仲間と旧型車、元奈良電車両、18200系釣り掛け特急車等を撮った思い出の場所で懐かしい。天気が悪かったが電車の通る頃に日が差してくれた。▼

2016年8月12日同じく富野荘-新田辺間の木津川橋梁である。8578(8000系)先頭の急行橿原神宮前行き6連。この時はDRFC応援でいつもお世話になっている清水敏史さんの車で大勢で行った。▼

2016年9月18日鶴橋駅進入の奈良線急行難波行き8353(8400系)。鶴橋駅は名古屋迄急行の乗り継ぎで利用する時に乘る駅でひっきりなしに車両が出入りするので見ていて飽きない。尚、気がついたことだが奈良線は難波行き、大阪線は上本町行きが終点になっているが奈良線の阪神方面直通を除いてきっちりと分けられているのだろうか。▼

2016年11月4日通勤客等で賑わう西大寺駅の準急奈良行き8101(8600系)。8600系は新製時からの冷房車で他の8000系と比べ屋根が深いというのが特徴の様であるががよくわからなない。▼

2018年7月12日橿原線橿原神宮前駅普通京都行き8111(8600系)と京都行き汎用標準特急22000系(ACE)の後部車両同士の並びで吉野、阿部野橋方向へ行く時はこの風景をよく撮ったものである。ゲージの異なる元はそれぞれ別の会社の接続駅で橿原線は行き止まり駅である。▼

2018年9月9日田原本線但馬-箸尾間を行く8416(8400系)新王寺行き▼

2018年9月9日天理線平端-二階堂間8308(8400系)。平端から天理線は左に大きくカーブしてして三つ目のJR桜井線天理駅に到達する。▼

2019年1月23日田原本線黒田-但馬間8409(8400系)新王寺行きで旧型車両の復刻塗装であるがこの色の旧型車というのは見たことがない。この復刻塗装はドデスカデンさんの情報だったと思う。▼

2019年1月23日田原本線黒田―但馬間8414(8400系)の新王寺行きは820系の復刻塗装で820系は京阪三条駅にも顔を出していたので見られた方もおられると思う。個人的には太った8000系よりも細身の820系の方が帯付きマルーンは似合っていたように思う。しかし、貫通幌付き正面3間窓は最も好ましい電車の顔。多分若い方からは反論があってもおかしくないと思うが最近はこの手の顔が少なくなった。▼

2022年7月21日大和八木駅の橿原線急行橿原神宮前行き8306(8400系4連)~1234の6連。▼

2022年7月21日橿原線近鉄郡山-九条間の8619(8600系)の急行京都行きで6両固定編成である。右は城の石垣で木々が繁茂して見えない。▼

2022年7月21日橿原線九条-近鉄郡山間8901(8800系)4連橿原神宮前行き。▼ 

2022年7月21日橿原線近鉄郡山-九条間で郡山城の石垣、櫓を見て走る京都行き8357(8400系)。大和郡山城は筒井順慶築城、大河ドラマの主役豊臣秀長の居城で有名。▼

石切駅の東側の新生駒トンネルを出る急行難波行き8621(8600系)。石切にある石切劔箭(いしきりつるぎや)神社は関西で「でんぼ(腫れ物・おでき)の神様」として非常に有名と同期の滝本さんから教わったことがある。▼

以上で前回の900系に続く8000系を終わる。近鉄特有の「モ」とか「ク」は慣れていないので全てカットさせていただいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の近くの雪景色電車

天気予報は、当たるもんだと思った。東京西部八王子、秩父は都心よりいつも夏は高温、冬は氷点下になる。2月8日は予想が当たり大雪。カイロ持参で長靴、傘、マフラー、防寒着、手袋の重装備で私のいつもの場所に出かけた。関東の私鉄の嫌いな方が多いDRFC-OBであるが京王相模原線に乗り入れの都営10-659快速橋本行きの雪景色で勘弁させてもらい少ない投稿を補充する。

一筆書き切符の旅 1日目② 富士山を眺めて

日本一狭い駅そば屋。残念ながら営業時間外。

塩尻 15:32 ― 1534M 上諏訪行き → 上諏訪 15:52

上諏訪 16:14 ― 特急あずさ44号 新宿行き → 甲府 17:01

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近鉄900系

最近デジ青の最初の画面の右上のお知らせ欄に若手会の皆さんの近鉄8000系が報じられている。私の頃同好会内部では大手私鉄の人気と言えば京阪優勢で阪急がそのライバルであったように記憶している。同じ関西でも他の私鉄は話題に上らないことが多かった。そのような中で一部の知識豊富な二人の会員から近鉄を宣伝されることがあり何でも屋の私はそれにのっかったことがある。しかし、近鉄だけは形式など把握することが難しく今でもその体系がよくわっていない。

今回はそのデジ青最初の頁のお知らせにある近鉄8000系の元となった900系の記録を少し発表してみる。近鉄900系の概要を申し上げると600V小型車時代の奈良線の体質改善のために投入された20メートル4枚ドアの大型車両である。小型車時代の新性能車800系、820系から900系へと大型化したのは新生駒トンネルの開通が控えていたこともある。阪急神戸線の様に17mの800、900、920系列から19m標準車体の810系の旧性能車を経て1000系列新性能車を経て2000系列の現阪急の基本となった19m新性能車になったのと比べ近鉄奈良線の16m足らずの600系列旧性能車から18.5mの新性能800、820を経ていきなり幅広の20mの新性能の車900系になったのは路線事情や時代背景の違いもあるが興味深いものがある。

900系は製造は勿論近畿車両で1961年から1963年まで24両ほど製造された全長20.7m、幅が2.8mで裾を絞り込んだシュリーレン台車を履いた近鉄大型車の草分けと言える車両である。出力は145kw×4で1961年上本町-瓢箪山間に先行投入された。

写真は1968年4月30日新生駒トンネル開業後の西日を浴びた石切-東生駒間の上本町発東花園行き903で当時のアイボリー系の塗装である。▼

同一日同一場所の奈良発上本町行き特急908でマルーン塗装になっている。正面右下の鹿の特急マークが輝いている。近鉄特有の正面大型行先はまだ改造装備されていない。▼

1968年10月30日大阪線の高安で見た904。どういう訳か大阪線の高安で奈良線の車両を撮影。いろいろと検査や試験をやっているようだった。▼

同じく同一日高安で見た911。2丁パンタにシュリーレン台車。機器は新しそうだ。▼

写真展何もできず申し訳ない。1月最後の投稿。今日は京王線の新車2000系の初営業日。

 

 

一筆書き切符の旅 1日目① 木曽路はすべて山の中

今回使用した京都市内から京都市内までの切符。

季節外れの投稿が続いたため、ここらで冬の旅について書きたいと思います。今からちょうど1年前のお話です。卒論も一段落したため、どこかへ出かけたいと思い、ゼミの友人にお勧めされていた一筆書き切符を使った旅行をすることにしました。往路は中央線を使って東京へ行き、復路は東海道線と関西線を使いました。

2025年 1月14日(火)

京都 8:37 ― 新快速 長浜行き → 米原 9:36

米原 9:56 ― 206F 大垣行き → 大垣 10:32

大垣 10:41 ― 新快速 豊橋行き → 岐阜 10:53

岐阜 11:15 ― 719C 多治見行き → 多治見 12:34

多治見 12:59 ― 区間快速 中津川行き → 中津川 13:37

中津川 13:50 ― 特急<しなの>13号 長野行き → 塩尻 14:54

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [5]

廃止直前の加悦鉄道(5) 大阪・京都から企画列車が走った② 

昭和46年10月に3回運転された「蒸機の旅」、続けます。前回も記しましたが、大阪~丹後山田~加悦の機関車の形式・運用も多彩ながら、それに続く客車も、多彩さでは負けていませんでした。デジ青常連の皆さんから、ネタばらし(?)をされて、鮮度が落ちましたが、改めて「蒸機の旅」に連結された客車編成を記すと、大阪←オハフ33 462+オハ35 1308+オシ17 2022+スハネ30 2127+マロネ40 19+スロフ51 2039+オハフ33 1010→京都 と言う編成で、新聞各紙は〝バラエティー列車〟という見出しを付けました。すべて現役の客車で、なかでも食堂車は大阪発車時から営業で、車内では軽食、ビール、ジュース、フィルムが提供と書かれていました。運賃は、大阪~加悦で弁当付きで1900円、募集定員は350名は、マロネ、スロフにも着席でき、乗車できる客車は、当日、受付の際に抽選と記されていました。山陰本線千代川付近を行く「蒸機の旅」、C57 128[福]の牽引、京都で牽引機、編成の向きが変わった。山崎付近で撮ったあとは、DRFCメンバーのクルマに乗せてもらい、追っ掛けを開始した(昭和46年10月)。

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [4]

廃止直前の加悦鉄道(4) 大阪・京都から企画列車が走った① 

加悦鉄道について、私が体験した珍しい企画列車を紹介します。昭和45年の鉄道記念日の前後、10月14日、18日、25日の3日間、大鉄局では大阪~京都~綾部~西舞鶴~丹後山田~加悦を往復する企画列車「蒸機の旅」を運転しました。愛称のとおり、大阪~丹後山田は、すべて蒸機の牽引、途中、京都、綾部、西舞鶴は向きが変わるため、牽引機も代わって都合4種の蒸機が牽引、なかでも大阪~京都を蒸機が走るのは、昭和31年の東海道線完全電化以降は初めてのことで、そのあとの東海道・山陽筋の蒸機イベント列車の端緒にもなりました。しかも蒸機だけではなく、それに続く客車編成もクセの強い車両ばかり、〝SLブーム〟の渦中でも、ひときわ趣味性に富んだ列車となりました。

ここまで書くと、加悦とは一切関係がないのですが、丹後山田からは加悦の古典客車を連ねた特別列車に乗り換えて加悦へ行き、車両を見学するのが最終の目的でした。この日は朝からDRFCメンバーにクルマで追い掛けてもらい、たいへん収穫の多い一日でした。撮影順に見ていただきます。東海道本線大阪~京都に14年ぶりの蒸機の牽く企画列車「蒸機の旅」9921レが走った。牽引するのは梅小路区の花形C57 5だった。しかもまだ現役で、京都~園部で列車を牽引していた時代、大阪~京都の牽引に抜擢された(昭和45年10月、神足~山崎)。

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日本縦断の旅 番外編 再訪!枕崎駅

博多駅にて、ONE PIECE新幹線のルフィ号に遭遇。

2025年8月30日(土)

博多 8:30 ― <みずほ>601号 鹿児島中央行き → 鹿児島中央 9:46

鹿児島中央 10:02 ― 1333D 枕崎行き → 枕崎 12:56

枕崎 13:27 ― 5326D 指宿行き → 指宿 14:52

指宿 15:07 ― 特急<指宿のたまて箱>6号 → 鹿児島中央 16:00

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私の撮った国鉄ラストナンバー蒸機

昨年12月にフェースブックなるものに私が撮った蒸機のファーストナンバーを投稿したがこのジャンルは趣味の世界の先輩で当時愛知県立高校の先生であられた方がラストナンバーについても「SL末っ子物語」と題して鉄道ピクトリアルに報告されている。先生はわざわざ目的のナンバーを求めて撮影され報告されているので私の様に旅先で偶然出会った該当機の撮影とは真剣さが違うが私も二番煎じになるがラストナンバーをデジ青に投稿する。ファーストナンバーと比べラストナンバーはその時はわからず自宅で改めてその記録に気づくこともある。ご笑覧下され。

私の蒸機の撮影対象が1750ミリの動輪を持つ大型旅客機であったこともありラストナンバーも大型機が多い。まずC62は49号機がラストナンバーであるが1949(昭和24)年4月汽車会社大阪で製造番号2575ボイラーD52104で製造(改造)された。東海道・山陽型に対して東北・常磐型は後の北海道型とともに軸重軽減がなされている。その生涯は平機関区を中心とした常磐線であった。C6249は引退直前に装飾されて記念運行されたようであるが保存には至らなかった。廃車は1968(昭和43)年である。写真は1966(昭和41)年3月20日特急「ゆうづる」の約2時間後に同じく青森からやってくる食堂車付きの急行「第4十和田」で牽引機はC6249[平]であった。7時40分過ぎの通過で「ゆうづる」の時よりも陽も上って条件がよかったがうまくとらえられなかった。▼

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [3]

廃止直前の加悦鉄道(3) 国鉄時代のキハ08 3 

末期の加悦鉄道で使われていた車両は、国鉄オハ62客車を気動車化改造したキハ08 3でした。前述のように昭和49年に加悦へ導入されました。もう1両、昭和54年に入線したキハ10 18もありましたが、末期、日常的に使われていたのは、キハ08 3でした。そのキハ08 3の国鉄時代の姿も撮っていたこと、今回の投稿で初めて分かりました。加悦に到着したキハ08 3、車体長は標準的な国鉄DCとほぼ同じだが、車体高は屋根が深いため4085mmもあり、もう1両のキハ10 18の3710mmより、375mmも高く、切妻もあって、デッカイ印象だった。機関は急行型DCにも使われているDMH17H、動力台車はDT22Aに換装されていた(昭和60年1月)。国鉄時代の客車改造のキハ08・09は各所で撮っていたが、今までナンバーも確認していなかった。改めて調べると、釧路に配置されていたキハ08 3を何回か撮っていたことが分かった。写真は、厚岸にて、根室発釧路行き236D、キハ08 3+キハ21 18 ただし、加悦は1位側、厚岸は3位側から撮っているので、逆の角度となる(昭和44年9月)。

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夏休み日本縦断の旅 最終日 人に翼の汽車の恩

このシリーズの最終回です。奇しくも113系の日の投稿となりました。

市電に乗って朝の鹿児島中央駅へ。

9月6日(金)

鹿児島中央 9:41 ― <さくら>550号 新大阪行き → 新神戸 13:45

新神戸 13:52 ― <のぞみ>26号 東京行き → 京都 14:19

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 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [2]

廃止直前の加悦鉄道(2) 戻りは全区間歩いて 

一日4往復に減ってしまった、廃止前の加悦鉄道、昭和60年1月4日、午前2番の列車に乗って、9:53に終点の加悦に到着しました。まずは構内に置かれた蒸機、客車など車両や駅周辺を見学。これを終えると、午後一番の列車までは相当な時間があります。代行バスで戻る手もありましたが、途中の各駅も記録しておきたく、丹後山田までの5.7km、歩いて戻ることにしました。

行きのキハ083車内から見た加悦鉄道、途中ゆるやかなカーブがあるが、ほぼ一直線で加悦へ向かっていた。

9:53 加悦に到着した2番列車のキハ08 3、加悦の古ツワモノが構内に並んでいた。

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