2014~2015年 凍える大地への旅 Part12 中ロ朝国境見聞録その1 琿春の3国国境 朝俄鉄路大橋

DSC_1486_120▲ 13:42 中国・ロシア・北朝鮮、3国国境の見渡せる展望台(龙虎閣)に上がって滅多に走る事はないであろうロシア・北朝鮮国境に架かる橋を見ていましたら、それは突然にやってきました。慌てて小竹先生を呼んでの撮影です。DL、客車とも北朝鮮所属と思われます。霞みかかる中、ゆっくりと鉄橋を渡ってきました。
まさかこれが撮れるとは・・、幸運としか言いようがないショットでした。この图们江(防川)に架かる朝俄铁路大桥(俄はロシアの意味)は、戦後の1983年8月8日に完成しています。長さは650mの鉄路橋です。
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「中朝鉄路 写真紀行」のご紹介

日朝鉄路_小竹直人昨日、Amazonより予約しておいた1冊の本が届きました。
いつも訪中される時にはお誘いいただいております中国鉄路の第一人者の小竹直人先生の「中朝鉄路 写真紀行」です。

内容は題名の通り、日本統治下時代に中国と北朝鮮の間に架けられた国境の橋7本の紹介です。
長年に渡っての中国側から現地取材を重ねられた集大成が掲載されています。7本の鉄橋は1本、1本に分けて建設と目的、その後の経緯、そして現状が幅広い視点から書かれています。

取材旅行の何回かは私も同行させていただき、デジ青に掲載させていただきました。それだけに思い出すものが多く、一気に読み上げました。さすがプロです。私の掲載した記事とは一味も二味も違っての卓越したものがあって、また勉強になりました。

今年末からもご同行させていただき急激な変化を遂げていく中朝国境を結ぶ鉄路を訪問予定です。またご紹介させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
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2013年 春の中国鉄路の旅 Part16 北朝鮮国境沿いの鉄路 その10 消えた駅「三峰洞駅」、朝鮮族の町「龍井」

第15日目 5月15日
① 延吉20:55(2038次)→9:06ハルピン
② ハルピン15:49(K7081次)→6:10東方紅

今日は小竹先生とご同行させていただく最終日です。14日間お世話になりましてありがとうございました。先生は12:57延吉発の夜行列車で大連に向かわれ帰国の飛行機に乗られます。一方の私は、夜の延吉発でハルピンへ、休憩してから午後の列車で東方紅へと2連チャン夜行列車の旅です。

01_消えた駅3

午前中は時間があります。先生はかつて蒸気機関車が走っていた時代に撮った思い出の撮影地が今はどうなっているのか見に行きたいと申されますので一緒に参ることにしました。

今日は昨日のように大雨も降っていなくホテル前から01_消えた駅6Taxiをチャーターでき、約30分で目的地「三峰洞」に着きました。

先生は杏子の花が満開の小高い山を指さされて、あの頂上に立つと龍井を発車した蒸気機関車をフカンで撮ることができた。爆煙を吐きながら勾配を上ってくるのは素晴らしかったと思い出に浸っておられました.

しかし、降りられた駅がありません。しばらく歩かれて、確かここが食堂だった。他に食べる所がなかったのでしかたなく食べたが、不味かったなあ。でも駅前には人通りもあったと申されます。

01_消えた駅1

駅があったであろう上には、工場もありますが既に閉鎖されていて、周りは廃墟と化して生活感はどこにもありません。

01_消えた駅4

散歩に来られたおじさんに以前にあった駅のことを聞きますと、確かにあったが3年前に田舎の小さな駅は廃止するとの鉄道省からの指示が出て壊されて撤去された。改築もされて間もない駅だったのにもう跡形もない。
01_消えた駅2そこが駅舎のあったところだと申されます。確かに石積みが残り建造物があった名残が確認できますが、消えた駅でした。

中国鉄路は各地で建設ラッシュを迎え総延長10万キロを超えていますが、本線やローカル線の小さな駅は、のきなみ閉鎖され廃駅となっています。
地方の小さな町や村々を結ぶ交通手段は整備された道路を走るバスへとシフトされています。

01_消えた駅5多くの中国鉄ちゃんが度々降りられた、この三峰洞駅は中国鉄路の合理化により忽然と消えた駅になっていました。

先生は、呆然と見ておられましたが、横をレールバスを両端にした保線車両が走り去っていきました。

準特急様からコメントをいただいておりました駅です。
まだ写真の整理前で、グーグル地図を見て安易にまだ健在と答えてしまっていたのですが、改めてPart16を編集する際に小竹先生に聞いてみますと訪問した駅が三峰洞駅でした。
よく確認せずで、まことに申し訳ありません。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part14 北朝鮮国境沿いの鉄路 その8 国境の橋「南陽図們橋」、撮りました北朝鮮の列車!

第14日目 5月14日

今日も中国と北朝鮮との国境の橋「南陽図們橋」「琿春図門橋」を訪問します。

01_朝食目覚めて外を見ますと、昨日までの好天とは打って変わって朝から雨が降り出しています。撮影には最悪のコンディションです。

泊まっています境浦酒店での朝食です。ここでは何とルームサービスで運ばれてきました。ご覧のように朝鮮式で品数もボリュームも満点です。味も良し、中国式は飽きあきしていましたので美味しくいただきました。これで20元(約350円)でした。お得です。

朝食後、図們へはバスで向かい、ここで道を熟知している地元Taxiをチャーターしようと決めていました。バスターミナルまではTaxiを探しますが、ラッシュ時と雨のために空車が全く通りません。困っていると、ガイドの崔さんから「良かったら、会社の車を出しましょうか。運転手は道も良く知っています。チャーター料はTaxiと同じでいいですよ。」と、助け舟がきました。条件が同じならここから乗った方が便利です。OKを出しました。

今日の撮影地は雨が降ると泥濘となりますので、延吉の町を出る前に大きな傘と長靴を買いました。予想は当たり、大変役に立ちました。どちらも使い捨てで傘は崔さんに、長靴は必需品となりましたので、最後まで持ち歩いていました。
02_図們までの田舎道103_江陽1雨が降る中を図們に向かいますが、崔さんは町はずれから本道を左折して細い地道を行くように運転手に命じます。どうしたのと聞くと、本道では検問があって身分証の確認と車内の荷物検査等があるので面倒です。逆に時間もかかると申されます。
そういえば我々も前回検問に会いました。あの時は後ろから路線バスが来たので途中で我々の検査は止めて、公安は後ろに行きましたので面倒にはなりませんでした。
崔さんはこれを回避するために裏道を行くようにと指示したのですね。ウン、日本のマスコミを案内するぐらいですから実力のほどが分かりました。中々のガイドです。

山越えをして図們手前で本道に戻りました。豆満江を挟んだ対岸には北朝鮮鉄路が見えます。駅がありましたので止まって撮りました。川岸には監視台が設置されています。
03_江陽2▲ 9:55、将軍様の写真が掲げられて、何やらスローガンが書かれた駅舎です。駅名はハングルですので読めませんが多分図们の対岸「南陽」の1つ手前の駅と思われますので「江陽」でしょうね。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part13 北朝鮮国境沿いの鉄路 その7 国境の駅「開山屯」と国境の橋「三峰橋」

第13日目 5月13日 その2

小竹先生と私が訪れております日本統治下時代の満州と日本(朝鮮)の国境の橋の位置図を作成しました。ご覧ください。
国境沿いには白頭山(中国名:長白山)を源に発しての鴨緑江と豆満江が流れていて、それぞれ黄海と日本海に注いでいます。この2つの川が国境線となっていました。川に面した2つの国を結ぶ鉄道橋はそれぞれ3つが建設されています。軍事物資や生活物資輸送の他、旅客輸送も行われていました。今日の午後からは前回も訪問しました三峰橋を訪ねます。00_日満間国境の橋110_南坪~延吉▲ 国境の町「南坪」を訪ねた後は、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。

道中でガイドの崔さんは、若い頃に日本に留学していた。大学は京都工業繊維大学で宇治に住んでいましたと申されます。
中国の方とは結構面識がありますが、京都の大学は珍しく工繊大と聞くのは初めてです。私も京都の同志社ですと名刺を渡すと、崔さんも喜ばれたようで、打ち解けて京都の話で盛り上がりました。

今日はさわやかな春の青空が広がっています。Taxiは、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。町の中でまずは腹ごしらえです。

11_昼食11_昼食2▲ 12:40、ガイドの崔さんが案内してくださったのは朝鮮料理のお店です。
石焼ビビンバを注文しました。久しぶりの丼ものは、やはり口に合います。とっても美味しく、全部平らげました。これで18元(約300円)は、とても安いです。
この値段、この味で日本で出せたらお客殺到でしょうね、

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part11 北朝鮮国境沿いの鉄路 その5 国境の町「丹東」、鴨綠江大橋を渡る国際列車と虎山長城

01_チョゴリ▲ 万里の長城の東端 丹東「虎山長城」で朝鮮の民族衣装チョゴリを着て記念写真を撮っておられたお嬢さん。真っ赤な衣装に白い顔がとっても印象的でした。聞けば、籐先生の大学の生徒さんで、観光にきておられていました。 一瞬、すぐそこの国境を越えて来られた「喜び組」の方かと思える美貌の持ち主でした。

 

第12日目 5月12日
 丹東14:42(K7378次)→翌10:29和龍

今日は、小竹先生と一緒に午後の列車で丹東を離れ、次の国境の町へと向かいます。
2日間厚かましくもお世話になりましたOさんの奥様、ご両親やご家族の皆様にお礼を申し上げて出発しました。まず目指すのは、朝に北京から到着して北朝鮮平壌へと向かう国際列車が北朝鮮へと渡る中朝友誼の橋です。撮影場所は前回北朝鮮に残る蒸気機関車?を撮影した中朝友誼の橋、すぐ近くの丹東中聯大酒店の屋上お立ち台です。

02_鴨緑江大橋1▲ 9:35、お立ち台から見た、日本統治下時代の1911年10月に竣工された鴨緑江大橋(中朝友誼の橋)です。全長は944.2m、幅は11m。併用軌道ではありませんが、片側を道路、もう片側を鉄道の両方で使用されています。道路は狭いために一方通行で、時間を区切って両方からの走行です。中国側から北朝鮮に向かうのはこれでもかと積載されたトラックですが、復路は空で戻ってきます。
03_丹東駅303_丹東駅5
今日はどうかなと見ますと、トラックは相も変わらずイミグレ前からの行列ですが、イミグレの様子が前回と変わっています。
前回見た日帰り北朝鮮ツアーの観光バスやチャーター車がいません。従って観光客も居なくガランとしています。
昨日に籐先生が北朝鮮の緊張感が高まり、今年の4月から中国人も北朝鮮に行かれなくなったよと話されていた通りです。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part10 北朝鮮国境沿いの鉄路 その4 国境の町「丹東」、新鴨綠江大橋

第11日目 5月11日

昨夜は丹東に住まわれるOさんの奥様のご実家で厚かましくも夕食をご馳走になり、宿泊までさせていただきました。久しぶりの家庭の味は山菜の天ぷらが出ました。天ぷら粉は日本から持ってこられたそうで、ほっと一息大変美味しくいただきました。ありがとうございました。04_花1

06_山菜採り今日は午前中、ご実家の裏にある裏山に登ってみることにしました。山は春を迎えていました。
綺麗な小さな花が咲き、たらの芽、こごみ、ゼンマイ等々の山菜の宝庫で近所の人たちも採りに来ておられました。昨夜のおかずも山で採ってこられたそうです。

01_山

かつて日本軍が要塞を築いていたそうで、登って見ますと塹壕や砲台の残跡が残り、丹東の街並みが見渡せる尾根づたいはハイキングコースになっていました。気温は20℃とさわやかな朝でした。
03_温度

 

05_餃子▲ お昼も奥様とお母様のお手製の山菜入りの焼き餃子です。これも絶品です。恥ずかしながら私の家内は味音痴ですので、こんな美味しい料理は作れません。ちょっとOさんを羨ましく思いましたね。
前回そして昨日も国境の橋を案内していただいた籐先生も来られました。籐先生はこちらの大学の先生です。今日は丹東に建設中の新鴨綠江大橋を見に行きましょうと案内していただきました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part9 北朝鮮国境沿いの鉄路 その3 集安から丹東へ、水豊ダム

第10日目 5月10日
① 通化BT7:31(Bus)→11:40長甸
② 長甸(マイカー)→水豊ダム→上河口→丹東

今日はホテル横のバスターミナル(汽車站)から丹東行き長距離バスに乗って途中にある長甸にある次の北朝鮮との国境の橋へと向かいます。
鉄路&バス_比較_縮小1▲ 集安から長甸までのルートは鉄路も考えられない事はありませんでしたが、最短距離に鉄道は現在敷設されていなく、上のルート地図のように大きく迂回しなければなりません。3本の列車を乗り換えての所要時間は約24時間とバスの約4時間と比べると雲泥の差がありますのでバスでの移動となった次第です。
バス路線HP用▲ 地形図から見たバス路線です。鴨綠江に沿って走り、途中からは山間を走行します。高速道路はありませんので全線一般道です。
切符はすでに買ってもらいました。今日は天気も良くなさそうですので、ゆっくりとバスの乗り鉄旅です。長甸までの移動距離は約190キロ、所要時間は約4時間です。

01_バス切符▲ バスの切符ですが、保険料(1元=約17円)まで付いてきました。56元+1元=57元(約960円)が運賃になります。
朝起きると外は雨模様でした。1日ずれなくて良かったですね。ホテル食堂で朝飯を食べてからの出発です。
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2013年 春の中国鉄路の旅 Part8 北朝鮮国境沿いの鉄路 その2 高句麗の都「集安」、北朝鮮の国際列車Ⅱ

第9日目 5月9日

今日も集安にて北朝鮮からの国際列車撮影です。昨日の時間で来るのか教えてもらえないとは分かっていてもまず集安駅へと向かいました。01_集安駅01_集安駅2

01_集安駅4DSC_7123_1▲ 8:20、集安駅に到着。1日1往復しか走っていない駅だけあって、列車が発着しない時間帯は閑散としています。しかし駅前広場の池の前ではおばさんおじさんたちが一緒に朝の体操をしておられました。人けがあるのは、ここだけですね。

01_集安駅3

まずは駅構内を見てみますと、混合列車が止まっています。写真を撮りたかったのですが、監視員にマークされてカメラを出すことさえできませんでした。
しかし、この列車は何時に到着したのでしょうか? 昨日とは運用が違っています。

駅舎内に入ると切符売り場は営業中でしたので王さんに通訳してもらって、この列車はいつ出発するのか聞いてもらいました。10時過ぎとの返事ですが、本当なのかどうかの確認手段はありません。
イミグレは前に車は止まっていますが、動きはありませんので、すぐの発車はないようです。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part7 北朝鮮国境沿いの鉄路 その1 国境の町「集安」、北朝鮮の国際列車

第6~8日目 5月6日~8日
① 5月6日 ホテル(Taxi)→广元21:14(K292次)→
② 5月7日 →8:39咸阳(Taxi)→西安空港
③ 西安空港12:40(CZ6470)→14:00太原経由14:45→16:10瀋陽空港
④ 瀋陽空港(Bus)→太原街(地鉄)→瀋陽駅(バイクTaxi)→駅正面

④ 瀋陽21:46(K7385次)→翌日 7:05通化7:45(Taxi)→9:35集安

00_移動地図小竹先生と二人、今晩の夜行列車で四川省广元から北朝鮮国境の町、吉林省集安へと向かいます。鉄路で行けない事はないのですが、3泊を余儀なくされます。小竹先生の日程もあって途中の西安~瀋陽は飛行機での移動となりました。それでも車中連続泊、移動距離は約3,000キロ強、所要時間は約36時間の長旅です。

广元を6日夜に夜行列車に乗って出発、西安手前の咸阳で下車してTaxiで西安空港へ、CZ6470は途中で太原を経由しての3時間半のフライト。瀋陽空港到着後はTaxIで国鉄瀋陽駅へ、再び夜行列車K7385次に乗車してまずは通化へと向かいました。

11_切符25月6日、广元から乗車するK292次の切符は小竹先生から鄧さんに依頼して前もって購入してもらっていました。
中国鉄路の切符発売日が12日前から20日前に変更なったのは。この時に初めて知りました。依頼した旅行社の鄧さんも知らなかったそうで、广元からの寝台切符は取れず始発駅の成都からそれも硬座寝台になりました。四川からの復路鉄路切符は昔から蟻地獄ともいわれるぐらい四川に入ることが出来ても、出るのは非常に難しいと言われています。現在片道10本が運行されていますが、なぜか寝台切符は即日完売となる列車が多く、特に北京に向かうT8次はプラチナ切符です。
瀋陽からのK7385次の切符は、上海到着時に自力購入しました。こちらは列車本数が需要の割には6本と多く、多忙期と直前購入でもない限り確保しやすい切符でした。

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2012年 冬の中国鉄路の旅 総集編

ご尊敬させていただいております小竹直人先生との2度目の旅は、2人だけの5日間の旅でしたので直接に身近で、中国鉄路に撮り向かわれている姿を見せていただく事ができました。たくさんの勉強をさせていただきまして、ありがとうございました。
しかし、私のような気ままにぶらり旅をしながら、たまたま良いのが撮れたらいいよ程度とは違って、生活もかかっておられますので、撮るについての真剣度が全く違っていました。さすがプロとあってテーマについて追い求められる、集中したお姿は真似が出来ませんでしたが、貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。

この回は、中国東北地方(旧満州)の北朝鮮とロシア国境沿い、そしてかつて盛況だった森林鉄道の復活SLのチャーターをいたしました。またいつもの一人旅とは違って、中国鉄路をこよやく愛されている中国鉄ちゃんの方々との楽しい撮影の旅となりました。お世話になりました皆様方、ありがとうございました。またご同行させていただく機会がありましたらよろしくお願い申し上げます。

 【2012年 冬の中国鉄路のルート】
東北MAP 続きを読む

2012年冬の中国鉄路の旅 Part5 长春路面電車と軽軌

第6日目 11月17日

① 図们 前日20;30( K7368次)→5:45长春
② 长春19:46(2727次)→翌日9:10绥芬河

定刻に夜明け前の長春に到着しましたが、前回と同様に本站から離れた臨時站です。
少し歩かないと本站まで行けませんが、降った雪で思うように進めません。

途中で朝飯にしました。チェーン店のお粥屋ですが、中々でした。

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2012年冬の中国鉄路の旅 Part4 国境の橋Ⅲ 琿春(珲春)

第5日目 11月16日

① 図門(Taxi)→琿春(珲春)→図们
② 図们20:30(K7368次)→翌日5:45长春

今日は、昨日のTaxiを再チャーターして、図们から東方向(珲春)へと向かい約60キロ先の国境の橋を目指しました。
【不運の鉄路】
 1932年に「珲春鉄路」が設立され、1935年に満鉄北鮮線の訓戎~珲春(14.8キロ)が、762mmのナローゲージで開業しています。訓戎~水湾に架かる国境の橋はこの時に建設されました。
1938年には、「東満洲鉄道」に買収され、1939年には輸送力増強のために1435mmへと改軌されました。国境の橋も、この時点で付け替えられています。その後、珲春以降の延伸が続きましたが、1945年のソ連の突然の侵攻により鉄路は破壊され消滅したようです。わずか10年で消えた不運の鉄路です

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2012年冬の中国鉄路の旅 Part3 国境の橋Ⅱ 開山屯へ

第4日目 11月15日

① 丹東 前日14:42(K7378)→11:38龙井
② 龙井(Taxi)→開山屯→図们 

 丹东~龙井の1,066キロを約22時間かけて走るK7378次は東北地区のみを走る列車としては、走行距離の長い列車の一つです。
走行する和龙~白河は途切れた路線でしたが、 最近つながりこの列車が生まれました。使用される車両は旧型緑皮車で、暖房は車両ごとの石炭炊きのボイラーです。しかし、乗り鉄には応えられない車両です。
ただ、食堂車がないことが問題ですが、我々二人の主食はビールと白酒ですので、よく来る車内販売で十分でした。 続きを読む

2012年冬の中国鉄路の旅 Part2 国境の橋

第3日目 11月14日

① ホテル7:30(車)→9:01上河口駅→10:55长甸駅→丹東駅
② 丹東14:42(K7378)→翌日11:38龙井

 朝7時前に目覚めました。昨夕の新義州駅の列車が気になります。急いで屋上に上がって見ました。逆光の向こうに新義州駅があります。
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