第6~8日目 5月6日~8日
① 5月6日 ホテル(Taxi)→广元21:14(K292次)→
② 5月7日 →8:39咸阳(Taxi)→西安空港
③ 西安空港12:40(CZ6470)→14:00太原経由14:45→16:10瀋陽空港
④ 瀋陽空港(Bus)→太原街(地鉄)→瀋陽駅(バイクTaxi)→駅正面
④ 瀋陽21:46(K7385次)→翌日 7:05通化7:45(Taxi)→9:35集安
小竹先生と二人、今晩の夜行列車で四川省广元から北朝鮮国境の町、吉林省集安へと向かいます。鉄路で行けない事はないのですが、3泊を余儀なくされます。小竹先生の日程もあって途中の西安~瀋陽は飛行機での移動となりました。それでも車中連続泊、移動距離は約3,000キロ強、所要時間は約36時間の長旅です。
广元を6日夜に夜行列車に乗って出発、西安手前の咸阳で下車してTaxiで西安空港へ、CZ6470は途中で太原を経由しての3時間半のフライト。瀋陽空港到着後はTaxIで国鉄瀋陽駅へ、再び夜行列車K7385次に乗車してまずは通化へと向かいました。
5月6日、广元から乗車するK292次の切符は小竹先生から鄧さんに依頼して前もって購入してもらっていました。
中国鉄路の切符発売日が12日前から20日前に変更なったのは。この時に初めて知りました。依頼した旅行社の鄧さんも知らなかったそうで、广元からの寝台切符は取れず始発駅の成都からそれも硬座寝台になりました。四川からの復路鉄路切符は昔から蟻地獄ともいわれるぐらい四川に入ることが出来ても、出るのは非常に難しいと言われています。現在片道10本が運行されていますが、なぜか寝台切符は即日完売となる列車が多く、特に北京に向かうT8次はプラチナ切符です。
瀋陽からのK7385次の切符は、上海到着時に自力購入しました。こちらは列車本数が需要の割には6本と多く、多忙期と直前購入でもない限り確保しやすい切符でした。
▲ 7:05、合計9つの交通機関を乗り継いで、ようやく朝日がまぶしい通化に到着しました。久しぶりに見る快晴の朝です。
通化から北朝鮮との国境の町、集安へは1日1本の列車が設定されていて接続可能ですが、115キロを約3時間強もかかります。遅くとも車窓を楽しめますので乗って見たかったのですが、北朝鮮からの国際列車を撮るためには遅すぎる到着となってしまいます。いたし方なく、通化から集安へはTaxi利用となりました。
ここからは、小竹先生がいつもお願いしておられる案内人の王国軍さんの部下で同じ名前の王さんが我々をサポートしてくださいます。緊張が続いている北朝鮮との国境を行くわけですので分かってはいても予期せぬトラブルに遭遇した場合を考慮しての備えでもありました。
▲ 7:25、駅前では旅行者とみるとTaxi運転手がたかってきます。料金交渉成立後は、駅前の万通大酒店の食堂でのバイキング朝食です。18元(約300円)でした。
9:30、高速道路をひとっ走り約100キロ余りを約2時間弱で集安に到着しました。列車の約1/2の所要時間です。蒸気機関車の走っている頃に何度も訪問されている小竹先生は、今宵の宿を次の移動に便利なようにとバスターミナル横の翠園賓館を予約してくださいました。
ホテルの部屋に荷を置いて一休みした後、またTaxiをチャーターして集安郊外にある鴨緑江国境鉄道大橋へと向かいました。
10:30、小竹先生お奨めの橋をフカンできる小高い山に登って、11時過ぎには来るであろう北朝鮮からの列車を待ちました。快晴ですが、春霞なのか遠方は霞んでいます。
12時を回っても列車は中々来ません。王さんに近くの民家にいつも来る時間を聞きに行ってもらいますと1日3回は来るらしいとの事ですが、何時だか分かりません。お腹が減ってきて温度も33℃となって喉が渇いてきましたので、山の下で待つTaxiの運転手に我々の主食であるビールを買ってくるように電話を入れました。
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▲ 13:38、待つこと約3時間、鴨緑江対岸からタイフォンが聞こ得て北朝鮮からの列車がトラス橋を渡ってきました。この橋は長さ598m、幅5m、20の橋脚で支えられて、北朝鮮の滿浦市と中国の集安市を結ぶ鉄道橋です。
※ 地図は拡大できます。左下のGooglをクリックしてください。
鮮鉄(朝鮮総督府鉄道)満浦線の満浦駅は、平元線順川駅を基点に昭和14(1939)年2月1日に開業しました。
一方の満鉄(南満州鉄道)梅輯(梅集)線の輯安駅(現;集安)は、奉吉線の梅河口駅を基点に昭和14(1939)年9月1日に開業しました。国境橋は同年10月1日に竣工して鮮鉄と満鉄のレールがつながりました。満浦~輯安(10.8キロ)は満鉄線となっていました。
鮮鉄の満浦駅に国際接続駅としての機能があったそうです。当時の時刻表を見ますと吉林~平壌を結ぶ長距離夜行列車が1本、通化~満浦のローカル列車がありました。貨物も当然に走っていたでしょうが、ダイヤは不明です。
朝鮮戦争当時は、中国からの志願軍が渡った主要ルートにもなりました。
▲ 今日の編成は、北朝鮮のDL+荷物車+硬座車です。先生が蒸気機関車時代に撮られた時は客車1両の短編成で建設型が牽引していたと言われました。
▲ 橋を渡ると線路は90度のカーブを描いて集安駅へと向かっていきます。
▲ 鮮鉄の満浦線の満浦駅からは90度右にカーブして鉄橋を渡り、左にカーブして後はほぼ一直線に集安駅に入線します。集安駅を出るとU字カーブを描いて上り坂を通化方面へと向かいます。かつては満浦駅構内にはヤードや扇形車庫があって国境駅としてメインだったようですが、現在は集安駅が役目を果たしているようです。
北朝鮮側には亜鉛鉱山があり、満浦駅から分岐している枝線は、銅の製錬所への引き込み線です。
大規模な地殻変動によりできた朝鮮半島は世界の「鉱物標本室」と呼ばれ、有用鉱物は200種を越えているそうです。
代表的な鉱石に、ウラン、タングステン、マグネサイト、磁鉄鉱、石灰石、黒鉛などがあります。経済発展を続ける中国は喉から手が出るほど手に入れたい資源です。
タンク車が並ぶ工場前の川の堤防下では洗濯をしている北朝鮮人民が多く見えていました。
▲ 14:25、列車が入線した集安駅に行ってみました。駅舎の右側にある建物がイミグレのようです。小竹先生からカメラは出さないようにとの注意がありましたので、一眼レフはバックにしまって近づきながら様子をうかがいました。緊張感がはしります。
厳重な警戒が引かれていましたが、イミグレ前の混雑に紛れて、監視員を撮らないようにして数カットをポケットに入れたコンデジでの撮りました。
▲ イミグレの前では折り返しの列車に乗せて北朝鮮に送られるであろう荷物が公然と置かれていました。洗濯機からトイレットペーパーまで日用品の数々がありました。段ボールの中は何が入っていたのでしょうかね。撮影していると監視員がやって来て撮るなと指示が出ましたので、ここまでです。
イミグレ横の通路の向こうにはDLが見えます。駅線路内を横断できる踏切がありましたので、進むことにしました。門があって、2012年7月1日より集安駅に入る国際列車本数が増えたので作業をする30分間は通行禁止にする旨の公示がありました。どうもこの間に列車の往来があるようです。1日3回です。現地住民から聞いたのは、定期定時運行がされる場合の本数だったようです。
▲ 駅内の踏切です。監視員が立っていました。駅構内と列車の撮影をしたいと申し出ましたが却下されました。これは却下前に撮りました貴重な1枚です。駅構内には他に留置されている車両はありませんでした。
折り返し列車の発車時刻をお聞きしましたが、当然教えてもらえません。しかしもうしばらくすると発車する様子には間違いありません。復路の列車撮影では客車のサイドビューを撮っておきたかったので、鴨綠江の堤防へと向かいました。
▲ 15:40、集安駅を発車したであろうタイフォンが聞こえて、しばらくすると折り返し北朝鮮戻りの客車列車がやってきました。付近一帯はなブドウ畑で、その中を走行していました。
▲ 15:46、国境の門をくぐって鉄橋にさしかかりました。
▲ 復路の編成は、荷物車と客車が入れ替わっていました。DLの車両番号は105号機です。番号前に記載されているハングル文字は内燃車という意味だそうです。963号車は荷物車、4516号車は客車です。いずれも中国製のようです。ゆっくりと国境の鉄橋を渡って消えて行きました。
列車が去った後は、堤防沿いの道路を走り対岸の鉄路を見ながら集安の町へと引き返しました。▲ 町の中には公園が整備され遊覧船の船着き場がありました。丹東と同様に北朝鮮を真近に見る遊覧船とモーターボート乗り場となっています。
▲ 今日も長い1日が終わりました。夕食は公園横のホテルのレストランで夕暮れる町を見ながらゆっくりと美酒を味あいました。
ここ集安はかつての高句麗(紀元前37年~668年)の前期の都城と古墳があり、2004年7月にユネスコ世界遺産に登録されています。折角きていますので明日は時間を見つけて行ってみることにしました。 Part8へ続く