SL大樹C11形123号と新聞記事

ぶんしゅうさんがよく使われるJALの「どこかにマイル」を私も愛用しています。先週はこれを利用して今まであまり行ったことの無い北関東に行ってきました。
「どこかにマイル」で今回候補に挙がったのは長崎、鹿児島、花巻、成田でした。希望は成田以外ならどこでも良かったのですが当たったのは成田、どこに行けばよいか迷って関東在住のクモハ73106東ウラさんにご相談したところ、SL大樹とその回送があるのでどうかと言われました。たまたまこの日は123号が運転される日で、これは願ったりと出かけることにしました。当日は早朝から車に乗せていただき、不鋳鋼さん、Y崎さんのクローバー会準会員の方々もご一緒されました。
↑ IMG3169:まず新高徳-小佐越間で大樹1号を撮影、この日は寒い日で煙もまずまずです。

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梅田貨物線

12月9日に「はるか」などが走る梅田貨物線の供用開始が2月13日になると発表されました。これに伴い、旧梅田貨物駅跡地を走っていた地上線は廃止されます。廃止まで2か月となった12月11日に現地を見てきました。

↑ 中津陸橋から見た風景です。うめきた2期工事は2027年に全体開業し、手前側にはマンション、奥側は大きな公園とオフィスビル、商業施設が立ち並びます。ここはうめきた全体を見られる有名撮影地ですが、来たのはは初めてです。工事の進捗状況を定点撮影しておけば良かったのですが遅かったですね。

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50年前の大和川検車区

一昨日は奈良の駅名研究家さんが計画された阪堺電軌161形の乗車会に行ってきました。天王寺駅前から浜寺公園までの乗車で、途中我孫子道でトイレ休憩という計画でした。我孫子道では車庫の方に入りそこで下車となりました。降りたあたりで撮影していると同乗していた係員の方から奥まで来てもらっても結構ですよと言われ、車庫内も見学させてもらいました。ここは我孫子道車庫とも言われていますが正式には大和川検車区で、すべての車両が配属されています。私のDRFC現役時代に見学会で来たことがあり、今回2回目の車庫見学となりました。乗車会についてはまた報告していただくとして、昔の見学会を振り返ってみることにしました。↑ 当時主力のモ250形の前での記念撮影です。50年も経っていて、皆さん大分お変わりになっておられるのでそのまま出させてもらいました。 続きを読む

大津線110周年ラッピング電車

京阪大津線は今年110年を迎え8月15日から記念のラッピング電車が走っています。京阪大津線の京津線前身の京津電気軌道は大正元年(1922年)8月15日三条大橋-札ノ辻間が開通し、(国鉄東海道線旧線との立体交差部分の工事が遅れ、当初はこの部分を徒歩連絡し、工事が完了したのは12月14日)石坂線前身の大津電車軌道は大正2年(1923年)3月1日に最初の大津(現在のびわ湖浜大津)-膳所間(現在の膳所本町)が開通しました。同じ年度にこの二線が開通し今年度が丁度110年となりました。これを記念して石坂線の600形(601,602)にラッピングとヘッドマークが、600形(603,604)にはヘッドマークが取り付けられています。また、京津線800形(801,802,815,816)にもヘッドマークが付けられています。↑ 石坂線600形には260形、京津線800形には京津1形の写真のヘッドマークがついています。

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DMV乗車記

28日に行われたDRFCクローバー会、多度津でのイベントに合わせて四国を巡ってきました。その中で26日に阿佐海岸鉄道のDMVに乗車しましたのでご報告します。
阿佐海岸鉄道は1992年に牟岐線海部から甲浦までを開業し、一部の列車は牟岐まで乗り入れていました。2020年11月1日阿波海南-海部間をJRから編入し、気動車による運行をしていましたが、DMV化工事のため1か月後の12月1日より阿波海南-甲浦間でバス代行輸送を開始し、昨年12月25日よりDMV車両を使って阿波海南文化村-阿波海南駅間と甲浦駅-道の駅宍喰温泉間をバスモードで、阿波海南駅-甲浦駅間を鉄道モードで運行を開始しました。(土曜、休日は室戸岬の「海の駅とろむ」まで運転されます)
↑ 始発駅の阿波海南文化村駅に停車中のDMVです。

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保存されている名鉄510形

先日用事で愛知県に行った帰りに岐阜で途中下車し、北口駅前広場に静態保存されている名鉄510形を見てきました。1926年に旧美濃電気軌道セミボ510形として造られ、21世紀初頭まで現役を務めていました。1987年には鉄道友の会エバーグリーン賞を受賞した名車ですが、意外にも作られたのは5両だけ、その内3両が静態保存されています。いずれも510形が走っていたところで、美濃町線美濃駅跡に512号が、谷汲線旧谷汲駅跡に514号、そして今回訪れた岐阜北口駅前広場に513号が保存されています。
これらの保存には各自治体が関わっているのでしょうか?やはり個人の力ではなかなか難しいものがあります。ボランティアの有志が自治体と協力して維持していくのが一番良い形ではないかと思います。京阪大津線の名車80形も何らかの形でゆかりのある自治体が関わって保存ができないものでしょうか?

↑ 岐阜駅北口駅前広場の開業10周年を記念して徹明町近くの金公園で保存されていたものが移設されました。
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京都市営地下鉄の新車

米手作市さんから京都市営地下鉄の新車の報告はないのかとのことでしたが、撮影に行った帰りに初乗車しましたので、試乗記というほどではありませんが、少し報告させていただきます。ご承知の通り3月26日から新車20系が走り出し、4月12日からは近鉄線内でも走るようになりました。太陽の下で走る電車を撮りたくて先日新田辺に行ってきました。

↑ 車体の色は10系を踏襲していますが、扉部分が同じ薄緑で塗られているのと、車体の前面は丸みを帯びていて雰囲気は大分異なります。

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2001号に方向幕がつきました

梅小路公園に置かれている京都市電2001号に方向幕がつきました。方向幕には烏丸車庫、連結車の表示がされています。調べてみると連結車は昭和39年に登場、2600型と合わせて12編成24両が走っていました。この連結車には思い出があります。連結車は主に混雑する烏丸線の4番系統で運用されていました。

↑ 急行マークも懐かしいですね。方向幕の字体は当時の物に合わせて手書きされました。尚この写真は市電ひろば協力会の方から頂きました続きを読む

山形交通廃線跡を訪ねる(高畠線)

三山線を訪れた後は米沢で泊まり、翌朝早く、米坂線今泉から山形鉄道フラワー長井線(旧長井線)を完乗し、赤湯経由で高畠に行きました。高畠は山形新幹線の「つばさ」も停まる駅で、この日は閉館でしたが、駅には温泉が併設されています。近くにはワイナリーもあり、観光客も多く見かけます。山形新幹線が開通する以前は糠ノ目と呼ばれており、駅の周辺は人家も少なく、高畠の中心と結ぶために1922年高畠鉄道が開業しました。その後1924年に二井宿まで延長されましたが、1965年ころになると輸送実績が減少し、1966年の水害で高畠-二井宿がバス代行輸送になって、そのまま1968年にこの区間が廃止、1974年に残りの糠ノ目-高畠間も廃止となりました。
↑ 1974年8月山形交通糠ノ目駅、1面のホームに3線、左側に奥羽本線糠ノ目駅がありました。

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山形交通廃線跡を訪ねる(三山線)

先日、青森、秋田、山形を訪れました。遠出するのは昨年の2月以来1年半ぶりです。JALでたまっていたマイルが7月~10月にかけて、10000マイルあまり期限が来てしまうのでこれを使って出かけることにしました。津軽線、五能線の訪問に加え旧山形交通廃線跡がどうなったのか見るのも目的の一つです。昨年4月のデジ青でも紹介させていただきましたが、旧山形交通の三山線、高畠線には1974年8月、廃線の3か月前に訪れました。DRFC夏の五能線合宿に行く途中に寄ったもので、その時は左沢に泊り、まず三山線を訪れ、続いて高畠線、合わせて半日あまりの訪問でした。
↑ 以前投稿したのと同じ写真ですが1974年8月の羽前高松駅です。

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近場撮影会ご報告

伝言板でお知らせの西武40000系甲種回送に合わせて行いました撮影会、幸い天候にも恵まれ予定通り催行され、集合場所の石山駅には総本家青信号特派員さんはじめ4名が集まりました。まずは定番の瀬田川鉄橋で撮影の後、膳所ー石山間で本命の西武40000系甲種回送を撮影しました。2時間余りの撮影会でしたが、運動かねての外出まずはこれくらいが良いのではないでしょうか。私は所用があって失礼しましたが他の方は、引き続き反省会へと向かわれました。また、場所を変えてこのような集まりをやりたいと思います。

↑ 本命の甲種回送です。光線の具合はあまりよくありませんが、開けた場所で、珍しく我々以外に2組の撮影者がいました。

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近場で朝練

遠出もためらわれるこの頃、公共交通機関を使わずに地元で写真を撮っています。今回の撮影地は東海道線瀬田川鉄橋、家から約7km自転車を走らせて30分足らずで、丁度運動に良い距離です。朝の8時から9時の間はゴールデンタイムで、40分ほどの間に「はるか」「ワイドビューひだ」唯一京都以東に入る各停の321系、快速、新快速の221系、223系、225系、草津線から来る113系、117系と、たぶんこの区間を走る貨物を除くすべての形式が撮影できます。
朝の天気を見て出かけられるのと、気に入らなければ何度も行けるというのが近場のメリット、皆様のお近くの話題、写真も見てみたいですね。

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「レイル」誌118号

一昨年より滋賀県立公文書館の史料を閲覧してまとめていました京阪石坂線の前身である大津電車軌道の話を、本日発売の「レイル」誌118号に掲載して頂きました。以前一部デジ青に投稿した内容ですが、総本家青信号特派員様から紹介いただいた多くの方からお借りした貴重な写真、資料を加えてまとめ直したものです。また編集にあたっても総本家青信号特派員様には大変お世話になりました。
自分の書いたものが活字になる経験があまりなく、つたない文章ですが、書店で見かけられましたら手に取ってご覧いただければと思います。
この場をお借りしまして、総本家青信号特派員様はじめ、写真を提供いただきました山科の人間国宝様、須磨の老人様、乙訓の老人様、準特急様、今出川浄福寺様に厚く御礼申し上げます。 続きを読む

江若鉄道開業100年

1921年(大正10年)3月15日江若鉄道の三井寺-叡山間が開通しました。ちょうど100年前の今日のことです。滋賀県の湖西地方に鉄道を建設することは、住民の長年の夢でした。江若鉄道の建設については、その株式を沿線の市町村に割り当て、多くの住民がその株式を購入しました。自分たちの鉄道という意識が強かったのでしょうか、1969年10月31日に廃止となった後も江若鉄道への思慕の思いは強く、その節目ごとに当時をしのぶイベントが開催されています。当会の西村雅幸氏が造られた浜大津、三井寺下、白髭などのジオラマが展示された大津市歴史博物館の特別展などは記憶に新しいことでしょう。一昨年の廃止50年の際にもミニ展示が行われたのですが、残念ながら開業100年に当たる今年はコロナ禍の影響もあるのか、イベントの話は聞いていません。ただ先日会員の方にも協力いただいた旧近江今津駅舎保存運動など、みなさんの記憶にはまだまだ江若鉄道という名前は残っています。私はかろうじて廃止の前年くらいから撮影しただけですが、最初の始発駅であった三井寺駅(大正14年に三井寺下と改名)、三井寺下機関区を撮った写真を載せてみました。

↑ 浜大津側から三井寺下駅ホームを見る。浜大津から来た線路は大きく右にカーブし、ホームの一部はカーブしていました。 続きを読む

京阪大津線オリジナル塗装の終了

先の京津線800型のオリジナル塗装の終了に続いて、最後まで残っていた709+710が2月3日を最後に運行を終了しました。若草色と青緑のツートンカラーで、物心ついてからずっと長年なじんでいたこの色がなくなるのはちょっと寂しいものがあります。ここ何年か何かの記念と称して塗り替えられた車両もありました。これらを浜大津交差点付近で撮った写真をご紹介します。

何年か後に復刻色として、この若草色と青緑のカラーに塗り替えられた車両も走ることがあるのでしょうか。↑ 2012年9月26日より大津線100年記念として旧特急色に塗られた600型、2016年3月21日まで走りました。

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