どうする木次線第二部

先月に続いて松江在住の友人から地元紙「山陰中央新報」掲載の『どうする木次線』の第二部が送られてきました。

今回は木次線と接続する芸備線、同じく切り捨てられようとしているローカル線です。
読むと、JR西日本は早く廃線へ持って行こうとしている様子が見て取れます。
でも、地元はなんとしても阻止したい、と頑張っているようですが旗色悪し、と言うところでしょうか。

いつも言うことですが、乗って残そうではダメでしょう。無くてはならない芸備線(木次線)にしなくては。

皆さんのアイデアも聞かせて欲しいものですね。

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駅名喫茶店(第141回:77の駅はどこだ?)

明日は令和7年7月7日ということで、七並びの記念グッズを販売する鉄道会社もあるようです。ということで、私は寝床で思いついたネタである「駅ナンバリングで77の駅名」を調べてみました。関西私鉄が4社も登場したのは関西人の一人として誇りに思います。【2025/7/7加筆修正済】

橋本駅にて

橋本駅にて

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駅名喫茶店(第140回:「四」を含む駅名)

最近は若年層の投稿・コメントが増えており嬉しく思います。私はいつも通り、備忘録も兼ねてデジ青投稿を続けてまいります。もちろん、Facebookでの365日連続投稿も引き続き頑張ります。駅名喫茶店も今回が節目の第140回。数字シリーズは、本投稿で7回目です。

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  一つの鉄道の応援の仕方

先日はクローバー会の交流会お疲れ様でした。
自分の発表は判り難いテーマだったかもしれません。

先だっての芸備線の存続に関する米手さんの投稿に関して、芸備線奥地の現状や先行きは悲観的な観測が強いかもしれません。
これを広島地区全体として見ると、間も無く開通する広電広島駅乗り入れ新線の開業と合わせて、鉄道全体で応援したり盛り上げていこうという動きが、ネット鉄全体の中では、「宮島線探索チャンネル」という個人なのか、組織なのかが盛り上げて行こうとしています。

https://x.com/Miyajimasen/status/1940402759846522917

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駅名喫茶店(第139回:「湖」を含む駅名)

「池」、「海」ときて、今回は「湖」です。暑い日は、涼しそうな漢字をみて暑さを和らげましょう。

駅名喫茶店(第69回:「池」を含む駅名)

駅名喫茶店(第135回:「海」が入る駅名)

調べてみたところ、そこまで数が多くないことが分かりました。では、早速まいりましょう。

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かぼちゃ電車の思い出 (京都編③) 中学時代 (2)

初めて113系に乗車したのは、中学2年の5月でした。京都から湖西線の近江舞子まで友人と出かけました。往路は117系に乗車、近江舞子の一つ手前の比良で下車し、しばらく列車の写真を撮って時間を潰していました。その後、117系の旧塗装の電車に乗って近江舞子まで移動。再び比良に戻り、昼過ぎの電車で京都まで帰りました。京都まで乗車した電車が他でもない113系です。緑色であり、車内もリニューアルされていたものの、初めて113系に乗車できたことが本当に嬉しかったことを覚えています。

初めて乗車した湖西線の113系 (2015.5.31 比良にて)

比良から近江舞子まで乗車した117系 (2015.5.31 近江舞子にて)

それから約2ヶ月後の夏休み、友人と京都駅に行き、列車を撮影していた時のこと。偶然、113系の湘南色を見ることができました。後に分かったことですが、この列車が湘南色を纏う最後の1本でした。

湘南色の113系C10編成。今であれば4番のりばへ移動して撮影していただろうか
(2015.8.9 京都にて)

うだるような猛暑の京都駅に佇む113系。夏の日差しを浴びるその姿は風景によく映えていたことと思う
(2015.8.9 京都にて)

さらに1ヶ月後のこと、部活の練習試合で唐崎まで出かけました。唐崎駅で集合し、移動していた時のこと。後ろで電車の音がしたので振り返ると、8両の113系 (堅田行きだったと記憶)がちょうど発車した所でしたが、なんと前4両が湘南色でした。もしその列車に乗っていれば遅刻は必至でしたが、それでも「湘南色と分かっていたら迷い無く乗っていたかもしれない」そう思いながら走り去る列車を見送りました。(続く)

駅名喫茶店(第138回:いよいよ明後日から7月です(駅名読み方クイズ4))

本日のクローバー会サロンでは、駅名クイズを披露させていただきました。その中の読み方クイズに関しては、デジ青内でこれまでに計60駅名を紹介してまいりました。本投稿では、サロンで出題した計20題を再掲します。

梅雨が明けて、いよいよ夏本番を迎えます。暑くならないうちに、ぜひ読み方クイズにチャレンジしてください。

駅名喫茶店(第111回:たまには駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ))

駅名喫茶店(第112回:蒸し暑い日こそ駅名で涼みましょう(駅名読み方クイズ2))

駅名喫茶店(第125回:鉄分補給にクイズでも(駅名読み方クイズ3))

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かぼちゃ電車の思い出 ② 中学時代(1)

中学校に入り、バス通学を始めたこともあり、これまでより少し行動範囲が広くなりました。そして、同じクラスの鉄道好きの友人と、主に定期考査明けの休日に関西の電車に乗りに出かける、ということを始めました。様々な場所へ出かけましたが、中学1年の12月には、福知山へ行きました。この時、初めて113系の姿をカメラに収めたのでした。

福知山を発車する豊岡行き普通列車

二条から嵯峨野線の快速福知山行きに乗車。当時、園部以北にも221系が乗り入れる運用があり、その列車に乗車しました。時雨模様の福知山駅で、113系に何度もシャッターを切りました。113系は舞鶴線の直通列車を除いて、福知山以南では運行されておらず、この時は乗車できませんでした。

福知山駅に到着した221系の快速

特急はしだてに充当された「丹後ディスカバリー」

北近畿タンゴ鉄道(当時)宮福線のMF200形

福知山で見られる特急列車4本並び
4本中3本が381系だった

数を減らしたとはいえ、まさか現在でも見られるとは
(写真は全て2014年12月25日撮影)

当時の福知山駅では、381系や「丹後の海」改造前のKTR8000形のように、今では見られない列車が多くありました。まさか福知山の113系がそれらの列車よりも長く残り、しかも復刻塗装の列車が走るようになることなど、当時の私は知る由もありませんでした。(続く)

駅名喫茶店(第137回:五新線の駅名(停留所名) 奈良交通八木新宮線)

デジ青では現在バスブームが起きていますね。今回は、ブームに便乗して今まで投稿を躊躇していた奈良交通八木新宮線の停留所名です。数ある停留所名の中から五新線の駅名が誕生していたことでしょう。

今度はWEST EXPRESS 銀河で新宮まで向かって、新宮から大和八木まで乗り通してみましょう。

↑ 3回目の休憩地である「十津川温泉」停留所にて。 続きを読む

リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 12

ひたちなか海浜鉄道の続きの投稿を半ば失念していました。いささか新鮮味を感じられない内容ですが、ご容赦ください。

湊線アーカイブと未来の展望

湊線初乗りは1993年。20系気動車の天下

当時の茨城交通湊線に初めて乗ったのは平成5(1993)年9月26日でした。現在走っているキハ3710はまだなく、JRでは殆ど見られなくなったキハ20系が中心となって活躍していました。新鉾田→常澄まで鹿島臨海鉄道に乗り、2.5キロ近くを歩いて那珂湊駅までやってきました。駅に隣接して車庫があり、道路からも写せました。駅のホームからも車庫で休む車両が撮影できました。

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 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈6〉

大阪市バスを撮る (昭和50年5月)

本欄では、鉄道に劣らずバスの人気も感じています。先ごろ、観光バスのカラーにも多くのコメントを頂戴しましたが、大阪通信員さんからは、住まいの近く観光バス事情についても報告をいただきました。大阪の市バスも大変革を遂げました。大阪メトロから運行を受託された外郭団体の大阪運輸振興は、2014年には「大阪シティバス」として新発足、現在は、万博輸送も担っています。いちばん目立つ外部塗装も、目まぐるしく変わっていて、ずっと同じ塗装の京都市とは対照的です。そんな懐かしい昭和の時代の“ゼブラバス”をカラースライドの中に見つけました。先に発表した阪神国道線のカラーのなかで、中津の電停前、国道176号を行く大阪市バスを撮っていた。2台が続行していて、前は昭和47年から塗り替えが始まった新塗装、後が当時の塗装、通称“ゼブラバス”。

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駅名純喫茶店(武庫川女子大が武庫川大へ)

昨日、武庫川女子大学が共学化するとのニュースが入ってきました。少子化の影響で男子学生の受け入れを行わないと経営が難しいからでしょう。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF170U00X10C25A6000000/

そうすると、阪神の「鳴尾・武庫川女子大前」は「鳴尾・武庫川大前」に変更の可能性が高いです。一層のこと、「鳴尾」に戻してもよいのではと思う今日です。

*写真は武庫川駅構内です。

かぼちゃ電車の思い出 (京都編) ①幼少期

前回の投稿にて、113系・115系について触れましたので、その思い出を綴ろうと思います。まずは、京都の113系について数回に分けて書かせていただきます。

京都駅の3番のりばへ行けば、必ずその姿を見ることができた113系 (2023年1月7日撮影)

かぼちゃ電車 (ここでは塗装に関わらず、113系や115系の他、415系等の所謂東海形のデザインの電車全ての呼称としてこの用語を用いることとします)に魅了され始めた時期は具体的には分かりませんが、幼稚園の頃に描いた絵に湘南色を纏ったそれらしい電車が登場していることから、物心ついた頃にはすでにかぼちゃ電車は私にとって特別な存在だったようです。JRの沿線に住んでいたわけではありませんが、新型車両には無い丸いライトや鮮やかな塗装に、子ども心ながら魅了されたのかもしれません。当時は首都圏でも活躍していたため、図鑑に掲載されていた他、京都駅に行けば当たり前のようにその姿を見ることができました。また、湖西線や草津線の他、嵯峨野線でも活躍していました。塗装も湘南色の他、体質改善色 (カフェオレ色)があり、いつか乗りたいと思っていました。幼稚園の遠足で梅小路に出かけた際、SLスチーム号の車内から電留線に停まるカフェオレ色の113系に釘付けになっていたことは今でも鮮明に覚えています。

嵯峨野線を行く223系2500番代と展示車両横の電留線で休む221系。かつては113系が行き交っていた。 京都鉄道博物館屋上スカイテラスより (2025年3月28日撮影)

結局、当時の113系乗車は叶わず、中学2年の時に湖西線での初乗車まで待たねばなりませんでした。(続く)

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈5〉

京都市電も撮影 (昭和50年1月~4月)

まだまだ“古古古写真”、続けます。先に昭和50年は、京都市電にとっては廃止も無く、安泰の年のようと記しましたが、時間を見つけては、来たる日に備えて、こまめな撮影を続けていました。車両面で見ると、ある事情で今までにない車両も現れた。それが赤帯なしのツーマンカーだ。市電は、合理化のためのワンマン化を推し進め、前年の昭和49年3月の烏丸線廃止で、ツーマン車である700、800、900形は姿を消し、ワンマン改造した1600、1800、1900形が占めるようになった。退職による自然減や、配置転換を行ったが、まだ余剰を抱えることになり、苦肉の策として、ワンマンをツーマンに戻すことになった。内訳は1600形(錦林、九条)、2000、2600形(烏丸)で、なかでも2000形は初めて見るワンマン表示の赤帯のない姿で、まるで別形式のように映った(烏丸車庫前)。

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駅名喫茶店(第136回:大阪24区内の駅名)

東京23区をまとめようという気は今のところありませんが、気づけば取り組んでいることでしょう。とりあえずよく訪ねる大阪24区内の駅名を紹介します。同じ駅名でも会社によって所在区が違う場合もあるのが興味深いですね。

訪ねた駅がどこの区の所属なのか知っておくのも勉強です。

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木次線情報

松江在住の同級生が、木次線に執着している私を気にかけていてくれて、最近地方紙に連載された記事を送ってきてくれましたのでご紹介します。

三江線が無くなって久しく、木次線の話題もこちらでは聞かなくなりましたが、中国の山間部では芸備線とともに存廃が現実味を帯びてきているようです。

何よりも出雲横田以南の人口が467人とは知りませんでした。
これではJR西日本のおろち号廃止などの嫌がらせを待つまでも無く立ち枯れになるのもやむを得ないか、と思うかも知れません。
しかし、記事にもあるように三段スイッチバックや鬼の舌震いなど貴重な観光資源があることも強みです。

どうかDRFCクローバー会の皆さん、現地で頑張っている皆さんを今一度応援しましょう。

それにしても「おろち号」の廃止は納得できるものではありません。
当時、奥出雲町長とも連携してJR西日本の説得を企てましたが効果をえませんでした。中国新聞でも取り上げて貰いましたがダメでした。なにより地元が興味を示さないのが致命的です。そしてこれが最後の機会かも知れません。

夏の思い出  2025-5 ある駅、ある街を訪れる

昨年10月、小浜線にホキ回送の撮影に出向いた折、若狭高浜駅のホームや跨線橋の雰囲気が50年前と変わっておらず、驚きました。若狭高浜には子供の頃に家族で海水浴に毎年訪れていて、その話を総本家青信号特派員さまにさせていただいたのですが、隣駅の若狭和田を再訪された記事を、すでにデジ青に書いておられました。

 夏の思い出 2017-4  ある駅を訪ねる | DRFC-OB デジタル青信号

先日、小浜線で気動車回送が運転されたのを機に、総本家さまの真似っこよろしく(笑)、家族でお世話になった若狭高浜のお寺のあたりを歩いてきました。何と、門構え、本堂と居宅の配置などがまったく変わらず、海岸方向に続く細い道も、古い家が残り、50年前の雰囲気が残っていました。

今回は小浜に保存された、御召&さよなら列車の牽引機、C58171号機にも再会してきました。あの当時の京都の家族の海水浴の行先は、丹後よりも若狭が多く、なかでも若狭高浜派と和田派があったというのは、総本家様との共通意見でした。ともあれ、50年の時間を越えて、こうした話題でまた趣味を楽しめるのはデジ青あってのことですね。あらためて、感謝します(^^)/

昭和40年代前半から半ば、こちらのお寺に毎年夏、お世話になった。石造りの門構えは当時のまま。

 

左の民家、井戸は何となく記憶が。右側は建て替えられているが、よろずや(商店)があったとは家族の記憶。

石造りの塀も、当時そのままだった。海に続く、細い道も。

小浜市中央公園に保存されたC58171号機。煙室扉ハンドルの欠落が残念!(2025.5.31)

C58171号機は福井国体お召列車、小浜線蒸機さよなら列車を牽引し、敦賀第一区を代表するカマだった。

越美北線用気動車の後藤工場出場回送。この日はタラコ風の塗装車をDE10が牽引。 青郷〜三松 2025.5.31

現代の小浜線きっての撮影地、小浜市民球場付近からの小俯瞰。勢浜〜小浜 2025.5.31

自己紹介

今年2月に引退した、湘南色を纏う岡山の115系 和気にて (2023年8月24日撮影)

初めまして。3月にDRFCを卒業し、クローバー会に入会いたしました。2023年にはDRFCの会長も務めさせていただきました。乗り鉄です。どうぞよろしくお願いいたします。諸先輩方の投稿と比較すると、まだまだ未熟な所も多々あることと思いますが、お楽しみいただければ幸いです。

今回は初投稿ということで、自己紹介も兼ねた内容といたします。私は、ハンドルネームが示す通り、生まれてから大学卒業までの20数年間京都に住んでおりました。それでは、なぜ岡山が好きなのかと申しますと、岡山を走る列車が好きだからです。

JRの沿線に住んでいたわけではありませんが、幼い頃から113系、115系が好きでした。それは今も同じです。そんな私にとって、岡山は非常に魅力的な場所。大学入学を機に行動範囲が広がったことや京都から比較的行きやすいこと、そして何よりも湘南色の115系が走っているということもあり、長期休暇を利用して岡山に出かけるようになりました。何度も出かけるうちに岡山という街そのものが好きになり、卒業論文のテーマも、岡山でかつて走っていた軽便鉄道でした。もちろん、岡山に出かけた際や、岡山を通る際には必ず113系や115系を始め、魅力的な列車達に乗ったり、撮影したりしました。

岡山では、湘南色の115系は今年の2月に引退 (私の大学卒業とタイミングが近いのは偶然でしょうか?)した他、他の113系や115系も227系「urara」の投入により、少しずつ数を減らしています。また、特急やくもに273系が投入され、381系が引退したことも記憶に新しいです。国鉄型の列車が数を減らすのは寂しいですが、私は227系も273系も好きですし、何より岡山の魅力は色あせることはありません。今後も魅力溢れる岡山に足を運び続けたいと思います。

今回は、簡単に自己紹介という形で投稿させていただきました。次回以降は、学生時代を中心とした旅行記や、京都を中心に関西の鉄道の思い出、そして岡山の鉄道について書かせていただこうと思います。これまでに先輩方が投稿された内容と少し被ってしまうかもしれない点は、ご了承いただければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈4〉

国道電車の最終日 (昭和50年5月5日)

先に昭和50年は、京都市電の廃止においては、エアーポケットの年と記しましたが、うまい具合と言うか、阪神電鉄併用軌道線、通称「国道電車」のうち、残存の国道線(野田~上甲子園)、北大阪線(野田~天神橋筋六丁目)、甲子園線(上甲子園~浜甲子園)は、昭和50年5月5日を持って全廃されました。ちょうど市電撮影のエネルギーを、大阪・神戸方面に振り向けることができたのです。以前のデジ青でも、各線ごとの解説をしています。ここでは、最終日に限定した、カラーの紹介です。

中津ですれ違う1形(左)と“金魚鉢”こと201形。廃止時の車両は、1形20両、金魚鉢の71・201・91形28両あったが、譲渡はなく、すべて廃車となった。最終日は、5月5日の“こどもの日”の祝日、全区間が乗車無料という大盤振る舞いで、多くの人で終日賑わった。天六から乗車し、中津、野田、甲子園方面に向かった(天神橋筋六丁目)。

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 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈3〉

観光バスを撮る (昭和50年4月20日 )

この頃からバスにも注力するようになりますが、どうしても鉄道とシステムに共通点のある路線バスに興味を示すようになります。貸切バス(観光バス)には、なかなか食指が伸びませんでしたが、時代の記録としても撮っておくべきと考え、向かった先が「五条坂」、東山五条の交差点でした。全国から来た観光バスや定期観光バスが、清水寺観光を終えて交差点を続々下りて来ます。今から見ると、昭和時代のプンプンする塗装が何とも懐かしく映ります。大谷本廟の参道前で待ち受けると、五条坂を下りて来たバスが黄信号なると、何台も通過して行く。乗客は修学旅行生や団体客、前から後までびっしり乗っているのも、この時代らしい。このバスは、神戸市のキクヤ観光のバス、ふそうB9系、クレハボデー、紺とクリームの塗り分けラインも昭和を語っている。

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