JR愛称線について

日経新聞1月25日の夕刊を見ると「最強寒波で近畿 列車数時間立ち往生」という記事が出ていた。JR京都線とJR琵琶湖線で24日夜、大雪のためポイントが複数箇所で切り替えられなくなり、JR西日本は同日午後8時ごろから運転を見合わせた。高槻駅と山科駅間で計15本の電車が乗客を乗せたまま、線路上数時間、立ち往生した。この様な内容で地図も掲載されていた。長時間の立ちっぱなしは私のような高齢者なら耐えられなく体調が悪化すると思う。

ところで、関西のJR愛称線は出来てもう時間が経って定着してきたものと思うが私など古い古い人間は神戸線、宝塚線、京都線と言うと阪急のことと思ってしまう。因みにJR神戸線は大阪-姫路間、JR宝塚線は大阪-篠山口間、JR京都線は大阪-京都間でここまでは間違えなかったが、JR琵琶湖線は京都-米原間と思っていたが、長浜までである。JR嵯峨野線は京都-亀岡間でなく園部までである。JR大和路線はJR難波-加茂間である。JR東日本でも宇都宮線は東京-宇都宮と思っていたが黒磯までである。一般の人には正確に区間が分からなくても愛称に慣れてもらい利用し易いことが重要なのだろう。ローカル線では誘客のため無理につけたと思われる愛称線名もある。万葉まほろば線、愛ある伊予灘線、宇野みなと線、阿波室戸シーサイドライン、よしの川ブルーライン、しまんとグリーンライン、阿蘇高原線、ゆふ高原線、あまくさみすみ線、若松線、福北ゆたか線、原田線、空港線、えびの高原線、うみねこレール八戸市内線、はまなすベイライン大湊線、奥久慈清流ライン、森と水とロマンの鉄道、ゆうゆうあぶくまライン、ドラゴンレール大船渡線、銀河ドリームライン釜石線、奥の細道湯けむりライン、奥の細道最上川ライン、山形線、フルーツライン左沢線、男鹿なまはげライン、学園都市線、花咲線等々まだまだあるのかもしれない。さて、地図に戻って琵琶湖線であるが、湖西線の方が琵琶湖はよく見える。琵琶湖線は湖東線の方がいいような感じがするが、そこは東海道本線。愛称には日本一の琵琶湖を入れたかったのだろう。それに湖西線は愛称ではなく正式な線名である。

駅名喫茶店(第26回:「・」を含む駅名)

寒波到来でぐっと気温が低くなりました。そんな時こそ、駅名喫茶店で一服してくださればと思います。

今回は「・」を取り上げました。中黒というものでしょうか。「・」を含む駅名をまとめているサイトを確認することができませんでしたので、おそらく本邦初(?)かと思います。それほど、「・」に需要はないということでしょうか。

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見ました! 広島駅伝

西村雅幸さんが宮島口、阿品東、地御前神社、荒手車庫、広島駅前等々広電を取り巻く近況を詳細にレポートされた。どこもそうであるが広電は全体には撮影しづらくなった印象である。奈良の駅名研究家さんは駅伝のこともコメントされており昨日23日(日曜日)の大会をテレビ観戦した。都道府県対抗の男子駅伝で長野県が優勝した。個人的には兵庫県を応援していたが8位であった。箱根駅伝では箱根湯本あたりで小田急がチラッと見えることがあるが、広島駅伝は広電の宮島線がかなり並行しており、箱根の比ではない。昨日は結構長い間選手と電車の併走が見られた。「お前何を見とんのや」と言われればもちろん電車である。

さて、広島地方は最近とんと行ったことがないが、今回は過去に記録した個人写真を投稿するとともにいつも広島だよりといろんなコメントをされている西村さんに敬意を表したい。

最初は高校生の修学旅行時に写した宮島口の駅と蒸機列車である。この写真は以前発表したことがあると思う。日時は1962年10月24日6時35分で列車は前夜21時32分に大阪を出発した233列車八代行きで八代到着は20時13分である。機関車は下関区のC5953でこの頃の山陽本線は戦前型C59は少なかったので貴重に思った。▼

次に荒手車庫で1977年11月8日に撮影した1076で元は阪急の500形である。私にとっては今津線で小、中学の通学で毎日利用していた懐かしい車両である。ご覧のようにマルーンからオレンジとアイボリーのような色に変わり、さらに扉の位置が変更されているが、正面の顔は昔の面影が残っている。▼

同じく懐かしい車両で元阪急の210形の1082である。学生時代嵐山線に行くと大体これか200形なまずが居た。神宝線610形と同じようなスタイルであるが、1編成しかなかった。これも塗装と扉位置の変更はあったものの顔はそのままであった。▼

海がよく見える阿品東のあたりを行く宮島口行き3907を撮影。 2008年9月7日▼

広島市民球場が最後を迎えるというので対阪神戦を見に行った。907は元大阪市電2601形で広島に来て冷房化された。2008年9月7日▼

最後に毛利氏の広島城で同じ9月7日の撮影。▼

 

どこかにマイルの旅 2023年 沖縄へ Part1 旅立ち前

治まるかに見えたコロナ感染は再びとどまるところなく広がってきています。旅好きの私としては。まだまだ海外へは行けずストレスは溜まる一方でガス抜きのためにまた国内へ出かけることにしました。かと言って高齢の年金生活者に金銭的な余裕はありません。コツコツと貯めていますたJALマイレージマイルだけはまだありますので最小限にコスパよく利用できる「どこかにマイル」にまたチャレンジすることにしました。

【 JALのどこかにマイルの旅 チャレンジ 】
貯めたマイレージ 6.000マイルを提供すればJALから4か所の空港リストが提示されます。4ケ所のどこになるかは直ぐには分からず、申し込みを完了した後日にJALから一つの空港に決まったと連絡が来ます。選択決定権はJAL側にあり、我々には選択が出来ないのがつらい処です。この時点ではもうチャレンジ中止はできませんので最初に提示された4か所の空港が希望に叶う空港でなければなりません。チャレンジはPC、タブレット等の各端末から1日100回を限度にできますので辛抱強く待つことが必要です。
▲ 待つこと数10回、リベンジに望んでいた札幌行きと沖縄・長崎・隠岐が付いたプランが表示されました。札幌行きは中々プラン出しすることはありません。これに決まるように願望しながら申し込みました。
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お城と電車(15)

北陸唯一の現存天守が丸岡城である。城主は信長の家臣で秀吉のライバルでひげもじゃが特徴の柴田勝家の甥の柴田勝豊により1576(天正14)年に築城された。勝家の正室は信長の妹で美貌のお市の方である。お市は浅井長政に嫁ぎ小谷城で信長に攻められたが3人の有名な娘共々逃れることができた。その後柴田勝家に嫁いだ。丸岡城の石垣は荒々しい野面積みである。丸岡城が有名なのはショートセンテンスの元祖「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」という手紙文である。一筆啓上は家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻にあてたものでお仙は後の丸岡城主本多成重の幼名仙千代である。丸岡城は桜が有名で霞ケ城とも言われているが訪問したのは1991年2月22日の雪の日であった。駅から離れていてタクシーを利用した。福井地震でかなりやられたが修理して重要文化財となり現在に至っている。建物内部には急な階段があり今なら上るのも厳しい。尚、浅井長政の小谷山城跡は崩れた石垣などが残っており当時の戦いを偲ぶことができる。また、秀吉、勝家の古戦場賤ケ岳や織田・徳川連合軍対浅井・朝倉連合軍の姉川の合戦場も近くにあり戦国ファンには見逃せない地域である。▼

城見学の後は倶利伽羅に行っている。途中、小松駅で撮った写真が残っている。青森行き特急「白鳥」クハ481-36とクモハ475-53普通電車。▼

お市の方は最後は柴田勝家と福井城で自害したと言われている。丸岡城訪問の朝、福井城(越前北庄城)の石垣を撮影した。▼

【飲み鉄】豊橋の「おでんしゃ」で飲む。

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今年はうさぎ年なのでジャンプを・・・と年末年始の番組で盛んに使われていた言葉だ。その言葉通り、年初から忙しくなってきた。
小生は鉄道友の会にも加入しているのだが、そちらの知り合いから豊橋の「おでんしゃ」に乗らないかと誘われた。まだ乗ったことも無いし、一人で乗るのは困難なので2つ返事で参加すると答えた。
そして、その方の知人で、豊橋の市内線から歩いて3-4分の所に住む会員の方が予約を取ってくれたらしい。聞くところではなかなか予約が取れないそうで、今回は日曜日の昼便との事だが、「呑み助にとっては時間は関係ない。」と昼飲みが決定!
体調などに万を持して「いざ豊橋へ」。
豊橋駅で待ち合わせ場所に着いたら、すでに車両がやって来て待機していた。
おでんしゃの舞台、豊橋鉄道3200形。  豊橋駅前のデッキから。

さあ、ホームへ行こう。
車両が入って来た。3200形(元名鉄580形)の3203号が使用されている。
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 写真展「煙の記憶」、会場でお待ちしています

ことし初めての「デジ青」投稿となりました。投稿テーマだけは、新春から沸々と湧いて来るのですが、高齢化による実行力や集中力がさらに低下して、ことごとく企画倒れに終わってしまいました。結局、明後日18日(水)から行う、写真展のお知らせが、ことし初めての投稿となりました。

 佐竹保雄・福田静二鉄道写真展「煙の記憶」

  2023年1月18日(水)~24日(火)11:00~18:00(最終日16:00まで)

  祇園「ぎゃらりぃ西利」 京つけもの西利祇園店3階 (京阪祇園四条下車)

山科の人間国宝さんとの写真は、2021年、ひとまち交流館京都での写真展以来となります。こちらで勝手に二人展などと称して、厚かましいこと甚だしいのですか、年代差のある二人展だからこそ、年代幅が広がった、より広範囲な写真を展示ができると考えています。

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広電近況

広電西広島駅や宮島口駅のリニューワル工事が一段落し、現在は広島駅ビルの建替え工事が本格化し、広島駅前をはじめ広電沿線の風景がどんどん変化しています。久しく広電の撮影をしていないので、1月11日に宮島線を中心に沿線を歩いてみました。

宮島口駅に到着した3801

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駅名喫茶店(第25回:「センター」を含む駅名)

準特急様から頂戴したお写真の中に、「京王多摩センター」の駅名標がありました。サンリオのキャラクター(ポムポムプリン)が描かれており、サンリオファンにも好まれていそうな可愛らしいデザインだと思いました。

ということで、今回は「センター」を含む駅名特集です。ちなみに、「センター」とは広辞苑第5版(岩波書店)で、・・・④ それぞれの分野の中心となる機関・施設とあります。 続きを読む

お城と電車(14)松江城

今までお城をバックにした電車を発表してきたが、うまく城郭と電車が入る所は限られているのでこれからは城郭訪問前後に利用した電車も発表とさせていただきたい。その代わりと言っては何であるが12(今まで松山城を発表したので残り11)の現存天守のある城を当面の発表対象として続けることとする。

最初は宍道湖を眺める国宝松江城である。関ヶ原合戦西軍の毛利氏が支配していた出雲は合戦後東軍徳川方の堀尾吉晴が遠州浜松から入封し月山富田城を経由して松江に築城、城は1611(慶長16)年に完成した。別名千鳥城と呼ばれる。その言われは千鳥が羽を広げた格好に見える三角屋根を「千鳥破風」と言うなど諸説がある。従って木次線を走った快速「ちどり」は松江城のことである。佐竹保雄先輩撮影のC56のヘッドマーク付きの姿が「想い出の木次線(同志社大学鉄道同好会)」に掲載されている。

2002.8.17 松江城 ▼

武家屋敷、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)記念館などの観光をし、城見学の後は一畑電鉄松江しんじ湖温泉ターミナルをに向い、宍道湖をバックに一畑電車の撮影に向った。3扉→2扉化改造の京王の2104で担当は京王重機であるが、この頃松江の観光用バスには京王重機の子会社東京特殊車体が改造したレトロバスも走っていた。2002.8.17津ノ森-高ノ宮 2104電鉄出雲市行き▼

車輛は京王、南海の独壇場であった。上の写真の2104の京王時代の写真を探した。1970.2.27高尾山口-高尾間単線区間を行く急行新宿行き5718である。▼

 

 

マン鉄の勧め(4)マン鉄の聖地吹田市へ行こう(その3)

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吹田市のマンホールも今回で終わりになります。今回は第5弾と第6弾です。
(第5弾)
阪急千里線  千里山駅

例によって、ホームに進入した7300系(7323F)とベンチに「すいたん」です。
同じ編成の写真。京都本線の特急運用に入っていた時撮影。 2009-7-5

次は、JR京都線 岸辺駅です。
吹田貨物ターミナルの最寄り駅で、阪急正雀車庫も近いので、よく利用します。
これは207系と反対側のホームに「すいたん」がいますね。

次はJRおおさか東線 南吹田駅です。

図柄は神崎川信号所付近の鉄橋を渡る201系です。昨年10月のダイヤ改正で221系に車両が変更されましたので、この組み合わせはもう見られません。

おおさか東線を走る 201系      南吹田にて  2021-11-2

最後の第6弾は大阪モノレール 山田駅です。ここは阪急との乗り換え駅です。

走行する3000系の第1編成(3650F)。左の道路は中央部が中国自動車道、側道が中央環状線です。
3000系 3650F   万博記念公園にて   2019-12-3

この駅が最寄駅でショッピングモール(ららぽーとEXPOCITY)があり、休日には多くの人が訪れます。
(自動車が多いが、モノレール、路線バスの客もある程度います)

そして最後は 大阪モノレール 公園東口駅です。

駅の南側の歩道橋を跨ぐところ付近を走行する3000系第2編成です。
南摂津駅付近を走行する3000系 3651F      南摂津ー大日間 2022-11-8

ということで、吹田市の鉄道関連マンホールを全部ご紹介しました。
次回は関西地方の鉄道関連マンホール蓋とマンホールカードを紹介します。

ここで、マンホール蓋の写真の撮り方についてですが、小生はiPhoneを使用しているので、カメラで撮影モードを「スクエア」に設定すると、正方形の撮影範囲となり、マンホールがキレイに撮れます。普通に撮ると、大抵自分の靴までが写り込むか、横幅があまるので、ちょっとブサイクな写真になります。

そして、iPhoneでのメリットとしては写真を撮った場所の地図が見られることです。
写真を表示しておき、写真を上方向にドラッグすると、このような地図が表示されます。Google地図にデータを表示させる方法もあるようなのですが、ネットで見たところの記事では、小生は理解できませんでした・・・😢

(撮影時のちょっとしたノウハウ)
写真を撮る場合、なるべく真上から撮るようにしましょう。
ただし、日中太陽の角度によって、自分自身の影ができるので、なるべく影を避けながら、撮影します。マンホールの位置は、なるべく90°単位の角度で撮影しておくと、
あとで画像を回転させて正面から見た図柄になるようにできます。
また、雨の日には影がマンホールの表面にできて写真が黒くなりやすいので、なるべく腕を伸ばして撮影すした方がいいでしょう。
あとは撮影時に、歩道にある場合、歩行者が来ないタイミングまで待って撮影しましょう。通行する人から見ると変人とおもわれそうですが、変人ですよね!
また、道路の真ん中にあるような場合、相当気をつけないと、事故になりますので、あまり夢中にならず、周囲を確認してから車が来ないタイミングをじっくり待って撮影しましょう。

ではまた次回をお楽しみに。

駅名喫茶店(第24回:京王の駅名)

普段は関西ばかりですが、今回は私も2年間だけお世話になった京王電鉄を取り上げました。聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)、高幡不動(たかはたふどう)、分倍河原(ぶばいがわら)など、関西にはない音の響きが好きですね。

今回の京王編をまとめるにあたり、準特急様よりお写真を賜りました。改めて御礼を申し上げます。

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駅名喫茶店(第23回:元号に関する駅名)

駅名喫茶店は、あくまで「副業」なので気まぐれの開店です。開店できる時に開けようという心意気です。今回は、年号に関わる駅名です。単に年号の「漢字」を含む駅名も番外編として紹介しています。

さて、本題からは一旦離れますが、2023年1月4日(水)に、名古屋市交通局と長崎電気軌道で駅名改称がありましたので、お知らせいたします。名市交から「市役所」の駅名が消え、長崎電気軌道で「市役所」の駅名が誕生したのは興味深いです。ちなみに、「市役所前」という駅名は日本全国至る所にあり、同一駅名としては最も数の多い駅名といわれていますが、真相を確かめるべく、後日調査してみます。

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マン鉄の勧め(3)マン鉄の聖地吹田市へ行こう(その2)

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前回に続いて、吹田市の鉄道関連マンホールその(2)です。
今回は第2弾から第4弾までに設置されたマンホール蓋をお届けします。
マンホールの蓋だけでは単調で飽きてくるので、関連の写真も併せて添付します。

JR京都線 吹田駅

第2弾では初めてJRの駅が登場しました。市の中心駅の吹田駅です。
駅前広場に設置されました。
図柄はJR207系車両と、例によって反対側のホームには「すいたん」がいます。
JR西日本 207系 S38編成         東淀川駅   2021-4-23

207系は京阪神だけで運用されている車両で、主にJR京都線・JR神戸線とJR学研都市線・JR宝塚線が活躍の場です。

第2弾はこの1枚だけだったのですが、第3弾ではいよいよ阪急バージョンが登場。
2022年が阪急千里線が開通50周年になったということで、市内にある阪急駅全駅に設置されました。うち、第3弾では、 吹田駅、山田駅、北千里の3駅に設置されました。
図柄は、吹田駅の北千里行ホームに入った5300系です。珍しく「すいたん」は写り込んでいません。なお、千里線で、淡路駅、下新庄駅は大阪市なので対象外です。
マンホールは写真に写っている駅舎の裏手に設置されました。
吹田ー下新庄間を走るマンホール図柄と同じ編成(梅田方)  2020-11-17

このあたりのカーブはかなりきついのと、背の高いフェンスに阻まれて、最後部まできれいに入る場所を探すのは至難の業です。

次は山田駅です。
こちらは7300系が北千里行のホームに入っていて、横に「すいたんが」大きなトランクを持ってしっかり登場。この駅は大阪モノレールとの乗り変え駅なので、そういうことも考えると、「すいたん」は伊丹空港へ行くのかな?でもこんな格好でヒコーキに乗せてくれるのでしょうか?(そう言えば被り物をしたまま搭乗した乗客というのは、まだ見たことも聞いたことも無いが・・・保安検査では覆面レスラーも素顔なんでしょうね(^^;)と妄想は尽きない小生(-_-;)


この駅のマンホール蓋は・・・淡路方面行の改札を出て下を向いて歩くと数歩ですぐ分かります。
この編成の梅田方の写真。この日は直前まで特急の代走で走っていて、河原町で車両を交換したあと正雀へ戻る運用に入っていたようです。
上牧ー高槻市間にて  2022-10-20

残る第3弾は北千里駅。
ここは、日本で初めて自動改札を導入したということで記録されている駅。
大阪で万博が開かれた1970年の3年も前に開業した初の自動改札を図柄にしています。
当初はキップを取り忘れるトラブルや、キップ詰まりなどトラブルが絶えなかったそうですが、50年経った今、都市部ではすでにキップもかなり減って来てICカードが主流という時代に・・・文明の進化というのはすごいですね。さらに50年後は多分ICチップが体に埋め込まれ、何も持たずに通過するだけで認識されるんでしょう。

「すいたん」はまだ生まれていなかったでしょうから、さすがに登場しませんね。

次に第4弾では初めてJR貨物の駅が登場します。
我々が利用することはできない駅ですが、岸辺ー吹田間の操車場の中に見える建物には「吹田貨物ターミナル駅」と書かれていますね。
こちらの図柄はJR貨物の主力機種、EF210形(愛称:桃太郎)です。
すでに130両以上の量産機となりました。この写真は現在では珍しくなってしまったJRFのロゴが入ったものですね。

図柄で登場しているのと同じ EF210-140号機です。 吹田―東淀川間  2009-3-18
余談ですが、この駅(?)の近くには吹田市の図書館があり、入口部の半地下の所には0系新幹線が展示保存されていますので、お近くまで行かれた方はそちらもぜひご覧ください。(車両番号:22-7007 R68編成 JR西日本所属)
さらに阪急シリーズが続きます。
阪急千里線  南千里駅
珍しく駅間での写真です。これは駅を出てすぐ北側にある南千里公園の下を抜ける隧道の出口付近と思われます。車両は3300系梅田行きです。サクラの季節に撮られた写真ですね。

こちらに登場しているのと同じ3330編成の写真です。 北千里ー山田間 2021-2-3

さて第4弾最後は関大前駅。
千里線の駅はホームがカーブしている所が多いです。線形もカーブが多い。しかも急カーブで狭いところを走っていなので、きれいな編成写真は撮りにくいですね。

この蓋は、幼稚園側の改札を出て、階段を上がったらすぐ前に・・・
登場している車両は1300系 1303編成です。
この付近で撮影した写真はさすがに無いので、本線を走行していたのを。
特急の運用に入った1303編成 特急 大阪梅田行き。 富田ー総持寺間  2022-2-11
というところで、マンホールに描かれた車両の実際の写真を手持ちの中から探してアップしましたが、いい加減長くなってきたので、このあたりにして、第5弾と6弾は次回ということにしておきます。
そのあとは全国各地のマンホール蓋やマンホールカードの話をする予定です。
お付き合いありがとうございました。

鉄道とは何の関係も無い話 年賀状考

沖中・湯口両先輩の逝去に接し、やる気が失せた老会員の独り言に付き、興味の無い方の閲覧は不要。

毎年、正月元旦は年賀状を拝見するのが何よりの楽しみである。
差し出された方々の顔を思い出しながら一枚一枚読んでいくと、数十年の時間もつい最近のように思い出されるから不思議だ。同じようにこちらから送った年賀状をどのように読んでくれているかを想像するのも楽しみとなる。

⇧スユ3025 (本文と何の関係も無いイメージ画)

私は毎年三種類の年賀状を作る。
一つ目は家族同士のお付き合いがある方への年賀状。二つ目は私のみのお付き合いの方、または仕事上のお付き合いの方。三つ目は趣味、鉄道趣味界の友人。
いずれも大切な友人・知人ではあるが付き合う角度がちがうため、デザインには頭を悩ますことになる。夏を過ぎる頃から写真を撮りためて年賀状が発売されるや、一気に作成する。
そこで最近はある問題に突き当たるのだ。
一つは喪中ハガキのこと。
11月に入る頃から喪中ハガキがぼつぼつ来始める。11月に来るのは「あの人が亡くなったのか」と名簿を消すことになるのだが、12月中旬を過ぎてから来るのには往生する。先に書いたように12月に入ると年賀状の作成は終わっており、宛先も書いていることが多い。何時亡くなったのかと見てみると10月から11月であれば致し方ないが、2月や5月になくなっている場合はもう少し早く知らせて頂きたいと思ってしまう。
そしていつも悩むのがご遺族のお考えである。つまり「喪中だから年賀状は出さない」のは分かるが、受け取るのも断るということなのだろうか?死者を悼む気持ちは分かるが新年を言祝ぐのとはちがうと思うのだが皆さんはどう思われるのかお聞きしたい。
因みに我が両親が亡くなった時は喪中ハガキと年賀状は出さず、例年通り受け取ってから正月明けに「寒中見舞い」として旧年に親が亡くなったので年賀状は失礼した旨を書き記した。
また、喪中ハガキの範囲も問題である。親や配偶者、子供と言った近親者の場合は当然として、親の兄弟や配偶者の親兄弟まで知らせなければならないのだろうか?
この範囲も皆さんのご意見をお聞きしたい。

さて年賀状である。
最近とみに「今年で年賀状を終わりにする」と書かれた“賀状じまい”の年賀状が来るようになった。
これにも頭を悩ませる事になる。
「私は年賀状を出さないが、貰うのはかまわないので送って下さい」というのか、「私は出さないから送らないでくれ」というのか判断しかねるのだ。
先にも書いたように当方は毎年の楽しみで作るのだから送りたいのである。これを嫌われたら年賀状の趣旨にも反する。
私はこの様なハガキを貰っても一方的にこちらは出すことにしている。それは「私は元気ですよ」と一方的なお知らせをしている事になるが、年賀状を貰うことは期待していない。現に「出さないが下さい」と書いてある終い状もあるのだ。
さて、思い当たる方々よ、貴兄のお考えやいかに!

『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part9 登別温泉⇒帰路

第7日目 12月17日

▲ 楽しみにしておりまし今年3回目の北海道の旅も今日が最終日です。今回もトラブル発生で行程通りにスムーズには行きませんでしたがもう帰らざるを得ません。いつもの通り温泉の朝風呂を味わってからTVで今日の天気を確認して朝食会場へ向かいました。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part8 札幌⇒登別温泉

第6日目 12月16日

天候悪化と鉄道事故によって思わぬ行程変更が生じてしまいました。今日は札幌から登別温泉へと向かいますが約1時間半もあれば到達できますので、前回見逃した旧室蘭駅に寄ってみることにしました。

指定席券はあと2枚利用できます。
函館行き特急は混むかなと思い使いました。

① 札幌 9:38(特急北斗8号)⇒11:09 東室蘭 11:25⇒11:38 室蘭

前回はホームでの駅そばをいただきましたので今回はパスです。道内でホームに駅そばが残っているのは札幌駅の5・6番線と7・8番線の2ホームだけになっています。いつまでも続けて欲しいですね。
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今年も新聞ネタで失礼します

デジ青読者の皆様、本年も中国新聞の記事引用で手抜き投稿致しますのでよろしくお願い致します。中国新聞では「鉄路のあす」という、不定期ですが連載取材が続いています。三江線廃止以来、県北の人たちの関心が高いのかもしれません。昨年末には2022年の総括記事が載りました。

令和4年12月20日 中国新聞朝刊

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湯口さんと過ごした2日間

令和4年12月19日 クローバー会のLINEに「12月11日に湯口徹氏ご逝去」という衝撃的なニュースが飛び込んできて、茫然としました。以来2週間ほどが経ちましたが、その喪失感から立ち直れずにおります。改めて心よりご冥福をお祈り致します。多くの皆様が回顧されているように、私にとって湯口氏は雲の上の存在と言うべき先輩でしたが、平成27(2015)年6月に氏の「鞆鉄道」取材のお手伝いをすることになり、1泊2日の短い時間ではありましたが、氏と行動を共にする機会を得ました。今にして思えば、夢のような2日間でした。この貴重な体験を皆様にも共有して頂くことによって、氏への感謝に代えたいと思います。

2015年12月1日 ネコ・パブリッシング発行 RMライブラリ196 鞆鉄道 表紙

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駅名喫茶店(第22回:京都市電の駅名)

こっそりと温めていた廃駅名シリーズの最初は、京都市電です。廃駅名といえども、今でもバスの停留所名として残っているのが、嬉しい限りです。宇都宮に近々、LRTが誕生します。京都でも再び機運が高まり、生きている間に京都でのLRT実現を目の当たりにしたいと思います。【2023/1/3 21:36修正】

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