市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑤

大石橋

京都駅八条口を出た市電は、竹田街道を南下して行きます。京と伏見を結ぶ街道のひとつで、東洞院通を延長する形で、江戸時代に拓かれと言います。途中、竹田村を通るところからこの名があります。沿道には車石が敷かれ、牛車による物資の輸送が盛んに行われていました。車石を専門に研究されているグループがあって、私も何回かフィールドワークに参加して、いまも各所に残っている車石を見て回ったこともありました。

大石橋では、市電九条線と交差します。ここには、九条車庫方面へ向かう南北両方向のポイントがありましたが、営業用ではなく、九条車庫へ入出庫する回送用でしたが、時に「臨」系統として営業のまま、九条車庫へ向かう系統もありました。

 

 

東寺の五重塔をバックに、夕暮れの大石橋交差点を渡って行く伏見線の500形(以下、昭和45年3月)。

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昭和の電車 改訂版(51)ー神戸電鉄300型ー

私にとっては生涯(おそらく)全く縁の無い私鉄ですが、一度だけ乗ったことがあります。震災の一週間後、元町の得意先へ見舞いに行くため初発の福知山線に乗り三田へ、そこから神戸電鉄で谷上へ出て神戸高速に乗り換えて三宮まで行きました。地下から地上へ出たとき見た惨状は一生忘れられません。

最近経営を巡ってなにか新聞紙上で話題になったような気がします。

 江若鉄道百周年 切手発売

連投、失礼します。江若鉄道は、昨年が廃止50年で、さまざまな展示も行なわれましたが、ことしは、江若鉄道が創立されて100周年に当たります。会社側からすると、“廃止”より“創立”に重きを置くのは当然で、ことしは、現・江若交通が行なう催事が予定されており、その第一弾として、郵便局からオリジナルフレーム切手「江若鉄道創立100周年記念」が2月25日(火)から発売されます。
日本郵便のホームページに載せられている、フレーム切手「江若鉄道創立100周年記念」の見本。実は、会社から依頼があって、私も写真を提供しているし、古い時代の写真についても、山科の人間国宝にも許諾をいただいたりして、写真提供を行なっている。「鉄道」とは言いながら、名物だったボンネットバスも入っているのがミソ。

 

 

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 市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線④ 

大西さんの京電地図

今まで見てきた伏見・稲荷線は、私が実見できた昭和45年の廃止直前の状況ですが、そのルーツは、日本最初の電車営業路線、京都電気鉄道に行き着くことを思うと、源流にも思いを馳せることになります。京電は、そのあと京都市に買収されたため、残された史料が乏しいのですが、京電研究の第一人者として、名を馳せられたのが、DRFC顧問をされていた故 大西友三郎さんでした。私は何度も大西さんのフィールドワークに参加させてもらい、博識ぶりを感じました。

大西さんの代表著作が、毎日新聞京都版に連載されていた「チンチン電車物語」です。17回に渡って詳細に記されています。大西さんは、根っからの鉄道ファンだけに、単なる机上の歴史物語ではなく、資料発掘、現地調査や、車両研究にも言及された第一級の京電資料です。その一部は、鉄道ピクトリアル356号の「京都市電訣別特集」の「京都電気鉄道物語」のベースともなりました。私も当時は毎日新聞を愛読していて、その初出記事に出会い、大切に保存してきました。そして、もうひとつ大西さんが纏められた京電関係の手書き地図が手許にあります。これは、表紙のタイトルからすると、鉄道友の会の講演資料のようですが、帝国陸地測量部の官製地図では得られない、一本の線路まで描かれて、当時の様子が活き活きと伝わるような、資料性の高い地図です。今まで紹介した停留所に関する地図を以下に挙げました。

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 市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線③

京都駅八条口

高倉陸橋を渡った市電は、東海道・奈良線と新幹線に挟まれて西へ下り、すぐ90度曲がって、新幹線を潜って、竹田街道と合流し、「京都駅八条口」に到着します。このルートは、本欄でも米手さんから質問があったように、もともとは斜めに向かう線形でしたが、昭和39年開業の東海道新幹線の建設工事に伴い、道路とともに移設されて、現在でも見られるルートとなっています。

「京都駅八条口」には、東側に、元の京都電灯東九条発電所、京都市水道局、西側には、市バスの八条車庫がありました。車庫の一部には、市電乗務員の詰所、引込線も一本あって、乗務員の交代が行なわれ、車両も留置されていて、伏見・稲荷線の運輸上の要となっていたところでした。京都駅に八条口という名称が定着したのは、新幹線の開業後ですが、停留所名も、昭和39年に改称されています。以前は京都駅南口であり、開業時は、八条新道の名称でした。

“花電車”の700形が京都駅八条口に停車中、ここで乗務員の交代もあって、しばらく停車する。背後には京都タワーが見えて、京都駅に停車する0系新幹線の鼻もチラリと見える(以下、昭和45年3月)。

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囚人電車はランランラン行くよ♪

汽車の窓からハンケチ振れば~と歌うのは岡本敦郎の『高原列車は行く』ですが、この歌の舞台が沼尻鉄道だと言うことを知らない人でもメロディーはご存じでしょう。
先日の関三平先生との飲み会で南海電鉄の話題が出たとき、突然関先生から『南海に囚人電車があったのを知らんやろ!』と発言があって座が一瞬静まりかえりました。各自の頭の中には「鉄格子窓にしがみつく囚人達を乗せて走り去る電車」や「囚人が運転する電車」だったのではないでしょうか?
関先生から貴重な写真が贈られてきたのでご覧に入れます。

撮影日時:1959年4月10日(何の日?)住之江車庫 続きを読む

客車廃車体訪問記 内地編63 兵庫県-1

【はじかみ池公園】 34.900513, 135.189792 2009年1月3日、2019年10月28日撮影
マニ50 2036
神戸電鉄公園都市線南ウッディタウン駅の南に隣接する公園に、D51 25、ヨ8682と保存されている。新製後僅か9年で廃車にされた勿体ない客車である。一度目の訪問は2009年正月で緑色、二度目はその10年後で青色に塗られていた。上屋があるのはいいが、覆い被さっていて鬱陶しい感じがするのはやむを得ない。
◆マニ50 2036(1978年新製 新潟)→1987年廃車
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 市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線②

塩小路高倉

京都駅前を発車した伏見・稲荷線は、河原町線と同じレールを走って、すぐ塩小路高倉で南へ分岐、高倉陸橋で東海道本線を越します。前記のように、京電開業時には、伏見線は(旧)京都駅の南側で止まっていて、このルートはありません。京電は、東海道線との平面交差の申請を出すものの認可が下りなかったため、伏見線の車両を検査などで車庫のある東洞院七条下ルまで運ぶ場合は、夜間、人力で押して東海道線の踏切を渡っていたと言います。のちに伏見線の車庫が京都駅八条口にできて解消するものの、乗客の利便性からも市内線との一体化は急務でした。そこで、自力で東海道線を乗り越すことにし、当時、塩小路通で止まっていた高倉通を南へ延長し、築堤と陸橋で東海道線を越して、南西側に下りていく高倉新道を造りました。これが明治34年のこと、塩小路高倉は、この時にできました。 京都タワーを背後にした伏見・稲荷線の500形(Mさん撮影、以下昭和45年3月)

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 市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線①

京都駅前

先のイベント案内でも触れましたが、京都市電の伏見・稲荷線が廃止されたのが昭和45(1970)年3月31日で、ことしは廃止から数えて50年に当たります。その前後の出来事で言うと、前年の昭和44年11月の江若鉄道に続く地元の鉄道の廃止で、当時、私は現役の2回生、いちばん脂が乗っていた時期だけに、廃止直前は、連日写しまくったものでした。

その発信については、昨年にも地元の大学のワークショップで講演したり、先般も伏見区役所で展示したりしましたが、本欄では、ほとんど掲載することなく経過していました。しかし、廃止50年と聞くと、回顧の念が沸々と湧いてきて、先日も伏見・稲荷線の全区間を歩いて回って、50年後の様子を確認してきました。先の伏見区役所でも、熱心に展示をご覧になる方がおられました。記録をした人間としては、これを機に、皆さんに見ていただくのも、意義のあることと思い、先の「トロバス編」に続いて「市電が走った街 京都を歩く」を掲載します。また、今回は、私の写真だけでなく、叡電沿いに庵を結んでおられる先輩のMさんにも写真の協力をいただくことになりました。では、停留場ごとに、京都駅前から伏見線の今昔を見て行きます。50年前の3月、春休みに入った日曜日午後、伏見・稲荷線のりばは賑わっていた。背後の市電のりばにも多くの市電が待機している。当時、京都駅前の市電のりばは、東西に5面あり、日本最大級の路面電車ターミナルとして、活気にあふれていた(以下、特記以外昭和45年3月)。

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客車廃車体訪問記 内地編62 徳島県-3

【阿波っ子ステーション】 34.127979, 134.477642 2010年11月20日撮影
オハ47 107
オハ47 129

↑左がオハ47 129、右がオハ47 107
訪問時は藍住町のレストランであった。最寄り駅は板野。現在は店舗ごと無くなったようである。次の目的地もあったので店に入らなかったが、車内も調査しておけば良かったと思う。
◆スハ43 632(1955年新製 汽車)→(1963年改造 大宮工)オハ47 107→1964年近代化改造 大宮工→1985年廃車
◆スハ43 104(1952年新製 帝車)→(1963年改造、近代化改造併施 土崎工)オハ47 129→1985年廃車
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