② 回送(北びわこ号)
引っ越しから2ヵ月ほど経った3月の土曜日。買い物から帰った家内が「踏切にたくさんの人がカメラを構えている」と伝えてくれた。私はそれまで「調子踏切」のことを知らなかった。「何か珍しい電車でも走るのかなぁ」と私は椅子とデジカメを窓際に置いた。30分ほどしてEF65に牽かれた12系客車がゆっくりと走って来た。
北びわこ号は1995年から2019年11月までの観光シーズンに米原~木ノ本間を走っていた列車。牽引は主に梅小路区のC56160が担当し、客車は宮原区の12系5両が任務についた。北びわこ号運転の前日に、EF65牽引で12系が回送されてきた。
上りの通過時間は13時台で自宅や調子踏切からは半逆光だったが、上手く収められた。5両編成の最後にテールマークがついているのが、イベント列車らしく華やいだ気持ちになった。反対に運転を終えて12系5両が宮原へ戻る姿は1度だけ17時台に見たことがある。
北びわこ号回送以外にも2020年ごろまでは、ほかの地域を走っている電車や列車が自力で回送する姿が見られた。普段見ることが出来ない電車は、例えそれが回送であっても、ワクワクしたものだ。下の写真は和歌山地域色(であろう)のモハ105系。(続く)
北びわこ号何度か撮りに行きましたね。最初行ったのは運行時間のわかる米原ー木之本間でしたが、何年か前に同好の方から回送の時間を教えて頂いて近場でよく撮りました。駅撮りもしましたが、SLが走ってくるとマニアでない人もスマホで撮っていて、さすがSLとおもいました。
大津の86様
北びわこ号、何度も撮影されたのですね。回送の12系客車も梅小路から先は、SL牽引となれば、人気もひとしおだったことでしょう。
C56 160の写真がないか、ストックで探しましたら何と! 北びわこ号のヘッドマーク付きが見つかりました。2016年10月31日、月曜日です。当時は埼玉在住で、長岡での新居探しの折に立ち寄った時に写したものです。前日の運転が終わって整備される前だったのでしょうか?
勘秀峰様
珍しい列車を見られたことと思います。
北びわこ号は撮りに行ったことはありませんが、105系は広島付近と和歌山線で撮りました。写真は2016年8月11日クモハ73106東ウラさんの車で連れて行ってもらった時のものです。隅田‐大和二見間439T和歌山発奈良行きクモハ105₋509+クハ105₋509
見頃のヒマワリ畑を望んで山あいをスカイブルーのローカル電車が走る風景。準特急様が写された1枚はまるで絵画のようですね。
それに比べると、味も素っ気もない105系の乗降風景です。暑さで有名な両毛線伊勢崎駅。平成2(1990)年6月10日の撮影です。この日は上毛電鉄を完乗しました。
勘秀峰様
そんなことはないですよ。私は駅で乗降する際は電車はほとんど撮ってます。どこかで役に立つことも案外多いです。私の和歌山線の向日葵の写真は旅の達人クモハ73106東ウラさんの案内で来た場所です。
「北びわこ」が走り始めたころ、湖北へ何度も行きました。勘秀峰さまのC56を拝見して、ヘッドマークのデザインに変化があることを発見しました。まあ、20年も経てば変わって当たり前ですね。
添付の画像は1995年8月、木ノ本駅で写しました。「駅撮り」は人が入るので、あまり撮りませんでしたが、今になって見直せば服装や駅の雰囲気などに時代が感じ取れます。12系客車も今では希少になり、必死になって追い駆ける方もいるとか。なんでも撮っておくものですね。
木ノ本駅のホームは、かなりの人ですね。北びわこ号の乗降客や見物客なども交じっていたのでしょう。
1995年といえば、携帯電話はありましたが、カメラ機能は十分でなく、フィルムカメラの全盛期でした。「使い切りカメラ」も販売されて、便利使いされていましたね。当然ながらスマホで撮影している人はいません。もし今この構図で撮影したならば、老いも若きもスマホの放列でしょう。
私は路面電車の撮影が多いので、被写体の車両よりも服装や髪形などで時代がなんとなく特定できる時があります。流行したファッションや小物、人の表情や骨格、雰囲気はその時代固有のものかな、と感じています。
勘秀峰様
両毛線伊勢崎駅でお撮りになった電車は107系でないでしょうか。105系に似ていますがJR東の両毛、信越、吾妻、上越、日光各線で走っていました。今は廃車、解体され一部は上信電鉄に譲渡されています。
準特急様
ご指摘ありがとうございます。107系でした。確か3扉だったのを覚えています。前面のフォルムで勘違いしていました。
当時はJR発足直後で、地方路線にも新車が投入され、民営化の勢いを関したものでした。このあとに訪ねた上毛電鉄が、東武のお古を塗装を変えて走らせているのを見て、見すぼらしささえ感じたものでした」。