3日目(11月12日) つづき
JR左沢線の南寒河江と羽前長崎の間にある最上川橋梁は現役の鉄道橋としては最古のものとされており、是非見ておきたいと立寄りました。
南寒河江側の橋台には近代化産業遺産、土木学会選奨土木遺産であることを示す説明看板がありました。
3日目(11月12日) つづき
JR左沢線の南寒河江と羽前長崎の間にある最上川橋梁は現役の鉄道橋としては最古のものとされており、是非見ておきたいと立寄りました。
南寒河江側の橋台には近代化産業遺産、土木学会選奨土木遺産であることを示す説明看板がありました。
2日目(11月11日)続き
酒田港線ではDD200を撮っただけに終わりましたが、事前の調査不足のせいと納得しレンタカーで次の地点へ向かうことにしました。酒田の豪商 本間家は最上川水運と北前船による物流で巨万の財を成しますが、その富を酒田の海岸線に広がる砂丘の緑化事業に投じ、酒田の町を砂嵐から守ることが酒田の繁栄につながると何代にもわたって続けるだけではなく、庄内藩、米沢藩の財政を支えた篤志家でした。その本間家が力を注いだ砂丘地帯に広がる広大な黒松林を抜けて国道112号線を南下します。庄内空港を過ぎるとこの地の名刹 善宝寺があります。
かつて鶴岡を起点に海岸の湯野浜温泉まで庄内交通湯野浜線がありました。昭和50年3月に廃止され、既に50年を経過しますが、その中間駅 善宝寺駅跡にモハ3が残されているので見に行くことにしました。
モハ3は高校1年生の夏休みに友人と東北を夜行列車乗り継ぎで1周した際、上野発秋田行き臨時急行「男鹿」の車内から撮ったのが最初の出会いでした。昭和5年日車東京製で、小さな車体に似合わない大きなパンタグラフが印象的でした。
クローバー会のホームカミングデーや写真展は毎年欠かさず参加していますが、そのためだけに上洛するのはもったいないので、なるべく鉄分補給の旅を兼ねることにしています。今回はホームカミングデーのあと、山形方面への旅を計画しました。東北地方は何度も訪れているとは言え、やはり訪問先には偏りがあります。近年は東北地方に限らず、県庁所在地訪問を旅のテーマにしていることもあって、今回はまだ訪問したことのない山形市をプランに組み込みました。
ホームカミングデーの懇親会を少し早めに退席して阪急電車で蛍池に向い、家内と合流し伊丹空港で1泊し、翌11月10日早朝のJAL便で新潟へ向かいました。山形県は日本海沿いの庄内地域と内陸部の最上地域、村山地域、置賜地域の4つのエリアに分かれています。今回は新潟から羽越本線で北上して鶴岡、酒田の庄内地域に入り、月山の麓を越えて寒河江、天童、山形の村山地域に入り、更に仙山線で奥羽山脈を越えて仙台から空路広島に戻るルートを設定しました。新庄の最上地域や米沢の置賜地域はパスです。
新潟・酒田間は特急「いなほ」が早くて便利なのですが、観光列車 快速「海里」でゆっくり日本海の景色を楽しむことにしました。「海里」は4両編成のハイブリッド電車(昔風に言うと電気式気動車)で、新潟寄りから①HB-E302 6(ダイニング)+②HB-E300 6(イベントスペース・売店)+③HB-E300 106(コンパートメント)+④HB-E301 6(座席指定車)となっています。この観光列車のコンセプトは地元食材による食事提供が売り物で、1号車はそのための食堂車、2号車には全く客席がなく、売店では 予約された弁当の手渡しや酒類の販売が行われ、3号車は山側通路の個室席、4号車は全シートが元々少し海側に向くように固定された座席車です。今回 海側の指定席が取れてラッキーでした。我々はグルメ旅ではありませんので、新潟で買った駅弁持参です。JR東日本は「海里」に力を入れているようで、新潟駅出発時にはホームでのお見送りがありました。しかし残念ながらこの日は平日だったせいか、乗車率は30%程度で、盛り上がりに欠けた出発となりました。
クローバ会の広島ツアーからもう3週間が経とうとしています。広島港までは1900型の貸切電車で充分楽しめましたが、帰路の電車は超満員で 座れない方もあってお疲れ様でした。あれほど混むとわかっておれば、費用は倍かかっても帰路も貸切にしても良かったナアと今になって思っています
さて、また新聞記事で失礼ですが、来春に走り出す循環ルートの工事や先般廃止された区間の後始末工事も進んでいるようです。的場町交差点の近況をお知らせします。
先日、笠岡駅と金光駅に残る「双頭レール」を取材に行った際、乗り合わせた227系電車の最後部ドアを荷物扱いにしているのに出くわしました。広島支社管内では見たことが無かったのですが、岡山支社管内ではこのような荷物扱いが行われているのを知りました。
車掌が荷扱いをするのかと思いきや、専従の作業員も乗車していて、補助席を利用していました。
支社内の書類などの配送だと思われますが、閑散時間帯の3両編成の最後部ですから乗客からの苦情はないのでしょうが、この程度の輸送に専門員をつけているコスト感覚に驚きました。
昔なら乗務員(車掌)が対応していたように思いますが、各地でもこのような光景は常態化しつつあるのでしょうか?新幹線でも鮮魚輸送が行われたりする時代ですから・・・。なお両駅の双頭レールについては追ってご紹介します。
8月6日 被爆80年の節目に合わせて開業した新線は好評のうちに1週間が過ぎました。いつものように中国新聞記事をご紹介し、デジ青に残すことで時代の記録とさせて頂きます。
8月6日の原爆の日に間に合わせるべく工事が進められてきましたが、開業まであと2日となりました。地元テレビ報道では、廃止される猿猴橋電停近辺の店舗の声などを取材し、明暗両面の報道が目立ちます。引き続き、中国新聞記事他をご紹介します。
中国新聞記事から2件ご紹介します。まずは美祢線について。
もう2年も運休していて、時間だけが過ぎてゆく美祢線ですが、沿線自治体が希望する鉄道復活はどう考えても実現するとは思えません。いたずらに結論を先延ばしせず、1日も早くBRT化するのが落としどころのように思えてなりません。
広電宮島線の低床連接車の先駆けである5000形は、ドイツ シーメンス社製のため電気部品を中心に交換部品が入手できず、5007号を部品取り用として廃車するなど保守に苦労されており、何編成かは荒手車庫で休車状態になっています。そんななか、荒手車庫に留置中だった5006号の屋根上の電気部品から出火したそうです。新聞報道では補助電源装置となっていますが、休車中でパンタは下ろしていたでしょうからなぜ発火したのかなど、詳しいことはわかりません。12編成ある5000形の廃車がさらに進むのではと思います。そう考えると還暦を過ぎた1900形が現役で活躍しているのは、勿論広電の車両保守部門の努力の賜物ですが、すごいことだなと感心します。
新規投稿やコメントを書き込もうとすると認証がうまくゆかず、10日が経ってしまいました。いつもお世話になっている管理者殿の手を煩わせて、ようやく投稿ができるようになりました。10日遅れの情報ですが悪しからず。
瀬野にあったスカイレールの解体工事が始まりました。
広電が新駅ビルの2階に乗り入れることで一躍注目を浴びているJR広島駅の新しい駅ビルが開業しました。但し、広電の乗り入れは工事の遅れのために今年夏頃までお預けです。いつものように中国新聞記事の連射です。
令和5年の大雨で被災し、それ以来全線運休が続く美祢線ですが、未だに復旧方針が決まっていません。ようやくJR西がBRT化が妥当との態度表明をしましたが、55億円と約3~4年の工期を要するという試算です。更に高齢化、過疎化が進み、通学生も減るのは目に見えています。三江線に代わったバス路線も大幅な赤字で存続が危ぶまれています。美祢線も同じ轍を踏むのでしょうか。
いつものように、中国新聞記事を2つご紹介します。
デジタル青信号をご覧頂いている皆様 明けましておめでとうございます。本年も広島から新聞ネタも交えながら投稿を続けたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。そこで早速 元旦の中国新聞の記事をお届けします。今年の広島の鉄道の話題は広電の新駅ビル2階への乗り入れだと思われます。当初予定より遅れていますが、夏ごろに駅前大橋線が開通する予定です。なお紙面の分割スキャンの都合上、読みにくい箇所があることをご容赦下さい。