広島から新聞ネタ3題

いつものように、中国新聞の記事のご紹介です。すべて令和6年1月27日の記事です。まずは錦川鉄道(旧岩日線)のキハ40です。

このキハ40は平成29年4月に宇都宮運転所で廃車になったキハ401009で、烏山線で使われていました。元のキハ402139で、トイレを撤去したりして1000番代になっていた1両です。廃車後に錦川鉄道に来たのですが、レールがつながっていても、廃車になった車両を甲種輸送はできないのか、陸路をトレーラーで運ばれてきました。

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芸備線の行く末はいかに・・・

デジ青読者の皆様、明けましておめでとうございます。新年早々、能登、羽田、小倉と惨事が続いていて、遠く離れているとは言え 何だか落着かない新年です。こちらは穏やかな新年を迎えた広島ではありますが、鉄道の世界では芸備線の行く末に注目が集まっています。従来、ローカル線の存続は地元自治体と鉄道事業者との協議で存廃が決まってきましたが、初めて国が加わった3者で芸備線の行く末についての議論が始まります。中国新聞は以前から「鉄路のあす」と題した特集記事を不定期で連載していますが、この度の元旦朝刊では2面を割いた特集記事が掲載されましたので、ご紹介致します。広い紙面なので、8分割でスキャンしました。重複部分も多いのですが悪しからず。では本年もよろしくお願い致します。

令和6年1月1日 中国新聞朝刊(以下すべて同紙)

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とさでん交通近況

魚梁瀬森林鉄道跡訪問記と土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の乗り鉄記をご紹介しましたが、旅の最後に後免町から高知市内までお世話になったとさでん交通について簡単にご紹介します。とさでん交通の路線は十字型をなしていて、縦の路線が桟橋線、クロスポイントが「はりまや橋」、はりまや橋から西に向かって伊野線、東に向かった後免線と、非常にわかりやすい路線です。3路線の合計距離が25.3Kmで、現在では国内で最も長い営業距離の路面電車だそうです。広電は市内線が19.0Km、宮島線が16.1Kmと合計するととさでんより長いのですが、併用軌道の路面電車では最長です。

さて今回は、後免町から高知市内までと桟橋線に乗車し、伊野線の大半は未乗車で高知をあとにしましたが、車両も多様で、また訪ねてみたい路線でした。

令和5年12月2日 とさでん後免町停留所の様子  電車が止まっていないのでわかりにくいですが単線の終端駅

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土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のぞき見

魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるために、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に初めて乗車しました。後免から安芸までの1往復乗車だけの記録ですから貧弱な内容ですが、これから訪ねようとされている方の参考になればと、ご紹介致します。

土讃線の後免駅で南風3号から降りたのは、我々夫婦の他には2~3人でした。くろしお鉄道の始発駅ですから、乗換え客を含めて多くの人が降りるのかと思っていましたが意外でした。ホームの端で出迎えてくれたのは「ごめんえきお君」でした。

後免駅の「ごめんえきお君」  令和5年12月2h

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その5) 馬路から田野へ

馬路温泉で1泊し、引き続き安田川に沿って南下します。さっそく県道脇にトンネルがありました。

⑰平瀬隧道 【重】 明治44年築造。他のトンネルと同じ構造で、全長70.6m。カーブしている。歩いて通り抜けられます。かつては道路として利用されていたのでしょうが、川沿いに広い道路が整備され、通る人はマニアだけでしょう。写真のように、南側坑口の山側には切石積みの立派な擁壁があります。

平瀬隧道南側坑口  令和5年12月4日撮影

この先には釜ケ谷(かまがたに)橋【重】と釜ケ谷桟道【重、近】があるのですが、整備された県道の下部構造になっていて、気付かないまま通過してしまいました。
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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その4)安田川線に沿って

林鉄は魚梁瀬よりさらに奥まで伸びていましたが、今回は魚梁瀬でUターンして安田川線方面に向かうことにしました。ダム湖の水位がかなり下がっていましたので、更に上流に向かえば、あるいは水没した線路跡や鉄橋跡などが姿を見せていたのかもしれません。急峻な谷が続く地だけに、冬場のこの時期は15時を過ぎると日当たりが悪くなりますので、明るいうちに馬路温泉まで行こうと下山を急ぎました。

⑩犬吠橋 【重】 魚梁瀬ダムを過ぎると、林鉄奈半利線と安田川線の分岐点釈迦ケ生です。この辺りに「井の谷橋」という上路式のトラス橋がある筈なのですが、見つけることが出来ずに諦めました。あとで調べると、村道(林道)に入り込まないと行けない地点だったようです。しばらく行くと工事中のう回路に出ました。犬吠橋です。上路式のトラス橋で県道も兼ねていたのですが、桁間が垂れ下がり崩落の恐れがあるため通行止めとなり、大掛かりな復旧工事中でした。

復旧工事中の犬吠橋。あのトラスの上に線路(道路)があった。

大正13年架橋ですから、99年前のものです。重要文化財に指定されていなければ、復旧工事せずに廃橋になっていたのかもしれません。

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その3)復元鉄道

魚梁瀬ダムを過ぎて、魚梁瀬大橋を渡り丸山台地に向かいます。ここはダムによって沈んだかつての魚梁瀬集落の皆さんが集団移転してできた新しい町です。そこにある丸山公園に、復元された森林鉄道があります。

令和5年12月3日 森の駅 やなせ

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その2)奈半利川線に沿って

魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるにはクルマが不可欠です。高知市でレンタカーを借りると土佐くろしお鉄道に乗る機会がなくなるので、なんとか現地調達をと調べたところ、くろしお鉄道安芸駅に駅レンタカーがあることがわかりました。岡山から瀬戸大橋、大歩危を経由して後免へ、そして初めての土佐くろしお鉄道ごめんなはり線で安芸へと向かいました。くろしお鉄道については、別稿でご紹介したいと思います。

(その1)で述べましたように、魚梁瀬森林鉄道は安田川線が先に開通し、あとで奈半利川線が作られたのですが、今回の旅は奈半利川線経由で魚梁瀬に向い、魚梁瀬から安田川線を下るルートで計画しました。では狭い道を考慮して借りた軽自動車で出発です。 続きを読む

魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その1) 林鉄の歴史

学生時代に何かの雑誌で、阿里山で活躍しているシェイ式蒸機が、国内にも数機いたことを知り、それがきっかけで高知県の魚梁瀬森林鉄道の存在を知りました。しかし、木曽森林鉄道以上に訪ねにくい地にあり、気になりつつも半世紀が経過しました。一方、我が家の食卓(冷蔵庫)には「馬路村のポン酢醤油」が常備されていて、生産地である馬路村も気になる存在でした。また、平成13年にはRMライブラリNo.29として舛本成行氏により「魚梁瀬森林鉄道」が詳しく紹介されるに至り、馬路村と魚梁瀬森林鉄道跡をいつ訪問しようかと考えていました。この度、ようやく念願であった現地訪問が実現しましたので、現地の様子をご紹介します。

中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会発行のガイドマップ表紙(折りたたむとB5判、拡げるとB2判の非常に良くできたマップです)

なお「中芸地区」とは、安芸市、奈半利町、北川村、田野町、馬路村、安田町が安芸郡の中央にあることから、そう呼ばれるのだろうと思います。ガイドマップの表紙を飾るのが「シェイ」であるのも素敵です。

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広島通信(その3) 広電 駅前大橋ルートの工事状況

その2を投稿してから2週間が経ってしまいました。JR向洋駅周辺の取材のあと広電駅前大橋ルートの工事の様子を見に行ったのですが、報告が遅くなってしまいました。写真はすべて令和5年11月25日の撮影です。

駅前大橋ルートの全体像

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広島通信(その2) 山陽本線海田市・天神川間の高架化工事

山陽本線の海田市・天神川(広島貨物ターミナル)間には山陽本線上下線、広島貨物ターミナルへの出入りのための上下貨物線、そして呉線上り列車が山陽本線下り線をオーバークロスする渡り線があり、列車本数が多い区間なのですが、踏切が多くあり、開かずの踏切が以前から問題になっていました。そこで海田市・天神川間を高架にすべく大規模な工事が始まっています。その丁度中間にあるのが向洋(むかいなだ)駅です。この地は広島市内ではなく、マツダ本社があるがゆえに広島市とは合併せず、安芸郡海田町で通している財政豊かな町です。工事はまず在来線を北側に移設し、山陽本線を在来線跡地に高架化し、貨物線は多分地上に残すのではないかと思います。すでに向洋駅の上りホームは北側の仮設上り線側に移設されています。11月25日、向洋駅周辺の工事の様子を見てきました。

工事完了予定は3年後の令和8年10月のようです。

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セノハチ続報

令和5年11月8日 中国新聞朝刊

以前に115系でも起きていたようです。問題は1900生殿もコメントされているように、あとの対応だと思います。コンピュータ任せになっていて、臨機応変の融通が効かない体制になっているように感じます。「検証」しないと判らないのかと言いたくなりますね。

227系にも補機が必要?

令和5年11月7日 中国新聞朝刊

昨日、セノハチで雨と落ち葉の影響で227系が立ち往生したようです。115系の時にもあったかどうかわかりませんが、空転はしても登れなくなったというのはオソマツな気がします。227系はオール電動車ですが、車体が軽いせいでしょうか?あるいは運転技能の問題?それにしても、この種のイレギュラーな事態が発生した場合の対応が国鉄時代とは大きく違う気がします。16:00頃に発生し、この日は上下線とも運休というのは情けないですね。貨物輸送の大動脈でもあり、真剣に対策を考えてもらいたいものです。例えば 昔のように、2種類の連結器を有する控車を広島か瀬野に常駐させておき、救援用の補機をすぐに差し向けるとか・・・。JR西とJR貨物と別会社なので、ダメか?

旧国鉄佐賀線 筑後川昇開橋を訪ねて

先般 3泊4日で佐賀県を旅してきました。主たる目的は、幕末から明治維新にかけて日本の歴史に大きな影響を与えた薩長土肥のうち「肥前 鍋島藩」の風土が知りたかったためです。従って、鉄分少な目の旅ではありましたが、以前から一度訪ねたかった旧佐賀線の筑後川昇開橋は必見箇所としてコースに入れていました。

国鉄佐賀線は鹿児島本線瀬高駅から長崎本線佐賀駅までの24.1Kmが昭和10年5月25日に全通し、国鉄民営化前の昭和62年3月28日に廃止されるまで約50年余り客貨輸送に活躍した路線でした。熊本発長崎行き準急「ちくご」も走っていました。残念ながら私は現役時代に佐賀線を訪ねたことはなく、福岡県と佐賀県の県境でもある筑後川に架かる昇開橋を是非この目で見たいと思っていました。

令和5年9月12日 中の島緑地公園付近からのサイドビュー

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どうなるローカル線(3)と広電の話題

中国新聞ネタで恐縮ですが、まずは連載記事の完結編から。留萌線は北海道新聞と、米坂線は山形新聞社との連携記事でしたが、最終回は共同通信社との連携でした。

令和5年8月17日 中国新聞朝刊

結局のところ、ローカル線問題はJR各社と地方自治体がお互いの言い分を投げかけるだけで、国の態度も成り行き任せ的。自然災害で不通区間が出来ると、それに乗じて路線短縮、あるいは廃止に向かうという傾向が見えはじめ、そうこうしているうちに人口減少に歯止めはかからず、なし崩し的に廃止やむなしという空気が醸成されてゆくようです。バスに置き換えると言っても、地方のバス会社は運転手の確保が難しく、先のコロナ蔓延期には運転手のやりくりがつかず、運休する事態もありました。災害への備えでよく言われるのが「自助」「共助」「公助」ですが、結局地方の交通問題でも「公助」に期待しても無理で、「共助」更には「自助」で対応せざるを得なくなるのかもしれません。

さて同じ8月17日付けの紙面に広電の記事が載りましたので、掲載します。

同紙

広島電鉄の歴史をさかのぼると、「広島瓦斯電軌」という時代があり、その当時の車両(156号)が動態保存されているという記事です。156号は江波車庫の奥に留置されているのを望遠撮影したことはありますが、かつて広島駅前で撮っていた159号を貼っておきます。昭和44年8月猛暑の中を KAWANAKA氏と呉線にC62を追いかけたときの撮影です。

広島駅前の159号

広電社紋の変遷  「広島の路面電車65年」より転載

新聞記事の中に「広電社内の保育所」が出てきますが、千田車庫近くにある「広電まめっこ保育園」のことでしょう。2階に652号を模した展望デッキがあるのが特徴です。

平成30年4月25日撮影 広電保育園

どうなるローカル線(1)

中国新聞には「鉄路のあす」というシリーズが断続的に連載されています。勿論広島県を中心に中国地方の話題がメインですが、8月15日の朝刊には「留萌線」の記事が載りました。北海道新聞との連携のようです。

令和5年8月15日 中国新聞朝刊

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