広島駅ビル2階に乗り入れる駅前大橋線での乗務員訓練が続いています。7月9日の中国新聞朝刊には、広電のダイヤ改正の記事も載りました。
投稿者「西村雅幸」のアーカイブ
広電 駅前大橋線試運転始まる
広島短信2題
中国新聞記事から2件ご紹介します。まずは美祢線について。
もう2年も運休していて、時間だけが過ぎてゆく美祢線ですが、沿線自治体が希望する鉄道復活はどう考えても実現するとは思えません。いたずらに結論を先延ばしせず、1日も早くBRT化するのが落としどころのように思えてなりません。
広電荒手車庫でグリーンムーバー火災
広電宮島線の低床連接車の先駆けである5000形は、ドイツ シーメンス社製のため電気部品を中心に交換部品が入手できず、5007号を部品取り用として廃車するなど保守に苦労されており、何編成かは荒手車庫で休車状態になっています。そんななか、荒手車庫に留置中だった5006号の屋根上の電気部品から出火したそうです。新聞報道では補助電源装置となっていますが、休車中でパンタは下ろしていたでしょうからなぜ発火したのかなど、詳しいことはわかりません。12編成ある5000形の廃車がさらに進むのではと思います。そう考えると還暦を過ぎた1900形が現役で活躍しているのは、勿論広電の車両保守部門の努力の賜物ですが、すごいことだなと感心します。
広電 駅前大橋線 8月3日に開通
広島短信
新規投稿やコメントを書き込もうとすると認証がうまくゆかず、10日が経ってしまいました。いつもお世話になっている管理者殿の手を煩わせて、ようやく投稿ができるようになりました。10日遅れの情報ですが悪しからず。
瀬野にあったスカイレールの解体工事が始まりました。
広島駅ビル開業
広電が新駅ビルの2階に乗り入れることで一躍注目を浴びているJR広島駅の新しい駅ビルが開業しました。但し、広電の乗り入れは工事の遅れのために今年夏頃までお預けです。いつものように中国新聞記事の連射です。
JR美祢線のゆくえは?
令和5年の大雨で被災し、それ以来全線運休が続く美祢線ですが、未だに復旧方針が決まっていません。ようやくJR西がBRT化が妥当との態度表明をしましたが、55億円と約3~4年の工期を要するという試算です。更に高齢化、過疎化が進み、通学生も減るのは目に見えています。三江線に代わったバス路線も大幅な赤字で存続が危ぶまれています。美祢線も同じ轍を踏むのでしょうか。
いつものように、中国新聞記事を2つご紹介します。
新年早々 広島から新聞ネタで失礼します
デジタル青信号をご覧頂いている皆様 明けましておめでとうございます。本年も広島から新聞ネタも交えながら投稿を続けたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。そこで早速 元旦の中国新聞の記事をお届けします。今年の広島の鉄道の話題は広電の新駅ビル2階への乗り入れだと思われます。当初予定より遅れていますが、夏ごろに駅前大橋線が開通する予定です。なお紙面の分割スキャンの都合上、読みにくい箇所があることをご容赦下さい。
須田寛氏を偲ぶ
ホームカミングデーのあとは寄り道を
秋の恒例行事ホームカミングデーでキャンパスを訪れ、旧交を温め、鉄分を補給するのが慣例になっています。そして、せっかく京都まで出向くわけですから、その往き帰りにどこかに寄り道するのも楽しみの一つです。今年は、遠回りを避けて山陽本線の閑散区間 相生・岡山間の途中下車を繰り返しながら帰路につきました。相生までは、赤穂線に入る電車もあり本数が多いのですが、相生以西は1時間ヘッドです。まずは相生の手前 網干で途中下車です。
①北沢産業網干専用線のDB2に再会
かつて網干から揖保川河口の浜田まで約6Kmの北沢商店網干専用線という貨物専用鉄道がありました。元をたどれば 昭和19年に開通した東芝車両の専用線です。瀬戸内海沿いの工業地帯化によっていくつかの工場への貨物輸送を行っていましたが、国鉄の小口貨物輸送の縮小に伴い、昭和59年に休止されました。当初は小型蒸気機関車が働いていましたが、昭和31年にDB1が、昭和36年にはDB2が入線し無煙化されました。
広島通信(その4)
9月18日 西高屋、向洋と途中下車しながら広島に到着です。この日の目的は広電の新線工事の様子や1900型の活躍を確かめることでした。実は、残念なことに広電の広島新駅ビルへの乗り入れは当初予定より遅れることが発表されました。
広島通信(その3)
(その1)(その2)を投稿してから2週間が経ってしまいましたが、以下の取材日も同じ9月18日です。西高屋駅でレンガ積みホームを確認後、向洋(むかいなだ)へ移動しました。向洋駅をはさんで海田市・天神川間は大規模な高架工事中で、特に向洋駅はすでに上り線側は仮線路と仮駅ホームが完成していて稼働しています。これから下り線側の移設工事が始まるのですが、広島貨物ターミナル駅につながる上下貨物線もあり、大工事です。そんな中、向洋駅で長く使われてきた跨線橋が解体中です。今回はこの跨線橋の構造部材となっている古レールを観察するのが目的で途中下車しました。まずは平成24年10月8日 まだEF67が活躍していた時の跨線橋です。
広島通信(その2)スカイレールその後
スカイレールは令和6年4月末に営業を終了してから4ケ月余りが経過しました。電車で瀬野駅を通過する度に、急勾配を登るレールがまだ撤去されずに残っているのを確認していましたが、今回は瀬野駅に降りて、様子を見てみました。
広島通信(その1)山陽本線西高屋駅について
異常な暑さが続き 外出を控えていましたが、少し暑さが和らいできたので近場の取材に出かけました。まずは、橋上駅化工事が進む西高屋駅の様子から。この駅は山陽鉄道開通時の明治27(1894)年からあったかというと そうではなく、大正6(1917)年7月13日に当時の鉄道院によって信号場として開設されています。輸送量の増大に伴い、白市・西条間(9Km)のほぼ中間に交換設備として開設されたようです。正式に西高屋駅に昇格し、客貨扱いが始まったのは大正15(1926)年10月1日でした。この駅に以前から注目していたのは、上り下りのプラットホームにレンガ積みの開業時のホームの痕跡がしっかりと残っているからです。スケッチ図は現在の様子を示します。
中央に待避線のある2線2面の配線です。赤線で示した部分にレンガ積みのホーム跡が残っています。
給水塔のある風景
総本家青信号特派員氏の投稿に触発され、そう言えば自分も各地で給水塔やその残骸を写しているような気がしてきました。そこで、探してみると意外と集まりましたので北から順にご紹介したいと思います。
1.尺別鉄道 新尺別駅
ここは1900生氏、KAWANAKA氏と共に訪れた思い出の地です。駅と機関庫がこじんまりと集まった、模型で再現したくなるような風景です。給炭場と給水塔が並んでいます。駅周辺には郵便局などもありましたが、今グーグルのストリートビューで見てみると鉄道施設はおろか民家も何もない原野(牧場?)になっていて、場所も特定できません。この訪問時は、国鉄尺別駅まで戻る手段探しに時間をとられ、肝心の尺別鉄道探訪が疎かになったのが悔やまれます。
広島から新聞ネタ3題
まずは広電のイベントから。
10月14日の鉄道の日にちなんで、13日に宮島線の荒手車庫で撮影会が開催されます。参加費が7000円というのは法外なような気もしますが、参加費を高く設定することで申込者を絞ろうということかもしれません。少し前までは、車庫の事務所にひと声かければ、「入出庫車に充分注意して下さいネ」程度で構内に入れてもらえましたが、今ではそんなわけにはゆかず、このような公開イベントに申し込むか、正式に見学願いを出すなどの手続きでもしないと車庫には入れない時代になりました。今回の荒手車庫は横を走る一般道から、少し構内の車両を撮影できますが、かと言って7000円を払うのはためらわれます。
広島から新聞ネタ2題
テレビをつければオリンピックばかり。かと言ってカメラを提げての「不要不急」の外出はご法度ということで、時間を持て余し気味の毎日です。皆様はどのようにこの猛暑のときを過ごされているのでしょうか?さて、いつものように新聞ネタでお邪魔します。まずは一畑電鉄の話題から。
最終電車の運行を終えた遅い時間に、電車を運転してみたい人がどれくらい現れるのか気になりますが、地の利を活かして松江温泉のホテルか旅館と提携したパックツアーにすれば集客できるのではと思います。一畑百貨店も閉店し、苦しい経営が続いているものと思われますが、山陰地方唯一の私鉄としてがんばってほしいものです。
三菱三原の保存DLが九州へ旅立ちました(速報)
三菱三原構内に保存されていました昭和26年製の三原製DLの初号機が本日福岡県筑紫野市に向けて旅立ちました。昭和26年にふそうバス、トラックの部品を多用して作られた5Ton機で、隣接する浅野セメント工場の構内入換え用として使われたのち、三菱糸崎工場で余生を送っていました。すぐ横に展示されていたC5776(三菱神戸製)は、鉄道車両工場のある和田沖工場構内に移設されましたが、この5Ton機はスクラップになる運命でした。幸いにも福岡県の㈱ワンマイルが運営されている「保存車両ヤード福岡」に引き取られることになりました。糸崎から一歩も出たことのない5Ton機が、九州に安住の地を得たことで、私も安堵しています。筑豊本線原田の次の駅、筑前山家駅の側線を利用した保存施設だそうです。すでに西鉄北九州線621号、西鉄北方線324号、筑豊電鉄2002号、加悦鉄道キハ51,鹿児島市交 花2号、国鉄検重車ケ15が保存されているそうです。OTOME様ほか九州在住の会員諸氏、機会があれば現地レポートを是非お願い致します。私も是非出かけようと思っております。
なお、報道関係者や鉄道マニアの誰も取材に来ておらず、三菱もあまり公開したくなかったような印象を受けました。
広電 1900引退セレモニー 他
まずは 涌田浩氏の訃報に接し、お世話になった先輩諸氏が一人、また一人と旅立たれるのが寂しくてなりません。穏やかな語り口とにこやかな表情が忘れられません。丁度10年前のクローバー会広島ツアーの前日に、I氏と3人で夜が更けるまで伊予鉄松山市内線を撮りながら歩いた思い出が強烈です。心よりお悔み申し上げます。
広電1902と1903の引退セレモニーが昨日、千田車庫で行われました。私はあいにく行けませんでしたが、中国新聞記事の引用でご報告します。
15両が並んだ圧巻を現地で見たかったです。残る13両は当面現役で残るようですが、次第に出番が少なくなることでしょう。広島新駅に乗り入れる1900を早く見たいものです。