上越路のEF5861

11月15日にデカンショまつり号氏が大宮鉄道博物館にEF5861が保存されたことをご紹介頂きました。この記事を拝見し、そう言えば 私が4年間高崎で過ごした際に61号機に出会ったことを思い出し、写真を探してみました。平成12年から13年に撮影していました。当時の所属区名板は「田」、田町でした。

平成13年1月6日 上越線井野駅を通過する「EL&SL水上号」。先頭はC58363。次位がEF5861。

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令和4年の鉄道記念日

鉄道開業150年という節目の日にも関わらず、全く盛り上がらない10月14日であったように思います。皆様はいかがお過ごしだったでしょうか。中国新聞の記事を引用させて頂き、古き良き時代を思い出すことに致します。

令和4年10月14日 中国新聞朝刊(下に続く)

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広電開業100周年記念 3100型塗り替え

広島電鉄宮島線は本年8月に開業100周年を迎えました。宮島口駅も新しくなり、今はJR広島駅に高架で乗り入れる工事が進んでいます。低床連接車の増備が進むなか、旧型の単車や連接車は肩身が狭くなってきています。そんな中で、3100型3101の塗装が旧塗装に塗り替えられたそうです。10月1日付けの新聞記事をご紹介します。

令和4年10月1日 中国新聞朝刊

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私が出会った”ナメクジ”たち

総本家青信号特派員殿の連載記事に刺激を受けて、自分は何匹(何両)ぐらいのナメクジに出会ったのだろうと調べてみました。吹田ヤードの78号機以外は、東北、北海道ばかりで、特派員氏の解説に納得しました。さて下手クソな写真ばかりですが、時系列的に並べてみました。まずは昭和43年3月27日の奥中山です。高校を卒業し、DRFCに入学する直前の春休みに友人2人と6泊7日、すべて夜行列車泊の東北旅行を敢行しました。奥中山はすでに架線も張られ、電化直前でDD51も姿を見せてはいましたが、続々とやってくる客レ、貨物とも蒸機の天下で、圧倒されたのを覚えています。

D511を先頭にした下り貨物 3重連  奥中山・小繋間

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別子鉱山鉄道を偲んで(完)

新居浜の港をスタートし、下部鉄道の跡を辿って端出場エリアに着きました。今は道の駅「マイントピア別子」として観光客で賑わっています。観光坑道入口までの数百メートルをミニ鉄道が運んでくれます。下部鉄道のゲージは762mmでしたが、復元された観光用鉄道は610mmで、クラウス製1号機を模して縮小サイズにされた機関車とED104を模した電気機関車もどきのプッシュプル編成です。第3軌条からの集電です。

ED104もどき。マイントピア駅にて。

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別子鉱山鉄道を偲んで(2)

3.別子銅山記念館の保存車両

新居浜の市街地を離れ、別子銅山方面に向かいました。新居浜市街地から南を望むと、急峻な山が壁のように連なっています。まさにここを日本列島を貫く中央構造線が走っており、壮大な地殻変動の産物であることが実感でき、またその境界に熱変動で膨大な鉱物が集積したのもうなずけます。

別子の谷を流れ下る国領川が平野に出たところに、大山積神社があります。別子銅山の守り神であり、立派な神社です。その境内に別子銅山記念館があり、屋外に保存車両が展示されています。

令和4年5月29日 別子銅山記念館 クラウス1号機

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別子鉱山鉄道を偲んで(1)

多度津集合でクローバー会の四国ツアーが行われるという案内を頂き、まず頭に浮かんだのは別子鉱山鉄道跡や保存車両巡りのことでした。5月28日直前まで何かと忙しく、全く予習も何もせず多度津へ。事前のチェック不足で、坂出から多度津に向かうつもりの電車が土曜運休で大慌て、集合時間に遅れるというスタートとなりました。多度津の街歩きや本場の讃岐うどんを堪能し、午後は主力部隊と別れてK.H生さんと伊予西条に向かい、四国鉄道文化館でDF501などを見学し、夕方 丸亀に戻られるK.H生さんとお別れしました。コロナ禍で「旅」という非日常から遠ざかっていただけに、久しぶりの「鉄旅」とクローバー会の面々との再会は気分を高揚させるに充分でした。また西条の町を散策し、1人でフラッと入った居酒屋でのビールも格別でした。今回のツアーの準備や案内をして頂いた皆様に感謝致します。

さて、28日はそのまま西条駅前のホテルに泊まり、翌朝新居浜へ。レンタカーで新居浜市街や別子を巡りました。メインは別子鉱山鉄道ですが、関連施設も訪ねました。

1.住友化学愛媛工場の歴史資料館と構内用電気機関車

新居浜はとにかく「住友」の町です。その中の、住友化学愛媛工場に展示されている小さな電気機関車を訪ねました。工場敷地の隅っこに、明治34年に竣工した 元住友銀行新居浜支店の建物が登録有形文化財として残されています。現在は住化の歴史資料館となっていて、平日であれば 事前申し込みしておけば見学できるのですが、あいにく日曜日のため、入館はかないませんでした。しかしお目当ての電気機関車は屋外保管なので、ゆっくり見学できました。

令和4年5月29日 住友化学愛媛工場歴史資料館(右奥)。手前の道路は公道ですが、フェンスの向こうは工場内。見学者のためなのか、右手のフェンスが歩行者用に少しだけ開けてある。

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今年も冬期運休の木次線

今年の冬は全国的に例年になく雪が多いようですが、木次線では例年通り冬期運休が続いています。冬期運休するJR線区は全国でもここだけでしょう。そんな木次線の近況を中国新聞デジタル版が動画も交えて伝えてくれています。中国新聞は「冬眠」と言う表現で報道しています。「冬眠」で済めば良しとしなければなりませんが、「永眠」とならないことを祈るばかりです。下記をクリックして下さい。<下>にもリンクしています。

「冬眠」続くJR木次線<上> 雪に強いはずの列車、なぜ長期運休【動画】 | 中国新聞デジタル (chugoku-np.co.jp)

尾道鉄道跡をたどって(その4)

尾道鉄道の山越え区間であり、昭和32年にいち早く部分廃止された石畦(いしぐろ)・市間について大事故の慰霊碑、現存するトンネル、スイッチバックの諸原駅跡の様子を3回に分けてレポートしました。終点市駅周辺の取材ができていなかったので旧銀山街道宿場町としての街歩きも兼ねて、昨日歩いてきました。諸原から国道184号線を下ってゆくと右手に中国バスの車庫が見えてきます。そこが尾道鉄道市駅跡です。国道はほぼ線路跡であり、駅裏側になりますので、駅の正面側 即ち銀山街道とも呼ばれる旧道側から駅前に入ってゆくことにしました。

旧道から入るとすぐに橋があり、その先に古風な2階建ての民家が見えます。

令和4年1月29日 旧尾道鉄道終点 市駅前付近

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昨日のエトセトラとウエスト銀河

呉線の観光列車「エトセトラ」と下関行き観光特急「ウエストエキスプレス銀河」の運転日が重なると、備後赤坂駅で折り返し待ちの「エトセトラ」の横を「銀河」が通過してゆく筈なので、そのシーンを撮ろうとクルマで出かけることにしました。しかし、そのためだけにクルマを走らせるのは、燃料高騰の昨今不経済なので、先般連載しました「尾道鉄道跡探索」で まだ調査できていない、御調町市駅周辺の取材も兼ねて出かけました。「尾鉄」については別稿でご報告します。

まずは、尾道で乗客をおろしたあと、折り返し駅である備後赤坂駅まで回送で走ってくる「エトセトラ」を撮ることにして、東尾道・松永間の今津川鉄橋に行きました。丁度干潮で砂地がむき出しで、パッとしないのですがここで撮ることにしました。

令和4年1月29日 東尾道・松永間今津川鉄橋を行く上り回送エトセトラ

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尾道鉄道跡をたどって(その3)

国道184号線の坂道を登り切った峠の切通しに交換駅でもあった畑駅があったのですが、今は全く面影はありません。ここを過ぎると2つトンネルがあり、終点市駅に向かって下ってゆきます。このあたりの拡大地図を載せます。

諸原駅近辺詳細図

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尾道鉄道跡をたどって(その2)

事故慰霊碑をあとに、国道184号線を北上することにします。まさに超満員の電車が逆走した勾配を登ってゆきます。

国道184号線開ノ木トンネルと尾鉄2号トンネル(北側出口側から)

左手が国道ですが、右手の歩道トンネルがかつての尾道鉄道の2号トンネルを修復したものです。ちょうどこの撮影地点付近に、「西校上駅」がありました。ここから坂を下りてゆくと、木ノ庄西小学校があります。

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尾道鉄道跡をたどって(その1)

広島県内で過去に発生した大きな人的被害のあった鉄道事故は、明治28年7月25日に糸崎・尾道間で発生した軍用列車転覆事故(死者11、負傷者97)、大正15年9月23日に安芸中野・海田市間で発生した特急列車脱線転覆事故(死者34)、昭和6年1月12日河内駅構内での急行列車脱線転覆事故(死者34)が挙げられます。軍用列車と特急列車の事故は自然災害関連でしたが、急行列車の事故は人的ミスに起因していたようです。後者2件については、2020年11月に現地レポートを掲載しました。もう一つ、忘れてはならないのが尾道鉄道の脱線転覆事故です。死者37名、負傷者56名の大事故でした。それは終戦から丁度1年を経た昭和21年8月13日に発生しました。もう75年も前のことであり、話題になることもなく忘れ去られようとしています。明治の軍用列車事故と特急列車事故については慰霊碑が建立されていますが、急行列車の事故には慰霊碑はありません。この尾道鉄道の事故はどうかというと、慰霊碑が建てられているということは書物に出ていたのですが、まだ現物を確かめていなかったので、慰霊碑探しを兼ねて久しぶりに尾道鉄道跡をたどってみました。その慰霊碑は簡単に見つかりましたが、探すのが目的で行きましたから見つかったものの、通りすがりでは何の石碑かわからない、注意を引くことのない質素なものでした。

尾道鉄道事故慰霊碑    令和4年1月7日撮影

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広島短信

中国新聞ネタを2題。年明けに一度広電を撮りに行こうと考えていた矢先、広島市でオミクロンの感染が急拡大し、次いで県下全域がまん延防止措置の対象となったおかげで、マジメな私は家から出るに出られず、またしても新聞ネタで失礼します。

令和4年1月16日 中国新聞朝刊

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