ホームカミングデーのあとは寄り道を

秋の恒例行事ホームカミングデーでキャンパスを訪れ、旧交を温め、鉄分を補給するのが慣例になっています。そして、せっかく京都まで出向くわけですから、その往き帰りにどこかに寄り道するのも楽しみの一つです。今年は、遠回りを避けて山陽本線の閑散区間 相生・岡山間の途中下車を繰り返しながら帰路につきました。相生までは、赤穂線に入る電車もあり本数が多いのですが、相生以西は1時間ヘッドです。まずは相生の手前 網干で途中下車です。

①北沢産業網干専用線のDB2に再会

令和6年11月11日 網干にてDB2

かつて網干から揖保川河口の浜田まで約6Kmの北沢商店網干専用線という貨物専用鉄道がありました。元をたどれば 昭和19年に開通した東芝車両の専用線です。瀬戸内海沿いの工業地帯化によっていくつかの工場への貨物輸送を行っていましたが、国鉄の小口貨物輸送の縮小に伴い、昭和59年に休止されました。当初は小型蒸気機関車が働いていましたが、昭和31年にDB1が、昭和36年にはDB2が入線し無煙化されました。

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広島通信(その4)

9月18日 西高屋、向洋と途中下車しながら広島に到着です。この日の目的は広電の新線工事の様子や1900型の活躍を確かめることでした。実は、残念なことに広電の広島新駅ビルへの乗り入れは当初予定より遅れることが発表されました。

令和6年9月30日 中国新聞朝刊

同上

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広島通信(その3)

(その1)(その2)を投稿してから2週間が経ってしまいましたが、以下の取材日も同じ9月18日です。西高屋駅でレンガ積みホームを確認後、向洋(むかいなだ)へ移動しました。向洋駅をはさんで海田市・天神川間は大規模な高架工事中で、特に向洋駅はすでに上り線側は仮線路と仮駅ホームが完成していて稼働しています。これから下り線側の移設工事が始まるのですが、広島貨物ターミナル駅につながる上下貨物線もあり、大工事です。そんな中、向洋駅で長く使われてきた跨線橋が解体中です。今回はこの跨線橋の構造部材となっている古レールを観察するのが目的で途中下車しました。まずは平成24年10月8日 まだEF67が活躍していた時の跨線橋です。

平成24年10月8日 下り貨物線を行くEF67102 単回

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広島通信(その2)スカイレールその後

スカイレールは令和6年4月末に営業を終了してから4ケ月余りが経過しました。電車で瀬野駅を通過する度に、急勾配を登るレールがまだ撤去されずに残っているのを確認していましたが、今回は瀬野駅に降りて、様子を見てみました。

瀬野駅ホームからスカイレール跡を望む

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広島通信(その1)山陽本線西高屋駅について

異常な暑さが続き 外出を控えていましたが、少し暑さが和らいできたので近場の取材に出かけました。まずは、橋上駅化工事が進む西高屋駅の様子から。この駅は山陽鉄道開通時の明治27(1894)年からあったかというと そうではなく、大正6(1917)年7月13日に当時の鉄道院によって信号場として開設されています。輸送量の増大に伴い、白市・西条間(9Km)のほぼ中間に交換設備として開設されたようです。正式に西高屋駅に昇格し、客貨扱いが始まったのは大正15(1926)年10月1日でした。この駅に以前から注目していたのは、上り下りのプラットホームにレンガ積みの開業時のホームの痕跡がしっかりと残っているからです。スケッチ図は現在の様子を示します。

山陽本線西高屋駅の略図

中央に待避線のある2線2面の配線です。赤線で示した部分にレンガ積みのホーム跡が残っています。

通過してゆく上り貨物列車。プラットホーム最下段はレンガ積み。

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給水塔のある風景

総本家青信号特派員氏の投稿に触発され、そう言えば自分も各地で給水塔やその残骸を写しているような気がしてきました。そこで、探してみると意外と集まりましたので北から順にご紹介したいと思います。

1.尺別鉄道 新尺別駅

昭和44年2月28日 尺別鉄道新尺別駅

ここは1900生氏、KAWANAKA氏と共に訪れた思い出の地です。駅と機関庫がこじんまりと集まった、模型で再現したくなるような風景です。給炭場と給水塔が並んでいます。駅周辺には郵便局などもありましたが、今グーグルのストリートビューで見てみると鉄道施設はおろか民家も何もない原野(牧場?)になっていて、場所も特定できません。この訪問時は、国鉄尺別駅まで戻る手段探しに時間をとられ、肝心の尺別鉄道探訪が疎かになったのが悔やまれます。

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広島から新聞ネタ3題

まずは広電のイベントから。

荒手車庫での撮影会(令和6年9月6日 中国新聞朝刊)

10月14日の鉄道の日にちなんで、13日に宮島線の荒手車庫で撮影会が開催されます。参加費が7000円というのは法外なような気もしますが、参加費を高く設定することで申込者を絞ろうということかもしれません。少し前までは、車庫の事務所にひと声かければ、「入出庫車に充分注意して下さいネ」程度で構内に入れてもらえましたが、今ではそんなわけにはゆかず、このような公開イベントに申し込むか、正式に見学願いを出すなどの手続きでもしないと車庫には入れない時代になりました。今回の荒手車庫は横を走る一般道から、少し構内の車両を撮影できますが、かと言って7000円を払うのはためらわれます。

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広島から新聞ネタ2題

テレビをつければオリンピックばかり。かと言ってカメラを提げての「不要不急」の外出はご法度ということで、時間を持て余し気味の毎日です。皆様はどのようにこの猛暑のときを過ごされているのでしょうか?さて、いつものように新聞ネタでお邪魔します。まずは一畑電鉄の話題から。

令和6年7月31日 中国新聞朝刊

最終電車の運行を終えた遅い時間に、電車を運転してみたい人がどれくらい現れるのか気になりますが、地の利を活かして松江温泉のホテルか旅館と提携したパックツアーにすれば集客できるのではと思います。一畑百貨店も閉店し、苦しい経営が続いているものと思われますが、山陰地方唯一の私鉄としてがんばってほしいものです。

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三菱三原の保存DLが九州へ旅立ちました(速報)

三菱三原構内に保存されていました昭和26年製の三原製DLの初号機が本日福岡県筑紫野市に向けて旅立ちました。昭和26年にふそうバス、トラックの部品を多用して作られた5Ton機で、隣接する浅野セメント工場の構内入換え用として使われたのち、三菱糸崎工場で余生を送っていました。すぐ横に展示されていたC5776(三菱神戸製)は、鉄道車両工場のある和田沖工場構内に移設されましたが、この5Ton機はスクラップになる運命でした。幸いにも福岡県の㈱ワンマイルが運営されている「保存車両ヤード福岡」に引き取られることになりました。糸崎から一歩も出たことのない5Ton機が、九州に安住の地を得たことで、私も安堵しています。筑豊本線原田の次の駅、筑前山家駅の側線を利用した保存施設だそうです。すでに西鉄北九州線621号、西鉄北方線324号、筑豊電鉄2002号、加悦鉄道キハ51,鹿児島市交 花2号、国鉄検重車ケ15が保存されているそうです。OTOME様ほか九州在住の会員諸氏、機会があれば現地レポートを是非お願い致します。私も是非出かけようと思っております。

R6-7-22 三菱三原構内でトラックに積み込まれる5TonDL

九州へ向けて出発!

なお、報道関係者や鉄道マニアの誰も取材に来ておらず、三菱もあまり公開したくなかったような印象を受けました。

広電 1900引退セレモニー 他

まずは 涌田浩氏の訃報に接し、お世話になった先輩諸氏が一人、また一人と旅立たれるのが寂しくてなりません。穏やかな語り口とにこやかな表情が忘れられません。丁度10年前のクローバー会広島ツアーの前日に、I氏と3人で夜が更けるまで伊予鉄松山市内線を撮りながら歩いた思い出が強烈です。心よりお悔み申し上げます。

広電1902と1903の引退セレモニーが昨日、千田車庫で行われました。私はあいにく行けませんでしたが、中国新聞記事の引用でご報告します。

令和6年7月15日 中国新聞朝刊

15両が並んだ圧巻を現地で見たかったです。残る13両は当面現役で残るようですが、次第に出番が少なくなることでしょう。広島新駅に乗り入れる1900を早く見たいものです。

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スカイレールが運行終了しました

代行手段の電気バスの準備が遅れたために、スカイレールの廃止日が延期されていましたが4月30日をもって25年余りの運行が終了しました。

令和6年5月1日 中国新聞朝刊

なお、ゴンドラが「ヌマジ交通ミュージアム」に寄贈予定とされています。「ヌマジ交通ミュージアム」とは、かつて「広島市交通科学館」と呼ばれていた施設で、アストラムラインの長楽寺駅すぐそばにあります。アストラムラインの車両基地に隣接しています。交通科学館ですので、陸海空すべてが対象で、どちらかというと子供向けの体験型施設です。屋外展示ですが、広電650型654号が保管されています。「ヌマジ」とは何かと思われるでしょうが、命名権料の関係で現在の施設名に変わったのですが、「ヌマジ」とは「沼田自動車学校」の略称で、地元の人にしかわからない 一般受けしないネーミングです。

広電原爆ドーム前電停から少し北に公園内を進むと、「広島市こども文化科学館」横にC59161が保存展示されています。それを見て、紙屋町か県庁前からアストラムラインに乗って長楽寺に向い、ヌマジの654号を見学するのもいいかもしれません。

広島から新聞ネタ3題

いつものように、中国新聞の記事のご紹介です。すべて令和6年1月27日の記事です。まずは錦川鉄道(旧岩日線)のキハ40です。

このキハ40は平成29年4月に宇都宮運転所で廃車になったキハ401009で、烏山線で使われていました。元のキハ402139で、トイレを撤去したりして1000番代になっていた1両です。廃車後に錦川鉄道に来たのですが、レールがつながっていても、廃車になった車両を甲種輸送はできないのか、陸路をトレーラーで運ばれてきました。

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芸備線の行く末はいかに・・・

デジ青読者の皆様、明けましておめでとうございます。新年早々、能登、羽田、小倉と惨事が続いていて、遠く離れているとは言え 何だか落着かない新年です。こちらは穏やかな新年を迎えた広島ではありますが、鉄道の世界では芸備線の行く末に注目が集まっています。従来、ローカル線の存続は地元自治体と鉄道事業者との協議で存廃が決まってきましたが、初めて国が加わった3者で芸備線の行く末についての議論が始まります。中国新聞は以前から「鉄路のあす」と題した特集記事を不定期で連載していますが、この度の元旦朝刊では2面を割いた特集記事が掲載されましたので、ご紹介致します。広い紙面なので、8分割でスキャンしました。重複部分も多いのですが悪しからず。では本年もよろしくお願い致します。

令和6年1月1日 中国新聞朝刊(以下すべて同紙)

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とさでん交通近況

魚梁瀬森林鉄道跡訪問記と土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の乗り鉄記をご紹介しましたが、旅の最後に後免町から高知市内までお世話になったとさでん交通について簡単にご紹介します。とさでん交通の路線は十字型をなしていて、縦の路線が桟橋線、クロスポイントが「はりまや橋」、はりまや橋から西に向かって伊野線、東に向かった後免線と、非常にわかりやすい路線です。3路線の合計距離が25.3Kmで、現在では国内で最も長い営業距離の路面電車だそうです。広電は市内線が19.0Km、宮島線が16.1Kmと合計するととさでんより長いのですが、併用軌道の路面電車では最長です。

さて今回は、後免町から高知市内までと桟橋線に乗車し、伊野線の大半は未乗車で高知をあとにしましたが、車両も多様で、また訪ねてみたい路線でした。

令和5年12月2日 とさでん後免町停留所の様子  電車が止まっていないのでわかりにくいですが単線の終端駅

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土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のぞき見

魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるために、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に初めて乗車しました。後免から安芸までの1往復乗車だけの記録ですから貧弱な内容ですが、これから訪ねようとされている方の参考になればと、ご紹介致します。

土讃線の後免駅で南風3号から降りたのは、我々夫婦の他には2~3人でした。くろしお鉄道の始発駅ですから、乗換え客を含めて多くの人が降りるのかと思っていましたが意外でした。ホームの端で出迎えてくれたのは「ごめんえきお君」でした。

後免駅の「ごめんえきお君」  令和5年12月2h

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その5) 馬路から田野へ

馬路温泉で1泊し、引き続き安田川に沿って南下します。さっそく県道脇にトンネルがありました。

⑰平瀬隧道 【重】 明治44年築造。他のトンネルと同じ構造で、全長70.6m。カーブしている。歩いて通り抜けられます。かつては道路として利用されていたのでしょうが、川沿いに広い道路が整備され、通る人はマニアだけでしょう。写真のように、南側坑口の山側には切石積みの立派な擁壁があります。

平瀬隧道南側坑口  令和5年12月4日撮影

この先には釜ケ谷(かまがたに)橋【重】と釜ケ谷桟道【重、近】があるのですが、整備された県道の下部構造になっていて、気付かないまま通過してしまいました。
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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その4)安田川線に沿って

林鉄は魚梁瀬よりさらに奥まで伸びていましたが、今回は魚梁瀬でUターンして安田川線方面に向かうことにしました。ダム湖の水位がかなり下がっていましたので、更に上流に向かえば、あるいは水没した線路跡や鉄橋跡などが姿を見せていたのかもしれません。急峻な谷が続く地だけに、冬場のこの時期は15時を過ぎると日当たりが悪くなりますので、明るいうちに馬路温泉まで行こうと下山を急ぎました。

⑩犬吠橋 【重】 魚梁瀬ダムを過ぎると、林鉄奈半利線と安田川線の分岐点釈迦ケ生です。この辺りに「井の谷橋」という上路式のトラス橋がある筈なのですが、見つけることが出来ずに諦めました。あとで調べると、村道(林道)に入り込まないと行けない地点だったようです。しばらく行くと工事中のう回路に出ました。犬吠橋です。上路式のトラス橋で県道も兼ねていたのですが、桁間が垂れ下がり崩落の恐れがあるため通行止めとなり、大掛かりな復旧工事中でした。

復旧工事中の犬吠橋。あのトラスの上に線路(道路)があった。

大正13年架橋ですから、99年前のものです。重要文化財に指定されていなければ、復旧工事せずに廃橋になっていたのかもしれません。

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その3)復元鉄道

魚梁瀬ダムを過ぎて、魚梁瀬大橋を渡り丸山台地に向かいます。ここはダムによって沈んだかつての魚梁瀬集落の皆さんが集団移転してできた新しい町です。そこにある丸山公園に、復元された森林鉄道があります。

令和5年12月3日 森の駅 やなせ

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魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その2)奈半利川線に沿って

魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるにはクルマが不可欠です。高知市でレンタカーを借りると土佐くろしお鉄道に乗る機会がなくなるので、なんとか現地調達をと調べたところ、くろしお鉄道安芸駅に駅レンタカーがあることがわかりました。岡山から瀬戸大橋、大歩危を経由して後免へ、そして初めての土佐くろしお鉄道ごめんなはり線で安芸へと向かいました。くろしお鉄道については、別稿でご紹介したいと思います。

(その1)で述べましたように、魚梁瀬森林鉄道は安田川線が先に開通し、あとで奈半利川線が作られたのですが、今回の旅は奈半利川線経由で魚梁瀬に向い、魚梁瀬から安田川線を下るルートで計画しました。では狭い道を考慮して借りた軽自動車で出発です。 続きを読む