土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のぞき見

魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるために、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に初めて乗車しました。後免から安芸までの1往復乗車だけの記録ですから貧弱な内容ですが、これから訪ねようとされている方の参考になればと、ご紹介致します。

土讃線の後免駅で南風3号から降りたのは、我々夫婦の他には2~3人でした。くろしお鉄道の始発駅ですから、乗換え客を含めて多くの人が降りるのかと思っていましたが意外でした。ホームの端で出迎えてくれたのは「ごめんえきお君」でした。

後免駅の「ごめんえきお君」  令和5年12月2h

「アンパンマン」の生みの親であるやなせたかし氏は、ご自身は東京生まれながら、父方の実家が現在の高知県香美市香北町にあり、小学校時代を後免で過ごされたそうです。くろしお鉄道沿線の香美市には、市立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアムもあります。またくろしお鉄道ごめん・なはり線もアンパンマンに染まっていて、全駅にはアンパンマンに登場するキャラクターが振り当てられていて、「次の停車駅は、やすにんぎょちゃんの夜須です」というような車内アナウンスが流れます。

後免駅の看板

安芸駅の表示

さて、土佐くろしお鉄道の前身は、大正13年に後免-手結(てい、現在の夜須)間が、昭和5年に手結-安芸間が開通した土佐鉄道に始まります。昭和24年に後免-安芸間の電化が完成し、すでに明治44年に高知市内側から後免町まで開通していた土佐電気鉄道軌道線と後免町でつながり、土佐電気鉄道鉄道線(安芸線)となります。軌道線からの直通運転も行われていました。しかし、昭和49年3月31日をもって、安芸線は廃止され、バス輸送に切替えられました。また国鉄後免駅経由の貨車輸送もなくなりました。一方で、大正11年以来「四国循環鉄道構想」があり、予定線として阿佐線の計画があり、昭和40年になって、土佐電の終点安芸から先の田野までが国鉄新線として建設工事が始まったのです。そして昭和49年に鉄道線が廃止されると、後免-安芸間も国鉄新線として建設工事が始まりました。丁度江若鉄道廃止と湖西線建設の流れと似ています(と言うより江若事例に倣った計画だったようです)。ところが、国鉄民営化などの大きな変革の中で、昭和56年に建設工事が中断しました。ほぼ全線にわたって高架鉄道ですので、その時点で完成していた約19Kmは、昭和63年まで放置され、土佐の万里の長城と揶揄される時期が長く続きました。昭和61年に土佐くろしお鉄道が設立され、昭和63年に工事が再開され、平成14年に後免・なはり間がようやく開業しました。かつては土佐電軌道線とつながり、直通運転を行っていた土佐電鉄道線でしたが、土佐くろしお鉄道はJR四国と相互乗り入れをする第三セクター鉄道となったわけです。従って、歴史は古いものの、まだ開業以来20年余りの若い鉄道です。

土佐くろしお鉄道の気動車は11両あります。形式は9640(くろしお)形です。9640-1から9640-11まであり、すべて両運車。1~10が開業時の平成14年製、11が平成17年の増備車です。全線高架で太平洋に沿って走るため、1,2は海側にオープンデッキのある特別仕様車で1S、2Sという車番です。残念ながら、今回の訪問では見たり、乗ったり、写真を撮る機会に恵まれませんでした。これら11両はJR四国に乗り入れられる一方、JR四国の1000形もくろしお鉄道に乗り入れてきます。但し、先に述べましたアンパンマンのキャラクター名を冠した駅名の車内アナウンスは、JR四国車内では行われておらず、またくろしお鉄道の1S、2SのオープンデッキはJR四国線内では使用禁止となっているそうです。

前置きが長くなりましたが、後免駅から安芸駅に向かうことにします。乗車したのは9640-5でした。セミクロス車です。運転台は半室なので、最前部で車窓を楽しむことができました。

高知から後免に到着の5856D 9640-5 (貫通扉渡り板の番号が車番)

のいちで5859D  6と交換

私が乗った列車はワンマンではありますが、女性車掌さんが乗務していました。通常は乗る時に整理券を取り、降りる時に運賃箱にお金を入れるのですが、車掌乗務の列車では車内で切符を買って下さいと表示があったので、乗車券を買いました。

切符にもキャラクターが

車掌さんに聞くと、女性車掌さんは3人いますとのことでした。

夜須駅にて  いたるところにこの種の表示がありました

西分・和食(わじき)間にて はるか右手前方に室戸岬が見える

西分・和食間  線路左側にあった津波避難タワー

和食・赤野間にあった津波避難タワー

津波避難用タワーは数多く作られていますが、比較的開放的な作りのタワーから、壁に囲われてた、長時間の非難を想定したものまで様々でした。三陸はじめ駿河湾や紀伊半島でも数多くのタワーを見ましたが、どんどん進化しているように思いました。

津波警戒区間?を示す標識  L=4050 即ち4.05Kmは要警戒?

穴内にて5861D  8と交換

球場前駅のすぐ山側にある安芸タイガース球場

安芸駅構内に休む 9640-7と10(タイガース号)

安芸駅ホームから望む  車庫も高架上にあり、近づいて撮影できないのが残念

JR四国の1000形が安芸駅を出発

安芸駅の駅レンタカーを借りて、目的地の魚梁瀬や馬路村に向かったのですが、残念ながら安芸駅となはり駅間はクルマで走ることになり、未乗車区間になってしまいました。終点なはり駅の様子は見ておきたかったので、訪ねてみました。

なはり駅のホームから後免方面を望む  立派な鉄橋は奈半利川橋梁

なはり駅は1面1線のいわゆる1本突っ込み駅でした。未成線である阿佐線が実現するなら、この先が伸びるのでしょうが、そんな日が来ることは無いような気がします。

なはり駅で出発を待つ9640-6

以上が往路のごめん・なはり線の様子です。翌12月4日は馬路村から安芸駅に向い、レンタカーを返して安芸駅から後免町まで復路を乗車しました。その様子を少しだけご紹介します。

令和5年12月4日 安芸駅ホームから   9640-10タイガース号が良い位置に。

安芸駅から乗車した高知行き5869D JR四国1020

穴内駅で5860D 9640-8と交換  くろしお鉄道の窓ガラスはきれいだったがJR四国の車両は汚れがひどい。

西分駅で交換した9640-6  これは定期列車ではなく回送?

のいち駅で交換した5862D 9640-5

この日は高知で泊まるので、そのまま高知行き5869Dの客になっていても良かったのですが、後免町で下車して土佐電軌道線で高知入りすることにしました。なので、ごめん・なはり線とはここでお別れとしました。(軌道線については別稿で)

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のぞき見」への4件のフィードバック

  1. 西村雅幸様
    初めてコメントさせていただきます。
    1967.12.28の後免駅です。前方奥の架線柱のある場所が、土佐電気鉄道安芸線の後免駅です。

    • 50年後の2017.11.17の後免駅です。JRの構内配線は少し変わっています。土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線(阿佐線)は、すぐに高架になります。

      • 快速つくばね様 コメントありがとうございます。DF50と58系に半世紀の時の流れを感じます。

    • 快速つくばね様、
      DF50は21号ですね。残念ながら私は、MAN増備により1970年に転出した亀山時代も含め撮影は叶いませんでした。
      後免駅の架線柱も、私には違和感たっぷりです。
      貴重なお写真をお見せいただき、ありがとうございました。
      貼付写真は、後免駅1番線停車中の273レ(1982年5月2日)です。

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