7年半のトレインビューを振り返って 8 終

⑨ 今でも撮れる EF65牽引貨物

引っ越しの日程が決まって、慌ててEF65の貨物列車の撮影を始めた。この貨物列車は北旭川を0:30分に発車する82レで青森信号所には12:35分到着。列車番号を3082レと変更し青森信号所を12:48分に発車、翌日の0:19分に新鶴見に到着。さらに5087レに変更の上、新鶴見を3:05に発車し、一路百済貨物ターミナルを目指す。終点には15:07分に着く約40時間の長距離貨物列車である。撮影:2024年4月19日

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7年半のトレインビューを振り返って 7

⑦ 夏季早朝撮影可能貨物
M250系はモーダルシフトの推進を目的に、2002年から走り出した16両編成電車貨物列車。愛称は「スーパーレールカーゴ」の佐川急便(SAGAWA EXPRESS)専用車。下りは51列車で東京貨物ターミナル(23:14発)~大阪の安治川口(翌5:26着)間を6時間少しで結ぶ。上り下りとも日曜発は運休になる。

撮影:2017年5月20日

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7年半のトレインビューを振り返って 6

⑥ 見られなくなった車輌
7年半の間には車輌更新やダイヤ変更などがあり、いまでは見られなくなった車輌がある。一番はEF66だろう。引っ越した当初の2017年はレアながらも比較的良く見かけた。朝、貨物のスジの多い時間帯には確率が高まった。

撮影:2017年4月4日

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7年半のトレインビューを振り返って 5

⑤ 珍しい運転
雪が降りしきる午前中にカメラを構えていると、大きな地響きと雪けむりを巻き上げて、トワイライト塗装のEF65 1124が単機で通過した。「雪の中、どこへ行くのだろう?」と思っていたが、あとから「架線に付着した雪を取り払うために、重量のある電気機関車が投入される」と知った。

撮影:2017年1月15日


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7年半のトレインビューを振り返って 4

④ 事業用車輌
国鉄443系~電気(架線)を検測する事業用交流直流両用電車、クモヤ443は昭和50(1975)年製造。583系を思わせる前面に何となく愛嬌があった。引っ越して間もない2017年~2019年頃には見ることが多かったが、次第に姿が見えなくなり、2021年7月15日付で廃車になった。後継車両はDEC741形(下)になる。

撮影:2017年2月21日

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7年半のトレインビューを振り返って 3

③ 配給車輌(電車・機関車牽引)
主に車両工場と車両基地との間で、保守部品などを配送するために使用される事業用車両を配給車と言って車両記号は「ル」である。クモル145形・クル144形には1回だけ遭遇したことがある。1979年から1981年まで101系を改造して造られた配給電車は、晩年には配給車として部品輸送に当たることはなく、主に牽引車代用として構内での入換に使用されていた。同形式は2021年11月に廃車となる。

撮影:2018年3月26日

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7年半のトレインビューを振り返って 2

② 回送(北びわこ号)
引っ越しから2ヵ月ほど経った3月の土曜日。買い物から帰った家内が「踏切にたくさんの人がカメラを構えている」と伝えてくれた。私はそれまで「調子踏切」のことを知らなかった。「何か珍しい電車でも走るのかなぁ」と私は椅子とデジカメを窓際に置いた。30分ほどしてEF65に牽かれた12系客車がゆっくりと走って来た。

2017年3月4日撮影

北びわこ号は1995年から2019年11月までの観光シーズンに米原~木ノ本間を走っていた列車。牽引は主に梅小路区のC56160が担当し、客車は宮原区の12系5両が任務についた。北びわこ号運転の前日に、EF65牽引で12系が回送されてきた。

2018年8月18日撮影

上りの通過時間は13時台で自宅や調子踏切からは半逆光だったが、上手く収められた。5両編成の最後にテールマークがついているのが、イベント列車らしく華やいだ気持ちになった。反対に運転を終えて12系5両が宮原へ戻る姿は1度だけ17時台に見たことがある。

2018年7月21日撮影

北びわこ号回送以外にも2020年ごろまでは、ほかの地域を走っている電車や列車が自力で回送する姿が見られた。普段見ることが出来ない電車は、例えそれが回送であっても、ワクワクしたものだ。下の写真は和歌山地域色(であろう)のモハ105系。(続く)

2017年4月4日撮影

7年半のトレインビューを振り返って 1

プロローグ
2016年12月、埼玉から実家のある長岡京市へ引っ越した。高齢の両親はまだ健在であったが、徐々に世話のかかる状態になっていた。この時に紹介された賃貸マンションが、JRの線路際。しかも自室・ベランダからも、共用の廊下からも撮影可能なトレインビューの住まいだった。東海道本線 長岡京~山崎間にある「撮影の名所」調子踏切から100mほど北に位置した。

引っ越しのタイミングで、東京での仕事を退職の予定が、会社の厚意によりパソコンを使った「長距離在宅」を任命され、2020年10月までの約4年間は会社員の肩書でトレインビューの自室で勤務をしていた。この間やその後いくつかのライフイベントがあり、母親と義父は他界した。そして2024年4月、同じ長岡京市へ転居した結果、トレインビューも見られなくなってしまった。 続きを読む

京都市電 写真展を振り返る2

<昭和30~40年代 生活の記録 写真と文章>
今回の京都市電の写真展では壁面の一角に「昭和30~40年代 生活の記録」のサブテーマを設けて40点弱の写真を展示しました。きっかけは昨年実家の遺品整理をしている時に大量に出てきたプリント写真です。普段の何気ない風景が克明に写されて、中には丸太町通りを走る市電を背景にした幼い日の私の写真もありました。私は小学校卒業の昭和43年までは河原町丸太町に住まいがありました。市電の写真展だから、このカットは使えそうだ。何なら、市電の写真の延長線上に、昭和30~40年代の写真の中で、当時の生活が感じられる写真をいくつかのテーマに分けて紹介できないだろうか。主たる来場者の50歳代以上の方にも抵抗感なく鑑賞していただけると思って企画を進めました。

実際会場で私と市電が写っているカットを説明すると、お客さまは納得してご覧になっていました。町内のレクリエーションの写真の前で「うちの町内ではびわ湖に水泳に行った」とか小学校の給食風景ではそれぞれの年代の献立が聞けて参考になりました。地蔵盆の写真で「八瀬の遊園地で遊んだ」の類の話ができるのも、写真展ならではです。

鉄道写真の展示会だから、鉄道100%の方が本当は望ましいのでしょうが、京都市電を核に、昭和30~40年代年代の写真や文章を通じて、当時の生活や人々の暮らしを振り返り懐かしんでもらうのを願って企画しました。お客さまの反応を見ても概ね好評でホッとしました。ギャラリーと言う空間を通じて、お客さまにどのようなメッセージを届けられるか。今回の写真展を通じて、そのヒントをもらった気がしています。
<写真上=寺町丸太町を西に入った北側。市電は1000形 昭和33年1月(2歳2ヵ月)写真下=会場風景>

京都市電 写真展を振り返る1

去る3月1日~8日まで、下京区の高瀬川・四季 AIRで開催されていた 佐々木秀隆 写真展 京都市電2系統が走った町並みは、8日間で200名を超えるご来場をいただき、ほんとにありがとうございました。OBの皆さんやデジ青をご覧の皆さんも多数ご来場をいただき、嬉しい限りです。当ギャラリーでの開催は4回目となりますが、総本家様プロデュースのもと、今回私が初めて内容を企画しました。

<2系統の特集 西大路通りの反応>
京都市電の特定の系統に中心を当てた企画はあまりなかったと思いますが、私が一番良く撮影した2系統は皆さんにお見せできる写真がたくさんあり、足りないところは総本家様の写真をお借りして、京都駅前から西大路九条まで48停留場の写真を揃えることができました。
2系統が走ったルートの中で西大路通りは地味な路線で、お客さまの反応を危惧していたのですが、西大路七条の変遷地図とともに、沿線にゆかりのある皆さんから「私の家内が勤めていた銀行や」「ここの会社が造った自転車に乗っていた」など身近で熱い感想が聞けて良かったです。

<よみがえった伝説の3系統>
今回2系統を取り上げる時に、2番と密接なつながりを持ち、早くに廃止された3系統を紹介したいと言う構想は最初から持っていました。総本家様のご尽力もあり鉄道友の会京都支部所蔵の、貴重な3番の写真が複数お借りできまして、2系統の展示の中に大きなスポットを作ることができました。厚く御礼申し上げます。
ほかの写真と明らかに違う年代の3番市電の姿に、皆さんは必ず歩みを止めて見入られました。私お手製の系統変遷図(1~4)も具体的な説明をするのに好評でした。

次回は鉄道と直接つながらない展示の話をします。 勘秀峰