リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行3

<東急電鉄世田谷線1 2006.12.2>
私は関東在住時には、埼玉県の朝霞に住んでいた。都内へは東武東上線と隣駅の和光市で乗り入れる地下鉄有楽町線が利用できた。復職した平成17(2005)年、副都心線はまだ工事中だった。池袋までは楽に出られるが、新宿や渋谷へ昼間でも混んでいる山手線や埼京線を使わざるを得ない。右手足マヒの障がい者にはハードルが高い。

終点の三軒茶屋は複合ビルの1階から出発する感じ


従って渋谷から先に乗り換えて行くのは「一日仕事」的感覚になる。それでも世田谷線はなるべく早く行きたい路線だった。2006年の2年前の脳出血発症時に五体満足で最後に訪ねたのが世田谷線だったのである。右手足がマヒになったけど、元気で撮影をしている自分自身を車輌たちに見て欲しかったからである。

駅はスロープが基本で、手すり付き。富山より勾配が急だった

2年の間に、車輌に変化はなかったが、乗務員は100%女性車掌に代わっていた。世田谷線は2両編成で、片方に4扉あり、運転手と車掌のいる両側の扉から乗車して真中のドアから下車する。これは玉電時代の車輌が走っていた頃と変わらないが、平成13年(2001)年には全線の設備・車輌をリニュアルし、ホームは車輌に合わせてかさ上げされた。

乗客は前後の扉から乗車する。運賃は先払い

座席は一人がけで2両編成それぞれ前を向いた配置になっている

結果として、ホームと車輌の段差は微々たるもので、快適に乗り降りできる。但し世田谷線の車輌は、運転台の車体の幅が絞ってあるため、車椅子での乗降がしにくいと思われることに気がついた。上町などカーブに掛かるホームがあるための苦肉の策に違いないが、それ以外の駅では、ホームと車輌の隙間が左右かなり違うので、車椅子の車輪がうまく通過出来るか疑問に思えた。脳出血発症前ならこんな視点では鉄道を見なかっただろうに、障がい者になって「目の行き方」が変わって来たことに気づいた。(続く)

ドアは広く車椅子でも楽勝だが、車体の幅の絞りに注意

リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行3」への2件のフィードバック

  1. 勘秀峰様
    ご報告有難うございます。最近各社各車バリアフリーが施されているようですが、私など車椅子対応で駅員さんがホームに出てきたり、バスでもその対応で暫く停車することは経験しておりますが実際にどのような問題点があるのかはよくわかっておりません。世田谷線は下高井戸で乗り換えることができますので京王線で一直線で行きよく撮影には出かけます。世田谷線は贅沢言いますと色を変えているくらいで車種が統一されているので撮っている最中に飽きが来ることがあります。勘秀峰さんもご存知の通り1969年4月まで国道246号線を二子玉川・砧本村まで走っていた玉川線がなくなり、三軒茶屋―下高井戸間のみが残り今日に至っております。ここに廃止直前の大橋付近の風景を用意してみました。個性的な200形204号に澁谷-下高井戸の行先板が入っています。これだけ車が多いと定時運行も難しかったことと思います。私事ですが5年前にこの近くにある大学病院で心臓の手術をしました。今でもこの病院への通院は井の頭線の駒場東大前から歩いて行っています。

    • 準特急様
      コメントとお写真、ありがとうございます。首都高3号線建設前の246は車で溢れています。定時運転もそうですが、事故が多かったのではないでしょうか。
      私が世田谷線に初めて乗ったのは昭和61年10月でした。玉電生え抜きの電車が走っていました。次回紹介する予定の分から1枚、上町検車区での70形です。
      駒場東大前が最寄駅の日本民藝館や近代文学館も訪ねました。緑が多くて良いところです。

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