東北本線の普通列車、貨物列車
本テーマの最後として、東北本線の普通列車、貨物列車と参りましょう。優等列車の影で、日常の足としての普通列車も多く運転されていました。多くは115系電車ですが、この時期にはまだ長距離鈍行が走っていた時代で、「一ノ関」のサボを下げた旧型客車を、デッキ付きのEF57が牽く列車も残っていました。また、年末年始は、荷物、貨物輸送が激減するものの、そこは、大動脈の東北本線のこと、何本かの荷物列車、貨物列車を見ることができました。
▲123レを牽くEF57 13 123レはもともと上野~青森の長距離鈍行だった。昭和43年10月で短縮されて、上野~一ノ関になった。やや低い位置から構えて、突き出たパンタを強調してみた。栗橋付近(昭和50年1月)
もともと東北本線は長距離鈍行の宝庫だった。東北地方の所得水準も低かったし、優等列車の停車しない小さな駅であっても、それなりに東京との結びつきが強かった。昭和40年10月改正では上野~青森の普通列車は、4往復(東北本線2往復、常磐線1往復、奥羽本線1往復)も運転されていた。昭和43年10月改正で全線電化が完成して、特急が増発され、長距離鈍行が大幅に減らされ、東北本線の2往復も廃止された。
▲124レを牽くEF57 15 撮影した昭和50年当時、東北本線の長距離鈍行は、2往復になり、いずれも区間運転となっていた。この124レは仙台~宇都宮の運転だが、荷物48レ(客車は回送)として上野まで運転され、宇都宮以南でも見られた。栗橋付近(昭和50年1月)▲EF58 70の牽く福島発上野行き122レ 栗橋付近(昭和50年1月)
▲▲同じく122レを牽くEF58 153 片岡付近(昭和51年1月)
▲123レを牽くEF58 58 上野発着の東北本線の客車普通列車は、その2年後の昭和53年10月で廃止になり、東北本線の普通は、すべて電車になった。岡本付近(昭和51年1月)
▲直流区間を走る電車は115系に統一、まだ非冷房、デカ目の115系が幅を利かせていた。古河付近(昭和50年1月)▲宇都宮~岡本~宝積寺では、こんな10系DCも見られた。宇都宮を発着して、烏山線へ直通する列車である。326D キハ11 63+キハ10 41 岡本付近(昭和51年1月)▲客車の普通列車は少なくなったが、客車の荷物列車は、昼行・夜行ともで4往復があり、EF56が使われていた。荷物列車41レを牽くEF56 栗橋付近(昭和50年1月)
▲クモユニ742 12ほかの荷物電車 モハ74を東北本線用に改造したのがクモユニ74の200番代 栗橋付近(昭和50年1月)
▲正月ながら貨物列車も運転されていた。牽引の中心は、やはりEF65PF 栗橋付近(昭和50年1月)▲▲EF15もまだ活躍していた。EF15 83 栗橋付近(昭和50年1月)
▲交流区間へ直通できるEF81も貨物を牽いていた。EF81 82 岡本付近 (昭和51年1月)