年末年始 臨時列車で賑わっていた時代へ 〈2〉

昭和の時代 東北本線の臨時列車

新年のご祝詞を申し上げます。穏やかな天候で明けて、昨日も、恒例の阪堺線撮影に出掛けました。電車は大増発ですが、肝心の乗客は、ざっと見て昨年の半分程度で、座って行ける状況に拍子抜けしました。鉄道を取り巻く状況は年が明けても厳しいようですが、鉄道はなやかなりし頃の年末年始の様子を見ていきます。昭和50年、51年と、2年連続で東北本線へ写しに行っています。約45年前で、いずれも、Fさんに連れって行ってもらい、当時、熱中していたボンネットバスや、廃止予定の仙台市電の撮影の帰途に撮影したものです。東北新幹線が開業するのは、昭和57年6月の大宮~盛岡の先行開業まで待たなければならず、在来線である東北本線には多くの列車が運転され、列車輸送のピークを迎えていた時代です。EF57が牽く、座席車ばかりの臨時急行は、年末年始の東北本線を代表するシーンだろう。上り「八甲田56号」「おが53号」EF57 8牽引 栗橋付近(昭和50年1月)

東北本線は、とくに年末年始の輸送量の大きな線区であり、臨時列車も数多く運転されていた。その多くが旧型客車で編成された急行列車だった。撮影した昭和50年は、博多まで新幹線が到達し、東京~西鹿児島の客車急行「桜島」「高千穂」が廃止された。それに比べて、首都圏~東北は、まだ在来線の東北本線・常磐線しかなく、客車列車であり、明らかに鉄道の近代化の遅れた地域と感じたものだった。客車に雪やツララを載せているのも、いかにも東北らしい。上り「津軽51号」EF57 7牽引 「津軽」は青森発の出世列車として有名だが、オール座席の臨時でも運転されていた。古河付近(昭和50年1月)上り「ざおう52号」、EF57 4牽引 「ざおう」は山形発の急行の総称だったが、特急「やまばと」の増発で、この頃には定期の「ざおう」は無く、すべて多客時の臨時列車となっていた。背後の築堤は東武伊勢崎線 栗橋付近(昭和50年1月)

上り「おが53号」を牽くEF57 4 デッキ付きの電機が旅客を牽く姿は関西ではとうの昔になく、とくにパンタの突き出たEF57に強い憧れだった。宇都宮(昭和51年1月)

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはパンタが中央に寄ったEF57の1号機、上り「ばんだい51号」「みはる」を牽く。「ばんだい」は会津若松発、「みはる」は小野新町発で、郡山で併結した。岡本付近(昭和51年1月)ここからはEF58が牽く臨時列車、上り「八甲田51号」でEF58 148tが牽く。同機は東京機関区だが、繁忙期の東北本線に貸し出されていたようだ。本家の定期「八甲田」は座席車のみの急行として有名だったが、臨時ももちろんオール座席車編成。栗橋付近(昭和50年1月)上り「ざおう52号」「ばんだい52号」を牽くEF58 58 栗橋付近(昭和50年1月)

上り「ばんだい51号」「みはる」を牽くEF58 73 2両目の客車はノーシル・ノーヘッダーのオハ35、上掲いずれも、荷物車すら連結しないオール座席車で、これはこれで編成美がある。栗橋付近(昭和50年1月)宇都宮に到着する上り「ばんだい53号」、この年は12系客車に変更されて、臨時列車も多少は近代化された。宇都宮でもかなりの乗客が待ち受けている。EF58 117牽引 (昭和51年1月)

▲▲こちらも12系客車の「八甲田51号」EF58 14 岡本付近 (昭和51年1月)いっぽうこちらは1両目にスハ32系客車を連結した急行が堂々と走っていた。上り「ばんだい51号」EF58 73 栗橋付近(昭和50年1月)

「ざおう51号」を牽くEF58 121 この列車は下りだが、年始とあって回送状態で昼行として山形まで向かい、直ちに折り返す。岡本付近 (昭和51年1月)その後、JR東日本の動態機として有名になるEF58 89が牽く上り「ざおう51号」 岡本付近 (昭和51年1月)

松島付近を行くED75 32の牽く下り「もりおか51号」 「もりおか」は東北本線経由ではなく、常磐線経由で盛岡へ向かう。仙石線との並行区間で、ゲタ電との一石二鳥撮影だった。(昭和51年1月)急行列車が花盛りの臨時列車だが、臨時特急も運転されていた。583系の下り「はつかり51号」が昼行で青森へ向かう。松島付近 (昭和51年1月)

 

3 thoughts on “ 年末年始 臨時列車で賑わっていた時代へ 〈2〉

  1. 東北地方は平成になるまで臨時急行が幅をきかせていた記憶があります。私が大学に入ったときに、親は山形に住んでいたので、GWに帰省するときには夜行のざおう81号に5人グループで乗ったことがあります。確か2両の自由席は満員で1つしか席を確保できず、通路に新聞紙を敷いて座って帰りました。併結の会津若松行きばんだい81号を郡山で切り離し、板谷峠を越えて米沢でようやく席にありつきました。東京に戻る時は夜行できた戻しのざおう82号に乗車し10時前に山形を出て午後5時に上野に着いたと記憶しています。
    長距離の列車が当たり前に走っていた30年前の話です。

    • H.Takaoka様
      コメントを頂戴し、ありがとうございます。東北本線の混雑ぶりを聞かせてもらいました。関西の人間は、新幹線開通前の臨時列車の多さは、あまり体験したことがないと思いますが、2年連続で、その頻発ぶりを体験しました。1ボックスに5人では、一人が新聞紙になりますね。私も何回か新聞紙を敷いて寝たことがあります。座席で寝るより、身体が伸ばせて楽なのですが、客車の振動が、身体全体にモロに伝わってきて、なかなか寝られませんでした。

  2. 大先輩の、それも面識のない見せていただく人間が突っ込むのも
    気が引けますが、、、
    ばんだい51号・みはるのところ、2両目のノーシルノーヘッダーの
    オハ35とありますが窓の大きさと車体サイズから10系座席車ではないでしょうか?編成の後ろのほうにも連結されています
    それとざおう51号を牽引している121号機は高二のカマですね
    高二のゴハチは東北本線で荷物列車の仕業もあって
    いくつかのカマには隅田川乗り入れの為に
    常磐線列車無線まで装備していますが
    東北本線で臨時とはいえ旅客仕業に入るのは珍しいと思います
    ないかと思います

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