広電 駅前大橋線試運転始まる

広島新駅ビル2階へ初めて広電試運転電車が乗り入れました。いつものように中国新聞記事でお知らせします。

令和7年6月7日 中国新聞朝刊

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広島短信2題

中国新聞記事から2件ご紹介します。まずは美祢線について。

令和7年5月23日 中国新聞朝刊

もう2年も運休していて、時間だけが過ぎてゆく美祢線ですが、沿線自治体が希望する鉄道復活はどう考えても実現するとは思えません。いたずらに結論を先延ばしせず、1日も早くBRT化するのが落としどころのように思えてなりません。

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 桜・新緑を軽く撮る   〈2〉

新緑の嵐電

京都を走る、もういっぽうの嵐電も、軽く撮りに行っています。

定番は、嵐電天神川を下車、徒歩5分の天神川橋梁。猿田彦神社の樹齢700年のクスノキが背景に入り、午後から順光で撮れる。青空バックの新緑だけ切り取れば、周囲の雑踏は気にならない。敬老パスを使い地下鉄東西線でも行け、最寄りには蔵書の多い右京区中央図書館もあって、立ち寄りついでに行ける。清く貧しい老人にとっては恰好の撮影地、ここでは、江ノ電カラーがよく似合う。

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 桜・新緑を軽く撮る   〈1〉

叡電リバイバル721に別れ

手垢のついた写真や、超ローカルな話題を得々と載せています。いえいえ、写真はいつも撮ってますょ。自分が撮りたいものだけ、最小限の機材を持って、サクッと撮って帰ります。後期高齢者には、それで十分です。体力はまだ自信があるものの、長期間、旅に出る気力もありませんし、葬式鉄には近寄りたいとも思いません。でも季節の移ろいだけは、しっかり記憶に留めたい。一年を通じて、桜から新緑までの、この1ヵ月余りは、撮影には最適の季節だとつくづく思います。そんな思いで、近くを巡って記録を軽く総まとめします。

叡電では、700系の最後のリニューアル未施工車である721号を、昭和62年デビュー当時の「アイボリーとマルーン」の塗装に復刻し、「リバイバル721」として2025年2月から運転していた。雪の降った日にも出掛けたが、5月連休期間に運転を終了するため、桜の開花に合わせて行ってきた。正面に「EIDEN」ロゴも貼り付けられていた。

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広電荒手車庫でグリーンムーバー火災

広電宮島線の低床連接車の先駆けである5000形は、ドイツ シーメンス社製のため電気部品を中心に交換部品が入手できず、5007号を部品取り用として廃車するなど保守に苦労されており、何編成かは荒手車庫で休車状態になっています。そんななか、荒手車庫に留置中だった5006号の屋根上の電気部品から出火したそうです。新聞報道では補助電源装置となっていますが、休車中でパンタは下ろしていたでしょうからなぜ発火したのかなど、詳しいことはわかりません。12編成ある5000形の廃車がさらに進むのではと思います。そう考えると還暦を過ぎた1900形が現役で活躍しているのは、勿論広電の車両保守部門の努力の賜物ですが、すごいことだなと感心します。

令和7年5月20日、21日 中国新聞朝刊

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 衝撃!  “そばぼうろ”の丸太町かわみち屋が廃業

唐突に何のこっちゃ、と思われるでしょう。でも、これが理解できたら、よほどの“デジ青通”です。丸太町かわみち屋は、京都で「そばぼうろ」「蕎麦饅頭」の製造、販売を手掛ける会社として知られていますが、5月20日で廃業のニュースが、地元新聞に流れ、衝撃が広がりました。聡明なデジ青読者なら、ひょっとして頭の片隅に残っているかもしれません。今を去る5年前、私と勘秀峰さんの2人で、京都市電写真展「市電が出会った街 河原町丸太町」を行ないました。丸太町かわみち屋は、その河原町丸太町の交差点にあり、地域を代表する店舗でもありました。これが「そばぼうろ」、決して高級な京銘菓ではないが、京都ではとくに粗供養に選ばれることも多く、昔から市民の定番の菓子だった。

写真展では、皆さんから「そばぼうろ」の差し入れをいただき、会場でそばぼうろを食べながら、そのルーツや本家分家争いなど、時ならぬ“そばぼうろ論争”が巻き起こったことを懐かしく思い出します。

 京都市電写真展 明日からです! | DRFC-OB デジタル青信号

展示写真の中にも、丸太町かわみち屋の看板が写ったものが数点ありました。ところが、2021年には、店舗が、製造所のある円町へ移転し、同じ丸太町でも、山陰線の車窓から見える丸太町かわみち屋となりました。そして、このたび、種々の理由で、廃業に至ったものです。

写真展ではエントランス部に、ギャラリー店主の厚意で、タタミ一畳大の大型カラーを展示した。その左、タイトル下にも、丸太町かわみち屋が写っていた。

勘秀峰さん撮影の同交差点では、奇跡的に3方向の②系統が顔を合わせて、タイトル通りの“出会った街”となった。背後の丸太町かわみち屋の看板も決まっていて、案内はがきに使った。

“そばぼうろ”の記憶は、この黄色の缶にもつながる。しっかりした缶で、京都では、どの家でも、一つか二つは、収納缶として活用されていたはずだ。私は、記念切符や乗車券の保管に使っていた。

 

馴染みの菓子屋が消える、そういえば、吉本興業のお笑いの常設劇場だった、よしもと祇園花月も、8月になくなると聞きました。鉄道だけではない。町並みも変わって行くことを感じています。

京阪京津線札ノ辻-浜大津延伸100年

京阪電鉄京津線の札ノ辻(昭和21年廃止)-浜大津(現びわ湖浜大津)間は大正14年5月5日に延伸が完成し、明日で開通100年となります。この延伸には紆余曲折があり、滋賀県の公文書館の資料に興味深いことも載っていましたので紹介させていただきます。(記載した番号は引用した滋賀県公文書館の資料簿冊記号と編次を表す)
京都-大津間の鉄道はすでに明治13年7月に国有鉄道が開通していましたが、互いの中心部を結ぶものではなく新しい路線が待望されました。明治20年代からいくつかの計画がありましたが、明治30年代終わりになって計画が進み、3社競願を調整して京津電気軌道が明治39年(1906年)3月に出願、明治40年(1907年)1月に京都三条大橋-大津御蔵町を結ぶ軌道敷設に特許がおりました。
当初の特許の浜大津側起点は御蔵町七番地で、これは現在京津線が東に曲がりびわ湖浜大津駅に入るところにあった旧京阪大津ビルの場所となります。
↑  2018年当時の浜大津駅付近、正面の「庄や」が入っていたビルが旧京阪大津ビル。現在は取り壊されてマンションの工事中。(2018.3.7撮影)

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JR九州 新駅駅名募集

JR九州が2027年鹿児島本線千早箱崎間に新設される駅の駅名募集をはじめました。幼少期にこのあたりで過ごした者として投票しました。
私の案は『貝塚松原』です。頭に残る松原の風景、単純に貝塚では地下鉄駅との混同、大阪府貝塚市所在の誤認も意識しました。結果はJR貝塚で落ち着くとは思いますが・・・

いずれにせよ新駅の開業が楽しみです。

広電 駅前大橋線 8月3日に開通

開通が延期されていました広電の駅前大橋線が8月3日に開通すると発表がありました。広電は8月6日の原爆の日までの開通を目指していました。

令和7年4月25日 中国新聞朝刊

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広島短信

新規投稿やコメントを書き込もうとすると認証がうまくゆかず、10日が経ってしまいました。いつもお世話になっている管理者殿の手を煩わせて、ようやく投稿ができるようになりました。10日遅れの情報ですが悪しからず。

瀬野にあったスカイレールの解体工事が始まりました。

令和7年4月3日 中国新聞朝刊

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広島駅ビル開業

広電が新駅ビルの2階に乗り入れることで一躍注目を浴びているJR広島駅の新しい駅ビルが開業しました。但し、広電の乗り入れは工事の遅れのために今年夏頃までお預けです。いつものように中国新聞記事の連射です。

令和7年3月22日 中国新聞朝刊

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 速報! ピク「京阪2600系」特集 発売

ローバー会メンバー、お知り合いが満載!

つい先ほど送られて来た鉄道ピクトリアル4月号「京阪2600系」。はて、私はこの号には写真投稿もしていなかったはず、訝りながらも、表紙から口絵、目次、本文へと  ページを進めるうちに、あの写真、この記事に、見たことのある名前が ! クローバー会の面々、私のお知り合いの名前が続々と誌面に出てきます。

本日午後3時30分、家に籠ってデジ青を楽しんでいる時、“ドサッ”という郵便物の投函が。見ると鉄道ピクトリアル4月号「京阪2600系」が。

感動のあまり、ページをめくる手の震えが止まらないほどです。影の編集長と言われるSさんから、“やってまっせ~、ええ本になります”と以前に聞いていましたが、言うことなしの充実ぶり。デジ青でもおなじみの、あの人、この方、本文執筆者のOさん、Sさん、Fさんの三本柱の記事も必読、Nさんのカラーはいつでも素晴らしいなぁ。DRFCなしでは、京阪特集は作れないという神話(?)が出来たのは、50、60年前のこと、しかし、その威光も次第に薄れて来たと危惧を感じていましたが、そんなことはない、いまもしっかり生きています。亡き沖中さんや湯口さんが活躍されていた60年前の再来ではないですか。編集後記を読みますと、ピク編集長が新人の頃、澤村達也さんにお世話になったことも述懐されています。以前の京阪特集号にも同様のことが書かれていて、ベテラン編集長にも強く残った事柄なのでしょう。鉄道雑誌に関しては、鉄道ジャーナルの休刊など、寂しいニュースが続いていますが、久しぶりの活力を、私にも与えてくれました。関係のない私に献本していただいたSさんにも感謝です。

 

 

JR美祢線のゆくえは?

令和5年の大雨で被災し、それ以来全線運休が続く美祢線ですが、未だに復旧方針が決まっていません。ようやくJR西がBRT化が妥当との態度表明をしましたが、55億円と約3~4年の工期を要するという試算です。更に高齢化、過疎化が進み、通学生も減るのは目に見えています。三江線に代わったバス路線も大幅な赤字で存続が危ぶまれています。美祢線も同じ轍を踏むのでしょうか。

いつものように、中国新聞記事を2つご紹介します。

令和7年1月22日 中国新聞朝刊

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 叡電“リバイバル721” 雪のなかを走る

叡山電鉄では、2月1日から700系最後のリニューアル未施工車の721号を、昭和62年にデビュー当時の塗装、アイボリー&マルーンに復刻し、「リバイバル721」として運転しています。一度は写しに行きたいと、以前の本稿でも述べましたが、今冬最強の寒波が訪れ、昨日未明に起きてみると、外は真っ白! またまた“雪が降ったら叡電へ”となりました。出町柳駅へ駆け付けると、叡山線の3本運用のなかに、うまく「リバイバル721」が入っていて、本格的な積雪のなか八瀬比叡山口、三宅八幡で撮影しました。

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駅名純喫茶店(1/21:ことでんに新駅誕生の予定。)

2020年に伏石駅を開業させたばかりの「ことでん」ですが、2026年度中にまた新駅開業とのこと。新造車両も予定しており、ノリにノッています。https://www.youtube.com/watch?v=SYBX2fjX1I8

駅名純喫茶店(1/19:夢洲駅が開業しました)

2025年1月19日、夢洲駅(大阪メトロ中央線)が開業しました。新駅誕生はわくわくするものです。一方で廃駅となる駅もあり複雑な思いです。

ところで今回の夢洲延伸により、近鉄けいはんな線の車内アナウンスの声が変更されたとのこと。昨日まで担当されていた津田英治さんの訃報が、ちょうど昨日ありました。近鉄沿線で生まれ育った私にとって、津田さんのお声は両親の声に次いで身近な存在だったと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。https://news.yahoo.co.jp/articles/628081809cd1ce8d457a343e5494b94aba725512

新年早々 広島から新聞ネタで失礼します

デジタル青信号をご覧頂いている皆様 明けましておめでとうございます。本年も広島から新聞ネタも交えながら投稿を続けたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。そこで早速 元旦の中国新聞の記事をお届けします。今年の広島の鉄道の話題は広電の新駅ビル2階への乗り入れだと思われます。当初予定より遅れていますが、夏ごろに駅前大橋線が開通する予定です。なお紙面の分割スキャンの都合上、読みにくい箇所があることをご容赦下さい。

令和7年1月1日 中国新聞朝刊

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クローバー会が韓国の新聞に載りました

明けましておめでとうございます
今年もデジ青を宜しくお願い致します

昨年の12月11日、韓国の国際新聞にクローバー会の明知鉄道見学会での写真が掲載されました。

これについて説明致します。
私の法学部の後輩・朴明欽氏からの紹介で、彼の友人で東明大学情報社会学博士・髙ヨンサム教授が編集している連載記事「人生二毛作」シリーズに出て欲しい旨依頼されました。これは鉄道と関係の無い老後の人生を紹介する記事で、日本人が登場するのは初めてとのことでした。
その中で私の老後はDRFCクローバー会での友人関係が大きいと書きましたところ、鉄道趣味がない韓国人には理解できず、この説明に時間を費やしました。かつて会員有志と釜山にあるコレイルの基地を訪問した話や、日々のデジ青などの説明の中でこの写真を見せたところ掲載されたと言うことです。

この新聞記事をここで見せようか、ずいぶん悩みました。でも写真が使われたからには紹介しないといけないと思ったのと、一部の友人に聞いてみたところ「見たいので掲載しろ」と言われて反対がなかったので出すことにしました。あくまで鉄道主体の話ではなく私個人の話なのでつまらないかも知れませんがお許しください。

なお、韓国から送って来た記事の訳文をそのまま載せますが私の書いた原稿とはずいぶんちがう所がありますのでそれもご理解の上お読みください。

〈見出し〉
70代の日本人交流の生活で 活力 「韓国が好きで 200回も 訪れた」

田野城 喬さん(前列中央の赤いシャツ)が鉄道同好会活動の一環として日本の「明知鉄道」を見学し、記念撮影をしている。 写真の右側に立っているのは機関車の説明員だ。

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須田寛氏を偲ぶ

デジ青「伝言板」で特派員氏やT氏が須田氏の思い出を披露されています。今朝の中国新聞朝刊に須田寛氏に関するコラムが載りましたので、「伝言板」ではなくこちらに投稿し 偉大な先輩を偲びたいと思います。

令和6年12月25日 中国新聞朝刊