東のC59、C62の記録

総本家青信号特派員さんの「西のC59、C62全記録」シリーズが一段落されたと思うのでここで仙台を中心とした「東のC59、C62」を発表したい。特派員さんほど秀麗な写真はないが、わずかな記録であるので、見たことがあるシーンも含まれているのはそれだけ撮影枚数が少ないということでご容赦いただきたい。

まず、C59であるが東北本線のC59は上野から宇都宮、白河、福島あたりで活躍してきたが私が見たのはわずかに残った仙台区の2両で最後の活躍をしていた頃である。

2両は戦前型のC5990と戦後型のC59176 である。何れも山陽路のそれとは異なり予備灯がついていた。仙台機関区は駅の横にありC59~C62の大型旅客用の機関車が狭い場所にたむろしていた。因みに貨物機は長町区が中心であった。1965.9.4 仙台C5990▼

C59127はかつて宮原区にあって重油専燃の実験機で準急「ゆのくに」に使われ、その後盛岡区に転属し盛岡~一戸間の補機に使われたという記録がある。私が撮影した時点では一ノ関迄入っていたようである。1965.9.5塩釜-陸前山王間を行く一ノ関発128列車宇都宮行きを牽引するC59176。戦後製の特徴である長い船底型テンダーがよくわかる。▼

1965.9.4 仙台駅到着の128列車宇都宮行き牽引のC59176。予備灯に加えてデフレクター下部に点検用の切り取りがあるのが東北型の特徴。▼

次にC62であるが、東北本線には入線しておらず常磐線の運用である。上野から古くは「はつかり」を牽引し、尾久、水戸、平、仙台と電化によって活躍の場は北に狭められていった。

1965.9.4 仙台始発の水戸行き234列車牽引のC6248。▼

この機関車は仙台電化後に同僚数両とともに何と呉線糸崎区に転属している。珍しい転属であるが、喜ばれたのか嫌われたのかよくわからない。常磐線から来た軸重軽減機は空転が起きやすいと聞いたこともある。

1968.3.31 呉線須波付近を行く626列車広島発糸崎行き牽引のC6248で予備灯がなくなっているのは好ましい。▼

常磐線は特急「ゆうづる」を始め名立たる優等列車をÇ62が牽引していた。急行「みちのく」は朝上野を出て夜遅く青森に着く昼行の急行列車である。当然寝台車は必用がないがスハ43系で編成され1等車、食堂車もついていた。広野から続く勾配区間をC6245は急行らしいスピードで上がってきた。▼

この他に特急「ゆうづる」や夜行急行の「十和田」の記録もあるが、あまりいい写真はなく東の大型機に興味のある方も多くはないと思われるのでこのあたりまでとしたい。

 

東のC59、C62の記録」への9件のフィードバック

  1. 準特急様
    私もあまりよい写真ではないのですが、想い出深い1967.9.1の「久ノ浜」
    を通過する「ゆうづる」を投稿します。
    友人と青森で合流して北海道に渡道する旅の途上で、私は仙台電化直前の「ゆうづる」を見たくて、前日に大阪を出発しました。写真を撮る場所は日の出時間と国土地理院の地図から「久ノ浜-末続」間と定め、上野から227列車に乗車し、4:29に久ノ浜に下車しました。まだ辺りは暗闇でしたが兎に角国道6号に出て、峠越えをして末続方向に歩き出し目的地に到達した時には空も白んできました。自分で作ったダイヤから想定していた通過時刻を過ぎても「ゆうづる」は通過しません。先の旅程から「久ノ浜」から乗車する列車は247列車と決めていましたので所要時間を考えて駅に戻りました。駅員さんに確認すると当日「ゆうづる」は遅延しており、247列車とこの駅で交換するとのことで、慌てて下りホームに入り、撮ったのがこの写真です。
    牽引機は、カマの状態が良かったので優等列車に優先的に充てられることが多く、当時の特急「ゆうづる」専用機となっていたC62 23でした。

    • C62 23は、常磐線の仙台電化後、1967.10.6に平機関区から糸崎機関区へ移動になりました。呉線の撮影で糸崎機関区を訪問した1か月半後の1967.10.15に、この機関車に再会することになりました。当時はこのような情報を知る由もなく、区名札は「糸」に変更されていましたが、この時点では前照灯副灯はそのままついていました。特急を牽引して常磐線を驀進する機関車と、糸崎機関区の扇形車庫の中で整備を受けている機関車が同じものとは思いませんでした。

    • 快速つくばね様
      いつも有難うございます。
      「ゆうづる」撮影は難儀しましたね。平到着は6時5分ですから多少遅延してくれた方が条件はよくなりますが何れにしましても暁の決闘です。上野22時24分発青森行き227列車が鉄ちゃんの定番列車でした。この列車は各駅に丁寧に泊まり平からEF80→C60にバトンタッチしていました。四ツ倉、久ノ浜辺りで降りても「ゆうづる」が登場するまで2時間近く駅舎で待たされました。

  2. 快速つくばね様
    いつも有難うございます。
    「ゆうづる」撮影は難儀しましたね。平到着は6時5分ですから多少遅延してくれた方が条件はよくなりますが何れにしましても暁の決闘です。上野22時24分発青森行き227列車が鉄ちゃんの定番列車でした。この列車は各駅に丁寧に泊まり平からEF80→C60にバトンタッチしていました。四ツ倉、久ノ浜辺りで降りても「ゆうづる」が登場するまで2時間近く駅舎で待たされました。

  3. 快速つくばね様
    感激のあまり同じものを2回も打ち込みまして申し訳ありません。福島の太平洋沿いの海辺を驀進していた23号機が瀬戸内海沿いを走る姿です。1968年3月31日午後須波付近を上り急行「安芸」を牽引して懐かしい顔を見せてくれました。前より男前になった感じがしました。

  4. 準特急さま
    快速つくばね様
    常磐線のC59・C62を見せていただき、ありがとうございます。私は前にも記しましたが、常磐線は「ゆうづる」を撮りに行った1日だけで、ほとんど記録が無く、ましてC59は、とうの昔に無くなっていて、貴重な記録ですね。つくばねさんも体験されていますが、「ゆうづる」が撮影可能なのは、夏前後の平近くに限定されていて、撮影に苦労がつきものでした。私は上野から227レに乗り、四ツ倉4:47着、定番のカーブでC6223「ゆうづる」を撮りました。すでに架線・ポール建植済でしたが、ヘッドマーク付きの特急を牽くC62は、貴重な1枚となりました。

    • 総本家青信号特派員様
      あの頃は東の常磐線、西の呉線が架線のない状態での大型蒸機撮影の最後の舞台でした。特に常磐線は蒸機特急復活ということでかなり注目を浴びた訳ですが、夏場のほんのわずかな時期しか撮影できず、その結果機関区でヘッドマーク付きを撮った写真を見ることが多くなりました。そこで恥を忍んで愚作発表です。1966.3.20四ツ倉-草野間上り「ゆうづる」のC6247[平]定時運行で煙ナシの姿です。

  5. 昭和40年3月、仙山線の電機(ED14、17、91)の撮影が目的で作並機関区を訪れた時、仙台駅のホームからC59176を撮影していました。前にトラを連結しており、「無いよりマシ」程度の写真です。
    この後、762㎜の宮城バス仙北鉄道線を訪れました。

  6. 藤本哲男様
    有難うございます。煙突にクルクルパー(回転式花粉止め)を付ける一方予備灯がなくすっきりした顔です。前に阪神の車両を付けた入れ換えのような感じですね。国鉄蒸機ばかり追いかけて軽便やローカル列車にはあまり関心がなかったことを今頃になって反省していますがもう遅いです。1965(昭和40)年9月4日雨の仙台駅到着の浪江発245列車C6125[仙台]の写真を添付しますが、奥のホームには交流機らしいのが写っています。当時は交流機など見向きもしなかったことを悔やんでいます。趣味の対象が各人異なっているのは当たり前と言えば当たり前ですが正直何やってたんやという気持ちです。お撮りになった宮城バス仙北鉄道線や仙山線の機関車等発表されて拝見できれば幸いです。

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