【99934】めずらしい客車 Ⅲ

河 昭一郎さんは「客車は門外漢ですから手当たり次第に撮っています」と謙遜されますが、手当たり次第ならもっとオハ35やオハ61があってもいいと思うのにそれがどうして、なかなかのクセモノ車輌を選別して撮られています。

昭和40年代になると客車も改造や格下げ、それに台車履き替えなどが出てきてそれらを国鉄は律儀に形式を変えたものですから覚えられなくなったものです。今回はそんな客車たちも出てきます。

「客車」の定義はなにか?とのご質問がありましたが、私は“コホナオスマカ”が付いている車輌と考えております。

カニ22 1 東シナ 1965-3-20 品川駅

▲カニ221はパンタの付いた客車、といってもディーゼル発電機と電動発電機を積んだ「電源貨物車」
1960年「はやぶさ」用に作られた。東海道本線と全線電化が完成した山陽本線では架線から電気をとって電動発電機を回して発電。鹿児島本線ではディーゼル発電機を使って発電し電気を供給する。そのためにPS18を2基屋根に搭載する。パンタはEF58やEF65などの機関車からリモコンで上下させる。しかし、軸重が16tもあり熊本以南では路盤を強化しても最大で70kmの制限を受けるため、実際には路盤強化したら75kmで走れる長崎本線の「さくら」に使用された。68年にはMGとパンタを外して軸重を軽くしてカニ21と共通運用できるようになった。

▼マニ7222
基本的には70番台をとる客車は戦災にあった電車の台枠を利用して車体を載せ替えた車輌。車体は改造もあるが新製もある。この車輌も車体は新製だが、帳簿上電車改造名目ということで窓の高さなどは客車とは違い電車サイズ。←クハ58011

マニ72 22 大ミハ 1961-9-26 京都駅

▼マニ745
この客車は二回の形式変更を経てマニ74になった。もちろん“焼け電”改造である。妻面が半流なので種車が電車だろうとの察しは付くが、前形式はオハ71の114号である。
71系は70系戦災復旧車グループの一員で、20m電車と客車からの復旧車。因みに17m車の復旧車はオハ70。マニ745←オハ71114←サハ57050
ところでマニ728の両横に写っている客車はマロネ40←マイネ40だ。進駐軍専用列車に接収されたり、返還後は冷房付きの寝台車として優等夜行列車に連結されていて、朝の京都駅で羨ましく眺めていたものである。

マニ74 5 天リウ 1964-9-6 品川客車区

▼スエ7145
←マニ7112←スハユ302からの車種変更車
私事ながらここで50年間間違いを放置してきたことが分かりました。
スハユ30とはどんな客車か?と自分のリストを探したところ、スハユ31の写真だったので残念!と思いましたがスハユ31は3両しかなく、この撮影時期にはすでに除籍されていました。したがってこれは残念ではなくスハユ30だったのです。スハユ30はスハ32系のダブルルーフ車ですが、車体を載せ替えているのでご覧に入れるほどのことではありません。でも、スエ7145の写真を河さんが送って下さらなければ永久にスハユ31として焼き場へ行くところでした。

スエ71 45 新ニツ 1964-11-10 新津機関区

▼スニ752058(キャプションにはマニ752056とある)
調べたが、まずマニ75という車種が見当たらなかった。スニ75はある。原画を拡大してみたが、以前誰かが書いていたように当時のペイントが悪く、文字がかすれていて読み取りにくい。スニ75も2056は該当なく拡大してみても56か58かは微妙である。
手元にもスニ75があるがスタイルは違う。この当時の戦災復旧車は急ぎ台数をそろえるため客車製造の技術も経験もない工場にも作らせたため、スタイルも窓配置もバラバラであったという。マニ752056が実はスニ752058であったということで話を進めると前歴はオハ7079であり、その前はオハ31398となる。この写真はワイドレンズで撮されているが、17mより20mに見える。さて、判定やいかに!

マニ75 2056 東オク 1966-3-1 横須賀駅

▼スニ3099

ス二30 99 中セキ 1961-9-26 京都駅

▼スハネフ301
戦後も混乱が収まると旅行ブーム、とりわけ九州や東北への長距離旅行が盛んになった。しかし、主力はオハ35やスハ32などの座席車で、寝台車は旧型は終戦直後からの輸送力増強でほとんどを座席車に改造、本格的には10系寝台車の新製から復活することになる。それでも需要には間に合わず座席車で程度のいいものを10系寝台車に準じた装備で改造することになった。それがスハネ(フ)30である。スハネ30は戦前にあった三等寝台車のスハネ30を昭和16年に座席車・オハ34に改造したものを再度寝台車にしてスハネ30型とした。したがって返り入幕である。しかし設備は10系寝台車に準じたとは言え、生まれの古さは随所に見られる。台車は種車のTR32、車体にはリベットが並び、窓は上昇式で座席車と同じ高さのため、見送りに人と話すにも車内ではかがまなければならずしんどい思いをしただろう。換気は強制換気で送風機のカバーが屋上に連なってある。スハネ30から3両がスハネフ30に再改造された。

スハネフ30 1 東シナ 1964-9-6 品川客車区←オハ3414←スハネ3010

▼オロネ10 26
ここで10系寝台車の最高峰車オロネ10のご紹介
最初から冷房装置を搭載し、台車は空気バネのTR60。解放寝台の明るい車内は大変な人気だったようで、ブルートレイン用の20系と双璧をなす寝台車。

オロネ10 26 中ヒロ 1964-9-6 品川客車区

 

▼オシ162
急行「彗星」に組み込まれたオシ162
この車輌はなじみが少なく、見たこともわずかしかない。記憶ではサロンカーとかスナックカーとかいわれたような記憶があるが定かではない。噂では寝台の組み立て・解体時の客の待避場所として作られたとのことである。6両あったが台車がTR23とTR47の二系統あったとか、一両ずつ微妙に外観に違いがあるとか、ミステリーに包まれた車輌。詳しく分かる方は解説して下さい。

オシ16 2 大ミハ 1964-9-19 東京駅

▼これはなんだ!!
今回最大のミステリーはこの写真。河さんのコメントに寄れば、 尾久⇒上野逆行回送 (1966-2-25)とのことであるがなんのための機械か分からない。いまなら「衝突防止用のレーダー」 などというかもしれないが1966年と言えば昭和41年だ。尾久から上野駅に推進運転で列車が入線するところの写真。ナニをする道具か教えて下さい!

▼大阪弁天町に交通科学館が開館したのが1962年1月21日、その前年に展示するC5345を鷹取工場で復活させ、最初で最後の展示運転が1961年9月20日~21日に吹田工場-鷹取工場を往復した。これはその時の写真。牽引されているのは、交通科学館で同時に公開展示されるスシ28301+マロネフ591+マロテ492。
このスシ28301は科学館内で食堂として使われるためにスハシ38102の座席を外して食堂スペースを拡大した“偽スシ28301”である。この車番は交通科学館で付された番号で、正式の車籍ではない。現在も京都鉄道博物館では食堂営業をしているため、堂々とスシ28301を名乗っている。1961-9-21 大阪駅
この時運転されたC5345の三気筒排気音を録音したレコードを買った覚えがある。B面は同時に復元した7100型“義経”の排気音と鐘の音だった。

おわり

 

 

めずらしい客車 Ⅲ” への16件のコメント

  1. スハネ(フ)30、本線活躍中の写真がありましたので便乗投稿を。
    1964年11月 田原坂(信)下り急行ひのくにです。

    • 村樫四郎様
      山々の紅葉が見えるような写真ですね。
      確かに4両のスハネ30が入っています。スハネ30系は地方線区の優等列車で使われていたことがよく解ります。
      でも懐かしさが漂う作品です。ありがとうございました。

    • 横から失礼します。
      「ひのくに」203列車は大阪発20:15、終着熊本が10:15で博多着が朝の7:57。出張族に人気がとてもあった寝台専用列車で、私の持つ37年の時刻表では、最後部はハネフが落成せずにハフが1両繋がっています。
      機関車次位はオロネ10×2の豪華編成で、暑い季節は皆んな冷房付きのプルマン寝台に憧れて、出世を目指した原動力だったのではないでしょうか。
      亡くなった父も新幹線開通前は、よくオロネに乗って九州まで帰ってきていました。

    • ほへほへ様、
      ということは、あの機関士が上野駅まであの位置で座って前方を注視して、万一の時は“あの箱”のボタンを押す!と言うわけですか?

        • ほへほへさん、
          これは面白いことを教えていただきました。
          まいにちぼんやり見ていた梅小路の「スチーム号」も立派な推進運転です。と言うことは先頭車(オハテフ)でマイクを握っているおじさんも機関士ということですね!

      • 米手作市さま
        ほへほへ様の仰る通り推進用非常ブレーキ装置ですね。客車のブレーキ管にホースが繋がっているのがその証拠です。昨今の推進運転(おろち号やノロッコ号等)列車には機関車と反対側に簡易運転台が設置されていますから、そこにブレーキ管が来ていますが、当時の客車にそんな設備は無かったのでこういう仕儀になったのでしょう。当時の一般形客車のブレーキは所謂「減圧式」でしたから、万一の場合はこのホースからエアを抜いて急ブレーキをかけたわけです。因みに現在のように無線機が使えれば、機関士に伝達してということも考えられますが、それでもタイムラグのことを考えると、安全上の見地からやはり無線機のみというのは考えにくいと思われます。

  2. 米手作市さま
    ご多忙の中、『めずらしい客車 Ⅲ』も又お手数をおかけしました。
    図々しくも15枚もの多量な写真はスペースの取り過ぎ感が有って、申し訳なく思っております。(NHKのチコちゃんに、『調子に乗ってんじゃネェ~よ!』と言われそうですネ。)
    ところで、推進運転時のあやしい機械は、ほへほへさんが仰る通り非常ブレーキですネ。
    警笛も付いているような・・・。
    これとソックリなのが、『めずらしい客車・初回版』の写真4枚目にも有ります。
    小生に取っては、こちらの方が『?』で、一体何処から推進(又は退行)運転して来たんやろう?です。
    ひょっとして大ムコから?
    もしそうだとしたら、東オク⇒上野駅の例と同様、どの線路をどのように走って来たのかの調査を極めてませんので興味津々です。
    まさかの本線上かも知れませんが、回送線が有ったとも考えられます。
    京都駅での、この写真は、東オク⇒上野のように『入って来る時に』立ち合って居らず、既に留置中の撮影だったので、そこに居た前後の経緯が不明です。

    井原 実さま
    『ウタ』の件とマニM-3200の件、いみじくも勉強不足をご指摘いただき、反省する事しきりです。
    よそ者の小生がデジ青に潜り込ませていただいたのは、デジ青の歴史からすれば、ほんの最近の事ゆえ、過去にアップされていた話題とは知らず、内容が重複する事もあるようで申し訳ありません。
    元々未熟者の小生の事、DRFCには佐竹保雄氏を始め、藤本哲男氏や湯口 徹氏の諸先輩がおられる中、『間違って、雲上人』などと言われる事もあり、無意識の内に『調子に乗り過ぎている』のでは無いかと自戒している今日この頃です。

    • 河 昭一郎様
      客車シリーズも3回目になりますが、失礼ながら回を追う毎に「河様はタダ者ではない」との感を強くしております。
      もっと見せていただけるのでしょうね。楽しみです。

  3. 「めずらしい客車 Ⅱ」に続いて少し補足します。
    ◆マニ72 22 大ミハ 1961-9-26 京都駅
    昭和40年3月、スエ71 85 尾久客車区の救援車に改造されました。
    床下一杯に救援資材を入れる箱を吊り下げていて、いかにも救援車らしい姿で私は好きでした。

    ◆マニ74 5 ●● 1964-9-6 品川客車区
    天リウです。
    書類上はサハ57050ですが、現車は半流ですので間違いです。

    ◆スエ71 45 新ニツ 1964-11-10 新津機関区
    スエ71 45は昭和38年10月から昭和41年12月までしか存在しなかった短命な救援車でした。貴重な画像です。ありがとうございます。2-4位側もありましたら泣いて喜ぶのですが。

    ◆スニ752058(キャプションにはマニ752056とある)
    スニ75 2056なる形式番号の客車は存在した可能性はなんともいえないのですが(スニ75 56は門モコにいました)、現車とは窓配置が相違します。したがいまして、窓配置から見ますと米手さんのおっしゃるとおりスニ75 2058が正しいと思われます。
    スニ75 2058は昭和40年7月に東オクで廃車になっていますので、撮影日と場所から見て、解体待ち或いは身売り先待ち(引き取り手がありそうにも思えませんが)ではないでしょうか。

    ◆ス二30 99 中セキ 1961-9-26 京都駅
    この撮影のすぐ後、昭和36年11月にオル30 10広ヒロに改造されました。

    ◆スハネフ30 1 ●● 1964-9-6 品川客車区←オハ3414←スハネ3010
    東シナです。

    ◆オロネ10 26 ●● 1964-9-6 品川客車区
    中ヒロです。

    ◆オシ16 2 ●● 1964-9-19 東京駅
    昭和39年度中に大ミハから東シナに移動しました。

  4. 井原さん!
    お助け、ありがとうございました。
    事業用車や荷物車のデータが少ないため、怪しげな記憶とネット情報をかき集めて悪戦苦闘しておりました。おおきに!
    今回、改めて70系客車の整理と理解が出来てよかったです。数十年前に現車があった頃には分からなかったことが現在なら分かる、と言うことを知りました。

  5. ◆マニ72 22 → スエ71 85北オク
    1985年7月14日 尾久客車区
    1965年3月31日大宮工場改造

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