ED電機への憧れ① 阪和線のED60
電気機関車シリーズに戻ります。これまではEF級の電機の思い出でしたが、私はED級の電機にも憧れがありました。思い返すと、小・中学校に頃の鉄道模型に行き着きます。当時、模型化されていた電機は、EF級もありましたが、高価なうえに脱線しやすい欠点もありました。小遣いの範囲で買えるのは小型、と言ってもEB58では、それこそ子供だましで、やはりED級の電機に行き着きます。当時の売れ筋は、ED14、ED16、ED17あたりで、少し経つとED11あたりの少数機も出て来ます。牽くのはやはり客車が相応しく、マツモト模型のオハ31系数両を牽くのが適任でしょうが、結局、私はED14+オハ31だけの編成で終わってしまいました。後年、鉄道写真を撮るようになると、大型のEF級電機が長編成を牽く姿にも惹かれますが、心の中では、客車数両を牽く、ED級の電機を撮ってみたいと言う気持ちがありました。▲たとえば仙山線でED14、ED17が客車を牽くシーンを思い浮かべるものの、結局は間に合わず、その後の新型、ED60でやっと実現した。場所は阪和線、その頃、定期の客車列車はなかったものの、紀勢本線沿いの海水浴場へ向かう臨時急行「きのくに」が夏休みに多く運転されていた。牽引はEF52が多かったが、ED60が牽く列車もあった。客車は冷房付きの12系になっていて、思い描いたシーンでは無いものの、初めてのEDが牽く客車列車となった。「きのくに53号」 山中渓~紀伊 (昭和47年8月)
▲いわゆる60系電機と言われる、新型直流電機のなかで、ED60は、そのトップバッターとして昭和33年から8両が製造された。車体長13mでありながら、強力機であり、当時の流行から“アトム機関車”と鉄道雑誌に書かれていたことを思い出す。初期の頃は、やはり茶色一色で、初めて、鳳電車区で見た時、“小さくて力持ち”を実感した(昭和41年8月)。▲ED60は製造された8両のうち、2~8が最終的に鳳区に配置されて、阪和線で客貨列車を牽いた。阪和線に集中配置された理由のひとつが、買収線区のため、駅構内の有効長も小さく、小型の電機が選ばれたと言う。たしにに、阪和線の貨物はこのように長編成で、本数も多かった。紀伊付近(昭和49年5月)
▲和歌山の製油所からのタンク編成も多く、雄ノ山峠の勾配区間はさすがに単機では苦しく、EF15の助けを借りていた。紀伊付近(昭和49年5月)
▲ED60重連で阪和線貨物を牽く。短い車体に二丁パンタは、恰好が良い。紀伊付近(昭和49年5月)
▲後年なると、例の二灯化がED60にも始まって不細工なスタイルになった。阪和線での活躍は、EF60などの投入で昭和61年で終了した。駅不詳(昭和60年2月)▲ほかの線区のED60も紹介、と言っても1号機が、大糸線で使われているたげだった。もともとED60の初号機は、大糸線沿線の黒四ダムの建設資材を運ぶため、昭和33年に北松本区に配置されたのが最初だった。信濃大町(昭和45年8月)
いっちょ噛み、登場!
でも鳳でのED60は、以前にも投稿したので今回はチョット変わった構図で見て下さい。
はい、米手さんからは、茶色時代のキレイなED60を見せていただきましたが、これはまた珍しい。デッキ付は、EF52ではなく、ED16ではないですか! 私は立川へ転属したあとのED16は知っていますが、阪和線時代は知りません。新旧のED電機、いいですね。
阪和線の電機といえば、EF52とED60でした。大阪南部では電気機関車に会える機会は少なかったと思います。この時は短編成でした(1972.01 日根野近く)。
撮影されたのは、日根野の近くなんですね。今とはずいぶん違う風景に驚きます。編成は短いとは言え、なにせ重量のあるタキですから、単機としては、これがいっぱいの定数だったのでしょうね。貴重な写真、ありがとうございます。
D型機が主流となった交流電機に対して、直流の新型電機ではD型はED60とED61、それに後者の改造であるED62の3形式しかなく、結果的にこのスタイルの車で終わってしまいました。それだけに大半のED60と一時ED61も2両いた阪和線は、今思えば貴重な存在で、同線の特長、魅力のひとつだったと思います。
20mの客車の牽引機がD型ですと車長は客車より短く、アンバランスな感じもしますが、模型ファンから見るとまた別の見方があるわけですね。数少ない客車牽引のED60の写真をお送りします。1973(昭和48)年8月12日、美章園駅を通過する臨時急行9306レ「きのくに54号」を牽くED60 8です。
ところで脱線しますが、「アトム機関車」なる当初のニックネームについて。ED60のデビュー当時はまだアニメの「鉄腕アトム」は放映されておらず、実写版(特撮)の「鉄腕アトム」がテレビで放映されていた頃ですね。もちろんスポンサーも主題歌もアニメ版とは別でした。
いつもコメントを頂戴し、ありがとうございます。「鉄腕アトム」のテレビ放映の件、教えていただき、ありがとうございました。私も思い出しました。最初は実写もので、アニメはあとからでしたね。主題歌も違いましたね。
さて、美章園での「きのくに」、ありがとうございます。小さなED60、大きな客車を牽くのは、私も大好きでした。蒸機でも、C12あたりが、数両の客車を牽く姿はとくに好きでした。
前略 先日ひょんなことから南海和歌山港線乗る機会ありました。小さい頃から特急列車「四国」号や「サザン」のイメージがありましたが実はこの路線南海最後の電気機関車が走ってたのですね。実際には加太線東松江の住友金属への品物がメインだったようですが(阪和線5枚目の無がい車がそうでは?)、ただ和歌山港線で検索しても貨物列車に関しての記述は少なく圧倒的に多いのが水軒駅跡の記事、次は途中駅全面廃止の記事ばかり。それらは大半が個人ブログですがWikipediaの不正確な記事を下敷きにしているためこんな誤解が生じてる模様。
「築港町駅は水軒延長に伴い移転。従来の貨物線はその際廃線。」「水軒駅に貨物列車がくることはなかった。」
手元の「日本の私鉄#26 私鉄の機関車」(1983 加増・池田 保育社カラーブックス)には築港町発着定期2往復、水軒発着不定期1往復(ほか加太線2往復 戦時中に開通した元・松江支線の部分はたしかに貨物線っぽい配線もある。)とあるのだが。
wikiは書き換えてやろうと思ってますが、最後に当方の妄想として三岐鉄道にのこるED5202を復帰させて「天空」の和歌山港線加太線バージョンみたいなのを作って観光列車でも走らせれば、と思いました。加太線に負けず劣らず和歌山港線もなかなかよい撮影ポイントありますよ。
おまけ:「きのくにシーサイド」で阪和線乗り入れて天王寺まで行ったことあります。スピードかなりチンタラでした。